2016年 2月 の投稿一覧

オーストラリア・ベトナムの、中古不動産マーケットを知ろう!

こんにちは、Manachanです。ブログ更新、しばらくお休みしてしまいました。今日は久々の「オーストラリア不動産投資」ねたでいきますね(ベトナムも少々…)。

 

ケアンズ在住の友人から報告…今年2月27日付の地元の新聞・ケアンズポストは、調査機関CoreLogicの2015年11月の調査で、ケアンズにあるサバーブ(地区)がユニット賃貸リターン率の高さオーストラリアトップであることを伝えています。

このサバーブは市内中心から車で南に約10分のWoree(ウォーリー)、それから市内までも徒歩圏内のBungalow(バンガロー)で、購入額に対する賃貸収入から計算する収益率は共に8.5%。次はManunda(マナンダ)8.4%、Westcourt(ウエストコート)8%、Edge hill(エッジヒル)7.9%、Manoora (マヌーラ)7.8%と全国上位10位のうちケアンズのサバーブが6つランクインしています(この値には管理組合費は含まれない・・要はグロス利回り。)

woreetops

 

オーストラリアの賃貸利回りは、国平均でせいぜい4~5%。シドニー等大都市では価格高騰ゆえ、さらに低くて当たり前。その国にあって、8.5%というのは結構な数字です。面白いことに、トップ10のうち6つがケアンズにあります。

実は、トップになったWoreeというのは、うちの娘ソフィアが通っていた小学校のある場所ですよ

【5~7歳まで、Woree State Primary Schoolの生徒でした…】

woreestate

 

ケアンズは、日本人には人気のリゾート地ですが、都市圏人口15万。日本でいう、「県庁所在地のなかで一番小さい都市」位のサイズしかありません。

でも、山口市や佐賀市にも、住宅地としていろんな地区があるように、ケアンズにも、いろいろあります。Woreeというのはケアンズのなかで、「ごくフツーの住宅地」。市内から車で10分ほどで不便はありませんが、皆が憧れて住みたがる地域ではありません。そういう地味な地区は、日本でも、賃貸利回り高くなりがちですよね。

とはいえ、ケアンズのなかで比較的高級感のあるエリアEdge Hillも、全豪で賃貸利回り5位(7.9%)にランクインしているので、ケアンズ全体の利回りが高いのは間違いないと思いますし、私もその意味で注目しています。オーストラリアは住宅不足の国、空室率は全国的に非常に低く、ケアンズでも空室リスクはほとんどありません。でも残念ながら…

 

・一般の日本人投資家が、ケアンズで、7~8%で投資できるわけではありません。

・豪州永住権のない者は、オーストラリアでは原則として新築しか買えません。

・7~8%というのは、中古の区分アパートを安く買えた時に実現する数字。昨今は建築コストが上がっている関係で、新築で買うと、ケアンズでも通常5%程度になります。

 

私は豪州永住権を持っており、ケアンズで高利回り投資ができる立場にありますが、それを日本のセミナーでお伝えすることはできないのです(だって、中古買えないんだもんね…)。

 

といいつつも、私は思うのです。

・日本人はオーストラリアで新築しか買えないからといって、この国の中古住宅市場を知らないで良いわけはない。

なぜなら、

・新築物件を買っても、数年後(数十年後?)に売却する時は、「中古物件」として売却するわけだから…

 

ケアンズで新築を5%で買っても、売却時に7~8%でしか売れないマーケットであるならキャピタルゲインは望み薄、という見方をする方もいるでしょう。ただ、ケアンズに20数回行ってる者の視点からいうと、ケアンズでも立地・企画次第でキャピタルゲインは期待できると思います。

また、国際的に知名度の高い観光地ゆえ、Airbnbを活用した「収益型別荘」として運用する可能性もあると思います。

・・・といった感じで、ローカルの中古不動産マーケットの知識があれば、数年後~数十年後の出口まで想定した不動産投資が視野に入ってくるわけですね。

 

あと、「新築しか買えない国でも、中古市場を知る必要がある」という意味では、いま人気上昇中の国「ベトナム」も同じだと思います。

この国では、昨年7月に外国人の不動産所有が事実上解禁(正確にいえば、大幅に自由化)されたわけですが、その時点で、外国人への分譲を含めて販売されている物件なら買えるけど、それ以前に販売されてベトナム人がオーナーとなっている物件を我々が買うことは不可能に近い。

オーストラリアとはニュアンスが多少違いますが、「日本人投資家にとって、事実上、新築しか買えないマーケット」という意味では似たようなものでしょう。

ベトナムの場合、現時点では現地人と外国人の所得水準も隔絶している上、言葉の壁もある(ベトナム人ローカル向けの不動産情報は、果てしなくベトナム語オンリーの世界)ため、外国人投資家も「外国人向け物件の情報」しか知らないケースが多いですが、

そんなベトナムでも、不動産を一定期間以上保有する想定があるなら、「ベトナム人ローカルの不動産市場」を知っておく必要性は高いと思います。

 

そんな情報が、いま、日本にあるのか・・・というと、「正直、ありません」。

だから、いま私がいろいろ調べて、データ整理しているところです。ベトナム人ローカルの不動産マーケット調査には、ベトナム語知識ゼロだとできないから、私はいま、お金と時間かけて、ベトナム語を習ってますし、実地調査も何度かしています(3月末にも、現地入りします)。

 

【ベトナム不動産ポータルサイトのメニュー…英語との対照表も作成中】

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調査の成果は、4月下旬から、オウチーノ社の有料セミナー等の場を使って、順次発表できると思います。お楽しみに。

 

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日本人に英語は不要なのか?

こんにちは、Manachanです。いま、北陸新幹線「かがやき」で、金沢に向かっているところです。安中榛名を越えるとトンネルばかり、電波もバリバリ圏外っすね…

私、2月29日(月)の夜に、「複数言語習得」(マルチリンガルになる)というテーマで、東京・銀座で講演することになりました(リンク)。話の幅を広げるため、時間をみつけて、語学学習に関するブログなどを読んでいますが、そのテーマでWeb検索していると、必然的にヒットするのが、この本。

 

成毛眞著「日本人の9割に英語は要らない」

mokuji

 

今から数年前、楽天、ユニクロ、サイバーエージェントなどの企業が、立て続けに「社内英語公用化」を宣言して、世間の話題になった頃に出た本ですね。グローバル化の流れで、猫も杓子も英語、英語、言ってるけど、普通の日本人にはそんなに必要ないんだよ」、「英語不自由でも専門や教養をしっかり学んでいればそれでいいんだよ」という論調で、英語コンプレックスを抱く層にもてはやされました。この本に触発されて、「英語不要論」という言葉さえ生まれましたね(でも、成毛さん本人は、英語を必要とする少数の日本人にはしっかり英語力をつけることを提唱しているので、英語不要論は彼の本意ではないと思いますが…)。

内容に賛否両論はあるでしょうが、私、「日本人の9割に英語は要らない」という内容に異論はありません。英語の影響力が増す昨今ですが、日本国の領域内は、今も昔も日本語が圧倒的に優勢な世界。日本で生まれ育った大部分の人は、日本語だけで一生過ごせますし、多少なりとも英語能力を必要とする日本人は、せいぜい総人口の1割というのも、私の肌感覚に合います。例を挙げると、日本パスポート持って海外渡航する人数は、延べ人数で年間1700万人程度。そこには、私みたいに複数回、海外渡航する日本人も相当数含まれていますから、重複を省けば、1300万人(総人口の1割)程度になるかも…

「英語必要な1割、不要な9割」という比率は、将来的にもそんなに変わらないと思います。非英語圏のなかでも、日本語は話者人口10位前後、経済規模3位、学習人口7位…相当な規模を持つマーケットで、日本語による出版、技術・高等教育など文化活動がビジネスとして十分成り立ちます。ドメスティックな市場原理が成り立つ以上、英語メディアに根こそぎ持っていかれることはまず考えられない。

 

私は日本で育ちましたが、たまたま国際結婚したし、海外で就職したし、英語はじめ、いろんな外国語を覚えなきゃならない境遇にいたから一生懸命勉強しただけであって、自分の体験を日本人一般に当てはめることはできないのは十分承知です。

「英語は大事」、「マルチリンガルになろう」みたいなことを、日本人向けに提唱したところで、そのマーケットは、どんなに頑張っても1割を超えないでしょう。渋谷センター街や難波パークス歩いてる若者の9割に、おそらく外国語は必要ない。今も将来も…

 

ただ、この書評に関しては、違和感ありまくりでした。

日本人も驚き。「英語ができないのは、幸福な国の証」だった

 

引用しますね。

>(シンガポール、フィリピンなどでは)英語ができない人はエリートとして扱われない。英語ができなければ、生涯大きなハンディを背負うので、必死に勉強しなければならない・・・自国の産業を持ち、国民がみな一定の生活レベルを保っている日本では、海外に飛び出さなくても自国で幸せに生きていける。英語ができないのは、幸福な国の証でもあるのではないだろうか。
たまたま、非英語圏のなかではマーケットでかくて、それほど切実に英語やらなくても良い日本の状態を、「幸福」というのはどうなんだろう?その推論に妥当性があるのかな?

シンガポールやフィリピンなど、英語やらなきゃならない国々の人々が、大変で不幸なのでしょうか?ああいう国の人々は、別段苦労しなくても、英語はじめ複数の言語を、日常生活のなかで身につけられる言語環境に暮らしているだけの話だと思いますよ。

私の立場からいうと、フィリピンやシンガポールに生まれて満足な教育を受けられれば、英語で情報収集も自由自在にできるし、英語を使った仕事に就けるから世界中でキャリア形成できるし、かえって得してると思うんだけどな。

英語は大変、英語を切実にやらんでもいい日本は幸福…そういう感慨を持つのは個人の自由だけれども、「幸福」という価値観に安住して、英語が満足にできないことの免罪符として使ってるような印象を受けてしまいます(本人は、そのつもりではないのかもしれませんが…マルチリンガルから見ると、そういう解釈になる)。

 

図を使って分かりやすく言えば、

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「英語やらなきゃならない層」(総人口の10%)のうち、約7割が「挫折予備軍」、約3割が「継続学習派」であるとしたら(この数字当てずっぽうですが、個人的には結構いい線いってると思う・・・)

本当は英語やったらメリットの得られる「挫折予備軍」をして、「英語不要な層」に引きずり込むような結果に寄与してしまうと思います(図でいうなら、下方に向かう白の矢印↓)。

 

もう一つ、引用。

>アメリカの外務職員局の調査によると、アメリカ人がフランス語、スペイン語など欧米圏の言語をマスターするには約600時間で済むが、日本語や中国語、アラビア語などは難しく2,200時間が必要だとしている。日本人が英語をマスターするのも2,000時間ほど必要と言われており、特に日本人が語学下手という訳ではない。単に日本語と英語はそれほど異なった言語だ、という事だ(中略・・)日本で仕事をしながら英語を流暢に話せるレベルに到達するのは、ほとんど不可能だと考えた方が良い。

日本語と英語の言語的距離が遠いのはその通りと思いますが、この議論には、外国語学習における目標設定が現実的でないという、根本的な問題があります。「英語学習者からみて、日本語習得は2000時間以上かかる」(日本人が英語をやっても、ほぼ同じ時間がかかる)・・を引用してますが、これは、英語を使って仕事できる「ビジネス(習得)レベル」を想定しているものですね。アメリカ外務省が出してるんだから、エリートの人間が外交官として勤務することを想定した数字なんでしょ?

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私の言語学習理論「5%-30%-80%」の法則からいえば、日本語環境で暮らす日本人が英語を学ぶ場合、多くの人にとって現実的な目標は「使用レベル(30%)」の達成英語圏で暮らしたり、英語で仕事する職にも就かない限り、「ビジネスレベル(80%)」達成は非常に困難。そのレベルを想定して、難しいと言っている…日本に住んでて英語を普段使ってないんだから、難しいの当たり前じゃん。

 

「英語は難しい」、「日本人は英語できなくてもいい」、「それでいいんだ、幸せだ」…そんな言説に、私は真っ向から意義を唱えます。本の知的レベル向上に百害あって一利なしと思うから。

 

私の役目は、

・「挫折予備軍」を、「継続学習派」に引き上げること

そして、

・「継続学習派」をさらに強く動機づけして、「バイリンガル」、「マルチリンガル」に育て上げること。

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英語含めて、外国語なんて、大して難しくないんですから…

適切な目標を設定して、体系的に学習を継続していけば、誰だってできるようになるんですから…

マルチリンガルが特に頭いいなんて、そんなこと、全然ないんですから…

 

日本人のなかで、英語・外国語を必要とする約10%に対して、私はそれを訴え続けたい・・・その第一歩となる講演をやりますので、興味のある方、きてくださいね。

 

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【第10回講座】 銀座夜大学『マルチリンガル(多言語話者)になる方法』

外国語はカンタン。やり方次第では、一生に10言語、20言語の習得だって十分可能!
5ヶ国語を操り、年間1言語ずつレパートリーを増やしているという客員教授 鈴木学氏の頭の中と学習方法を大公開します!英語学習で苦労する人生とは永遠にサヨナラしよう☆

◯日時:2月29日(月)19:00~22:00
◯授業料:21時までのご来店:6,000円
(ドリンクチケット2枚&ブッフェ料理)
21時以降のご来店:2,500円
(ドリンクチケット2枚)

会場:SHINOBY’S BAR 銀座
104-0061 東京都 中央区銀座5-10-10 6階

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男にとって居住地選択の自由とは?

おはようございます、Manachanです。

最近、国内出張が続いています。先週は金曜日に鹿児島、土曜日に大阪と、いずれも日帰り出張。日曜日は家でゆっくり休みましたが月~火は金沢へ泊りがけの出張、木~金は名古屋だし…

仕事柄、海外出張も多く、昨年はほとんど毎月、出国してました。今年に入っても、1月にタイ・台湾、3月にベトナム・マレーシア、4月に中国。ペースは変わってないですね。1年間のうち、日本に居るのが約9か月、海外滞在が約3か月の計算になります。

ここまで移動が多いと、自分でも、一体どこに住んでるのかよく分からない感覚ですが、生活と仕事の本拠は、今のところ東京に置いています。都内の自宅・事務所をベースに、成田や羽田、東京駅から交通機関を駆使して、国内・海外に行きまくるのが、今の私のライフスタイル。子供たちの学校のこともあるから、私以外の家族は東京からあまり動きません。

 

振り返ると、私は3年前、2013年2月まで、サラリーマンをやっていました。当時は、毎日決まった時間に、勤務地(本社や客先)に行って仕事して、給料をもらう生活でした。勤務地が東京にある以上、住まいの場所も、そこから通勤可能な範囲内(都内か近県)に限られます。言い換えると、「お金を稼ぐ場所」と「生活の場所」が、ほぼ一致していました。

「お金を稼ぐ場所」:東京

「生活の場所」:東京

 

今の私は、自分のビジネス(不動産仲介業)をしています。事務所は、東京都内に置いてますが、毎日そこに出勤する必要はなく、物件調査や契約・決済、セミナーその他の仕事で、国内外いろんな場所に移動しています。いまの私は、

「お金を稼ぐ場所」:国内外いろいろ

「生活の場所」:東京

 

移動・放浪スタイルがさらに進むと、所謂「ノマドワーカー」または「PT」(パーペチュアル・トラベラー)の皆さんのように、パソコンとネット環境さえあれば世界中どこでも出没、生活の本拠さえ不定、みたいなスタイルになるのかと思います。彼らの場合は、

「お金を稼ぐ場所」:国内外いろいろ

「生活の場所」:国内外いろいろ

 

また別のパターンとして、メガ大家さんや二代目大家さんのように、潤沢な家賃収入があって、その収入を使って、国内外いろんな場所に移動しながら暮らす、という方々もいらっしゃいます。彼らの場合は、

「お金を稼ぐ場所」:物件所在地

「生活の場所」:国内外いろいろ

 

この4パターンを、マトリックスで表してみました。「生活の本拠」および「お金を稼ぐ場所」が、固定ベースか移動ベースかによって、4象限に分類されます。

 

1)一般の勤労者タイプ : 「生活の本拠=固定」、「お金を稼ぐ場所=固定」

2)出張の多い社長タイプ : 「生活の本拠=固定」、「お金を稼ぐ場所=移動」

3)ノマド・PTタイプ : 「生活の本拠=移動」、「お金を稼ぐ場所=移動」

4)旅する大家さんタイプ : 「生活の本拠=移動」、「お金を稼ぐ場所=固定」

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今の私は、たぶん、「2)出張の多い社長」タイプですかね。もし独り身であったなら、「3)ノマド・PTタイプ」になってたもしれませんが、一応、妻子いる身だからねえ…学齢期の子供を抱えて、家族ぐるみでいろいろ移動するのは大変なので、今後当面は、今のスタイルを続けるのだと思います。

但し、「2)出張の多い社長」タイプを続けるとしても、どの都市をベースとするかは、今後、ビジネスの展開や子供の教育方針如何によって、変わる可能性があるかもしれません。今の私は東京をベースとしており、それがビジネス上も、また子供たちにとっても最適だと思うし、実際ハッピーですが、

 

今後、東南アジア関係のビジネスが大きくなってくれば、東京よりも、ASEAN圏内の主要都市(バンコク、シンガポール、KLなど)をベースとした方が便利、ということになるのかもしれません。

上に挙げた3都市のなかで、私が一番好きなのはバンコクでして、実際、バンコクなら、諸事情が揃えば東京から移住しても良いと思っています。

移住・ロングステイといえば、ハワイとかバリとか、自然豊かなリゾート地の人気が高い話ですが、私は興味ありません。基本、便利な都会暮らしが好きなので…

あと、子供さんは海外で英語教育、奥さんも子供に付き添い、旦那さんは日本に残って仕事、みたいなスタイルもありますが、私はやりたくないですね。基本、家族一緒じゃないと結婚した意味がない。

 

とはいえ、自分の好みだけで居住地を決められないのが、大人の男の宿命でもあります。「一家の稼ぎ手」という重い責任がありますので、「自分が、どの都市にいれば、一番稼げるのか?」を、常に考えなければなりません。

サラリーマン時代の私は、「グローバル企業に勤め」、「複数言語を操るITエンジニア」という立場でしたので、「自分の市場価値を、一番高く評価してくれる都市はどこか?」が、主な判断基準でした。オーストラリア、中国と、いろいろ動いてきたけど、結局は、東京に落ち着きましたね。なお日本のなかでは、この種の仕事は極端に東京一極集中なので、勤務地も住まいも、東京に限定されます。

独立してからは、「私の仕事に、お金を払ってくれるお客さんが、どの都市に一番多いか?」が、判断基準になっています。私のお客さんは世界中各地にお住まいですが、数でいえば東京・首都圏在住の方が一番多いし、実際、彼らと都内で会うことが収入につながっています。

 

いま、会社決算や個人の確定申告に向けて集計しているので、ついでに計算してみました、


個人・法人の売上に占める割合

国内のビジネスから、68% (主に不動産仲介)

海外のビジネスから、7% (主に海外不動産をテーマとする講演執筆)

国内外の不動産から、25% (主に家賃収入)

 

数字をみると、当面、東京から本拠を移すことはなさそうですね。

 

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マルチリンガルになる方法‐各論編3)「お金稼げる」レベルの外国語力を身につける

こんばんは、Manachanです。「マルチリンガルになる」連載、いよいよ最終回になります。

前回までは、「外国語を何とか使えるレベル」(習熟度30%)にするための学習方法を書きましたが、今回書くのは「外国語を使って仕事できる」、つまり「ビジネスレベル」(習熟度80%)を達成するには何をすべきか・・・これまでとはワンランク次元が違う話になります。

 

「ビジネスレベルの語学力」なるものを、具体的にイメージしてみましょう。私の身辺には、中国をはじめアジア各国の出身で、日本での留学・卒業を経て、日本の企業で働いている方が多数いますが、彼らは日本人に交じって、日本語ばかりの環境で、1日8時間以上、上司や同僚、部下とともに働いています。話し言葉のアクセントから彼らが日本人でないことは分かりますが、それでも、顧客対応含め日本語の読み書き会話は問題なく、外国人だからと特別扱いもされない…それこそが、ビジネスレベルです。

私自身は、英語圏(豪州、米国)で5年と、中国語圏(中国、台湾)で3年の在住・就労経験がありますが、当時の私は彼ら在日外国人社員と全く同じ境遇でした。平日は英語や中国語だけ使う職場で朝から晩まで過ごし、上司や部下、同僚と共に、メール、電話、チームミーティングをこなす日々。家に帰れば帰ったで、友達を呼んでホームパーティーしたり、子供を病院に連れていったり、保健所で親子教室に参加したり、壊れた電化製品を返品しに行ったり、時にはマイホームを買うために不動産屋や銀行と折衝したりと、おおよそ大人の生活に必要なあらゆることを、英語と中国語でこなしてきました。

いま振り返って考えると、当時の私は「会社員」(サービス提供者、上司、部下、メンター等)「顧客」、「学生」、「ホスト」、「父親」、「夫」といった、様々な社会的立場に立ち、その役割に求められるコミュニケーションを英語や中国語で行い続けたからこそ、ビジネスレベル以上になれたのだと思います。

 

日本語で「役職が人間を育てる」という言葉がありますが、外国語学習においても全く同じことがいえると思います。そう考えると、外国語ビジネスレベルになるための効率の良い方法は、「外国語圏への移住」か、「外国語を日常的に使う職場への転職」になるかと思います。

私自身に関していえば、これまで、英語圏や中国語圏で暮らし、働いてきたおかげで両言語ともビジネスレベルになれたけど、現在「使用レベル」(習熟度30%強)にある韓国語とタイ語については、今みたいに日本で暮らして仕事も日本語中心という状況が変わらなければ、ビジネスレベルの達成は難しいと感じています。全く不可能とは思わないけれど、多分、ものすごく時間がかかる。

逆に、私が韓国やタイに移住してしまえば、私は日常的に韓国語またはタイ語環境にどっぷり漬かる上に、会社経営者としてビジネスの現場でそれらの言葉を使うはずなので、ビジネスレベルの達成は間違いなくできると思います。いま、私の手持ちの言語知識や学習速度から考えると、

・韓国語の場合、半年~1年程度で、ビジネスレベル達成可能
・タイ語の場合、1年~1年半程度で、ビジネスレベル達成可能

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この論法でいくと、「日本人が日本に住み続ける限り、外国語のビジネスレベル達成はほぼ不可能」みたいにに聞こえるかもしれませんが、上に述べた通り、外国語を日常的に、様々な社会的立場で使う言語環境に身を置くことができれば、実現可能だと思います。たとえば、日本に住んでいても「外資系または海外事業部に属し」、「職場では英語をメインに使う」環境で過ごし、経験値を積めば英語ビジネスレベルにはなれるでしょう。

 

私が経験した、いくつかのエピソードを紹介します。

私はTOEICスコア845点の状態で、2000年5月に、オーストラリア・シドニーに移住しました。到着後すぐ就職活動をはじめ、奮闘3か月間、11社に落とされ12社目でようやく採用され、IT技術者として晴れて入社。

ただ、それまでの人生で、「1日8~9時間、英語だけの環境で仕事する」という経験がなかったため、入社当初は苦労しました。職場の同僚はフレンドリーで居心地よかったけど、一日の仕事が終わると疲労困憊、もう何も考える気力が残っていませんでした。

英語メールの書き方でも苦労しました。入社から半年ほど経った頃、私のメールの書き方が適切ではないと上司から注意され、英語ネイティブの同僚に、私がメールを出す前に、いちいち添削してもらった時期があります(今考えると、そいつは技術家肌でメールが得意ではなく、最適な人選だったとは思えないけど・・)。

メールや会話含め、英語のハンディを感じずに仕事できるようになったのは、入社1年半後くらいだったかと思います。しかし、ようやく一息つけたかと思った頃、私はLotus Notes技術チームのリーダーとして、若手の社員のメンター(世話役)をやるように命じられました。でもって、私の配下になったのが、マシンガンのような速さの英語をまくしたてるネイティブの女の子2名で、聞き取るのも大変で参りました。

そんな感じで、いろんな苦労がありましたが、5年近くもの間、英語環境の職場で働いてしまえば、もう言葉の苦労はありません。英語のビジネスレベルは、一生キープできる自信がつきました。

 

その後、私は2005年3月に、オーストラリアから中国へ国際転職。大連ソフトウェアパーク内で働くことになりました。私は台湾での留学経験があるので、中国語の会話は最初から問題ありませんでしたが、ビジネスの現場で中国語を使うのは初めてでした。

オーストラリアなど英語圏の職場は、「誰もが英語使うのは当たり前」の世界で容赦ありませんでしたが、中国の場合はもう少し優しく(?)て、外国人が中国語をしゃべることを、それほど期待されませんでした。フィリピン人やインド人など、中国語を一言も話せない、漢字読めない社員も相当数いましたし、彼らには、「中国人社員の英語力向上のため、職場では英語だけしゃべって欲しい」と期待されていました。

ただ、私の場合はなぜか、入社1日目から中国語環境のPCを渡され、中国語オンリーの社員研修を受けさせられました(同日入社の中国人新入社員数十名に混ざってしまい、外国人だと気づかれなかったのかも…)。

この職場で働いてみると、私が外国人として、英語で話すこと(=中国人社員の英語練習台になること)を一応期待されてはいましたが、コミュニケーションの効率を考えると、私はどう考えても、中国語を使わざるを得ませんでした当然ながら、社員の95%以上が中国人で、英語得意な人は少数。チームミーティングでは大体10~15名ほど参加。私以外、全員が中国人(または華僑)で、会話は当然中国語になる。私だけのために英語を使うと効率が著しく落ちるわけです。

あと、中国のITの職場は社員の入れ替わりが激しく、当時チームリーダーだった私は、毎日のように、採用のための面接をしましたが、そこでの会話は当然中国語になりますし、また、現地の人材紹介の会社ともたくさんやりとりしましたが、彼らの英語力は限りなくゼロに近いので、結局は、中国語使わないと仕事にならないのです。

そこまでやれば、否応なく、中国語はビジネスレベルになりますし、英語と同様、一生ものの能力になります。

 

私の「マルチリンガルになる」連載は、これで終わります。最後に一言、私が、今回の連載を思い立った理由について書きます。

一言でいえば、「日本でマルチリンガル(多言語話者)を一人でも増やしたい、そのために貢献したい」という気持ちから発しています。

私が何か国語話そうとも、そのスキルは私の頭脳の中にしかありませんから、儚いものです。私の寿命が尽きてしまえば、途端に、終わってしまいます。しかし、私の分身よろしく、5ヶ国語、6か国語を操る日本人を多数輩出することができれば、全く別の話になります。

世界数か国で、ITビジネスの最前線で長年働いてきた私の肌感覚でいうと、「日本の首都・東京には、グローバルビジネスを支えるマルチリンガルが数十万人必要」、「それができて、はじめて、香港やシンガポールに対抗できる」と感じます。これまで、それができなかったから、香港やシンガポールにアジアパシフィックの本社の座を奪われてきたわけで…

これは大変壮大な話で、私は余りにも微力ではありますが、何らかのかたちで、「マルチリンガル育成教育」に関わっていきたいし、良い方法論を模索してきたいと思うのです。

 

その第一歩として、初めて、「マルチリンガル」ねたで講演することになりました!いつもは不動産の話ばっかりだけど、たまには語学の話もいいですね。興味ある方は、2月29日(月)夜、銀座へGO!

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【第10回講座】 銀座夜大学『マルチリンガル(多言語話者)になる方法』

外国語はカンタン。やり方次第では、一生に10言語、20言語の習得だって十分可能!
5ヶ国語を操り、年間1言語ずつレパートリーを増やしているという客員教授 鈴木学氏の頭の中と学習方法を大公開します!英語学習で苦労する人生とは永遠にサヨナラしよう☆

◯日時:2月29日(月)19:00~22:00
◯授業料:21時までのご来店:6,000円
(ドリンクチケット2枚&ブッフェ料理)
      21時以降のご来店:2,500円
(ドリンクチケット2枚)

会場:SHINOBY’S BAR 銀座
104-0061 東京都 中央区銀座5-10-10 6階

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マルチリンガルになる方法‐各論編2)言葉を「使える」レベルにする

こんばんは、Manachanです。連載ブログ「マルチリンガルになる方法」、各論編2)に入ります。

私の言語習得理論は、別名、「5-30-80の法則」といいます。ある言語を母語として育ち、成人した人が外国語を学ぶ場合、その達成度において3つのマイルストーン(目安)を想定します。母語の言語能力を100%とした時、外国語の学習が進むにつれて、

片言レベル(5%)
   ↓
使用レベル(30%)
   ↓
習得レベル(80%)

と、進んでいく…今回、各論編2)では、「片言レベル」(5%)を「使用レベル」(30%)に、ランクアップする方法論について書きます。私は、「5%から30%への移行」段階こそ、この連載のハイライトだと思っています。世の中、この段階でつまずき、外国語学習を中止・断念する人が余りにも多いからです。

私自身は、現時点で5ヶ国語できるマルチリンガル(多言語話者)とはいえ、これまで、いろんな言語の習得に挫折してきました。いま思うと、そのほとんどが「5%→30%」の段階で起こっています。その苦い経験を糧に、学習における「態度」や「方法論」を改善してきた結果、今では「一旦やると決めれば、少なくとも30%は必ず達成する」自信がつきました。その経験やテクニックを、皆様とシェアしたいと思います。

 

どの言語を学ぶにせよ、「30%」を達成するために、私が絶対に怠らないことは、二つ。

1)文字や声調記号を覚える

2)それらを使って、自分のオリジナル文章をたくさん書く。

 

1)について…英語をはじめ、アルファベット表記の言語を学ぶ場合、文字を覚える苦労は少ないでしょう。また、日本人の場合、漢字をすでに知ってますので、中国語の漢字を苦にする人は少ないでしょう。

しかし、タイ文字、アラビア文字、インドのデーヴァナーガリー文字など、見慣れない文字になると途端に拒否反応を示し、「こんな、ミミズがのたくったような記号、覚えられるか!」といって、最初から諦めてしまう人は多い。例えば、タイに長年住んでいる日本人で、会話は上手にできるのに、タイ文字が読めないという人は少なくありません。

私の学習スタイルは、文字の学習を大変重視します。いくら話せても文字が分からないと、新聞雑誌を原語で読めない、看板に書いてることも理解できない、メールも読めない書けない…そもそも、その言語で社会生活ができないからです。

それに、どんな文字でも、少なくとも漢字を覚えるよりはラクでしょ…と思います。日本で育てば、漢字という、世界でもトップクラスに難解かつ複雑な文字を、すでに何千個も覚えているわけです。私の息子は、7歳で小学1年生ですが、1年生のうち80個の漢字を覚えなくてはなりません。

それに比べて…タイ文字、子音字が44、母音字が32、全部で76しかない!(しかも、ほぼ使われなくなって覚えなくても良いものもある)。1年生の子供が学校で習う漢字数より少ないんだから、良い歳した大人なら覚えられるはずじゃんと思うのです。あとアラビア文字、インドの文字…数え方にもよりますが、少なくとも、日本人が大人になる前に覚える漢字みたいな膨大な数ではありません。

もっとも、文字を覚えてもそれですぐ読めるとは限りません。たとえばタイ語の場合、文字表記と発音が一致しないことも多いし、あと、文章のなかで単語と単語がどこで切れるか等々…結構な数の文を読んだり、書いたり、「場数」がそれなりに必要になります。
日本語と同様、タイ語の文は単語の切れ目を見つけるのに慣れが必要。

thaikugiri

 

あと日本人の場合、日本語にない「声調」のある言語を学ぶのに苦労する方も多いですね。中国語をはじめ、タイ語、ベトナム語等々…

あと、特に中国語やベトナム語は、日本語にない発音が多い上に、厳密に正しい発音をしないと通じないとか、別の意味になってしまうことも多いので、初学者にはその苦労は避けて通れません。それも、正しい文字・声調記号とセットで、覚えなければなりません。

 

どの言語も、そう簡単ではありません。でも、やればやるだけ、成果が出ます。それなりの時間をかけて、文字、声調記号、それに対応する発音を覚え、語彙数が500~1000程度に達した頃に、「到達度30%」のラインが見えてくるはずです。

そこに到達するスピードを早める方便として、私は、「自分オリジナルの文章をたくさん書く」ことを心がけています。語学の上達なんてシンプルなもので、結局、「アウトプットした回数と量」で決まりますから。

もちろん、初心者が書いても当然間違いだらけなので、ネイティブの先生に添削してもらう必要があります。その意味で、マンツーマン式あるいは少人数制の語学学校に行くか、あるいはネイティブの先生を見つけて教えてもらった方がいいですね。

 

私の場合、「習熟度30%」の達成基準として、「次の文章を書けるかどうか?」を、一つの目安にしています。

 

『マックスコーヒー 故郷の味』

私は千葉県の出身です。私が10歳の時、初めて口にしたコーヒーは、「マックスコーヒー」・・・これは千葉県と、隣の茨城県でだけ売られています。一缶あたり、約30グラムの砂糖が入っている、おそらく日本一甘いコーヒーです。

私が千葉に住んでいた頃、マックスコーヒーは日本中の誰もが飲む、ありふれた普通のコーヒーだと思っていました。でも大人になり、東京に引っ越すと、人々はマックスみたいな激甘コーヒーをあまり飲まず、甘さ控えめのコーヒーを好むことに気が付きました。都会の人は健康志向なのでしょうね。

たまの休みに、千葉の実家に帰る時、マックスコーヒーの自動販売機が見えると、ついつい買ってしまいます。そして一服、甘い!!!!これぞ、故郷の味。

(注.今では、マックスコーヒーは、ジョージア・マックスコーヒーになり、東京都内でも買えるようになっています。)

 

タイ語で書いたのが、これ…(学習開始後、5か月半後に執筆)

thaicafemax

 

トナム語で書いたのが、これ…(学習開始後、3か月後に執筆)

vietnamcafemax

 

こういう文章を、辞書ひきながらでも書けるようになれば、不完全とはいえ、一定レベルの読み書きはクリアし、言葉を「使える」レベル…「習熟度30%」近辺に達したとみなして良いと思います。

 

また、最近はどの国でもスマホ、PCの使用頻度が増えているため、「外国語の文字をタイピングできる能力」も大事になってきました。

タイ語のタイピングができれば、たとえばバンコクでタイ人とスマホで連絡とりながら待ち合わせすることもできるし、美味しい店をスマホで検索することがもできるわけで…行動様式がぐっと、現代人っぽくなります。

 

私のPCに、タイ語のキーボードシールを貼ったら、入力作業がラクになりました。

thaikeyboard

 

到達度30%になれば、外国で働くことも、なんとなく視野に入ってきます。例えばの話、バンコクで、「主に英語を使うけど、タイ語でのメールやりとりが少しだけ発生する職場でのオフィスワーク」があれば、今の私ならこなせると思います。あと数か月頑張れば、ベトナム語でそれをやることもできそう…活躍の場が世界に広がりますね。

とはいえ、「タイ人のお客さんとタイ語でやりとり」するとか、「大量のタイ語の資料を読みこなして仕事」するとか、「タイ語の経営会議をこなして、タイ人の部下に指示する」ような職場は、今の私にはさすがに無理です。それには、「習得レベル」(習熟度80%)が必要でしょう。

そのレベルにいかに達するのか・・・次回のエッセイ(各論編3、最終回)で書きます。お楽しみに。

マルチリンガルになる方法‐各論編3)「お金稼げる」レベルの外国語力を身につける

 

2016/2/17補足…各論編1)で、「英語をマスターしてから次の言語に挑戦」というアプローチは効率悪いと書いた通り、我々マルチリンガルの言語学習は、「ゼロから積み上げ」ではなく、「各言語の共通部分をつなげていく」アプローチをとります。

極端な例かもしれませんが、その典型例として、私がいま使っている「タイ語、ベトナム語共通ノート」を紹介します。これは、「ベトナム語の単語を新たに覚える時に、同じ意味の言葉をタイ語でも書いてみる、知らなければ辞書で調べてみる」という趣旨でつくっています。これにより、タイ語とベトナム語で共通する部分を見えやすくします (注.現時点ではベトナム語の語彙数が少ないので、ベトナム語からタイ語は何とかできても、その逆は難しいです)。

5言語、6言語、或はそれ以上できる人が、世界には結構います。彼らマルチリンガルが新たな言葉を覚える時、意識的または無意識的に、このような「共通部分をつなげる」アプローチを取っているはずと思います。

タイ語とベトナム語は、そんなに近い言葉とは思わないけど、英語、ドイツ語、オランダ語のように相互に近い言語同士なら、「2つか3つ、同時に覚え」てもいいんじゃないかなと思います。

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マルチリンガルになる方法‐各論編1)世界中の言葉をタダで学ぼう!

こんばんは、Manachanです。

語学系の連載ブログ日記「マルチリンガルになる方法」、いよいよ各論編ですね。今回は初級編、「片言レベル」になる方法について書きます。

 

このブログ読者の大多数は、日本語のネイティブだと思いますが・・・ちょっと想像してみましょう。もしあなたが外国人で、日本語知識が全くゼロの状態で、突然、来日することになったら、どうやって、言葉を覚えますか?

そして、横浜や千葉のはずれの方、ほぼ日本語しか通じない駅に、たった一人で降り立ったら、現地の人たちとどうやってコミュニケ―ションを取りますか?

 

私は世界5大陸を旅したバックパッカー、言葉が通じなくて不自由した経験を各国で死ぬほどたくさんしてきましたが、「最低限のサバイバル語彙」さえ学べば、食べ物を買ったり、トイレの場所を聞いたり、宿を取ったり、次の場所に移動する位はなんとかできます。それに必要なのは、

・「すみません」、「ありがとう」、「さようなら」など簡単な挨拶
自己紹介
・「いくら?」、「どこ?」、「何?」など、5W1Hを表す言葉
・1~100くらいまでの数字

 

以前は、「ポケット○○語会話」とか、「地球の歩き方の付録」みたいな、紙媒体しかありませんでした。でも、紙だと読んでて疲れるし、発音も正しくできないので現地で通じなかったりと、何かと不便でした。

でもネットが発達した今は、Youtubeで無料の語学ビデオがたくさん出ています。英語話者を対象にする日本語の教材だと、たとえばこんなものがあります。ビジュアルな映像で分かりやすいし、ネイティブが話すから正しい発音も覚えられて良いですね。

 

簡単な英語ができれば、この種の教材の探し方は簡単です。ネット接続して、ブラウザーを開いてGoogle等で、

Learn (言語名) in 3 minutes

と検索すればたいてい、出てきます。まず最初に、お隣の言葉・韓国語でやってみましょう。

 

Learn Korean in 3 minutes

Youtubeビデオが、ちゃんと出てきますよ~。

learnkorean

 

これを、中国語(Chinese)、フィリピン語(Filipino)、ベトナム語(Vietnamese)、タイ語(Thai)、インドネシア語(Indonesian)で換えて検索しても、同じ結果が出てきます。

chinesefilipinovietnamthai

 

ヨーロッパの言語名を入れてみても、同じシリーズが出てきます・・・これ、全部タダなんです。すごく便利な時代になりましたね。

european

 

よりマイナーな、中欧~東欧の言葉を学ぼうとすると、日本国内で書籍を見つけること自体が難しいですが、ネット社会のおかげで、今やどんな言葉でも、3秒で検索できてしまいます。費用もゼロ。

 

Veronicaさんから、チェコ語を習ってみよう

 

Joannaさんから、ポーランド語を習ってみよう

 

Evaさんから、ブルガリア語を習ってみよう。
(可愛いな。俺の家庭教師にしたいよ~)

 

この「3分で学ぶシリーズ」は優れもので、一通り聞けば、自己紹介、挨拶、1~100までの数、5W1H等、「最低限のサバイバル語彙」がほぼカバーできてしまいます。言語にもよっても違いますが、シリーズは5~8回。全部で30分もあれば十分。

私は電車の移動時間を利用して、この「3分で学ぶシリーズ」を、BGMとして聞いています。別に肩に力を入れて覚えようとはしてません。東欧の言葉を、仕事で使わなきゃならないプレッシャーは今のところないから…

(一方、タイ語、ベトナム語等、東南アジアの言葉は、今まじで、仕事で使わなくちゃならないため、学習モードで取り組んでます。詳しくは各論編2)で…)

 

私がなぜ、こんなことをしているかというと、

言語の知性やセンスを身につけるのに役に立つから…

 

言語の知性・センスとは、何か?

・各言語間の語彙・構造など、共通部分を見出して、コミュニケーションに活かす能力

・各言語に使われる多様な発音や声調を、聞き分ける能力

・各言語に使われる文字を識別する能力   等々…

 

たとえば、先に紹介した、「チェコ語」、「ポーランド語」、「ブルガリア語」を、一通り聞き比べてみましょう。それぞれの言葉が、かなり似ていることに気づくかと思います。特に「数字」などは、笑っちゃう位、ほとんど同じですよね。

また、どの言葉にも、男性名詞、女性名詞、中性名詞があり、名詞や動詞が語形変化したりと、基本的な構造がほぼ同じことにも気づくかと思います。もっとも、語彙は結構違いますけど…全体的にみて共通部分はかなり多い。

スロバキア語に至っては、基本構造どころか、語彙の多くがチェコ語と一緒じゃん、という印象。驚くほど似てますね。

 

もっとも、ヨーロッパの言葉が似た言葉ばかりとは限りません。例えばハンガリー語なんて、チェコやスロバキアのすぐ隣にあるのに、言葉はおそろしく違います。

 

Liviaさんから、ハンガリー語を習ってみよう。

(キレイですね~、健康美人という感じで。最近、一番ハマってるかも…)

 

あとフィンランド語とかも、他の北欧の言葉と全然違う。隣のスウェーデン語と聞き比べても、似てる部分がほぼ見いだせない。

Paulaさんから、フィンランド語を習ってみよう

 

上にみるように、世界中の各言語は、お互いに共通する部分もあり、そして違う部分も当然あります。

言語は生き物。長い歴史のなかで、隣接する言語同士が影響しあい、語彙を借りながら発達するものです。お互いに陸続きで距離が近ければ、気候風土や食生活が似通う分、語彙の面でもかなり共通するものです。また古代中国、古代インドみたいな大文明が栄えた地域では、周辺の諸言語が文明の中心地から多くの言葉や文字を借ります。日本語だって、中国生まれの漢字を借用して発達してきたわけですよね。

 

私たちマルチリンガルは、各言語の「共通部分」に、本能的に注目しますなぜなら、私たちは「外国語を一から学ぶ」というより、すでに知ってる言葉と、これから学ぶ言葉の共通部分を使ってコミュニケーションする」から・・・

言い換えれば、頭のなかに、いろんな言葉の要素(音や意味や文字)が、リレーショナル・データベースのようにお互いに関連付きで入っていて、それらを「つなげる」ことによって、新しい言葉を覚えたり、外国人と意思疎通するのです。

 

だから、

・片言レベルでも構わない。言語のレパートリーは、多ければ多いほどよい。

・たくさんの言語を知っていれば、意外なところで、役にたつはず。

というのが、私たちマルチリンガルの自然な感覚です。たとえばの話、

 

・チェコ語の「C」は英語の「C」と違って「ツ」という発音のようですが、中国語学習歴があるおかげで「中国語のC」と同じだと、すぐ理解できる。

・モンゴル語はロシア語と全く系統の違う言語ですが、同じキリル文字を使っています。以前、ロシアを旅した時にキリル文字を読めるようになっていたので、モンゴルに行くと看板がとりあえず読める。

「中国語の知識がチェコ語に役立つ」とか、「ロシア語の知識がモンゴル語に役立つ」というのは、意外かもしれませんが、マルチリンガル的には腑に落ちる話です。

 

ですので私たちは、

・「英語をマスターしてから、次の言語を学ぶ」みたいな考え方を、本能的に嫌います。

なぜなら、欧米圏には英語に近い言葉がたくさんあり、その知識が少しでもあれば英語学習の上でもシナジーが活かせると考えるからです。ですので日本人が英語だけ学んで、他の言語を禁欲的にまで学ばないというのは、マルチリンガルの感覚でいうと極めて効率悪い。

 

繰り返しになりますが、今は「タダで世界中の言語が学べる」時代。マルチリンガルにとってはむちゃくちゃ嬉しい時代ですし、読者の皆様も、世界中の言葉のビデオクリップを聞くことによって、マルチリンガル的なセンスが身につくかもしれません。

もし言葉に興味あればの話ですが、ビデオ聴くコストはゼロだし、使う時間もわずかで済むし、やらない理由はないと思いますけどね…

 

次回は、各論編2)。片言レベルを超えて、「とりあえず読める、書ける、タイプできる、ある程度聞き取れる・・・」使用レベル(習熟度30%)になるための学習方法について書きます。お楽しみに。

マルチリンガルになる方法‐各論編2)言葉を「使える」レベルにする

 

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マルチリンガルになる方法‐総論編

こんばんは、Manachanです。

最近、ブログ読者の方々や、不動産セミナーに参加された方々から、「どうやったら、外国語を覚えられるようになるのか?」、「良い学習方法を教えて欲しい」みたいな質問を受ける機会が増えてきました。

 

私は、「多言語話者」(マルチリンガル)の一人。国際結婚している関係で、我が家では常に日・英・中の3か国語が飛び交っておりますし、この三言語は仕事でも、ほぼ毎日使っています。

それ以外に、数年前は韓国語を仕事で使っていた時期がありますし、今ではタイ語やベトナム語を学校で学びつつ、数か月に一度は、現地の仕事で使っています。日本に居る時は、タイ語とベトナム語の宿題を同時並行でやったりします。

 

世界的にみて、マルチリンガルは決して珍しくありません。欧州のスイスやベルギー、東南アジアのマレーシア、シンガポールやフィリピンなど、多言語を日常的に使う社会が数多く存在し、特別な教育を受けなくても誰もが2言語、3言語使えるのが当たり前、という社会は結構多いからです。

ですが、私がいま暮らしている日本では、マルチリンガルは相当珍しい。特に、英語や中国語の能力はビジネスでのニーズも強く、市場価値も高い。私も自身の多言語能力に、これまでずいぶん助けられてきましたし、今でもそうです。

また、日本に限ったことはありませんが、仕事で英語・中国語を使う必要に迫られている方々も確実に増えており、忙しい業務をこなしながら外国語習得に苦労されている方々も少なくありません。外国語学習への関心が年々高まる昨今、私も貢献したい気持ちは十分あります。

 

私本人の主観でいうと、「苦労して外国語を覚える」感覚が全くないんですよね。日常的に多言語を使うのが当たり前な生活だし、これまで学んだことのない新しい言葉を学ぶ場合も、教科書・辞書首っ引きで一生懸命勉強するよりも、「生活のなかに新しい言語を取り入れて、身体で、自然に覚えてしまう」感じ。

たぶん、言語習得にあたって、マルチリンガルとして自然な、頭脳の使い方をしているのだと思います。だから常にEffortless(努力しない、骨が折れない)だし、それでも成果が上がるのです。

 

いまの日本で、誰もがそれを真似できるとは思いません。脳の構造や使い方は一人ひとり違うし、各人が置かれている言語環境も違うからです。とはいえ、私たちマルチリンガルが、

・どのような枠組で、語学力というものを捉え、
・どのような態度で、言語習得に取り組み
・どのような方法、テクニックを使っているのか?

これは、外国語習得を目指す誰にとっても有益だと考えますので、今回、私の頭のなかにあるものを文章にしてみますね。

 

そもそも語学力とは、何か?マルチリンガル的に実践的に定義してみると、初歩からネイティブに近いレベルの習熟まで、それぞれ異なる数段階のレベルから構成されていると思います。

例えば、ある言語のネイティブとして育ち、成人し、その言語で社会生活を営んでいる人間の習熟度を100%とすると、

 

・「片言」レベル(習熟度=5%、語彙数50~100前後)

基本的な挨拶、1から100までの数字、物を買う、場所を聞く等々・・・「最低限のサバイバル会話力」。

 

・「使用」レベル(習熟度=30%、語彙数500~1000前後)

いくつかのバリエーションの会話ができる他、簡単な文章を読んで理解し、簡単なエッセイを文章にできる。時間がかかっても文字をタイピングできる、「家を借りる」、「請求書の内容を確認する」等のコミュニケーションが何とかできる等々…「社会生活する上での最低限の言語力」。

 

・「習得」レベル(習熟度=80%、語彙数5000~10000以上)

読解、作文、聴解、いずれにおいても大学等の専門的学問や職業がこなせるレベル。専門的な内容の理解、同僚・上司との協働、顧客・得意先との会話のキャッチボールができる等々・・・「仕事するのに十分なビジネスレベルの言語力」。

gogakulevel

 

でもって、各レベルに達するための典型的な学習方法ですが、

 

「片言レベル」に達するには、フレーズブックとか、Youtubeなどにアップされている基本的な語学教材を聴く程度で十分。教科書、辞書などは特に必要ない段階。

「使用レベル」に達するには、ある程度の語彙量のほか、文字も読めなくちゃならないし、文法・語法の理解も必要。教科書や辞書はほぼ不可欠になります。独学でもできますが、学校等に行ってネイティブの先生に習った方が効率良いでしょう。

「習得レベル」に達するには、その言語を日常的に使う仕事や専門学習など、「場数」がモノをいう世界になります。大学生、会社員、経営者など、自分自身がある社会的立場に立ち、それをわきまえて適切な言葉を使う「経験」が必要なので、座学での習得は難しいレベルになります。

 

上記のフレームワークでいうと、私の場合、`

習得レベル以上(仕事で使える)・・・日本語、英語、中国語の3言語

使用レベル以上・・・日本語、英語、中国語、韓国語、タイ語の5言語

 

私は、「使用レベル」を達成すれば、「~語ができる」と言って差支えないと考えますので、人々には「自分は5ヶ国語できる」とお伝えしています。今年後半には、現在学習中の「ベトナム語」も使用レベルになり、「6か国語できる」状態になるはずです。

mygogakulevel

 

私があと何年生きるか分かりませんが、平均寿命通り70~80年生きられて、かつ、ビジネスの上で、いろんな言語を学ぶ必要性に迫られれば、死ぬまでに「20か国語」くらいはできるようになると思います。少なくとも、今後数年、タイ語、ベトナム語以外の東南アジア言語、インドネシア語とかビルマ語とかクメール語とかは、多分「やらなきゃならない」と思うので、それだけで「10ヶ国語」はほぼ確定ですね。

ただ、私が明日にでも交通事故等で死ぬ可能性はゼロではないので、多言語学習の方法論やアプローチだけは、早めに皆さんにお伝えしなくちゃと思っています。

 

次回以降は、「各論編」を、3回にわけてお届けする予定です。お楽しみに。

各論編1)…「全くのゼロ」から、「片言」レベル(習熟度5%)まで、いかに学習するか?

各論編2)…「片言」レベルから、「使用」レベル(習熟度30%)まで、いかに学習するか?

各論編3)…「使用」レベルから、「習得」レベル(習熟度80%)まで、いかに学習するか?

 

各論編1)へ続く、

マルチリンガルになる方法‐各論編1)世界中の言葉をタダで学ぼう!

 

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ベトナム旅行記(2004年復刻版)~ハノイとハロン湾

おはようございます。Manachanです。

「永久保存したい旅行記」第三弾(多分、今回で打ち止め)。舞台は、2004年11月、オーストラリア・シドニー在住中に訪れた「ベトナム」…首都ハノイに入り、ハロン湾クルーズも含めて約1週間、ベトナム北部を堪能しました。

ベトナムは、日本から行くと近いし、直行便も多いですが、シドニーからだとバンコクやシンガポールを経由しなければならず、想像以上に遠かった。

でも、ベトナム等、アジアの国は米がベースの食生活だし、外見的にも現地に溶け込んでしまうので、ヨーロッパとは違った気楽さがあっていいですね~。旅行ならどこへも行くけど、住むならやっぱりアジアがいいな。

11年前に書いた旅行記を読んだ感想・・・当時のベトナムは、今のカンボジアやラオスに似てるような気がします。何となく。

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11月のはじめに一週間のお休みをいただいて、夫婦でベトナムに行ってきました。今回は短い旅程のため、首都ハノイとその周辺しか回りませんでしたが、素晴らしくエキサイティングで楽しい休日でした。 シドニーの自宅に戻ってわずか数日にして、すでにベトナムが恋しくなり、次回の旅行をどうしようか、考えてしまうほどです。 この国がよほど、気に入ったのでしょう。ベトナム最高!!

 

ベトナムへの道

ベトナム行きは、急遽決まりました。たった1週間の休暇なので、最初はオーストラリア国内のドライブ旅行しか考えていませんでした。順当にいってメルボルンやその近隣にあるグレート・オーシャンロード、できればアデレードまで足を伸ばせれば御の字と考えていました。ですが、昨今のオーストラリアは、とにかく物価が高い。毎日キャンプなら安くあがりますが、普通に飛行機乗ってレンタカー借りて、ホテルやモーテルに泊まって、ツアーに参加して・・・みたいな旅だと、どうしても高くついてしまう。例えば、妻の誕生日のお祝いに、シドニー名物・熱気球をやろうとしたら、一時間弱のフライトで料金が一人$270(22,000円)と言われて驚愕しました。妻は、「予想より2~3倍高い!」と言い、結局バースデイ熱気球フライトは中止になりました。

バブル期以降、日本人が国内旅行より安いという理由で海外旅行に流れ続けていますが、それと同様のことが、今オーストラリアで起きつつあります。宿泊費が高い、食事代が高い、アトラクション代が高い・・・旅費を概算してみると、「こんな大金をかけてまで、オーストラリア国内旅行する価値があるのだろうか?、「それよりも、東南アジアを旅した方が安上がりで楽しいのではないか?」と思えてきました。そこから、ベトナム行き、という選択肢が浮上してきたのです。

東南アジアの数ある国のなかで、なぜベトナムを選んだのか?それはやはり、食べ物が美味しそう♪という一点に尽きます。私も妻も、とにかくベトナム料理大好き。我が家の近くに、シドニー近郊の二大ベトナムタウンとよばれるカブラマッタ、バンクスタウンの街があるおかげで、外食ならベトめし!というほど、頻繁に食べに行きます。私などは、「(シドニーにある)ベトナム食堂のメニューが読めるようになりたい!」という一心から、コミュニティカレッジでベトナム語を習ったほどです。で、ベトナム本国に行けば、シドニーで食べるよりも伝統的でホンモノの料理を味わえると思うと、唾液がにわかに分泌されてきました。その食い意地が、ベトナム行きの決断を後押ししたのです。

ところで、旅の準備は慌しかったです。ベトナム行きの方針が固まったのは、出発日のわずか8日前。で、その直後に、ベトナム入国には観光ビザが必要という事実が判明しました。より詳しくいうと、日本パスポートを持つ私はビザ免除ですが、豪州パスポートを持つ妻にはビザが必要だったのです。思えば、一昨年のヨーロッパ旅行の際も、チェコ共和国入国にあたって、私はビザ免除なのに妻にだけビザを課せられたこともありました。私は改めて日本パスポートの威力を実感するしました、一方妻は、どうして毎回毎回、私だけビザ取らなくちゃいけないのよ?とブツブツいいながら、ベトナム領事館に向かいました。そんな彼女にめでたくビザが下りたのは、出発2日前のことでした。

その間、ロンリープラネット(英文の旅行ガイド)を図書館から借りてきて、旅行プランを練りました。今回は旅程が短く、行き帰りのフライトの都合上ベトナム国内に5~6泊しか滞在できないことが分かりました。本来ならベトナムを南から北まで縦断したかったのですが、この国はなかなか広大で、北部の大都市ハノイから南部の大都市サイゴン(ホーチミン市)まで1700km以上あり、移動時間もバカにならない・・・それを考えると、あまり動き回らず、一ヶ所に長く滞在した方がよさそうだ、という結論に至りました。

となると実質的に、ハノイを拠点にするか、サイゴンを拠点にするか、の二者択一になります。ここで少し補足説明しますと、ハノイはベトナムの首都で、かつ北部ベトナllムの中心地です。政治・文化都市の色彩が強く、人口は350万人。ベトナム歴代王朝の都が置かれた土地で名所旧跡が多い上に、19世紀のフランス統治時代の影響を大きく受けたために建築物にも見るべきものがあります。ハノイ市内は緑が豊富で、湖が多数点在し、「アジアのパリ」と称される美しく優雅な都だそうです。一方、南部ベトナムの中心地サイゴンは、人口550万を擁するベトナム最大の都市で、かつ経済の中心地。いまベトナムで一番近代化とアメリカナイズが進んだエネルギッシュな大都会だそうです。ハノイとサイゴンの関係は、中国における北京と上海のそれに似ているかもしれません。

サイゴンもハノイも、どちらも魅力的で是非訪れたい街なのですが、二者択一を迫られた私は、結局ハノイを選びました。サイゴンは基本的に、バンコクや上海、ソウルや台北などと似て、「どこにでもあるアジアの大都会」という感じがしたのに対し、ハノイの存在はアジアのなかでもユニークだと思ったからです。湖が点在する緑豊かな都市で、かつベトナム・中国・フランスの文化が融合した都市というのは、アジアでは他にちょっと思い当たりません。ハノイには、他都市では味わえない独特の景観、雰囲気がありそうで、そう考えると、もう行ってみるっきゃない!という気になりました。

そんなわけで、ハノイ行きを決めた私たちはバックパックに荷物を詰め、10月30日(土)、シドニーの空港を発ち、機上の人となりました。

 

今回の旅行ルート   

10/30(土) シドニー→バンコク(泊)
10/31(日) バンコク→ハノイ(泊)
11/1(月)  ハノイ泊
11/2(火)  ハノイ→ハロン湾クルーズ→カトバ島(泊)
11/3(水)  カトバ島→ハノイ(泊)
11/4(木)  ハノイ泊
11/5(金)  ハノイ→シンガポール(泊)
11/6(土)  シンガポール→(機中泊)→
11/7(日)  シドニー着

ハノイへの道は、遠かった・・・シドニーからハノイまで行く直行便がないため、バンコク、香港、シンガポールいずれかの空港を経由しなければなりません。その上、本数が非常に少ない。この三都市の中で一番便利の良いバンコク経由でさえ、ハノイ便は一日二本しかありません。シンガポール経由に至っては、一日一便でしかも毎日運航でさえない、という有様。一国の首都なのにこれだけ国際航空便が少ない都市は、今どき珍しいかもしれません。

接続の都合上、私たちは行きはバンコク経由、帰りはシンガポール経由のフライトを選びました。この両都市にそれぞれ一泊し、しかも帰りのフライトは機中泊だったため、全8日の行程のうちベトナム国内には結局5泊しかできませんでした。私たちがベトナム国内で訪れた土地もハノイとその周辺(ハロン湾、カトバ島)だけです。ですが、本当に行ってよかったです。ハノイ、そしてベトナムは、期待を全く裏切りませんでした。素晴らしくエキサイティングで楽しい、この世のワンダーランドでした。ベトナムの人々、食べ物、建物、街の喧騒、太陽と海・・・それら全てが私たちの五感を快く刺激し、楽しい休日を約束してくれました。

では、私がこれまで訪れた第23番目の国、ベトナムとはどんな国だったのでしょう?たった六日間の滞在でこの国が分かるわけはないですけど、私が面白いと感じたことを、つらつら書いてみますね。

hanoi03

36 Streets region, Hanoi

hanoi01

 

ベトナム人は日本人のルーツ?

私からみて、ベトナムの人々は異国の民に違いないんでしょうけど、彼らを見ていると、どうしても他人とは思えないほど、強い親しみが湧いてきます。日本とベトナムは地理的に遠く離れ、言語も歴史も全然違うけれど、文化の底流とか、遺伝子のレベルでつながっているような気がするのです。ベトナム人が日本人を見たときも、似たような親近感を覚えるのかもしれません。

まず、ベトナム人、特にハノイ周辺の人々は、外見的特徴が日本人と非常によく似ています。特に男性に関しては、細部のディテールに至るまで完璧に日本人の顔、という人が少なくありません。今回の短い滞在の間だけでも、現地で会ったベトナム人のなかで、どう見ても私の学生時代の友人や幼馴染みにそっくり、というかほとんど同じ顔の人を何人も見ました。私は彼らに、「木村くん」とか「藤代くん」みたいな、日本人の知り合いの名をつけて、彼らと挨拶した時、その名前がノドまで出かかったこともありました。そのほか、「どうみてもヤワラちゃん(=柔道の谷亮子選手)にしか見えない女性」や、「シティハンター(漫画)の主人公・冴場遼そのものの顔をした男性」もいました。

私自身も旅行中、現地のベトナム人から、「お前はベトナム人に違いない!」と何度も言われました。「私はベトナム人ではない。日本人だ」と言っても、にわかに信じてもらえないこともありました。私のベトナム語会話能力は片言以下ですが、おそらく、幼い時に海外に移住したベトナム人同胞だと思われたのでしょう。

外見もさることながら、私がベトナム人に親近感を覚えるのは、彼らの文化的特徴や社会生活が日本人のそれと共通点が多いからでしょう。例えば、私が気づいた点をいくつか挙げてみますと・・・

 

いつも誰かと一緒

ベトナム人に個人主義という言葉は似合いません。彼らは大人も子供も、四六時中、常に誰かと一緒にいて、一人っきりになることがまずありません。

ベトナムには、集団でやるアクティビティが非常に多い。朝早く、ハノイの中心地にあるホアンキエム湖のほとりを歩くと、何十人、何百人で行われる集団体操、集団太極拳、集団ウォーキングの類にいくらでも出会えます。また、小中学生が20~30人単位の大規模な集団登下校をしている風景もよく見かけます。その点大人も全く同じで、どの商店やホテルでも大勢の人が働いていているから一人でいることは滅多にないし、街行く人を見ても、男性と男性、男性と女性、女性と女性という組み合わせに関わらず、必ず2人以上で常にくっついて歩いています。

ベトナム人が一人っきりになるのは、シクロ(自転車タクシー)の運転手とか、天秤棒を抱えて野菜を売り歩くおばちゃんとか、バイク運転中の通勤者くらいでしょうか。そもそも、ベトナム人が一人になること自体、すごく不自然な感じさえしてしまいます。

ベトナム人は東南アジアの中でも手先が器用で頭が良いことで知られています。ま、アジア人というのは全般的に細かい作業が得意な民族が多いんですが、ベトナムもその例外ではありません、というか、ある意味彼らはかなりスゴイと思いました。ハノイの街を歩いているだけで、ベトナムのお家芸ともいえる匠の技、超絶技巧の類にいくらでも出会うことができます。

特にスゴイのが、刺繍細工(Embroidery)です。例えばこのサイトを見るとよく分かりますが、シルクやコットンの布にいろんな色の糸を一本一本通していく、その地道な作業の途方もない積み重ねによって、彼らはバッグからサイフから、風景画・人物画に至るまで、何でもつくってしまいます。特にベトナム刺繍画というのは一種の芸術にまでなっていて、優秀な芸術家の作品などは、一見して刺繍だと分からないほどです。そういう作品には、何千米ドルや、それ以上の値がつくこともあります。私たちの買ったものは、一枚2~3米ドルの安いものですが、それでも、十分鑑賞にたえうるものです。話によれば、A3サイズぐらいの作品一枚に約2ヶ月費やすとのこと、スゴイ・・・

あと、匠の技といえば、長い歴史を持つベトナムの伝統芸術・水上人形劇(Roi Ngoc)も見逃せません。ベトナム、紅河デルタの農民たちの民間芸能として発達した水上人形劇は、後年ベトナム歴代王朝の宮廷芸術として洗練度を高めてきました(詳しくはこちら)。私たちもハノイで公演を見てきましたが、とにかくこれがスゴイ。人形のリズミカルで微妙な動き、水中に仕掛けられたカラクリの数々といい、何という熟練、習熟、超絶技巧・・・おおよそ人間ワザとは思えないワザがそこにはありました。

その他、菅笠、民族衣装、彫刻品、仏具など、本当に手間のかかった民芸品の数々が、ハノイの路上にふんだんに存在していて、お土産探しには絶対困りません。

 

凄まじい暗算能力

ベトナム人は、数字に強いことで知られていますが、その言葉に全く偽り・誇張はありませんでした。ベトナムの商人、特に外国人相手に商売をして外貨を稼ぐ人たちは、いつも計算機を片手に、ソロバン勘定に余念がありません。が、私からみると、計算機を使う必要など全くないと思われることもしばしば。それは彼らが、2ケタ×5ケタの暗算など平気でやってしまうからです。

いまベトナムでは、国の発行する通貨ドン(Dong)のほか、米ドルも広く流通していて、ホテルや土産物屋の料金はドン建てよりも米ドル建てが一般的です。現在の為替レートは、1米ドル=15,000ドンです(1ドンは、1円の140分の1でしかない!)。したがってベトナムで商売するには、ドンと米ドルとの換算に習熟している必要があるわけですが、そこでベトナム人の凄まじい暗算能力が、如何なく発揮されることになります。彼らは、例えば「70米ドルの真珠のブローチが何ドンになるか?」という計算、つまり、

70米ドル×15,000=1,050,000ドン

これを、暗算で即座に算出してしまうのです。ゼロがたくさんついていますが、ケタもまず間違えません。何と言う暗算能力! 私は、彼らがなぜこういう芸当ができるのか、少し考えてみました。ベトナム語の数字は、西欧言語と同じく、千のケタごとに繰り上がるシステム(Thousand、Million、Billion・・・)ですが、彼らは暗黙のうちにこのシステムを使って、千のケタ以降の計算を省略しているのかと思いました。すなわち、

70×15千=1,050千

こう考えれば、「70×15」という、2ケタ×2ケタの計算で済みます。ですがそれにしても、2ケタ×2ケタの暗算だって十分難しいはず。「九九の掛け算」だって、1ケタ×1ケタなんですから・・・ベトナム人、特に商人が数字に強いというのは、間違いないところのようです。

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アジアNo.1の美人国に偽りなし

私自身は含め、男性の読者諸賢にとって、一番興味あるのはこのテーマかもしれません。アジアで一番、女性の美しい国はベトナムであるという話を、世界のあちこちで耳にします。たとえば最近、香港男性に対象に、「アジア一の美人国はどこか?」というアンケートを行ったところ、一番人気に輝いたのはベトナムだったという話もありますし、また、かつてベトナムを支配した宗主国フランスは、ベトナムの熱帯気候や劣悪な衛生、疫病に終始悩まされたそうですが、それでも、ベトナム女性の美しさに関してだけは称賛を惜しまなかったという「伝説」さえあります。

ベトナム女性はそこまで美しいのか?今回行ってみた感想は、「さすがに、そう言われるだけのことはある」・・・もちろん、美人の基準なんて個人によって全然違うわけですが、個々の要素を挙げていけば、「東南アジアの他の国(タイなど)と比べて色白の女性が多い」、「スタイルと姿勢が良い」、「肌がきれい」、「さらりと伸びた黒髪がきれい」という感じで、少なくとも、「日本人男性好みの女性の宝庫」というのは、まず間違いないところでしょう。そういう目でみると、彼女たちの平均的なルックスのレベルはものすごく高いというのが私の実感で、「アジア一の美人国」の看板に偽りはないと思いました。

ですが、平均点がものすごく高い反面、「傑出した超美人はほとんどいない」とも思いました。ここで、「超美人」というのは、男性をして、一瞬にして理性を失わせてしまう(身体が自然に反応してしまい、抑制が効かなくなる!)レベルの美しさのことで、この種の女性には、幸か不幸か私もほとんどめぐり合ったことがないのですが、アジアでいえば、例えばフィリピンにそういう女性が多いと思います。フィリピンは、(あくまで私の価値観ですが)平均したレベルでは決して美人国とはいえないものの、この国、特に特にビサヤ諸島の島々を旅していると、時々、ドキッとするようなすごい美女に出会い、全身金縛りにあったりします。

 

ベトナムの食:繊細な味覚に脱帽!

さて、美女の話はこれくらいにして・・・私の得意分野「食べ物」の話に移りますね。

ベトナムの路上には、いつも「食」があふれています。大衆食堂、屋台、市場、レストラン、カフェ・・・いろんな種類の食べ物屋が至るところにあって、「腹が減った」と思ったら、3分と歩かずに何らかの食べ物にありつけるのがベトナム。四六時中、誰かが美味しそうにモノを食べているのがベトナム。いい国です♪

一言でベトナム料理といっても、北から南までバリエーションが非常に豊かで奥深いのですが、あえて一言でいうと、米食を基本とした料理体系、食材の種類の豊富さと、マイルドな味付けが、その特徴と言って良いでしょう。極端な辛さ、甘さ、塩辛さといったものがなく、米・魚ベースの料理で油っぽくもないので、日本人の口にもよく合います。特に多彩な食材は特筆モノで、熱帯湿潤気候の恩恵を受けてシーフード、フルーツ、野菜とも非常に豊富なうえ、蛙でも、犬でも、亀でも、蛇でも何でも食べるベトナム人の胃袋の貪欲さのおかげで、ちょっとしたレストランではメニューが何百種類という、ものすごいことになっています。

私たちはベトナムで、ゴージャスな料理から、路上の屋台や大衆食堂の質素なものから、いろんなものを食べました。ゴージャスな食べ物の代表選手といえば、ハロン湾のクルーズの途中で、近くを通りかかった漁師さんからカニ、エビ、ハマグリを直接買いつけて、クルーズ船の厨房の人に頼んでビール煮にしてもらったことです。とにかく、これ以上は望みようのない新鮮さのうえ、すごい肉厚でカニミソも絶品、我が人生の中でも五本の指に入る、究極のゼイタクの一つでした。それでも値段は一人たったの5万ドン(350円)!

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でも、よりベトナムらしい食は街の安食堂にあふれていました。この種の店はとにかく質素でシンプル、メニューも2~3種類あればいい方で、子供から高校生、お年よりまで、いろんな人がファストフード感覚で食べにきていました。もちろん英語など通じるはずがなく、おまけにメニュー名も、値段さえも書いてないので、身振り手振りを交えて注文するしかありませんでしたが、こういう店で食べるものは本当に美味しいし、そのうえ値段もウソみたいに安い。下の写真のメニューでいえば、カニ麺が8000ドン(56円)で豚足カレーが10000ドン(70円)・・・ベトナムに来て良かった。いや、生きてて良かった!!

ベトナム料理の良さは、食材一つ一つの風味と食感が生きていて、そのまま味わっても十分美味しいことです。例えば、下のカニ麺でいえば、カニミソ、油揚げ、トマト、フィッシュケーキ・・・そのまま食べても十分いける上に、カニ麺全体としても味のバランスが実によく取れていて、美味しい。食べた後とてもトクした気分になります。つくづく、ベトナム人の繊細な味覚と料理文化は、大したものだと思います。

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もう一つ、ベトナムの食文化で興味深い点は、かつての宗主国フランスの影響を受けて、パン食文化、ケーキ文化が根付いていることです。パン食といっても、もちろんサンドイッチやマフィンではなく、完全にフランスパン(バゲット)の文化です。この国の朝の食卓には、フォー(ベトナム麺)と並んでフランスパンが並ぶ事が多く、フランスパンの屋台まで出ます。そういう店では、フランス風にバターとパテ(鶏の肝臓)を挟むこともあれば、ベトナム風にチャーシューやネギを挟むこともあり、一枚4000ドン(28円)前後で食べられます。

またベトナムの都市には、アジアの他の国と比べて、ベーカリーの類がたくさんあります。その種の店では、エクレアとかカップケーキ、チョコレートケーキの類がたくさん売っていて、若い女性でいつも賑わっていました。ケーキの値段は一つ2000~5000ドン(14~35円)が相場でした。

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ウンコ座りは正統派の座り方

ベトナムの人々は、四六時中、路上でモノを食べていました。が、歩きながら食べている人にはまずお目にかかれませんでした。では、彼らがどうやってモノを食べるかというと、座りながら、それもウンコ座りしながら食べているのです。

日本でウンコ座りというと、ヤンキーのお兄さんたちの専売特許というイメージがありますが、ベトナムでは老いも若きも、男性も女性も、みんなウンコ座りが基本です。モノを食べる時も、日陰で涼をとる時も、友人とムダ話をする時も、いつもウンコ座り。それだけに、彼らのウンコ座りは実に年季が入っています。まるで地面に根が生えたような安定感があり、見ていて頼もしくなります。

私も彼らにならってやってみましたが、これがなかなか難しい。椅子、ソファに慣れた生活だと、ウンコ座りに必要な筋肉が鍛えられないようです。私の子供の頃はまだ落とし便所(ボットン便所)があったからああいう座り方もしていましたが、今は全部腰掛け式の水洗便所だもんなあ。

 

ハノイ流モータリゼーション

ハノイは人口350万を数える大都会ですので、当然、郊外から都心部の職場に働きにくる人々の通勤・帰宅ラッシュがあります。ところが、この都市には公共交通らしきものがほとんど見当たらない。地下鉄や路面電車なんてないし、ましてやマイカーなどほとんど皆無。唯一の頼みの綱であるバスでさえも、路線が広い市内を全然網羅おらず、不便極まりない。では、ハノイの人々がどうやって通勤・通学しているかというと、もっぱらバイクと自転車なんですよね。私の見た限り、ハノイの通勤手段はバイク7割、自転車3割といったところでした。

ハノイの交通は、基本的に無秩序とカオスの世界。横断歩道があっても誰も気にしてないし、歩行者が狭い幅の道路を横断するのも、左右から雲霞のごとく現れてくるバイクに気をつけながらの横断なので、ものすごく神経を使います。とはいえ、スピードが遅いので、生命の危険を感じるほどではありませんが、でもハノイの各地で、毎日のように歩行者がバイクにぶつけられてケガしたりしてるんだろうな、たぶん。

ハノイの街路はとても狭い。そこに今でさえバイクで大混雑の状態なのに、今後ベトナムが経済的に豊かになって、マイカーを持つ人が増えたら、この街の交通事情はどうなるんだろうと、他人事ながら心配してしまいました。

ベトナム人は基本的にきれい好きなようで、街を歩くと家や店のまわりをこまめに掃除する人の姿が目立ちます。では、そうやって集められたゴミがどのように処理されるかというと、どうやら、道路脇で野焼きされるようです。

私はハノイからハイフォン(ベトナム第三の都市)へ向かう一級高速道路の脇で、ゴミ野焼きの現場をいくつも見ました。道路脇にちょっとしたスペースがあるのですが、そこに生ゴミからプラスチックから一緒くたにして、おもむろに火をつけて燃やすのです。野焼きの現場からは白っぽい煙が立ちのぼり、遠くから見ても分かります。

そういえば、ベトナム入国の窓口、ハノイのノイバイ国際空港でも、どこからか、何かを燃やしているような匂いが漂ってきましたが、あれはもしかして、ゴミ野焼きの匂いだったのかもしれません。

 

瀟洒なフランス風住宅、でもウナギの寝床

ハノイ滞在の楽しみの一つに、フランス風の建築物めぐりがあります。この都市には、かつての植民地時代、フランス人が残していった数々の教会や住宅が数多く残り、我々旅行者の目を楽しませてくれます。その意味でこの街が、アジアのパリと呼ばれるのも、何となく分かるような気がします。

現代ベトナム人のお金持ちの間でも、フランス風の住宅を建てるのが流行っているようで、特に西湖(ハノイ最大の湖)のほとりには、西洋文化の香りのする瀟洒な住宅が建ち並んでいます。私たちが泊まったホテルもフランス風の造りで、天井がすごく高くて(約3m)、バルコニー付きで気持ちよかったです。

面白いことに、ハノイにあるフランス風の住宅は、間口が狭くて奥行きがやたら長い、所謂ウナギの寝床になっているものが多く、まるで京都の町家のようです。ベトナム人にそのわけを聞くと、以前、間口の広さに応じて課税された時代があったので、節税対策としてわざと間口を狭くしたんだそうです。その点も、京都と同じでなんですねえ。

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ケイタイ、ネットカフェ文化花盛り、でも固定電話がない

いまベトナムは、一人あたりのGDPで国際比較すれば、世界でも最貧国の部類に入るんだそうです。ですが、ハノイのような都会を歩いている限り、最貧国という実感が全く湧いてきません。確かに、人々は朝から晩まで必死に働いて、それでも雀の涙ほどの収入しか得られないのかもしれないけど、でも飢えている人は見かけなかったし、それに乞食の類が非常に少ない。ボロボロの衣服をまとっている人もほとんどいません

ハノイの豊かさは、携帯電話とネットカフェの普及ぶりからも窺い知ることができます。とにかく、携帯を持っている人がかなり多く、ショッピングセンターでも、ソニーやサムソン製の携帯電話が、かなりの売れ筋になっているそうです。それに、街の至るところにかなりの密度でネットカフェがあり、観光客だけでなくベトナム人の大学生などもよく利用しているようです。料金は激安で、1時間わずか3000ドン(21円)!ADSL回線を使っているようで、ネットサーフィンも快適。私の隣りに座っていた奴がすごいハードコアなポルノサイトを見ていたのにはさすがに閉口したけど・・・

面白いことにベトナムでは、携帯電話やインターネットに比べて固定電話の普及がかなり遅れているようです。一般家庭で固定電話を持ってる人がほとんどいないらしく、そのためハノイの街中で、Dian Thoaiという、固定電話を貸す商売が行われています。電話をかけたい人は、Dian Thoaiでお金を払って電話を使わせてもらうか、公衆電話ボックスを使うかの二者択一を迫られるようです。

 

歓迎!シドニーご一行様

ベトナムの首都ハノイが、海外から観光客を受け入れるようになってからまだ日は浅いですが、この都市の観光価値は非常に高く、今では世界各地から観光客が来るようになっています。

ハノイやハロン湾クルーズでは、日本、韓国、中国など、アジアの近隣諸国から来た観光客をたくさん見かけました。彼らの多くは観光バスを仕立てて、ずっと同国人のグループと集団行動、というスタイルの旅行をしていました。一方、私たちはホテルもツアーも自分で手配、という自由旅行スタイルでしたが、その種の旅行をしていたのはほとんどが西洋人で、しかも面白いことにオーストラリア、特にシドニーからの観光客が非常に多かったです。特に、私たちの参加したクルーズ船では我々も含めて12名中6名がオーストラリアの観光客で、うち4名がシドニー在住という、さながら、「歓迎・シドニーご一行様」の様相を呈していました。

オーストラリアはベトナムと比較的近く、時差も少なく、シドニーやメルボルンではベトナム出身の移民がたくさん暮らしています。加えて、最近同国の新聞雑誌には、ベトナム観光の紹介記事がたくさん登場するようになりました。豪州発のベトナム旅行は、今後ますますポピュラーになってくることでしょう。

 

韓国の進出ラッシュ

ベトナムは政治体制こそ社会主義ですが、近年は隣接する大国・中国をモデルに経済開放政策を続けており、外国資本がたくさん進出するようになりました。その恩恵(と弊害)を真っ先に受けたのが南部ベトナムのサイゴンとその周辺で、それに比べてハノイと北部ベトナムは出遅れていましたが、最近では急速にキャッチアップしつつあるようです。ハノイとハイフォンを結ぶ約100kmの国道沿いは、驚くほど工場だらけ。さながら、ベトナム版東海道ベルト地帯のようでした。

中でも目を引くのが、韓国企業の進出ぶりです。ハノイ~ハイフォン間にある工場の3分の1は韓国資本なのではないかと思えるほどで、道中、ハングル文字があふれていました。また、ベトナムを走る観光バスやタクシーの多くは現代、大宇など韓国メーカー製でしたし、またホテルの設備も、空調設備や冷蔵庫は韓国LG製ばっかりでした。おそらく、韓国メーカーがベトナム国内で生産したものを使っているのでしょう。

韓国企業の進出ラッシュに伴い、ベトナム人のあいだで韓国語学習熱というのも起こっているようです。大学生のたくさんいるエリアの書店をのぞいてみると、外国語教材のコーナーで一番目立つのはもちろん英語で、次いで中国語と日本語の教材も多かったですが、韓国語の教材や辞書もそれに劣らず多く、ハノイにおける韓国の快進撃ぶりを裏付けました。ですがベトナム人の足、バイクに関しては、今も昔もMade in Japanが大人気なんだそうです。

 

最後に・ハロン湾クルーズ

最後に、北部ベトナム観光のハイライトともいえる、ハロン湾クルーズについて解説して、締めくくりたいと思います。

ハロン湾(Vinh Ha Long)は、ハノイの東160km、中国との国境近くにある景勝地です。日本でいえば瀬戸内海や松島に似た、リアス式の沈降海岸になっていて、何千もの島(多くは無人島)が海から突き出し、まるで水墨画のような幻想的な風景が延々と続きます。その海域を中国伝来のジャンク船を使ってクルーズする、というのが、ハロン湾観光の目玉になっています。

ハロン湾へ行くには、ハノイ市内の旧市街(Old Quarter)にゴマンとある旅行代理店が主催するツアーに参加するのが一般的です。ツアーは、一泊二日コースと二泊三日コースがあり、宿泊地も海上(船をホテルにして、そこで寝る!)か、或いはカトバ島(Cat Ba Island)のホテルか、いずれかを選べます。料金は一泊二日コースの場合、ホテル代、食事代、バス代、ガイド代全て込みで一人あたり25~70米ドルです。私たちは一人33ドルのツアーにしましたが、とても良かったです。

一般的な行程は、まずハノイを朝7~8時に出発し、3~4時間バスに揺られて、ハロン湾の玄関口であるハロン市に到着。そこで昼食を摂り、お目当てのジャンク船に乗り込み、いよいよクルーズが始まります。ジャンク船は多島海をすべるようにゆっくり進み、途中、湾内に無数にある洞窟を探検するのが、定番のお楽しみになっています。私たちはSung Sot洞窟を見学しましたが、とても規模が大きく、幻想的な景色が楽しめて、良かったです。

それから、ツアーの内容によって、カヤックをやったり海水浴をしたり、あるいはホテルのあるカトバ島に直行したりします。私たちは湾内で一泳ぎしたあと、カトバ島に直行しましたが、ここは幸いにして、まだまだ俗化されていない閑静な漁村で、心からのんびりできました。カトバ島に入る直前に、水上生活をする漁民たちによる大きな集落を通ります。色とりどりの小屋(船)が延々と建ち並ぶ風景は、この世のものとは思えませんでした・・・

今度休暇がとれたら、またベトナムに行きたいです。この国は、楽しすぎる。

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イタリア旅行記(2002年復刻版)~ローマ、ナポリ、ソレント

こんばんは、Manachanです。

「永久保存したい旅行記」第二弾の舞台は、2002年4月に訪れた「イタリア」。ローマから入り、南下してナポリとソレントを訪れ、悠久の歴史と地中海を満喫してきました。

あの旅では、オーストリア、チェコ、イタリア、スペイン、フランスと、5ヶ国を回ったのですが、「チェコ」と「イタリア」の印象が強烈すぎて、好対照すぎて…ヨーロッパを再訪する機会があれば、たぶん「チェコ」と「イタリア」を選ぶと思います。

イタリア、といってもローマから南側しか行ってませんが、その印象を一言でいうと、「声がデカい」、「都市計画と交通ルールめちゃくちゃ」、「観光ネタありすぎ」、「メシが超絶うまい!」。

良くも悪くも、キャラ立ちした、個性的すぎるお国柄が、人々の心をわしづかみにするのです。また行きたいなあ~。

 

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ローマへの道
プラハ・ルズィニェ空港のターミナルは、全館ライトブルーの色調で統一された大変モダンな建物でした。館内には免税店も多く、世界各国のブランド品が勢揃いして、少なくとも隣国オーストリアの、ウィーン国際空港よりずっと近代的でした。今世紀初頭にヨーロッパ先進国の仲間入りを目指す、また中欧随一の観光立国を目指す新生チェコ国家の意気込みを感じさせる建物、といえましょう。

我々がここから旅立つ、行き先はイタリアの首都・ローマです。我々が乗る小型のエアバス機はアリタリア航空とチェコ航空の共同運行便で、見たところ乗客のほとんどはイタリア人観光客でした。イタリア人とチェコ人を区別するもの・・・それは何といっても「声」です。おそらくヨーロッパで一番寡黙な国民・チェコ人と、一番騒々しい国民・イタリア人、その対比はすさまじいものがあります。

おおよそイタリア人が2人集まれば、「ガッハッハ」の笑い声がとめどなく溢れ出る、男性も女性も実によく通る声(食べてるものが違うんだろうか??)で、「マンジャーレ」、「カンターレ」など、実にアクの強い言葉で談笑する、そんな声が何百人分も重なりあうと、狭い機内に「やまびこ」現象が起こり、ぐわーんという振動が耳元を襲う。「この飛行機、ひょっとすると機内の騒音で墜落しちゃうんじゃなかろうか」と一瞬心配してしまうほどの騒々しさ。でも、それがイタリア行きの旅情を、いやが上にも盛り上げてくれます。

4月17日、12時20分にプラハを無事離陸した飛行機。我々の眼下に広がるのは、控えめな陽光と薄青色の空の下、緑色にうねるチェコの丘陵地帯です(秋には黄金色に染まるのでしょう)。伸びやかな、北海道的な風景です。当機はチェコを出発し、オーストリアとクロアチア領内を横切り、アドリア海を越え、イタリア半島を横断し、ローマまで行きます。このように書くと大層な長旅のように感じますが、その距離はわずか1100km、札幌~大阪間に相当するに過ぎません。わずか1時間半の空の旅です。

気がつくと、我々はすでにイタリア上空を飛んでいました。飛行機は徐々に高度を下げ、空港近くの農村風景を見せてくれました。まばゆい陽光、濃い緑、オレンジの果樹園・・・それは明らかに南国のものでした。イタリア・・・とてつもない国です。2000年以上前からローマの古代文明がこの地に栄え、ルネサンスもこの地に花開き、一国だけで全世界の文化遺産の約40%を保有し、世界史上の偉人を他のどの国よりも多く輩出し、今日でもローマ・カトリック総本山として、建築・ファッションの中心地として、またグルメやサッカ-の国として、全世界を魅了し続けるイタリア。ヨーロッパを旅するなら、その訪問地として絶対にはずせない国・イタリアに、我々は間もなく最初の一歩をしるします。

ローマ・フィウミチーノ空港は、大観光地イタリアの玄関口にふさわしい、巨大な近代空港でした。Stazione、Uscita、Vietato Fumare・・・イタリア語の表示が、旅情を盛りたてます。でも、それよりもイタリアを感じさせてくれたのが、観光案内所のスタッフでした。そこには、イタリア全土に数百万人いるとされるガッハッハ系のおじさん1名と、彫刻のモデルみたいな顔をしたお姉さん2名がいて、頼まれもしないのに皆よくしゃべるよくしゃべる。例えば私が名前を聞かれて、「スズキ、S-U-Z-U-K-I」とスペルを答えようとしたら、「大丈夫、スズキは有名な名前、皆スペル知ってるよガッハッハ」。私がパスタの美味しいレストランを聞くと、「大丈夫、イタリアはどこでもパスタが美味い。パスタならイタリアに任せとけガッハッハ」・・・万事こんな感じで、ガッハッハおやじのペースにすっかりはまってしまった我々は、ローマの宿もシャトルバスも、全ていいように手配されてしまいました(結果的にはそれでよかったんですけどね)。

 

ここは第三世界?

空港からシャトルバスに乗り込み、いよいよローマ市内に入る。ローマという都市は狭い地域に人家がぎゅーっと密集している上に、都心部のかなりの面積が遺跡として保存されているため、その住宅事情はお世辞にも恵まれているとは言えません。ウサギ小屋と揶揄される国で育った私の目にも、ローマ庶民の住宅は貧弱に映ります。建物は概して古く、屋上にはアンテナが無秩序に建てられ(すごいタコ足配線!)、バルコニーもない家が目立つ・・・東京の下町、北千住や竹ノ塚あたりによくある昭和30年代に建てられた安普請の低層マンションと言えば、当たらずとも遠からずでしょう。もっとも、大金持ちはすごい邸宅に住んでいるんでしょうけどね。

住宅事情以上に、我々を驚かせたのが交通事情です。特にローマ中心部の交通はすさまじい「混沌の極致」。ただでさえ狭い車道は路上駐車の嵐(いいのか?)、残ったスペースにクルマと巨大なバスがびっしり充満し、オートバイがその間を縫って駆けめぐる。ドライバーがまたすごい。運転はめちゃくちゃ荒っぽいし、市内だというのにスピードはガンガン出さないと気が済まないし、そのうえ事あるごとに(事がなくても)クラクションを鳴らしまくる。その騒音と排気ガスたるや、ひどいの一言。もちろん東京・大阪の比ではありません。

ローマの交通事情のひどさを一番痛感するのは歩行者になった時です。ここは天下の大観光地、全世界から毎日何万人もの旅行者が訪れて歩く町のはずなのに、都市計画自体が歩行者の便宜をほとんど考えてないのでは、と思わざるを得ません(遺跡だらけの町だから都市計画のつくりようがない、という話もある)。

だいたい、交通量の割に信号が圧倒的に少ない。そこで歩行者は車道を渡らざるを得ないわけですが、これがはっきり言って命がけなんです。ドライバーは歩行者を見ても減速してくれるわけじゃないし、クルマの物陰からいつオートバイが出てくるか分からない。もう半端じゃなくおっかないです。私は憤慨のあまり、思わず、「これまで何人もの旅行者が、交通事故で死んでるはずだ」と言ったほどです(でも、イタリア人ドライバーの素晴らしいテクニックのおかげで、死者は出てないのかもね)。

我々が今回の旅で訪れたのはウィーンとプラハ、どちらも散策の楽しい町です。対してローマは、散策に適した町とはお世辞にもいえません。交通地獄の車道のすぐそばに狭い歩道があって、そこを旅行者がすずなりになって歩かなきゃならない。加えて、犬の糞害もすごい。排気ガスのもやの中、前後の歩行者とフンに気を付けながら歩くのが、楽しいわけはありません。ローマには市内を貫いてテベレ川が流れているのですが、その川べりも歩けたものじゃありませんでした。立小便がすごく、それが南国の陽光で発酵してすさまじい臭気を発していたからです(だから、こんな所だれも歩いていません)。これに比べると、パリのセーヌ川、プラハのヴルタヴァ川沿いの散歩の、なんと楽しいことか。

ローマに着いて一日目の夕方、ミラノで航空機が高層ビルに突っ込んで、「すわ、無差別テロか」と騒がれた、あの事件が起こりました。私はその時ホテルでTVを見ていて、9・11を思わせるショッキングな画像を、イタリア語の解説(何言ってるか全然分からない)をBGMにしながら凝視していましたが、事件以上に私の目をひいたのは、アメリカやオーストラリアの都市と見まがうような、ミラノの堂々とした近代都市のたたずまいでした。私はいまローマの第三世界チックな風景の中にいるだけに、「同じ国なのにえらい違いだよなあ」と溜息が出ました。実際、ここローマからさらに南方のナポリに行けば、風景がさらに第三世界的、アフリカ的になるのです。私は、こんな所からも、イタリアの底知れない奥深さを感じました。

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廃墟の町

このすさまじい交通事情ですから、私はホテルに着いた後、正直言って歩いて観光するのが億劫になりました。でも折角ここまで来たんだし、目と鼻の先にコロッセオやトレヴィの泉があるわけですから、見ないわけにはいかない。それに腹も減ってきたから、イタリアの誇るパスタやピザを食わない手はない・・・というわけで、重い腰をあげました。

私たちの泊まったホテル・プリシラ(Via Calabria, 17 – 00187 Roma, TEL: 06 4817180。一泊92ユーロ、正直言って可もなく不可もなく、でした)は、テルミニ駅から北へ歩いて15分ほど、大使館や超高級ホテルが集まる、閑静な一角にあります(注.ローマにしては閑静、ということです)。そこからテルミニ駅を経て、コロッセオやフォロ・ロマーノがある、遺跡集中地域までの歩いて30分余の道のりは、慣れない旅行者にとっては確かにハードででした。排気ガスを吸わないようにハンカチを口にあてながら、何度もジェラートを食べて休んだものです(さすがに美味♪)。でも、いざ遺跡の前に立ってみると、疲れなど一気に吹き飛びました。一言、「やっぱりローマには来てみるものだ」。

フォロ・ロマーノは、まさに古代都市そのものでした。ここは今から2000年も前、古代ローマの政治の中心だったところで、元老院や神殿、凱旋門の遺構が残っています。しかも、ゆっくり歩くと半日はかかりそうな大きさです。このあたりは、フォロ・ロマーノ、コロッセオ、パラティーノの丘、カラカラ浴場、チルコ・マッシモ(戦車競技場)など、古代ローマ遺跡が目白押し・・・なんて生易しいものではなく、遺跡群が町の中心に堂々と居座って、現代人はその周辺部に小さくかたまって住んでいる、といった感じなのです。

これらは、全部見てまわりました。といっても、基本的に全て「廃墟」なので、残っているのは石やレンガでできた壁ばかりです。普通、壁を見るだけでは観光になりませんから、観光客はみんなガイドブックを持って、予備知識を仕入れて、壁にいろいろなイメージをふくらませながら歩く・・・例えば、「この中で古代ローマ人がフロ入ってたんだよね」とか、「この壁の前でシーザーが、”ブルータス、お前もか!”と叫んで殺されたんだよね」みたいに、各々が頭の中でストーリーをつくりながら歩く、これがローマ遺跡観光の基本なのでしょう。

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ローマ人の自信

私はこの遺跡(廃墟)だらけの町を歩きながら、ふと思いました。「もし自分がこの町で育っていたなら、人生観がずいぶん変わっていただろうなあ」と。ほんの40年前までただの草深い農漁村だった、東京郊外の町に育った私にとって、2500年前に栄えた古代文明を剥き出しのまま保存して今日に至っている、そして将来まで伝えていくであろう、ローマという町は想像を絶する存在でした。

実際歩いてみてよく分かりましたが、ローマという都市は中心部をはじめ至るところに古代遺跡がどかーんと居座っているため、近代都市としての機能性の向上は望むべくもないのです。実際、人口400万もいる大都市なのに地下鉄の路線は2つしかないし、都心と郊外を結ぶ近郊鉄道もあまりない(似たような人口規模の都市、例えば名古屋では地下鉄と近郊鉄道がどれだけ充実していることか・・・)、そこで市民の足はバスと自家用車、オートバイになるわけですが、それらが狭い車道に溢れに溢れて地上交通は慢性マヒに近い状態、見たところバスはいつも超満員です。正直言って、私はこの町に住みたいとは思いません。でも、どれだけ利便性を犠牲にしても、それでも壁ばっかりの古代遺跡を後生大事に保存しようとする、ローマ市民の心意気は鬼気迫るものがあります。

おそらく、現代のローマ市民にとって、これらの遺跡を少しでも取り壊すことは、都市ローマのアイデンティティの喪失、ひいては自分自身の存在意義の喪失にもつながると考えられているのでしょう。2500年という途方もない時間にわたって、このローマの地に繰り広げられた、奇跡としか言いようのない、絢爛豪華な人間ドラマの数々。それと共に現代を生きていこうというローマ人の決意が、この地をして他のどこにも真似できない、永遠の都たらしめているのでしょう。

実際、私が接したローマの人々は、ヨーロッパのどの土地の人間よりも都会人、もとい、「みやこの人」という感じがしました。日本でいえば京都人の、伝統・格式を重んじ、近代権力(東京)をどことなく冷めた目で見る、みやこ気質を何倍にも凝縮して、それを陽気なイタリア風に表現したのがローマ人気質、と言ってもいいかもしれません。例えばローマの男性は概してとてもフレンドリーで、口数がやたら多い。でも、何か押しつけられている感じは不思議としません。一方ローマの女性は、異国から来た、片言のイタリア語をしゃべる旅行者をジロッと一瞥して、軽く品定め(?)する人が目立ちます。でも、パリあたりの人間とちがって、尊大な感じは不思議としません。

とある統計によれば(?)、イタリア人男性は一日に平均8回、女性のおしりを触ると言われていますが、それでも、埼京線の通勤列車で、サラリーマンの中年男がOLのおしりを触るのと違って、いやらしい感じはあまりしません。同じことをしても、他の土地の人間がやると嫌味だけど、ローマ人の場合それを感じさせない。私はこのあたりに、みやこ人としての洗練を感じます。

おおよそローマ人に一番似合わない言葉は、「卑屈」でしょう。誰に対しても、たとえお金持ちのアメリカ人旅行客に対しても、決して卑屈にならない。観光客に来ていただくのではなく、これだけの舞台装置を擁する天下の都なのだから、全世界の人間が観に来て当然・・・という悠然とした態度を彼らはとります。ローマの悠久の歴史と、それが無言で物語る圧倒的なパワー。その伝統を引き継ぐ我々こそが、正統派のローマ人であり、正真正銘のヨーロッパ人なのだ、という文句なしの自信が、古都ローマにより一層の輝きを与えているような気がします。

 

ヴァティカン市国

「世界最小の国はヴァティカン市国」・・・小学校の頃、母に買ってもらったギネスブックにそう書いてありました。なにしろ、面積が後楽園球場(当時、東京ドームはなかった)数十個分にすぎず、人口は1000人に満たない・・・そんな国がこの世に存在すること自体、幼い私にとって不思議きわまりないことでした。それから20年余、私は地球を半周して、その不思議の国に立っています。

ローマ市内に点在する7つの丘、そのうちの一つがヴァティカン市国です。その「国土」は、カトリックの総本山、ローマ法王を擁するサンピエトロ寺院、ニ千年の歴史を持つカトリック美術の粋を集めたヴァティカン美術館、サンタンジェロ城の3つによって構成されています。「国民」の多くはローマ法王以下、カトリックの聖職者と、美術館の職員によって占められています。天下のローマ・カトリック総本山・・・今はセックススキャンダルで揺れていますが、腐っても鯛、ここは何と言っても全世界20億人を数えるキリスト教徒の聖地なのです。クリスチャンじゃなくても人類の一員として、観にいかない手はありません。

ヴァティカン市国に入国するのに、パスポートもビザも要りません。ローマの地下鉄A線、チプロ(Cipro)駅から、小高い丘を上っていけば10分もせずにヴァティカン美術館に着きます(歩く時間より、美術館の入場時間待ちの方がはるかに長いです)。地元イタリアはもちろん、アメリカ、ドイツ、日本、韓国などから来たツアー客が列をつくって歩いてますので、道に迷う心配はまずありません。

ヴァティカン美術館の目玉は、何といってもミケランジェロの「最後の審判」のある、「システィーナ礼拝堂」と、ルネサンスの天才画家の名作コレクション、「ラファエッロの間」でしょう。我々は美術館前で30分ほど時間待ちをして、世界各国語で説明が聞けるオーディオ・ガイドを借りて、いよいよ場内へ進みました。

この美術館は、想像をはるかに絶する場でした。贅をつくした大理石の宮殿、両側の壁にも屋上にも、びっしりと名画が並び、それが何百メートル、いや何キロにわたって続くのです。これらを全部堪能しながら回ったら、それこそ1週間あっても観きれないでしょう。どんなに急いで回っても、システィーナ礼拝堂まで2時間は優にかかるし、それまで名画、名画の洪水で、とてつもなく密度の高い時間を過ごすこと、うけあいです。ローマ・カトリックの、2000年以上にわたる営みのすごさ、途方もない宗教的情熱を、ここほど実感できる所はないでしょう。

とにかく、ものすごい美術館です。私も妻も、名画を堪能するというよりただただ圧倒されて、2時間ほど見学しただけなのにどっと疲れが出てきてしまいました。絵画で表現されている宗教的情熱がすごすぎるし、モチーフとなっているのが、例えば天使(女性)が異教徒の男性の血にまみれた首をとって微笑んでいるみたいな、我々の感覚からすればおどろおどろしいものが多いのです。だから、「確かにすごいのはよく分かった。でも、もっとほのぼのとした、明るい現代的な絵を見たい」という気持ちになるのです。これは、血のしたたる分厚いステーキを食べた後、さっぱりした和食が食べたくなる感覚に似ているのかな???でも、一度は絶対に見にいくべきだと思います。

ヘビーな名画攻撃(?)でどっと疲れた後は、ローマ法王のいるサンピエトロ寺院に直行しました。寺院前のサンピエトロ広場は、中央に天を刺すようなオベリスクが立ち、広場を囲む回廊の上から140体の聖人像が見守り、何万人集まれそうな大きさでした。この大空間もいろいろな肌の色をした観光客の大群で埋まっていました。我々は腹が減っていたので寺院内部には入らず、パスタがうまいと評判の、トラステヴェレ地区にあるレストランに直行しました。

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食べ物ならイタリアにお任せ・・・次回のお楽しみ

ヨーロッパを代表する食い倒れの国として名高いイタリア。この国で食べた物は、素晴らしい!もう最高でした。私はイタリアでこんなに美味いものを食べて、かえって不幸になりました(??)。今後、オーストラリアや日本でどんなイタリア料理を食べても、今回イタリアで食べたものには、到底かなわないだろうからです。

でも食べ物の話は、「ナポリ・ソレント編」に回します。ローマで食べたパスタやリゾットは確かに素晴らしかったのですが、新鮮な山海の幸に恵まれたナポリやソレントのイカ墨スパゲッティやモッツァレラチーズはさらにその上を行くからです。食いしん坊の読者の方は。次回に乞うご期待。

 

南の海へ

海を見たい・・・ローマのホテルにいた時、ふとそう思いました。これまで、ウィーン・プラハと、内陸ばかり回ってきて、何となく「潮の香り」、「シーフード」の類が恋しくなったからです。そこで、ヨーロッパ地図を広げてみると、ここローマのすぐ近くに地中海という、魅惑的な大海があるではありませんか。当初の予定では、ローマからフィレンツェに行き、そこから一気にスペインのマドリードまで飛ぶ予定でしたが、そうすると、今回のヨーロッパ旅行は、最初から最後まで一度も海を見ないで終わってしまう。せっかく目と鼻の先に地中海があるのに、それを見ないで帰るわけにはいかない・・・そこで、急遽予定を変更して、海を目指すことにしました。

どうせなら、南の海がいい・・・とはいえ、イタリア最南端のシチリア島まで行くのは大変です。もっと手近なところで探してみたら、ありました。ローマから南へ200km余り、イタリア南部の大都市・ナポリ(Napoli)と、そこから西へ細長く突き出た半島の先端近くにある、風光明媚な観光地・ソレント(Sorrento)です。

地図を広げてナポリ周辺を細かく見てみたら、なかなか面白そうです。まず半島の付け根の部分には、今から1900年前、ベスビオ火山の噴火によって一瞬にして廃墟と化した幻の都市・ポンペイがあります。そこから半島の先端に向かっていくと、北岸にソレントがあり、南岸にはアマルフィ海岸という、世界中の大金持ちや有名人が別荘を構える、風光絶佳な海岸線があります。さらに海を越えて南へ行くと、カプリ島という有名なリゾート地があります。でも、それら全部回る時間がありませんので、ナポリとソレントの二つの場所に絞り、電車とフェリーを使ってローマから一泊二日の旅を計画しました。

ナポリとソレント・・・地名を聞いただけで、輝く海、明るい陽光、オレンジやオリーブの果樹園といった、南国的な情景が浮かんできます。この地域は、「帰れソレントへ」や「サンタルチア(注1)」のような、カンツォーネと呼ばれるイタリア歌曲の舞台として、古くから親しまれてきたところです。読者の皆様も、これらの曲を中学か高校の音楽の授業で聴いた記憶があるかと思いますが、どちらもテノール(男声高音)の歌手が張りのある声で力いっぱい歌いあげるもので、微塵の暗さも屈託もない、明るく情熱的な土地柄が伝わってきます。あと、「赤い火を噴くあの山へ 登ろう登ろう」という歌詞でおなじみの「フニクリ・フニクラ」も、ナポリのすぐ東にあるベスビオ火山の登山電車ができた時のコマーシャルソングですから、これも「ご当地ソング」といって差し支えないでしょう。

(注1)サンタルチアは、ナポリ市内にある海港の名前です

ローマからナポリへの移動はもちろん鉄道。イタリアは日本に匹敵するほど鉄道が四通八達していて、しかも北のミラノから南のナポリまでは大幹線で超特急から鈍行まで頻繁に走っており便利です。我々の予約したローマ~ナポリ間の都市間超特急(ICE)は214kmを1時間45分で駆け抜けますから、新幹線とまではいかなくても常磐線特急スーパーひたちクラスのスピードを誇り、しかも電車賃は片道22.1ユーロ(2550円)と良心的。一ランク下げて通常特急にすると、所要時間は2時間を少し超えますがその分値段は片道19.5ユーロ(2250円)とさらに安く、日本で同距離を特急で移動するのと比べてほぼ半額で済んでしまいます。ヨーロッパの旅は鉄道がいいです。

4月19日(金)の朝、我々はナポリへ向かうべく、ローマ最大の鉄道駅、テルミニに向かいました。宿から駅まで徒歩で15分余り。重いスーツケースを引きずり、デコボコした狭い歩道に点在する犬のフンをよけながら、えっちらおっちら歩いていきました。なかなかの重労働です。交差点を一つ、二つと越え、ようやくテルミニ駅前の大きな広場に着きました。駅はすぐ目の前。早く荷物運びから解放されたい一心で、思わず先を急いでしまいます。が、そのとき、後方から妻の叫び声が・・・

 

カメラ盗難未遂事件

「カメラを返しなさい!」・・・とっさに後ろを振り返ると、信じ難い光景が。なんと、8歳くらいの少年がいて、妻のカメラを手に持っていたのです。その数秒後、少年はカメラを妻に返し、もう少し背の高い少女(姉か?)と共に雑踏に消えていきました。よく見ると、妻のウエストポーチのチャックが開けられていました。妻の話によると、その少年は横から歩み寄ってきて妻の前を横切ると同時に、ウェストポーチを開けてカメラをひったくったそうです。とにかく信じられない程の早業で、そのうえチャックを開けられてカメラが抜き取られたことさえ全く感じない程、鮮やかな手業だったそうです。幸い、気がついたから良かったけど、もう少し油断して歩いていたら気づかないうちに完全に盗られていただろうと妻は言います。

ここヨーロッパではアジア系の顔はただでさえ目立つ上に、デパック、スーツケースという出で立ちで歩いているから、一見して旅行者と分かってしまいドロボウのターゲットになりやすいのは重々承知なんですが、それにしてもあまりに幼くあどけない少年が、あまりに物凄い超絶テクニックで盗みを働いた・・・という事実をつきつけられて、妻はショックのあまり少しふさぎこんでしまいました。

 

トイレ缶詰め事件

「あんまり落ち込むなよ。ヨーロッパでドロボウが多いのはもともと覚悟の上じゃないか」と、私が慰めましたが妻の気分はなかなか盛り上がりません。でも、そのすぐ後、彼女の沈みきった心を一気に和ませる事件(?)が起こりました。

テルミニ駅に着くと、私は突然便意を催しました。荷物をたくさん持っていたので、それらをすべて妻に預け、私一人でトイレに駆け込みました・・・結論から言うと、私がトイレから出てきたのは10分か15分経った後のことです・・・妻はきっと、「長いクソだな~」と思ったことでしょう。でも実は、用の方は早々と足していたのです。その後私は、トイレからどうやって出ていいか全く分からず、四苦八苦していたのです。

ドアノブを左右どちらへ回しても駄目、押しても引いても駄目。しばらく、あーでもないこーでもないと試行錯誤しましたが、どうやっても出られない。こりゃやばい!第一カッコ悪いし、隣りのおっさんの用を足す音が聞こえて気持ち悪いし、電車の発車時刻は刻々と迫ってくる。焦りの余り、全身から汗が滲み出てきました。そこで、私は最後の強硬手段に出ることにしました。ノブに足をかけ、トイレの壁のてっぺんまで這い登り、そこから飛び降りるという、スパイダーマン戦術に切り替えたのです。その試みは見事成功。かくして、私はようやくトイレから出ることができました。妻はすでにトイレの前でしびれを切らして待っておりましたが、それまでのストーリーを正直に話したところ、妻は大爆笑。ドロボウ未遂事件で沈んだ心など一種に吹っ飛んでしまいました。ケガの巧妙とはまさにこういうことを言うのでしょう。

 

ナポリへ

トイレで思わぬ時間を食ってしまった後、我々は予約していたナポリ行き特急に飛び乗りました。内装の感じはほぼ新幹線と同じ、2人ずつ向かい合って4人一組、という形式の座席がほとんどでした。乗客はさすがに背広姿のビジネスマンが多く、日本人よりは多少口数多いけど、ヨーロッパでとびきり騒々しいイタリア人の中にあってはあまりに物静か。「やっぱりビジネスマンは庶民と一味違って、静かなんだなあ」と思いました。我々を乗せた特急列車は予定より10分遅れてローマ・テルミニ駅をすべるように出発し、ナポリ・チェントラーレ駅には予定より30分遅れで着きました。ここはイタリア。ま、こんなもんでしょう。

最新鋭設備や世界のブランドショップの揃うローマ・テルミニ駅と比べ、ナポリの駅は薄暗く、やや貧相で閑散としていました。観光客に交じってちょっと怪しい風体の挙動不審の男たちがウロウロ歩いている。この駅は治安要注意スポットなんだそうです。駅構内の公衆電話はほとんど全部ぶっ壊れていました。それでもさすがに観光地らしく、観光案内所はちゃんと稼動しており、イタリア人らしいホスピタリティあふれる態度で応対してくれました。

私たち、特に妻がナポリに期待すること、それはもちろん食べることです。イタリアは北の端から南の端まで、旨いものが溢れかえっている超一流グルメ国だそうですが、温暖なナポリ周辺の山海の幸をふんだんに使ったグルメは、食い意地の張った我々にとっては特に魅力的でした。例えば、ナポリ名物のポモドーロ・ピザは、具といえばトマトくらいしかないシンプルなものですが、トマトの鮮度と味だけで勝負するという、素材を活かすイタリア料理の原点ともいえる料理です。あと、モッツァレラ・チーズもナポリの名産で、水牛の乳しか使わない、搾乳後3日以上経ったものは使わない、という徹底した鮮度へのこだわりがある絶品だそうです。あと、ナポリ近辺にはシーフードがふんだんにあって何食べても美味、という話も聞いてました。ちなみにこれらの情報は、すべて日本の旅行番組や雑誌から仕入れてきました。

旅行案内所では、妻が日本の旅行雑誌を見せて、「これが食べられるところを教えてくれ」なんてやりとりをしています。彼女は中国人らしく、食べることに並々ならぬ情熱を燃やしており、どこで何が食えるか、という類の情報はすべて頭にインプットされていたようです。問答の末、駅のすぐ近く、ガリバルディ大通りの西方にある市場(メルカート)で食べられる、ということが判明し、我々は早速、現場に直行したのは言うまでもありません。

市場についてみると、唖然・・・・想像をはるかに上回るディープさ、すさまじい活気、東南アジアの市場を思わせるような人いきれと喧騒、とんでもないガラクタ品を言葉巧みに売る啖呵オヤジのたくましさ・・・ここには、上品にすましたヨーロッパのイメージなど微塵もありません。ただただ、人間くさい人間がモノを売り、買い、出会う場、まさに「市場の原型」を見たような気がしました。そして何より食べ物が素晴らしい。溢れかえる魚と肉、野菜、チーズ、フルーツ。その色鮮やかさ、美しさといったら・・・ここには、「豊穣なイタリア」が溢れていました。

市場に歩み入ると、まず目に入ったのがピザ。クレープみたいに、露店のホットプレートでそのまま焼いて出すからホカホカしていて美味そう。値段を聞くと(ここは英語が全然通じないのでイタリア語)、1枚1ユーロ(115円)とのこと。安い!ということで買って食べました。この種のピザはファストフードですので、むちゃ感動とまではいきませんでしたが、十分満足できる味でした。さすがイタリア、おぬしやるのう、と思ってモグモグやっていると、奥さんから「最初からこんなもの食べてるとすぐ腹にたまっちゃうじゃないの。さ、早く捨てて。次行くよ」と、叱られてしまいました。

その後、我々二人は溢れかえるフルーツ、シーフード、野菜の海をかきわけ、古くて小便くさいアパートの壁が両側に迫る狭い路地を、奥へ奥へと入っていきました。売られている食材はどれも美味そうなものばかり。でも調理しないと食べられないものなので、「この町でアパート借りて、毎日市場で買って自炊したいなあ」と思いました。イタリアに来て、食い意地爆発しまくりです。さらに進んでいくと、10分くらい歩いたでしょうか、道の右側に、なんとなく気になる「店」を発見しました。

なんとも不思議な「店」でした。入り口にはちょっとした生簀があって、アサリみたいな貝が売られているし、店内には3つほど小さいテーブルも椅子もあるので、「こりゃ食堂だろう」と思いました。ところが、店内を見渡しても誰もおらず、奥の方からおばさん、おじさんの声が聞こえてくるばかり、メニューもない・・・なんだこりゃ?と思いましたが、とりあえずものは試しと思って、店内に入ってみると、案の定、貫禄のあるおばさんが出てきて、案の定、早口のイタリア語でまくしたててきました。どうやら、英語は全く通じなさそうです。そしたらおばさん、スプーンで食べる真似をして、「マンジャーレ?」と聞いてきました。マンジャーレは「食べる」の意味です。そこで我々も食べる真似をして「マンジャーレ」と答えると、「さ、そこに座って」と言われて、席とテーブルを与えられました。腰を下ろすと、「やっぱりここは食堂なんだ」ということが実感できました。

その後、ちょっと頭の薄くなったおじさんが出てきて、我々に話しかけてきました。このおじさんもイタリア語一点張り、何言ってるのか分かりませんが、とりあえず、「パスタ、パスタ」と言ってることだけは分かりました。そこで私は、「シー、パスタ、パスタ」(シーはYesの意味)と答えると、おじさんは店の奥から袋入りのマカロニパスタを持ってきて、年季の入ったアルミ鍋でおもむろに茹ではじめました。どうやら、意思疎通はできてるようです。

湯だった鍋にパスタを入れると、おじさんは再び私たちの方を向き、「ヴィーノ?ビアンコ?ロッソ?」と聞いてきました。何となく、「ワインも要るか?白と赤がどちらがいい?」と聞いてるようだったので、私は「シー、ビアンコ、ペルファボーレ」と答えました(ペルファボーレはPleaseの意味)。そしたらそのおじさん、おもむろに店を出ていきました。怪訝に思っていたら、2分後、小さい瓶入りの白ワインを持って現れてきました。どうやら、隣りの店まで買出しに行ってたようなのです。あまりの微笑ましさに、思わず吹き出してしまいました。

その後も、「アサリはいるか?」「トマトのサラダはいるか?」みたいな問答を続け、出された食事を食べているうちに二人とも腹一杯になってきました。もちろん、値段の確認は一切なし。「お勘定、いくらするんだろ?」と不安になっていると、おじさんが出てきて、「15ユーロ」と宣言しました。安い!2人で腹いっぱい食べて、ワインも飲んで約1700円とは、イタリアの物価を考えると十分安いと思いました。ま、ナポリの庶民もたぶんこのくらいの値段で食事してるんでしょうね。

それにしても、英語など一切通じない、ディープな世界に感動してしまいました。世界中から観光客が集まるヨーロッパでは、主要観光地はどこへ行っても英語が通じます。ここナポリも、南イタリアでは屈指の観光地です。ところが、観光客の多くは王宮美術館やサンタルチアの港の方に流れていってしまうらしく、観光スポットから外れたこの市場は100%ナポリ庶民の世界そのもの。気取らない、よそ行きでない、地元の人々の暮らしを垣間見ることができて、すごく得した気分になりました。

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ソレントへ

腹を満たしていい気分になった私たちは次の目的地・ソレントを目指しました。ナポリからソレントまではベスビオ周遊鉄道(CircumTransvesuviana)に乗って1時間余りの行程。この鉄道、名前こそ観光チックですが、実際は地元のおばちゃんと高校生で埋め尽くされる生活鉄道です。私たちが乗った午後2時過ぎの電車も地元客が溢れて満員状態、中間地点のポンペイまで、ずっと立ち席でした。それにしても、この電車の騒々しいことといったら・・・どいつもこいつも、しゃべるしゃべる。そのうえ誰もが声帯に拡声器つけてるんじゃないかと思うほど声がデカい。私がすぐ隣りにいる奥さんに話しかけようとしても、周りの騒音にかき消されてしまう・・・重ねがさね、これがイタリア人なんだなと実感した次第です。

ポンペイを過ぎると、ようやく客の数が減ってきましたが、途中の小さい駅で乗ってくる不良(?)高校生が騒いで、相変わらずの騒々しさ。でも、風景の方はだんだんリゾート地っぽくなってきました。山の斜面に植えられたオレンジの樹、前方に広がるライトブルーの地中海、時折姿をあらわす白亜の高級邸宅街・・・私たちはいよいよ、南イタリア屈指のリゾートタウン、ソレントに近づいている、という気分が次第に盛り上がってきました。

生まれて初めて見る地中海。確かに美しい、絵画的な風景・・・でも、私の住むオーストラリアの海にはかないません。だいいち、ここは海の周りに人がたくさん住みすぎていて、まるで日本のような人口密集度なんですから、水質だってオーストラリアの海の方がずっときれいでしょう。そのうえ、ビーチにもあまり恵まれていません(岩場が多い)。でも、この地に連綿と築かれてきた歴史のなせる業でしょうか、オーストラリアと違って、詩的情緒にあふれています。この一帯は古くローマの時代から開かれ、中世には地中海をまたにかけて活躍した海洋王国の舞台でもありました。そういう経緯からでしょうか、この地に生える一木一草さえも、数千年にわたる人間の営みを見守ってきたような、酸いも甘いもかみわけた意味ありげな存在に見えてくるから不思議です。

列車は、いよいよ終点・ソレントに着きました。ソレントの駅は町の中心から少し離れていますが、木陰から海の垣間見える楽しい散歩道が続いています。この町は小さいですから、ローマやナポリみたいにクルマの騒音や排気ガス、乱暴極まりない運転に悩まされることがありません。このイタリアの国で、安心して道を歩けること自体、極上の幸せに思えてきます。

観光案内所で宿を予約し、チェックインして荷物を下ろした私たちは、折角だから地中海を堪能しようと、歩いて海辺まで降りていきました。ソレントの町は高台にあって、そこから海へは急な下り坂が続いています。狭い車道は観光バスの往来が激しいのですが、有難いことにそのすぐそばに歩道(階段)が設けられてあって、観光客はクルマを気にせず歩けます。その歩道わきにはおしゃれなレストランや5つ星ホテルがいくつもあって、さすがは観光地だと納得しました。

海岸に下りると、そこは船着場になっていました。船(水中翼船)の行き先はナポリとカプリ島。ソレントの沖に浮かぶカプリ島は、古代ローマ皇帝も愛したという、歴史あるリゾート地。景勝地・青の洞窟などもあってぜひ訪れたかったのですが、そこまでの時間がなく、涙を飲んで(?)、ナポリに帰る明日の船を予約しました。船着場の周辺は岩場になっていて、その近くに猫の額ほどのビーチがあり、その辺の景色が日本の海みたいでした。

その後は、高台の町に戻って一通り散策した後、近くのレストランで夕食。時間はまだ7時、宵っ張りの多いイタリア人はまだ誰も来ておらず、広い店内に私たち二人がポツンと座るかたちになりました。ちょっと寂しいシチュエーション・・・でも、味は感動的でした。特にこの店で食べたイカ墨パスタは、今回のヨーロッパ旅行で最高の美味でした。あの身震いするような美味さ、いったいどう表現したらいいの???もうそれだけで、「ヨーロッパに来て良かった」と思いました。その他、パルマハム、ラビオリの辛味ソース煮込み、ムール貝のオリーブ油漬け・・・何食べても、文句のつけようのない完成された味に、心から満足してホテルに戻りました。

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その次の朝はゆっくり起きて、この風光明媚な町でボーッと何もせず、ちょっと老人みたいですが心豊かな時間を過ごしました。この一生で二度と見られないかもしれない。南欧の風景をしっかり目に焼き付けたあと、午前11時半、ナポリへ向かう船の人となったのです。

多くの人にとって、イタリアの旅の最大の楽しみといえば、もちろんグルメ。イタリアを訪れた人で、食べ物の面で期待が裏切られた、という人はほとんどいないはず。この国の豊穣な大地と、輝く太陽と海にはぐくまれた豊富な食材と、2000年以上の歴史を経て完成された億万のレシピは、世界中の人々の貪欲な胃袋とわがままな舌を満たして余りあるはずです。私たち夫婦もそれなりに世界中を旅してきましたが、イタリアのメシのうまさは世界最高級、と太鼓判を押しています。

イタリアの前に訪れた国、チェコの食事も確かに美味しかったです。但し、チェコの場合は最初からメシが美味いという期待はしていなかったのに、食べてみたら実はうまかった、という類の感動でした。たとえていえば、世間に知られていない巨人軍の二軍選手を発掘したみたいな感動です。ところがイタリアについては、訪れる前からメシが絶対にうまいはずだと、大きな期待を抱いていました。そして、いざ食べてみると、期待をはるかに上回るパフォーマンスを示してくれました。とにかく、何食べても想像以上にうまい!というか、私がこれまで体験したことのない美味が、これまで未開拓だった味覚をどんどん刺激してしまうのです。私の人生に新たな地平を開いてしまったイタリア料理、恐るべしです。

さらにイタリア料理は、美味いだけでなくヘルシーです。この国の料理は、アルプスの北側と比べると圧倒的に野菜と果物が豊富ですし、シーフード類も充実しています。どのレストランで食べても、肉、魚、チーズ、穀物、野菜、果物のバランスが取りやすく、食べた後、一層元気になったような、全身に活力がみなぎってくるような感じがします。また、麺類、ご飯類も多いから、アジア式の食事で育った私たちでも胃にもたれることがありません。イタリア料理は基本的に、医食同源だと思いました。

それほど素晴らしいイタリア料理、本当に何食べても美味しくて感動ものでしたが、あえてベスト5を選ぶと次のようになります。

イカ墨スパゲッティ(ソレント)
リゾット(ローマ)
モツァレラチーズとトマトのサラダ(ナポリ)
ニョッキ(ローマ)
ムール貝のオリーブ油漬け(ソレント)

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でも、今回の旅行でこれほど美味いものを食べてしまったことが、私たちにとって幸せなのかどうかはよく分かりません。ここまで美味いイタリア料理をリーズナブルな値段で食べるなんて、たぶんイタリアに行かない限り不可能だと思うからです。でも、シドニーに住んでる以上、シドニーにあるもので我慢(?)しなくちゃなりませんから、この街で美味しいイタリア料理店を発掘したり、自分でもいろいろつくったりして、いま試行錯誤しているところです。イタリアで食べたものと少しでも近い味を再現するために・・・

 

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チェコ・プラハ旅行記(2002年)復刻版

こんばんは、Manachanです。

今日、大変なこと(?)が起こりました。2005年以前に、私がホームページやってた時に書いた厖大な量の記事が、Web空間から消えてしまったのです!ま、manachan.150m.comという、無料サーバーにホストしてて、何年も放置プレイしてたので自業自得なんですが…

ですが幸いにして、今はGoogle Chromeのキャッシュ機能というものがあって、一部の記事は復活できることが分かりました。そこで、永久保存したい記事をいくつか、このブログで載せていきたいと思います。

今回、紹介するのは、2002年5月、オーストラリア・シドニーに住んでいた頃に書いたヨーロッパ旅行記。私、これまで30カ国以上に行ってますが、そのなかでも、「行って良かった国」、「また行きたい国」ランキングNo.1に輝く、中欧「チェコ共和国」の旅行記を公開いたします。

今から14年前に旅した当時の話なので、今ではチェコの首都プラハも、ずいぶん様変わりしているかと思います。物価などは、当時と雲泥の差でしょうし、すでにウィーンと並び称される、中欧随一の観光地になって久しいので、良くも悪くも「観光ズレ」してしまった面もあるかと思います。今では英語も大分通じるんだろうな。

とはいえ、「プラハの、この世のものとは思えない美しい街並み」、「犬の糞害」、「人々が無口で寡黙なこと」、「世界最高レベルのビール」は、14年前とそう変わってないようです。チェコ、また行ってみたいな。

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チェコ旅行記(2002/5/25)

チェコ共和国の首都、プラハ・・・この街は、妻と旅行計画を練っていた最初の頃は、行き先として候補にも挙がっていませんでした。が、私の強い希望により、急遽旅行ルートに加えることにしました。

私がプラハ行きを希望した理由は2つあります。1つ目の理由は、シドニーに移住して以来、職場の上司をはじめ、ハイキング仲間、バーベキュー仲間・・・にチェコ出身者が非常に多く、その誰もが、「プラハはとてもいい街だから、ヨーロッパに行くなら是非訪れてほしい」と、非常な熱意で勧めてくれたからです。中にはプラハの宿探しまでネットでやってくれる仲間もいて、「ここまでしてくれるんじゃあ、プラハに行かなくちゃ、あの人たちに悪いよなあ」と思いました。

2つ目の理由は、旧共産圏の国がいまどうなってるか、この眼で確かめてみたかったからです。チェコ、ポーランド、ハンガリー・・・これらの国は、つい10年前まで「東側」と呼ばれ、西側ヨーロッパと目と鼻の先にありながら、自由に旅行することもなかなか難しい状況にありました。それが今は、ヨーロッパの一員として当たり前のような顔をしている。あの辺の国々はどうなっているんだろう?人々はどういう暮らしをしてるんだろう??という素朴な疑問が、私をチェコ行きに駆り立てたのです。

 チェコ共和国、そしてプラハの位置を地図で確認してみると、ちょっと驚きました。「西側」のオーストリア・ウィーンよりさらに西にあるのです。チェコ共和国自体が、ドイツとオーストリアという、ドイツ語を話す二つの国の間に、サンドイッチのように挟まったかたちで存在し、そしてその首都プラハは、ベルリンとウィーンのちょうど中間地点にあるのです。まさにヨーロッパのど真ん中。

 今回の旅で、我々はウィーン発プラハ経由ベルリン行きの国際電車(でも速度は日本の快速電車並み・・・)に乗ったのですが、ウィーンを出発して約1時間、東京~小田原間の距離を走っただけで、すでにチェコの領域に入ってしまうのです。その後、約3時間半走ると首都プラハに着き、さらに1時間半走るとドイツに入り、そこから3時間もせずに首都ベルリンに達してしまうです。なんという近さ!この距離なら日帰りだって十分可能でしょう。しかしチェコに一歩足を踏み入れてみると、そこはドイツともオーストリアとも全然違う、不可思議な、時空が折れ曲がったようなワンダーランド・・・でもとっても楽しい国でした。

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1.国境を越えると、そこは・・・

4月15日、月曜日。ウィーン南駅を10時25分に発車した電車は、15年前に四国を走っていた特急を思わせる、昔懐かしいディーゼル車でした。ドイツでつくられた車両らしく、表示は全部ドイツ語でした。乗客の姿はまばらで、我々は4人乗りのコンパートメントを2人で独占していました。隣りのコンパートメントからは二人連れの女性の声が聞こえてきて、耳をすませばなんと日本語でした。うちの奥さんは、「こんな所にまで旅行に来るなんて、日本の女の人は度胸あるわねえ」と言ってました。

 ウィーンを発った電車は、郊外の住宅地を超え、ひろびろとした田園地帯を抜け、一時間足らずで国境(オーストリア側)の駅、ホーエナウに着いていました。その少し前にオーストリアの国境係官(男性)がやってきて、我々のパスポートに出国スタンプを押してくれました。次はホーエナウを発車して数分後、女性の声が高く響きわたりました。聞きなれない言葉でした。チェコの国境係官です。彼女はとても背が高く痩せぎすで、威厳に満ち、ニコリともせずに入国スタンプを押して回っていました。

「儀式」が終わると、いよいよ国境越え。私はワクワクしながら、車窓の外を凝視していました。あたりはのどかな田園地帯、一体どこが国境なのか分かりませんでしたが、隣国スロバキアへ向かう線路が見えたことにより、すでにチェコの領域に入ったことが確認できました。間もなく、電車はチェコ最初の駅、ブジェツラフに滑り込みました。そこで私が見たものは・・・・オーストリアとは全く違う、何とも形容しがたい、とってもファンキーなチェコ的世界でした。

 小じんまりとした駅のホーム、駄菓子屋みたいな質素なキオスクがあり、オーストリアより20年くらい昔にタイムスリップしたような、なんとも懐かしいたたずまい。いつの間にか車内アナウンスもチェコ語に変わり、駅名表示板には見慣れないチェコ文字が並び、駅員の制服も変わり、国境を越えたことを実感しました。

さらに目につくのは、電車の多さ!チェコ国鉄のものでしょうか、かなり旧式で、2~3両連結しかない、一昔前の東急世田谷線を彷彿とさせる、青虫みたいな電車がホームにたくさん止まっているのです。おそらく短距離のローカル線でしょう。さらにホームで電車を待っている人の多いこと!オーストリアの鉄道はおおむね閑散としていますが、チェコでは地元民の身近な足として大いに活用されているようです。チェコはさほど人口が多い国でもないので、推測するに、車に乗る人の割合がまだ高くないため、電車を使う人が多いのでしょう。

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 さらに驚くのは、電車という電車に落書きがされていることです。いや、落書きなんて生易しいものではなく、電車の壁全面が、赤や白の塗料で塗りたくられているのです。また、ホームにもたくさん、スプレーやペンキで書きなぐった跡が確認できました。こういう行為は、私の住むオーストラリアでは「バンダリズム」と呼ばれ、もちろん、あまり感心できるものではありません(シドニーではたくさん見かけるけどね・・・)。チェコには、公共のものを大事にする気持ちがないのかなと、一瞬思いました。

 その後電車はしばらく平野部の農村地帯を走り、ほどなくブルノという、かなり大きい駅に着きました(チェコ第二の都市だそうです)。車窓から見えるブルノの町は、重厚な歴史的建造物が多く、おしゃれで落ち着いたヨーロッパの町の顔をしていました。そのあと電車は丘陵地帯を走りますが、この辺はところどころ狭い道路脇にレゴセットみたいな住宅が密集し、急な坂道が多く、何となく日本を思わせるような風景で、「あっ、伊豆に似てる」、「北茨城にそっくり」等と、庶民的な話題でしばし盛り上がりました。途中の小さな駅では、相変わらずたくさんの人が電車を待っており、例の青虫みたいな電車がトロトロ走っていました。

 チェスカー・トレボヴァ(プラハまで160km)の駅を越えたあたりから、ボヘミアの野がはじまります(ボヘミア:プラハを含むチェコ西部の地方名)。このあたりの田園は美しさといったら・・・北海道の上富良野あたりを思わせるような、ライ麦やコーン、ジャガイモなどが整然と植えられた農地が、パッチワークのようい、ゆるやかな起伏の大地に展開しています。そして、たくさんの小川が、両岸に並木を従えながら、のびやかに蛇行しています・・・童謡「おお牧場は緑」はこの地方から生まれたそうですが、まさに歌詞の通りののどかな風景でした。

czechcountryside

 そういう田園風景の中に、時折、忽然と現れるのが「工業都市」です。おそらく社会主義政権時代につくられたもので、時代が変わった今日、その多くはもはや無用の長物になっているようです。赤サビが目立つ剥き出しの鉄骨、排水管(恐らく汚水垂れ流しだったのでしょう)、人が住んでいるのかいないのか判別し難い、風化の目立つ高層住宅群・・・時代に見捨てられた、見るも無残な、荒涼とした風景でした。美しい田園と、荒廃した元工業都市、基本的にこの二つが、ボヘミアの風景をかたちづくっています。

 14時50分、車窓からプラハ東部郊外の近郊住宅群が見え、その数分後、プラハ・ホレショヴィーツェ駅に到着しました。ここはチェコ共和国の首都、政治・経済・文化の中心地、かつ最大の観光地で、唯一の国際空港がある大都市(人口は約120万)です。ここプラハで、いよいよ我々のチェコの旅が始まりました。

 

2.寡黙な人々の国

 ホレショヴィーツェの駅で、我々は荒々しい(?)歓待を受けました。ホームから駅構内に入ると、10秒もしないうちに、見知らぬおばちゃんがいきなり歩み寄ってきて、クセのある英語で、「うちのアパートに泊まらないか?1泊50米ドルでいいよ」・・・我々はその気がなかったので、一言断って先を急ぐと、また別のおばちゃんが出てきて、今度は部屋の写真を見せながら、「この部屋はどう?1泊55ドル」・・・一人振り切るとまた別のおばちゃんが、ショッカー戦闘員のように次々と出てきて、セールスしてくるのです。その他、マネーチェンジを申し出てくるお兄ちゃんも現れ、我々はちょっと辟易してしまいました。この人たちが全員白人だという一点を除けば、東南アジアのタイ、フィリピンあたりの空港と一瞬錯覚してしまう、そんな光景でした。

 我々はホレショヴィーツェ駅を離れ、プラハ中央駅に向かいましたが、この駅も似たようもの。但しここはチェコ最大の駅で、公認の宿泊紹介所も、公認の両替所もあるので、例の「セールス」は多少控えめでした(たぶん違法なのでしょう)。我々は、英語の通じる宿泊紹介所でホテルの予約をしようとして、ここでも苦労しました。受付のおっさんの英語はすごくクセがある上に、やたら理屈っぽくて要領を得ないたとえ話ばっかりするので、話がなかなか進まない。パンフレットで「これは・・・」という宿を見つけても、設備がぶっ壊れてたり改装中だったりして、なかなか予約を入れられない。20~30分は経ったでしょうか、ついに希望な地区に予算の範囲内で宿を見つけ、我々はようやく混沌の中央駅を後にすることができました。

 中央駅から宿までの足は、もちろん地下鉄。そこには、外国人を相手とする観光産業とは無縁な、地元の人々の暮らしを垣間見ることができます。プラハの地下鉄の設備はなかなか近代的で清潔。終日、大勢の人が利用していて、日本の大都市ほどではありませんが、座ることはまず期待できないほどの混雑ぶり。アナウンスはもちろんチェコ語。ちょっと野太い年配の女性の声で、駅名の他は何言ってるか全然分かりませんが、チェコ語というのは誰が話しても、ほとんど抑揚のない、平板の棒読み調に聞こえます。言語的に、アクセントが少ないんだそうです。

 私が驚いたのは、地下鉄の車内が異常に静かなことです。座席はもちろん、つり革にもつかまれない人が大勢いるほどの混みようなのに、話をしてる人はほとんどいないし、いても小声で、つぶやくように話しているのです。だいたい、満員電車でアナウンスの声だけが虚空に響きわたるということ自体、いかに車内が静かだということが分かるでしょう。私は妻に話しかけようとして、一瞬思いとどまりました。「うっ、空気が重い。ここでしゃべったら、やたら目立ってしまう・・・」。

 でもしばらくして、それが自然の姿だということが分かりました。女性でも口数少なく、大の男でもブツブツつぶやくように語る。チェコ人というのはたぶんそういうものなのでしょう。「抑揚の少ない言葉」+「口数が少ない」+「声が小さい」=「寡黙な国民」という等式は、チェコにおいては見事に当てはまります。これは、私にとっては新鮮な驚きでした。

 それまで、ヨーロッパ人というのは概して雄弁な、自己主張の強い人たちというイメージがありましたが、チェコの人たちを見て、「こういうヨーロッパ人もいたのか・・・」と、感慨を新たにしました。その点、同じヨーロッパでもイタリア人はチェコ人とまるで正反対で、「抑揚が非常に大きい言葉」+「口数がおそろしく多い」+「声はいつもff(フォルテシモ)」=「欧州一騒々しい国民」の等式が成立します。恐らく、イタリア人が10人集まれば、チェコ人1000人の集団以上の騒音を発することは、ほぼ確実のように思われます。

 プラハの街を歩くチェコの人々、女性も男性も、もう「物静か」を通り越して「寡黙」そのものなんですが、彼らはいつも顔をちょっと下の方に向けて、やや神経質そうな面持ちで、物思いにふけるような表情をして、ゆるゆると歩いています。その彼らが、時折とろけるような甘美な微笑みを見せることがあります。その微笑みが、我々東方の国から来た、肌色と顔立ちのちょっと違う旅行者(余談ですが、チェコでは、日本人も韓国人も中国人もひっくるめて、黄色人種を「中国人」と呼ぶことが多いそうです)に向けられる時、心温まる、素朴な親切となります。

 実際、私たちもプラハの街で、地元の人たちにはずいぶん親切にしてもらいました。地図を見て途方に暮れている時、道を教えてくれたり、食堂でチェコ語のメニューが分からない時、拙い英語で一つ一つ解説してくれたり、後にも述べますが、罰金を払うお金が足りないとき、隣りの席にいたお兄ちゃんがポケットマネーを差し出してくれたり・・・とにかく、進んで助けの手をさしのべてくれるのです。我々が訪れたヨーロッパの他の国では、観光ズレしてるためか、自分から求めていかないと助けてくれないのが当たり前でしたから、その点、チェコの素朴な親切は、地理も言葉も不案内な旅行者にとっては有難かったです。

 

3.うまい!安い!ヘルシー!・・・チェコ料理の魅力

 我々の泊まった宿は、プラハの中心から地下鉄で4駅、距離にして約3km離れたデイヴィツカ(Dejvicka)地区にある、デニサ・ホテル(Hotel Denisa, Narodni Obrany 33, Praha 6,TEL +420-2-3120224)です。ホテル自体は単なるリーズナブルな宿で、設備もサービスもいまいちでしたが、この地区に泊まったのは、大正解でした。ここは観光ホテルが林立する地区ではなく、普通のプラハ市民が住んでいる地区ですから、まず何といっても物価が安い。まあまあ繁華街でスーパーも食堂もたくさんある上、プラハ城には歩いて20分ほどで着けるし、さらに空港への直通バスもあり、どこへ行くにも便利なのです。

 ホテルについて荷物を置くと、腹が減ってきたので、街へ繰り出しました。この辺の食堂のほとんどは地元民を相手にしているので、メニューも英語など一言も見当たらず、ただひたすらチェコ語の世界です。我々は、数ある食堂のなかから、ちょっと店構えのいいところに入りました。が、ここも完全にチェコ庶民の世界で、仕事帰りの人々が、ビールを飲みタバコをプカプカふかしながら、いつものごとく小声でボソボソと談笑していました。我々は、チェコ語のメニューを、ロンリープラネットの英語-チェコ語対訳のハンドブック片手に解読しながら、「これなら食えるだろう」と、当てずっぽうで2品頼みました。おっとその前に、ジョッキのビールを頼むのがチェコの掟・・・なんと言っても、チェコはピルスナーを擁する、世界屈指のビール王国なのですから。

 私がまず頼んだのは、「シュタロプラーメン(Staropramen)10」という、地元プラハで醸造しているビールです。名前の通り(?)、値段は10コルナ(約40円)と、バカみたいに安かったので、あまり期待しないで待っていたら、おしゃれなグラス(350mlくらい)にクリーミーな泡を乗せた、琥珀色の液体が運ばれてきました。「おっ、なかなかサマになってるじゃん」と思いつつ、それをゆっくり口に運びました。すると、次の瞬間、目からウロコが落ちました。「うまい!!!」。芳醇なホップのアロマ、ほど良い苦味、透き通るような爽やかな後味・・・どれをとっても非の打ちどころのない、少なくとも私が生涯飲んだなかで最高のビールでした。「こんなうまいビール、40円で飲んじゃっていいの?」。私は感動で身体が震えました。

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 その後運ばれてきたのが、Alpsky Branborakという、千切りにしたポテトのパンケーキをベースにして、その上にデミグラスみたいなソースで煮込んだ鶏肝が乗ってる料理と、Kreci regu s nudlemi a zampionyという、マカロニチキンのホワイトソースあえでした。どちらも、見た目ははっきり言ってあまり美味しそうに見えませんでしたが、一口食してみると、再び絶句・・・「うまいっ!!!」。特にポテトパンケーキは、ガーリックとハーブ(レシピを見ると、キャラウェイ、マージョラム等だそうです)が香ばしく、小麦粉のまぶし方がちょうど良く、油も丁寧に処理してある上に、ビールにとてもよく合うので、もう文句なしです♪二人とも、腹も心もすっかり満足してお勘定すると、なんと全部で178コルナ(700円)という安さ。「これがウィーンなら、25ユーロ(2900円)出しても、こんなに美味しいものは食べられないよねえ」・・・ホント、チェコって天国。

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 結局、滞在中に計6回、チェコ料理ばかり食べ、全部で12~13種類の品を頼みましたが、何を食べても、ハズレは一度もありませんでした。しかも、口に合う上だけでなく、なぜか腹にもたれない・・・そういえば、ウィーンやドイツでは、旅行中腹がもたれて、結局中華料理やタイ料理に逃げましたが、チェコではその必要は全くありませんでした。ということは結局、アジア人の胃袋にも合う、ヘルシーな料理なのでしょうか。

 ビールのほか、チェコ人が毎食必ず食べるものとしては、クネードリキ(Knedlicky)があります。これは、「パン」と「まんじゅう」のあいのこみたいなもので、主に肉料理の付け合せとして食べます。口とお腹にやさしい、どことなく懐かしい素朴な食べ物で、日本の「味噌汁」と同様、チェコ人の食卓には欠かせないものです。あとチェコでは、メインの前に前菜を食べる習慣があり、主にガーリックスープ(Cesnekova)やビーフスープを飲みますが、これらは味がさっぱりして、身体も温まる上に(ここは寒い国です・・・)、40~50円というウソみたいな値段で食べられます。その他、挙げていくとキリありませんが、チェコ料理は絶対に日本人の口に合うと思うし、値段も手頃なので、機会があれば是非食べてみて下さい。

 

4.ウィーンを超えた・・・幻想の街並み

 プラハ観光の最大の目玉、それは長い歴史に育まれた、中世そのものの美しい街並みです。特に建築物には見るべきものが多く、ゴシック、バロック、ロマネスク、ルネサンス、アールヌーボーなど、5世紀以上にわたる建築様式が、さして大きくない市街地にそのまま保存されているのは、ヨーロッパ広しといえども他にほとんど類例をみません。「奇跡の街」、「百塔の街」、「ヨーロッパの生きた歴史博物館」・・・世界各国の旅行者、アーティスト、詩人から、今も昔もこの街に最大限の賛辞が送られています。

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 プラハは、スメタナの交響詩「モルダウ」で有名な、ヴルタヴァ川(Vltava)の両岸にできた都市です。この街の歴史的建築物の多くは、川の右岸(東側)に集中していて、市の中心街も右岸に位置しています。そこから、カレル橋を渡って左岸に出ると、そこは小高い丘になっていて、その上にプラハ城があります。我々が泊まったデイヴィツカ地区は、プラハ城からさらに奥にあるので、観光コースは自ずから、宿~プラハ城~カレル橋~右岸地区(中心街)の順となります。

 我々はプラハ滞在中、美味しいチェコ料理を食べることだけに異常な情熱を燃やしてしまったため、残念ながら宿から遠い右岸地区の歴史的建造物は、それほど見て回ったわけではありません。でも、丘の上にあるプラハ城から見下ろす、川霧にけむる市街地の、息を呑むほどの美しさ(残念ながらデジタル写真は撮ってませんので、想像してください・・・)。プラハ城・黄金小路の、時代劇のセットそのもののたたずまい、市内各所に点在する、ようやくコブシが咲き始めた公園で散策を楽しむ人々・・・どれをとっても、本当に絵になります。ハリウッド映画のロケ地に、このプラハがよく選ばれるのも、なるほどと思いました。

 先に訪問したウィーンも素晴らしい街でしたが、プラハはそれ以上だと思いました。ウィーンと比べたプラハの特色は、地形に起伏があり、坂道を上ったり下りたりする間の景色の変化が楽しめること(ウィーンは概して平坦)、人家の壁や屋根に、黄色や赤など明るい色が使われていることが多く、それが樹木の淡い緑と調和して、街全体の色彩が鮮やかなこと(ウィーンは灰色がかった白が多い)、そして川をはさんだ両岸に街が発達しているため、川が街歩きの重要な要素になっていること(ウィーンの場合、ドナウ川は市街地からちょっと離れている)、等々です。

 但し、どちらかといえば違いよりも共通点の方が目立ちます。ウィーンもプラハも、歴史的な空間と近代都市機能がうまく調和して、その意味ではたいへん完成度の高い都市になっているため、街の散策が市民の文化として、完全に定着しています。街歩きがこんなに楽しい都市、それを長い年月かけてつくりだした人間の営為のすばらしさを、改めて実感せざるを得ません。

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5.ヨーロッパの当たり前の国へ・・・

 これほどまでに美しい都市・プラハですが、残念なこともいくつかあります。それは煙害と糞害です。ここプラハの喫煙率とマナーの悪さははっきり言って日本以上でしょう。男性も女性も、ところ構わず歩きタバコ、くわえタバコの世界。食堂に入ったら、空気がタバコの煙で霞んでしまうことも何度かありました。ですから、もちろん歩道はタバコの吸殻だらけです。私は、個人の嗜好としてのタバコには文句を言いませんが、健康の問題や街の美化のためにも、公共の場では分煙をもっと徹底して欲しいと思います。

 もう一つは糞害です。ヨーロッパの多くの都市では、「犬のフン」が社会問題になっており、私ども旅行者も、フンをよけながら歩く難行苦行を強いられるものですが(パリで一度踏みました。きったね~)、私が訪れた中で一番ひどかったのがプラハです。時には2メートルおきに1つづつ、例の物体が確認できることさえありました。一度などは、レストランの外に貼り出してあるメニューを、英語-チェコ語対訳のハンドブックを手に確認していたところ、手をすべらせて本を落としてしまい、そこがちょうど、犬の排泄物の上だったのです!!クソまみれになった本は、もちろんその場で廃棄しましたが、とても悲しかったです・・・

 旅行者にはつらい、「罰金事件」も起こりました。プラハを去る日、宿の近くのバス停から、空港行きのシャトルバス(外見は普通のショボいバス)に乗ったのですが、その近辺には切符売り場らしきものが一つもなく、そのうちバスが来てしまったので、仕方なく飛び乗りました。そしたらしばらくして、検札係のおばさんが来て、一人一人の切符をチェックし始めました。そして我々の番になり、切符を持っていないことが分かると、その場で罰金切符、2人分で800コルナ(3200円)を突きつけられ、一言「払え」!!我々は日本みたいにバスの車内で切符を買おうとしても、そんなシステムはチェコにはないらしく、また言葉もほとんど通じないので、2~3分間の押し問答の末、仕方なく罰金を払いました。この件は言葉が分からないことも含め、我々にも責任がある話なので仕方ありませんが、バスの切符代は2人でわずか24コルナ(96円)なので、とても高い授業料を払った気持ちになりました。

 衛生・健康意識、公共意識、経済力・・・いろんな面で、チェコ共和国はまだまだ普通のヨーロッパ先進国にはなりきれてないと思いました。社会主義をやめてまだ10年余りしか経ってないのですから、まあ仕方ないのかもしれません。この国の物価の感動的な安さも、一般労働者の月給が平均5万円弱(380米ドル)という、まだ弱い経済力の反映なのでしょう。でも、経済に関しては急速にキャッチアップしつつあるようです。プラハ市内の主なスーパーには求人広告が積み上げられていますし、街で働く人々の姿も勤勉そのもの。朝から晩まで工事の槌音が止まず、スーパーは夜11時12時まで開いてるのが当たり前・・・

 ここ1年で、チェコの通貨コルナはユーロに対して2割近く値を上げたそうです。ニューヨーク同時テロによって、英独仏の観光客が米国旅行をキャンセルし、その代わりにチェコなど中欧を目指すことによって、観光収入はますます増え、景気を後押しするだろうと、地元の英字新聞には書いてありました。チェコを代表する自動車メーカー「シュコダ」も、ドイツ式の品質管理をマスターし、欧州のマーケットで人気を博していると聞きます。

 これから豊かになるチェコ。その過程で、普通のヨーロッパ先進国のようにいろんな面が整備されてくるでしょう。同時に、犯罪やドラッグ、移民など、難しい問題も抱えることになるでしょう。でも、口数少なく、ボソボソつぶやくようにしゃべるチェコ人の寡黙さと実直さ、プラハの美しい街並みだけは、今後もそうそう変わることはないだろうと思います。

 

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