時事問題エッセイ

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人の時間と情報はタダじゃないけど…

こんばんは、Manachanです。明日の夜からまた海外出張ですが、今晩は東京の自宅で家族とTVの前でまったりしてます。

今日は土曜日、娘をアプリ開発教室に連れていく途中、こんなこと言われました。「パパはたぶん、日本一、楽してる大人だよね」と…ま、誉め言葉として受け取っておきましょう。

 

独立自営の事業主になって、4年余。日々、時間の使い方は自由です。自宅でも事務所でも旅先でも、好きなところで仕事できます。満員電車とも社内政治とも無縁。その意味では、確かに楽してるかも…そんな自由度の高い働き方が、私自身とても気に入っています。

でもよく考えると、私は自由な時間を「お金」に換えていかねばなりません。一家4人を食わせて学校に通わせる他、社員と自分の給料、事務所家賃、旅費滞在費、広告費、税務申告費等々を捻出し、創業・運転資金の元本利息を返済し、さらに利益も上げなければなりません。

事業主の境遇になると、サラリーマン時代よりは確かに、「時は金なり」だとリアルに感じます。ま、サラリーマンも会社組織を通じて、間接的には労働時間を給料に換えているわけですが、事業主の場合、毎月決まった給料が振り込まれるわけじゃない。自分で動いて売上あげなきゃならないし、そのために使うリソースはとりあえず自分の時間しかないわけだから…

 

とはいえ、私自身、「カネにならない仕事は一切しない」、「カネ払わない客とは一切付き合わない」とドライに割り切ってるわけではありません。むしろ逆で、当面カネになりそうもないことに、贅沢に時間を使っています。それは、

・将来の新市場開拓につながる(かもしれない)海外出張だったり…
・将来ビジネスパートナーになる(かもしれない)方々との面談や飲みだったり…
・旧知の友人に会いに行ったり…
・海に行ってのんびりしたり、知らない街を歩いたり…
・震災被災地でいろいろお手伝いをしたり、地元の方と飲んだり…

 

ま、もろもろありますが、カネになる云々はともかく、私が「有意義な時間の使い方」だと思うことをやってるんですね。何をもって有意義だと感じるか?その多くは、「相手」あってのことです。

・一緒に時間を過ごして楽しいと思う相手
・情報交換して有益だと思う相手
・自分をさらけ出して、本音でつきあってくれる相手

 

そろそろ本題に戻ります。本質的にいうと、私の時間、あなたの時間はタダではありません。相手に時間を使ってもらうには、それなりの「対価」を支払い、それを相手に認めてもらう必要があります。

その「対価」は、どんなかたちでも構いません。当然、お金でも良いし、情報でもネットワークでも良い。あるいは「人格」でも良い。上述「一緒に時間を過ごして楽しいと思う」ような相手なら、私は彼または彼女がすでに対価を払っていると見なし、その人のためにいつでも無条件で自分の時間を使う用意があります。そうじゃないフツーの相手の場合、私は自分の時間を使い情報を提供する対価として、お金をいただくことがあります。

 

私の大好きな「旅」の世界でいうと、たとえば、ネットを使った宿泊形態として、たとえば「AirBnBや途家などを通じて宿代を払う有償型の民泊」もあれば、「カウチサーフィン」という、無償で泊まる形態もありますよね。

「カウチサーフィン」が成り立つのはなぜか?泊める人(ホスト)と泊まる人(ゲスト)が、お互いに旅の情報交換をする、お互いの家に無料で泊めあうなど、「お金には換算できないけど、それに代わる何か」を対価として与え合っている。その前提があってはじめて成り立っています。

もう一つ、私の大好きな「外国語学習」では、「ランゲッジ・エクスチェンジ」(Language Exchange)といって、お互いの言葉を無料で教えあうことが広く行われています。私も日本語や中国語を教える見返りに、タイ語やベトナム語、マレー語を教わったことがあります。言い換えると、相手にタイ語を教わる対価を、日本語を教えることで払っているわけです。

最近の私は忙しいので、以前よりも対価を「お金」で払う頻度が増えています。カウチサーフィンとか好きだけど、朝から晩まで忙しく動き回るのでビジネスホテルにお金を払って泊まった方が気楽だと感じますし、ランゲッジエクスチェンジ好きだけど時間がないから、お金を払ってタイ語やインドネシア語のプライベートレッスン行ったりしてます。

 

以上まとめると、

・相手の時間は、タダではない。
・時間を使ってもらうには、相手にとって有益な何らかの対価を払う必要がある。
・その対価は、お金でなくても良い。人格、情報、ネットワーク等でも良い。

 

それが人間社会の掟だと思いますし、大部分の大人は理解しておられますが、世の中には、「相手の時間がタダ」で、「対価を支払わずにいくら使っても良い」と誤解している方も、少数ながら存在します。

特に、「自分のやってることが正義だと思い込んでいる人」にそれが目立ちますね。正しいことをしてるんだから、その目的のために相手のリソース(時間や情報)をどう使っても許される、という思考回路であるよう。

 

しかし世の中、往々にして、「あなたの正義が、私にとっても正義であるとは限らない」。価値観や感性を共有しない相手の時間を使わせていただくには、相応の対価を支払う必要があり、それをやらないと嫌われます。

モンスターペアレントとか、横暴な客とか、独善的な社会運動家とか、いろんなタイプがありますよね。お金を払うとか、相手に有益な情報を提供するとか、それ以前に「性格が良くて面白い奴」なら何だかんだいって許されるのですが、そのどれも提供できないと、結局、誰にも相手にしてもらえなくなります。

 

人生は時間でできています。繰り返しになりますが、私の時間もあなたの時間も、本質的にはタダじゃないので、相手の時間を使わせていただくには、それなりの対価を提供するのが世の掟。言い換えれば、人間は「金銭的または非金銭的な対価のやり取り」をしながら、お互いの時間や情報をシェアし合っているのだと思います。

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410円タクシー登場の東京が住みやすい!

おはようございます。Manachanです。

今月から私は、自宅近くでのタクシーの利用頻度が大幅に増えています。つい先月まで、日本国内でタクシーを使うことはほとんどなかったのですが、2月1日より東京のタクシー初乗りが730円から410円に大幅値下げされたのをきっかけに、「1㎞以内のちょい乗り」のヘビーユーザーになりました。

東京23区および武蔵野市・三鷹市のタクシー料金は、このように改訂されました。詳しくはこのニュース参照。

 

改訂前  初乗り730円(2㎞まで)、その後、280mごとに90円加算

改訂後  初乗り410円(1.052㎞まで)、その後、237mごとに80円加算

 

この改訂によって、2㎞以内の「ちょい乗り」が大幅に安くなりました。1.2km以内なら「ワンコイン」でお釣りが来ますからねえ。2kmを超えると料金これまでと変わらず、6.5㎞以上だと値上げらしいですが、どっちみちそんな距離乗ることは少ないし…

それよりも、我が家のある江東区東陽町近辺で、タクシーの「ワンコインちょい乗り」は、ものすごく意味が大きい、むちゃくちゃ利便性アップです。なぜなら、

 

・我が家は東陽町駅南側の住宅街にあり、そこにはみるべき商業施設がない(コンビニとマイバスケットだけ)

・一方、駅の北側には、「西友」、「OKストア」、「いきいき生鮮市場」という「3大スーパー」が集結し、日々安売り競争を繰り広げている。八百屋も中国食材専門店もあって地味に重宝。

・隣の木場駅には、イトーヨーカドーがあり、こちらに買い物に行くことも多い。

 

東陽町駅北側や木場駅の商業施設まで、我が家からの距離は約1㎞。これまでタクシーの初乗り730円だったので、買い物帰りの利用としてはちょっと割高感がありました。でも410円になれば、話は全く別。この寒空のなか、買い物帰りのビニール袋持って15分歩くよりも、「ワンコインでお釣りがくる」料金で家まで運んでくれる、こりゃ使うしかない。

また、1.5㎞程度の利用にもお得感が出てきました。先々週と先週は、息子と娘が相次いでインフルエンザにかかり、行きつけの小児科(江東区古石場)まで約1.5㎞、何度かタクシー乗車しましたが、料金改定前は800円したのに今は650円で済むので有難い。

さらに、我が家から東陽町駅まで、約700m、歩くと8~10分で着きますが、我が家の前に410円タクシーがいつも停まっているので誘惑に負けて「ついつい」乗ってしまいます。

 

こんな感じで、タクシー初乗りが410円になったことで、私のライフスタイルは激変しました。まるでバンコクに住むタイ人が、徒歩5分の道のりさえ歩かずに、10バーツ払ってバイクタクシーに乗るように、私は東京で410円タクシーを足代わりに使うようになってしまいました。

近距離でタクシー使うのが良いのか悪いのか、分かりませんが、少なくとも以前より劇的にラクです。東京の街がsらに住みやすくなったのは確かですね。

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「京都ぎらい」考察

こんにちは、Manachan@成田空港です。遠いヨーロッパへ旅立つ前に、ブログをひとつ。

昨日、近所の書店で、いま話題の本「京都ぎらい」が平積みされていたので、速攻で買いました。私はこういうタイトルの書籍をみると、反射的に買う習慣がついています。

 

私は不動産マニアで、とにかく「地域考察」が大好き。特に、「どの都市では、どこまでが市内とみなされ、どの地域が田舎だと見下されているか?」…これは、全国・世界規模で不動産投資をやる上で、不可欠な知識でしょう。不動産はペーパーマネーと違ってローカルなものであり、当該地域の人々の意識が不動産の需要や価値を決めてしまう面が大きいからです。

こういう土地勘や地理センスをないがしろにしてしまうと、たとえば、「業者にすすめられて買った富山市内の収益物件が、よく調べたらもともと婦負郡で、富山市に編入されたばかりの場所で驚いた」みたいな、笑えないジョークになりがち。富山市に限らず、平成の大合併で拡大した各都市の、「旧市内」と「もと郡部」の区別が即座につくような知識をつけたいものです。

 

そんな不動産マニアの私が読む「京都ぎらい」、とても秀逸な本でした。人々の心の中にある、差別意識、優越感、卑屈な心を、見事に言語化しています。1頁目からいきなり強烈な文章、

 

京都にはいやなところがある。私は京都市で生まれ育ったが(中略)今でも、この街のことは好きになれないでいる。

 

著者の井上章一氏は、京都市西郊の「嵯峨」そだち。現在は京都市の右京区に属し、嵐山や清凉寺など、名刹を多く抱える観光地…ですが、京都の街中(洛中)の人からは、よそもの扱いされるらしい。

 

行政上、京都市にはいっていても、洛中の人からは、京都とはみなされない地域がある。街をとりまく周辺部、いわゆる洛外の地は、京都あつかいをされてこなかった。

自分は京都市で生まれ育ったと、私は屈託なく言い切ることができない(中略)私は彼ら(=洛中の人)から田舎者呼ばわりされ、さげすまれてきた嵯峨の子に他ならない。

出身が京都府だという言い方なら、私もあまりためらいは感じない。

 

東京圏の辺縁部(千葉県柏市)で育った私も、その気持ちはなんとなく分かります。一見、「東京人」であるようで、やはり「東京人」とは言い切れないですね。

柏という場所は千葉県のはずれの方、東京と埼玉と茨城にすぐ出られる位置にあります。千葉の中心部(総武沿線の市川~船橋~千葉市)とのつながりは乏しい上に、彼地の人間からは「茨城扱い」されるので、自らを「千葉人」とも言い切れない(正直、自分の住まいがどの県に属しているのか、よく分からなくなる…)。

素直に「柏の人間」、それで通じなければ「首都圏人」だと思って欲しいです。この気持ちは、「京都市出身」じゃなくて「京都府出身」だと思って欲しい井上氏の心に通じるところがありますね。

 

それにしても、洛中(京都の街中)の人間の、「ウチ、ソト意識の激しさ」と、その地理的範囲の狭さには驚いてしまいます。引用つづく…

 

「お前なんか京都とちゃうやろ、宇治やないか」

「京都を西陣のやつが代表しとるんか。西陣ふぜいのくせに、えらい生意気なんやな

「山科なんかいったら、東山が西の方に見えてしまうやないの」

 

いわゆる「洛中」(北大路~西大路~九条通~鴨川)の範囲って、本当に狭いです。同縮尺の東京・山手線と比べてみると、一目瞭然。

rakunai

 

洛中の人が、西陣や山科(いずれも京都市内)の人をよそ者、田舎者と見下すのは、同一縮尺の東京でいえば、「東京駅近辺に住む人が、新宿や渋谷、池袋や六本木の連中を見下す」ようなもの。その構図を外からみると、可笑しい。

でも、先祖代々、洛中に暮らす人々にとっては、洛中こそ我が天地、「ほんまもんの京都」だと、大真面目に思っているわけです。そのプライドに、「京都ブランド」の価値の高さが拍車をかけます。「1200年の古都」には、東京のマスメディアが、大きな経費をかけて取材に訪れます。それを、井上氏はにがにがしく思います。

 

あなたたちが京都に、そうやっておもねるから、洛中の人々もつけあがるんじゃあないか。洛外が見下される一因は、東京メディアが京都をおだてることにもあるんだ

 

でも、「大阪人」だけは、京都をあがめまつることはしません。京都は下手にプライド高いだけで、実質的にすぐれてるのは大阪、大阪こそ関西の中心だと思っている彼らの京都観を、井上氏は痛快に思っています。

 

大阪のメディア人は、それほど京都の店をありがたがらないような気がする。京都の店がえらそうにふるまうことで、値打ちをつりあげていく。そういう上げ底のからくりを、近くにいるおかげで、見透かしているせいもあるだろう。

その点だけでも、私が大阪という街をありがたく思っている。首都のメディアがまつりあげる京都のすかした部分を、ないがしろにしてもらえる。洛中人士の誇らしげなところを、他の誰よりもあなどってくれるのは、大阪人である。

 

首都圏という、流動の激しい移民社会で育った私は、京都(洛中)に対する井上氏の強烈な葛藤や屈託を、全部は理解できないけど、でも「京都をおちょくる大阪人の見方」には親近感を覚えます。

それは、私は「京都」のブランド価値をあまり理解できないタイプの人間だからです。京都より大阪が好き。実質重視で、安くて美味い店がうなるほどある大阪は素晴らしい街だと思ってしまう私…大阪のコスパを知ったら、京都の観光地でクソ高い湯豆腐なんて食えるかと思う、そんな人間なのです。

もちろん、日本人として、そして、不動産に携わる人間として、京都のブランド価値を頭で理解する必要はありますけど、身体が、どうしても大阪の方を向いちゃうんですね。そういう意味で、私は関東産の「京都ぎらい」なのかもしれません。

 

井上氏の話題に戻りますが、洛中の人間に蔑まれ、強烈なコンプレックスを感じてきた彼は、より田舎にある地域を見下すことで心の安寧を得ようとする、その気持ちにひけ目を感じつつも否定できないと、正直に吐露しています。

 

京都の西郊に位置する嵯峨でそだった私は、洛中にひけ目を感じている。そして、洛中洛外のへだたりを知ってからは、より西側の亀岡をあなどりだした。田舎者よばわりをされた私は、より田舎びた亀岡を見いだし、心をおちつかせている。

南郊の宇治にすむ今も、より南側の城陽を、同じような目でながめている。

私が京都人をなじりたく思うのは、私に差別意識をうえつけた点である(中略)洛中が中心となる地理上の序列意識を、すりこんでいる。おかげで、私は亀岡や城陽を見下す、おろかな人間になってしまった。

 

ま、地域差別意識(?)の強弱はあれど、それは人間の本性なんじゃないかな。首都圏だって、たとえば埼玉の川越に住む人間が、下り方向の坂戸や東松山に対して、「あいつらより、俺らは都会人だぜ」、「奴らと一緒にして欲しくない」と思うことはあるわけで…

また、この現象は日本に限りません。例えばオーストラリア・シドニーでも、似たような「地域限定の序列意識」がみられます(シドニー版「ヒルズ族」のプライドと不動産考察)。井上氏がいみじくも言ってますが、

 

人間のなかには、自分が優位にたち、劣位の誰かを見下そうという情熱もある。これを全面的にふうじこめるのは、むずかしい。

 

不動産は、そんな「人間の本性」と直接向いあう仕事でもあります。土地建物は、文字通り「動かせない」資産。だからこそ、地域の人々のウチ・ソト意識、ミクロな序列意識、優越感や劣等感…それを理解した上で、不動産価値にどう影響するのか、見つめ続けていきたいと思います。

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ブラジルと傷だらけのオリンピック

こんにちはManachanです。いまオーストラリア出張中で、ケアンズからゴールドコーストまで飛んできたところです。

一昨日から、リオのオリンピック始まりましたね。ここオーストラリアも日本と同様、連日のメダルラッシュで盛り上がっています。オリンピック開会式のセレモニーは、オーストラリアのTVで見ましたが、とてもクリエイティブで良かったです。ブラジルならではのユニークな発想に溢れてましたね。

一方、運営面や環境・治安に関しては、各国で極めて評判悪いですね。選手村でトイレの蓋がないとか、他人の排泄物が逆流してきたとか、オリンピック会場に行く地下鉄が直前になっても開通しないとか、選手村付近で発砲事件があったとか、強盗に拳銃で脅されてスマホ盗られたとか…あと、下水垂れ流し、投棄されたソファや水死体まで浮かぶ汚い海がセーリング競技場になっていることも問題視されるなど、日本など先進国では「ありえない」レベルの問題が続出しているのも、今回のオリンピックの特徴といえましょう。

リオのオリンピックは、南米大陸で初の開催。南米のなかで、面積・人口とも飛び抜けて大きな国ブラジルが、その栄誉を手にしたわけですが、いま同国は、100年に一度といわれる深刻な経済不況に苦しんでいます。多くの国民が失業・貧困にあえぐなか、「身の丈にあわない」大金をつぎ込んでの開催になりました。公務員や警察官、工事現場のワーカーへの給料が遅配・欠配になるほど酷い状況らしく、それでは各方面で綻びが出るのも無理はないでしょうね。

リオ・デ・ジャネイロは2009年の選考会で、マドリードや東京を破って開催都市の座を射止めました。当時のブラジルは経済好調、「21世紀の経済大国」として、前途洋々にみえましたが、2013年の逆オイルショックで資源価格が暴落し、ブラジル経済はにわかに暗転します。国を率いるリーダーにも恵まれず、その後数年は巨大汚職や治安悪化など、不運続き。通貨レアルは暴落中で、経済成長率は昨年も今年もマイナス2~4%になると予測されています。

日本も景気よくないですが、ブラジルのように、人口が大きく増えている国でマイナス成長が続くのはもっとつらいでしょうね。養うべき人口が多い状況なのに仕事がない。可処分所得がどんどん下がる上に、通貨も暴落してるから輸入物価は上がりインフレが止まらない。生活苦ゆえ犯罪に走る者も増え、有能な人ほど国を出て海外に活路を求める…

ここまで厳しい状況下でのオリンピック開催は、「史上初めて」ともいわれます。まさに傷だらけのオリンピック。リオ現地もIOCも、運営側は「綱渡り」の日々でしょうね。

ところで私にとって、ブラジルは結構身近な国です。ここオーストラリアはもちろん、日本でも、北関東や東海地方の工業都市では、ブラジル出身者が相当数暮らし、地元在住の皆様には彼らはそれなりに身近な存在かと思います。

私は1997~98年にかけて、群馬県の館林に住んでいました。館林には工場で働くブラジル出身者が少なからず暮らしていましたが、隣の「(邑楽郡)大泉町」や「太田市」に行くとさらに多く、街の一角が「ブラジル・タウン」と化していました。

特に大泉町は、町の人口の1割以上がブラジル出身者。国道354号バイパスにほど近い「ブラジリアンプラザ」を中心とした一角が、在住ブラジル人たちの憩いの場となっており(地元の日本人がほとんど居ない!)、プラザの周りには、ブラジル人御用達の食材店やレストランが軒を並べていました。近くにはクラブもあり、夜12時頃からブラジル人が三々五々集まって、テンポの良い曲をガンガンかけて夜通し踊り明かす場所もありました。

当時、まだ20代の私は、館林の田舎暮らしを退屈に感じ、エネルギーを持て余していたので、金曜日の仕事がひけた後、毎週のように大泉のクラブに行き、ブラジル人たちと共に踊り明かしたりしたものです。
brazilianplaza

北関東の工業都市にブラジル出身者が住み着いたのは、1990年頃のこと。彼らのルーツは、明治大正期に日本から移民した人々です。その2世、3世が、戸籍を根拠に、日本への在留就労許可を与えられ、当時国情が不安定だったブラジルを後にして、大挙して地球の反対側・日本へDekasegui(出稼ぎ)にやって来ました。

彼らの多くは、(日系移民が集中する)サンパウロ周辺の出身。日系とはいえ2世、3世ともなると、地元の白人や黒人と混血して、日本人っぽく見えない人も少なからずいました。彼らの日本語能力も様々で、ペラペラの人もいれば、日常会話にも苦労する人もいました。概してポルトガル語でないと意思疎通が困難なケースが多く、大泉や太田の役所ではポルトガル語ができる臨時職員を急遽雇ったりしたものです。

当時の私は、ブラジル料理を食べに、ブラジリアンプラザに足しげく通いました。そこにはブラジル出身者向けの掲示板があり、「サンパウロの不動産物件情報」がたくさん載っていました。邦貨換算1000万円程度の家が多く、日本でお金を貯めて、故郷サンパウロに帰って、より良いエリアで良い家に住みたいという、出稼ぎ者の意気込みを感じました。

そんな大泉でも、歳月は流れます。2005年頃からブラジル経済が好転すると、出稼ぎに出る者が減り、リーマンショック後になると日本の工場で雇い止め等が頻発し、仕事のなくなった彼らの多くはブラジルに帰っていきました。

時を同じくして、大泉プラザの不動産広告から「サンパウロ物件」が姿を消し、今ではほとんど、「群馬県太田市や伊勢崎市の、1800万円くらいの戸建住宅の広告」ばかりになっています。

1990年代に日本に出稼ぎにやってきた者も、今ではブラジルに帰った者と、そのまま日本に定着する者に二極分化してきたのでしょう。「ポルトガル語で書かれた、群馬県内の戸建住宅の広告」には、日本に家族で住み続けることを選択した彼らの意思が見てとれます。

群馬県に住む、ブラジル出身の友人の言葉がとても印象に残っています。「母国は不安定、私は子供の将来のために日本に住み続けたいんだ」と。

そしていま、ブラジルの国情が再び、不安定になっています。レアルの暴落で、2015年に国民平均のGDPは米ドル換算で「4桁」に落ち込み(8688ドル)、日本と約5倍の差になっています。日本の工場労働で得られる賃金が、レアル換算すると結構な大金になる時代を再び迎えています。

群馬県の大泉町や太田市、栃木県の小山市、静岡県の浜松市、愛知県の豊田市、岐阜県の美濃加茂市…といった工業都市で、ブラジル出身者の数がまた増える時代を迎えるのかもしれません。これらの地域で賃貸経営する方は、外国人OKの賃貸住宅でブルーオーシャンを狙えるのかもしれませんね。
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世界の治安地図

こんばんは、Manachanです。昨日ようやく、英国から帰国しました。歴史と伝統の英国は素晴らしかったけど、日本も別の意味で良いですね。きれいで安全、便利、食べ物うまい!あと、7月下旬の東京なのに「ロンドンより涼しい」のはびっくりですね。近所の夏祭りも、例年は蒸し暑い中で執り行われますが、今年は涼しすぎて面食らってしまうな。快適に寝れるからGoodですけど。

今回は、「治安」ねたでブログ書きますね。我々不動産業者には、避けては通れないテーマです。

 

私は、日本だけでなく、海外のいろんな国・都市で「生活者」として過ごしてきた人間です。これまで、買ったり借りたりした「自宅」で、延べ半年以上滞在した都市は、5ヵ国・地域、7都市に上ります。

日本2都市(東京、福岡) ※柏、国分寺など首都圏近郊の街も「東京」に含む
オーストラリア2都市(シドニー、ケアンズ)
アメリカ1都市(ダーラム)
台湾1都市(台北)
中国1都市(大連)

 

上記に加え、「自分の収益別荘でオーナーとして時々過ごす」街を加えると、

日本(札幌) ※千歳市だけど、「札幌」に含む
タイ(バンコク)

アメリカ(ホノルル)

が加わりますので、全部で計6ヵ国・地域、10都市になりますね。

 

いろんな国で暮らすと、いま私が日本の生活で得ている「安全」(=普通に暮らして盗難や暴力的犯罪に巻き込まれるリスクの少なさ)は、実に得難いものだと感じます。海の向こうでは、日本と比べて、治安に問題あるケースが多いし、日本以上に気を付けるのが当たり前ですので。

ですが良い例外もあります。台湾の治安の良さは素晴らしく、日本と比べても甲乙つけ難いと感じます…それを踏まえて、上記10都市の治安を、私の体感をもとに比べてみると、

 

Aランク(都市内のどこも基本安全で、治安悪いエリアを探す方が難しい。昼と夜の危険度が大差ない。)

日本(東京、福岡、札幌) 台湾(台北) 中国(大連)

東アジアに集中してますね。あえて序列をつけると、非常に僅差ですが、

台北=札幌>福岡=東京>大連 かな。

 

Bランク(都市内で治安の良いエリアと悪いエリアがあるが、良いエリアの方が多いので、気を付ければ安全に暮らせる。夜の外出は昼よりは多少危険度が高い。)

オーストラリア(シドニー、ケアンズ)、アメリカ(ダーラム、ホノルル)、タイ(バンコク)

このなかで、あえて序列をつけると、

バンコク=ケアンズ>ホノルル>シドニー>ダーラム かな

 

Cランク(都市内で足を踏み入れてはいけないレベルの治安の悪いエリアがあり、裕福な住民はゲートコミュニティに住んだりして安全を買う、夜の外出は避けた方が良いレベル。)

該当なし

 

Cランク在住経験がないので、世界的にみれば、比較的安全な都市で暮らしてきたといえます。ただ、その中でも日本や台湾の安全度は飛び抜けており、

日本から出たことない人が「どの町の治安云々…」しているのをみると、「Very safe」と「Very, very safe」の違いしかないじゃん、と私は感じてしまいますね。

 

今は、ビックデータ解析技術が進んだおかげで、世界各国・各都市の治安を数値化して、わかりやすく一覧表示するウェブサイトがいくつかあります、numbeoもそのうちの一つ

http://www.numbeo.com/crime/

 

世界地図と治安状況を一覧化したページがこれです。私の体感通り、日本を含む東アジアの安全度が概して高く、ヨーロッパ、北米、東南アジアは治安の良い都市と悪い都市の両方ある、そして南米やアフリカは真っ赤ですね。

【世界各都市の治安指数】

numbeocrime

 

都市名を入れて検索すると、詳細な情報が出てきます。日本の「福岡市」でやってみましょう。

犯罪指数12.61、安全指数87.39
日中一人歩きの安全度94.44 (とても安全)
夜間一人歩きの安全度88.89 (とても安全)

fukuokacrime

 

次に、真っ赤っ赤な都市、南アフリカ「ヨハネスブルク」で検索してみましょう。すげー結果になりますね。

犯罪指数82.47、安全指数17.53
日中一人歩きの安全度28.87 (危険)
夜間一人歩きの安全度5.79 (とても危険)

johannesburgcrime

 

次に、上記10都市の安全度指数を調べました。上位5都市は、私の体感通り、すべて東アジアでした。

札幌(日本) 94.51
福岡(日本) 87.39
大連(中国) 84.15
台北(台湾) 81.87
東京(日本) 79.61

――――――――――――――――

ホノルル(アメリカ)67.17
シドニー(オーストラリア)58.28
ケアンズ(オーストラリア)57.89
ダーラム(アメリカ)54.32
バンコク(タイ)50.05

 

それ以外では、ハワイの治安の良さが目立ちますが、日本と比べると少し落ちますね。あとバンコクの数値の悪さは意外でした(安心してどこへも出歩いてるんだけどな・・)。東~東南アジアでは、現地人と肌の色が同じで自分の存在が目立たないので、あまり危なさを感じないのかもしれません。

無論、これだけを鵜呑みにしない方が良いですが、海外への移住・留学、不動産投資をお考えの方にとって、わかりやすい一つの指標にはなるでしょうね。

 

最後に、Numbeoサイトでは「治安」の他にも、「生活コスト」「不動産価格」「ヘルスケア」「汚染」「交通」、それらを総合した「生活の質」も一覧表示できるので便利ですね。ぜひ活用してみては。

【世界各都市の汚染度指数】

numbeopollution

 

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IT革命で人口が都市に集まる理由

こんばんは、Manachanです。先ほど、オーストラリアへ旅立つ家族を成田空港で見送ったあと、ひとりで、東京・東陽町の我が家に帰ってきました。明日は早起きして、羽田から英国ロンドンに飛び立ちます。

私は仕事柄、出国が多く、毎月1~2回は海外出張してます。そして、毎年7月中旬~8月下旬は、ほとんど日本にいません。家族の住まいと事務所は東京にありますが、自分の居場所は、一年のうち「70%が日本国内、30%が海外」といったところ。

 

世界中どこに行っても、ネットカフェやホテル、空港でPC片手に仕事してますので、「ノマドワーカー」と言っても良いかもしれません。ですがそれでも、1年のうち7割は東京周辺で過ごしているわけで、「東京が本拠地」であることも間違いありません。

満員電車と渋滞・混雑の東京より、もっと環境や景色の良い場所も、国内外にたくさんあるわけですが、私は「本拠地」を東京から移すつもりは、今のところありません。自分が東京に身を置くメリットが非常に大きいと感じるからです。

そんなこと考えている時、面白い文章に出会いました。

 

年収は「住むところ」で決まる(夏目力) 

 

肝心な論点を、いくつか引用します

人間は対面で顔を合わせた時に、一番クリエイティビティを発揮し、

アウトソーシングや機械の自動化ができないクリエイティビティが経済の中心になる21世紀は、クリエティブな人が物理的な「場所」を共有する必要があり、ゲイや外国人、そして何より「組み合わせパーツ」になりうる変わり者を歓迎する都市が、今後栄えていく可能性があります。

多様性にあふれ、クレイジーな人にオープンな都市、または地域に人が集まり、そこからのイノベーションが一番の経済価値になっていきます。

 

私は、作者の論点に賛成です。また、IT革命が進んだ今日、日本を含めて世界的に人口の都市集中が進んできた理由も、クリアに説明できていると思います。

私がなぜ、東京に本拠を置いているのか?それは、東京が日本のなかでは、飛び抜けて「多様な人材」、「多様な情報」、「多様なビジネスモデル」に溢れる場所だからです。

私は、「世界の不動産投資情報」という「知的生産」に関わる仕事をライフワークにしていますが、東京のような場所に居ると、知的生産には極めて効率的なのです。

 

東京に居る時は、「人と会って、話す」ことに主眼を置いた活動をしていますが、多様な領域で活躍する凄い方、素晴らしい方に出会って刺激を受けつつ、自分の知的生産や新たなビジネスの糧としています。

今の私にとって、知的刺激を受ける場所は、ほぼ、東京都内の「山手線と地下鉄丸の内線に囲まれたエリア」(池袋~東京駅ライン以南の山手線内側)に集中しています。特に多いのが、

・新宿周辺
・渋谷、表参道周辺
・新橋~浜松町周辺

次いで、

・池袋周辺
・銀座周辺
・飯田橋~市ヶ谷周辺
・赤坂~六本木周辺

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このエリアを、私は、「知的生産、黄金のトライアングル」と呼んでいます。経験上、山手線の外側、あるいは丸の内線以北になると、優れた知的刺激を受ける頻度が著しく減るので、

今の仕事を続ける以上、「黄金のトライアングル」に容易にアクセスできることが、自分の住まい・事務所選びの重要な基準だと考えています。その意味で、「東京駅まで9分で出られる東陽町」に住んでいることには満足していますが、より理想を言えば、山手線内側の便利な駅前(飯田橋とか四谷とか)に住めればさらにベターかと思います。

 

世界的にみても、IT革命で発展している印象があるエリアは、「都市」が多い。

・サンフランシスコやシアトル、バンガロールなど、既存の都市
・シリコンバレーや北京・中関村など、都市内にある大学・産業集積地
・ロサンゼルス近郊の「シリコンビーチ」など、都市住民に好まれるリゾートチックな場所

 

高速光ファイバーが田舎に張り巡らされても、皆がスマホとPCを持っても、それで田舎に人々が移り住むという話はあまり聞かない。データセンターやコールセンターを誘致する類の話は多いですが、

新たなビジネスと、イノベーション、新たな経済価値の創出は、人と人とのリアルな交流の機会の豊富な都市が中心になる。そこで新たな雇用が産み出されて、他地域から人々が集まる。人口の都市集中が進む・・・

ITを多用してノマドのような働き方をしている私が、東京をメインの拠点にしているのは、ちゃんと理由があってのことです。それは、「IT革命と人口都市集中」のメカニズムに基づく自然なことだと思います。

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銀座爆買いと、日本人の反応に思う…

こんにちは、Manachanです。先ほど、池袋で決済を終えて、その足で羽田に向かって中国・北京へ飛ぶ・・という、移動の多い日々を送っております。

昨日は、仕事で銀座に行く機会がありました。銀座は、いつも人通り多くて賑やかですね。私の歩いたコースは、

・銀座1丁目から、4丁目交差点まで、中央通りを南下
・4丁目交差点で左折し、晴海通りを東へ、歌舞伎座前まで進む

この距離を、ゆっくり歩きで10分余りで移動しつつ、街で聞こえてくる声を言語別に集計する、という遊びをやってみました。結果は下記の通り、

・中国語 14回
・日本語 13回
・英語   2回
・それ以外 2回

銀座の北部、1~2丁目あたりは日本語が多いですが、3丁目の松屋あたりから中国語の頻度が急増、4丁目交差点まで、ほぼ中国語ばかり聞こえる状態が続き、そこから晴海通りに入ると日本語が増える…といった塩梅。英語は、単発的に聞こえてくるだけでしたね。

街で聞こえてきた中国語に耳を澄ますと、上海以南や台湾の人のしゃべり方ではない。多くは、中国大陸の北部か西部から来た方々と思われました。

 

私は銀座に行く機会多いですが、中央通り沿い、3~8丁目は特に中国人旅行客が集中する地域で、日本人が行くと「アウェイ感」を覚える場所と言われています(パリのシャンゼリゼ通りも同じようなものですけどね…)。但し、中央通りから大通り一本、西か東へ移動すると、中国語の聞こえる頻度はまばらになります。

そんな日、銀座4丁目交差点で、ビジネススーツ姿の日本人中年サラリーマンがつぶやいた言葉が、印象に残りました。

 

これだと、日本が乗っ取られるね…

 

大勢の中国人観光客という、見慣れない存在への違和感、銀座の変貌ぶりに対する戸惑い…その気持ちは分かります。でも、別の視点からみれば、

 

良い歳した大人が、「乗っ取られる」みたいな不明瞭な言葉を使って、現状を正しく認識する努力をせずに、文句だけ言ってる状態に対する違和感を、私は感じます。

 

そもそも、日本の国が乗っ取られるって、具体的に、どういう状態を指すのでしょう?定義できるのでしょうか?今の銀座の状態(中央通り沿いだけ、中国人観光客が多数派になってる)から、何がどのように変化すれば、彼のいう「乗っ取られる」状態になるのでしょう?

これを、正面から問うたら、そのサラリーマン、たぶん明確に答えられないでしょう。彼が「乗っ取られる」というあやふやな言葉の枠組で思考する限り、妥当性を持った現状認識は無理な気もします。

私の違和感は他にもあります。

 

民主的手続に基づいて自分たちが選んだ政府が、公約通りに規制緩和して、その結果、外国人観光客が増えてるんでしょ?いまの銀座の状態は、突き詰めて考えれば日本人の「集合的意思」が実現された結果であって、ほぼ想定通りじゃないの?

そもそも日本は主権国家なんでしょ?日本領土内のルールは自分たちでつくって、皆に守らせるんでしょ?外国人観光客は、日本国がつくったルールの枠組に応じて増えたり、減ったりしてるんでしょ?自分らがルールを握ってる限り、乗っ取られるなんてあり得ないじゃん?(戦争でもして負ければともかく…)。

 

社会の何かが変化する時、普通考えて、功罪どちらもあるはずです。悪い方向にだけ向かう変化って、現実にはあまり考えられない。ビザ要件緩和の結果、外国人旅行客の来日数が増えたのなら、ホテル業や小売業等、日本の一部業界は確実に潤っているはずで、これは彼らにとってプラスな変化。

もっとも、ビザ要件を緩めた結果、外国人の不法滞在や失踪が増えたり、その結果治安に影響してくるのであれば、それは多くの人にとってマイナスでしょう。とはいえ、よく考えればこれは最初から想定できることです。

 

プラスとマイナスの両方を必然的に伴う「変化」のなかで、客観データにもとづいて現状を認識した上で、いかにしてプラスを最大化して、マイナスをコントロールするか?…これが、「チェンジ・マネジメント」といわれるもので、それなりの企業に勤める中堅サラリーマンなら、日常業務のなかで当たり前にやってることだと思うんだけど、

ことが「日本社会のチェンジ・マネジメント」みたいな話題になると、変化をコントロールする視点がすっぽり抜けて、一気に「乗っ取られる」とか「買い占められる」みたいな、あやふやな結論に飛びつく人が日本では多い。教育レベル・社会的地位が相当高い人でさえ、そういう「情弱」的なことを言ったりするのが、私に言わせれば不思議です。

以前書いた日記、「外国人の土地所有を制限できるか?」でも、同じ問題を感じました…

 

日本経済を活性化させたい。日本の国を復活させたい…という総論に、反対する人は多くないでしょう。

その手段として、たとえば「外国人観光客に来てもらう」とか、「優秀な外国人に、日本の職場で活躍してもらう」などがあり、具体的には観光ビザや永住権を取りやすくする等の施策になるわけですが、それをやった結果、日本人の誰かの職場を奪うとか、賃貸物件でのトラブル等、マイナス面の変化も伴うかもしれない。

だから、ビザ緩和をやるべきか、やらざるべきか、あるいは方法を変えてやるのか・・・といった「判断」が必要で、その判断材料となるデータを集める仕組みや、現状をモニターして政策に反映する仕組みも必要になる。それができて、はじめて「まともなチェンジ・マネジメント」が成立する。

 

日本の将来に関わる大事なことを、少なくとも教育を受けた人なら、本来、チェンジ・マネジメントのレベルで議論すべきと思うのですが、そういう議論が、日本で成り立つ土壌はまだまだ乏しいと感じます。

 

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マクドなくなると結構困る人…

こんにちは、Manachanです。

ニュースでたくさん報道されてますが、あのマクドナルドが日米ともに未曾有の経営危機に直面しているようで、「日本撤退」すら噂されているようです。

ここ東京でも、都心部の基幹店舗や、20年以上営業してきた店舗が、どんどん閉店の憂き目にあっています。ここは都会なので、マクドナルド亡き後、すぐ新しい飲食店ができるでしょう。「一等地の居抜き店舗」は、どの飲食チェーンにとっても垂涎の的ですから…

私が仕事や打ち合わせでよく使う店舗で、最近閉店されたところは、

 

東京都港区 マクドナルド赤坂見附店
2015年10月25日閉店、21年営業

東京都豊島区 マクドナルド池袋西口公園前店
2015年10月25日閉店、23年営業

東京都墨田区 マクドナルド錦糸町アルカイースト店
2015年10月25日閉店

東京都中央区 マクドナルド東京駅八重洲通り店
2015年10月31日閉店、3年営業

東京都千代田区 マクドナルド駿河台店
2015年10月31日閉店、43年営業

東京都港区 マクドナルド神谷町店
2015年11月15日閉店

参考リンク)マクドナルド2015年11月の閉店店舗

マクドナルド2015年閉店店舗一覧

 

こういう都心一等地の店を閉めざるを得ないのは、賃料高くて競合が激しいとはいえ、経営まじでやばいんじゃないかと愚考します。一度撤退したら最後、二度と借りられないような好立地ばかりですので・・・

そんななかで、我が家の近所、マクドナルド東陽町駅前店の閉店の話はまだ聞かないので、ほっと一息ついています。私はこの店のヘビーユーザーなんです。

・東陽町駅の周辺に、他にマクドナルドは存在しない。約1km離れた木場や南砂町に行かないとない。

・東陽町駅近辺で、フリー電源がある飲食チェーン店は3つしかない。マクドナルドと、カフェヴェローチェと、プロントのみ

・プロントのコーヒーは220円~、カフェヴェローチェは190円~・・・そこいくと、マクドナルドはSサイズのコーヒーが税込100円。

・しかも、マクドナルドはシャカチキとかSサイズポテト、ハッシュブラウンなど、税込150円位で頼めるサイドメニューが豊富。一方で、プロントのサイドは値段高いし、カフェヴェローチェもクッキー位しかない。

 

東陽町のマクドナルドは、学生や社会人、家族連れや外国人で常に賑わっており、閉まる気配はありませんが、もし閉店されることになったら、私、結構困ってしまいます。

マクド亡きあと、ガストやデニーズ、日高屋、ファーストキッチンみたいな飲食チェーンが入居するでしょうが、どの店が出て来たところで、マクドと同じコスパで「250円ちょっと利用+充電」はまず期待できないからです。

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今日、「マクドナルドなくなるかもしれないよ」という話を、我が家の食卓でしたところ、息子ポニーは「別に構わない」、娘ソフィアは「なくなると困る!」という意見でした。確かに、妖怪ウォッチのおもちゃ付のハッピーセットが買えなくなると寂しいもんねえ。

モスバーガーやサブウェイが来れば、確かにヘルシーで美味しけど、子供のいる家庭向きじゃないんだよなあ。だいたい「モスチーズバーガー+ポテト+ドリンク」のセットで1人800円超えるし、4人家族で1食3000円超えるファストフードはありえない。おもちゃも付いてこないし…

それに、ここは外国人の多い町。日本語や日本の食べ物にまだ慣れない人にとって、マクドナルドはかなり重宝するはず…特に東陽町店は、英語もタガログ語もベトナム語も通じるし。

イメージは良くないけど、何気に東陽町の土地柄にあったマクドナルド。閉店せず頑張って欲しいと思います。

 

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マスコミの惰性と地域イメージの関係

おはようございます。Manachanです。今回は久々の「マスコミ」ねたで…

人間にとって、世の中の事象は、「少数の関心事」と「多数のどーでもいい事」から成り立っています。たとえばの話、約30ページの新聞朝刊誌面に載っているテーマは少なくとも数百あるはずですが、そのなかで、自分の関心あるテーマはどれだけあるでしょう?関心分野が半分を超える人は、たぶん稀だと思います。

特に私は、興味分野が偏っているので、大部分のテーマに、全く関心ありません。新聞、雑誌とも、興味ある分野だけ選んで、つまみ食い的に読んでます。じっくり読む時間もないしね。

 

新聞記者や編集スタッフになると、少なくとも私よりは幅広い関心分野を持っていると思いますが、それでも、関心の濃淡、得意・不得意はあるはずで、個人的・組織的に関心が薄い分野とか、取材体制が不十分な分野になると、記事に「どーでもいい」オーラが漂ってきます。

先日、福岡でのセミナー後の懇親会で、こんな話題になりました。フィリピンで事業をしておられる方との話、

 

「フィリピンは、ここ数年でものすごい勢いで経済発展して、都市の環境も整ってきたのに、日本のマスコミは、そういう面を全然報道しない。十年一日のごとく、スラムや貧困、犯罪の記事ばっかりだ」

「経済紙になると、さすがにちゃんと取材するけど、一般紙の方は相変わらずひどいね」

「新聞記者は、10年、20年前の、貧しかったフィリピンのイメージを未だに持ってて、惰性で記事書いてるんじゃないか?あるいは、現場の記者がまともな記事書いても、デスクが先入観だけで却下してるんじゃなかろうか?」

 

それを聞いて、私も思い当たることがありました。ちょうど数日前、東京で会議していた時、香港人の日本不動産買いの話題になった時に、司法書士の先生が言ったこと、

 

「香港人に関しては、日本の不動産を投資目的で買うことはあっても、日本のビザとって移住するニーズはないよ。だって放射能の問題があるもん。」

「香港のマスコミって、日本の放射能に関する報道はえげつないから、未だに震災当初のパニックなイメージをひきずっている人も多いんだ・・・」

「今でも、東京や横浜の物件は避けて、大阪や福岡の物件をリクエストする香港人も少なからずいるんだ」

 

私、香港にはほぼ毎年行ってるし、現地で「蕷果日報」みたいな大衆日刊紙をそのまま読むので、「報道のえげつなさ」についてはイメージできます。香港で高層マンションのベランダから子供が落ちて亡くなった、中国本土で連続殺人事件が起こった等々、事故記事の書き方すごいもん。使われてる写真も、「兇」とか「悪鬼」みたいなオール漢字のタイトルも…あのノリで、日本の原発事故も、極度に誇張して書くんでしょうね。

香港は2011年震災当時、「末日災禍」、「50死士」(『星島日報』)、「全日本核汚染」(『東方日報』)みたいな、扇情的な見出しが躍った場所。日本の「いま」をよく知らない、あるいは「そんなんどーでもいい」と考えている記者やデスクが、2015年になっても当時のパニックなイメージを引きずったまま、惰性で記事を出し続けている可能性は大いにあうるでしょう。もしそうなら、日本のマスコミのフィリピンに関する報道と同じ構図ですね。

私は震災後もずっと東京に住んでて、小さい子供も育ててるし、毎日、関東や東北の野菜を食べてるし、仕事や遊びで福島県にもよく行くし…そういう暮らしをしているので、現地の事情をよく知らない外国人がイメージだけで東京の物件を忌避する気持ちは分かるにせよ、特に本人が住むわけじゃなくて投資物件として保有するだけなのに忌避するのは、正直理解に苦しむのですが、

でも、世の中のほとんどの物事は、「どーでもいい」ことから成り立っているのかもしれません。信頼できる筋からデータを得て、ちゃんと分析して合理的に判断する…みたいなことを、誰もができるわけじゃない。逆に「なんとなく、危なそうだから・・・避けよう」みたいな、非合理的な感情やイメージの占める割合は大きい。

 

私、長年ブロガーやってて、無力感を感じるのも、ここなんです。日々、一生懸命、皆様に有益だと信じる情報を発信し続けていても、読んでくれるのは興味ある方だけ。世の中の大多数の人は、ブログManachans Worldよりも、マスコミの出す「どーでも良い、惰性な記事・報道」をはるかに多く目にしているのです。

もちろん、マスコミの世界でも有能で志ある方は多いし、良質な記事・報道も世の中にたくさんあります。ただ、そうでないものも多い。どの業界もそうですが、国を問わず、マスコミも、玉石混交。私の嫌いな下品で怠惰で扇動的な記事も多いし、なくならない。

どのマスコミも、想定する読者層のレベルやニーズに合わせて記事を出す。読者も人間であり、「興味のない分野、つまり世の中の大部分のことはどーでもいい」と考えているので、その「どーでもいい」部分に訴求する記事や、惰性で書く記事は、人間の世が続く限り、なくならないでしょう。

 

フィリピンの話に戻ると、日本人の大多数がフィリピンに対する貧困・危険イメージを変えるには、あと5~10年くらい、同国の経済成長が続いて、英語流暢なフィリピン人のエリートが、東京のビジネス街を颯爽と闊歩して、日本人の一般ピープルが、「フィリピンは経済成長すごいらしいよ」、「スラムだの犯罪だの、〇〇新聞は未だにこんな記事書いて、こいつらバッカじゃねえの!」と思うようになったら、変わるのでしょう。

ま、シンガポールやマレーシアについて、今どきそんな記事書くマスコミはほぼありませんから、フィリピンも、徐々に見直されていくのでしょう。惰性な記事書くマスコミ人が、一番遅れてるかもしれませんね。

ま、それもヨカヨカ。人間社会なんて、所詮そんなもん。私は商売人だから、「マスコミや一般人の認識」と「現実」とのギャップに注目して、それをおカネにしていけば良いんだから・・・

 

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学校教育という幻想

こんにちは、Manachanです。今日は日曜日、朝から分厚い雲に覆われています。9月中、ずっとこんな天気だから、太陽光パネルの収入も少なそうだなあ。

うちの娘は、昨年末から不登校気味ですが、気楽な自営業の私が、毎朝、学校に連れていっています。最近は2時間目の途中くらいから登校する感じで、とりあえずは小康状態。このままでいいのか、という気も少ししますが、私時代も高校時代、不登校を経験したので、娘の気持ちは大体、理解できます。娘の気質や勉学スタイルに合う、良い学校が見つかればと思って、いろいろ探してはいるのですが…時間かかりますね。

幸い、いまは学園祭の季節。サイエンス系、英語系の特色ある学校のイベントに子供たちを連れていって、とにかく、「何かを感じてもらえれば」と思っています。

 

とはいえ、一面では、「学校でできることなんか、所詮、タカが知れてるんじゃないか」と、冷めた目でみている私もいます。確かに小中学校、高校は、子供時代の多くの時間を使うところであり、我が子たちも少しでも自分にあった、気持ちの良い環境で学んで欲しいという親心はありますが、

子供の成長やポテンシャルの発揮は、結局は自分の「気づき」次第であり、学校の教学方針やカリキュラムそのものに大きな期待はしにくいんじゃないかなあと感じています。たとえば、

「学校教育で全面的な人間性が育まれる」とか、

「日本の学校教育は詰め込み式で創造性や考える力が育まれない」とか、

「日本の学校の歴史教育で自虐史観を教えているから愛国心が育まれない」とか、

そういう言説は、大いに疑問ですねえ。自分の経験からしても、学校時代の教科書で習ったことなんて、いまの自分のスキルや人生観の何%も占めていないと感じます。それよりも、自分が大人になって、責任を伴う仕事で経験したことや、友人やお客様、同僚から学んだことの方が、はるかに、自分の血肉になっていますので。

私の小中学校時代、今よりもっとキツイ詰め込み式の管理教育が行われていたと思いますが、そんな教育を受けたことで、私たち日本人の創造性が損なわれたとは思いません。世界を歩くと、日本発のアニメ、ゲーム、カラオケ、ファッション、食文化が広く受け入れられ、ブームやブランドになっています。創意・創造力豊かな文化だと感じます。

その代わり、ディスカッションしたり、全体的・包括的な仕組みを構想する力は弱いですけどね・・・日本の学校教育を改善すればいくらか良くなるのか、私にはよく分かりません。

 

学校教育に対して、各人、いろんな立場や思い入れがあると思いますが、ビジネスマン的にいえば、

「大人になった時、責任を伴う仕事を社会に多く供給する」のが、いまの大人(経済人)のつとめだと思うし、

「学校は、それぞれの時代に、責任ある仕事をするために必要なスキルセットを育成する場」なのかと思います。

 

今までは、それが「読み書きそろばん」とか「協調性」だったと思うし、今の時代は英語とか、ITスキルが加わってきた感もあります。その他のプラスアルファは、学校それぞれでしょうが…現実的に、学校教育に期待できるのは、せいぜい、その位なのかなあと思っています。

あとは、子供たちが自分の興味分野を伸ばしたり、知的に成長するための「気づき」を得られやすい環境であるならば、私はそれで十分です。

世の大人が学校教育に期待することの多くは、子供にとって「どーでもいいこと」なのかもしれません。何だかんだいって、人間形成のほとんどは、学校の外で行われるんでしょうし。

 

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