時事問題エッセイ

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「海外出羽守」にならない思考・執筆法

こんにちはManachanです。今回は、「海外に関する文章執筆」の話題で書きますね。

最近、ネット界隈でよく聞くのが、「海外出羽守」(かいがいでわのかみ)という言葉。意味はこうです。

 

・二言目には「…では」(…は海外の国名)と言い、海外を持ち上げて日本を悪く言う(ネットスラングでいえば「日本をdisる」)

・上記の国名として良く出てくるのが、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランス、北欧、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポールなどの先進国。最近は英語力や教育の関連で「マレーシア」とか、ネットテクノロジー関係で「中国」が稀に出てくる。アフリカや南米、中近東地域の国名が出ることはほぼない。

 

その「枕詞」なる「…海外では」を揶揄されて、「海外出羽守」と称されます。ニュアンス的には「放射脳」等と同様、「困ったちゃん」に対する蔑称の意味合いを感じます。

「海外出羽守」的な言説はずっと昔からありますが、いまこの言葉が生まれたのは、やはりブログ等を通して情報発信する人が増え、またそれがネットで人々の目に触れる機会が増えたからでしょうね。

 

ところで、私は海外に関する情報発信を日常的にしています。あるいは誰かに「Manachanは出羽守」だと思われてるのかもしれませんが、少なくとも主観的には、俺は無責任な出羽守にはならないぞ!と心に決めて書いています。

「無責任」とはキツイ言い方で申し訳ないですが、要は、「言いっぱなし」が一番良くない。海外の良い面を取り上げて日本の至らなさを指摘する自体は良いけれど、次の要素がひとつでも欠けると日本在住者の「心に響かない」。

 

・その事象が海外と日本の社会においてどれくらいの頻度で、どの社会階層のなかで起こるのか?日本社会のなかで類似事例があれば同じ土俵でフェアに比較できているのか?

・もし日本社会に類例がないことであれば、それが生まれる海外の社会背景と、日本で生まれない理由をきちんと説明できているのか?

・もし日本に対し苦言を呈し改善を求めるのであれば、日本社会で生きる方々の置かれた環境や立場に一定の理解を示しつつ書いているのか?

 

特に「海外に住んでて」かつ「上から目線」口調で書いてしまう人はすぐ、「お前だけ安全圏に身をおいて俺たちのこと一方的に散々悪く書いて嫌なやつだ」と思われて、即「出羽守」認定されてしまうのだと思います。

逆にいうと、上のポイントにちゃんと配慮した上で「日本に対する建設的な苦言・改善提案」ができれば、出羽守どころか、人々をして「なるほど~」、「俺らも真面目に考えよう」と思わせる、価値のある読み物になるのだと思います。まだ力不足かもしれませんが、私は文章表現者として常に、そういう読み物を書こうと努力しています。

 

最後に、苦労の伴う子育てをしていて思うことは、「我が子に対して好奇心を持つのと同じように、日本に対して好奇心を持って書いてみたい」。

子供は、大人に「ああせい、こうせい」と指図されるよりは、「ありのままの自分を素直に受け入れて欲しい、もっと好奇心を持って知って欲しい、認めて欲しい」と願っているものです。大人だってそういう欲求がありますよね。

その好奇心を、「日本」(人々、国、島々、自然、動植物、文化、社会…)に対してより深く、本質的なレベルに向けることで、私が海外について書く文章の価値がより高まるのではないかと最近感じています。

 

たとえば、日本の「産業効率の悪さ」や「社会変革の遅れ」について指摘する人が多くいます。良い論点だと思いますが、私は「ちょっと待て、言い切る前に、もっと深く考えようよ」と思います。

 

1)良くも悪くも、日本とは本質的に、「効率」より「調和」が優先される社会である。

2)その気質は、平地の少ない孤島という自然条件のなかで、長い時間をかけて形成されたもの。皆が「この島々から逃げられない」前提で、「他者との調和を乱さない」不文律を守って生きてきたから、そのようになった。

3)日本における効率向上はあくまで「他者との調和」との折り合いがつく範囲で追求されるもので、調和を乱した瞬間に嫌われる。日本人なら排斥されるし、外国人の場合アメリカみたいに強い奴なら「外圧」扱いになり「面従腹背」するが、そうでなければ「無視」される。

4)「調和」が優先されるコンセンサス社会ゆえ、オーナー企業でもない限り組織の意思決定は概して遅いし、経済社会の変革が必要になる段階でも「いまを生きる日本人が変化を望むかどうか」を確認するプロセスを踏むためフットワークが軽いとはいえない。

5)その代わり、日本人の多くが「潮時だ」と判断したら、この社会は一瞬にして、かつ不可逆的に変わる。

 

私思うに、上記の前提を踏まえずに、3)や4)について不満・苦言を述べたところで、日本社会の特質から考えて、「海外にいる日本人」の言い分は、「外圧」にもなれず「無視」(=出羽守認定)されるだけだと思うし、

逆に、そういうもの全てを背負った日本社会のなかで生きる者にとっては、「変わりにくい社会で、でもやっぱり変わらなきゃならない。自分たちに今できることは何だろう?」を真面目に考えることが大事で、そんなイマジネーションを想起させるような物書きに私はなっていきたいと思います。それには多分、日本やそこに生きる人々への「暖かい目線」と、「深く本質的な理解」が必要なのだと思います。

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「移民受け入れ是非」じゃなくて、「生活者」として自然に受け入れよう

こんにちは、Manachanです。久々のブログ更新になります。

私は仕事柄、欧州諸国の収益不動産をかなりの頻度で見にいきます。ドイツや英国が特に多いですが、これらは成熟した先進国で、高齢化もそれなりに進んでいます。経済成長率も年1~2%とか控えめな数字です。

そんな成熟社会でも、不動産価値は上昇傾向になることが多い。欧州は日本と違って新築供給が少なく、中古住宅をメンテしながら長年住み続ける文化が根本にあり、需要に比べて住宅供給が不足しがちなので賃料も売買価格も値上がりやすい傾向にありますが、価格を支えるもう一つの要因として「移民流入による人口増加」もあります。

英国の各都市ではポーランドなど東欧出身者や、インドやパキスタンなど南アジア系の方々が多く、ドイツではトルコはじめ中近東系の方をよく見かけます。彼らが英国やドイツの社会に順調に統合されているのかというと、当然いろいろ課題があるのでしょうが、苦労しながらも、それぞれの国なりに経験値と知恵を積んでいる印象です。

社会のなかで、外国出身者がマイノリティとしてそれなりの割合存在し、本国のマジョリティとともに生活者として暮らす風景は、程度割合の差こそあれ、私の住む東京にも共通する点です。つい数日前、Facebookにこんな投稿をしました。

 

[実質的な移民社会、東京に暮らして…]

日本に一定期間(90日)以上、合法的なビザで滞在する外国人の数は増え続けており、かつ、増加のスピードも加速しています。

【外国人登録者数の推移】
217万人(2015/6末)⇒223万人(2015/12末)⇒232万人(2016/6末)⇒238万人(2016/12末)⇒247万人(2017/6末)  ※今は確実に250万人超

数字を素直に読む限り、ここ数年の日本における外国人純流入(=入国-出国)は15~17万人/年のペースで推移しており、日本人の自然減少約30~35万人/年の約半分を補っています。

そのうち東京圏を詳しくみると、外国人純流入の約半分(7~8万人/年)が定着し、かつ日本人も15万人/年が他地域から転入しているので、「日本人も外国人も増える」、「外国人増加が全体の3分の1を占める」社会になっています。私の暮らす江東区も外国人比率が6%に迫り、身近に日本人以外が暮らすのが当たり前になりました。

ところで、日本の外国人純流入15~17万人は、奇しくも10年前の英国やドイツにおける外国人純流入(約20万人)と近い数字です。なおドイツは同時期(2005年)に移民法を制定し、移民を対象とするドイツ語の公教育などが法律で定められました。ドイツも英国も、移民してきた定住者の過半数が国籍を取得(日本でいう「帰化」)しています。

もっとも日本は欧州とは国情も歴史が全く違います。日本国として「移民を公式に受け入れる」宣言や、「税金を使って移民に日本語教育を与える」意思決定は、まだ遠い先のことでしょう。なお、うちの近所の小中学校では、アジア圏から十分な日本語知識なしに途中転入する生徒がいるので、実質的に教員による日本語補習が行われています。そういう地域も日本中に多いでしょう。

外国人がさらに増え、日本語教育や在留資格、年金はじめいろんな問題が起こり、既存の枠組ではにっちもさっちもいかなくなった時に、ようやく「潮時」、「移民受け入れやむなし」の雰囲気になって初めて、公式に物事が動くのだと思いますが。

でも生活者、不動産賃貸事業者の目でフラットにみる限り、相当数の外国人が日本に定住し、その数が年々増えている。労働提供者として消費者として賃借人として、日本社会に確かに存在しているという意味で、日本(特に東京)は実質的な移民社会になっていると考えて良いでしょう。日本政府が公式に移民を受け入れるかどうかは、「外国人が日本に暮らす」実態にそんなに影響しないと思います。

フィリピンとかインドとか中国から数年前に来日して、うちの近所で暮らしている人結構いますけど、彼らは普通に都心で働いて子供を地元の学校に通わせてて、母国に帰りそうな人は割合としては少ないです。そんな東京の風景は、トルコやポーランドから来て定住した住民の多い「ドイツ都市部」と重なります。

 

上の議論を、もう少し膨らませて書いていきますね。

日本の総人口は2008年をピークに減少局面に入り、少子高齢化を背景に減少幅は年々大きくなることが確実視されます。継続的な人口減少は日本経済に重苦しい悪影響を及ぼし続けており、日本社会や福祉システムを存続させるためにも、子育て支援に加え「ある程度の移民受け入れ」が議論のテーブルに乗って然るべきでしょうが、「移民」という言葉に対する国民のアレルギーが大きいので、政治家もそれをなかなか口にできません。

でも東京の江東区あたりに住んでると、身近に外国人が普通に居て、すでに長年暮らしてるし、お子さんは公立の小中学校に普通に通い、名簿をみても日本人じゃなさそうな名前がクラスに数名居る…実質的に移民受け入れてるじゃん、という感覚です。実際、首都圏各自治体では外国人比率が年々高まっていますし、横浜市とかは間もなく「日本人が減って外国人が増える」時代に入るでしょう。だからから猶更、「日本は移民受け入れない」という言説とのギャップを感じてしまいます。

日本の言論事情を考えると、「移民」という言葉を使わず、「定住者」といった抵抗の少ない言葉を使って議論した方が生産的でしょうね。「移民受け入れ、是か非か?」みたいな神学論争は意味がないし、すでに近所で暮らしている外国出身者との共生を目指し、彼らが日本社会に合流できる仕組みづくりを具体的に議論すべきだと思います。

 

日本は一般に言われるほど、排他的な社会ではないと思います。特に宗教に関して日本人は寛容で融通無碍なので、外国人比率が増えても信仰の違いに起因する衝突はたぶん起こりにくいでしょう。また、日本人同士だと同調圧力が強く存在しストレスの元にもなりますが、それが外国人に対しては通常適用されないので、そんなに「息苦しい社会」でもないでしょう。

外国人に対して寛容な日本人が、こと移民受け入れになると消極的になるのは、外国人を憎んでいるのではなく、日本人同士で互いに配慮しながら摩擦を起こさず過ごすのが快適で、その暮らしをずっと続けたいと思ってるからなのでしょう。確かに、日本の生活習慣に慣れていない外国人が目の前に居る環境で、日本的な意味でお互い摩擦なしで過ごすのは難しいでしょうから、

身近に暮らす外国人との間で文化の違いに起因する誤解や摩擦は起こりうるという意味での「無秩序」や、ゴミ出しや共同生活のルールや言葉で一から説明しなくちゃならない等の「面倒臭さ」を、日本人がある程度、受け入れる必要があると思います。逆に日本に一定期間以上暮らす外国人も、「日本人同士で気遣いながら快適に暮らしたい」というマジョリティの気持ちを尊重する必要があるのでしょう(普通は否が応にも、それに気づくものです…)。

外国出身の住民が身近に増えても、多くの日本人にとって「英語学習」は大して求められないでしょう(どっちみち、英語苦手なアジアの国からの流入が多いでしょうし…)。その代わり、「誰にも分かる簡単な日本語」で説明するスキルが必要になってくると思います。

 

日本で都市部を中心に「外国出身の住民」比率が今後も増えるのはほぼ確実でしょう。江東区でも、今の外国人比率6%弱が、5年後に7%、10年後に8%…みたいなペースで、徐々に増えていくと思います。日本の国籍や永住権を取る人も増えるでしょう。

でもそれは、日本人の人口減少を外国人に埋めてもらう「数合わせ」程にはならないでしょう(多分やるべきじゃないでしょうし・・)。日本人マジョリティの「摩擦起こさず快適に過ごしたい」気持ちと、「でも人口減少で国力衰退も困る」という気持ちの間で、今後の歴代政権が最適解を探りながら、「移民」という言葉を使わずに徐々に受け入れていくのだと思います。

その近未来が分かっているなら、排除せず、かといって無理もせず、お互い楽しく暮らしていきたいよね。

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不動産価値が2倍になるのと、暗号通貨が100倍になるのと、どちらが楽しい?

おはようございます、Manachan@バンコク滞在中です。いつもご愛読ありがとうございます。

今回のブログは、ここ1~2年、常に投資界隈を賑わせてきた「暗号通貨」(仮想通貨)と、私がライフワークにしている「不動産投資」との関係について書いてみます。

 

いくつかの暗号通貨の価値(もとい日本円や米ドルへの換算額)が短期間で何十倍、何百倍になり、世の中が「億り人続出」とか、「確定申告どうしよう~?」とか、騒がしくなってくるずっと以前から、私はビットコイン(BTC)を、送金用に使ってきました。

2015年末、私が最初にBTCを買った時の値段を、今でも覚えています。確か44,700円近辺でした。今日のレートは120万円近辺ですから、20分の1以下の値段。凄い話だよなあ…。

 

当時のBTC/JPYレートの値動きは穏やかで、今みたいに一日で20万円も30万円も動いたりなんてことはありませんでした。だから日本から海外へお金を送る、あるいはその逆をする際に、銀行窓口での煩雑な手続きを避けるための便利な代替手段として使っていました。その意味で、当時のBTCはまさしく「おカネ」でした。

BTCがおカネじゃなくなり、投機の対象になったのは、いつのことですかねえ?潮目が大きく変わったのは2017年前半あたりだと思います。

でもまあ、おカネって地味ですから…暗号通貨がおカネであることをやめた頃から、世の中の話題に乗り始めたんですよね。今では「コインチェック」とか「イーサリアム」とか、その辺歩いてるサラリーマンOLが当たり前に話してる世界ですもんね。

 

で、私はといえば、暗号通貨が急騰、乱高下した頃から、これに対する興味を失っていきました。余りにも簡単に、根拠や裏付けなしに値上がりすぎて、ゲームとして面白くないんです。逆に、私がライフワークにしている不動産は、実に奥深く素晴らしいアセットだと、改めて認識しました。気持ちを正直言うと、

 

自分の買った不動産の価値が2倍になるのと、暗号通貨が100倍になるのとでは、前者の方がずっと楽しい!

 

なぜそう思うのかを、考えてみました。

 

1)「物件選び・保有というプロセス自体が楽しい」

不動産投資は、根拠とルールのあるゲーム。世の中に何一つ、同じ物件が存在しないなかで、自分にとって「オンリーワン」の物件に巡り合うプロセスが楽しいし、また、ミクロ(物件周辺の環境、生活利便性、交通アクセス、地域賃貸需要や競合との関係etc.)とマクロ(人口増加率、GDP成長率や金融・融資環境etc.)を総合的に考えつつ、物件価値を上げていくプロセスが楽しい。また自分がオーナーとして運営するなかでバリューアップできる余地も大きい。要は、「マイ物件を探すのが楽しい」、「持ってて楽しい」…そういう意味での楽しさが、暗号通貨にはない。

 

2)「確かな資産になる」

不動産投資は実物ゆえ値動きも緩やかで、5~6年くらいの保有期間で価値を2倍にするのは簡単ではないが、それができれば相当な達成感がある。また、一旦2倍の価値になったものが、一夜にしてゼロや半分になることはありえず、確かな財産として自分の手元に残る安心感がある。一方、値動きの激しい暗号通貨には、それに相当する安心感がない。たとえ保有資産の時価が瞬間風速で1億円になっても、翌日6000万まで落ちることもありうる市況では、それはそれで、結構しんどいんじゃないかなあと思う。

 

また、いつも疑問に思うのですが、暗号通貨を推進してる人って、なぜ、「日本円みたいなリアル通貨への換算額」を気にするんだろう?

 

暗号通貨はもともと、通貨を独占的に発行する国家のコントロールを離れても、ブロックチェーン・分散型台帳技術のおかげで「信頼に足りうる流通・決済手段」として機能するものだったはずです。「脱・リアル通貨」として成り立つ「新タイプの通貨」候補だったはずです。少なくとも2015年末の時点で、私はそのようにビットコインを使っていました。

でも、今では暗号通貨そのものが投機の対象になり、客観的な裏付けなく思惑だけで乱高下するようになりました。脱・リアル通貨として価値が上がったのではなく、1BTCで買えるリアルな商品・サービスの価値が何倍になったわけでもありません。否、「日本円などリアル通貨への換算額」というバーチャルなレートだけが目まぐるしく乱高下しています。

 

「億り人」、「ビットコイン長者」といわれる人たちは結局、暗号通貨で何か商品・サービスを買ったりするよりは、むしろ日本政府が管轄する日本円に換えたかったんだな、と思います。そもそも「億」という言葉自体が「100,000,000JPY」の意味であるわけで…

そういう人が増えるほど、暗号通貨は脱・リアル通貨としての生命を失い、日本円を含むリアル通貨に従属するものになっていきます。主要国が暗号通貨の取引を禁止したり、取引所を一斉閉鎖したりしただけで価値を失うんですから、それ続けていくと、結局勝つのはリアル通貨になるよね。

 

だから、私はリアル通貨に対しても安定感のある不動産というアセットで、これからも資産づくりをしていきます。また、暗号通貨でひと財産築いた人は、早くアセット組み替えて不動産の形にした方が良いと思います。

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私が日本の将来を悲観しない理由

こんにちは、Manachan@バンコクドンムアン空港です。いつもご愛読ありがとうございます。

「海外不動産の総合商社」という新しい業態の会社を起業し、仕事柄、世界中を飛び回っている私。先週はアメリカ、今週は東南アジア、来週はヨーロッパと、めまぐるしく移動を続けるなかで見聞、体験したことや知見を、日本国内に暮らす皆様にフィードバックしています。今回お伝えしたいのは、

「私の見立てが正しければ、日本の将来、捨てたもんじゃない。悲観することはないと思うよ」

 

日本国内では、ここ20年ほど、悲観論が蔓延しています。諸外国に比べて景気が悪いとは言えない昨今でさえ、言説の上ではいま私たちが暮らすこの国の未来に対する先細り感が支配的。その背景には「将来、日本の人口は減り続け、経済停滞し、国際的地位が落ちる」「時代遅れになった経済社会システム変えられない、移民も受け入れられない」みたいな思い込みがあると思います。要は日本の総人口が減ることが運命であり、それを自分の意思で変えられると思ってないことが閉塞した思考の原因なのでしょう。

私の経験上、「日本以外で暮らしたことのない人」に特にその思い込みが強く、その背景には「失われた20年」を過ごすなかで各人の職業人生における成功体験の少なさが影響しているのかもしれません(もちろん、個々にみれば例外も多数あります)。

一方で、若い頃から日本を飛び出し海外各国で働いてきた私の目には、全く違う「日本の姿」が映っています。ポイントは4つあります。

 

1)「日本の経済社会システムは、皆さんが言うよりずっと自由でまともですよ」

→私は実際、日本にこれまでなかったタイプの会社を興して、今のところ誰にも邪魔されずに思う存分ビジネスできています。弊社の属する不動産業界は業界団体こそ古臭いですが大した影響力はなく、株式時価総額からいってもITやAIを駆使して不動産実業と上手に組み合わせた新タイプの会社が高く評価され、影響力を高めています。言論の場では日本経済界の古臭い部分だけ強調される感がありますが、実態はそれよりずっと自由で21世紀的なのです。

 

2)「海外でのビジネス競争に勝って利益をあげてる日本企業はたくさんありますよ」

→日本国内の言説では、中国はじめ外国企業との競争に負けて影響力を落とす日本企業のニュースが過大に報道されている感があります。無論そういう面もありますが、一方で平昌オリンピックの日本選手団のように「世界で堂々と戦う力をつけ、成果をあげている日本の企業」は物凄くたくさんあります。でもそれは日本語メディアになかなか上がってこないんですね。

 

3)「移民もとい外国人定住者が増えており、彼らを含めた日本の総人口はそんなに減りませんよ」

→東京など大都市圏を中心に、ここ5〜6年、外国出身の住民数が増え、人口動態の上で無視できない数になっています。すでに首都圏への流入人口の約3分の1を外国人が占め、横浜市や川口市など、外国人純流入が日本人純流入を上回る自治体も続出しています。日本全体でみても少子高齢化で日本人が毎年30万人減るなか、約15万人の外国人純流入がインパクトを和らげています。

彼らを「移民」と呼ぶと、日本人のなかでは「絶対無理〜」という声が上がってきますが、その言葉が嫌なら彼らを「外国出身の定住者」と呼べばよいわけで、実際に日本社会は年間15万人程度の外国人定住を、さしたる社会的混乱もなく受け入れています。外国人の流入を想定に入れない将来人口予測だけ見てると日本の今後が悲観的に見えますが、実際はそれよりずっと緩やかで現実的な線に落ちつくでしょう。欧米などたいていの先進国はそうやって人口規模を維持しています、

 

4)「日本の地方都市はポテンシャルの塊で、伸びしろ凄く大きいですよ」

→人口流出や少子高齢化、産業衰退の文脈で語られることが多い日本各地の地方都市。でもよく観察すれば、それぞれの街の持つポテンシャルを活かし、ビジネスやシティプロモーションにつなげる人材の厚みが足りないだけの話で、東京や世界中に居る豊富な人材、ノウハウ、資金を活かすかたちがつくれれば大きな宝に化ける潜在力を秘めていると思います。

私が「金沢市」の「町家を活かした宿泊施設」に着目したのは、「地方都市の持つポテンシャルを東京の資金とノウハウを使って経済価値につなげる」モデルケースにしたかったからです。金沢スタイルの町家が世界に愛される素晴らしい観光資源であるにも関わらず、地元視点では価値を見出せないので安い値段で放出される。でも幸い、金沢には東京の香りも知ってる、意識の開かれた起業家がいるので、彼らと組んで町家旅館やイベントを次々とプロデュースできれば、この地に新たな経済価値をつくることができる。

このモデルで、日本中の、新幹線の泊まる駅で新たな視点で観光地プロデュースをやってみたいです。特に西日本には、世界向けにプロデュースできそうな街が豊富にありますね。

 

以上まとめると、

私の目からみて、日本の経済社会は結構自由で革新的、世界で戦って勝てる企業も豊富にあり、人口も実質的に外国人を受け入れておりそんなに減っておらず、地方都市を中心に伸びしろをたくさん残している

フェアにみて、日本の将来は暗くないと思いますし、また次の世代に明るく自由な日本を引き継いでいくのは、私自身を含めて現役ビジネスマン世代の責務だと思います。

 

 

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「失われた20年」から「悩み多き普通の先進国」へ

こんにちは、Manachanです。2018年もブログご愛読のほど、よろしくお願いいたします。

今日は1月4日、用事があり東京都心に出ました。世の中的には明日から仕事始めの会社が多いようで、街は静かでしたが、株式市場は大フィーバーでしたね。東証の大発会は、いきなり700円以上高い23506円で引け、朝鮮半島有事以外は国内外の経済にマイナス材料があまりないなか、いきなり株価ラリーを予想させる2018年の幕開けになりました。

 

そういえば最近、「バブル以来」とか「バブル超え」みたいな経済ニュース多いですね。

・東証の株価は、26年ぶりの高値

・有効求人倍率は43年ぶりの高水準

・東京・銀座鳩居堂前の路線価はバブル期超えで過去最高

 

日経新聞の見出しをみても、「上場企業7割が増収増益」とか「潜在成長率上回る」とか、「消費者心理改善、4年ぶりの高さ」とか「正社員の求人倍率、高水準」とか、景気よさそうな記事が並ぶようになりました。

 

とはいえ、約30年前のバブル景気と今の経済状況は、様相を大きく異にしています。数字をよく見ると、

・公示地価がバブル期を超えたのは東京の一部のみ。大阪、名古屋以下の各都市の地価は上昇中とはいえバブル期に遠く及ばない。

・有効求人倍率がバブル期を超えたとはいっても、バブル期(1986~90年)の就業者数の伸び396万人に対し、最近4年間(2012~16年)は185万人。

・東証株価も、1992年の水準は超えたが、バブル絶頂期(1989年末)の水準までは達していない。

 

バブル期の日本は、人口が伸びていました。まだ若者が多く、仕事はそれ以上にあった活況の時代。当時は地価も国内どの場所でも上がったものです。でも今は、総人口が減少するなかでの人手不足の時代で、経済成長もせいぜい1%台。全国的に地価を押し上げるだけのパワーはなく、せいぜい東京とその近郊、政令指定都市くらいしか上がらない。人口の都市集中と地方の過疎化を背景に、地価の二極化、三極化は進む一方。

今さら、バブル以前のような活況は日本に戻って来ないでしょう。でも一方で、バブル崩壊以降、20年以上にわたり苦しんできた資産デフレ(地価、株価)や雇用が、とりあえずバブル前後の水準に戻ったことは、素直に喜んで良いと思います。その背景には、苦難の20数年を経て、日本企業の収益体質が筋肉質になり、金融システムの改革や規制緩和が進み、グローバルな成長を取り込める企業や都市が増えたこと等があります。長い低迷に苦しんだ時代から、日本人が学んだことは少なくなかったのです。

 

「バブル後」、「失われた20年(30年?)」が終わったのかどうか?というテーマが、2018年の日本で語られる機会が増えることでしょう。これはおそらく、コンセンサス取れない議論だと思います。今の日本は他の多くの先進国と同様、二極化が進んでおり、好景気の恩恵を受ける人間と、全く受けない人間がいて、両者は全く違う経済観を持っているからです。

私は東京都内に住み、好景気の恩恵をそれなりに受け、かつ出張で欧米先進国を頻繁に訪れています。その視点から言うと、

・今の日本は、すでに「バブル後、失われた20年」を克服している。

・その結果、欧米のフツーの先進国と似たような経済状況になった。体感値でいうと、いまの日本の景気は、アメリカ南部、オーストラリア、ドイツより少し悪く、南欧諸国、アメリカ北部よりは少し良い感じ。東京の景気も、先進国の大都市と比べると平均的。

・フツーの先進国とは、バラ色ではなく、将来に向けて難題と懸念が多い状態。少子高齢化、貧富格差の拡大、財政・金融政策の手詰まり、治安やテロの懸念等…どの欧米諸国も抱えている難題を、日本も当たり前に抱えている。

 

日本だけが特殊じゃない。日本の経済社会が抱える難題、懸念の多くは、他の多くの先進国にも、多かれ少なかれ共通するものなのだ…そういうフラットな理解に立ち、グローバルに投資を進めていきたいと思います。また、微力ながら日本経済を支える一経営者として、バブル後の苦闘の経験を大事にしながら、新しい産業・雇用、ビジネスモデルの創出に貢献していきたいと思います。

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反アベノミクスで弱者保護できるの?

こんにちは、Manachanです。今回は、「世界からみたアベノミクス」というテーマで書きます。なぜ、これを書きたくなったかというと、

 

・賛成、反対の立場を問わず、アベノミクスをテーマとする世の中の論評が、あまりに「井の中の蛙」というか、日本しか見えてない方が書いたものが多く(いや日本の経済状況さえまともに分析できてない方も多数)、余りにも目に余る貧弱さだから、

 

私は経済専門家ではないですが、国際不動産投資の分野で活動する企業経営者として、世界中の現場を歩いて外国企業と日々商談をこなすなかで、「各国の経済状態や政策を体感」してきております。誰にでも入手できる統計数字の分析とあわせて、「世界視野で、アベノミクスがどう見えるのか?」について、独自視点で論考してみます。

 

論点1;アベノミクスは、リーマンショック後の経済刺激策として、世界中の先進国が例外なく実施した「金融緩和策」の一つです。

金融緩和は、大きくわけて「政策金利の低下」、「マネーの大量供給」の二つの柱がありますが、日本のみならず米国も欧州諸国も、カナダ豪州などの資源国系先進国も、例外なくこれを実施しております。その結果、下図にみるように、

・リーマンショック後の政策金利は、どの国でも大幅な切り下げを実施、その後も低い状態が続いており、多くの先進国で「金利が消えた」状態になっています。

・マネタリーベース(貨幣供給量)は、日本も米国も欧州も、大幅に増えており、「マネーじゃぶじゃぶ、金余り」状態が続いています。

 

論点2;現時点では、金融緩和の出口を迎えつつある国(米国、カナダ等)と、まだ出口が見えない国(欧州、日本等)があります。

リーマンショックから10年近くを経過した現時点でいうと、移民流入等によって人口動態が元気で、経済状態が比較的マシな国(米国、カナダ等)はゆるやかな利上げによって、長く続いた金融緩和からの出口に向かいつつありますが、

一方で、人口がほとんど増えず、経済状態も米国等と比べて良いとは言えない欧州諸国や日本は、現時点では金融緩和をやめられません。なお、下図には言及ありませんが、欧州のユーロ圏以外の国(ウェーデン、デンマーク、スイス、ノルウェー、ハンガリー)も軒並みマイナス金利です。

 

 

論点3;金融緩和の結果、各先進国は雇用や失業対策の面では成果を上げています。

長く続いた金融緩和政策の結果、各先進国が一番成果を上げたのは「労働面」、つまり雇用を増やし、失業率を減らした点であると思います。下図にみるように、リーマンショックで急上昇した失業率が、各国とも2010年前後から低下し、アメリカはすでにリーマン前の水準を回復、ドイツと日本はそれ以上の成果を上げています。

次に、就業者数の増加率で比べたところ、各国ともリーマンショックで激減した後、2年程度でV字回復しています。ひとり、回復が遅れたのが日本ですが、2012年後半にアベノミクスが始まってから、各国の水準に並ぶようになりました。

 

 

論点4;雇用の回復の割に、GDPは伸びません。

リーマンショック後に目立つ世界的な傾向として、「マネー供給量とGDPとのギャップ」が目立っています。つまり、各国の中央銀行が市場に流すマネーが、実体経済になかなか回らず、GDPが期待ほど伸びないのです。背景には、「世界の人口高齢化」、「重厚長大産業からデジタル産業へのシフト」等があるかと思いますが、上記の結果、日本だけでなく世界的に、次の現象が起こっています。

・企業の内部留保が拡大
・金融市場(株式、不動産)へのマネー流入と値上がり

 

上記の事実から、フェアにみて、私はアベノミクスを「先進国のどこでもやってる当たり前の経済政策」だと理解しています。

というか、バブル以降、アベノミクス以前の日本が、「金融政策の動員」まで含んだ包括的な経済刺激策を何故やれず、失われた20年を迎えてしまったのか?海外からみるとそれが不思議ですが、

私は日本の有権者なので、その理由が当然分かります。第二次安倍政権は、「金融政策の決定権を、財務省の官僚から首相官邸に移した」という意味で、諸外国はともかく日本政治にとっては大変革だったのです。

 

論点5;アベノミクスは、「左派的」な経済政策といえます。

なお世界的にみれば、アベノミクスを含む、金融緩和による経済政策は、「リベラル、左派」の政策とみなされます。市場にお金をジャブジャブ流すので、株や不動産持ってる個人や企業を先に潤す面はありますが、企業活動の活性化や需要拡大を通じて結局は雇用を増やし、失業者を減らすことにつながるので、欧米の左派政党の間では定番の政策です。

いま、安倍さんが経済界トップに「労働者の給料を上げてください」と頼むなど、労組トップみたいなことをやってますので、誰からみても、これは左派的なアプローチといえるでしょう。

 

論点6;アベノミクスは実際、左派的に成果をあげています。

下図が、日本の就業者数推移(出典:総務庁統計局)になりますが、アベノミクス始動後の就業者数増加は劇的で、287万人も増えています。

2012年12月アベノミクス発足時⇒6263万人
2017年9月現在⇒6550万人

また、失業率と自殺者数は、日本の場合、驚くほど相関性が高いですが、数字をみる限り、アベノミクス以降は明らかな成果が上がっています。

失業率 4.3%(2012)⇒2.8%(2016)
自殺者数 27,858名(2012)⇒21,897名(2016)

 

論点7;反アベノミクスの二つの方向性

「弱者にやさしく」、「実際に成果もあげている」アベノミクスに対して、日本政治の現実のなかで反対の立場をとるにはどういう選択肢があるのか?方向性は大きくわけて二つかと思います。

 

1)自民党内の反アベノミクス派=財務省派=金融引き締め派

石破茂氏、野田毅氏など、財務省のペーパーを使って「反アベノミクス勉強会」やっているグループがこれに該当します。経済的な主張内容は消費増税早期実施による財政規律の確立、金融緩和政策に対する懸念等。「財務省」(と、それにつながる業界団体)の主張内容そのままという印象です。あと、今や忘れ去られつつありますが、小池百合子さんが国政選挙の時に標榜した「ユリノミクス」(英語で聞くと、ま~下品ね)も、「金融緩和と財政出動に過度に依存せず」と言ってたので、その点は財務省的なのかもしれません。


2)左派野党の「ポーズだけ反アベノミクス派」

立憲民主党に典型的ですが、経済政策の本音はアベノミクス支持。でも政治的立場上、安倍首相に反対の立場をとらざるを得ない諸政党がこれに該当します。同党の公約要旨をみると、護憲や安全保障はともかく、経済政策面は2019/10の増税反対を除き、ほぼアベノミクスの焼き直しにみえます。

 

論点8;反アベノミクスを、もっと詳しくみてみよう(私見もまじえて…)

1)財務省的な(石破茂さん的な)反アベノミクスは、要は財政緊縮策ですので、欧米の政治では「(どちらかといえば)右派的」「IMF的」「銀行管財人的」なアプローチとされます。

これやると、ほとんどの場合、国民(特に弱者)に負担を強いることになるので、欧米の左派政党はあまり採用しない政策です。また、緊縮策は現実政治のなかではたいてい失敗します。ユーロ危機時にドイツ(銀行団)がギリシャにやらせて失敗したのは記憶に新しいですね。

私の意見…ようやく景気が上向き、デフレ脱却がみえてきたとはいえ、まだ動きが弱い今の段階の日本で、この政策を性急にやるべきじゃないと思います。日本はデフレに逆戻り、まともに就職できるようになった若者たちを再び失業と低賃金労働の奈落の底に落とすでしょう。

 

2)左派野党の主張する反アベノミクスは、何を聞いても「修正アベノミクス的」で、安倍さんのやってることとの本質的な違いが分かりません。左派政党を標榜していたのに、左派的経済政策で安倍首相に先手を取られ成果をあげられてしまった苦渋が滲み出ています。

 

強いていうなら、「アベノミクスで経済格差が広がった」というポイントですかね。金融緩和やれば、まず株が上がる、不動産が上がる。お金持ちはますます豊かになる、でも庶民には関係ない。だからアベノミクス反対…みたいな。

 

でもねえ、「お金持ってる人に良い情報が集まる」、「投資リテラシーある人が真っ先に利益を上げる」のが、資本主義経済の道理ってものですよ。お金なくてリテラシーもないフツーの庶民に、誰が好き好んで良質な投資話を持っていくと思います?実際にそれやってるのは、初心者イーター系、貧困ビジネス系の怪しい人ばかりではないですか?

だから、金融緩和の初期に、株や不動産持ってる人、情報・知識のある人が先に豊かになるのは当たり前。どの国だってそうです。福祉国家のスウェーデンやデンマークだって、マイナス金利やったら不動産価格上がって、ストックホルムやコペンハーゲンに家持ってる人が真っ先に潤うわけでしょう?

そういう時期を経て、しばらく経ってから、株高で潤った企業が事業拡大のため労働者の雇用を増やし、ようやく庶民層や弱者にも恩恵が徐々にいきわたるわけです。現にアベノミクス以降、287万人の就業者が増えています。失業者も自殺者も減っています。

それを踏まえて、あなたたちが左派政党としてやるべきことは何ですか?無理やり、分かりにくい反安倍のポーズ取ることよりも、「アベノミクスもっと徹底的に、きめ細かくやれー!」とケツを叩くことが、弱者保護を標榜する、左派の本来やるべきことではないですか?

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日本の次世代のために経済成長を

おはようございます、Manachanです。今回は、「経済成長と社会的弱者の関係」について書いてみます。

日本では自民党、安倍政権が解散総選挙で圧勝しました。国政レベルでは今後4年間、東京オリンピック後まで、今の体制でいきそうです。今回の結果は、野党側(特に希望の党)の戦略ミスもありますが、比較的堅調な経済状況が、現政権を後押しした面が大きいと思います。特に若い世代ほど、自民党、安倍政権に対する支持率が高くなっており、巷では、「自民党の世なら就職できる」との声も聞こえてきます。

 

日本のいまの経済状況は、かつての好況とは様相が違います。株価や企業収益は絶好調、でも個人消費が盛り上がっているわけではない。雇用は絶好調、地価も上がっている、でも給料や物価が勢いよく伸びているわけではない。GDPの伸び率もそれなり(1~2%)。

私は、「バブル後、約20年間続いた無成長の時代が終わり、普通の欧米先進国レベルの低成長時代に入った」と理解しています。低いレベルの安定成長ゆえ、給料も個人消費も物価も勢いよく上がるかつての好況期とは違います。GDP=(労働者数x労働生産性)ですから、そもそも日本の総人口や労働年齢人口が年間数十万人減る局面のなかで高い成長は難しいですよね。今の状態なら、まあ御の字かと。

 

2012年末に登場したアベノミクス、何をもって成功というかは定義によりますが、それが「デフレ・無成長時代からの脱却」であるならば、今のところ、成功を収めつつあるという評価が妥当だと思います。ただ、これはアメリカや中国の経済状態が良いことが前提で、彼の国が不況になった時、日本がどうやって出口をとるのかという意味での不安はありますが。

とりあえず「アメリカが調子良い今のうち日本も成長しちゃえ」、ですかね。

 

低いレベルとはいえ堅調に成長してきたここ数年の日本で、若い世代のあいだで次の変化が起こっています。

・今のタイミングなら学校出た後、普通に就職できるようになった。

・普通に就職できるおかげで、ブラック企業を避けるという選択肢もできた。

ワタミ裁判や、電通の過労死事件という時代背景もあり、ネットでは「ブラック企業」に関する匿名投稿の情報があふれています。そこには「ブラックな職場を避けて、ホワイトな職場を選びたい」という若者の意識があるのだと思います。

(とはいえ、彼らの選択が賢いとは言いませんけどね。未だに人気就職先の1位、2位がメガバンクですから…)

 

ところで、就職をひかえた若者世代は、シングルマザー、障がい者、所得の低い地方の住民と同様、日本の労働市場のなかでは「社会的弱者」に分類されることが多いと思います。就学中の若者は労働市場で働いた経験がない分、不況になったら真っ先にしわ寄せがくる、という意味で。

特に、産業構造が高度化して、プロフェッショナルな仕事が求められる先進国ほど、若者の失業率は他の年齢層に比べて高くなります。日本も例外ではありません。

 

やや見にくいですが、下図は、日本の若年層(赤色=15~19歳、緑色=20~24歳、紫色=25~29歳)と、青色=全世代との失業率の推移(1989~2016年)です。

・若年層失業率は、全世代に比べて常に高い水準にある。

・1997年アジア経済危機と、2008年リーマンショックの際、若年層の失業率が特に大きく上がっている。

・2001~07年の「小泉時代」と、2012年~の「第二次安倍政権」時代に若年層失業率は低下している。特にここ数年の改善はめざましく、かつてのバブル期と同レベルになっている。

 

ここからわかることは、明確で

・若者は他の世代に比べ、雇用の面では弱い立場におかれている。

・失われた20年の「無成長」時代、若者の雇用は明らかに悪化した。

・彼らの雇用を改善するファクターは、「経済成長」以外にない。

 

さらにいうと、

ゼロ成長の経済は、若者や経済弱者にとって極めて過酷な世界

 

といえると思います。実際、いまの30~32歳、或いは43~45歳の就職氷河期世代の大卒当時の話を聞くと、「どれだけ頑張って面接受けても採ってくれなかった」、「就職など最初から諦めていた」、「酷いブラック企業だと知っていてもそこで働く以外なかった」等、シビアな話が出てきます。

 

今年1月4日、朝日新聞の編集委員が、「ゼロ成長はそれほど悪なのか?」という問題提起をして、ネットで紛糾したことがありました。

 

紛糾して当然でしょう。今の経済社会におけるゼロ成長は結果的に、社会的弱者に対する酷いしわよせ(貧困椅子取りゲーム)を伴うのです。

 

ゼロ成長になって、富める者が貧しき者と、財産や職を平等に分け合うほど、人間社会はうまくできていません。日本を含め、どの国でも、経済が伸びない世の中ほど、人は既得権益にしがみつこうとしますし、そこに参入する者を強烈に排除しようとします。

パイが増えない世界は、富や雇用にアクセスできる情報を持つ者が圧倒的に優位になります。会社のポストが減らされる、誰の首を切るか、という段になっても、社員を解雇するのは大変だしコストもかかります。首切られる側も必死で抵抗します。そんな状況下で、まだ労働市場に入っておらず、雇用にアクセスできない世代が割を食うのは自明の理。

つまり、不況で就職口が限られてくると、新卒の若者世代は、大人たちとの椅子とりゲームに勝てないのです。彼らを救うには、椅子を増やさなければなりません。そのためには経済成長が必要。企業の株価が上がり、事業の収益見込みが改善し、採用を増やそうという流れになってはじめて、新卒・第二新卒の採用が増えるのです。

 

私は、今の野党(特に左派、リベラル)が、社会的弱者を救おうと強調する割に経済成長には無関心なように見えるのが、気に食わないです。彼らを何とかしたければ、まず経済成長が必要…それが、資本主義社会のリアルな現状認識だと思うからです。

朝日の編集委員みたいに、ゼロ成長でいいやあ、というのは、若者はじめ社会的弱者に対して無責任で残酷ゆえ、賛同できません。むしろ、「もっと給料上げろ、労働環境を改善しろ、経営者もっと考えろ」と声を上げるのが彼ら本来の仕事でしょうに。

いま、私を含めて働き盛りの大人は、日本の次世代がちゃんと就職できるように、社会的弱者が浮かばれるように、よく考えて働き、経済成長する強い日本をつくることが責務だと思います。

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「アベノ開国エコノミー」人口減に挑む

こんばんは、Manachanです。いつもご愛読ありがとうございます。今回は、「日本の将来人口と安倍政権の政策」という、大きなテーマでブログ書きます。

2012年末以来、安倍晋三首相率いる内閣は、計4回の改造を経たとはいえ、戦後まれにみる長期政権となりました。スキャンダル等で支持率を落とす局面はありましたが、客観的にみて諸外国に比べれば安定した政権といえるでしょう。

 

彼の名を冠した経済回復策「アベノミクス」。登場4年半を経ましたが、よく言って、まだ道半ばの感があります。在任中に消費税増税という不利なイベントがあったとはいえ、経済成長率とかインフレ率といった指標をみれば、目標数値をなかなか達成できません。でもフェアにみて、20年もの長きにわたって経済不振に悩み、かつ世界に例をみない急速な少子高齢化と人口減少に悩む国ですので、どの指導者が何をやっても、成果が出るまでに相当時間がかかると思います。

なお、近未来の経済成長につながりそうな、構造変化的な兆しはいくつか出ています。「失業率低下(=ほぼ完全雇用)」と「有効求人倍率の高止まり(=かなり深刻な人手不足)」は、労働者の賃金上昇や正社員増加を想起させます。自殺数もなぜか劇的に減っています。また、日本を訪れる観光客は爆発的に増え、アジア有数の観光立国に変貌を遂げつつあります。

そして何より、「日本の総人口が、当初予想されたより減っていない」ことが、経済を下支えしている面は大きいとと思います。

 

安倍首相が、ガチガチの国粋主義者というイメージを抱く人は相当数居るでしょう。一部マスコミがそう喧伝してますし、また憲法改正をめぐる彼の言動が、国粋主義を連想させる面もあるでしょう。でも、経済政策の面でいえば、国粋主義のイメージとは全く逆です。統計数字を解析する限り、私は、次のように理解しています。

 

・近年の歴代政権のなかで、今の安倍政権ほど、外国人の入国・定住に対して開放的な政権は例を見ない。

・今の政権は、たぶん日本の歴史上初めて、外国人を日本に呼び込んで、経済発展につなげる開国政策に舵をきった政権として、後世に記憶されると思う。

 

統計数字でみてみましょう。安倍政権が発足したのが2012年末。その翌年から、「海外からの日本の人口純流入」がいきなり「プラス」に転じて、今日まで拡大を続けています。前任の民主党政権(菅・野田首相)と比べると一目瞭然。

民主党(菅・野田)政権下
2011年マイナス78,984人、2012年マイナス78,885人

自民党(安倍)政権下
2013年プラス14,378人、2014年プラス38,686人、2015年プラス94,438人、2016年プラス133,892人

 

外国人の純流入が増えた結果、どうなったか?日本総人口の年間減少数が、民主党政権下では「20万人台」だったのが、安倍政権になってから「10万人台」に緩和されているのです特に2016年は、外国人流入が日本人減少の約半分を補った計算になります。

民主党(菅・野田)政権下
2011年マイナス233,119人、2012年マイナス241,476人

自民党(安倍)政権下
2013年マイナス178,769人、2014年イナス176,605人、2015年マイナス142,405人、2016年マイナス161,973人

 

安倍政権下で、短期の観光以外の在住資格を得て来日した外国人数は急増しています。政権発足当時と2016年を比べると「3年間で約16%増」。2016年の動態を一言でいうと、「323万人が入国、309万人が出国して、差し引き14万人が日本国内に新たに定住した」ことになります。

民主党(菅・野田)政権下
2011年2,764,665人、2012年2,835,515人

自民党(安倍)政権下
2013年2,782,006人、2014年2,874,802人、2015年2,985,346人、2016年3,227,596人

在日外国人の存在は、急速に高齢化する日本の人口構成を、少しだけ若返らせています。日本人の平均年齢46歳に対し、在日外国人は20代と30代が圧倒的に多いのです。性別でみると女性の方が多く、出産適齢でもあるので、結果的に日本生まれの外国籍者を増やしています。あと高齢者の割合が少ないため、外国籍の出生数は死亡数の2倍以上になります。

2016年の数字が象徴的ですが、この年は、「日本人の出生数が100万人を割った」ことがニュースになりました。でも数字をよく見ると、日本人の出生数は987,747人、外国人が日本で出生した数16,321人を合わせると1,004,068人。在住外国人のおかげで出生100万人を辛うじてキープしたことになります。

なお2016年は、「外国人が日本に定住しているだけで、年間1万人が自然に増える」時代の幕開けになりました。外国籍者は日本で1万6千人生まれ、6千人死ぬから、差し引きプラス1万人です。安倍政権になってから、外国人の日本での出生数はさらに加速しています。

民主党(菅・野田)政権下
2011年11,702人、2012年12,714人

自民党(安倍)政権下
2013年13,245人、2014年14,376人、2015年14,638人、2016年16,321人

 

ここで閑話休題。ここ数年、来日する外国人観光客が爆発的に増えて、東京大阪のホテル不足や民泊ブーム、爆買い景気などを引き起こしましたが、これも今の安倍政権下で起こった現象といえます。訪日外客数データを、長期スパンでみると一目瞭然

自民党(小泉・安倍・福田・麻生)政権下
2001年477万人、2002年524万人、2003年521万人、2004年614万人、2005年673万人、2006年733万人、2007年835万人、2008年835万人、2009年679万人

民主党(鳩山・菅・野田)政権下
2010年861万人、2011年622万人、2012年836万人

自民党(安倍)政権下
2013年1036万人、2014年1341万人、2015年1974万人、2016年2404万人

 

安倍政権の4年間で、観光立国戦略で先行した韓国を一気にゴボウ抜きしたのは記憶に新しいですね。なお、2017年は北朝鮮の不穏な情勢を受けて韓国への観光客が激減した一方、日本へのインバウンド観光は好調なので、日韓間はダブルスコアの差がつきました。日本はすでに中国、タイに次ぐ、アジア第三位の観光立国と言ってよいでしょう。

 

ところで、読者の皆様は2014年5月に、こんなニュースが出たのを覚えておられますでしょうか?

 

人口、50年後に1億人維持 政府が少子化対応で初目標

 

このまま日本の人口が減るに任せていると、2060年時点の推計で8674万人まで人口が激減し、国際的な地位や国民生活の水準が低下し、財政破綻を招くと懸念されるため、政府が2020年までに少子化対策を集中的に進め、同年の人口を1億人以上(10545万人)に維持するという、極めて野心的な内容でした。

詳細な内容については、紙幅の関係で割愛しますが、統計数字を分析した私が思ったことは、

 

・安倍首相は、マジ本気で、日本の人口減と経済衰退に歯止めをかけたいと考えており、その一環として「在留審査緩和による外国人受け入れ」を、事実上の国策として推進していると思われる。

・もちろん、少子化対策の本命は現役子育て世代への政策的支援による出生率向上だが、その効果が出るには時間がかかる。政権執行部は、私がブログで分析した数字等は百も承知で、「日本社会が許容する範囲で、外国人をどう受け入れるか?」を、極めて現実的に考えているはず。

・一時的な落としどころは、おそらく、「日本人の自然減の半分を外国人の受け入れで補う」あたりかと…そうすれば、目に見える出生率改善が起こらなくても、2060年に人口1億人以上は維持できる計算になる

・その目算がついたからこそ、安倍首相は2014年の時点で、「人口1億人キープ宣言」をした可能性があると思う。実際、彼は宣言後2年で、「日本人自然減の半数を外国人流入で補う」状態を実現している。

 

なお、「事実上の移民受け入れをするなら、まず、日本国民にその是非を諮って欲しい。議論を深めて欲しい」という意見もあるかと思います。私は欧米の社会で長年暮らしてきたので、特にそう願っています。でも、日本の政治社会の現実を考えるに、多分それは無理な相談なのだと思います。

 

・日本社会は、指導者が理想の将来像を打ち出して、国民各層がその実現に向かって進んでいくというかたちでは動かない。

・善悪や、あるべき論ではなく、いま日本に暮らしている人々の気分や情緒で物事が決まる社会。だから、国民が移民受け入れの気分にならないうちに、首相がそれを打ち出したところで、政治的に墓穴を掘る結果にしかならない。安倍首相の立場からすれば、政敵に攻撃の口実をつくるリスクにしかみえない。

・だから、物事を表面化するよりは、「ビザ運用緩和による外国人定住促進」という、国民に見えにくい場所で人口を維持する努力をしていると考えられる。

 

私自身は、日本の経済や国民の生活水準、国際的地位や安全保障、財政の観点から考えて、日本の人口水準はできるだけ維持すべきと考えます。なぜなら、人口が減る、急速な高齢化が進むと、誰もが考えている社会で、積極的な設備投資やイノベーションは起こらないし、将来不安から消費マインドも委縮して、後はもう沈むだけになってしまうからです。日本はこんなに素敵な国なのに、子供たちに仕事も夢もない経済衰退国家を残したくありません。我々現役世代が、日本衰退を運命だと諦めず、それに極力抗うべく、果敢にチャレンジすべきだと思います。

その観点から私は、現実的な手段を駆使して人口の維持に努める安倍政権「アベノ開国エコノミー」を評価します。そして何より、我々国民は安倍自民党を選挙で選んでるわけですから、好き嫌いや評価はどうあれ、現政権が何を目指して行動しているかを、正しく理解すべきだと思います。

 

【関連ブログ記事】

外国人受け入れと首都圏再集中の構図(2017/5/5)

実はあまり減らなかった日本の人口(2017/1/4)

 

【参考資料】(※誰もがアクセスできる、簡単な統計だけを使って分析しました。)

総務省統計局、人口推計

日本政府観光局、訪日外客数統計

韓国観光協会、Korea, Monthly Statistics of Tourism

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体型のこと言われると不快な理由

こんにちはManachanです。先ほど中米のパナマに飛んできました。あの「パナマ文書」事件のお膝元になった国で、明日から不動産視察してきます。

パナマに来る前は、アメリカに3日間いて、ウォルマートやアウトレットでズボンを買い溜めしてきました。私は日本人としては太めの体型で、かつ腰回りに対して太腿が大きいため、日本の既製服では自分のサイズに合う長ズボンが見つけにくいですが、アメリカやカナダ、オーストラリアの店では既製服どころかバーゲン品でも自分にぴったりフィットするものが多いので当然買います。

逆に靴になると、欧米の店より日本の方が自分に合うものを見つけやすいです。私の足は甲高段広で、靴は4Eくらいで丁度良い。そういう足は欧米人より日本人(東アジア人)に多いみたいですね。

仕事柄、世界中を旅してますが、広い世界には本当に様々な体格、肌の色、髪の色、顔かたちの人間がいます。欧米各国、特に都市部はバラエティ豊かで、さながら「世界人類いろんな体型の博覧会」のようです。日本だと、基本的に皆、似たような顔かたちや体型をしているので、私などは時々体格で目立つようですが、アメリカに来ると全く目立ちません。

私の体型に関するコメント(「デブ」「太い」「ダイエットした方がいい」等)は、日本にいると結構な頻度で言われますが、日本や東アジアを離れると、まず言われなくなります。特にオーストラリアには5年も住んでて、当時の体格も今と変わらなかったのに、そのことを言われた回数はゼロでした。

確かにオーストラリアには老若男女問わず肥満体が多く、日本の方が標準体重の人の比率が多いと思いますし、それは素直に評価します。でも精神的な面でいうと、私にとってはオーストラリアやアメリカに居た方がずっと気が楽です。なぜなら、体格のことで不愉快なことを言われないから…

ひとつ象徴的な話をしますね。私の妻はオーストラリアで育ち、今は日本で子育てしています。子供たちは日本で育ち、日本人の通例に倣ってお友達を「デブ」とか「ガリガリ君」とか、その外見的特徴を口に出して揶揄しますが、妻はそれは良くないことだとたしなめます。

「人は皆、違うんだよ」

「誰もが、いろんな体型、肌の色髪の色をしている。それは大事な個性なんだから受け入れてあげなさい」

私も、妻のいうことはフェアだと思います。

外見だけで判断して、「あなたは○○だ」とコメントする。それが内容と文脈によっては不適切になりうる…そのことに余りにも無頓着な日本人が多いと感じます。

子供だけじゃなく、良い歳した大人でも、私のフェイスブック写真とかみて、「太い」とか「不摂生」とかいう。悪気がないの分かってるけど、私に言わせれば不愉快です。

あんた俺のお袋や嫁でもないし、うちの会社から給料もらってる社員でもない。保険金の受取人でもない直接の利害関係ない人なんでしょ?だったら俺の体型を別に心配する必要ないと思いますけど…

もし善意で言ってるなら、もっと気味悪いです。健康は大事だけど、世の中、誰もが健康至上主義者じゃないんです。私はたぶん、あなたと違う優先順位で人生を暮らしています。

アドバイスしたいんなら、少なくとも、私がその気になったのを確認してからやるのが筋だと思いますよ。私は大人ですから、減量する気になれば当然その意思表示はします。

最後にひとつ補足。私はGW明けに自宅でミニトランポリンを買い、日本に居る時は家族揃って一日10〜20分のエクササイズをしています。あと、妻に頼んで、野菜の多いメニューにしてもらってます。海外出張や外食が多いので維持が難しいですが、私なりにいろいろ考えて、徐々に取り組んでいます。

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人の時間と情報はタダじゃないけど…

こんばんは、Manachanです。明日の夜からまた海外出張ですが、今晩は東京の自宅で家族とTVの前でまったりしてます。

今日は土曜日、娘をアプリ開発教室に連れていく途中、こんなこと言われました。「パパはたぶん、日本一、楽してる大人だよね」と…ま、誉め言葉として受け取っておきましょう。

 

独立自営の事業主になって、4年余。日々、時間の使い方は自由です。自宅でも事務所でも旅先でも、好きなところで仕事できます。満員電車とも社内政治とも無縁。その意味では、確かに楽してるかも…そんな自由度の高い働き方が、私自身とても気に入っています。

でもよく考えると、私は自由な時間を「お金」に換えていかねばなりません。一家4人を食わせて学校に通わせる他、社員と自分の給料、事務所家賃、旅費滞在費、広告費、税務申告費等々を捻出し、創業・運転資金の元本利息を返済し、さらに利益も上げなければなりません。

事業主の境遇になると、サラリーマン時代よりは確かに、「時は金なり」だとリアルに感じます。ま、サラリーマンも会社組織を通じて、間接的には労働時間を給料に換えているわけですが、事業主の場合、毎月決まった給料が振り込まれるわけじゃない。自分で動いて売上あげなきゃならないし、そのために使うリソースはとりあえず自分の時間しかないわけだから…

 

とはいえ、私自身、「カネにならない仕事は一切しない」、「カネ払わない客とは一切付き合わない」とドライに割り切ってるわけではありません。むしろ逆で、当面カネになりそうもないことに、贅沢に時間を使っています。それは、

・将来の新市場開拓につながる(かもしれない)海外出張だったり…
・将来ビジネスパートナーになる(かもしれない)方々との面談や飲みだったり…
・旧知の友人に会いに行ったり…
・海に行ってのんびりしたり、知らない街を歩いたり…
・震災被災地でいろいろお手伝いをしたり、地元の方と飲んだり…

 

ま、もろもろありますが、カネになる云々はともかく、私が「有意義な時間の使い方」だと思うことをやってるんですね。何をもって有意義だと感じるか?その多くは、「相手」あってのことです。

・一緒に時間を過ごして楽しいと思う相手
・情報交換して有益だと思う相手
・自分をさらけ出して、本音でつきあってくれる相手

 

そろそろ本題に戻ります。本質的にいうと、私の時間、あなたの時間はタダではありません。相手に時間を使ってもらうには、それなりの「対価」を支払い、それを相手に認めてもらう必要があります。

その「対価」は、どんなかたちでも構いません。当然、お金でも良いし、情報でもネットワークでも良い。あるいは「人格」でも良い。上述「一緒に時間を過ごして楽しいと思う」ような相手なら、私は彼または彼女がすでに対価を払っていると見なし、その人のためにいつでも無条件で自分の時間を使う用意があります。そうじゃないフツーの相手の場合、私は自分の時間を使い情報を提供する対価として、お金をいただくことがあります。

 

私の大好きな「旅」の世界でいうと、たとえば、ネットを使った宿泊形態として、たとえば「AirBnBや途家などを通じて宿代を払う有償型の民泊」もあれば、「カウチサーフィン」という、無償で泊まる形態もありますよね。

「カウチサーフィン」が成り立つのはなぜか?泊める人(ホスト)と泊まる人(ゲスト)が、お互いに旅の情報交換をする、お互いの家に無料で泊めあうなど、「お金には換算できないけど、それに代わる何か」を対価として与え合っている。その前提があってはじめて成り立っています。

もう一つ、私の大好きな「外国語学習」では、「ランゲッジ・エクスチェンジ」(Language Exchange)といって、お互いの言葉を無料で教えあうことが広く行われています。私も日本語や中国語を教える見返りに、タイ語やベトナム語、マレー語を教わったことがあります。言い換えると、相手にタイ語を教わる対価を、日本語を教えることで払っているわけです。

最近の私は忙しいので、以前よりも対価を「お金」で払う頻度が増えています。カウチサーフィンとか好きだけど、朝から晩まで忙しく動き回るのでビジネスホテルにお金を払って泊まった方が気楽だと感じますし、ランゲッジエクスチェンジ好きだけど時間がないから、お金を払ってタイ語やインドネシア語のプライベートレッスン行ったりしてます。

 

以上まとめると、

・相手の時間は、タダではない。
・時間を使ってもらうには、相手にとって有益な何らかの対価を払う必要がある。
・その対価は、お金でなくても良い。人格、情報、ネットワーク等でも良い。

 

それが人間社会の掟だと思いますし、大部分の大人は理解しておられますが、世の中には、「相手の時間がタダ」で、「対価を支払わずにいくら使っても良い」と誤解している方も、少数ながら存在します。

特に、「自分のやってることが正義だと思い込んでいる人」にそれが目立ちますね。正しいことをしてるんだから、その目的のために相手のリソース(時間や情報)をどう使っても許される、という思考回路であるよう。

 

しかし世の中、往々にして、「あなたの正義が、私にとっても正義であるとは限らない」。価値観や感性を共有しない相手の時間を使わせていただくには、相応の対価を支払う必要があり、それをやらないと嫌われます。

モンスターペアレントとか、横暴な客とか、独善的な社会運動家とか、いろんなタイプがありますよね。お金を払うとか、相手に有益な情報を提供するとか、それ以前に「性格が良くて面白い奴」なら何だかんだいって許されるのですが、そのどれも提供できないと、結局、誰にも相手にしてもらえなくなります。

 

人生は時間でできています。繰り返しになりますが、私の時間もあなたの時間も、本質的にはタダじゃないので、相手の時間を使わせていただくには、それなりの対価を提供するのが世の掟。言い換えれば、人間は「金銭的または非金銭的な対価のやり取り」をしながら、お互いの時間や情報をシェアし合っているのだと思います。

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