時事問題エッセイ

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ブラジルと傷だらけのオリンピック

こんにちはManachanです。いまオーストラリア出張中で、ケアンズからゴールドコーストまで飛んできたところです。

一昨日から、リオのオリンピック始まりましたね。ここオーストラリアも日本と同様、連日のメダルラッシュで盛り上がっています。オリンピック開会式のセレモニーは、オーストラリアのTVで見ましたが、とてもクリエイティブで良かったです。ブラジルならではのユニークな発想に溢れてましたね。

一方、運営面や環境・治安に関しては、各国で極めて評判悪いですね。選手村でトイレの蓋がないとか、他人の排泄物が逆流してきたとか、オリンピック会場に行く地下鉄が直前になっても開通しないとか、選手村付近で発砲事件があったとか、強盗に拳銃で脅されてスマホ盗られたとか…あと、下水垂れ流し、投棄されたソファや水死体まで浮かぶ汚い海がセーリング競技場になっていることも問題視されるなど、日本など先進国では「ありえない」レベルの問題が続出しているのも、今回のオリンピックの特徴といえましょう。

リオのオリンピックは、南米大陸で初の開催。南米のなかで、面積・人口とも飛び抜けて大きな国ブラジルが、その栄誉を手にしたわけですが、いま同国は、100年に一度といわれる深刻な経済不況に苦しんでいます。多くの国民が失業・貧困にあえぐなか、「身の丈にあわない」大金をつぎ込んでの開催になりました。公務員や警察官、工事現場のワーカーへの給料が遅配・欠配になるほど酷い状況らしく、それでは各方面で綻びが出るのも無理はないでしょうね。

リオ・デ・ジャネイロは2009年の選考会で、マドリードや東京を破って開催都市の座を射止めました。当時のブラジルは経済好調、「21世紀の経済大国」として、前途洋々にみえましたが、2013年の逆オイルショックで資源価格が暴落し、ブラジル経済はにわかに暗転します。国を率いるリーダーにも恵まれず、その後数年は巨大汚職や治安悪化など、不運続き。通貨レアルは暴落中で、経済成長率は昨年も今年もマイナス2~4%になると予測されています。

日本も景気よくないですが、ブラジルのように、人口が大きく増えている国でマイナス成長が続くのはもっとつらいでしょうね。養うべき人口が多い状況なのに仕事がない。可処分所得がどんどん下がる上に、通貨も暴落してるから輸入物価は上がりインフレが止まらない。生活苦ゆえ犯罪に走る者も増え、有能な人ほど国を出て海外に活路を求める…

ここまで厳しい状況下でのオリンピック開催は、「史上初めて」ともいわれます。まさに傷だらけのオリンピック。リオ現地もIOCも、運営側は「綱渡り」の日々でしょうね。

ところで私にとって、ブラジルは結構身近な国です。ここオーストラリアはもちろん、日本でも、北関東や東海地方の工業都市では、ブラジル出身者が相当数暮らし、地元在住の皆様には彼らはそれなりに身近な存在かと思います。

私は1997~98年にかけて、群馬県の館林に住んでいました。館林には工場で働くブラジル出身者が少なからず暮らしていましたが、隣の「(邑楽郡)大泉町」や「太田市」に行くとさらに多く、街の一角が「ブラジル・タウン」と化していました。

特に大泉町は、町の人口の1割以上がブラジル出身者。国道354号バイパスにほど近い「ブラジリアンプラザ」を中心とした一角が、在住ブラジル人たちの憩いの場となっており(地元の日本人がほとんど居ない!)、プラザの周りには、ブラジル人御用達の食材店やレストランが軒を並べていました。近くにはクラブもあり、夜12時頃からブラジル人が三々五々集まって、テンポの良い曲をガンガンかけて夜通し踊り明かす場所もありました。

当時、まだ20代の私は、館林の田舎暮らしを退屈に感じ、エネルギーを持て余していたので、金曜日の仕事がひけた後、毎週のように大泉のクラブに行き、ブラジル人たちと共に踊り明かしたりしたものです。
brazilianplaza

北関東の工業都市にブラジル出身者が住み着いたのは、1990年頃のこと。彼らのルーツは、明治大正期に日本から移民した人々です。その2世、3世が、戸籍を根拠に、日本への在留就労許可を与えられ、当時国情が不安定だったブラジルを後にして、大挙して地球の反対側・日本へDekasegui(出稼ぎ)にやって来ました。

彼らの多くは、(日系移民が集中する)サンパウロ周辺の出身。日系とはいえ2世、3世ともなると、地元の白人や黒人と混血して、日本人っぽく見えない人も少なからずいました。彼らの日本語能力も様々で、ペラペラの人もいれば、日常会話にも苦労する人もいました。概してポルトガル語でないと意思疎通が困難なケースが多く、大泉や太田の役所ではポルトガル語ができる臨時職員を急遽雇ったりしたものです。

当時の私は、ブラジル料理を食べに、ブラジリアンプラザに足しげく通いました。そこにはブラジル出身者向けの掲示板があり、「サンパウロの不動産物件情報」がたくさん載っていました。邦貨換算1000万円程度の家が多く、日本でお金を貯めて、故郷サンパウロに帰って、より良いエリアで良い家に住みたいという、出稼ぎ者の意気込みを感じました。

そんな大泉でも、歳月は流れます。2005年頃からブラジル経済が好転すると、出稼ぎに出る者が減り、リーマンショック後になると日本の工場で雇い止め等が頻発し、仕事のなくなった彼らの多くはブラジルに帰っていきました。

時を同じくして、大泉プラザの不動産広告から「サンパウロ物件」が姿を消し、今ではほとんど、「群馬県太田市や伊勢崎市の、1800万円くらいの戸建住宅の広告」ばかりになっています。

1990年代に日本に出稼ぎにやってきた者も、今ではブラジルに帰った者と、そのまま日本に定着する者に二極分化してきたのでしょう。「ポルトガル語で書かれた、群馬県内の戸建住宅の広告」には、日本に家族で住み続けることを選択した彼らの意思が見てとれます。

群馬県に住む、ブラジル出身の友人の言葉がとても印象に残っています。「母国は不安定、私は子供の将来のために日本に住み続けたいんだ」と。

そしていま、ブラジルの国情が再び、不安定になっています。レアルの暴落で、2015年に国民平均のGDPは米ドル換算で「4桁」に落ち込み(8688ドル)、日本と約5倍の差になっています。日本の工場労働で得られる賃金が、レアル換算すると結構な大金になる時代を再び迎えています。

群馬県の大泉町や太田市、栃木県の小山市、静岡県の浜松市、愛知県の豊田市、岐阜県の美濃加茂市…といった工業都市で、ブラジル出身者の数がまた増える時代を迎えるのかもしれません。これらの地域で賃貸経営する方は、外国人OKの賃貸住宅でブルーオーシャンを狙えるのかもしれませんね。
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世界の治安地図

こんばんは、Manachanです。昨日ようやく、英国から帰国しました。歴史と伝統の英国は素晴らしかったけど、日本も別の意味で良いですね。きれいで安全、便利、食べ物うまい!あと、7月下旬の東京なのに「ロンドンより涼しい」のはびっくりですね。近所の夏祭りも、例年は蒸し暑い中で執り行われますが、今年は涼しすぎて面食らってしまうな。快適に寝れるからGoodですけど。

今回は、「治安」ねたでブログ書きますね。我々不動産業者には、避けては通れないテーマです。

 

私は、日本だけでなく、海外のいろんな国・都市で「生活者」として過ごしてきた人間です。これまで、買ったり借りたりした「自宅」で、延べ半年以上滞在した都市は、5ヵ国・地域、7都市に上ります。

日本2都市(東京、福岡) ※柏、国分寺など首都圏近郊の街も「東京」に含む
オーストラリア2都市(シドニー、ケアンズ)
アメリカ1都市(ダーラム)
台湾1都市(台北)
中国1都市(大連)

 

上記に加え、「自分の収益別荘でオーナーとして時々過ごす」街を加えると、

日本(札幌) ※千歳市だけど、「札幌」に含む
タイ(バンコク)

アメリカ(ホノルル)

が加わりますので、全部で計6ヵ国・地域、10都市になりますね。

 

いろんな国で暮らすと、いま私が日本の生活で得ている「安全」(=普通に暮らして盗難や暴力的犯罪に巻き込まれるリスクの少なさ)は、実に得難いものだと感じます。海の向こうでは、日本と比べて、治安に問題あるケースが多いし、日本以上に気を付けるのが当たり前ですので。

ですが良い例外もあります。台湾の治安の良さは素晴らしく、日本と比べても甲乙つけ難いと感じます…それを踏まえて、上記10都市の治安を、私の体感をもとに比べてみると、

 

Aランク(都市内のどこも基本安全で、治安悪いエリアを探す方が難しい。昼と夜の危険度が大差ない。)

日本(東京、福岡、札幌) 台湾(台北) 中国(大連)

東アジアに集中してますね。あえて序列をつけると、非常に僅差ですが、

台北=札幌>福岡=東京>大連 かな。

 

Bランク(都市内で治安の良いエリアと悪いエリアがあるが、良いエリアの方が多いので、気を付ければ安全に暮らせる。夜の外出は昼よりは多少危険度が高い。)

オーストラリア(シドニー、ケアンズ)、アメリカ(ダーラム、ホノルル)、タイ(バンコク)

このなかで、あえて序列をつけると、

バンコク=ケアンズ>ホノルル>シドニー>ダーラム かな

 

Cランク(都市内で足を踏み入れてはいけないレベルの治安の悪いエリアがあり、裕福な住民はゲートコミュニティに住んだりして安全を買う、夜の外出は避けた方が良いレベル。)

該当なし

 

Cランク在住経験がないので、世界的にみれば、比較的安全な都市で暮らしてきたといえます。ただ、その中でも日本や台湾の安全度は飛び抜けており、

日本から出たことない人が「どの町の治安云々…」しているのをみると、「Very safe」と「Very, very safe」の違いしかないじゃん、と私は感じてしまいますね。

 

今は、ビックデータ解析技術が進んだおかげで、世界各国・各都市の治安を数値化して、わかりやすく一覧表示するウェブサイトがいくつかあります、numbeoもそのうちの一つ

http://www.numbeo.com/crime/

 

世界地図と治安状況を一覧化したページがこれです。私の体感通り、日本を含む東アジアの安全度が概して高く、ヨーロッパ、北米、東南アジアは治安の良い都市と悪い都市の両方ある、そして南米やアフリカは真っ赤ですね。

【世界各都市の治安指数】

numbeocrime

 

都市名を入れて検索すると、詳細な情報が出てきます。日本の「福岡市」でやってみましょう。

犯罪指数12.61、安全指数87.39
日中一人歩きの安全度94.44 (とても安全)
夜間一人歩きの安全度88.89 (とても安全)

fukuokacrime

 

次に、真っ赤っ赤な都市、南アフリカ「ヨハネスブルク」で検索してみましょう。すげー結果になりますね。

犯罪指数82.47、安全指数17.53
日中一人歩きの安全度28.87 (危険)
夜間一人歩きの安全度5.79 (とても危険)

johannesburgcrime

 

次に、上記10都市の安全度指数を調べました。上位5都市は、私の体感通り、すべて東アジアでした。

札幌(日本) 94.51
福岡(日本) 87.39
大連(中国) 84.15
台北(台湾) 81.87
東京(日本) 79.61

――――――――――――――――

ホノルル(アメリカ)67.17
シドニー(オーストラリア)58.28
ケアンズ(オーストラリア)57.89
ダーラム(アメリカ)54.32
バンコク(タイ)50.05

 

それ以外では、ハワイの治安の良さが目立ちますが、日本と比べると少し落ちますね。あとバンコクの数値の悪さは意外でした(安心してどこへも出歩いてるんだけどな・・)。東~東南アジアでは、現地人と肌の色が同じで自分の存在が目立たないので、あまり危なさを感じないのかもしれません。

無論、これだけを鵜呑みにしない方が良いですが、海外への移住・留学、不動産投資をお考えの方にとって、わかりやすい一つの指標にはなるでしょうね。

 

最後に、Numbeoサイトでは「治安」の他にも、「生活コスト」「不動産価格」「ヘルスケア」「汚染」「交通」、それらを総合した「生活の質」も一覧表示できるので便利ですね。ぜひ活用してみては。

【世界各都市の汚染度指数】

numbeopollution

 

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IT革命で人口が都市に集まる理由

こんばんは、Manachanです。先ほど、オーストラリアへ旅立つ家族を成田空港で見送ったあと、ひとりで、東京・東陽町の我が家に帰ってきました。明日は早起きして、羽田から英国ロンドンに飛び立ちます。

私は仕事柄、出国が多く、毎月1~2回は海外出張してます。そして、毎年7月中旬~8月下旬は、ほとんど日本にいません。家族の住まいと事務所は東京にありますが、自分の居場所は、一年のうち「70%が日本国内、30%が海外」といったところ。

 

世界中どこに行っても、ネットカフェやホテル、空港でPC片手に仕事してますので、「ノマドワーカー」と言っても良いかもしれません。ですがそれでも、1年のうち7割は東京周辺で過ごしているわけで、「東京が本拠地」であることも間違いありません。

満員電車と渋滞・混雑の東京より、もっと環境や景色の良い場所も、国内外にたくさんあるわけですが、私は「本拠地」を東京から移すつもりは、今のところありません。自分が東京に身を置くメリットが非常に大きいと感じるからです。

そんなこと考えている時、面白い文章に出会いました。

 

年収は「住むところ」で決まる(夏目力) 

 

肝心な論点を、いくつか引用します

人間は対面で顔を合わせた時に、一番クリエイティビティを発揮し、

アウトソーシングや機械の自動化ができないクリエイティビティが経済の中心になる21世紀は、クリエティブな人が物理的な「場所」を共有する必要があり、ゲイや外国人、そして何より「組み合わせパーツ」になりうる変わり者を歓迎する都市が、今後栄えていく可能性があります。

多様性にあふれ、クレイジーな人にオープンな都市、または地域に人が集まり、そこからのイノベーションが一番の経済価値になっていきます。

 

私は、作者の論点に賛成です。また、IT革命が進んだ今日、日本を含めて世界的に人口の都市集中が進んできた理由も、クリアに説明できていると思います。

私がなぜ、東京に本拠を置いているのか?それは、東京が日本のなかでは、飛び抜けて「多様な人材」、「多様な情報」、「多様なビジネスモデル」に溢れる場所だからです。

私は、「世界の不動産投資情報」という「知的生産」に関わる仕事をライフワークにしていますが、東京のような場所に居ると、知的生産には極めて効率的なのです。

 

東京に居る時は、「人と会って、話す」ことに主眼を置いた活動をしていますが、多様な領域で活躍する凄い方、素晴らしい方に出会って刺激を受けつつ、自分の知的生産や新たなビジネスの糧としています。

今の私にとって、知的刺激を受ける場所は、ほぼ、東京都内の「山手線と地下鉄丸の内線に囲まれたエリア」(池袋~東京駅ライン以南の山手線内側)に集中しています。特に多いのが、

・新宿周辺
・渋谷、表参道周辺
・新橋~浜松町周辺

次いで、

・池袋周辺
・銀座周辺
・飯田橋~市ヶ谷周辺
・赤坂~六本木周辺

tokyochizu

このエリアを、私は、「知的生産、黄金のトライアングル」と呼んでいます。経験上、山手線の外側、あるいは丸の内線以北になると、優れた知的刺激を受ける頻度が著しく減るので、

今の仕事を続ける以上、「黄金のトライアングル」に容易にアクセスできることが、自分の住まい・事務所選びの重要な基準だと考えています。その意味で、「東京駅まで9分で出られる東陽町」に住んでいることには満足していますが、より理想を言えば、山手線内側の便利な駅前(飯田橋とか四谷とか)に住めればさらにベターかと思います。

 

世界的にみても、IT革命で発展している印象があるエリアは、「都市」が多い。

・サンフランシスコやシアトル、バンガロールなど、既存の都市
・シリコンバレーや北京・中関村など、都市内にある大学・産業集積地
・ロサンゼルス近郊の「シリコンビーチ」など、都市住民に好まれるリゾートチックな場所

 

高速光ファイバーが田舎に張り巡らされても、皆がスマホとPCを持っても、それで田舎に人々が移り住むという話はあまり聞かない。データセンターやコールセンターを誘致する類の話は多いですが、

新たなビジネスと、イノベーション、新たな経済価値の創出は、人と人とのリアルな交流の機会の豊富な都市が中心になる。そこで新たな雇用が産み出されて、他地域から人々が集まる。人口の都市集中が進む・・・

ITを多用してノマドのような働き方をしている私が、東京をメインの拠点にしているのは、ちゃんと理由があってのことです。それは、「IT革命と人口都市集中」のメカニズムに基づく自然なことだと思います。

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銀座爆買いと、日本人の反応に思う…

こんにちは、Manachanです。先ほど、池袋で決済を終えて、その足で羽田に向かって中国・北京へ飛ぶ・・という、移動の多い日々を送っております。

昨日は、仕事で銀座に行く機会がありました。銀座は、いつも人通り多くて賑やかですね。私の歩いたコースは、

・銀座1丁目から、4丁目交差点まで、中央通りを南下
・4丁目交差点で左折し、晴海通りを東へ、歌舞伎座前まで進む

この距離を、ゆっくり歩きで10分余りで移動しつつ、街で聞こえてくる声を言語別に集計する、という遊びをやってみました。結果は下記の通り、

・中国語 14回
・日本語 13回
・英語   2回
・それ以外 2回

銀座の北部、1~2丁目あたりは日本語が多いですが、3丁目の松屋あたりから中国語の頻度が急増、4丁目交差点まで、ほぼ中国語ばかり聞こえる状態が続き、そこから晴海通りに入ると日本語が増える…といった塩梅。英語は、単発的に聞こえてくるだけでしたね。

街で聞こえてきた中国語に耳を澄ますと、上海以南や台湾の人のしゃべり方ではない。多くは、中国大陸の北部か西部から来た方々と思われました。

 

私は銀座に行く機会多いですが、中央通り沿い、3~8丁目は特に中国人旅行客が集中する地域で、日本人が行くと「アウェイ感」を覚える場所と言われています(パリのシャンゼリゼ通りも同じようなものですけどね…)。但し、中央通りから大通り一本、西か東へ移動すると、中国語の聞こえる頻度はまばらになります。

そんな日、銀座4丁目交差点で、ビジネススーツ姿の日本人中年サラリーマンがつぶやいた言葉が、印象に残りました。

 

これだと、日本が乗っ取られるね…

 

大勢の中国人観光客という、見慣れない存在への違和感、銀座の変貌ぶりに対する戸惑い…その気持ちは分かります。でも、別の視点からみれば、

 

良い歳した大人が、「乗っ取られる」みたいな不明瞭な言葉を使って、現状を正しく認識する努力をせずに、文句だけ言ってる状態に対する違和感を、私は感じます。

 

そもそも、日本の国が乗っ取られるって、具体的に、どういう状態を指すのでしょう?定義できるのでしょうか?今の銀座の状態(中央通り沿いだけ、中国人観光客が多数派になってる)から、何がどのように変化すれば、彼のいう「乗っ取られる」状態になるのでしょう?

これを、正面から問うたら、そのサラリーマン、たぶん明確に答えられないでしょう。彼が「乗っ取られる」というあやふやな言葉の枠組で思考する限り、妥当性を持った現状認識は無理な気もします。

私の違和感は他にもあります。

 

民主的手続に基づいて自分たちが選んだ政府が、公約通りに規制緩和して、その結果、外国人観光客が増えてるんでしょ?いまの銀座の状態は、突き詰めて考えれば日本人の「集合的意思」が実現された結果であって、ほぼ想定通りじゃないの?

そもそも日本は主権国家なんでしょ?日本領土内のルールは自分たちでつくって、皆に守らせるんでしょ?外国人観光客は、日本国がつくったルールの枠組に応じて増えたり、減ったりしてるんでしょ?自分らがルールを握ってる限り、乗っ取られるなんてあり得ないじゃん?(戦争でもして負ければともかく…)。

 

社会の何かが変化する時、普通考えて、功罪どちらもあるはずです。悪い方向にだけ向かう変化って、現実にはあまり考えられない。ビザ要件緩和の結果、外国人旅行客の来日数が増えたのなら、ホテル業や小売業等、日本の一部業界は確実に潤っているはずで、これは彼らにとってプラスな変化。

もっとも、ビザ要件を緩めた結果、外国人の不法滞在や失踪が増えたり、その結果治安に影響してくるのであれば、それは多くの人にとってマイナスでしょう。とはいえ、よく考えればこれは最初から想定できることです。

 

プラスとマイナスの両方を必然的に伴う「変化」のなかで、客観データにもとづいて現状を認識した上で、いかにしてプラスを最大化して、マイナスをコントロールするか?…これが、「チェンジ・マネジメント」といわれるもので、それなりの企業に勤める中堅サラリーマンなら、日常業務のなかで当たり前にやってることだと思うんだけど、

ことが「日本社会のチェンジ・マネジメント」みたいな話題になると、変化をコントロールする視点がすっぽり抜けて、一気に「乗っ取られる」とか「買い占められる」みたいな、あやふやな結論に飛びつく人が日本では多い。教育レベル・社会的地位が相当高い人でさえ、そういう「情弱」的なことを言ったりするのが、私に言わせれば不思議です。

以前書いた日記、「外国人の土地所有を制限できるか?」でも、同じ問題を感じました…

 

日本経済を活性化させたい。日本の国を復活させたい…という総論に、反対する人は多くないでしょう。

その手段として、たとえば「外国人観光客に来てもらう」とか、「優秀な外国人に、日本の職場で活躍してもらう」などがあり、具体的には観光ビザや永住権を取りやすくする等の施策になるわけですが、それをやった結果、日本人の誰かの職場を奪うとか、賃貸物件でのトラブル等、マイナス面の変化も伴うかもしれない。

だから、ビザ緩和をやるべきか、やらざるべきか、あるいは方法を変えてやるのか・・・といった「判断」が必要で、その判断材料となるデータを集める仕組みや、現状をモニターして政策に反映する仕組みも必要になる。それができて、はじめて「まともなチェンジ・マネジメント」が成立する。

 

日本の将来に関わる大事なことを、少なくとも教育を受けた人なら、本来、チェンジ・マネジメントのレベルで議論すべきと思うのですが、そういう議論が、日本で成り立つ土壌はまだまだ乏しいと感じます。

 

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マクドなくなると結構困る人…

こんにちは、Manachanです。

ニュースでたくさん報道されてますが、あのマクドナルドが日米ともに未曾有の経営危機に直面しているようで、「日本撤退」すら噂されているようです。

ここ東京でも、都心部の基幹店舗や、20年以上営業してきた店舗が、どんどん閉店の憂き目にあっています。ここは都会なので、マクドナルド亡き後、すぐ新しい飲食店ができるでしょう。「一等地の居抜き店舗」は、どの飲食チェーンにとっても垂涎の的ですから…

私が仕事や打ち合わせでよく使う店舗で、最近閉店されたところは、

 

東京都港区 マクドナルド赤坂見附店
2015年10月25日閉店、21年営業

東京都豊島区 マクドナルド池袋西口公園前店
2015年10月25日閉店、23年営業

東京都墨田区 マクドナルド錦糸町アルカイースト店
2015年10月25日閉店

東京都中央区 マクドナルド東京駅八重洲通り店
2015年10月31日閉店、3年営業

東京都千代田区 マクドナルド駿河台店
2015年10月31日閉店、43年営業

東京都港区 マクドナルド神谷町店
2015年11月15日閉店

参考リンク)マクドナルド2015年11月の閉店店舗

マクドナルド2015年閉店店舗一覧

 

こういう都心一等地の店を閉めざるを得ないのは、賃料高くて競合が激しいとはいえ、経営まじでやばいんじゃないかと愚考します。一度撤退したら最後、二度と借りられないような好立地ばかりですので・・・

そんななかで、我が家の近所、マクドナルド東陽町駅前店の閉店の話はまだ聞かないので、ほっと一息ついています。私はこの店のヘビーユーザーなんです。

・東陽町駅の周辺に、他にマクドナルドは存在しない。約1km離れた木場や南砂町に行かないとない。

・東陽町駅近辺で、フリー電源がある飲食チェーン店は3つしかない。マクドナルドと、カフェヴェローチェと、プロントのみ

・プロントのコーヒーは220円~、カフェヴェローチェは190円~・・・そこいくと、マクドナルドはSサイズのコーヒーが税込100円。

・しかも、マクドナルドはシャカチキとかSサイズポテト、ハッシュブラウンなど、税込150円位で頼めるサイドメニューが豊富。一方で、プロントのサイドは値段高いし、カフェヴェローチェもクッキー位しかない。

 

東陽町のマクドナルドは、学生や社会人、家族連れや外国人で常に賑わっており、閉まる気配はありませんが、もし閉店されることになったら、私、結構困ってしまいます。

マクド亡きあと、ガストやデニーズ、日高屋、ファーストキッチンみたいな飲食チェーンが入居するでしょうが、どの店が出て来たところで、マクドと同じコスパで「250円ちょっと利用+充電」はまず期待できないからです。

IMG_7987

 

今日、「マクドナルドなくなるかもしれないよ」という話を、我が家の食卓でしたところ、息子ポニーは「別に構わない」、娘ソフィアは「なくなると困る!」という意見でした。確かに、妖怪ウォッチのおもちゃ付のハッピーセットが買えなくなると寂しいもんねえ。

モスバーガーやサブウェイが来れば、確かにヘルシーで美味しけど、子供のいる家庭向きじゃないんだよなあ。だいたい「モスチーズバーガー+ポテト+ドリンク」のセットで1人800円超えるし、4人家族で1食3000円超えるファストフードはありえない。おもちゃも付いてこないし…

それに、ここは外国人の多い町。日本語や日本の食べ物にまだ慣れない人にとって、マクドナルドはかなり重宝するはず…特に東陽町店は、英語もタガログ語もベトナム語も通じるし。

イメージは良くないけど、何気に東陽町の土地柄にあったマクドナルド。閉店せず頑張って欲しいと思います。

 

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マスコミの惰性と地域イメージの関係

おはようございます。Manachanです。今回は久々の「マスコミ」ねたで…

人間にとって、世の中の事象は、「少数の関心事」と「多数のどーでもいい事」から成り立っています。たとえばの話、約30ページの新聞朝刊誌面に載っているテーマは少なくとも数百あるはずですが、そのなかで、自分の関心あるテーマはどれだけあるでしょう?関心分野が半分を超える人は、たぶん稀だと思います。

特に私は、興味分野が偏っているので、大部分のテーマに、全く関心ありません。新聞、雑誌とも、興味ある分野だけ選んで、つまみ食い的に読んでます。じっくり読む時間もないしね。

 

新聞記者や編集スタッフになると、少なくとも私よりは幅広い関心分野を持っていると思いますが、それでも、関心の濃淡、得意・不得意はあるはずで、個人的・組織的に関心が薄い分野とか、取材体制が不十分な分野になると、記事に「どーでもいい」オーラが漂ってきます。

先日、福岡でのセミナー後の懇親会で、こんな話題になりました。フィリピンで事業をしておられる方との話、

 

「フィリピンは、ここ数年でものすごい勢いで経済発展して、都市の環境も整ってきたのに、日本のマスコミは、そういう面を全然報道しない。十年一日のごとく、スラムや貧困、犯罪の記事ばっかりだ」

「経済紙になると、さすがにちゃんと取材するけど、一般紙の方は相変わらずひどいね」

「新聞記者は、10年、20年前の、貧しかったフィリピンのイメージを未だに持ってて、惰性で記事書いてるんじゃないか?あるいは、現場の記者がまともな記事書いても、デスクが先入観だけで却下してるんじゃなかろうか?」

 

それを聞いて、私も思い当たることがありました。ちょうど数日前、東京で会議していた時、香港人の日本不動産買いの話題になった時に、司法書士の先生が言ったこと、

 

「香港人に関しては、日本の不動産を投資目的で買うことはあっても、日本のビザとって移住するニーズはないよ。だって放射能の問題があるもん。」

「香港のマスコミって、日本の放射能に関する報道はえげつないから、未だに震災当初のパニックなイメージをひきずっている人も多いんだ・・・」

「今でも、東京や横浜の物件は避けて、大阪や福岡の物件をリクエストする香港人も少なからずいるんだ」

 

私、香港にはほぼ毎年行ってるし、現地で「蕷果日報」みたいな大衆日刊紙をそのまま読むので、「報道のえげつなさ」についてはイメージできます。香港で高層マンションのベランダから子供が落ちて亡くなった、中国本土で連続殺人事件が起こった等々、事故記事の書き方すごいもん。使われてる写真も、「兇」とか「悪鬼」みたいなオール漢字のタイトルも…あのノリで、日本の原発事故も、極度に誇張して書くんでしょうね。

香港は2011年震災当時、「末日災禍」、「50死士」(『星島日報』)、「全日本核汚染」(『東方日報』)みたいな、扇情的な見出しが躍った場所。日本の「いま」をよく知らない、あるいは「そんなんどーでもいい」と考えている記者やデスクが、2015年になっても当時のパニックなイメージを引きずったまま、惰性で記事を出し続けている可能性は大いにあうるでしょう。もしそうなら、日本のマスコミのフィリピンに関する報道と同じ構図ですね。

私は震災後もずっと東京に住んでて、小さい子供も育ててるし、毎日、関東や東北の野菜を食べてるし、仕事や遊びで福島県にもよく行くし…そういう暮らしをしているので、現地の事情をよく知らない外国人がイメージだけで東京の物件を忌避する気持ちは分かるにせよ、特に本人が住むわけじゃなくて投資物件として保有するだけなのに忌避するのは、正直理解に苦しむのですが、

でも、世の中のほとんどの物事は、「どーでもいい」ことから成り立っているのかもしれません。信頼できる筋からデータを得て、ちゃんと分析して合理的に判断する…みたいなことを、誰もができるわけじゃない。逆に「なんとなく、危なそうだから・・・避けよう」みたいな、非合理的な感情やイメージの占める割合は大きい。

 

私、長年ブロガーやってて、無力感を感じるのも、ここなんです。日々、一生懸命、皆様に有益だと信じる情報を発信し続けていても、読んでくれるのは興味ある方だけ。世の中の大多数の人は、ブログManachans Worldよりも、マスコミの出す「どーでも良い、惰性な記事・報道」をはるかに多く目にしているのです。

もちろん、マスコミの世界でも有能で志ある方は多いし、良質な記事・報道も世の中にたくさんあります。ただ、そうでないものも多い。どの業界もそうですが、国を問わず、マスコミも、玉石混交。私の嫌いな下品で怠惰で扇動的な記事も多いし、なくならない。

どのマスコミも、想定する読者層のレベルやニーズに合わせて記事を出す。読者も人間であり、「興味のない分野、つまり世の中の大部分のことはどーでもいい」と考えているので、その「どーでもいい」部分に訴求する記事や、惰性で書く記事は、人間の世が続く限り、なくならないでしょう。

 

フィリピンの話に戻ると、日本人の大多数がフィリピンに対する貧困・危険イメージを変えるには、あと5~10年くらい、同国の経済成長が続いて、英語流暢なフィリピン人のエリートが、東京のビジネス街を颯爽と闊歩して、日本人の一般ピープルが、「フィリピンは経済成長すごいらしいよ」、「スラムだの犯罪だの、〇〇新聞は未だにこんな記事書いて、こいつらバッカじゃねえの!」と思うようになったら、変わるのでしょう。

ま、シンガポールやマレーシアについて、今どきそんな記事書くマスコミはほぼありませんから、フィリピンも、徐々に見直されていくのでしょう。惰性な記事書くマスコミ人が、一番遅れてるかもしれませんね。

ま、それもヨカヨカ。人間社会なんて、所詮そんなもん。私は商売人だから、「マスコミや一般人の認識」と「現実」とのギャップに注目して、それをおカネにしていけば良いんだから・・・

 

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学校教育という幻想

こんにちは、Manachanです。今日は日曜日、朝から分厚い雲に覆われています。9月中、ずっとこんな天気だから、太陽光パネルの収入も少なそうだなあ。

うちの娘は、昨年末から不登校気味ですが、気楽な自営業の私が、毎朝、学校に連れていっています。最近は2時間目の途中くらいから登校する感じで、とりあえずは小康状態。このままでいいのか、という気も少ししますが、私時代も高校時代、不登校を経験したので、娘の気持ちは大体、理解できます。娘の気質や勉学スタイルに合う、良い学校が見つかればと思って、いろいろ探してはいるのですが…時間かかりますね。

幸い、いまは学園祭の季節。サイエンス系、英語系の特色ある学校のイベントに子供たちを連れていって、とにかく、「何かを感じてもらえれば」と思っています。

 

とはいえ、一面では、「学校でできることなんか、所詮、タカが知れてるんじゃないか」と、冷めた目でみている私もいます。確かに小中学校、高校は、子供時代の多くの時間を使うところであり、我が子たちも少しでも自分にあった、気持ちの良い環境で学んで欲しいという親心はありますが、

子供の成長やポテンシャルの発揮は、結局は自分の「気づき」次第であり、学校の教学方針やカリキュラムそのものに大きな期待はしにくいんじゃないかなあと感じています。たとえば、

「学校教育で全面的な人間性が育まれる」とか、

「日本の学校教育は詰め込み式で創造性や考える力が育まれない」とか、

「日本の学校の歴史教育で自虐史観を教えているから愛国心が育まれない」とか、

そういう言説は、大いに疑問ですねえ。自分の経験からしても、学校時代の教科書で習ったことなんて、いまの自分のスキルや人生観の何%も占めていないと感じます。それよりも、自分が大人になって、責任を伴う仕事で経験したことや、友人やお客様、同僚から学んだことの方が、はるかに、自分の血肉になっていますので。

私の小中学校時代、今よりもっとキツイ詰め込み式の管理教育が行われていたと思いますが、そんな教育を受けたことで、私たち日本人の創造性が損なわれたとは思いません。世界を歩くと、日本発のアニメ、ゲーム、カラオケ、ファッション、食文化が広く受け入れられ、ブームやブランドになっています。創意・創造力豊かな文化だと感じます。

その代わり、ディスカッションしたり、全体的・包括的な仕組みを構想する力は弱いですけどね・・・日本の学校教育を改善すればいくらか良くなるのか、私にはよく分かりません。

 

学校教育に対して、各人、いろんな立場や思い入れがあると思いますが、ビジネスマン的にいえば、

「大人になった時、責任を伴う仕事を社会に多く供給する」のが、いまの大人(経済人)のつとめだと思うし、

「学校は、それぞれの時代に、責任ある仕事をするために必要なスキルセットを育成する場」なのかと思います。

 

今までは、それが「読み書きそろばん」とか「協調性」だったと思うし、今の時代は英語とか、ITスキルが加わってきた感もあります。その他のプラスアルファは、学校それぞれでしょうが…現実的に、学校教育に期待できるのは、せいぜい、その位なのかなあと思っています。

あとは、子供たちが自分の興味分野を伸ばしたり、知的に成長するための「気づき」を得られやすい環境であるならば、私はそれで十分です。

世の大人が学校教育に期待することの多くは、子供にとって「どーでもいいこと」なのかもしれません。何だかんだいって、人間形成のほとんどは、学校の外で行われるんでしょうし。

 

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シンガポールってそんなに凄いの?

こんばんは、Manachanです。いま成田空港で、バンコク行きのフライトを待っています。

広い千葉県内を電車移動している時い、元国会議員、田村耕太郎氏氏のメルマガ「シンガポール発 アジアを知れば未来が開ける!」読んでました。日本人のチャレンジ精神を鼓舞したいという作者の気持ちはよく分かるし、部分的には納得できる面はありつつも、全体的な論調にはかなりの違和感を感じております。

 

私は外国事情に疎い日本人相手に、「日本だめぽ、外国すげー!」的な言論活動やってる人がどうも性に合わなくてねえ…

 

私は、外国(オーストラリアや中国)で、現地採用ITエンジニアという泥臭い仕事で叩き上げてきた人間。海外生活を通じて、今まで気づかなかった「日本の良さと、凄さ」を感じてきた人間です。

もちろん、日本のイケてない部分、古臭い部分、グローバル政治経済にうまく対応できてない部分、多々あると思います。これまで何千年にもわたる、人々の営みの結果として存在する日本の社会風土が、いま求められている変化と相性の悪い面は当然ある。英語が苦手なこと、移民を受け入れるのが苦手なこと、システム的なアプローチが苦手なこと等を含めて…

但し、それは几帳面で製造業に向く、現場力が強い、器用に対応する力が強い、創造性豊かでブランド価値を生み出す力が強い等といった日本の強みと、表裏一体だと思います。

だからこそ日本のイケてないところだけ抜き出して、ダメダメ強調しても、全体像みえてる議論とはいえないよねえ。

 

先程のメルマガに戻ると、私からみて到底「すげー」とは思えないことを、いかにも「すげー」書き方しているのが、いまいちだな~と思う。たとえば、

 

・英語、中国語ができるのが、そんなに凄いの?

この人、日本人が日本語だけしかできないと決めてかかってませんか?

日本には、少数派かもしれないけど、英語も中国語もできるビジネスマンがいますよ。私もその一人…「シンガポール人は子供の頃から英語、中国語ができる」と言われても、別に驚かないし、彼らと英語や中国語で長年ビジネスやってきたから、彼らの「実力」も大体分かる。

シンガポール人や、華人系マレーシア人。英語が公用語だから、当然、英語はネイティブorビジネスレベルでできる。でも中国語は達者にしゃべれても書けない、読めない人多いよ。それ考えると、ビジネスで使えるのは英語だけという人が大部分じゃないの?

 

その他にも、

-シンガポール人が英語できるから、日本語だけしか分からない日本人には入ってこない情報がどんどん入ってくるとか、

-シンガポールには世界中の優秀な人がどんどん入ってきて切磋琢磨してるから日本人とレベルが違うとか

そういう面も確かにあるかもしれないけで、等身大のシンガポール人と長年付き合ってきた私からすると、買い被りすぎじゃないかなあと思う。

 

確かにいま、アジアでトップレベルの所得水準を誇る国となったシンガポールは、「今風の国」というか、「グローバル経済にうまく適応した国」だと思います。独立50年間で、あそこまで発達した経済を創り上げた指導者と国民は、掛け値なしに大したものだと思う。

でも、つい25年前には、日本も絶頂期で、今のシンガポールと同じことを言われてたんだよ。戦争で焦土となった国から、よくも短期間で復興して、世界に冠たる経済大国になったものだ・・・みたいな称賛の声が世界中から上がって、オーストラリアみたいな英語圏の国でも、日本語を学びたい人がむちゃくちゃ増えて、「ツナミ」と呼ばれる現象が起きたほど・・

いま考えると、日本の社会風土が、当時の世界経済の状況にぴったり合ってたんだよねえ。今は、日本のバブルがはじけた他に、英語必須のグローバル経済に加え、中国が製造業大国としてものすごく伸びる時期・・・日本には相性悪いよねえ。でも、こんな短期間に、日本社会の根幹が変わったわけじゃないと思うのです。

今は、シンガポールみたいな国が有利。経済成長中の東南アジアに位置する上に、英語圏でかつ、中国語リテラシーも高い、近代的なビジネスインフラと住環境が充実・・・金融業や多国籍企業のアジア本部の立地としてうってつけだよねえ。

しかし、確実にいえることは、「シンガポールの栄華」が、未来永劫には続かないということです。シンガポールの個性、お国柄が、グローバル経済社会の要請とぴったりマッチしなくなるか、あるいは強力なライバルが現れて、シンガポールが提供している機能がコモディティ化して、以前のようには稼げなくなる時代が、そのうち来ると思います。

シンガポールから学べる部分は学びつつも、同国の旬な時代がいつまで続くのか?見守りたいと思います。

 

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茨城県常総市の復興祈念

おはようございます、Manachanです。冒頭の写真は、茨城県の常総鉄道、三妻(みつま)駅です。

9月9~10日にかけて、東日本を襲った台風18号がもたらした豪雨は、茨城県、栃木県、宮城県をはじめ、列島各地に爪痕を残しました。

特に今回、鬼怒川堤防の決壊で全国、そして全世界に名の知れ渡った被災地・茨城県常総市は、私が子供時代から慣れ親しんでいた土地。TVの災害情報をつけると、もう、ショックの連続!

ここ、子供の時に凧揚げした三妻駅近くの鬼怒川土手じゃん!

常総市は、平成の市町村大合併で生まれた新しい市名。もともとは「水海道市」と「石下町」と呼ばれていました。私としては、その方がイメージしやすいのですが、

今回、鬼怒川土手の決壊で甚大な被害があったのは、常総市の「旧・石下町」と、その下流にある「旧・水海道市」。決壊した現場のひとつ、「常総市(旧・水海道市)三坂町」は、私の小学生時代、叔父が小さな整骨院を営んでいた場所でもあります。

子供時代の私は、千葉県の柏市で暮らし、たまに、茨城県の叔父宅に遊びに行っていました。利根川を超えて、車で40分くらいのドライブですぐ着きます。

叔父の整骨院は、常総鉄道・三妻駅のすぐそば。駅前といっても、見渡す限りの田んぼと、数軒の商店、あとは民家しかない場所。今も昔も、景色は全く変わっていません(商店がいくつか減った位かな…)。

三妻の駅から西へ歩くと、すぐ、鬼怒川の土手に着きます。その間を国道294号線が通っており、古びた個人商店で10円ガチャガチャをやったり、不二家のペコちゃんの顔を揺らしたりしてました。寒風吹きっさらしの冬、鬼怒川の土手で凧揚げしたこともありました。

あの懐かしい鬼怒川の土手が、やぶれてしまった…

決壊場所は、常総市内で二つあるようです。一つは、5~6㎞上流にある、玉村駅近くの若宮戸地先(ソーラー発電所で土手が削られて越水してしまったと、問題になっている場所)。もう一つが、三坂町562-1付近。叔父の整骨院のあった場所から1㎞余り上流、三妻駅の隣、南石下(みなみいしげ)駅付近になります。

その南石下の駅は水没状態、溢れた水は下流の三妻駅方面に押し寄せました。TV画面をみる限り、見覚えのある街並み、家並みが濁流に呑まれて全く原型をとどめていない!言葉を失います。

joso

私たちの平和な日常生活が、天変地異によって、いとも簡単に崩れてしまうものだと…

日々、平和に過ごせることを、もっと、有難く思わないといけないですね。

常総市をはじめ、栃木県や宮城県の水害被災地の人々の暮らしが、一日も早く元通りになることを願います。

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つながる常磐線、帰還する福島

こんばんは、Manachanです。

私はJR常磐線、常磐高速、国道6号線の沿線で生まれた者ですが、2011年の震災、大津波、原発事故の影響で、福島県内の一部区間が通行止め、立入禁止になってしまったことに、心を痛めておりました。

しかし、震災から3年、4年と経過するごとに、原発至近の地域を含めて、交通網がどんどん復活して、嬉しい限りです。

国道6号線・・・2014年9月15日、全線開通
常磐高速・・・2015年3月1日、全線開通

あと、残るは「JR常磐線」だけですが、こちらも着々と全線開通に向けて、動いています。現時点では、竜田~原ノ町間(46.0㎞)と、相馬~浜吉田間(22.6㎞)、計68.6㎞が不通になっていますが、今年3月1日に、全線開通に向けたビジョンが示されました。

2016年3月まで、原ノ町~小高間9,4kmが開通 (不通区間 59.2kmに短縮)
2017年3月まで、相馬~浜吉田間22,6kmが開通 (不通区間 36.6kmに短縮)
2017年3月頃まで、小高~浪江間8,9kmが開通 (不通区間 27.7kmに短縮)
2018年3月頃まで、竜田~富岡間6,9kmが開通 (不通区間 20.8kmに短縮)

そこまで来れば、残りは富岡~(夜ノ森、大野、双葉)~浪江間20.8㎞だけです。この区間は福島第一原発至近の高線量地域を含むため、除染が不可欠ですが、すでに試験除染が始まっており、来春には、開通時期を示すとのこと。

私は、2020年東京オリンピック前の全線開通に向けて意欲満々とみています。これが実現すれば、高速、国道6号、JRと、3つの基幹交通インフラが全て復旧することになりますね(公共土木工事になると、自民党政権は民主党政権より熱心で、復旧ペースが速いですね。)

 

津波直撃で駅舎が流出していた富岡駅(2014.7筆者撮影)
2018年3月までに、やや北側の場所に駅舎・ホームを新設して、開業するでしょう。

tomioka

 

帰還困難地域のバリケードが張られていた夜ノ森駅前(2014.7筆者撮影)
おそらく、2019年頃に除染が終わり、開業すると思います。

yonomori

 

交通インフラ復旧と歩調をあわせて、原発至近住民の帰還も順次、進んでいます。

・2015/9 楢葉町避難解除
・2016/3 南相馬市、避難解除の見込み

・2017/3 浪江町、帰還開始の見込み
・2017/4 富岡町、帰還開始の見込み

住民の帰還は、長い時間がかかるでしょう。放射線の問題を抜きにしても、インフラも整わない、買い物する場所もない、学校もない、職場もろくにない…という状態から、町が機能を取り戻すには、それこそ10年以上かかるかもしれません。特に、浪江町や富岡町は町民の2~3割が帰還困難区域内の住民、大熊町や双葉町に至ってはそれが7~9割に上りますので、「除染が済んで、帰れるところから、順次帰還」にならざるを得ず、途方もない時間がかかりそう。

しかし、これら一連の流れをみると、日本は、重大な原発事故のあと、住民を避難させるのではなく、帰還させるという選択をした、これは確かに言えるでしょう。

1986年に重大事故を起こしたウクライナのチェルノブイリ原発の場合は、ソ連政府や、それを引き継いだウクライナ政府、ベラルーシ政府が何をしたか?誤解を恐れずに一言で言えば、住民を遠方に移住させた。そして、汚染地域の除染を行わずに、放っておいた。

事故後、30年近く経ちましたが、同原発から30㎞以内は今でも、原則立入禁止。それ以遠でも、汚染の著しい地域は住民を半ば強制的に移動させたようです。例えば、原発から55㎞離れた、600年の歴史を持つキエフ州ポリスケ市は、1万人余りの住民が移動し、街は廃墟になったそうです(リンク)。

一方、福島事故後の日本は、チェルノブイリとは全く対照的に、生活空間を除染して住民を帰還させるという方向に舵を切ったのです。この選択が吉と出るか凶と出るかは、相当の歴史的時間が経ってみないと分かりません。ただ、

私は、原発至近住民の帰還という、途方もないチャレンジに挑む日本という国を尊敬します。

 

日本は、このようなロジックで動いていると思います。

・いまの日本には、居住地選択の自由がある。

・私(Manachan)が自ら選んで東京に住んでいるのと同じく、福島の人が自分の意思で福島に住み続ける権利があり、それは尊重されなければならない。

・住み続けたいニーズがある限り、原発至近の高度汚染地域であっても、除染して、交通インフラを整えて、人々が住めるような環境に戻さなければならない

 

すでに開通している常磐自動車道は、原発から近い場所で路上の空間線量5μSrv/h。国道6号に至っては10μSrv/h近い値を計測します。これは、一般の人が立入できないチェルノブイリ4号機から数百メートル地点の線量(5~8μSrv/h)に相当するそうで、そんな場所に一般車両を通して良いのか?警官や作業員を立たせておいていいのか?当然、賛否両論がある話と思います。

しかし、日本はそれでもやるのです。なぜなら、

・原発至近の国道6号や常磐道は、第一義的に地域住民の利便や生活復旧のための道路である。

・東京など他地域の人間が、放射性物質の拡散を恐れて開通に反対しても、被災地復興の方が大義があり、優先される。

 

チェルノブイリでは、事故の影響で、168の村が消失したという。その「墓標」が、2011年に完成したと聞きます。これらの村々に、生活の槌音が戻ってくることは、もうないでしょう。600年の歴史を持つ古都でさえ消失しているのですから…

chernobyl

 

その轍を、日本は踏まない。どんなに時間がかかっても、どんなに困難があっても、故郷を取り戻したいと思う。生身の人間の意志が何より尊重される国なのです。「大熊町」、「双葉町」といった、原発至近の自治体名でさえ、墓標に載ることはない。それを日本人が許さないから…

2019年頃に、常磐線が全線開通し、2020年に聖火ランナーが第一原発近くの6号線を走る。住民の帰還も、少しづつ進み、まずは富岡や浪江、次いで、大熊や双葉にも人が戻ってくる…チェルノブイリ事故の30年後と福島事故の30年後は、全く違ったものになるような気がします。

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