2014年 9月 の投稿一覧

日本で米ドル現金を良いレートで換える方法

こんにちは。Manachanです。

私は、今も昔も、バックパッカー。どの国に行っても、マネーチェンジャー(両替商)で現地通貨に換えて、世界中を歩いています。

東南アジアでも中南米でも、中近東、ヨーロッパ、アフリカでも、たいていの国は、街角にマネーチェンジャーがあって、米ドル、ユーロ、日本円などの現金を持っていけば、レートの良し悪しはあれど、その場で、換金してくれます。

近年はATMカードの発達により、マネーチェンジャーを使わず、機械で現地通貨をおろして使う頻度も増えてはきましたが、私は仕事柄いろんな国に行って、結果的にいろんな通貨を少額残してくるので、何だかんだ言って、マネーチェンジャーは重宝します。

私の歩いた限り、交換レート良い国(=薄利多売してくれる)といえば、シンガポールがピカイチですね。

シンガポールでインド人が経営するマネーチェンジャーは、常時、30ヶ国以上の現金をプールして、利益をギリギリ削って、一回の換金で何セント稼ぐみたいな、せこい、もとい素晴らしい商売をしてくれますね。業界最安値のFXスプレッドを、何十年も前から実現しているような感じ。

私、手持ちの豪ドルを日本円に換えたり、その逆をやる時に、よく、シンガポールを使います。日本やオーストラリアで直接換えるよりも、シンガポールドルを介して換えた方がレートいいんだもんね。

その意味でいくと、日本やオーストラリアは、マネーチェンジャーの乏しい、(ある意味)寂しい国…観光立国とはいうけれど、日本を訪れる外国の観光客は、空港や銀行とかで、ボッタクられて円を手にするしかないのか?

最近では東京や大阪の中心街で、「大黒屋」「甲南チケット」などの金券ショップで米ドルやユーロを扱い、銀行よりちょっとだけ良いレートで換金するようだけど、それにしたって、シンガポール等東南アジアの素晴らしいレートには遠く及ばない。

いま、1米ドル=109円前後のレートですが、大黒屋に米ドル持ち込んでも106.5円、銀行だと106.0円くらいじゃないかな。

しかし、日本に住所があれば、それよりはるかに良いレートで換える方法があります。それが、

みずほ銀行の外貨預金口座をつくって、ATM機でドル→円に振り替え

この方法を使えば、

「入金手数料500円」+「為替手数料が片道40セント」で換えられます。やや手間がかかりますが、

1ドル=109円の時に、1000米ドルを換える場合、

大黒屋    10万6500円 (1ドル=106.5円、手数料込)
市中銀行   10万6000円 (1ドル=106.0円、手数料込)
みずほ銀行  10万8100円 (1ドル=108.6円 - 500円手数料)

やり方は、次の通り、

1)みずほ銀行の店頭で、外貨預金口座をつくる。通帳はその場でできるが、カードが届くのに約一週間かかる。

2)通帳を使って、米ドル現金を入金(500円の手数料がかかる)

3)カードが届いたら、みずほ銀行のATM機で外貨預金取引(米ドル→円)を行う。

私、手元に1200ドルあったので、早速、やってみました。
米ドルはじりじり上がっているらしく、今日(9月30日)は、1ドル=109.45円ですね。

【外貨預金に、1200ドルを入金】

【ATM機で、今日のレートをチェック。米ドル→円なら109.05円】

【次に、1200ドルを、円に振替】

【明細が出る。1200ドルが13万860円になることを確認】

「確認」ボタンで、瞬時に、米ドルが円に変わります。なかなか便利!

【最後に、13万円をおろす】

窓口での預け入れが必要になるので、1200ドルを13万円にするのに20分ほどかかりましたが、フツーに換えるよりは2~3000円くらい得しますね。

ま、FX口座を使うともっとレートいいんでしょうが…手元にキャッシュが数千ドルとかある場合に、気軽に円転できる方法として、おススメできます。

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日本の空室が気になる中華圏投資家

こんにちは、Manachanです。

私、今でこそ不動産専業で気楽な一人会社やってますが、昨年2月までサラリーマンでした。宮仕えの傍ら、副業で中国人向けの日本不動産紹介の仕事をしていました。今のところ、あんまりオカネにはなってませんけど、この仕事のキャリア自体は4年を超えます。

特に中国大陸人の場合、日本で不動産買えばついでにビザも…という話になるので、私が投資経営ビザをサポートしてあげて、晴れて来日、一家で移住された方もいます。こんな話をすると、「日本の土地建物を外国人に売り渡す○○○!」みたいな言われ方をされることもありますが、

私が投資経営ビザに関わった中国人は皆、日本で真面目に商売をしており、納税の義務も果たして新規雇用もつくり、微力ながらも日本経済の活性化に貢献しています。私、胸を張って、「日本のためになる人材を連れて来てるんだ!」って言い切れますよ。

ところで、外国人個人投資家向けの日本不動産紹介の仕事は、はっきり言って、歩留り悪い。仕事のやり方が良くないのかもしれませんが、私の受けた問い合わせの95%以上は、途中で雲散霧消します。

しかも日本人の感覚からすれば、信じがたい程、些細なことで客の気が変わったり、突然連絡取れなくなったりします。

私、今のところ、この仕事では誰も雇っておらず、自分の自由時間と中国語能力だけを使ってやってるから実害少ないけど、誰かを雇って給料払ってたら最後、それこそ、金食い虫。まじでやってられないと思いますよ。

実際、中国人需要を取ろうとした日本の不動産屋のほとんどが、この商売から撤退してますよね。最初はとことん身軽に、金を使わずにやるのがベストだと思います。

ところで、最近、私がやり取りしている潜在客の間で、「日本の空室問題」が話題になっているようです。

今月中旬…私がずっとやり取りしてきて、東京のマンションを買う気満々になっていた台湾人投資家が突然、「東京の空室問題がひどくて、家賃上げられないっていうニュース見たから、当面買わない!」と言い出しました。

そのわずか2~3日後、別件でやり取りしてきた香港人が、全く同じことを言い出してきました。

おそらく、中華圏で影響力のある投資家か評論家が、最近、日本の空室問題に関してコメントしたのでしょうね。

私は、このように答えました。


「日本の空室率が、年々上がっているのは事実です。また、日本人の所得環境が改善しているとはいえないので、家賃の値上げは難しいです。しかし、だからといって、あなたの買った東京物件が同じように空室問題に悩まされるのかというと、そうでもありません。」

「空室率というのは、あくまで平均値の話です。いま、日本の不動産オーナーのなかで、真面目に賃貸経営していない人が、少なくとも半分以上います。彼らは今後、空室問題に悩む側になるでしょう。一方で、賃貸経営頑張って、セミナーにも参加するような熱心な大家さんであれば、東京都内なら間違いなく、90%以上の入居率をマークしているはずです。」

「私は、賃貸経営サボっている大多数の大家さんに比べて、間違いなく不動産に関して多くを学んでいるし、立地や物件を見る目も確かだと自負しています。つまり平均値以上は、軽くマークできる。世間の空室率はどうあれ、東京都内でちゃんと物件を選んで、適切に管理すれば、空室率10%以下で稼働させる自信があります!」

…こんな感じで、時間はかかるでしょうが、我らの隣人、かつ(おカネのある♪)良いお客様である中華圏投資家に対して、日本の不動産事情を、正しく伝えていきたいと思います。

逆にいえば、彼らが空室率を気にすること自体は、不動産投資のスタンスとして、健全な証拠だと思います。

中国人不動産投資家は、アメリカでもカナダでも、オーストラリアでも英国でも、東南アジアでも、どこへでも大量進出して、賃貸利回りなど全く考えない値上がり狙いの投資(投機?)を繰り返した結果、現地の不動産相場を吊り上げた張本人、というイメージがあります。

同じ中華圏内の話ではありますが、香港やマカオ、シンガポールの不動産も、大陸人投資家マネーで大いに高騰しました。

その彼らが、これから東京を中心に、日本不動産に参入してくることでしょう。

各先進国に比べて、まだ割安感のある物件価格、6年後に控えた東京オリンピック、中国主要都市から3時間で行ける近距離、ビザ要件の緩和…ネタは揃っています。

彼らが日本で、投資家としてどんな動きをするのか?億ションを転売しまくるような投機的な動きをするのならば、(業者としては有り難いけど…)一日本国民としては、あまり歓迎はできません。

逆に、空室率を気にするような、真っ当な賃貸経営のスタンスをもって参入してくるのであれば、私は大歓迎したいと思います。

中華圏のなかで、香港人、台湾人は特に、不動産投資のプロ、セミプロ揃いです。グローバルな視点も持っています。

彼らが日本を舞台に、日本トップの不動産投資家・賃貸経営者と切磋琢磨する時代が来るのであれば、それはいかにも楽しくエキサイティングですね♪

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国内不動産セミナーは緊張します!

こんばんは、Manachanです。

最近、セミナーラッシュでして、講演資料作成に追われています。ここ2週間だけで、講演4本…本数自体はともかく、海外ネタ、国内ネタが交互に続くのが、講演者としては結構しんどい。

9月25日 アジア太平洋大家の会主催「3年で出口!新・オーストラリア投資セミナー

9月27日 三和エステート主催「不動産投資実践力強化セミナー

10月3日 オウチーノ主催「フィリピン・セブ島不動産投資セミナー

10月5日 松堀不動産主催「プロ投資家が語る!埼玉新築投資セミナー

見事に、海外(オーストラリア)国内(福岡・千葉)海外(フィリピン)国内(埼玉)という、飛び石連休状態。

私、時間がないので、複数の講演資料を同時進行で作成することが多いです。今日なんか、まずオーストラリア不動産の資料つくって、休む間もなく埼玉不動産の資料づくり・・結構、頭こんがらがりますね。

オーストラリアモードから、埼玉モードへの切り替えを、瞬時にできるようになりたいなあ。

ところで、海外不動産セミナーと国内不動産セミナー、どっちが得意かといえば、今は圧倒的に前者の方ですね。講演者の立場からいうと、国内不動産セミナーの方が、ずっと気を遣います。なぜか?理由は二つあります。

1)日本国内の不動産投資でいえば、私なんかよりずっと保有物件数多くて経験豊富でスキルも優れた、プロな方々も聴きに来るから

2)セミナーでご紹介する物件が、新築建売アパートという、プロな方々には「やや退屈」な商材だから

私、千葉や埼玉で業者向けの土地仕入れとかやってるから大体分かるけど、いま首都圏で、業者が建てる新築の木造2階建アパートは、表面利回り8%出ればいい方です。建築コスト高騰、プラス土地代も上昇気味の昨今、東京通勤圏で7%台後半出すのも正直しんどい。

この、7~8%という利回り、不動産投資初心者で、属性の良いサラリーマンが「第二の収入づくり」、「自分年金づくり」という趣旨で手を出すなら、悪くないと思います。属性よければオリックスとかで金利2%前後で借りられるでしょう。築10年くらいまでは修繕費かからないから、キャッシュフローはラクに回るはず。


しかし、競売、任売、分離発注、セルフリフォーム、シェアハウス経営など、様々なテクを駆使して、高い利回りを自分で作り上げてらっしゃる、プロ級の洗練された賃貸経営事業者からみれば、新築で8%なんて、たぶん、かったるくてやってられないでしょう。それに、業者が企画した建売アパートみたいなパッケージ商品には飽き足らない方々でしょうし…

そういうプロな方々も、聴衆として来ていただく以上、彼らにも何らかの満足を与えていきたい。どうすればいいのか?私の経験、スキルでそれができるのか?

一方で、不動産投資全く初めて、みたいな初心者の方々も聴きにくるから、彼らにも分かりやすく話す必要もある。国内不動産セミナーの場合、そういう組み立てを考えなきゃならないんですよね。

これが海外不動産ネタだったら、ほとんどの人が初めて聞く話だから、講師としてはかえってラクなんです。

建売アパートを紹介する国内不動産セミナーで、プロな方々を含めて、リテラシーの高い聴衆をどうやって満足させるか?

商材自体の話では、上級者を満足させることはできない。
・私の大家体験談も、超プロな方々からみれば児戯に等しい。
・イケメンじゃないから、ルックスでも勝負できない。

であれば、

地域特性や、賃貸市場の読み方あたりの話を入れて、勝負するしかない。

たとえば、10月5日に埼玉をテーマとする不動産セミナーをやりますが、自分の持つ「千葉県出身者」という視点から埼玉という地域を、賃貸経営の視点からマクロからミクロまで俯瞰して語ってみると結構面白いかも…たとえば、

・千葉県には「首都圏チバ」と「地方圏チバ」の両方あり、両者はまさに別世界。埼玉県の場合、どこが首都圏と地方圏の境目なのか?

・「首都圏チバ」の駅でも、駅から徒歩何分離れただけで超田舎になって賃貸市場がほぼない場所がたくさんある。「首都圏サイタマ」の場合はどうなのか?

・千葉と埼玉を直接結ぶ鉄道は、「東武野田線」と「武蔵野線」しかないが、千葉側と埼玉側、どちらが栄えているのか?

・サラリーマンがフルローン引いて新築アパートを建てる場合、今の利回りだとス○ガ銀行だと採算合わないから必然的にオリ○クス銀行に頼ることになる。オリ○クス銀行の融資エリアは千葉県と埼玉県の場合、どこになるのか?

・千葉も埼玉も、農地が多くて地主が土地活用や相続税対策で大○建○やレ○パのアパートを建てることが多いが、具体的に両県でどんな違いがあるのか?

・建築費高騰の折、新築マンション建てても坪100~120万とれないと採算割れと言われているが、千葉と埼玉の場合、どこまでOKで、どこからアウトなのか?

等々…そんな話であれば、プロの方々もたぶん聴いたことないでしょうし、また初心者の方々も十分楽しめるでしょう。

10月5日の埼玉セミナー、頑張って準備します。

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ご当地アイドルの時代

おはようございます。Manachanです。今回は「かる~いノリ」の記事でいきますね。

いま日本全国で、「ご当地アイドルグループ」の結成がブームになっていますね。東京でメジャーデビューするのではなく、地方都市に密着した活動を展開するのが特徴で、日本ご当地アイドル活性協会によると、ご当地アイドルの数は430を数え、毎週、日本のどこかで1つのグループが新たに生まれるほどの過熱状態だそうで…

ご当地アイドルは、全国のフェスティバル、地域おこしイベントに等活用されている他、いろんな事情で地元を離れられない(or離れたくない)女の子たちの受け皿にもなっているようです。ケーブルTVなど、地域密着メディア発達の影響も大きかったことでしょう。

全国的に有名なご当地アイドルといえば、「天使すぎるアイドル」として知られる橋本環奈さんが真っ先に思い浮かびます。彼女は福岡県を拠点に活動する女性ローカルアイドルグループ「Rev. from DVL」の一員でしたが、

2013年11月、首都圏遠征中のイベントで踊っている写真がインターネット掲示板「2ちゃんねる」や「Twitter」などで急速に拡散。「奇跡の一枚」と言われた写真の拡散によって「可愛いすぎるローカルアイドル」として注目を集め、ついにメジャーデビューを果たしました。

最近は、地元密着ながら、東京で講演するグループが増えてきましたね。

私が一番最初に知ったご当地アイドルグループは、意外かもしれませんが、茨城県下妻市を本拠とする「しもんchu」です。3年ほど前、ネットサーフィンでたまたま見つけました。

下妻市…あの「下妻物語」で一躍有名になった都市です。都内からは多少距離がありますが、私の地元・柏市からは近くて、「常総アウトバーン」と呼ばれる国道294号を飛ばせば一時間で着いてしまう地。幼い頃から、それなりに馴染みもあります。

「下妻行って、しもんChuのコンサートみて、帰りに水海道のブラジル料理食って柏に帰る」手軽なドライブコースにもなるわけですな。

しもんChuは、2011年10月結成。私の知る限り、茨城県内では最初に世に出たローカルアイドルグループです。常に地元密着を貫き、現在でも県内だけで活動しています。背伸びしない、地元っぽさ、フツーっぽい感じがイイですね。

私がチェックしてた頃は、「ひいちゃん」(桜井仁美さん)がリーダーでしたが、彼女は2012年8月に卒業。

「この道をあるってくと‥」とか、自然にチバラギ弁が出てしまうところが可愛い

その後もメンバーの卒業が相次ぎ、結成当時の7名から、今では3名になって、ちょっと寂しいかも。

現在のメンバーは、「しおりん」(島村詩織さん)、「みさきんぐ」(池田美咲さん)、「まいまい」(内田麻衣さん)の3名。ところが、9月15日に突然、「しおりん」のブログで「卒業します」との悲しい知らせが…。

メンバーが2人になったらあまりにも寂しいから、早く補充して欲しいな。

いま、茨城県内では、「しもんChu」のほか、「水戸ご当地アイドル」、土浦市の「T-Princess」、鹿嶋市の「かしま未来りーな」などが活動しています。隣の栃木県では「とちおとめ25」などが知られていますね。

(独白:俺、どうして、北関東のアイドルばっかり紹介してるんだろう?)

物件調査やセミナー講演で日本全国を訪れる機会の多い私…

講演のついでに地元アイドルの追っかけやれたら便利かな~と思って、「全国あいどるmap」も買ってしまいました。家族に見つかるとこっぱずかしいので、Amazonで買って、事務所に届けさせました。

日本各地にアイドルグループができて、郷土料理みたいに手軽に楽しめる…楽しい時代になりましたね。

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ラオスとタイ、同文同種

おはようございます、Manachanです。フィリピン、タイ、ラオス3か国出張から日本に戻ってきました。

今回の日記は、訪問国のひとつ「ラオス」がテーマ。

私、ラオスを訪れるのは、2回目。今年の3月と9月に、首都ビエンチャンを訪れています。目的は、ラオス国の歴史はじまって以来、初めての「コンドミニアム」(高級マンション)予定地視察と、経営陣との面談です。

東南アジアの不動産は、いつも中国、韓国、シンガポールなどが先に参入し、日本人は彼らの後塵を拝することが多いわけですが、ラオスに関しては、彼らが参入する前に日本人(投資家代表)としていち早く参入し、経営陣とガッチリ握っておきたい、という決意のもと、乗り込んでいます。

ラオスで一体どんなコンドミニアムが建つのか、その話は、順次していきます。今日は、予備知識として欠かせない「首都ビエンチャンの地理」について書きます。

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『ラオス人民民主共和国』

面積:23.7万平方キロ(日本の約60%) 
総人口:約650万人(日本の約5%)
首都ビエンチャンの人口:約71万人
公用語:ラオ語(言語学的にはタイ語の一方言)
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この「ビエンチャン」の位置が、ある意味、すごい。

ラオスの首都からメコン川を挟んだ対岸が、すぐタイ領なのです!

メコン川は雄大な国際河川ですが、ラオスあたりは中流域で、河幅が大して広くありません。都内を流れる荒川程度しかありません。頑張れば泳いで渡れてしまう位。

実際、ラオスが社会主義化された1970~80年代、夥しい数のラオス人が、仕事と良い生活を求めて、メコン川を泳いでタイ領に渡りました。

ラオス人と、タイ人は、起源1000年前後、中国南西部からインドシナ半島に移住して、国をつくりました。タイ人とは民族的に同根で、今日でも言葉が通じます。見た目もタイ人と同じなので、ラオス人がタイ領内に紛れ込んでも、タイ人と名乗ってしまえば、それで通ってしまう‥

ところで、なぜ一国の首都が、隣国のすぐ対岸にあるのでしょう?しかもラオスにとって、タイは自分よりはるかに大きな存在。人口は10倍、国民総生産は60倍もあります。両国の間に軍事的緊張があれば、ラオスはひとたまりもないはず…

世界中見渡しても、首都が隣国と接している例は、ほとんど知りません。強いていえば、スロバキアの首都・ブラチスラバが、チェコとオーストリアと接している位かな。

チェコとスロバキアが、1918年から1992年まで、同じ国だったように、タイとラオス(厳密にいえばタイ東北部とラオス)は、かつて、同じラーンサーン王国の民でした。その時代は、1353年から1893年、ラオスがフランス領に編入されるまで、500年以上にわたりました。

ラオスが社会主義国として独立したのは1975年、その後しばらくは、隣接する資本主義国タイとの間で国境紛争があったそうです。その当時は、ベトナムという後ろ盾があったので対抗できましたが、ソ連と社会主義陣営が崩壊した後は、当然、タイと仲良くしなければ生きていけない。独立国とはいえ、タイの一地方みたいなたたずまいで、時を過ごしてきました。

同時に、タイから夥しい消費物資と、TVなど大衆文化がラオスに流れ込みました。言葉が通じるから、受容も早い早い!ビエンチャン国際空港のテレビからして、タイの番組を流してましたし、いまや、ラオス都市部の若者の共通語はラオ語でなくタイ標準語になってしまったという話もある位。

まるで、東北地方の若者が東京の共通語に染まってしまう、みたい話ですねえ…

つまり、ラオスとタイの関係は、「それぞれ異なる国民国家の対抗関係」というよりは、「もともと同じ国民だったのが、いろいろあって、別々の国になっちゃったのよねえ・・・」みたいな感じ。だからこそ、ラオスの首都ビエンチャンがタイ領の対岸にあっても、それは自然な風景に見えてしまうわけ。

仮に(いまさらあり得ないですが…)、タイが領土的野心を燃やして、ラオスを併合する気になったとしたら、ラオス人はそれを静かに受け入れるかもしれない。いや、軍事力を使わずに、「タイ・ラオス連邦」という国ができたとしても、なんら不自然ではない。もともと別の国だった「チェコ」と「スロバキア」よりも、タイとラオスの方が自然にくっつきやすい気がします。

そろそろ、不動産の話題に移りましょう。

今回のラオス訪問で、「タイ人と言葉が通じる」意味の大きさを、まざまざと見せつけられました。

ラオス国始まって以来、初のコンドミニアムを世に出そうとしているラオス人事業家と面談しました。ラオス国内の鉱山開発や建設業で財をなした経営陣、は2年間、じっくり事業計画を練って、満を持して、世界に通用するコンドミニアムをラオスの地に現出させようとしています。

その際、彼らが「タイのデベロッパー」の力を借りたのは、言うまでもありません。ラオスには、技術も経験もない。でも、川向うのタイには、少なくとも15年以上のコンドミニアム建設の歴史と、豊富な経験、技術がある。

少なくともベトナム、カンボジア、ミャンマー、フィリピンよりは確実に上をいく、東南アジアでトップクラスの「タイの建築コンセプトと施工技術」を、ラオス人経営陣は徹底的に学んだのです。お互いの言語的な障壁はほとんどありません。通訳なしで、そのまま、打ち合わせも電話会議もできるのです。(言葉の違う)ベトナム人やカンボジア人にはできない芸当です。

今年11月に着工予定のコンドミニアムの施工には、完成まで、タイの建築会社が全面的に参画する予定です。その時も、ラオス人の現場労働者と、タイ人エンジニアや現場監督の間に、言語的障壁がほぼない、というのも強い。

ようやく経済成長の端緒についたラオス。国民の起業家精神と物欲が伴った場合、今後、東南アジアで他の誰も真似できない「タイ語能力」を武器に、急速にキャッチアップを果たしてしまうのかもしれない…

一体、どんなコンドミニアムができるのか?それは、Home’sコラムを読んでみてくださいね。

ラオス第一号コンドミニアム始動!

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LCCと24時間空港

こんばんは、Manachanです。

(9月15日夜…混乱のマニラ空港にて)
いま、フィリピンのマニラ国際空港で、次の目的地・バンコク行きのフライトを待っています。現地時刻は22時過ぎ。本来なら、とっくに出発しているはずなんですが、スケジュールが遅れに遅れ、いつ出発できるのか、いや、本当にバンコクまで行けるのかどうか、分かりません。

マニラ 21:35発 ⇒ バンコク 23:50着 のセブパシフィック便

LCC(格安航空会社)なので期待値を高くはできませんが、バンコク到着が深夜だし、翌朝にはラオスまで行かなきゃならないので、せめて、ちゃんと時間通りに飛んで欲しいところ。ですが、

20:45 搭乗口111で待っていたところ、搭乗口が115に変更になったとの知らせを受け、乗客全員、移動
21:25 搭乗口115で待っていたところ、今度は107に変更になったとの知らせを受け、乗客全員、呆れ顔で移動
21:35 乗客一同、搭乗口107に移動したら、行先表示板には「台北」の文字が…なぜだ?
21:50 搭乗口107で、台北行きのフライトの搭乗開始

で、我々のバンコク行きはどうなるの?台北行きが飛んだ後、新しい機材を回してくるのでしょうか?そんな飛行機、探してもどこにも見当たりません。もはや、私の心配事は「いつ、バンコクに着けるか?」じゃなくて、「本当にバンコクに出発できるのか?」になってしまった。

幸い、ここマニラ空港は24時間空港。目的地のバンコク・スワンナプーム空港も24時間稼働している空港なので、最悪、出発が24時を回っても、機材さえ手配できれば何とかなる。たとえ今晩、睡眠時間が全く取れなかったとしても、明日の明け方までに私の身さえバンコクに着ければ、ラオスには行ける…

そんなことを考えていたら、「バンコク行きのお客様ご搭乗ください」のアナウンスが流れた。

22:45  予定より1時間以上遅れて、我々の飛行機は無事、マニラを出発できた。

(9月16日早朝…バンコク・スワンナプーム空港にて)
翌朝0:55  微笑みの国タイランドに無事着陸  

マニラ時間で午前2時、日本時間では3時!さすがに眠いっす。イミグレを出て、タクシーを乗って、ホテルにチェックイン。助かった!さすがに、バンコクは24時間眠らない街…

バンコクの地で、私たちの住む「東京」に思いを馳せてみる。

首都圏~関東には、空港が3つある。羽田と、成田、そして茨城…そのうち、24時間稼働できる空港は、現時点では羽田しかない。

それなのに、成田が事実上のLCC空港になっている。エアアジア、セブパシフィック、ジェットスター、スクートなどの国際線LCCと、ピーチ、バニラ、春秋航空など国内線LCCの多くは、成田を発着空港にしている。しかし成田は24時間空港ではない。周辺住民との協定があって、23時以降は、離発着できない。

私思うに、24時間空港でないところをLCC空港として運用するのは、かなり難しいのでは?なぜなら、LCCはコストダウンのために、機材、人員ともギリギリの運用をしているので、少しのトラブルでも遅れやすい。

成田に、夜21時台に発着するLCCの便は結構あるけど、1時間遅れただけで、締切時刻ギリギリになってしまう。23時を過ぎれば、乗客は成田周辺のホテルに泊まるなどしなければならない。JALやANAならホテル代負担してくれるだろうけど、LCCじゃあ、たぶん無理。

今回、マニラ~バンコク便で起こったようなトラブルが起これば、成田だと捌ききれないのです。24時間空港の羽田大丈夫だけど、立地抜群で便利な「首都圏の大エース」羽田をLCCに使うのはもったいないし、茨城を首都圏LCC空港として立ち上げるにはまだ時間かかるし。

これからLCCの時代が本格化するなか、首都圏の空港をどのように運用していくのかを、真剣に考える時期に来ています。成田を24時間化できれば、「羽田⇒ビジネス便中心」、「成田⇒LCC中心」(茨城は成田を補完)という、美しい棲み分けができるのでしょうが、成田近辺にたくさんの人が住んでいる以上、それは無理なので、難しい。

24時間空港で、かつLCC対応完璧な関空を擁する大阪が、少し羨ましいかも…

【24時間眠らない、バンコク・スワンナプーム空港】

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独立自営主の自由と幸せ

おはようございます。Manachanです。

最近、土地建物の取引でいろんな案件が出て、関東地方を、毎日のように、動き回っています。

月曜日は、柏・流山コース
火曜日は、横浜・町田コース
木曜日は、川崎・横浜コース
金曜日は、茨城の県北まで行きます

日曜日からは、別の仕事で、東南アジア出張だ!

それにしても、この一年間で、私のライフスタイル、激変したものです。去年の2月まではサラリーマンだったので、平日は自宅と職場の往復ばかり、都内から出ることもほとんどありませんでしたが、

独立自営主になった今の私は、仕事(になりそうな案件)があれば、日本中、世界中、どこへでも行きます。いつ、どこへ行くかの決定も、誰への気兼ねなく、私の一存でできます。

月曜日の朝9時頃、柏市と流山市の境にある、東武野田線「豊四季」駅に降り立ちました。ここは、私の生まれ育った地元。相変わらず長閑な駅ですが、隣の「流山おおたかの森」駅から、住宅開発の波が及んできて、徐々に変貌を遂げつつあります。

駅から北へ、12分ほど歩くと江戸川大学があり、周辺には学生向けアパートが数多くあります。大地主が農地を潰して、大○建○の賃貸住宅を建てまくったようで、画一的な風景になっています。

○東○託が悪いわけじゃないけど、老若男女、たくさんの人が暮らし、今後も人口が増えるのだから、もっと賃貸住宅の選択肢があっていい。特に、オシャレで良質な賃貸住宅を増やして、楽しく暮らせる都市にしたいなと思う…いま、自分がやっているアパート用地仕入れの仕事も、良質な賃貸住宅を供給して、地元をもっと良くしたいという願いと軌を一にしています。

同時に、不思議な気分になりました。なんで、俺はいま、平日の日中、ここに居るのだろうかと…

大学を出て、都内でサラリーマンになってから、20年の歳月が流れました。平日の勤務時間中に、地元の柏や流山に居るなんて、当時は想像もできないことでした。

これも、独立自営主という、働き方を選んだからこそだと思います。「いつ、どこで、何をしたい」かを、自分で決められる。そんな自由を手にしたからこそですね。

同時に、独立自営主は、経営に失敗して「路頭に迷う自由」、「野垂れ死ぬ自由」もあります。生活の糧は、自分の力で稼がなきゃならない。私も、いま不動産の仕事を一切やめたら、家族が暮らしていくキャッシュは数か月分しかありません。

(厳密にいえば、手持ちの不動産を売れば当面食っていけるんですけど…せっかくつくった資産を取り崩したくないですね。)

ファイナンシャルフリー、という言葉があります。これは、働かなくても、資産収入だけで食っていける状態を指すようですが、

私の場合、不動産でファイナンシャルフリーを実現する前に、会社から放り出されてしまったので、とりあえず食っていくために、自分でビジネスを興すしかなかった。

たぶん、それでよかったのだと思います。

いまの私は、年を越せるだけの現金を稼げれば、それだけで十分、幸せです。もちろん、自分ひとりでお金はつくれません。取引先、パートナー、いろんな方の力を借りて、商談が実現する。そういう方々への感謝の気持ちも素直に感じます。

サラリーマンやってる時は、毎月、給料が入ってくるのが当たり前でした。その収入が、リストラや倒産で、いつなくなるのかを、危惧していたものでした。

いまは自営だから、給料なんて、なくて当たり前。自分で、いろいろ動いて、頭を使って、コミュニケーション能力を駆使して、給料をつくるしかない。それでも、支払タイミングの関係で、今月必要な生活費を稼げないこともある。

収入が「あって当たり前、なくなるのが怖い」のが、サラリーマン時代だったとすれば、

収入が「なくて当たり前、あれば十分幸せ」なのが、独立自営になった今の私ですね。

もし、私がファイナンシャルフリーを実現していたとしたら(ま、それはそれで羨ましいですけど…)、「日々、食っていける喜び」とか、「取引先やパートナーや、神仏に素直に感謝する気持ち」を感じていただろうか?

「このディール成功させたら、無事に年が越せるぜ」という高揚感(?)を味わえていただろうか?

リスクはいろいろありますが、閉塞感とは無縁。日々、生きてる、という実感がわくのが、独立自営主ライフの素晴らしさだと思います。

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はじめての相鉄線

こんばんは、Manachanです。

相変わらず、アパート用地仕入れの仕事をやってますが、その関係で最近、神奈川県の「相鉄沿線」に行く機会ができました。

相鉄線(相模鉄道)は、横浜駅から内陸部の新興住宅地へ向かう私鉄で、終着駅は海老名と湘南台。神奈川県内だけを走る鉄道事業者です。

<横浜からまっすぐ西へ伸びる、相鉄>

私、相鉄線に乗るのは、生まれて初めてです。私たち、首都圏の北側で生まれ育った者にとって、神奈川って、特に行く用事ないですもん…東京の向こう側だもんね。それに相鉄線は、都内直結してないから、神奈川ローカルじゃないと、なかなか乗る機会ないと思う。

そんな相鉄沿線に、なぜ用事があるかといえば、単純に、

・横浜市内にしては、地価が安い!
・実質は田舎でも、横浜市というだけで、アパート融資を出す金融機関が多い

腐っても天下の横浜市で、地価水準が安ければ私ども仕入れ業者にとってポイント高いわけなのです。

というわけで…ミナトYokohamaのイメージとはかけ離れた、内陸の新興住宅地に行ってきましたよ。相鉄に乗ってルンルン♪

横浜駅を出ると、しばらくは横浜の中心市街地っぽいところを通りますが、都会っぽいのは3つ目の駅「天王町」までですね。ここは、都会というより、ハマの下町。駅前から道路にせり出して野菜積んで…少し東南アジア入ってる風景。

天王町を過ぎると、星川、和田町…なんとも平凡でビミョーな住宅街が延々と続く。我が千葉県東葛地区でいえば、新京成線みたいな感じっすね。

「二俣川」という、免許センターのある駅まで来ると、はじめて、山の手っぽい雰囲気になる。でも、セレブというには程遠くて…肩の力が抜けた、フラットな感じが、いいね。

<相鉄の中心駅、二俣川>

<二俣川駅前…相模大野のミニ版って感じね>

相鉄沿線…いい意味で「ローカル感」、「地元感」満載のエリアでしたね。

私の生まれた柏市とか、さいたま市とかもそうなんだけど、都会でも田舎でもなくて、中途半端ですが生活利便施設は一通り揃ってて、東京都心に約一時間で出れるから、とりあえず暮らしていくには困らない。

新興住宅地だから他所から移り住む人は多いんだけど、親の代からここに住んでる地元民も多くて、腕に覚えのある奴だけ東京に出て、そうでないフツーの人が地元に残る。そんな彼らの醸し出す「地元Love感」というか、「神奈川っていい所だよね♪」~そんな小市民的、マイルドヤンキー的な多幸感があふれる沿線でした。

だから、私としては思い切り共感できる地域でした。特に二俣川は電車の便も良くて整備されたイイ街ですね。

ただ、起伏の多さだけは参りました。物件調査がほとんど山登りに等しいぞ!横浜はどこもそうだけど、なんで斜面のてっぺんまで家を建てるんだろう?平坦な土地に育った者には信じがたい感覚だぜ。

そんな相鉄線ですが、これから訪れる機会も多くなると思います。駅名を覚えるために、パロディーで歌をつくりました。

まず、海老名から東に進んで大和駅へ、その後、横浜駅から西に進んで大和駅に進む、という場面設定です。

『宇宙戦艦サガミ』 (「宇宙戦艦ヤマト」テーマソングの替え歌)

♪~さらば海老名よ かしわ台 さがみ野~
相模大塚 ヤ~マ~ト~!

~横浜離れ 平沼橋と
西横浜へ いま飛び立つ

~天王町 星川
和田町 上星川
西谷 鶴ヶ峰
二俣川で~

免許をとって 希望ヶ丘へ
三ツ境 瀬谷 大和
相模鉄道 ヤ~マ~ト~♪

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フランダース戦略とその応用~後編

こんにちは、Manachanです。

前回の日記(フランダース戦略とその応用~前編)を書いてから、業務が立て込んでしまいまして、更新が1週間ほどかかってしまいました。

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「前編のあらすじ」

19世紀のベルギー・フランダース地方を舞台として生まれた小説「フランダースの犬」は、地元ヨーロッパではほとんど知名度がなく、評価されなかった。

後世、この物語を日本人が発見し、世界名作劇場としてテレビアニメ化して、大成功をおさめた。今や日本発のアニメ「フランダースの犬」が英語やスペイン語に翻訳されて、欧米圏に逆輸出されている。

ヨーロッパで埋もれていた無名な文学作品を、異文化圏の日本に移植することで大きな価値を生み出した事例として興味深い。
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「フランダースの犬」から、私たちは何を学べるか?

人間だれしも、生まれ育ったところで、真価を発揮できるとは限らない。自分の持って生まれた才能・性質と、母国の社会環境との相性がベストであるとは限らない。

「母国の社会環境」を、「いま属している会社や組織」と読み替えても良いでしょう。もちろん、いまの職場や仕事から精一杯学ぶことも大事ですが、場合によっては、思い切って環境を変えた方が良い結果につながることもある。

私は日本で生まれ育ちました。10~20代の自分にとって一番悩ましかったのが、自分はとにかく「同質の競争」が大嫌いだということ。

当時の日本は、今よりもずっと経済は好調でしたが反面ガチガチな企業社会で、「皆でスタートラインについて、一斉にヨーイドンで、同じゴールを目指して競争」が強調される社会だったように思います。

中高生には受験競争があり、会社に入れば出世競争があり…幸か不幸か、私は負けず嫌いで競争能力も高かったので、勝ち残りはそれなりにできましたが、そんなことしている自分がアホらしくて…

そもそも、「なぜ、同じ年齢の日本人ばっかり集めて競争させるのか?」が腑に落ちなかった。似たようなスペックの連中ばっかり集めるから同調圧力もすごい。「空気を読め!」とか、「そんなの常識だろ!」とか。タクシーや会議での座り方ひとつとっても見えないルールがたくさんあって、私にとっては息苦しかった。

私は大学時代、バックパッカーとして世界中を歩きました。広い世界には、いろんな民族がいて、いろんな文化や価値観、ライフスタイルがあって、それぞれ悩みを抱えながらも結構楽しそうに暮らしている…そんな世界をたくさん見てきたので、日本に帰って、「素晴らしい多様性」の窓から自分自身をシャットダウンするかのような働き方がアホらしかった。

当時からみると、日本の社会もずいぶん変わりました。私が社会人になる頃から、世界最強を誇った日本株式会社はにわかに競争力を失い、企業社会からドロップアウトする者も増え、転職も当たり前になって、グローバル経済の波を受けて東京では外資系の職場も増え…国の経済力は落ちたかもしれませんが、私にとっては、ずいぶん、生きやすい日本になったと感じています。

日本社会が変貌を遂げつつある間、30代の私は主に海外で過ごしていました。オーストラリア5年、中国2年、米国・台湾・インドなどに1年。日本以外の場所に活路を見出すべく、奮闘を続けていました。

当時は、いろんな民族、人種、国籍の人が暮らす多文化社会が、自分の気質に合うと思っていました。実際に、心地よかったです。オーストラリアの職場では、上司がフィリピン人だったり、ペルー人だったりスリランカ人だったり、同僚の年齢も20代から50代後半までバラバラで、週5日働く人もいれば3日勤務の人もいて、とにかく、職場の誰ひとりとして似たバックグラウンドの人がいない、そんな職場でもちゃんと仕事を回している。ご近所さんだけで世界地図ができるような超・多文化社会なのに、ちゃんと社会を運営できている…

もちろん私も努力しました。語学力、意見表明力はじめ、世界で求められるスキルの習得にも熱心に取り組みました。そうした経験を積んだことが、日本に帰ってからプラスに評価されました。

海外渡航前は、日本で「人付き合い、世間づきあいがヘタ」と言われていましたが、海外で暮らして、「いろんな外国人と上手につきあえる」という、自分の長所に気づくこともできた。

日本に残ったとしても自分なりに努力したとは思いますが、30代で海外に行かなかったらいまの自分はなかったでしょう。「フランダースの犬」が日本人に発見されなければ、たぶん日の目をみなかったと同じように、私も日本で違和感を感じながら、企業社会のなかで埋もれていたと思います。

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これまでは「自分語り」になってしまいましたね。「フランダース戦略」を、もう少し、一般化してみましょう。

シナリオは二つあると思います。「不適合」と「過当競争」。

不適合パターン:「いま、自分の属する社会や組織に馴染めない場合、評価されない場合はどうするか?」

→1)自分の持ち味が生きる場所、自分のスキルや性質が高く評価される場所を他に探す (例.転職、移住など)

→2)自分の持ち味のなかで、一般的な理解とは、違う側面をみつけて、プロモーションする

2)が分かりにくいので、一例として、私の尊敬するブロガーのひとり「イバラキング青木先生の教え」を紹介します。

青木先生は、茨城県出身。関東ではマイナーで存在感が薄いといわれる茨城県の方言や地元ネタを面白くプロモーションして、茨城の認知度・地位向上に尽くしておられる方です。彼の講演を聞きに、茨城県の水戸までいったこともあります。彼曰く、

同じ人・モノにも、いろんな面がある。角度によって見え方も違う。一般的な理解とは違うポジティブな側面を強調してみると、面白いことができる。

たとえば関東では、茨城弁に対して「田舎臭い」とか「ダサい」イメージがある。でも逆にいえば「人間的」で、「温かみ」があるイメージもある。東京人
からみれば、「茨城訛り」自体が「ユーモア」になることもある。世間のネガティブなイメージを逆手にとって、ポジティブな側面をプロモーションしてしまおう、という考え方。

私も彼のアイデアを、いろんなところで実践しています。

過当競争パターン:「いま、自分の属する社会や組織で、自分の目指す方向が過当競争、狭き門だったり、あるいは自分よりずっと優秀な人がたくさんいて、競争に勝ち残る自信がない場合はどうするか?」

→1)物理的な場所を移して、過当競争ではない場所を探す。
 
→2)競争の土俵(フィールド)を再定義する。

2)が分かりにくいので、少し解説しますね。

私、2007年に日本に帰国した後、自分自身を、不動産投資ブロガーとして売り出そうとしていた時期があります。しかし、この分野には自分よりずっと優秀で、経験豊富な方がたくさんおられるので、とてもじゃないが、彼らを差し置いて、世に出ることはできそうにない。

では自分が得意とする「海外」ネタはどうか?しかし海外といえども、「グローバル資産運用」という分野で戦うと、先行者がたくさんいて、これも難しい。

そこで、当時は日本で誰も着目していなかった「海外不動産投資」という新たな土俵をつくり、そこで第一人者になろうと試みました。2011年に「アジア太平洋大家の会」を旗揚げしたのも、そういう考えからきています。

幸い、ここ数年は日本で海外不動産投資が盛り上がってきて、各方面から活躍の機会を与えていただくことができています。まだまだ発展途上ですが、「フランダースの犬」のように、自分たちの活動が世界中に輸出されるようになれたら素敵だなと思います。

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