旅日記

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人には故郷が必要

おはようございます、Manachanです。

海外不動産投資のセミナーや懇親会で、私、こんなことを良く聞かれます。

「鈴木さんは、今後、どちらの国に住むんですか?」

「家族連れて、海外雄飛されるんですか?」

そういえば、昨今、不動産投資の世界では、「日本で家賃収入を得て、サラリーマンを卒業、暖かい東南アジアへ家族で移住、セミリタイア」の類のブログ、コラムが増えています。定番のハワイ、オーストラリアのみならず、最近はマレーシアやタイ、フィリピンのセブ島とか、特に人気ですよね。

ただ、私の場合、海外移住なるものを、今から10年以上前に、経験してしまいました。

当時の私、家賃収入でセミリタイアとか、そんな優雅な身分じゃなかった。とにかく、お金ないから、オーストラリアに移住した翌日から就職活動をはじめ、十数社落とされて、3ヵ月後、自宅から片道1時間半もかかる会社に採用して(拾って)いただいた。就職後1~2年は英語のコミュニケーションで苦労した・・・生活するのに精一杯でしたが、楽しかったですよ。日々、「アウェーで戦っている。それでも俺は生きている!」感で、心は満たされていました。

そんな体験を長年してしまったので、「今さら、海外移住ねえ…」、正直、心ときめく魅力は余り感じません。

とはいえ、「これからずっと、日本(東京)に腰を落ち着ける」と、決めてるわけでもないんですよ。面白いビジネスがあれば、それこそアフリカでも南太平洋でも、地の果てでも、行くのはやぶさかじゃないし、実際、自分は世界中どこでも生きていけると思ってる。不惑の歳を過ぎても、私のフットワークは、相変わらず軽い。

しかし、私も妻子ある身。自分だけの人生じゃないから、その辺も考えなくちゃならないよねえ。でもって、家族のことを考えると、今後当面は、日本で頑張らなきゃと思っています。

特にうちの子供たちは、国際結婚家庭に生まれたバイリンガルキッズ。これまで、日本、オーストラリアを転々としていた暮らしをしてきたからか、「故郷」を心の底から欲しているフシがある。

「私は、日本人なの?英語人(オーストラリア人)なの?」

「私のHome(故郷、地元)は、日本なの?オーストラリアなの?」

それが定まらないと、どこかしら、不安なようです。生まれてからずっと日本で、日本人の両親に育てられた子供にはないタイプの問題かと思います。

しかも、うちの子は、「いま住んでいる東京・東陽町を、自分を故郷にしたい」のが本音のようです。最近も、こんなやりとりがありました。

「ソフィアちゃん・・・代々木とか、世田谷とかに、引っ越してみたいと思う?」 (※代々木・・英語補修校、世田谷=英語劇サークルの場所)
「いやだ!東陽町がいい」

「だったら・・・パパの事務所のある、五反田の近くとかはどう?」
「やっぱり、東陽町がいい」

「じゃ、おばあちゃん家のある柏はどう?」
「東陽町の方がいい!」

うちの娘ソフィアは8歳、息子ポニーは5歳。この先、いくつになれば、彼らの故郷が確立するのか知りませんけど、間違いなく、今後数年はかかるでしょうから、それまでは東京に留まった方が良いかと。

その辺、親がしっかりサポートしてあげないと、「アイデンティティ・クライシス」を招きかねないからねえ。

よく考えれば、私だって、「柏」という、いつでも帰れる「自分の故郷」があるからこそ、安心して、世界中、飛びまわれるのかもしれない。

それがないと、人は、「故郷」を捜し求めるのかもしれませんね。

故郷・東陽町(東京都江東区)

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強烈韓国体験

こんばんは、Manachanです。

福岡への日帰り出張講演から帰ってきました。いつもながら、素晴らしいセミナーと、懇親会でした。また行きたいな・・・いや、来週土曜日にまた行くんだった。九州の皆さん、また会いましょう。

4/19(土) フィリピン・マニラ不動産セミナー@福岡

福岡で、投資家の皆さんと懇親会やって、はっと気がつくのは、「韓国との距離感の近さ」。福岡空港から、東南アジアやインド方面に行くのに、皆、ソウルのインチョン空港での乗り継ぎを使うんですよね。

福岡空港、地方空港としてはかなり頑張っている方ですが、それでも、成田や関空に比べると、国際線のバラエティは少ない。福岡から直行便で行ける海外の都市は限られるし、それに競争もないから運賃も総じて高い。そこで、

福岡⇒ソウル(インチョン)⇒世界各地へ

の乗継が大活躍。福岡からだと、東京行くよりソウルの方が近いんだもんね。

あと、福岡~プサン間は、JR九州の高速船が2時間55分で結んでいるから、福岡勤務のOLも、「ちょっとそこまで」感覚でプサン行って、免税品とか化粧品とか買いまくって帰る、みたいな旅行も多いですね。日本の他都市ではできないタイプの海外旅行。

東京からだと、直線距離で1000km余り、でも福岡からだとわずか220km(プサンまで・・・)。そんな「お隣の国」韓国ですが、

ソウルオリンピックの頃は、「近くて遠い外国」と呼ばれていました。

その後、時代が下り、韓流ドラマ最盛期になると、文字通り、「近くて近い外国」でした。

今では、日韓関係も冷え込み、再び、「近くて遠い外国」に逆戻りの感があります。

両国の物理的な距離が近いことは誰も否定しませんが、心理的な距離は、世の中の「空気」に思い切り左右されますよね。

しかし、世間がどう思おうと、私にとっては、韓国は永遠に、「身近でフレンドリーな外国」です。

私が19歳、大学2年の時は、ソウルオリンピックが開催されましたが、その年、初めて韓国を一人旅して、とても強烈な体験をしました。良い意味で・・・

旅行のコースは、こんな感じ・・・決して広くはない韓国の国土を、南から北へ、西から東へ、23泊24日も渡り歩くという、奇特な旅でした。

当時、日本における韓国イメージは、「近くて遠い外国」・・・当然ながら、「韓国行って、大丈夫?反日感情とかあるんじゃないの?」と心配する人もたくさんいました。私も、生まれて初めての韓国旅行、しかも一人旅。緊張が、なかったわけじゃありません。

しかし、下関からフェリーに乗って、韓国プサンの土を踏んだ瞬間、「反日感情懸念」など、たちまち、雲散霧消してしまいました。

旅先で会った、韓国の人たちは、見ず知らずの外国人である私を、快く、自分の家に泊めてくれたのです!

・最初は、プサン(釜山)。大学寮を経営する、おばちゃんと知り合い、なんとなく、意気投合して、「あんた、泊まってきなさいよ!」みたいなノリになって、結局、3泊も泊めていただきました。

・次に訪れた、韓国の古都キョンジュ(慶州)。名刹・仏国寺で、東国大学の学生と知り合って、片言の英語で話しながら、なんとなく意気投合。「俺の下宿、小さいけど泊まっていきなよ!」みたいなことになって、結局、そこで2泊しました。

・次に訪れたのが、韓国第三の大都市テグ(大邱)。バス乗り間違えて、知らない土地に来てしまった。しかも、すごい大雨。近くにあったオフィスの門を叩き、片言の韓国語で「傘貸してください」と頼んだら、親切な男性社員が、「そうか・・・俺、いま家に帰るところだから、おいでよ」ということになり、メシ食わせてもらい、結局、2泊もお邪魔してしまいました。

・その後、済州島に渡り、レンタサイクルを借りて島内一周。2日目、ソギポ(西帰浦)市郊外で、「バナナ農園」の看板を見つけ、バナナを一房買おうとしたら、家族の皆さんが、涼しそうな木陰でメシ食ってる・・・そこに入れてもらって、しばらくすると、「俺の家に泊まっていきな!」みたいな話になり、結局、そこでも2泊しました。

蓋を開けてみたら、23泊中、11泊は、韓国の皆さんの好意で、おうちに泊めてもらったのです。結局メシもおごられまくり・・・

見返りは一切、誰からも、求められませんでした。私としても、ここまで親切にしていただいた、一宿一飯の恩義は、忘れることはできません。

日本に帰った後、宿を提供していただいた皆さんに、片言のハングルでお礼状を書きました。その後、しばらくすると、文通は自然消滅しましたが、済州島バナナ農園のチョ(趙)さんとだけは、なぜか長続きして、数年ほど、年賀状みたいなかたちで文通が続きました(全部ハングルだから、読むのに一苦労)。

いつしか私も社会人になり、働いて給料をいただく身分になりました。少しお金をためて、再び、韓国旅行に行きました。

向かった先は、済州島のソギポ市。日本のお土産持って、チョさん宅を訪問。無事、社会人になった旨を伝えました。前回訪問当時、まだ2~3歳だった娘さんは、すでに小学生になり、ランドセル背負って通学。勉強机には、ハングルの文字表が貼ってありました。

私、「お礼」しに行ったはずなのに、結局、チョさん宅でまた2泊。メシおごられまくって、「ここまで親切にしていただいて、悪いなあ・・」と思いつつ、帰国の途につきました。

私、これまで訪問した国は30を下りませんけれど、ここまで、強烈に親切にされたのは、後にも先にも、韓国だけです。

なぜ、そんな体験ができたのか?私がたまたま、韓国の方々に好まれるキャラクターだったのか、あるいは、下手でも韓国語を真剣に話そう、ハングルを読もうとする態度が好感されたのか、自分でもよく分かりませんが、

少なくとも、自分のなかで、「韓国=反日国家」という固定観念が、
きれいさっぱり消えてしまうような、強烈な体験だったことは確かです。

その後、歳月は流れ、私も40歳前後の中堅社員になり、日本の職場で、韓国人の部下を持つようになりました。

2011年3月、あの東日本大震災が起こりました。新浦安にあった彼のマンションは、液状化でめちゃくちゃになり、家族4人が、避難生活を強いられました。

新浦安にいると、水にも不自由する生活。私は彼らを東陽町の我が家に、泊めてあげました。折りしも、福島の原発事故が起こり、家族を韓国に一時帰国させることになりましたが、その時も、全面的にサポートしました。彼は一人で日本に残り、働いて、私のチームを支えてくれました。

若かりし頃、親切にしていただいた韓国に恩返ししたいという気持ちが、少しは満たされて、自分でも嬉しかったです。

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人生最悪の乗り物体験

おはようございます。Manachanです。

いま、東海道新幹線で京都に向かっています。普段、LCCや高速バスなど、超安い交通機関ばかり乗っている私にとって、たまに新幹線に乗ると、さすがに「客層の良さ」を感じますね。、

皆さん静かだし、とてもお行儀が良い。新幹線は格安高速バスと違って、「オヤジ加齢臭問題」も、「お兄ちゃん騒音問題」とも無縁に見えます。

私は、子供の頃から、貧乏旅行大好き。今でもそうです。お金がない割に、出歩くのは大好きな性分なので、交通費や宿泊費を1円でも安くあげるために、時刻表やネットとにらめっこして、時間と労力をかけ、並々ならぬ情熱を燃やすのです。

もちろん、私も良い歳の大人になり、「お金で時間と安全と快適さを買った方が良い」という理屈も十分理解できるようになりましたが、A long-lasting habit dies hard! 幼い時からの貧乏旅行癖は、なかなか直りません。私にとって、「交通費を安くあげた時の喜び」が、「お金かけて快適に移動できた喜び」を上回るのだから仕方ありませんね。

困ったことに、日本だけでなく、世界中、どの国に行っても、私の性癖は変わりません。日本であれば、どんなに安い交通機関を使っても、一応、最低限の安全、衛生、快適さは確保できますが、新興国や途上国だと、なかなかそうはいきません。時には、安い交通機関を使うことが、ケガ、死亡のリスクを増大させることにもなります。

バスの上に乗ってる人たちのケガ・死亡リスクは、いかほど?

さすがの私も、近年の新興国出張では、お金をかけてリスクの少なそうな選択肢を取ることが増えましたが、昔、バックパッカー時代の私は違いました。当時は平気で、「荷台にニワトリを満載したオンボロバス」に乗って、「内戦で数ヶ月前に爆破された橋を迂回しつつ移動」とか、していたものです。鼻には「超満員の地元乗客のむせかえる体臭」、耳には「荷台から聞こえてくるニワトリの鳴き声」…東南アジアやインド、中南米で、そんな安バス旅行を続けていました。

そんな私が体験したなかでも、最悪の乗り物体験といえば、「無座」、つまり、座席のない状態で、電車、バス移動をすることです。

座席予約がなくても、空いた席に座れるからいいじゃん、みたいな生易しい状態ではありません。途上国の安電車や、安バスは、いつでも定員オーバー。たとえば、20年前の中国で、電車で長距離移動するには、何日も前から準備して、駅で切符を買い、目的地までの座席を確保していくのが基本。それでも、座席を確保できない乗客はゴマンといて、彼らは通路とか、入り口近くで「地べたに座って」、モノを食ったり、トイレに立ったりしながら、悠然と長距離移動するわけです。

私、中国では、西安→西寧間(所要24時間)、西寧→ゴルムド間(同22時間)、成都→広州間(同60時間、2500km超!)の電車長距離移動をしましたが、どの電車も、「無座乗客」が満杯で足の踏み場もない位。数日間、彼らの食い散らかした食べカスが、山のように溜まる状態でした。

最近の中国、電車内環境は随分マシになりましたが、20年前はまじで「修羅場」でした。

それでも、通路に座れるのはまだ恵まれた方で、ひどい時には、他の乗客の足元の、狭い空間に寝転ぶしかない、という状態。中国での電車移動中も、私の足元で寝ていたお兄ちゃんが、忽然と起き上がってきて、ぶったまげました。彼はトイレに行って、しばらくした後、私の足元の「指定席」に戻り、再び寝転がりました。

かくいう私も、人生で一度だけですが、「無座」で、「他人の足元に寝て」バス移動したことがあります。舞台は南インド。カルナタカ州のマイソール(Mysore)から、タミールナド州のコインバトール(Coimbatore)まで移動するバスのなかでした。

私の移動ルート・・・

マイソールのバスターミナルで、いろんな手違いがあって、結局、私の座席予約がなくなってしまった。どのバスも超満員。でもって、翌朝には、西海岸のケララ州まで移動しなくてはならなかった。でもって、この区間は、バス以外の移動手段がない。

私は仕方なく、「無座」での移動を決意し、インド人男性乗客の足元の狭い空間に身を横たえました。我が人生で体験したなかで、最悪の乗り物体験でしたね。

とにかく、狭い。それ以上に、寒くて寒くて・・・南インドとはいえ、マイソール→コインバトール間は、ウーティ(Ooty)という、標高2300mの高原地帯を越えていく山越えルート。標高が高くなるほど、バスの床から、冷気が直接伝わってきます。まじで死ぬかと思った・・・。

無事、コインバトールのバスターミナルに着いた時、命拾いしたような気になりましたね。それでも俺は生きている・・・

そんなふうに、若いころ、いろんなハードな旅行体験をしてきて、それが、今になって役に立ってるのかどうか?

たとえば、体質上、快適さのレベルを下げても全然気にならない。たとえ小便臭い安宿でも、天井から落ちてきたヤモリが顔の上を這うような宿でも、それなりに満足できてしまう…というのは、良いことなのかどうか、分かりません。

ま、私なんて、いくつになっても、そんなもんです。

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新興メコン3都物語 ~ヤンゴン、プノンペン、ビエンチャン~

Manachanです。香港+台湾+東南アジア3ヶ国10日間出張を経て、東京の我が家に帰ってきました。今回の日記は、活気あふれる東南アジア3都市の話題でいきますね。

2015年末の経済統合に向けて話題を集めるASEAN(東南アジア諸国連合)のなかで、経済的に一番後発で、これから本格的な工業化が始まりそうな国として挙げられるのが、「新興メコン三ヶ国」とよばれる、ミャンマー、カンボジア、ラオス。

この三ヶ国は、東南アジアの大河「メコン河」に沿い、すでに工業化に成功した「タイ」を取り囲むかたちで存在します。そのタイでは労働力不足や賃金上昇の問題があり、労賃水準がタイの2分の1~3分の1といわれる、新興メコン三カ国への工場進出が進んでいます。

各国を代表する都市といえば、ミャンマーはヤンゴン(注.首都はネピドー)、カンボジアはプノンペン(首都)、ラオスはビエンチャン(首都)。…いずれも外国企業の投資が活発化し、経済発展著しく、地方からの人口流入、交通量の爆発的増加、商業施設の相次ぐ建設が目立ちます。

今まさに勃興中の3都市を、最近、訪れる機会が増えていますので、私の視点で、ざっくり比較してみます。

【文化的にいうと…】

食文化とか、国民性、宗教、言語・・・いろいろな側面がありますが、この三ヶ国を比べると、カンボジアとラオスが比較的似ていて、ミャンマーがちょっと異色、という気がします。

東南アジアのなかで、ミャンマーはインドに一番近く、その影響を深く受けているような気がする。食べ物からして、カレー中心だし(※ミャンマーで食うカレーはすげー旨い!あれ毎日食えたら天国ですね♪)。

一方、カンボジアやラオスは、カレーあまり食べなくて、野菜たっぷり入れたライスヌードルとか、卵焼き乗せたチキンライスとか、パパイヤサラダとか、さっぱりしたものが多い、なんとなくベトナム料理に近いかな。あとは、フランス領だった時期も長いから、バゲットとか当たり前に出てきますね。カフェとかも多いですよ。

あと、カンボジアやラオスでは、緊張感のない顔して、いつもニコニコしている人が多いけど、ミャンマーはもう少し、険しい顔して生真面目っぽい人が多い。ま、だからといって、ミャンマー人がカンボジア人より勤勉だとは一概には言えないんだけれど…日本企業は、労働力としては、ミャンマー人を一番好みそうな気がします。

【経済的にいうと…】

どの国も、都市部と農村部に大きな格差を抱えているので、主要都市だけで印象比較しますけど、カンボジア(プノンペン)とミャンマー(ヤンゴン)が比較的似ていて、ラオス(ビエンチャン)がちょっと異色、という印象です。

プノンペンとヤンゴンは、とにかく、街の活気が凄い!発展のスピードが尋常じゃない!半年行かなかったら、街の印象が様変わりしてしまうようなスピード感。

この二都市にいると、やる気とエネルギーが充電されて、「俺も、ビジネス頑張るぞ!」という気になりますね。

一方、ラオスのビエンチャンは首都とはいえ静かで、万事スローで、駘蕩とした感じで…この町にいると、「仕事頑張らなくてもいいやあ、とにかく、のんびりしたい」と思っ
てしまいます。

ミャンマー・ヤンゴン:どこかエキゾチックな匂いのする街ですね。豊かな森と湖に抱かれています。

カンボジア・プノンペン:高層ビルも建ってきて、都会化中。とにかく、すごい活気!

ラオス・ビエンチャン:のんびりした雰囲気。ベーカリーとか多くて地味にオシャレ

ま、それでも、5~6年前と比べればビエンチャンも大発展して、車も商業施設もすごく増えたらしいですけど。高層ビルがまだ全く見当たらないのが、田舎町っぽさを醸し出してますね。ビエンチャンからプノンペンに行っただけで、「すげー大都会」に見えてしまう位だから、まだまだ差はありますね。

何となくの印象ですが、カンボジアもミャンマーも、ポルポト派の大虐殺とか軍政支配などで、「失われた30~40年」を経験した末に、東南アジアで一番貧しい国に転落してしまったわけで、そこから、何としてでも、這い上がりたい。隣国タイのような発展した国にしたい(特にミャンマー人は、タイ人に比べて自分たちが劣っているとは微塵も思わないでしょうから…)。人々のそんな思いと、エネルギーを感じますね。

一方でラオスは、カンボジアやミャンマーのような悲しい歴史を経験したわけでなく、今も昔も、「いつも田舎で、辺境」だったから、這い上がるエネルギーを別段感じないのかも。

とはいえラオス人も、裕福な人なら近年は自家用車を持ち、隣国タイに頻繁にショッピングに出かけるようになったようで…タイの発展ぶりや物産の豊富さを見て、刺激を受ける機会も増えたことでしょうね。

いずれも、これから発展する国・都市ということで、今後とも注目していきたいと思います。

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台北一極繁栄の風景

おはようございます。Manachanです。

台湾での仕事、すべて終わりました。昨晩、台北の国際空港を出発、いまマレーシアのクアラルンプールで、次の目的地・カンボジア行きの乗り継ぎ便を待っています。

台湾では、3日連続、セミナー講演という、ハードなスケジュールでしたが、セミナー受講者との素晴らしい出会いに恵まれ、大変実り多い滞在になりました。台湾投資家の方々は、いつ会っても、勉強熱心で素晴らしいですね。

あの素晴らしい方々に会うためにも、台湾セミナー、これからもずっと続けたいと思います。そのためには、成果出さなきゃね。

また、常に進化を続ける、台北の街を歩くのも楽しかったです。私は、1989年から90年にかけて、この街で暮らしましたが、あれから約25年を経て、台北の街は長足の進歩を遂げたと思いました。。

・地下鉄(捷運);私のいた頃は、地下鉄なんてなかったのに、今では台北の東西南北、縦横無尽に張り巡らされています。

・新幹線(高鐵):私のいた頃は、台湾鉄路局の特急電車と高速バスしかなく、台北から高雄までは最低4時間かかったのに、今では新幹線が通って2時間かからない。

・排気ガス:私のいた頃の台北は空気がひどく、広い道路が排気ガスで向こう側が煙ったりしました。今では地下鉄移動が普及して、ずいぶんマシになりました。

・街路樹:台北の目抜き通り、敦化北路、仁愛路などの並木が、長い年月を経て大きく成長し、今では鬱蒼とした森みたいになりました。

・ランドマーク:「台北101」をはじめ、「京華城」、「台北小巨蛋」などの商業施設は、私のいた頃はなかったです。

台北の地下鉄路線図。25年前から考えると信じられない充実ぶり。

【敦化北路の街路樹も、大きく成長しましたね】

台北が昔と比べて便利に、美しく、機能的に整備されていく。一方で、台湾の他都市で、台北みたいに整備されたところは、他にありません。台中、台南、高雄…いや、台北市近郊の都市でさえも、20年以上前の「オールド台北」を彷彿とさせる、田舎っぽさ、雑然さを残しています。

・台湾経済のグローバル化
・台北への冨の一極集中

は、ほぼ同時期に進行した現象のように思います。同じ東アジアの首都である、東京やソウルも、台北とほぼ似た発展過程をたどった都市かと思いますが、どこも、

・工業化時代には、首都が繁栄した一方で、地方の工業都市も繁栄した。

・工業化が一段落し、サービス経済化が進むと、人材や本社機能、政治・行政機能が集中する首都地域だけが引き続き発展し、その他の工業都市は没落に向かった。

・経済グローバル化が、首都一極の繁栄に拍車をかけた。

それは、次の一言に集約されるかと…

1980年前後から顕著になった、東京の繁栄と、大阪の相対的衰退
1990年代から顕著になった、ソウルの繁栄と、プサンの相対的衰退
ほぼ同時期に顕著になった、台北の繁栄と、高雄の相対的衰退

グローバル経済隆盛の時代、多国籍企業が、日本、韓国、台湾…それぞれのマーケットにビジネスの拠点を置き、幹部社員を配置して、ローカル社員を雇う。

その立地は、台湾や韓国くらいの経済規模の場合、「首都だけでいい」ということになりがち。私、サラリーマン時代に6つか7つくらいの多国籍企業を渡り歩きましたけど、台湾の事業所(ローカル本社)は、例外なく、台北都市圏内に置かれ、他都市(台中や高雄)には、小さな営業拠点しか設けられないのが通例でした。

台湾のなかで、英語や日本語のできるビジネス人材の調達は、やはり台北が一番便利だし、外国人幹部社員が暮らせるような、都市環境やグローバル教育機会の充実した場所も、何だかんだ言って、台北に集中しています。

台湾は面積が九州と同程度しかなく、台北に拠点を置けば、新幹線で高雄あたりまで悠々日帰り圏なので、メインのオフィスは基本、「台北だけでOK」なのです。

かくして、台北には、グローバル雇用機会が集中するし、また、中国大陸をはじめとする、グローバルマネーの流入地も、台北になります。

それが、台北の地価・不動産の高騰を引き起こしている一因にもなっていると思います。台北市中心部のマンション価格は、ファミリーマンションだと平気で「億超え」。坪単価でいうと300~400万円からスタート。東京港区の超一等地と変わらない感覚ですね。

他都市の不動産価格をみると、台北と比べれば、全然あがっていない。台中、高雄の場合、台北のざっと3分の1~4分の1といったところでしょうか。

【やや古いデータですが…台北の突出ぶりが目立ちますね】
(いま、台北市で坪45万元ではとても買えません。)

主要都市のなかで一番安い、高雄市周辺の不動産をランダムにネット検索してみると、結構、「値引き」が目立ちますね。不動産超強気の台北市内とは全く別世界のように思えました。

いま台北で働き、家を買おうとしているサラリーマンは、本当に大変だろうな。

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旅支度&社長雑感

おはようございます。Manachanです。

先ほど、台湾、カンボジア、ラオス、タイ、香港への10日間出張の旅支度が終わったところです。あと2時間弱で、成田へ向けて出発です。

私にとって大変不本意ながら、2週間ほど、ブログ更新する時間が全く取れませんでした。本当に、3月中旬~下旬は、本当に、いろんなことが重なりまして

・海外10日間出張の準備
・東京、大阪、名古屋で4日連続セミナー講演(こちらは日本語)
・台湾、香港講演資料の準備(こちらは中国語)
・3月末、消費税増税前の、不動産売買駆け込みラッシュ
・確定申告
・アホみたいに数の多いメール&コール対応 等々

しかも、体調も最悪でした。4日連続セミナーの途中に風邪ひいて38度の熱を出す、子どももインフルエンザになり、妻や私も家で身動きとれなかったり…それでも、連日、午前2時まで仕事して、いつ寝てたのか分からない日々が続く(たぶん、大阪や名古屋に行く新幹線のなかで寝てたんでしょうね)。

サラリーマン時代も、クソ忙しい時期はもちろんありましたが、大好きなブログを2週間も更新する暇さえなかった時期って、これまで有ったかなあ?

会社辞めて、自営になって、時間自由になったはずなんですがねえ・・・ま、業務集中する時期は厳しいですよね。仕事、相手もありますし、思い通りにならないことも多いから特に。

これまで、「プレイングマネジャー」(マネジャーでもあり、手を動かす作業者でもあり)として、長年働いてきましたが、一人社長になると、「マネジャー兼プレイヤー」だけでなく、「経営者でもあり、営業マンでもあり、下働きもしなけりゃならない」。

最近の業務量、とても私一人でまわせる代物じゃないので、「Manachan応援団」に適宜、ピンポイントで動いてもらって、何とか生きています。起業したての時期、方々から応援団が集まって、仲間として力を貸してくれるのは、ありがたいことですね。

いずれは、社員を雇うことになるのでしょうね。社員プラス家族…ひとさまの人生を背負うわけなので、重い責任ですけど(背負うのは、うちの子供2人だけで十分、と思うこともあるけど)

私はたぶん、そういう運命のもと生まれてきた人間なのだと、納得することにします。

次回は、台湾からの更新になります。

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中国大連に生まれて

こんにちは、Manachanです。

三連休初日の土曜日は、朝から、子供たちを東京代々木の英語補習校に連れていきました。

英語補習校でも、日本の小学校や幼稚園と同様、「ママ友」たちとの付き合いがあります。子供たちが授業に行ってる間、近くの「タリーズコーヒー」でお茶しながら雑談するのですが、今日の話題は子供の出産の話でした。

アメリカで産んだ、オーストラリアで産んだ、日本で産んだ…それぞれのお国柄があり、また、公立病院か私立病院でも大きく違いがあり、実にいろんな出産体験があるものです。そのうちの一人が、こう言いました、

「私の友達が、旦那の転勤で中国に行ってて、妊娠もしてるの。中国で出産するの、大丈夫かなあ?」

すかさず、妻が答えました。

「うちのソフィアは、中国で産まれましたよ…」

長女ソフィアは、2005年9月に、中国・大連で産まれました。それに先立ち、私が同年2月末に転職のため大連に渡航、5月には、妊娠5ヶ月目の妻が合流。自然の摂理で当然、「出産」ということになるわけですが、どこで産むべきか、少しだけ考えました。

当時の大連、北京上海みたいな大都市と違って、外資系のインターナショナル病院などというハイカラなものはありません。基本、中国人民と同じ条件で受けられる出産施設しかありません(それは今でも変わってないでしょう)。

私の知る限り、当時、大連在住の日本人の友達は、一人残らず、日本に帰って産んでましたね。外務省のホームページにも、こう書いてあります。

出産については,できるだけ日本で出産されることをおすすめします。北京市内の外資系病院では安全な出産も可能ですが,それでも当地の慣習や医療スタッフの知識が我が国と大きく違うことがあり,日本人にとって安心できる出産環境とは言い難いのが現状です

とはいえ、うちの奥さんは日本人じゃないし、中国語なら意思疎通の問題はない(逆に、言葉が通じるがゆえに、周囲との口論が増えた面はありますが・・・)。確かに衛生状態など考えれば日本の環境の方が良いですが妻には言葉が通じにくいし、オーストラリアに帰って産むのもいいけど大連から遠くて不便。

折りしも、妻の母親が出産後のサポートに来てくれることになったので、大連現地での出産を決意しました。妊娠中の定期健診から、お産(帝王切開)、乳児健診、予防接種まで、ソフィアが生後11ヶ月になるまで、すべて大連でやりました。

大連での出産、確かにいろいろと大変でした・・・産科病院の個室シャワーの水があふれて洪水になる、生後2日目なのに業者が病院に入って英語教材売りに来る(早すぎるぞ!)、誰も列に並ばないから、弁当ひとつ買うにも生存共存… 等々。

でも、長い目でみれば、大連での出産にチャレンジして良かったと思います。見聞も広がったし、話のネタにもなったし…

ソフィアが生まれると、産科病院から、大連市衛生局の予防接種ノートが手渡されました。

表紙は、あの江沢民さんのメッセージ「予防接種を普及させて、子供たちに愛を…」

ところで、中国都市部での出産・育児環境、皆が言うほど悪くないですよ。でかい国なので地域によって大きく違うでしょうが(大連市は中国の平均よりは大分恵まれているはず…)、特に予防接種のシステムは、日本よりも便利かもしれない。

中国で赤ちゃんが生まれると、満1歳になるまで、日本以上のペースで、頻繁に予防接種があります。結核、ポリオ、百日ぜき、B型肝炎、はしか、風疹、三種混合…。

やり方は簡単で、「指定日に保健所に行けば良い」だけ。予約も不要で、順番待ちもなく、スムーズに指定の予防接種を打ってくれます(保健所では、日々、ものすごい人数の予防接種をやってました)。

万事、とってもラクなのですが、唯一、面倒だったのが、「ワクチンの生産国によって、予防接種の値段が違い、どれを打つか、親が選ばなければならない」こと。それも、「中国製ワクチンが10元、台湾製が80元、日本製が150元」みたいな、ものすごい価格差なのです。

価格差が2倍3倍だったら、安心料として、日本製か台湾製を打ってたと思いますが、10倍以上じゃあねえ・・・当時の私は、朝飯に3元の手打ちラーメン、昼飯は同僚と一緒に6元の犬肉スープ定食(狗肉湯)、みたいな食生活をしてたので、たかが予防接種(?)に1回100元以上かけるのが不自然に感じて、

「ま、みんな打ってるからいいやあ…」と、いつも、安い中国製ワクチンを打たせてました。それでもソフィアはいたって健康ですので、特に問題ないかと思います。

ソフィアが1歳になる直前に、日本に引っ越して、その後、日本はもちろんオーストラリアでも予防接種やったりしましたが、今でも大連でもらった予防接種ノートを使っています。

3か国対応(?)の予防接種カード

ソフィアから3年半遅れて、長男ポニーが東京で生まれました。日本の出産環境は完備されており、中国と比べると確かにラクでしたね。でもって当然、日本の「母子手帳」が手渡されました。

ポニーも、ソフィア同様、オーストラリアなどで予防接種やってますが、こちらは日本の「母子手帳」に記録しています。

いろいろな国に住むと、子育ても複雑だし何かと大変ですが、後で振り返ると、良い思い出になりますね。

機会ができたら、ソフィアを、出生の地「大連婦産病院」に連れていきたいものです。

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がんばる茨城空港

こんばんは、Manachanです。

私、講演などで、日本全国の地方都市に行く機会が多いのですが、最近は新興航空会社ブームなのか、すでにお馴染みになった「スカイマーク」、「エアドゥ」、「スターフライヤー」のほか、「ソラシドエア」、「フジドリームエア」、「天草エアライン」など、聞き慣れない名前をよく耳にします。

その行き先も意外で、「鹿児島空港から静岡富士山空港行き」が出てたり、「北海道の新千歳空港から茨城空港行き」が出ていたりと…十分な需要あるのかどうか知りませんが、目的地の多様化も進んでいるようですね。

そんななか、散々無駄空港呼ばわりされ、2009年に非難轟々のなか開港した「茨城空港」が、利用者数の上で「意外な健闘」を見せています。グラフをみれば、一目瞭然!

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羽田、成田に続く、関東の第三空港として開港した茨城空港、最初から、不利な条件をいくつも背負っていました。

日本の国内空路は、「各地方と東京を結ぶ」という位置づけが強いですが、茨城の場合、東京から近すぎて、当然、羽田便は成り立たない。

したがって、首都圏以外の日本や、海外と結ぶ空路を開拓しなくてはなりませんが、すでに関東には、国内線のハブ「羽田」と国際線のハブ「成田」があって、それらと目と鼻の先にある茨城に空港つくる意味あるの?・・・そんな素朴な疑問が、不景気のなか「無駄空港」の大合唱になり、避難・冷笑轟々のなかで開港したのです。

茨空の開港当初は、散々でした。最初は国内線が一つも就航しておらず、ソウルに行くアシアナ便しかありませんでした。年間の利用旅客数も、建設前の目論見80万人を大きく下回り、20万人からスタートしたのです。

しかしその後、スカイマークが神戸、新千歳便を就航させたり、中国の春秋航空が超格安の茨城~上海便を就航させたり、東京駅と茨空を結ぶ、500円の直通バスが運行したり…そして様々な企業努力もあり、

今では年間利用客が開港当時の倍、40万人台に達し、神戸便、新千歳便の搭乗率も高い水準をキープし、この空港は、徐々に自信を深めてきています。

茨空の関係者は、「今度は福岡便や沖縄便を就航させたい」と鼻息荒いようです。そうしたドル箱路線が就航すれば、「土建屋の過大見積」と批判された、開港前の「利用客80万人」に達するのも、現実味を帯びてきました。

いまどきの日本に珍しい、「公共事業の上方修正」といえますね。

茨空から、福岡や沖縄へ飛ぶ便が就航して、もう少し便数が増えたら、

人口145万人を擁する千葉県東葛地区(柏、松戸など)をターゲットに集客すべき

だと思います。この地区からは、ざっくり言って、羽田、成田、茨城の3空港がほぼ等距離。特に常磐高速の近くに住んでいる人にとって、各空港への時間距離は茨城が一番短くなります。

しかも、茨空の駐車場が何日停めても無料ですので、ファミリー連れで北海道や沖縄に行くのに、まずマイカーで茨空へ、そこから一気に目的地に飛ぶ・・・という新しい旅行スタイルが可能になります。

羽田は便利だけど、駐車場が高い。成田は近いけど、国内線の便数が限られる…いまいち、しっくりいかない利用客が多いところに、茨空が食い込んでいく余地は、十分あると思います。

「松戸、柏~茨空の直通シャトルバス」を500円くらいで走らせると、面白い展開があるかも・・・

東葛地区はいまどきの日本に珍しく、人口が増え続けていますので、ここの地域住民のニーズに応えられる空港になれれば、長期にわたる、安定した空港運営が図れるのかもしれませんね。

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札幌…レンガと緑の街

こんにちは、Manachanです。いま北海道に来ています。

15時過ぎにJR札幌駅に着いて、やや肌寒い雨の降るなか、セミナー会場まで歩いて移動しました。

東京はここ数日、季節はずれの高温が続き、日中は半袖一枚でOKな陽気ですが、札幌はそうはいきません。皆、長袖のライトジャケットかコート姿です。とはいえ、まだ寒いという程ではないですね。

札幌の街角に立つ・・・仕事柄、日本中の主要都市を講演して回ってますが、この街は静かですね。大阪や博多のような雑踏もなければ、車も小型車が多くてエンジン音も静か。

そして、日本の他の街にない、独特の雰囲気があります。

なぜ、札幌の街はカッコイイんだろう?

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少し歩いて、その理由が分かりました。

札幌のカッコよさは、レンガの「赤」と樹木の「緑」の鮮やかなコントラストだ!


【北海道庁の赤レンガ】

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【レンガを多用した街路】

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【街なかでも緑が実に豊か♪】

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日本の他都市でも、洗練された都市景観というものは、たくさんあります。たとえば、

【横浜(関内)】

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【大阪(梅田)】

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【仙台(青葉通)】

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ですが、札幌ほど、レンガを上手に使った街並みというものは、日本では他に例を見ないのではないでしょうか?

北海道は、日本・東アジアの旅人を魅了する観光地。その中心都市・札幌の街並みがカッコいいことも、北海道の魅力を大いに引き立てているのではないでしょうか?

これから、セミナー講演です。今日も頑張ります!

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パスポート紛失事故

こんばんは、Manachanです。

4泊5日で、タイ、ミャンマー、シンガポール、マレーシアを回る、機中1泊、空港内1泊の強行軍出張から、無事、帰国しました。

帰国したのが、昨日の朝。その後、休む間もなく、子供の幼稚園に行って、Skype会議二つこなして…当然、泥のような眠りに落ち、昨日はブログ更新できませんでした。

ところで、今回、予定通り帰国できたのは、ある意味、奇跡でした。

出発のわずか1時間前までは、すんなり帰国できるなんて、想像もできなかった。事件は、


マレーシアのクアラルンプール国際空港、出発カウンターで、
10月3日、22時15分頃 (現地時間)

に、起こりました。

私、今回のマレーシア行は、「10月3日の朝、入国して、同日の夜、出国する」という、日本国内の新幹線出張のような慌しさ。もちろん宿泊してませんし、荷物も、貴重品含めて、肌身離さず持ち歩いていました。パスポートは、鞄のなかにずっと入れていました。

その日は、アジア太平洋大家の会九州支部、初の海外イベントである「マレーシア不動産視察ツアー」に終日、同行。その後、ショッピングセンターでお土産買って、みなさんと楽しくお食事して、セントラル駅から特急に飛び乗って、空港にとんぼ返りしました。

夜22時頃、空港に着くと、マレーシア航空のチェックインカウンターは長蛇の列、皆、大荷物を持って、列に並んでいます。

「ここで長く待つの、いやだな~」と思った私は、周りを見渡すと、ふと、「自動チェックイン機」なるものを見つけました。

私は、機内持ち込み手荷物だけの、身軽な出張なので、「そうだ、機械使って、チェックインしてしまおう」と思い、列を出て、機械に向かって直行しました。

チェックイン機の前に立ち、予約番号を入力すると、私の名前、住所が表示される。ここまでは完璧。その後、「パスポートをスキャンしてください」という画面表示が出たので、鞄から取り出そうとしたところ、

あれ、パスポートがない!!!

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いつも、パスポートが入っているべき場所に、あの赤い物体が、ない。

どう考えても、なくなるはずないのに・・・ない。

「やばい、どうしよう!!」、鞄のなかを、全部ひっくり返して、探しても、ない。時間はどんどん経過し、だんだん、気が動転してきました。

財布とか、カードなくす位であれば、いくらでも挽回がきく。でも、パスポートだけは、なくしたら、出国も、帰国もできない。再発行されるまで、マレーシアに居なければならない。

日本では、息子の幼稚園運動会、札幌セミナー、福岡セミナーなど、やることが山ほどある。いま帰国できなければ、ものすごくたくさんの人に、迷惑をかける。まじで、しゃれにならない。

鞄から、PC、電源類、衣類、歯磨き、書類、使用済パンツ…血相変えて,あらゆるモノをひっくり返していれば、さすがに、目立ちます。

そんな私の傍から、頼りなさそうな、いかにも給料安そうな、清掃員風の少年が出てきて、英語で、「どうしたんですか?」と聞いてくる。

私は、「パスポートなくなったんです」と言うが、その少年も、「どうしたらいいか、分からない」感じで、ポケーッと突っ立っているだけ。私は無視しましたが、だんだん、イライラしてきて、

「せめて、サービスカウンターとか、遺失物係の方を、呼んできてくれませんか?」

と、叫ぶ。半分、怒鳴り声になってたかもしれない。すでに、出発時間55分前に迫っており、万事休す・・・と思っていたところに、


鈴木学さん。XX番出発カウンターに来てください!

という場内アナウンスが、英語で流れたのに気が付きました。大急ぎで、散乱した荷物をまとめて、カウンターに向かう。でも、気が動転しているためか、ポールにつまずいて、

ガッシャーン!

派手に転んで、膝からフロアに叩き付けられました。「おい、大丈夫か?」と、周りから駆け寄る声。でも、鈍痛をおさえて、カウンターを見ると、


「早く、早く来てください!」

という呼び声が・・・

「私、パスポートなくしたんですけど・・・」と言うと、

「そのパスポートが見つかったんです。いますぐ搭乗手続きしますので、急いでください」

まさに天の声!カウンターで、神妙に搭乗手続きして、大急ぎで出国手続済ませて、シャトルに飛び乗り、搭乗時間に間に合った!!

ところで、どこでパスポートを落としたのかというと…出発カウンターから、自動チェックイン機に向かう途中で、落としていたらしい。

それを、親切な人が拾って、カウンターに届けてくれたらしいんですね。本当に、感謝。どこにも、良い人はいるものですね。

日本へ帰る飛行機のなかで、「自分は、いろんな人に支えられながら、生かされている」ことを実感しつつ、ゆったりと、幸せな気持ちになりました。

日本の自宅へ帰ると・・・「週刊エコノミスト」10/8号が届いてました。

そこには、私が先日、インタビューを受けた内容が、記事になっていました。海外不動産のローン借り換えをめぐる失敗談ですけど…失敗談のシェアは貴重なので、是非読んでみてくださいね。

ところで、素晴らしい特集記事のなかで、一つだけ、異議があります。

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26ページにある、一節、「財政破綻したデトロイトのように人口が流出した都市は、不動産価格が値下がりしており、投資
対象としては不適格である。

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ここで、事実に反することが書かれています。

・デトロイト市の人口は流出しても、デトロイト都市圏全体の人口は減っていません。

・デトロイトの不動産価格は、値下がりしていません。2011年以降、上昇基調です。

デトロイト不動産、私も投資してますけど、「ハイリスク、ハイリターン」の市場なので、万人におすすめはしませんし、「投資適格、不適格」というのも、人によって解釈分かれるのは当然ですが、

事実に反することを書いて、適格、不適格をいうのは間違い、だと思います。

デトロイトに投資するかどうかは別として、とにかく、誤解を解消したい。より正しい情報を与えたい・・・という気持ちは、強く持っています。

来週土曜日、九州・福岡で、デトロイトと、マイアミの不動産セミナーをやりますので、是非来てくださいね。


■日程
2013年10月12日(土)
14:00~17:00

■会場
梓書院セミナールーム 
福岡市博多区千代3-2-1 麻生ビル

■参加料金:一般参加3,000円(「アジア太平洋大家の会有料会員」と、「アメリカ不動産オーナークラブ会員」には、特別割引あり)

■詳細情報 
http://asia-pacific.tv/index.php?%E5%8B%89%E5%BC%B7%E4%BC%9A%EF%BC%86%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC%E6%83%85%E5%A0%B1%2F2013-10-12

■申込リンク 
http://asia-pacific.tv/pp/button.php?id=104&skin

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