こんばんは、Manachanです。宮城、福島への小旅行から帰ってきました。
今回は、仙台でレンタカー借りて、太平洋岸沿いを南下、南相馬市で伝統行事「相馬野馬追」をみて、騎馬武者のかっこよさに感動!その後、阿武隈山地を縦断して福島市へ入り、安宿で一泊。
【勇壮な騎馬武者が集う、相馬野馬追】
二泊目は早起き。飯坂温泉近くの丘陵地帯で果樹農園を営む友人のところで、桃を箱買いして、鄙びた共同浴場で一風呂浴びた後、福島市内の蕎麦屋で、総勢6名でオフ会を実施、その後、高速を飛ばして仙台まで戻り、レンタカーを返した後、激安高速バスで東京に戻ってきました。
福島市で行ったオフ会とは・・・
信夫山ネコの憂うつ
という、福島市在住の方のブログサイトの掲示板を通じて知り合った仲間です。昨年9月にも福島市でオフ会やったので、今回が2回目になりますね。
信夫山は(競馬に詳しい人なら知ってるでしょうが)、「しのぶやま」と読みます。福島盆地の真ん中にそびえる、標高275mの低山。県立美術館から見上げると、緑がとても美しい。福島市民にとっては、街中の身近な山なので、お花見やハイキング、ピクニックの場として、四季を通して親しまれています。
【福島市のシンボル信夫山】
震災・原発ショック冷めやらぬ2011年6月。国内外から、様々な政治的思惑を持った団体が、福島に乗り込んできて、「福島の放射能危険!」、「直ちに逃げてください!」など、真偽の怪しい恐怖煽り、脅しが新聞・週刊誌やネット上に氾濫し、「このままでは故郷・福島が潰されてしまう」という危機感から、福島市在住の「信夫山ネコ」さんが立ち上げたブログは、わずか2年弱で100万ヒットを達成する巨大な掲示板に成長しました。私も、同年8月頃から、このブログの常連です。
原発・放射能関連のブログは、炎上しやすいのが常ですが、ネコブログでは、多くの人が生活者の立場で、放射線の健康影響について真剣に学び、そして、自分の暮らす地域に責任を持つ立場から発言しているので、荒れることも少なく、まったりとした雰囲気で居心地がいい。
最近は各界の専門家も、よく書き込んでいるので、良質な情報が溢れる、事実上の「福島・放射線ポータルサイト」になっています。
ネコブログに集う人々は、年齢層も、職業、性別も様々。原発に対する立場も人それぞれ。多くは福島で暮らし、震災・原発事故後、多少の不安や不自由はあっても、地元に留まることを選択した人々です。
そして、福島が反原発のシンボルとして「フクシマ」とカタカナで呼ばれ、あることないこと、いろんなつくり話の題材にされることに対する、不快感を共有しています。
「俺らは福島で、普通に元気で暮らしているよー!」
「福島は、フクシマじゃないぞ。放射能の色眼鏡で見ないでくれよー!」
私は、福島とは縁もゆかりもない、関東人ですが、自分の故郷(千葉県東葛地域)もひどい放射能風評被害を受けて、怒り心頭に達していたので、程度は違えど、福島の皆さんの心情は、よく理解できます。
自分の気持ちを、ネコブログで意見交換しているうちに、お互い、仲良くなり、いつしか「福島に遠征してオフ会」を、定期的に行うまでの仲になりました。
今回の参加者は、私を含めて総勢6名。今回は、飯舘村出身のKさんも参加しました。飯舘村は、マスメディアでよく紹介されているように、高い放射線量ゆえに、全村避難しました。震災後2年半経った今でも、村はほぼ無人状態のままです。
ご両親が飯舘に住み、福島市に在住するKさんは、人々が村に戻らないのは放射能の問題というよりは、むしろカネの問題だといいます。
避難したら、東電から賠償金がもらえる。その額は、過疎地で農林業を営むより、場合によっては3~4倍にもなる。若い人たちは、地元の村より便利で快適な都会(福島市)の生活に慣れ、いまさら、不便な村には戻れないという人も多い。
村の放射線量は下がっている、除染も徐々に進んでいるのに帰れない。避難が長引くにつれ、帰村は困難になる。このままでは、飯舘村が消滅していまう・・・Kさんは焦り、嘆きます。
Kさんの気持ちを完全に理解することは、私にとって難しい。福島市や郡山市のように、「普通に住める」けど「風評被害で迷惑している」人々の気持ちは、自分も同じ経験をしたので、ほぼ100%理解できるけど、
自分の故郷が消滅の危機に瀕した経験はまだないので、Kさんの悲嘆がどれほどのものであるのか、それを形容する言葉を私は持ちませんが、でも、彼の気持ちに寄り添い、何らかのお役に立ちたい、という気持ちはあります。
「飯舘村を復活させたい」Kさんへ、私の本音コメント・・・
「飯舘村に帰りたい人から、帰ればいいのではないですか?」
「帰るには仕事が必要だけど、現状なければ自分でつくればいいのではないですか?」
「たとえばの話・・・県道12号線沿いの無人地帯でガソリンスタンド&コンビニやれば、ものすごく儲かって、雇用創出につながる気がしますが・・・」
【飯舘村を通る県道12号線は、いまや福島県東西交通の幹線道路!】
飯舘村は、福島市と南相馬市を結ぶ幹線道路「福島県道12号、原町川俣線」上に位置しています。
飯舘村以南を通る国道114号線は、福島第一原発からさらに近く、帰還困難地域が含まれて全線通
行できないので、福島県北部を東西に縦断する道路は、県道12号線のほかは、さらに北側を通る国道115号(中村街道)位しかありません。
県道12号沿線は、国道115号より放射線量が高いですが、それでも、多くのドライバーがこの道を選んでいます。道路状態が良く、福島~南相馬間を最短時間で通行できるからです。
私も、去年と今年、県道12号線を走りましたが、朝も昼も夜も、かなりの交通量です。代替できる道路が少ないため、飯舘村はほぼ無人地帯にもかかわらず、交通量は震災前より、間違いなく増えているでしょう。誤解を恐れずに言えば、「今の飯舘村は、福島県東西交通のハブ」なのです。
にもかかわらず、飯舘村が全村避難したため、県道12号線沿いでは、南相馬市の原町市街地から川俣町までの、約40kmの間、店舗が一軒も見当たらない状態です。
これだけの交通量があるのに、店舗が40kmにわたって存在しないのは、どう考えても不便・・・角度を変えれば、またとないビジネスチャンスに見えます。
飯舘村の実情をよく知らない、外部の都会人のアイデアに過ぎませんが、私なら・・・
・飯舘村東部、八木沢峠西側の「草野」あたりの幹線道路上に、コンビ二兼ガソリンスタンドを開業する(この辺は、「40km無店舗地帯」のちょうど中間地点・・・)。
・飯舘村で働く場を提供したい篤志家がお金を出して開業、地元で働きたい者(若者ならベスト)が、住み込みで働く。(お金集めは、クラウドファンディングも、使えるかもしれない)。
・ここを、「飯舘復興茶屋」みたいなネーミングにして、プレスリリースやって、ポータルサイトもつくって、県内外で知名度を高める。
・飯舘のご当地グッズなども、ここで企画販売できれば、村内に製造業の雇用が生まれるかもしれない
飯舘村草野近辺は、立ち入りは自由、寝泊りに許可が必要な「居住制限区域」に該当しますが、老齢等、いろんな理由で飯舘村に住んでいる人は少数ながらも居るため、行政の許可を取って寝泊りすることは、たぶん可能だと思います。
私は昨年、今年と、ガイガー持ってこの近辺を走りましたが、線量は1年前より2割程度、下がっていました。まだまだ、村内の除染が進んでいるとはいえず、今の線量を気にする人もいるでしょうが、気にしない人から先に、村に住んでガンガン商売して利益出せば良いと思います。どっちみち立ち入り自由なんだし、先にリスクとって行動した者に、商売の神様は微笑むと思いますし・・・
これを、誰かがやって成功したら、「俺も、続く!」ということで、自発的に村内に戻る人が増えるのではないでしょうか?
飯舘村の菅野村長は、来年あたり「帰村宣言」する予定だそうですが、村の復活にあたって、行政と商売がうまくコラボできれば、さらに良いですね。経済活動がないと、所詮、行政なんて成り立ちませんから・・・
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