こんばんは、Manachanです。
最近、東京メトロや都営の地下鉄に乗ると、「福島応援」のポスターが目立ちますね。
お江戸日本橋には、今年4月、福島アンテナショップ「みでって」が、新装オープンしました。東京駅八重洲口の福島観光交流館とあわせて、近所で二店舗目ですな。
いま東京では、官民あげて「福島応援プロモーション」花盛り。この方面に国家の震災復興予算がたっぷり費やされているのかもしれませんね。
それにしても、世の中、変わるものですな。震災&原発事故が起こった2011年と、その翌年の前半までの東京は、間違いなく、「福島忌避」の時代でした。
当時の首都圏で、福島県産の野菜果物がスーパーに並ぶことはほぼ絶無、並んだら最後、「放射能汚染を拡散させるな!」と、すごいクレームが来たものです。福島県どころか、茨城県産さえ滅多にない時期もあったし、普段見慣れない「佐賀」とか「高知」とか、西日本の野菜が幅をきかせた時期もありました。
福島に旅行に行くことさえ、当時の首都圏では「ありえない」こととされていました。2012年2月に、お笑い芸人のカンニング竹山氏が福島旅行して、福島産の野菜を購入したことでTwitterが炎上した事件もありましたね(リンク)。
私は、何だかんだいって、震災直後から、福島県の浜通り、中通り含めて7~8回は行ってるし、自分が頻繁に足を運んでる分「情報不足ゆえの放射能恐怖」みたいなものは早々と克服してたし、また、福島県産の野菜果物にしても、「サンプルで放射能検査してるからいいだろ」と思い、子供たちにも普通に食べさせてました。
私が福島の飯坂温泉で買ってきた桃とか、リンゴ、ずんだもちとか、うちの子たちは食べまくってましたね。
ただ、当時の東京で、そんなことをしてる家庭はたぶん少数派だった。うちの奥さんも、ママ友からいろいろ吹き込まれて、「子どもに福島産食べさせて、放射能本当に大丈夫なの?」と、言ってた時期もありました。
世の中が「福島忌避」の時代に、私は「福島産、食べて応援」を掲げてブログで情報発信していたわけですが、人の親として、逡巡がなかったわけではありません。
「被災地である福島の農家や地域産業を応援したい気持ち」と、「子どもの健康を守りたい気持ち」が葛藤したのは、もちろん私だけでなく、首都圏に住む多くの親が体験したことだと思います。
2011年当時は放射能や健康影響に関する情報が錯綜し、デマや恐怖煽りもピークに達していました。そんななかで、私は、どんな判断軸で考えたのかというと、
「何よりまず、日本人としては、被災地を応援するべきだろう」という気持ち。この日本列島に暮らす限り、自然災害はどこでも起こり得るわけだし、次回は自分の住む東京が被災地になるかもしれない。
2011年の震災で大きく揺れ、計画停電もあったけど、幸い、大きな被害を逃れた東京の人間として、宮城、福島、岩手沿岸部の被災地に手を差し伸べるような行動をとらないと、将来、自分が被災者になった時に、他地域の人が東京人を助けたいと思うだろうか?
いや、日本人なら、必ず助けてくれると思うし、それが日本列島に生きる安心感、喜びでもある…そんな素晴らしい民族の一員であることを、私は後生大事にしたい。その気持ちが、「福島産、食べて応援」に結び付いた面があります。
もう一つは、「定量的に考えることで、福島産を食べる不安がなくなった」。私は幸い、不動産投資家として物事を数値化して考える訓練を積んでいるし、また、化学工学を学んでいたので、放射性物質なるものを、他の無機・有機化合物と比較する視座も持っていた。
簡単に言うと、放射性物質は、地球上に存在する物質のうちで、メカニズム的には一番シンプル。放射性セシウムの文脈でいえば、元素が「崩壊」することで「エネルギー」に変わり(放射線を出し)、それが水分子と反応して活性酸素となり人体に影響を及ぼす(被曝する)。
自然界には無数の放射性物質があり、常に崩壊し、放射線を出して、常に私たちの身体に入っている。今回の原発事故では、主に放射性セシウムが環境中に放出された…基本的には、「原発事故の影響でどの程度、追加的に被曝するか?」だけ考えれば良い。放射性セシウムを含んだ食品は別に猛毒ではないから、食べてもすぐには健康影響出ないし、習慣的に食べ続けて、ようやくリスクが高まるかもしれない程度の話でしかない。
私たちは多様な食品を食べているのだから、別に、福島県産の食品を忌避する必要はない。世の中には、「放射能ホットパーティクル」だの「アウトブレイク」だの、横文字を持ち出しては不安を煽り、奇説珍説を展開する学者もいましたが、このテーマ学べば学ぶほど、
「震災後、東日本の放射能騒ぎは、平熱36.3度の子供が、36.5度になった位で、やれ病院だ手術だ検査だ転地療養だと騒ぐバカ親」の如きものだと分かり、なおさら、「福島産食べて応援」を掲げたくなったのです。
しかし今、時代は変わりました。西日本は知りませんが、東京では少なくとも、「福島応援」モード。忌避する人は今や少数派になりました。あの「鼻血マンガ」だって世間の総スカン食って作者オーストラリアに逃げ帰った位、世の中が落ち着いたってことです。
そんな中、私としては、「福島、食べて応援」を超えるコンセプトを打ち出したい。投資家って、世の中の動きのちょっと先を読んで、適切に行動してちゃっかり利益を得る人たちですよね?私も常にそうでありたい。
今の東京は、ようやく、私が3年前からや
ってたことを後追いするように、「福島、可哀想だから、食べて応援しよう」になりました。
であれば、私は、「福島の食べ物、美味しいから、食べて宣伝しよう」を打ち出したい。
実際、福島には優れた食材が多いと思うし、もっと工夫して、洗練させれば、さらに価値が高まるはず。
しかも、Fukushimaという地名は、すでに世界中に知られていますから、今こそプロモーションの大チャンス。
Fukushima farmers(福島農民)ブランドつくって、世界中に売り込むのも手かもしれない。統一のロゴつくって、キャラバン仕立てて、オーストラリアとかマレーシアとか行って、桃ジャム、桃アイスとか、売りまくる。
こんなスローガンはどうでしょう?英語的に…
We never give up Fukushima. (私たちは福島をあきらめない)
We shall regain our promised land. (私たちは成功が約束された地・福島を取り戻す)
We shall turn our fate to be a brighter one. (私たちは運命を素晴らしいものに変える)
「AKB48」ならぬ、「Fukushima50」(原発決死隊じゃなくて…)なる、地元の若い女の子グループつくって歌わせてもいいかも。
そういうの、ノリが明るいじゃないですか…福島は汚染されてもうダメポとか、自主避難する勇気を持とうとか、そんなこと言うよりずっと楽しいと思いません?
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