オーストラリアで専門的職業に就く方法

おはようございます、Manchanです。ケアンズ滞在も残すところ、あと1日。明日には台風一過の東京に帰ります(結構楽しみ~、俺やっぱ東京でバリバリ仕事ライフ好きだわ~)。

 

4週間にわたるオーストラリア滞在中に、ひとつ嬉しいことがありました。メルボルン近くに住む、私のブログファンの方と一緒に、楽しく不動産視察したのですが(私が勢いで「物件買っちゃった」ところも目撃されてますが…)、その彼の言葉が嬉しかった。

Manachanのホームページは、オーストラリア移住して、現地で職業に就いてキャリアアップして頑張っている、日本人のロールモデルの一つとして、愛読していました

 

もうずいぶん昔のことで文章も残っていませんが、私は2000年から05年にかけて、ホームページ「Manachan’s Worldシドニー日記」で情報発信してました。主な内容は、

・「シドニー日記職業編」(職場で感じたこと、オーストラリア人の働き方や楽しみ方等)
・「シドニー不動産特集」(シドニーでの家探し、不動産投資関連)
・「ウェスタンサバーブうまいもの探検隊」(シドニー最深部エスニック地帯でのグルメ特集)
・「ラグビー熱烈応援日記」(地元チームParramatta Eelsを応援するページ。選手・チアガール特集など)
・「オーストラリア勝つ移住」(オーストラリア移住後、専門的職業に就いてまともな年収を得るための考え方と方法論。メールで移住相談も100件以上受けて、Q&A化していました)

今回の日記では、「オーストラリア移住後の就職と、専門職としてのキャリアアップ」にフォーカスを当てて書いてみますね。

 

私は3年前に独立起業しましたが、それ以前はサラリーマン稼業を19年続け、グローバル企業でのITエンジニアとして頑張ってきました。略歴はこんな感じ、

・1994~97年  大学卒業後、東京都内の環境ベンチャーの会社で勤務
・1997~2000年 ITエンジニアに転身、東京都内の米系コンサルティング会社でプログラマとして勤務
・2000~05年 オーストラリア移住、シドニーの米系IT企業で、ソフトウェア・エンジニアとして勤務
・2005~07年 同企業内で、中国・大連の事業所に転職。ソフトウェア開発・保守チームのチームリーダー。
・2007~09年 日本へ帰国、東京都内のインド系IT企業で、プロジェクトマネージャーとして勤務。
・2009~12年 東京でドイツ系印刷大手で、社内IT部長として勤務

 

勤務する国をいろいろ移ってきた関係で、額面の給料は上がったり下がったりですが、キャリア的には「プログラマ→SE→チームリーダー→プロジェクトマネジャー→社内情シス部長」と着実にレベルアップして、最終的な年収は新入社員当時の4.3倍になっていました。

「日本語、英語、中国語ができる、ITプロジェクトマネジャー」という希少価値なポジショニングで自分を売り込んできたので、どの国でも転職に苦労せず、比較的幸せなサラリーマン生活を歩んできました。日本からオーストラリア、オーストラリアから中国、中国から日本と移動はしましたが、「IT専門職のキャリアとしては一貫して伸びてきた」のが特徴だと思います。

 

移住する3年前から、私は、「オーストラリアでまともな給料のもらえる職」に就くために、準備を重ねてきました。「オーストラリアで需要の高いIT技術者のキャリアを積む」、「オーストラリアでも名の通った米系大手の会社で働く」等々…

それでも、移住当初は英語がたどたどしかったし、面接でもボロ出しまくりだったので、結局、就職活動は3か月かかり、11社落とされて、幸い12社目に拾っていただきました。就職して1年目は英語で苦労しましたが、2年目から慣れてきて、3年目からは通常勤務の傍ら若手社員を指導する立場になりました。

 

そのような戦略的準備をして、実績もあげてきた私からみると、当時シドニーにいた「日本人移住者」や「移住産業の人々」の見通しの甘さには、正直驚きました。(もちろん全員ではありませんが…)彼らに共通する点として、

・オーストラリアの暮らしやすさやライフスタイルを賛美し、日本を悪く言う。

・でもその割には、オーストラリアで大した職業に就いていない。

・現地人と混じって働くほどの英語力もない。

・遊んで暮らせるだけの資産があるわけでもない。

 

彼らの仕事は、日本人相手の飲食業とか、日系企業の現地採用とか、日本人相手の進出コンサルとか…当然、オーストラリアの生活も安定せず、日本へ「逆出稼ぎ」に行く者もいました。せっかく一家揃って移住したのに、結局自活できずに、奥さん子供だけオーストラリアに残して旦那だけ日本へ出稼ぎみたいな構図。

「そんなんじゃあ、話にならないだろ?」と、当時の私は思っていました。オーストラリアでは、英語が職業レベルでできないと、専門的な仕事に就けません。近所づきあいも、社会への参画もできません。英語できないと必然的に日本人だけで固まるライフスタイルになり、本国以上に「狭い世間」のなかで暮らさざるを得ません。それが本当に望んだことなんでしょうか?

 

当時の私がホームページで訴えたのは、「夢を煽るよりも、現実を見よう」、「我々オーストラリア移住者に必要なのは、英語力と専門能力(就職力)」、「この国に来た中国人もベトナム人も韓国人も、皆が努力してそれをやってるのだから、日本人にできないわけがない

シドニーで転職活動してた時、日系の就職コンサルの男性に食ってかかったこともあったなあ。「日本人が、現地の企業で就職なんか無理なんだよ」と言われて、「いえ、違うと思います。少なくとも俺は英米系に就職してみせます!」と…ちょうど2か月後に就職が決まりました。

 

当時の私が提唱したのは、具体的には、こういうことです。

・専門職に就いて、シドニーにおける、アッパーミドルになろう。

・アッパーミドルになれば、便利な場所にマイホームも買えるし、資産形成もできる。

・英語での職業能力とキャリアができれば、将来、他の英語圏での就労も可能になる。

 

なお、これはあくまで「移住先の社会でアッパーミドル」を目指す処方箋であり、それ以上の「富裕層」とか「グローバルエリート」を目指すものではありません。

 

所謂「オージーライフ」を楽しむためには、経済的基盤が必要で、

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世界中から集まった人たちに混じって…

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自分の能力をアピールして、人さまの役に立たなければなりません。

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ところで、次のブログ、いま結構影響力あるようですね。、曰く「グローバルエリート」になるには「白人」で「英語ネイティブ」でないと無理だから、アジア系として生きる現実的な線として「理系の専門家」を目指そうと言っています。文体は嫌いですけど、大雑把な内容はそう間違ってないですね。

海外移住・英語の落とし穴

 

なお、私の提唱した「専門職キャリアアップ」方法論の場合、ITエンジニアとしては「社内情シス部長」あたりが最終的なかたちでしょうね。それ以上の地位にいくには、白人エリートがトップに握る企業のなかでの社内政治能力が必要で、私はその能力に長けているわけではないしやりたくもないので、結局、独立起業の道を選びました。

今さら、サラリーマンに戻りたくはないですが、サラリーマンを19年間、やりきった満足感はありますし、貴重な体験をさせてくれたオーストラリアに対しては、感謝の言葉しかないですね。

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