こんばんはManachanです。今回は、語学ねたで書きますね。
私は仕事の都合もあり、今年3月からタイ語を学びはじめ、10月からベトナム語も学んでいます(タイ語学習も中断せず継続中…)。
ベトナム語をはじめて感じたことは…タイ語との比較でいうと、
・タイ語はタイ文字、ベトナム語はアルファベット表記だから、後者の方がビジュアルに覚えやすく、頭に残りやすい。
・だから、ベトナム語の授業を受けた後、タイ語をきれいさっぱり忘れてしまいやすい。
タイ語学習をはじめて7か月。ベトナム語はまだ1か月だから、タイ語の語彙の方がずっと多いはずなのですが、ベトナム語の単語を覚えた途端、タイ語の記憶が消え、ベトナム語に置き換わってしまう気がするのです。
たとえば「雨が降る」は、ベトナム語でmưa。タイ語でฝนตก(Fon Tok)といいますが、mưaが頭に入るとฝนตกを思い出せなくなったり、あるいはタイ語でฝนตกと言おうとしてベトナム語のmưaが出てきたりするのです。
これではまずいと思い、学習方法を変えました。
・ベトナム語の単語とタイ語の単語を一緒に覚える
・ベトナム語の作文とタイ語の作文を一緒にやる (同じ内容の作文を、タイ語、ベトナム語の2バージョンつくる)
「二言語同時学習」、私オリジナルの方法ですが、結構気に入っています。まずタイ語の単語を忘れなくなったし、それに、ベトナム語とタイ語の似ている点、違う点、文章の構成の仕方…等々を「見える化」して、パターン認識できるからです。「2倍の時間をかけて効果3倍」を得ている感覚ですね。
私、語学の学習は、「Aをとるか、Bをとるか?」ではなく、「AもBも両方」が十分可能だと考えます。語学学習への興味が持続すればの話ですが、私たちの脳は、やる気になれば何十か国語を格納できるキャパを持っているはずです。
そこまでいかなくとも、一つの事物に複数の言葉を当てはめて認識することは、日本語の世界でも当たり前に行われています。たとえば「ご飯」と「メシ」、「お尻」と「ケツ」が同じ意味なんて、誰もが知ってることですよね。また地方出身者が東京に来て暮らすと、地元の言葉と東京の言葉と、二つセットで覚えたりします。例えば北関東出身者の場合、「だいじ」と「だいじょうぶ」、「青なじみ」と「青あざ」が同じ意味だと認識するわけです。こういう概念操作を外国語まで延長すると、「バイリンガル、マルチリンガル」への道が開けてきます。
日本ではまだ少ないかもしれませんが、世界には3言語以上話す「マルチリンガル」の人がたくさんいます。アジアでいうと、たとえばフィリピン・セブ島の人は、母語が「セブ語」、学校で国の公用語「タガログ語」と、ビジネス共通語の「英語」を習い、普通の大人なら当たり前に3言語を話します。マレーシアの華僑とかも、「英語+北京語+マレー語」のマルチリンガルが当たり前で、彼らが来日して日本語をマスターすると4言語目になったりします。
彼らをみていると、複数言語を使う社会環境もさることながら、頭の使い方が「マルチリンガル的」、つまり、多言語習得のために最適化されているように感じるのです。
以前、フィリピンのセブ島に滞在していた時のこと・・現地の15歳くらいの女の子が、5歳くらいの女の子の世話している時、「この言葉は、セブ語では○○、タガログ語では○○、英語では○○」と教えてあげてるんです。つまり、いま私がやってるような「多言語同時学習」を、子供の時から日常生活のなかで当たり前にやっているのです。
そういう世界を見てくると、こういう疑問も湧いてきます。
・外国語を学ぶ際、その言語のネイティブから学ぶのが果たしてベストなんだろうか?
・たとえネイティブじゃなくても何言語もできるマルチリンガルから数か国語同時に学んだ方が効率良いのではないだろうか?
たとえばの話、私はいまタイ人のネイティブからタイ語、ベトナム人のネイティブからベトナム語を、それぞれ教わっています。普通の語学学習のやり方ですね。
ですが、もしタイとベトナムの間にあるカンボジアやラオス出身で、タイ語もベトナム語も堪能な先生がいたら、その先生から学べないだろうか?
ま、普通考えて、そんな先生は滅多にいないと思いますが・・・でも前に述べたように、マルチリンガルの人はマルチリンガルな脳の使い方をして、センスよく多言語を覚えていくので、自分がマルチリンガルになりたいのなら、そういう人から学ぶのが良いと思います。
この文章、面白かった、勉強になった、マルチリンガルに興味あり、と思った方は、応援のぽちを、よろしくね→
最近のコメント