旅日記

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韓流vsきゃりー、熱いASEAN対決

こんばんはManachanです。

いま成田空港で、オーストラリア・ゴールドコースト行の夜行便を待っているところです。今年の夏は出国続きですね。オーストラリアでは家族とまったり過ごして、8月19日に帰国します。

今回の日記は、かる~いノリで、東南アジアの芸能ねたでいきます。

私、先週の今ごろは、タイのチェンマイにいました。日本とタイの間には2時間の時差があります。私、いつも午前6時頃起きるので、タイでは午前4時頃、起きてしまう…当然やることないので、TVをつけて、ベッドから出ずにボケーっと過ごすわけです。

タイのTVは、日本でいう、バラエティ番組、芸能番組の類がとても豊富なようです。そして、タイを含むアジア・ポップミュージックを紹介する番組もありました。

いきなり飛び込んできたのは、

「長崎が好き!」という日本語の字幕…えっ、ここタイなんじゃないの?よく見ると、長崎の眼鏡橋の上で、タイ人のグループが歌っていました。

最近、タイ人の日本観光ビザが解禁になったこともあり、旅行ブームが起こっているようですね。特に北海道が人気のようですが、都内でも、銀座や新宿とかでタイ観光客の姿を時々見ますね。これから九州にもやって来るんでしょうか?

「長崎が好き」の後は…延々と、コリアンポップの曲が続きます。

韓流人気、日本では下火になってきたようですが、東南アジアでは健在。韓国名物、美容整形や韓流ドラマも、東南アジア全域で人気あるようですね。

「江南(カンナム)スタイル」とか、皆、大好きで、街でよくかかってます…あの踊り、分かりやすいもんね。

韓国、韓国、韓国…コリアンアーティストが10人くらい続いた後、ようやく出てきたのが、

きゃりーちゃん

彼女、日本人で唯一、気を吐いていましたね。テクノなプロモーションビデオ付で、「ファミリーパーティー」流れてました。

ASEANを席巻する韓流人気に対抗できる日本のミュージックコンテンツといえば、今のところ、きゃりーしかいないのかも。日本のアーティスト、もっと世界で頑張って欲しいものです。

あと、この番組では、中国人歌手が出てきませんでした。経済パワーは絶大だけど、中国アーティストの人気はまだまだ、なんでしょうね。

最後に、「長崎が好き」の画像をいくつか…何言ってるか分からないけど、タイ語で長崎を一押ししてるようでしたよ。

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国境の街ジョホール今昔物語~Johor Bahru, Malaysia

こんばんは、Manachanです。9泊10日の東南アジア出張を終え、無事、日本に帰ってきました。ここ数日は、ミャンマーやマレーシアで、カレー・シチュー系のメシばっかり食ってました。日本に帰って居酒屋とか行くと、やっぱり美味しいですね♪

今回の日記は、「ジョホールバル」という、アジアの中でも強烈な個性を持つ都市について書きますね。

ジョホールバル(Johor Bahru)、サッカーファンなら一度は名前を聞いたことがある都市名ではないでしょうか・マレーシアの南端にあり、狭い海峡を挟んで隣国シンガポールと接する「国境の街」です。その特異な位置関係から、

・中国の深圳、珠海 (香港、マカオと接する街)
・メキシコのティファナ (米国と接する街)

等と並び称されることもある街ですね。

【シンガポールと目と鼻の先!】

島国・日本の人には、イメージつきにくいかもしれませんが、陸路の国境を超えると、実際、いろいろなものが、変わります。言語、民族、通貨、物価…等々。特に、経済レベルに差がある二か国の国境を越えて、「豊かな国」から「貧しい国」の側へ行くと、相当な違和感を感じるものです。たいてい、

「豊かな国」の人が、「貧しい国」に行く時は、ほぼフリーパス
「貧しい国」の人が、「豊かな国」に行く時は、厳しいビザ要件が課せられ、長蛇の列

1992年に、私は北米・中米を一人旅しましたが、アメリカ(サンディエゴ)からメキシコ(ティファナ)へ国境越えする際に見た情景は、まさにそれでした。鉄格子に囲まれたイミグレで、アメリカへ渡りたいメキシコ人(+中南米人)の長蛇の列が、1㎞くらい続いていました。一方、アメリカ人はクルマに乗ったまま、マクドのドライブスルーみたいに、悠然とメキシコ側に渡っていました。

さらに、メキシコからグアテマラの国境を超える時の「落差」もすごかった。メキシコでは近代的なグレイハウンドのバスが走ってましたが、グアテマラ側ではご臨終寸前のポンコツバスが待っていて、屋根に何十羽のニワトリを満載していました。国境の少年たちは、メキシコからやって来る客の荷物持ちなどをして、米ドルやメキシコペソの日銭を稼いでいました。

とはいえ、国境で異なる経済レベルの国が接するからこそ、お互いに刺激を与え合う面があるとも思います。特に、「貧しい国」側の政府やビジネス文化がまともなら、たいてい、「豊かな国」以上のスピードで経済発展しますね。

その良い例が、中国の深圳でしょうね。1988年、私がはじめて深圳に行ったときは、本当に何もなかった。駅前に何千人単位で、無為にたむろっている、夥しい数の中国人民労働者の姿だけが印象的でした。また、当時の深圳で脂っこい中国料理以外は食べられず、香港側に抜けてステーキを食った時、「これぞ文明の味だ!」と感動したものです。要は、国境(?)の両側でそこまで大きな落差があったわけですが…・ここ20~30年間、深圳の遂げた発展は、驚嘆すべきものです。

シンガポールとマレーシア(ジョホールバル)

の国境にも、似たようなドラマがありますね。今でこそ、両国の行き来は非常に簡単になりましたが、20年前は、米墨国境同様、「シンガポールに渡りたいマレーシア人の長蛇の列」が見られました。

シンガポールは、当時から裕福な大都会でしたが、ジョホールバル側に渡ると、そこには鉄道駅の周りに、埃っぽい、小さな街があるだけで、そこ以外は、ジャングルとパーム椰子の林しかありませんでした。

【昔から国境の独特な雰囲気がある街です】

あれから20年。確かに、ジョホールバルは大きく進化しました。隣国シンガポールの発展に支えられた面もありますが、今ではジョホール側は「イスカンダル・マレーシア」と呼ばれ、市街地には立派な駅ビル複合施設(JB Sentral)とショッピングセンターができ、高速道路網が整備され、かつてジャングルだった広大な「ヌサジャヤ地区」にコンドミニアムと商業施設が林立し、レゴランドが来て、英米のインターナショナルスクールが大挙進出するようになった…

昨日、久しぶりに、ジョホールバルを訪れ、その発展ぶりに驚嘆するとともに、「こりゃ、どう考えても、建物つくりすぎじゃないかな」とも思いました。

特に、絶賛開発中、ダンガベイ(Danga Bay)地区の、コンドミニアム9000戸の建設現場をみた時、「こんなに部屋つくって、誰が住むんだろう?」と思いました。そのうち、少なくとも数百戸は、日本人が買っていると聞きます。

【本当に大都市になるのか?ゴーストタウンになるのか?】

ジョホールバルは、深圳のように大人口を抱えた街ではありません。中国のように、安価な労働力が豊富にあるわけでもないし、雇用を大量に必要とする製造業で勝負する場所ではありません。

シンガポールの隣とはいえ、もともと人が住んでなかったエリアに、大量の近代施設をつくって、産業と人口を呼び込む、建設資金は中国や日本、アラビア湾岸地区からの投資で賄う…マレーシア政府の戦略は理解できますが、普通考えて、向こう数年間に一気に完成する何万戸、何十万戸の住居や商業施設に順調に入居がつくでしょうか?必ず、「勝ち組物件」と「負け組物件」に二極化するはずです。

この街のバラ色の将来に賭けて、プレビルド(=数年後に完成する予約販売物件)を買った日本人投資家や、販売業者のなかに、不動産の目利きがちゃんとで
きている人が、どれだけいるのでしょう?

私、ジョホールバルの街としての発展は底堅いと思います。5年後、10年後は、間違いなく、今よりは都市レベルはアップしているはず。この地の開発をプロデュースする、マレーシアとシンガポールの政府は、東南アジアで1、2位を争う賢い政府でもあります。

ただ、都市が発展することと、個別の不動産が儲かることは、全く別の問題です。立地や賃貸・売買需要をちゃんと見極めた上で、今後、どのタイミングでも賃貸に出せて、かつ利益を乗せて転売できるような物件を選んでいるのか?信頼と実績ある現地の管理会社を手配できるのか?その辺をちゃんと説明できる業者から買っているのか?

プレビルド売って、仲介手数料もらって、はいさよなら!みたいな業者は、時代遅れ。そんな売り方していたら、完成時に会社が存続していないリスクだって大きいでしょう。

不動産としての目利きができて、出口まで見据えたシナリオを描ける業者から買うことが、ジョホールバル成長の果実を手にする早道だと私は思います。

日本人と海外不動産の関係が、もっと良くなりますように…そんなことを考えさせられたジョホールバル訪問でした。

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こちらの文章も、併せて読んでね。

2016年ジョホール不動産ショック

アジア新興国と不動産の良心

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タイは「日本」だった…

おはようございます、Manachanです。昨晩、タイ北部の街・チェンマイに到着しました。今、ホテルでくつろいでいます。

昨日の午後5時までは、カンボジアの首都プノンペンにいました。旧仏領植民地、今日でもフランス文化の残り香を感じるこの街での滞在は、ある意味、「夢見心地」の要素がありました。

前回の日記でも書きましたが、プノンペン市街地はフランス風に都市計画され、アジア新興国とは思えないほど豊かな街路樹が整然と配置され、建物の高さ、屋根瓦の色もほぼ統一され、商業看板の類はほとんど見られない。市民の足「トゥクトゥク」(幌付きバイクタクシー)の色もデザインも街の風景に自然と調和し、観光地区には欧風のテラスハウスが並び、バルコニーの手すりにさりげなくレリーフが施されてとってもオシャレ♪

「この街は、ヨーロッパじゃん!」と思いました。ヨーロッパの街に、東南アジア人が暮らしている不思議空間…それがプノンペンでした。

プノンペンから、わずか1時間10分の空の旅。隣国・タイの首都バンコクに着くと、風景が一変します。

機内から見下ろすバンコクは、まぎれもなく大都会でした。高層ビルがボコボコ林立する地区がいくつもあり、高速道路が縦横無尽に走り、郊外まで、市街地・住宅地がずーっと続いています。まるで東京のよう。

ドンムアン空港に下りたち、外に出ると、「夢見心地」が一気に吹っ飛び、「現実」に引き戻されました。

「ここは、日本じゃん!」

一般道路の上に高架の高速道路!その風景が、ドンムアン空港からバンコク市街地までずーっと続きます。まるで「東京湾岸の国道357号線」のよう。プノンペンには、高架の道路など一つもなかったのに…

バンコクでは、地元の友人に空港近くのレストランに連れていってもらいました。この辺は、大都市バンコクの郊外エリア。どうみても「埼玉県内、新4号バイパスの杉戸・幸手近辺」みたいな沿道風景が続く。プノンペンでは見ない「商業広告」の類は、タイにはうなるほどある。コンビ二だって、「セブンイレブン」「ファミリーマート」の嵐。密度も日本の都市部とほぼ同じ。

間もなく、レストランに到着。広い駐車スペースに車がびっしり停まり、どうみても、「埼玉ロードサイドのファミリーレストラン」ふう。そうそう、タイは東南アジアでは珍しく、日本と同じ左側通行、右ハンドルの国で、それも「日本」を感じさせる一因であるのかも…

バンコクの楽しい食事の後、国内線で一路、北へ。700㎞離れた地方都市・チェンマイに入る。この街の風景も、笑っちゃうほど、日本チック。空港から片側2~3車線の道路をしばらく走って市街地に入り、そこから片側1車線の横道に入ってホテルに着きましたが、この辺は、「千葉市の駅前通りから栄町の路地に入る」ところにそっくり!

ホテルにチェックインして、TVをつけると、タイのバラエティ番組がわんさかあって…テロップが出て、サクラの笑い声が出て、ほとんど日本の民放バラエティじゃん!(余談ですが、カンボジアでは自国製のTV番組がロクにないので、ホテルのTVで見てたのはCNNの英語ニュースばかりでした)。

あと、バンコクでもチェンマイでも、タイ女子の茶髪率は日本女子とほぼ同じ感じ。チェンマイあたりだと肌色も日本女子と変わらないから、見た目ではマジで区別がつかんぞ!ただ、太腿の細さだけは、さすがに東南アジアの人だなあと思いますが…

そんな感じで、道路から車からTV番組から女の子に至るまで、万事、とても日本っぽいのがタイなのでした…

生活実感が近い分、日本人には、間違いなく住みやすい国なのだと思います。

【コンビニ、ATM、三面張りの川、バラエティ番組・・良くも悪くも、日本を感じさせるタイ・チェンマイの街】

href=”http://stat.ameba.jp/user_images/20140730/10/manachan2150/c6/70/j/o0640047813018743055.jpg”>

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アジア一美しい街にて…

おはようございます。Manachanです。

カンボジアの首都プノンペンは、穏やかな朝を迎えています。この街を潤す、トンレサップ河と、その向こうのメコン河を眺めながら、ゆったり寛いでいます。

プノンペンは、美しい街です。

散策が、楽しい街です。

プノンペンの美しさが、日本ではあまり知られていないのが残念です。カンボジアといえば、未だに「地雷があるんじゃないか」とか「貧しい子供たちのために学校建ててあげる」みたいな話ばっかりで…

地雷も、学校いけない子供たちも…カンボジアの田舎での話。首都プノンペンは別世界。ものすごく経済発展して、高層ビルも各国レストランもたくさんあります。

そして何より、プノンペンは、フランスの植民地支配下で、しっかり都市計画された街。その均整の取れた美しさが、今日も保たれている街です。アジア圏では珍しい、「ヨーロッパふうの街」。

だから、「プノンペンを訪れる人は、たいてい、この街が好きになる。特に女性に人気が高い」のです。

プノンペンの空港に降り立って、市内中心部に向かうと、

・建物の高さが揃っている

・屋根の色が、赤で統一されている

・看板もほとんどない

・とにかく緑が多い。街路樹や公園が豊富。

カンボジアの近隣都市、例えばバンコクは高層ビル&高速道路ジャングルの如きだし、マニラではトタン屋根のバラック小屋みたいなのがたくさんある。しかし、プノンペンではそういうものがほぼ見られない。

何というか・・・街の美観に対するセンスがとてもイイんですね。やっぱ、フランス人って賢いな。そして、フランスがつくった美しい街を、激しい経済成長のなかでもちゃんと維持しているカンボジア人も賢いと思う。

日本の都市にも、美しい場所はたくさんあります。京都の祇園や鴨川べり、東京の丸の内仲通り、仙台の青葉通、倉敷の美観地区…

ただ、都市全体のなかで、ピンポイントで美しい場所があるだけの話ですね。京都でさえ、ビルから見下ろす景色はいたって平凡です。

しかしプノンペンは、街全体が調和とれて、美しいんです。

プノンペンの街を歩いていると、軽い敗北感さえ覚えます。

・なんで、同じアジア人なのに、彼らはこんなに美しい街を維持できるんだろう?

・我々日本人が、カンボジアの100倍以上の経済規模を持っているのに、プノンペンのような美しい街の一つもつくり出せないのはなぜなのだろう?

また、私は仕事柄、海外不動産視察ツアーをよくやりますが、

プノンペンの場合、街の美しさが最大の武器だよなあ。

街を歩いただけで、物件買っちゃうよなあ。

是非、アジアで一番美しく、センスあふれる欧風の街プノンペンに来てみてくださいね。

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ベトナム380円ヘアカット

おはようございます。Manachanです。

いま、私がいるのは、ベトナム最大の都市・ホーチミン(サイゴン)の中心部にある、「ベンタイン市場」(Ben Thanh Market)。ここは「東京の築地市場」に似た、活気あふれる観光名所です。

市場のすぐそばに、ベトナム語しか通じない、小さな理髪店がありました。

とにかくバイク、バイク、バイクの嵐、ホーチミン。道路を渡るのも命がけ(?)だったりしますが

こちとら髪の毛が伸びきって、暑苦しくて仕方ないので、ひとつ切ってもらおうと…

お店に入っても、価格表はない。身振りをまじえて「散髪の値段」を聞いたところ、お店の女性が、おもむろに財布を取り出して、「5万ドン札」と「2万ドン札」と「1万ドン札」を出してきた…「5+2+1=8、そうか8万ドンか!」と理解し、商談成立。

散髪代8万ドンは、日本円にして、380円くらいですね。

・昨年、カンボジアで散髪して、125円だった
・同じ年に、マレーシアで散髪して、460円だった

ま、ベトナムで380円なら、そんなもんかと思い、納得。散髪台に座る。キティちゃんのスマホを取り出して、記念撮影っ。

私が座ると、とってもスパイキーでファンキーなヘアをしたお兄ちゃんが、バリカンと鋏で、切ってくれました。終わったら、かなりサッパリしましたね。

おまけ)ホーチミンの朝の風景を、いくつか。

【バスターミナル】

【ベンタイン市場内】
とにかく、食い物、食い物、食い物の嵐…美味しくて、いい国ですね。

【いま流行りのネイルサロン】

「死んだスキン…」という日本語が、おちゃめですね。

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東南アジアの顔

こんばんは、Manachanです。いまフィリピンでの仕事を終え、マニラから、飛行機で一気にベトナムのホーチミンまで移動するところです。

ベトナムの後は、カンボジア、タイ、ミャンマー、マレーシアを歴訪します。東南アジアは、気楽でイイですね。どの国に行っても、私はルックス的に、現地の人間に自然に同化してしまうので、アウェイ感を感じないで済む。

フィリピンに行くと、地元のフィリピン人だと思われるし…

カンボジアに行くと、地元のカンボジア人だと思われるし…

マレーシアに行くと、マレーシア華人肉体労働者だと思われるし…

地球上の人類を、見た目で分類すると、「白人(欧米人)」、「黒人(アフリカ人)」、「黄色人種(アジア人)」の三タイプに分かれると、よく言われますが、その通説は、最新の遺伝子解析の知見から、否定されつつあるそうです。要は、外見は同じアジア人に見えても遺伝的には、それよりずっと細かく分かれると…

しかし、人間の遺伝子を肉眼で見ることは当然できないので、結局、「見た目」で判断せざるを得ない。で、その文脈でいうと、

いわゆる「アジア人」を、あえて分類すれば、二グループに分かれると思う

・「北東アジア人」(North East Asians:中国、韓国、日本、モンゴル等)、
・「東南アジア人」(South East Asians:インドシナ半島、マレー半島、インドネシア、フィリピン等)

日本に住む、東南アジア出身者も、フィリピン人を筆頭に、都市部では結構な数いますね。たとえば東京下町では、親のどちらか一方がフィリピン人という児童が、クラスに数名いるのが当たり前。

彼らは「同じアジア人」でも、「日本人とは違う、一目で外国人だと分かる」ことが多い。しかしそれは、私たちが普段、アジア人を見慣れているから分かるわけで、

普段、白人ばっかり見ているヨーロッパの人や、黒人ばっかり見ているアフリカ人の目には、「北東アジア人」と「東南アジア人」は、たぶん同じに見えるでしょう。その微妙な違いを見分ける方法は、

・肌の色 (東南アジア人の方が、肌の色がやや濃い)
・骨格 (東南アジア人の方が、骨格が概して華奢で、足や太腿などが細い)

この二つしかないでしょうね。肌色といっても、東南アジア人で、平均的な日本人と同じ位、色白な人間は相当数いるし、また日本人でも比較的色黒な人は、少し日焼けすればすぐに、平均的な東南アジア人位の肌色にはなってしまうわけで、すぐに見分けがつかないことも多い。

彼女たちが、東南アジア女性の平均的な肌色と思われますが…

日本人と区別がつかないほど、色白な娘も少なくない(写真はフィリピン人)

そんな東南アジア各国で、人々の顔を、よく観察してみると、地域毎に微妙な違いがあるように思います。

1)島嶼系東南アジア人(フィリピン人、マレー人、インドネシア人、台湾原住民等) 

浅褐色の肌を持ち、日本人が思い浮かべる「南洋の人」に一番近いタイプ。ミクロネシアやハワイの島民に酷似。中国人にはあまり似ていない。

2)インドシナ系東南アジア人(タイ人、カンボジア人、ラオス人、ベトナム人-南部 等)

島嶼系東南アジア人とよく似ていて、肌色も大差ないが、外見的な特徴がもう少し、中国人に近くなる。

3)ミャンマー系東南アジア人

タイ人等に似ているが、中国人に加えインド人の特徴が混じり、ややエキゾチックな顔も時々みられる。

また、ハノイなどベトナム北部の人や、ミャンマーやタイ北部の山岳少数民族など、中国との国境近くに住む人々は、肌色がさらに白く、「北東アジア人」の特徴が出てくる。つまり中国人や日本人に似てくる。

あと、「沖縄」もアジアのなかでは面白いところで、県民の約3分の2は、日本本土と同じく「北東アジア人」的で、残りの3分の1ほどは、島嶼系東南アジア人(フィリピン人等)に近い特色を持っているように見えます。

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出国します

おはようございます。Manachanです。

いま、成田空港でフィリピン・マニラへの搭乗を待っています。9泊10日、東南アジア6か国弾丸出張のスタートです。

7/24-26  フィリピン(マニラ、セブ)
7/27   ベトナム(ホーチミン)
7/27-29  カンボジア(プノンペン)
7/29-31  タイ(チェンマイ)
7/31-8/1  ミャンマー(ヤンゴン)
8/2    マレーシア(ジョホールバル)

出国しても、私の仕事は基本的に変わりません。PCとネット環境さえあれば、世界中どこでも、都市部なら同じ仕事ができます。携帯電話も日本の番号で通じますし(ただ、通話料安くするため、別の番号からコールバックすると思いますが・・・)

ま、日本に比べるとネット環境悪くて仕事はかどらないとか、新興国の首都は道路の渋滞がすごくて予定通りいかないとか、細かい問題はいろいろありますが…ま、基本はどこでも一緒。

カンボジアみたいに、日本よりFree WiFiがそこら中にあって、安価で利用できる素晴らしい国もありますしね。

日本で働く友人たちのなかには、海外に出るのは、ましてや海外で仕事するのは大変なことだと考える人がいます。

「鈴木さん。海外行かれるんですか・・大変ですね。」

(大変だと、思ったことはないけれど…)

「海外でも、メールみたりできますか?」

(ええ、メールとFacebookくらいは、バリバリ、見れますけど・・・)

ですが、彼らとのコミュニケーションの方便として、「海外はすごく大変」だと、思わせた方がいいのかもしれない。そしたら、いろいろと同情してもらえたり、契約資料づくりとか手加減してもらえたりして…

では、行ってまいります。

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いわき再訪(2014夏・福島紀行その壱)

おはようございます。Manachanです。

昨日は、都内で一本、不動産売買の決済を無事終えた後、一路、常磐高速を北上、福島県いわき市までやってきました。名湯「湯本温泉」の宿でゆっくりしています。「フラガール」の地元ですね。

【露天洞窟風呂♪】

【フラダンス観て1500円は安いな】

柏で生まれ育った私は、同じ常磐線つながりで、いわきエリアとは昔から馴染みが深く、子供の頃から何度も来ています。自然豊かな土地です。海あり山あり温泉あり水族館あり、冬は暖かく夏涼しい気候が最高ですね。

いわき市は、三年前の東日本大震災と原発事故で、大きな影響を受けました。

私、震災後10日目に、常磐高速を飛ばして、いわき在住の友人にガソリンを届けたことがありましたが、あの頃は大変でした。沿岸部は津波で壊滅状態。内陸部でも放射能恐怖でガソリンスタンドもお店も軒並み開店休業。

友人宅も津波直撃は辛うじて免れたとはいえ、震災後、水道水が一か月間ずっと止まり、風呂にも入れず大変だったと言います。毎日、遠いところまで水を汲みに行く、ガソリンスタンドで数時間待ち…そんな毎日。

沿岸部在住の人の多くがそうであるように、彼も津波で知り合いを何人も亡くしています。あと、原発汚染水問題で、現在でもいわき市での漁業に著しく制限がかかっているので、漁業者で除染の仕事にいく人も多いとのことです。

震災以来、私はいわき市を毎年訪れ、定点観測のようなことをやってますが、最近の変化といえば、「人口が、目にみえて増えたこと」。

沿岸部の津波直撃エリアや、原発事故で帰還できないエリアから、数万人単位の人々が相次いでいわき市に移住したため、泉、湯本、平などを内陸部中心に、新しい戸建住宅や賃貸用住宅の建設が目立ち、お店が増えています。

私は昨晩、JR常磐線の泉駅近くで夕食をとりましたが、「あれっ、スーパー増えてるぞ」、「こんなに家建ってたっけ?」と驚くほどでした。

数年後、小名浜地区では「イーオンタウン」ができます。福島県浜通りで唯一、シネマコンプレックス付きの大型商業施設の登場に地元の期待も大きい(これまでは、茨城県の水戸まで高速を飛ばして映画見に行っていたそうです…)

一方で、いわき市より原発に近く、放射線量が比較的低い双葉郡の広野町や楢葉町への住民帰還もはじまっています。東京・いわきから続く、道路も鉄道も開通しています。ただ、こちらの方は、インフラが整備され、スーパー・病院などが再開して暮らしが便利にならないと、住民帰還も本格化しないでしょうね。

実際、「震災後、いわき市に移住し、便利な都市生活を知ってしまった人々が、不便な地元に帰りたがるのか?」という問題がある。買い物のみならず、子供の教学環境ひとつとっても、名門高校、学習塾から、英語塾まで一通り揃ういわき市と、双葉郡とのギャップは大きい。

友人も、「イーオンタウンができると、ますます、いわきから離れられなくなるでしょうね」と言ってました。

もう少し内陸部に目を転じると、福島県の阿武隈高地。震災後、放射能問題で避難した人々の多くは、福島市や郡山市に移住しました。避難先で、「クルマですぐ買い物や病院に行ける、職もある」暮らしを知った人々は、若い世代ほど、地元の過疎地に帰りたがりません。原発事故の賠償をもらえる人は、都市生活のコストに耐える財力もありますので、なおさらそうでしょう。

さらに北上して、宮城県の沿岸部に行っても、同じ構図の問題があります。震災後、津波の直撃を受けた沿岸エリアから、仙台市への移住が進み、沿岸部のインフラが回復しても、人々が仙台を離れないという現象が…

仙台のワンルームマンションの相場は高騰し、すでに東京並みという声もあります。

震災・原発事故という不幸な出来事は、東北の被災三県において、「人口の新・都市集中」という現象を引き起こしているようです。

とはいえ、いろんな問題があっても、希望を失わず、力強く復興を進めている福島に、読者の皆さんも是非遊びに来てくださいね。

私も、うまいもの食いながら、旅を続けます。

【メヒカリは震災後、福島県内での漁獲ができません。おそらく隣の茨城県で上がった魚でしょうか】

【一方、カツオはうんと沖合で取れるので、福島県の水揚げでもOKだとか…】

次回に続く…

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海に憧れて…内陸民のつぶやき

おはようございます。Manachanです。

洋の東西を問わず、海に面した温暖な都市の海岸近くは、高級住宅地やリゾートとして人気があります。ロサンゼルスのサンタモニカやハンティントン・ビーチ、シドニーのボンダイ・ビーチなどは有名ですね。日本でも湘南の鵠沼海岸とか葉山など、御用邸があったり文豪の保養地になったエリアは、昔から人気が高い。

テーマパークが高度に発達した今日でも、やはり、海こそが最高の集客装置といわれます。海の広さ、引いては寄せる波には、人の心をひきつけるものが、確かにありますね。

ところで私は、海とは全く無縁な場所で育ちました。

海のイメージの強い千葉県なのに、なぜ、東西南北、どこを向いても海がないの?

冬でも温暖なイメージの千葉県なのに、なぜ、冬場は連日氷点下になるの?

海がない、冬は寒い…それだけ聞くと、ほとんど、ダサイタマ。

ま、私の実家のある柏は、一応、千葉県だけど、ほとんど埼玉みたいなものだからなあ…といいつつ、埼玉には親近感を覚え、そして、湘南とか南房総に対しては、無条件で憧れます。

自転車ですぐ海に行けるところに住んでる人は、むちゃくちゃ羨ましいですね。

高校時代、春の週末、むしょうに海が見たくなって、柏の実家から一路、東へ、自転車で太平洋岸を目指したことがあります。

しかし、むちゃくちゃ遠い!距離的に一番近いのが茨城県の鹿嶋や大洗、あるいは千葉県の九十九里浜になりますが、どの海岸も、最短距離で80kmを超えるのです。

当時の私、ツーリング用のバイクみたいなハイカラなものは持っていませんでした。ママチャリに毛がはえたような自転車に乗って、利根川に沿ってを東へ、鹿嶋の海岸を目指しました。片道、81㎞。往復で162km。

柏の市街地を抜けると、あとは鹿嶋まで、延々、田畑が続きます。ずっと関東平野で、起伏も少ない。道中、快調に飛ばして、4時間ほどかけて、鹿嶋の海岸に到着。そこでお食事して、海で遊びました。

しかし、帰りの道中が超キツイ。だいいち、乗ってる自転車がロクなもんじゃないし、しかも向かい風。距離もなかなか稼げず、足の筋肉には負担かかる一方。

結局、柏まで帰り着く18km手前、印西市の木下(きおろし)というところで、足がつって走行不能、無念のリタイア。近くの農家の人に助けてもらいつつ、木下駅からJR成田線で柏に帰りました。

その後、大人になって、オーストラリア・シドニーに移住しました。最初は内陸部で生活をスタートしましたが、どうせならビーチ近くに住んでみたいと思い、一戸建購入計画を立てたこともあります。

海の見える一戸建てを買うぞ (2004/11/27)

しかし、いろんな紆余曲折があって、結局、海の近くに家を持つことはできませんでした。価格の高さ、職場への距離の遠さ、メシの種類の乏しさ…いろんな敷居の高さがあって、結局、内陸部の方を選びました。

私の人生は、海に憧れつつも、結局は、内陸部に押し返されるように運命づけられているのかな?

いまでも時々、電車で湘南の藤沢や茅ヶ崎とかに足を運んで、海を見にいきます。海の綺麗さはベストではありませんが、海岸沿い特有の、時間がゆっくり流れる、遊びと余裕のある独特の雰囲気・カルチャーが素敵ですね。

「自転車乗って、いつでも、海に行ける」ロケーションこそが、あの余裕な雰囲気をつくりだしているのでしょう。

藤沢の駅前で、50過ぎた男が、アロハシャツ着て、若い女の子をナンパしてたり、茅ヶ崎の海岸で自宅からサーフボード持って海に繰り出す若者を見ていると、「いいなあ」と、溜息。

しかし、次の瞬間、「やっぱり、自分のカルチャーとは違う」ことに気づいて、内陸に戻っていく…

内陸民にとって、海は遠くにありて、思うものなのかもしれません。

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韓国修学旅行と投資家の目

こんばんは、Manachanです。

今朝、こんなニュースがありました。

韓国への修学旅行中止・変更検討広がる 反日姿勢、沈没事故…保護者に不安

修学旅行と韓国といえば、なかなか、思い出深いものがあります。

私が大学院生だった頃、近所で知り合いの女子高生から、「今度、韓国に修学旅行へ行くことになったので、韓国について、いろいろ教えて欲しい」と頼まれたことがあります。

私は、個人旅行で何度も韓国行ってましたので、「安食堂でメシの注文の仕方」とか、「ソウル地下鉄の乗り方」とか、「辛いもの食ったあと、300ウォンで自販機のコーヒーを買って飲むと旨い」とか…おおよそ、修学旅行生に関係ない無駄話をしました。

あと、「ハングル文字は簡単だから、3日、頑張れば読めるようになる。読めれば韓国滞在が10倍楽しくなる」と、彼女にお伝えしましたが、ちゃんと学んでくれたかな?

逆に、韓国の高校生が日本に修学旅行来ることもありますよね。私、独立したての頃、大阪出張して、Jalanで見つけた「一泊朝食付き3500円」の激安ビジネスホテルに泊まったのですが、

ホテルのロビーには制服着たコリアン女子高生、数百名の大集団がいて、すげーインパクトでした。ツアーバス仕立てて、大阪城にでも行く途中だったのでしょうか?修学旅行でUSJとか行けたら楽しいなっ♪。

話をもとに戻しますが、昨今、セウォル号の沈没や地下鉄事故など、韓国に関するネガティブなニュースが多く、「何となく、子供を韓国行かせたくない」親の気持ちもよく分かります。

ですが、投資家の視点からいうと、

ネガティブなニュースは蜜の味!

投資家っていうのは、価格と価値の歪みに注目する人種。世間様と逆のことをやって儲けるのが行動原理なんですね。

ネガティブなニュースで、人気が下がる。当然、価格も下がる。でも、本当の価値はそこまで落ちてない…そんなものを好んで買うわけですね。

例えば、3年前に起こったタイの大洪水で、バンコクの大部分が水に浸かると、すわ、コンドミニアム安く買えるチャンス到来か、と思って、バンコク行きの飛行機に乗り込むのが投資家の性(さが)。

かく言う私も、2011年後半、自分の地元(柏市)が放射能騒ぎでイメージダウンした時、マスコミに対して憤りつつも、ちゃっかり、柏周辺で放射脳ファミリーから戸建を安く買い叩いて、収益アパート建ててやろうとしましたもんね。不謹慎で済みませんなあ…

ですので、投資家なら、「韓国のイメージが下がった今こそ、修学旅行のチャンスだ!」と考えるわけです。韓国行きの観光ツアーやホテルの料金も安くなるし、観光名所も空いててラッキーじゃん!と考える。

でも、そう考える奴は、日本全体から見れば少数派ですから、不安に駆られた親たちの声を、学校側も聞かざるを得ないですよね。

そんな時、学校側が、親たちを説得して、韓国修学旅行を決行できるか?あるいは、彼らの圧力に負けて断念するのか…それはひとえに、

何のために韓国へ修学旅行に行くのか?その理由を、学校側がしっかり考え抜いているか?

日本の高校生を、韓国に修学旅行に行かせる。そこには必ず、学びのテーマがあるはずです。

ハッキリ言って、学びの宝庫でしょう。歴史的に密接な関係を重ねた隣国同士で、未だに難しい問題を抱えているのであれば、なおさら…

特に昨今のように、日韓両国のマスメディアが、お互いに、不毛な非難合戦を繰り返しているタイミングなら、なおさら、日本の高校生に、生身の韓国人、実際の韓国社会を垣間見せる教育効果は大きいはず。

そうした諸々を、学校側が、一本筋通して、しっかり考えているのなら、親にきちんと趣旨説明して、韓国修学旅行を予定通り、遂行するはずだと思います。

もし、親の圧力に屈して、韓国行きを断念するのであれば、所詮、学校側の取り組みも、マジ本気じゃなかったってことだと思います。

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