時事問題エッセイ

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【これは酷い】N国党、柏で一般人に罵声を浴びせ8分間追いかけ回し晒し者に、こいつら暴力ゴロツキ集団?

皆様こんにちは、Manachanです。

私の生まれ育った柏の街で、とんでもないことが起こってたんですね。2019年8月4日の出来事。

今年7月21日に政党要件を満たしたばかり、立花孝志党首率いる「NHKから国民を守る党」(N国党)が、柏市議会選挙中の演説で、聴衆のヤジにマジギレして、立花氏、大橋候補者(現・市議)および黄色シャツを着た7~8名の集団が、一般人男性を8分間、500mにわたって追いかけ、罵声を浴びせ、(タクシーに乗ろうとした男性を無理やり引きずり下ろすなど)身体的な暴力までふるったという信じがたい事件。

さらに信じ難いのは、N国党自身が、この動画をYoutubeにアップしていることです。すでに立花氏は参院議員、権力者の立場で一般人を許可なくネットに晒すのもさることながら、自分たちが暴力ゴロツキ集団だということを自ら衆目に晒しているのです。

23分余りの長い動画ですが、見どころは15分以降に集中しています。

 

15分40秒 演説中に「嘘つき!」のヤジが…すぐさま、大橋まさのぶ候補者(当選して現・柏市議)が激しく反応、黄色いシャツを着た7~8人くらいの集団で追いかけまわす。

16分16秒 ヤジを言った年配男性を、N国スタッフ7~8名が取り囲み「選挙妨害だ!」。ものすごい罵声が数分続く。

17分39秒 N国「警察よびますよ!」

18分30秒 N国「名誉棄損だ!」

21分18秒 家に帰りたいといってる年配男性を、旧水戸街道を信号無視して追いかけるN国スタッフ

21分45秒 N国「逮捕しますよ」

22分12秒 千葉銀通りでタクシーに乗ろうとした年配男性をN国スタッフ数名が力づくで阻止。

22分25秒~40秒 通りがかりの女性に大橋候補者&N国スタッフが罵声を浴びせる

23分01秒 立花孝志代表 年配男性の耳にガラケーを押し付ける

 

立花孝志(公党の代表、参院議員)、大橋まさのぶ(柏市議)および、黄いろシャツ7~8名の集団は、一般人男性を、8分間、500メートルにわたって追いまわし、罵倒し続けました。その恐怖と屈辱の8分間を、柏の地図に落としてみました。

 

‥‥絶句、という以外にない。

国会議員まで出してる公党が、こんなことやって、許される?

私、子供たちにこの動画見せました。10歳の息子は「N国から国民を守る党が必要だね」と…

れいわよりも、N国の方が早く、日本の社会から拒絶されると思う。マツコ集団襲撃の件もあるし、立花氏も数か月後にお縄かな。

柏の街で、こんなことやる奴らは許せない!こんな暴力政党は日本に要らない!

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不動産屋と地域偏見

こんにちはManachanです。いつもご愛読ありがとうございます、 今回のテーマ「地域偏見」…私が本業にしている不動産屋という職業は、地域偏見とガチで付き合う仕事といえます。 地域偏見とは何か? どの地域にも他者の主観的評価に基づく「評判」がありますが、そのうち良くないもの…例えば「治安が悪い」、「住民属性が低い」、「実はB地区」等々、その地域に有形無形の不利益を与える可能性のあるものを地域偏見と呼びます。 不動産屋はたぶん、世間一般の人々よりも、自分の担当する地域のミクロな偏見には詳しいでしょう。売買するなら職務として、土地や住民の来歴を知らなければなりませんし、所謂ヤバイ地域を避けたいお客様のために、先回りしてそれを知っておかなきゃいけない面もあります。 そうした、仕事で得られた知識を使って、特定地域に対する偏見を助長することもできてしまうのが不動産屋なのです。 例えば、私はサラリーマン時代、転勤で西日本の都市に移る際に、客として地元不動産屋に物件紹介してもらった経験がありますが、 こちらが頼んでもないのに、「あの地域はヤバイです、一見普通に見えますが実はB地区ですよ」みたいなことを平気で言ってました。たぶん親切心で教えてくれるんでしょうが、その地域にお住まいの方々の心情を考えると「微妙だなあ…」感は拭えず、 その都市に初めて住む者としていえば、ある地域に治安面の懸念があるならば当然教えて欲しいです(とはいえ日本国内だと、私が警戒するようなレベルの治安問題はほぼ存在しません。せいぜい「ガラが悪い」「自転車泥棒が多い」程度の可愛い話で…)。あとは自然災害リスクも知りたいですが今はたいていどの都市にもハザードマップがあるので見れば良いですし、 そんななか、B地区云々は首都圏出身の私にとって正直どうでも良い話です。首都圏にも当然、地域偏見はありますが、それを無意味にする程の凄い数の人口流入が毎年ある場所なので、賃貸で住む程度なら土地や住民の来歴など普通は気にしないのです。 近年は日本でも外国出身住民が増え、諸外国と同様、エスニック構成が地域イメージを形成しそうです。外国人はB地区云々よりは一目で分かりやすく、これからは、「駅の西側は◯◯人が多いから避けましょう」みたいなこと言う不動産屋が増えるでしょう。 私も国内外のいろんな地域の不動産を紹介するにあたって、そこの「外国人比率」について(多くはリスク回避の文脈で)聞かれる機会が増えてますので、当然、実感値も含めて知識を得てはおります。 でも、その知識をどう使うかについては、お客様の要望に添いつつも、自らの良心にも従いたいと思います。 外国人•移民は、大抵どの国でもセンシティブな問題。お金を落としてくれたり雇用をつくってくれる外国人も居れば、自国民の仕事を奪い厄介事を持ち込む外国人も居る。偏見含めていろんな考えや思いがあるなかで、私が常に心がけたいのが、 「(社会における)多数派の立場から少数者をレッテル貼りしたくない」 なぜなら、私が海外いくつかの国でマイノリティ(少数者)として長年暮らした経験があり、今なお、日本において妻が外国人というマイノリティな立場で日々暮らしているからです。 もっとも、日本という比較的裕福で対外イメージの良い国に生まれたおかげで、マイノリティとはいえ比較的恵まれた立場ではありました。それでも、お客さんが無邪気に「鈴木さんご紹介物件のエリアは外国人多いんですか?」「治安の問題ありませんか?」みたいに聞いてくると、警戒レベルが1つ上がります。 面と向かって言いませんけど、「外国人•移民で何が悪い?」という心の叫びが…かつて海外に移住し、生きるために英語や中国語を覚え、マイノリティとして地元の連中に伍して働き、社会生活を築き上げていく上で経験したもろもろが、衝動的にフラッシュバックするのです。 お客様に外国人•移民比率云々について聞かれれば正直にコメントしますけど、同時に、(その方が望むなら)不動産オーナーとして、外国人•移民とよりよく付き合うマインドセットを身につけるお手伝いをしたいです。 私は日本で数少ない、海外移住を経験した不動産屋。マイノリティの立場を経験したからこそ、地域や移民に対する偏見を助長するような方向で自らの知識を使いたくないです。
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世界経済不安だと円が世界最強の安全通貨になる理由

こんばんは、Manachanです。いつもご愛読ありがとうございます。いま子供とスキーに来てまして、越後湯沢のホテルでブログ書いてます。今回のテーマは「為替」、特に「日本円」に焦点をあてて書きます。

いま、世界経済関連のニュースとても多いですね。背景には米中経済戦争の懸念があるのでしょう。こういう先行不透明なご時世になると、ちょっとのニュースで世界中の株価や為替が大きく動いたりします。

特にクリスマス時期のアメリカ、NYダウの乱高下が凄かったですね。日本を含めアジア各国の株価も基本は「アメリカさん次第」なので、日経も一気に2万円割ったり2万円回復したりと、慌ただしい展開。

【2018-12-24クリスマスイブ大暴落】

 

【2018-12-26ボクシングデイ大回復】

 

ダウはじめ世界の株価は12月26~27日に大幅回復しましたが、これで来年の株価は安泰だと予測する人は誰もいないでしょう。資本主義の総本山アメリカ自体が、これまで余りにも長期間、順調に伸び続けた株価の大幅調整を迫られている最中で、ダウも今年1月につけた史上最高値から5000ポイント近く下がっており、今なお下げ止まったと確信できる材料がありません。

2019年、さらに世界の株価が不安定ないし下向きに推移するなら、世界経済はどうなってしまうのか?もちろん人知を超えることですが、私の知る限り、一番確度の高そうな出来事は、

・たぶん円高になる

 

その心は、

・日本円は目下、世界最強の「安全避難通貨」(Safe Heaven Currency)と思われているから…

 

世界経済が不安な状態、特にアメリカ経済に深刻な下振れ懸念が出た場合、株や金融商品で安心して買えそうなものがなくなります。そんな時、世界の市場関係者は伝統的な安全資産だけが妥当なヘッジ先と考えます。どこに向かうかというと、典型的には

1)金(ゴールド)

2)アメリカ国債

3)ロンドンの不動産

4)リスクオフ3通貨(USドル、円、スイスフラン)

※)リスクオフ通貨=世界経済のリスクが高まった際に、人々が安全資産を求める局面で買われる通貨

 

このうち4)についていえば、USドルはリスクオフ三兄弟からすでに脱落しています。以前は「有事のドル買い」なる言葉がありましたが、今は状況が変わりました。世界の先進国のなかで、欧州や日本が軒並みマイナス~ゼロ金利なのにアメリカは金利を上げてきたため、USドルはすでに、市場関係者がリスクを取る局面で積極的に買いにいく「リスクオン通貨」の側面を持ってきたのです。

そうなると残るは、「日本円とスイスフラン」だけとなります。日本とスイス、この二か国は国民経済の面でとてもよく似ています。

・ともに世界有数の経常黒字国=債権国。

・ともに変動相場制を採用している(但しスイスフランは2011年から限定的なユーロペッグ採用)

・どちらも成長率が低く、マイナス金利政策を採用してする

・どちらも政治が安定している。

・日本円、スイスフランとも、通貨の流動性が確保されている。
【日本とスイスは、経常黒字が40年近く続いている】

 

でもって、この二通貨を現時点で比べると、リスクオフ通貨としての適性は、今や「日本円>スイスフラン」なのです。それを分かりやすく書いたのがこの記事です。

リスクオフ時に購入するなら円、安全通貨としてフラン抜く-シティ

 

 

なぜ安全通貨として「円>スイスフラン」なのか、簡単にいうと、

1)日本円の為替が、購買力平価からみて割安である(→経済の理屈からみて円高になりやすい)

2)日本人の海外資産がスイスを上回って増えており、世界経済不安の局面で海外資産を日本に還流させるから日本円が買われやすい。

 

【購買力平価から長期トレンドをみると、円は米ドルに対して割安】

 

【円はスイスフランに対しても割安】

 

スイスに本拠を置くUBS銀行は、投資家に向けて次のようにアドバイスしています。

・世界経済不安(リスクオフ)になれば、迷わず円を買うべし。
(※円はリスクオフ通貨として最強である上、歴史的にみて割安水準なので為替ゲインを得る意味でも資金の置き場として使うべし)

・スイスフランは、キャリートレードに使うべし
(※スイスフランの安い金利で資金調達して、利回りの高い通貨や金融商品を買う。歴史的にみて割高なスイスフランは今後下がる可能性の方が高いので借金に向く。)

 

不動産ブログの割には、小難しい為替理論の話になってしまいますが、結局私が何を言いたいのかというと、

・2019年、世界経済不安が高まる年になれば、日本の投資家にとってチャンス到来かも

・特に海外資産を購入するなら、「強い日本円」を使って有利な戦いができる可能性がある。

 

来年1月7日、「投資家成功塾」セミナーで、「本当に円高になるのか?円高ならどんな海外不動産投資戦略でいくべきか?」というテーマで講演することになりました。20年近い国際不動産投資経験で、為替に泣いたり笑ったり、その都度、知見を豊かにしてきました。その経験をお伝えしたいと思います。

単発参加なら1万円の高額セミナーになりますが、投資家成功塾(月額1万円、特典たくさん!)に入れば無料で参加できます。動画配信もしますので遠方の方もハンディなく参加できますので是非ともご検討ください。

投資家成功塾リンク

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多文化社会を怖がる人と、大丈夫な人

こんにちはManachanです。年の瀬クリスマス時期、家族とじっくり自宅で過ごしております。慌ただしい出張もなく、仕事もとりあえず一段落しており、ブログ更新頻度も上がりますね。今回は、欧米主要国に遅れること数十年、いま日本が直面しつつある「多文化社会へのチャレンジ」というテーマで書きますね。

 

多文化社会(Multi cultural society)とは、「様々な文化的特徴を有する民族が、お互い多様性を尊重し平等に共存していく社会」と定義されます。

今の日本、特に都市部ではすでに様々な国籍、出身国の人々が日本人と一緒に暮らしている実態があり、客観的にみて単一民族社会とは言い難い状況になりつつあります。私の暮らす東京都江東区でも、総人口に占める外国籍者の割合が、2018年10月1日5.58%→11月1日5.65%→12月1日5.68%と、毎月のように上昇を続け、すでに人口52万区民のうち3万人が外国人という社会になりました。

江東区は外国人総数で東京23区中5位、人口比率で7位…東京のなかで外国人が特に集中する特殊地域とはいえません。23区全体でも外国人比率が4.8%(955万人中46万人)ですから、江東区の数字と大差ありません。

この社会におけるマジョリティである日本人(≒日本民族、日本国籍者)がマイノリティの存在を隣人として認め(当然その逆も然り)、お互いの文化を尊重するスタンスを取るならば名実ともに多文化社会といえますが、現時点ではその途上といえましょう。

 

いま、入管法改正をめぐる国会審議で単純労働者受け入れの是非が問題になっていますが、この法案が通ろうと通るまいと、身辺に外国人が今後さらに増えるのはほぼ既定路線であろうと、地域住人として冷静にみています。

むしろ私の関心事は、「日本人側の多文化対応力を高める」ことと、「近所の外国籍児童が日本語を当たり前に学べる環境を整える」ことです。これは「外国人労働者受け入れの是非云々」みたいな「あるべき論」ではなく、「どっちみち東京は外国人増えるんだから、それに対応しないとね」という現実論です。企業経営者としていえば、今後AIの時代になり、自動運転も自動翻訳も無人店舗も当たり前な時代になっていくだろうから、それに対応しつつビジネス上のポジショニングを考えていくのは当たり前ですが、結局それと同じことです。

 

「日本人側の多文化対応力」という意味では、特に子供世代の能力や柔軟性に驚かされます。いま、子供たちの通う小学校の野球大会とか行くと、チームに明らかに日本人と風貌が違う児童や、日本語が母語じゃなさそうな児童が少数含まれているものですが、彼らにルールやプレイを易しく分かりやすい日本語で説明できる子供たちが相当数居るのです。

また外国人ではなくても、吃音(どもり)があったり、聞き取りや発声が難しかったりと、「皆とちょっと違う問題(Learning Differences)を抱えるお友達」をどうサポートしていくかという授業で、子供たちが次々と挙手して、「絵を書いて説明してあげる」、「口をゆっくり動かして発音してあげる」、「変な聞こえ方しても笑わないで辛抱強く聞いてあげる」みたいな意見がどんどん出て、感動しました。

私たち大人は、多分、学校でそんなこと学びませんでしたね?むしろ、「皆に合わせるのが吉」、「少しでも違えば笑う、茶化す、弱そうならいじめる」みたいな強い同調圧力のなかで生き、また他者にもそれを強いてきた場面が多かったと思います。それに比べて、今の子供たちのなんと、柔軟で優しいことか。彼らはすでに「多文化社会の住人」という気がします。

 

その意味では、大人たちの方がむしろダメダメという印象です。多文化社会にチャレンジする前に白旗あげてる大人の、なんと多いことか…

たとえば、あまりに内容が粗雑すぎてコメントする気にもならんけど、ある有料メルマガ記事から引用します。

>日本人の出生が94万人で死亡が134万人、1年間で約40万人近くも消滅している。

>2025年までに50万人超の外国人を入れようとする施策はより無謀なものだ。移民の大量流入を歓迎した欧州はどうなったのか。文化的な軋轢や対立や衝突が先鋭化して国が分断されてしまうほどの問題をも生み出したではないか。

50万人の追加受け入れ云々以前に、日本にはすでに外国人が260万人住んでいます。また日本人が年間40万人減った年に外国人が15万人純流入しています。上記は総務庁の資料を見ればすぐ分かるはず。その現実に目を背けた挙句に、日本とは全く社会歴史背景の違う欧州の状況を持ち出して的外れな反対意見を述べているだけです。

 

私思うのです、こういう、多文化社会にチャレンジしようとしない大人が、これからの時代、どんどん取り残されていくのではないかと…。

だって世界を歩けば分かりますもん。世界の大都会ロンドン、ニューヨークとまでは言わない、ヨーロッパのデュッセルドルフとかウィーンとかバルセロナとか、英語圏でもない国の中規模都市だって、移民はいまの東京以上にたくさん居ます。ソウルや台北みたいな近隣アジアの非英語圏都市だって、人口比率でいえば少なくとも今の東京程度には外国人労働者や移民が居ます。

東京のような、世界的にみてトップレベルの都市、オリンピックを2回も開催し、世界中から簡単にアクセスできる大都市が、今後どうやって、外国人住民をシャットアウトできると考えるのでしょう?それが体の良い思考停止だということは、今後ますます明らかになると思いますよ。

 

ブロックバスターなどビデオレンタル大手はNetFlixにやられた、トイザらスやなど小売大手はAmazonにやられた。世界中の多くの国で、タクシーはUberやGrabにやられた…将来、かなりの確率で起こることはちゃんと予測して、先手を打っていくべきで、変化に対応する勇気のない人は市場から退場していく。それと同じく、

今後、東京が多文化社会に向かう。それがかなりの確率で起こるのならば、早めに対応力をつけようと考えるのは自然な考え方だと思います。子供たちの世代は、結構、それができているのかもしれないです。

最後に、今後の日本政界で、多文化社会のオピニオンリーダーとなりそうな自民党・馳浩さんの文章を引用します。

日本語教育、国が責任 社会を分断しないために

 

>同じ社会で暮らしていくためには、まずコミュニケーションだ。災害時に市町村からの避難指⽰などがよく理解できない。あるいは教育現場で⼦どもがけがをしたり病気になったりした時に状況が伝わらない。⼀番⼤事な意思疎通ができる環境を⽇本語教育を通じて担保していくことは国の責任だ。

>⽇本語をただ教えるだけではなくて、その外国⼈の属する⾔葉、⽂化、アイデンティティーも⼤切にしなければならない。⾃分は何者か、という理解は⾔葉の理解があってこそだ。そのなかに宗教であったり、⾷⽣活であったり、年間⾏事などが⼊ってくる。それをふまえて⾃分の存在意義を理解するとともに、いま、⽣活している⽇本社会とどううまくやっていくかということが求められる。

>だから⺟語を⼤切にしながら、⽇本社会で暮らしていく上で必要な⽇本語教育、というふうに分けて考えるべきだ。そうしたことを踏まえた指導、教材も求められる。

>わかりやすい⾔葉でいえば「根無し草」では⼈間はいけない。

>⽇本語を学んでもらう⽬的は相互理解だ。相互理解というのは他者を尊重すること。⾃分が何者なのか、理解したうえで相⼿の⽴場も理解し、尊重する。⾔葉を学んで理解を深めることで、お互いの違いも認めることができるようになる。そして同じ社会で共に暮らすためには、違いを認めた上で受け容れる寛容の精神が必要だ。

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花咲かじいさんが成功する理由…お金よりスキル、人間関係の時代

こんばんはManachanです。いつもご愛読ありがとうございます。今回は、「人間の幸せに欠かせない3つの資産と優先順位」というテーマで書いてみます。

「資産三分法」という、昔から語り継がれてきた考え方があります。「現金、株式、不動産という、特性の異なる資産に三分して資産を守る」というもので、ある意味私も実践しています(私の場合は、現金3分の1、投資不動産3分の1、事業投資3分の1…ですかね)。

 

今は、上記を換骨奪胎して21世紀的にした、「新•資産三分法」という考え方があります。橘玲さんや、私の大家仲間・河上伸之輔さんの著書で提唱されている考え方です。

1)会計資産…現金、株式、不動産など、すべての物的資産。
2)自分資産…スキルや経験など、自分がこれまで身につけてきたもの。
3)人間関係資産…困った時に助けてくれる友人がどれだけ居るか?

 

会計資産、自分資産、人間関係資産、どれも私たちの人生を豊かにするために欠かせないものです。また、それぞれが別々の特性を持つ資産でもあります。

 

会計資産(現金、株式、不動産)が十分あってそれで生活できれば、人生に自由な時間をもたらしてくれます。またリスクを取って会計資産をさらに増やしたり(投資)、それを使って欲しいものやサービスを買ったり(消費)できます。但し、基本的にモノなので他人に奪われるリスクはあります。

自分資産(スキル、経験、知識)は、自分の身体や脳に帰属する能力なので、誰も奪うことができません。また、能力ですから使えば使うだけ豊か(上手)になります。ただ、使わないと劣化したり、時代が進めば以前身につけたものが有効性を失うことはあります。

人間関係資産(助け合う仲間)は、モノでも属人的能力でもなく、自分を取り巻く外部環境のようなもので、人に良いことをして、喜んでもらえばもらうほど、豊かになっていきます。逆に、誰かに不義理をしたり、失望させると、乏しくなっていきます。

 

3つの資産は、お互いに変換可能です。「時間やお金を使ってスキルを磨いたり、人に良い情報を与えて喜ばれたりすれば、それは会計資産を自分資産や人間関係資産に変えていることになりますし、逆に自分のスキルや人間関係を使ってビジネスしてお金をつくれば、それは自分資産・人間関係資産を会計資産に変換していることです。

いまの世の中、一番重視されているのは「会計資産」かもしれません。モノなので分かりやすいですし、お金あるところ、商売あり、人も群がってきます。私も世間的には、「国際不動産投資家」という、会計資産的な側面にフォーカスしてセルフブランディングしています。

 

ですが、河上さんによれば今後、会計資産の価値が相対的に低下し、自分資産と人間関係資産の価値が高まっていくと…私も全く同じ意見です。

昨今はネット社会。資金力や会社の看板より情報発信力やマーケティング力、ファンの数がますます大事になってきています。YoutubeやInstagram動画で人々の話題・評判を勝ち取った人や、その仕組みをつくった人が、瞬く間にお金持ちになることも珍しくありませんし、時にそれは、どんな強大なビジネスでも太刀打ちできない社会的影響力を持ったりします。つまり、「ソフトな自分資産と人間関係資産」が、「ハードな会計資産」を凌駕する影響力を持ちつつあるのです。

私の身辺でビジネスに成功している人は、ほぼ例外なく、人間関係資産と自分資産を常に豊かにしようと心がけてきた方々です。

 

自分資産と人間関係資産の如何で大きな差がつくのは、太古の昔からそうだったと思います。日本育ちなら誰でも知ってる「花咲かじいさん」の寓話で説明すると、

・花咲かじいさんが桜の木に登って灰をまくと、きれいな花が咲いて、皆が喜ぶ。

・いじわるじいさんが同じことをしても、花は咲かない。

その差は何か…昔のシンプルな時代ですから、会計資産に大差はないでしょう。でも、花咲かじいさんには、豊かな自己資産と人間関係資産があります。周りの人を大事にし、生き物を慈しむ心(自己資産)があり、かつその行いが、周りの皆に支持されています(人間関係資産)。一方いじわるじいさんには、自己資産も人間関係資産も非常に乏しい。それが、結果の違いにつながった…。

 

現代でも、人間社会ですので同じことが起きます。武道館を満員にするような人気アーティストと同じ歌を私が歌っても、人々に同じ感動を与えるのは無理ですし、そこには、自己資産(歌や踊りのスキル)と人間関係資産(ファンの信頼・憧憬)の圧倒的な差があります。逆に、国際不動産という、私が過去10年以上にわたり、心血を注ぎスキルを磨いてファンを増やしてきた領域に関して、誰かが真似をしてもすぐに追いつき追い越すのはたぶん難しいです。

 

ところで、新・資産三分法において、私が重視するのは河上氏と同様、「自己資産」と「人間関係資産」です。もちろん、この二つを充実させるには会計資産(自由な時間を生み出す固定収入)が必要ですが、私の場合、生活に困らないだけの会計資産ができたら、それをすぐに自己資産と人間関係資産に変えています。

 

・自己資産に関しては、「国際不動産業界で他の追随を許さない、世界の不動産視察経験(インプット)と情報発信(アウトプット)、情報取得に必要な語学能力と情報ソース(手段)」を持つことを常に意識しています。ここ2年ほど、年間の3分の1は出国して、6日間で5か国みたいなむちゃくちゃハードなスケジュールで旅してますが、要は「少しお金ができればすぐ飛行機乗って世界の不動産見に行ってる」のです。

・人間関係資産に関しては、完璧にできているとは思いませんが、それでも、「自分が知りえた世界の不動産情報や知見は惜しみなく世に出していく」、「まず人さまに喜んでいただく、お金はその結果としてついてくればいい」、それを座右の銘にして長年やってきました。おかげさまで、不動産仲間には恵まれていると思います。

 

逆に、私からみて疑問に思うのは、

「富を誇示する行為」(分不相応な都心レジデンスに住む、高級外車に乗る、高額リゾートホテルに泊まる等)…本心から好きでやってるなら良いですが、世の中、上には上がいます。より裕福な人と自分を比べて、さらに欲望が刺激されたらキリがありません。それこそ永遠に満たされない渇望、餓鬼道そのものです。それにお金をかける位なら、自分資産と人間関係資産を充実させればいいのに、と思います。

「素人を半ば騙して利を得る行為」…最近、「キラキラ大家」「共食い大家」「コンサル大家」などと揶揄される方が増えてきました。要は、「不動産投資を知らない人をカモにして短期的な利を得る」不動産業界の悪しき慣習を真似する一部の大家・賃貸経営者を指します。彼らのやってることは、「自分資産」と「人間関係資産」を切り売りして「会計資産」に変えようとしているわけですが、私に言わせれば非常に効率悪く愚かなことです。要は、「いじわるじいさん」になることを自ら選んでるわけですから。

 

世の中、「自分資産」と「人間関係資産」のウェイトが高まっている。要は、「花咲かじいさん」になることが、つまりスキルを磨き人に好かれることが、結果的に富への早道になっていると思うので、私はその方向を目指していきます。

 

(追記 2018/12/8)

【3つの資産と、いざという時の保険】

私は2013年2月、44歳の時、勤め先をクビになり一時路頭に迷いました。その際、手持ちの3つの資産(会計、自分、人間関係)を使って窮地を脱しています。

〇会計資産(不動産からのキャッシュフロー)があったので、急に生活行きづまることはありませんでした。

〇自分資産(ITエンジニアとして19年の経歴、多言語能力)を使って、年収1000万円超のオファーはいただきましたが、ただ「もうサラリーマンやりたくない」と思ったので、この資産はとりあえず使いませんでした。

〇人間関係資産(不動産関係の友人)…結局、不動産業者として起業を選んだわけですが、創業当初の金がない時期を、友人たちがくれたお仕事で乗り切りました。また、不動産仲介に欠かせない役所調査や重要事項説明等に仲間が手を貸してくれました。

人生ピンチの局面では、会計資産、自分資産、人間関係資産の棚卸しと活用戦略を、否応なしに考えなければなりません。これからの人生でも何度かピンチが訪れでしょうから、3つの資産は常に豊かにしておきたいと思います。

 

【居住地選択は、人間関係資産をベースに考えたい】

今は、世界中どこに住んでも良い時代。海外で暮らす上での物理的・心理的障壁は確かに低くなりました。基本的に、自分のフィーリングと会う土地で暮らせば良いと思うし、仕事のしやすさ、生活・教育環境、気候など、いろんな要素があると思います。

私の場合、海外で10年近く暮らした後、今は東京にUターンして暮らしてます。たぶん今後ずっと東京を本拠にするだろうと思います。それは、私の「人間関係資産」が最も集中している場所が東京周辺だからです。

もちろん、世界中に友人は多数いますし、いま50歳ですが今から海外に出て一からビジネス・生活を立ち上げる自信もあります。それでも、東京周辺で長年培った人間関係資産やビジネスへの活用チャンスを考えると、本拠を他所に移したいという考えは今のところありません。

仕事柄、富裕層の方々との接点が数多くありますが、「資産を外出ししても、本拠地は今のまま」を選択される方がほとんどですね。皆さん地元で培った人間関係資産を豊かにお持ちだからだと思います。

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移民国家(?)に向かう日本と、東京生活者の視点

こんにちは、Manachanです。いつもブログご愛読ありがとうございます。

私たち家族が、東京の江東区、東陽町駅近くの我が家に越してきたのが2007年。もう11年暮らしてますが、この間、目に見えて変化したのが、近所に外国出身者が本当に増えたこと。

 

我が家も妻が台湾系オーストラリア人、隣家のお母さんはフィリピン人で、インド人の隣人も多い。区立小中学校では外国ルーツの名前がクラスに3人くらい居て、PTAでも日本語通じにくい保護者への連絡が課題になっている。近所のスーパーではインド人のチームリーダーがモンゴル人のアルバイトを日本語で指揮している。コンビニや居酒屋で外国人など当たり前(むしろ日本人の方が珍しい)・・・

私が育った頃は周りに見渡す限り日本人しかいませんでしたが、今では明らかに違う景色が広がっています。「外国出身の隣人が増えた」実感は、データでも裏付けられています。江東区の総人口に占める外国人比率は、直近20年で2.5倍になりました(2.28%→5.65%)。

 

折しも、「入管法改正案」が政府から提出されました(関連記事)。これが外国人単純労働者の受け入れ拡大、なし崩しの移民受け入れになるのではないかと、各方面から議論反発が起こっており、これから与野党攻防の政争の具になるんでしょう。単純な構図で言うと、こうです。

 

形而上では

「移民国家嫌だ」という声(勝)  >  「移民として受け入れよう」という声(負)

 ⇒だから、安倍さんも表だって移民受け入れとはいえない。

 

形而下では

「人手が足りない」現実  (勝) >「賃金上昇・自動化で日本人だけで乗り切ろう」という意見(負)

 ⇒だから、在留資格を2つ新設して、外国労働力を受け入れやすくする。

 

政府がこれからやること

表立っては言えないが、外国人労働者と家族が一定数日本に定住することを想定して、諸法制を整理。例えば、

 ⇒外国人の国民健康保険や国民年金の適用条件をどうする?

 ⇒外国人の児童に対する日本語教育体制をどうするか?

 

日本社会の厳しい労働力不足と、移民に関する許容度・言論成熟度に鑑みれば、現時点では安倍政権が推進する「入管法改正」位しかたぶん現実的な手はないし、野党も文句言う以外、実質的には何もできないでしょう。人口減少日本がいずれ通る道だったと考えると、自民党の長期安定政権の時代に処理できることはむしろ幸いだと考えます。

私たちの身の回りに起こることは、それなりの現実があって、起こるべくして起こっています。なぜ外国の人が日本に来るのか?それは、日本が人手不足だからです。介護、建設、宿泊、農業、小売…いろんな業種で、もはや「外国人の人手なしでは日本社会が回っていかない」現実があるのです。

いや人手不足なんて、いやそんな生易しいものじゃない。日本の人口構造上、労働人口・生産年齢人口の減少がさらに加速していく…好不況の波云々以前に、構造的に足りないし、たぶん今後もっと足りなくなるのです。

 

2018年の日本
 ⇒15~64歳の人口  54万人 減
 ⇒外国人純流入     15万人 増

2028年の日本
 ⇒15~64歳の人口  56万人 減
 ⇒外国人純流入     ??

2038年の日本
 ⇒15~64歳の人口  109万人 減
 ⇒外国人純流入     ??

(注)2018年は総務庁の「日本の人口」の直近のデータ、2028年、38年については社人研の「出生中位、死亡中位」平成29年推計を使用

 

日本社会においては、形而下の力学が物事を決めます。つまり、「人手が足りなくて現場が回らないから、日本人(高齢者・女性)の労働参加率を高めて外国人も入れる」方向で結局は動きます。

「自動化して、日本人の給料を上げればいい、安い外国人労働者入れるな」という人は、ビジネスが分かってないですね。自動化するには設備投資がかかります。それでも人の手がかかる業務はゼロにできないから、何を自動化して何を人力でやるか、業務を切り分けないといけない。その間にも、実際に人が足りなくて事業が遂行できない。それをどうするのか?

自民党には人手不足に悩む業界が、全国からたくさん陳情に来て、政府に入管法緩和してくれと言ったそうですね。外国人が増えるのを懸念する気持ちは当然ですが、いま差し迫った労働問題についてちゃんと代案を用意できるとは思えない。だから結局は「改正入管法」が通ると思います。

 

一方、(日本においてあまり重要でない)形而上の論戦においては、「移民社会になるのは嫌だ」という声が「移民として受け入れよう」という声を、今後20年くらいは圧倒すると思います。少なくとも現時点で、私は日本が移民社会に向けて舵を切るかという重いテーマを直視してまともに議論できるとは思えないです。

で、結局は政府・お上の出番になります。外国人労働者は受け入れる、そのうちの一定割合は日本に定住するから、本音と建前を使い分けつつ、健康保険や年金等、諸制度を整理して最適解を探る…ということになるでしょう。

 

別に日本がみっともないとは思いません。諸外国、どこでもそんなもんです。移民を社会に受け入れるっていうのは、大変なことでして、

・ドイツは、トルコ人労働者を受け入れてから、自らが移民国家だと自己定義するまでに、40年かかりました。

・オーストラリアは、白豪政策を始めてから、有色人種を移民として受け入れるようになるまで、70年かかりました。

だから、移民受け入れ経験の乏しい日本が今から何をやっても、まともな議論になるまで数十年はかかるのです。

 

東京江東区の生活者としていえば、「改正入管法がどうなろうとも、どっちみち外国出身者は増える。それはもう織り込み済」です。

だって、入管法改正がなくても、現に直近20年間で外国人比率2.5倍になっているんです。「外国人もう近所にたくさん住んでるじゃん、多文化共生の時代に入ってるんじゃん」…まずその事実を受け入れるところからスタートしないと。特に東京のようなインフラの整った都市部で外国人定住者がさらに増えるのはほぼ必然でしょうから、それを前提に物事を考えていかなければならないと思います。

どっちみち、東京は外国人を含む多文化な社会に向かうんですから、プラスの方向で考えたいですね。生活者視点でいうと、

・私たちは、日本語を母語としない隣人にも分かりやすい「簡単な日本語の話し言葉、書き言葉」を使うスキルを身につけるべきでしょう。それは、英語を覚えるよりも大事だと思います。

・私たちの隣人たちは、英語のみならず中国語やインドネシア語、タイ語やベトナム語、韓国語、ヒンディー語、ロシア語など、日本の将来にとって大事な言語を使えるでしょう。彼らからその言葉や文化を学ぶのは大事で、それは学校でALTから英語を学ぶよりもずっと効果的だと思います。

・そういう地域社会で育つ子たちは、Culcural Diversity(文化の多様性)に慣れているわけですから、その感覚が多国籍企業や国際機関等で働くのに大いに役立つと思います。

 

今後20年30年経った後の東京の将来がどうなるのか?…今の東京とは多少違う姿かもしれませんが、そう捨てたものではないのかも。たぶん、「世界中から集まった人の暮らすメトロポリタンな、フツーの先進国首都」になると思いますよ。ロンドンとかシドニー、ベルリンやシンガポールのような状態に近づくのでしょう。

 

(2018/12/7  追記)

本音をいうと、「入管法改正なくても20年間で外国人比率2.5倍」、「法案云々以前にさらに増加は既定路線」な東京23区内の住人として、具体的かつ戦略的な議論をしたいのです…たとえば、

1)世界の高度人材マーケットと、日本の客観的位置づけ
→どの分野で、どのレベルの人材が、年俸いくら位で来日すると想定されるか?
→日本と競合する国はどこで、競争のポイントはどこになるか?
→日本国として、どういう人材を、どの位受け入れたいか?
→そのために合理的な制度設計はどうなる?既存法令との整合性は?

2)日本国内の労働マーケットと、中長期労働力需要・供給の分析
→過去データから、どの分野で、どのレベルの労働力が、どれだけ不足しているか?
→今後10年の人口構成や労働需要から、不足ギャップはどのようになるか?
→その不足を日本国籍者だけで補うのは可能か?どんな課題がるか?
→外国籍者で補う場合は、どの分野でどの位の人数を受け入れたいか?
→そのための合理的な制度設計はどうなる?

ここ2~3週間、改正入管法に関する有識者のメルマガを結構読みましたが、上記のような具体的な議論をしようという人は全く見当たりません。残念ながら、現時点で日本の「民」の議論に、私は全く期待していません。

海外各国で暮らした経験から、頭のなかにアイデアは豊富にありますが、その活かし方としては、現時点では政府のアドバイザーになるしかないのかなあと思います。

このテーマに関して、どうせ民はお上に言うだけで丸投げなんだし…であるなら、お上にまともな判断するように入れ知恵する側に回りたいと思うのです。

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出でよ金融マン!(日本の銀行このままでいいの?)

今回のブログ記事は、日本の銀行関係者、または融資関係で銀行とお付き合いのある経営者・投資家の方々に向けて書いた、一事業者からの問題提起です。

 

私は、東京の品川区でささやかな不動産仲介業を営む者です。もともと外資系IT企業に勤めるエンジニアで、趣味で不動産投資を嗜んできましたが、2013年2月、勤め先を解雇されたことをきっかけに、大好きな不動産で生計を立てる決意をして第二の人生をスタート。オフィスを借り宅建業免許を取り、一人社長で頑張ってきました。

創業5年目の2017年末、ご縁あって、石川県金沢市、ひがし茶屋街近くにある町家を弊社で買わせていただきました。金沢の文豪・徳田秋声の名作「町の踊り場」にも出てくる、明治35年から116年の長きにわたり、金沢の街を見守り続けてきた歴史ある家です。秋声の姉の婚家(葉茶屋)であった大正~昭和初期から所有者が何度か変わり、今回、オーナーの和菓子屋ご夫婦が高齢で引退に伴い売却することになりました。事情でキャンセルが続いてしまいタイムリミット(年末)が迫るなか、金沢の業者仲間経由で私に話が来ました。

 

この住宅は、もし私が買わなければ、おそらく取り壊されてコインパーキングになっていただろうという話。もしそうなったら秋声作品ゆかりの建物がこの世から消えてしまいます。私は是非後世に残したいと考え、手元の現金を使ってまず土地建物を購入。翌年から建物本来の良さを残した町家を再生した宿泊施設として設計を開始、旅館業許可つきの建築確認を取り、現地の一棟民泊専門の業者に運営をお願いする想定で、つい先日(2018年10月初め)、工事着工したところです。

よそ者である私が、金沢の街で宿泊施設のオーナーになるにあたって、まず地元町会の方々の気持ちを理解尊重する必要がありますし、同時に私の事業が金沢の和風な街並みを守り文化を継承する趣旨であることを、地元にご理解いただく必要があります。そこで現地の友人の手ほどきを受けつつ、何度も金沢に足を運び、ご挨拶を重ねてきました。

 

事業資金については、すでに支出した土地建物や取得費用、税金、火災保険、設計費等については自費で賄った上で、工事資金に関しては一部で良いので、できれば金融機関にご支援いただこうと思い、金沢および東京の金融機関数行にご相談しましたが、今のところ、ゼロ回答が続いています。

各銀行や支店にそれぞれの融資・審査基準があり、結果的にご縁がなくてゼロ回答になることは仕方ないですし、また銀行からみて弊社のような中小零細企業への融資は手間がかかる割に大して旨味がないのかもしれません。

ですが審査や回答の中身が、(こんな言い方して申し訳ないですが…)私たち民間事業者からみて余りにも「思考停止」ふうに見えたのが余りにも残念で、一言申し上げたい一念から、筆をとらせていただきました。

 

【ゼロ回答の例】

1)石川県に本店がある地銀より「石川県内にお住まいや事業所のない方にはご融資できません」

→これを石川県にしか拠点がない銀行から言われるなら理解できますが、私が相談した銀行は東京に支店があり、かつ私自身が東京支店に出向いて融資相談に行った結果、これを言われました(注.東京支店から私の事務所まで電車で15分の距離です)。

 

2)東京都に本店があるメガバンクより「築年数が耐用年数を超えており担保が取れないので無理です」、「弊社として一棟物件の運営事業には当面融資できません」

→相談したタイミングが、スルガ銀行に対する金融庁の検査が入っている時でしたから、稟議が厳しいのは理解しますが、ここは「平時」でも耐用年数超え物件に融資出さないことで知られる銀行で、私ども不動産業者からみて、かなりビジネスチャンスを逸しているように見えます。

 

銀行とは本来、資金需要のある民間企業にお金を貸して、事業のリスクの一部を負うことで利益を出す業態であるはず。実際に融資を通じて日本の経済成長を支えてきたわけだし、それが銀行員のプライドや信頼感の源泉になってきたはずです。

しかし今や、時代が変わり、銀行業務も激変。原点を忘れた銀行経営陣や行員が増えた(ように見える)結果、一部の民間事業者に、今やこんな風に揶揄されていますよ。

 

・融資を必要とする俺ら中小企業に全然貸さないし、貸すノウハウもない。

・逆に、株式市場や社債でいくらでも資金調達できる大企業にばかり貸したがる。必要ない人に貸すから金利値切られるし、儲からない。

・本業(融資)で稼げないからといって、本来は証券会社や保険会社がやるはずの手数料稼ぎに走っている。それでも行員食わせるの大変だから次は不動産仲介までやらせてもらうらしい。

・俺ら(事業者)ばかりがリスクを負って、銀行がリスク負わずに手数料稼ぎに走る、そんな国が経済成長できるのか?

・お前らもっと頭使ってガチで仕事しろよ!働くって「はた(傍)をラク(楽)にする」ことだろう?民間企業の資金繰りを楽にしてくれない銀行の存在意義って一体何なの?

 

もし「それは違う!」というのなら、具体的な行動で示していただきたい。「私が上を説得して、500万円でも出してみせます!」…この文章がきっかけで、行員が意気に感じるかもしれない。或いは、この文章を読んだ方が、私を気概のある行員と引き合わせてくれるかもしれない。そんな一縷の望みを託しつつこの文章を書きました。

出でよ、金融マン!日本の銀行、このままでいいのか?リスクを負ってビジネスと雇用をつくり出すこの国の民間事業者から「使えねえ」扱いされていて良いのか?「否!」というなら、すぐに行動で示して欲しい。そんな人間が現れてくる日本であるなら、まだ将来の望みは残っていると信じたい。

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「日本語教育基本法」オリンピックに向け東京都江東区をモデル地区に

今国会中の成立に向けて、超党派議員有志が推進している「日本語教育基本法案」ですが、私は外国人住民が急増する東京都江東区に暮らす一人として、当法案の早期成立と、日本に定住する外国人子弟の日本語教育の拡充を切に望むものであります。

グラフにみるように、我が国の首都・東京23区の外国人比率は年々増加し、総人口の4.4%を占める上に、その増加数は23区全体の半分近くを占めるまでになっています。

私たちの暮らす江東区では2万8千人の外国人が居住し、総人口に占める比率は5.5%と、23区平均より高い数値になっています(私の妻も外国籍住民の一人です)。

江東区は再来年の東京オリンピック・パラリンピックで、競技会場が最も集中する地域となっていますが、実は以前より、オリンピックと外国人住民に縁の深い土地でした。1940年に開催が企画され、日中戦争の影響で消えた「幻の東京五輪」で、都内他地域からの移住を迫られた在日朝鮮人が区内の枝川(えだがわ)地区につくった街「枝川コリアンタウン」が所在し、長年日本人と調和して暮らしてきた街です。

区内で初めて、日本語を母語としない外国人児童のための補習教室「日本語クラブ」が設けられたのは、枝川と近隣地域の子供たちが通う「深川第8中学校」で、1984年の開講。現在も4名の先生方が、中国、韓国、フィリピン、タイなどから来た約20名の児童の日本語学習を支援しています(ウェブサイト)。

時代は流れ、江東区内では昔からいる在日朝鮮人に加え、大手企業から赴任で来た韓国人ビジネスマンや、インド人のITエンジニアが目立つようになりました。それを数倍する数の中国人、そしてベトナム人、フィリピン人など、多様な国籍・様々な職業に従事する外国人が、日本人と共存して暮らす多文化な街になりつつあります。

 

多文化社会へ変貌するなかで、様々な社会問題の萌芽が出てきていますが、私からみて最も深刻かつ喫緊の課題と思われるのは、「江東区に暮らす外国人の児童が、必要な日本語教育にアクセスできていない」という問題です。

人口51万人を抱える江東区には、区立の小学校が45、中学校が23ありますが、「日本語クラブ」が設けられているのは、私が確認した限り3校だけです。区内の在籍児童数は小学校24,309名、中学校7,906名、計31,215名いて、人口比から考えて1,000名以上の外国籍児童が学んでいると思われますが(区内どこでもクラスに23名居るのが当たり前です)、統計的把握はなされておらず、日本語教育ニーズの把握もこれからの課題です。

特に、区内で外国人人口が増えている亀戸(かめいど)や大島(おおじま)地区に日本語クラブが存在しないことが問題となっており、児童が転入してきた小中学校に日本語を教える機能自体がなく、多くはケアのないまま放置されています。

日本語クラブ空白地区の外国籍児童のために、江東区主催で今年9月から日本語補習クラスを開くことになり、募集を行ったところ、会場に入りきれないほど希望者が殺到したそうです。まさに日本語学習ニーズが「爆発」しており、区として地域として「すぐに何かしなければならない」状況です。

日本語教育基本法案の「目的」のところに、「日本語教育の推進に関する施策を総合的に推進し、もって我が国に居住する外国人との共生を通じて多様な文化を尊重した活力ある共生社会の実現」という記述がありますが、今まさにその具体的実施を喫緊に求められている自治体の一つが江東区なのです。

日本の一国民として、外国人を含む家庭で暮らしを営む父親として、この法案が成立することを切に望みますし、晴れて成立した暁に、何か具体的でシンボリックな事業をやるならば、その舞台の一つに「江東区」が選ばれるべきだと思っています。ここは2020年東京オリンピック・パラリンピックの主要な舞台であり、全世界の人々が注目する「日本のショーケース」になります。その場所で、「日本に暮らす外国人が満足に日本語の公教育にアクセスできない」状況が全世界に知られるのは恥ずべきことだと思いますし、日本国として「何とかする意志」を見せるべきではないかと思います。

同時に、江東区は外国人と日本人の長い共生の歴史、30年以上にわたる「にほんごクラブ」の活動など、日本における先端的な多文化社会の一つでもありますので、その蓄積を生かして有意義な事業を実施できる環境だと思います。

 

江東区における日本語教育モデル事業(案)

 ・ 区内在住外国人児童の実態、教育ニーズの統計的把握
  ・日本語コミュニケーション力到達度評価の手法開発・実施
 ・ 「言語保障から学力保証へ」、JSLJapanese as Second Language)教育プログラムの開発と実施
 ・ 日本語クラブの全区小中学校への段階的拡充
 ・ 専門人材(日本語教育、教育心理学等)の育成と活用
 ・ 地域に存在する多様な言語スキルを活かした、外国人児童や家族へのサポート

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「海外出羽守」にならない思考・執筆法

こんにちはManachanです。今回は、「海外に関する文章執筆」の話題で書きますね。

最近、ネット界隈でよく聞くのが、「海外出羽守」(かいがいでわのかみ)という言葉。意味はこうです。

 

・二言目には「…では」(…は海外の国名)と言い、海外を持ち上げて日本を悪く言う(ネットスラングでいえば「日本をdisる」)

・上記の国名として良く出てくるのが、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランス、北欧、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポールなどの先進国。最近は英語力や教育の関連で「マレーシア」とか、ネットテクノロジー関係で「中国」が稀に出てくる。アフリカや南米、中近東地域の国名が出ることはほぼない。

 

その「枕詞」なる「…海外では」を揶揄されて、「海外出羽守」と称されます。ニュアンス的には「放射脳」等と同様、「困ったちゃん」に対する蔑称の意味合いを感じます。

「海外出羽守」的な言説はずっと昔からありますが、いまこの言葉が生まれたのは、やはりブログ等を通して情報発信する人が増え、またそれがネットで人々の目に触れる機会が増えたからでしょうね。

 

ところで、私は海外に関する情報発信を日常的にしています。あるいは誰かに「Manachanは出羽守」だと思われてるのかもしれませんが、少なくとも主観的には、俺は無責任な出羽守にはならないぞ!と心に決めて書いています。

「無責任」とはキツイ言い方で申し訳ないですが、要は、「言いっぱなし」が一番良くない。海外の良い面を取り上げて日本の至らなさを指摘する自体は良いけれど、次の要素がひとつでも欠けると日本在住者の「心に響かない」。

 

・その事象が海外と日本の社会においてどれくらいの頻度で、どの社会階層のなかで起こるのか?日本社会のなかで類似事例があれば同じ土俵でフェアに比較できているのか?

・もし日本社会に類例がないことであれば、それが生まれる海外の社会背景と、日本で生まれない理由をきちんと説明できているのか?

・もし日本に対し苦言を呈し改善を求めるのであれば、日本社会で生きる方々の置かれた環境や立場に一定の理解を示しつつ書いているのか?

 

特に「海外に住んでて」かつ「上から目線」口調で書いてしまう人はすぐ、「お前だけ安全圏に身をおいて俺たちのこと一方的に散々悪く書いて嫌なやつだ」と思われて、即「出羽守」認定されてしまうのだと思います。

逆にいうと、上のポイントにちゃんと配慮した上で「日本に対する建設的な苦言・改善提案」ができれば、出羽守どころか、人々をして「なるほど~」、「俺らも真面目に考えよう」と思わせる、価値のある読み物になるのだと思います。まだ力不足かもしれませんが、私は文章表現者として常に、そういう読み物を書こうと努力しています。

 

最後に、苦労の伴う子育てをしていて思うことは、「我が子に対して好奇心を持つのと同じように、日本に対して好奇心を持って書いてみたい」。

子供は、大人に「ああせい、こうせい」と指図されるよりは、「ありのままの自分を素直に受け入れて欲しい、もっと好奇心を持って知って欲しい、認めて欲しい」と願っているものです。大人だってそういう欲求がありますよね。

その好奇心を、「日本」(人々、国、島々、自然、動植物、文化、社会…)に対してより深く、本質的なレベルに向けることで、私が海外について書く文章の価値がより高まるのではないかと最近感じています。

 

たとえば、日本の「産業効率の悪さ」や「社会変革の遅れ」について指摘する人が多くいます。良い論点だと思いますが、私は「ちょっと待て、言い切る前に、もっと深く考えようよ」と思います。

 

1)良くも悪くも、日本とは本質的に、「効率」より「調和」が優先される社会である。

2)その気質は、平地の少ない孤島という自然条件のなかで、長い時間をかけて形成されたもの。皆が「この島々から逃げられない」前提で、「他者との調和を乱さない」不文律を守って生きてきたから、そのようになった。

3)日本における効率向上はあくまで「他者との調和」との折り合いがつく範囲で追求されるもので、調和を乱した瞬間に嫌われる。日本人なら排斥されるし、外国人の場合アメリカみたいに強い奴なら「外圧」扱いになり「面従腹背」するが、そうでなければ「無視」される。

4)「調和」が優先されるコンセンサス社会ゆえ、オーナー企業でもない限り組織の意思決定は概して遅いし、経済社会の変革が必要になる段階でも「いまを生きる日本人が変化を望むかどうか」を確認するプロセスを踏むためフットワークが軽いとはいえない。

5)その代わり、日本人の多くが「潮時だ」と判断したら、この社会は一瞬にして、かつ不可逆的に変わる。

 

私思うに、上記の前提を踏まえずに、3)や4)について不満・苦言を述べたところで、日本社会の特質から考えて、「海外にいる日本人」の言い分は、「外圧」にもなれず「無視」(=出羽守認定)されるだけだと思うし、

逆に、そういうもの全てを背負った日本社会のなかで生きる者にとっては、「変わりにくい社会で、でもやっぱり変わらなきゃならない。自分たちに今できることは何だろう?」を真面目に考えることが大事で、そんなイマジネーションを想起させるような物書きに私はなっていきたいと思います。それには多分、日本やそこに生きる人々への「暖かい目線」と、「深く本質的な理解」が必要なのだと思います。

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「移民受け入れ是非」じゃなくて、「生活者」として自然に受け入れよう

こんにちは、Manachanです。久々のブログ更新になります。

私は仕事柄、欧州諸国の収益不動産をかなりの頻度で見にいきます。ドイツや英国が特に多いですが、これらは成熟した先進国で、高齢化もそれなりに進んでいます。経済成長率も年1~2%とか控えめな数字です。

そんな成熟社会でも、不動産価値は上昇傾向になることが多い。欧州は日本と違って新築供給が少なく、中古住宅をメンテしながら長年住み続ける文化が根本にあり、需要に比べて住宅供給が不足しがちなので賃料も売買価格も値上がりやすい傾向にありますが、価格を支えるもう一つの要因として「移民流入による人口増加」もあります。

英国の各都市ではポーランドなど東欧出身者や、インドやパキスタンなど南アジア系の方々が多く、ドイツではトルコはじめ中近東系の方をよく見かけます。彼らが英国やドイツの社会に順調に統合されているのかというと、当然いろいろ課題があるのでしょうが、苦労しながらも、それぞれの国なりに経験値と知恵を積んでいる印象です。

社会のなかで、外国出身者がマイノリティとしてそれなりの割合存在し、本国のマジョリティとともに生活者として暮らす風景は、程度割合の差こそあれ、私の住む東京にも共通する点です。つい数日前、Facebookにこんな投稿をしました。

 

[実質的な移民社会、東京に暮らして…]

日本に一定期間(90日)以上、合法的なビザで滞在する外国人の数は増え続けており、かつ、増加のスピードも加速しています。

【外国人登録者数の推移】
217万人(2015/6末)⇒223万人(2015/12末)⇒232万人(2016/6末)⇒238万人(2016/12末)⇒247万人(2017/6末)  ※今は確実に250万人超

数字を素直に読む限り、ここ数年の日本における外国人純流入(=入国-出国)は15~17万人/年のペースで推移しており、日本人の自然減少約30~35万人/年の約半分を補っています。

そのうち東京圏を詳しくみると、外国人純流入の約半分(7~8万人/年)が定着し、かつ日本人も15万人/年が他地域から転入しているので、「日本人も外国人も増える」、「外国人増加が全体の3分の1を占める」社会になっています。私の暮らす江東区も外国人比率が6%に迫り、身近に日本人以外が暮らすのが当たり前になりました。

ところで、日本の外国人純流入15~17万人は、奇しくも10年前の英国やドイツにおける外国人純流入(約20万人)と近い数字です。なおドイツは同時期(2005年)に移民法を制定し、移民を対象とするドイツ語の公教育などが法律で定められました。ドイツも英国も、移民してきた定住者の過半数が国籍を取得(日本でいう「帰化」)しています。

もっとも日本は欧州とは国情も歴史が全く違います。日本国として「移民を公式に受け入れる」宣言や、「税金を使って移民に日本語教育を与える」意思決定は、まだ遠い先のことでしょう。なお、うちの近所の小中学校では、アジア圏から十分な日本語知識なしに途中転入する生徒がいるので、実質的に教員による日本語補習が行われています。そういう地域も日本中に多いでしょう。

外国人がさらに増え、日本語教育や在留資格、年金はじめいろんな問題が起こり、既存の枠組ではにっちもさっちもいかなくなった時に、ようやく「潮時」、「移民受け入れやむなし」の雰囲気になって初めて、公式に物事が動くのだと思いますが。

でも生活者、不動産賃貸事業者の目でフラットにみる限り、相当数の外国人が日本に定住し、その数が年々増えている。労働提供者として消費者として賃借人として、日本社会に確かに存在しているという意味で、日本(特に東京)は実質的な移民社会になっていると考えて良いでしょう。日本政府が公式に移民を受け入れるかどうかは、「外国人が日本に暮らす」実態にそんなに影響しないと思います。

フィリピンとかインドとか中国から数年前に来日して、うちの近所で暮らしている人結構いますけど、彼らは普通に都心で働いて子供を地元の学校に通わせてて、母国に帰りそうな人は割合としては少ないです。そんな東京の風景は、トルコやポーランドから来て定住した住民の多い「ドイツ都市部」と重なります。

 

上の議論を、もう少し膨らませて書いていきますね。

日本の総人口は2008年をピークに減少局面に入り、少子高齢化を背景に減少幅は年々大きくなることが確実視されます。継続的な人口減少は日本経済に重苦しい悪影響を及ぼし続けており、日本社会や福祉システムを存続させるためにも、子育て支援に加え「ある程度の移民受け入れ」が議論のテーブルに乗って然るべきでしょうが、「移民」という言葉に対する国民のアレルギーが大きいので、政治家もそれをなかなか口にできません。

でも東京の江東区あたりに住んでると、身近に外国人が普通に居て、すでに長年暮らしてるし、お子さんは公立の小中学校に普通に通い、名簿をみても日本人じゃなさそうな名前がクラスに数名居る…実質的に移民受け入れてるじゃん、という感覚です。実際、首都圏各自治体では外国人比率が年々高まっていますし、横浜市とかは間もなく「日本人が減って外国人が増える」時代に入るでしょう。だからから猶更、「日本は移民受け入れない」という言説とのギャップを感じてしまいます。

日本の言論事情を考えると、「移民」という言葉を使わず、「定住者」といった抵抗の少ない言葉を使って議論した方が生産的でしょうね。「移民受け入れ、是か非か?」みたいな神学論争は意味がないし、すでに近所で暮らしている外国出身者との共生を目指し、彼らが日本社会に合流できる仕組みづくりを具体的に議論すべきだと思います。

 

日本は一般に言われるほど、排他的な社会ではないと思います。特に宗教に関して日本人は寛容で融通無碍なので、外国人比率が増えても信仰の違いに起因する衝突はたぶん起こりにくいでしょう。また、日本人同士だと同調圧力が強く存在しストレスの元にもなりますが、それが外国人に対しては通常適用されないので、そんなに「息苦しい社会」でもないでしょう。

外国人に対して寛容な日本人が、こと移民受け入れになると消極的になるのは、外国人を憎んでいるのではなく、日本人同士で互いに配慮しながら摩擦を起こさず過ごすのが快適で、その暮らしをずっと続けたいと思ってるからなのでしょう。確かに、日本の生活習慣に慣れていない外国人が目の前に居る環境で、日本的な意味でお互い摩擦なしで過ごすのは難しいでしょうから、

身近に暮らす外国人との間で文化の違いに起因する誤解や摩擦は起こりうるという意味での「無秩序」や、ゴミ出しや共同生活のルールや言葉で一から説明しなくちゃならない等の「面倒臭さ」を、日本人がある程度、受け入れる必要があると思います。逆に日本に一定期間以上暮らす外国人も、「日本人同士で気遣いながら快適に暮らしたい」というマジョリティの気持ちを尊重する必要があるのでしょう(普通は否が応にも、それに気づくものです…)。

外国出身の住民が身近に増えても、多くの日本人にとって「英語学習」は大して求められないでしょう(どっちみち、英語苦手なアジアの国からの流入が多いでしょうし…)。その代わり、「誰にも分かる簡単な日本語」で説明するスキルが必要になってくると思います。

 

日本で都市部を中心に「外国出身の住民」比率が今後も増えるのはほぼ確実でしょう。江東区でも、今の外国人比率6%弱が、5年後に7%、10年後に8%…みたいなペースで、徐々に増えていくと思います。日本の国籍や永住権を取る人も増えるでしょう。

でもそれは、日本人の人口減少を外国人に埋めてもらう「数合わせ」程にはならないでしょう(多分やるべきじゃないでしょうし・・)。日本人マジョリティの「摩擦起こさず快適に過ごしたい」気持ちと、「でも人口減少で国力衰退も困る」という気持ちの間で、今後の歴代政権が最適解を探りながら、「移民」という言葉を使わずに徐々に受け入れていくのだと思います。

その近未来が分かっているなら、排除せず、かといって無理もせず、お互い楽しく暮らしていきたいよね。

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