時事問題エッセイ

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不動産価値が2倍になるのと、暗号通貨が100倍になるのと、どちらが楽しい?

おはようございます、Manachan@バンコク滞在中です。いつもご愛読ありがとうございます。

今回のブログは、ここ1~2年、常に投資界隈を賑わせてきた「暗号通貨」(仮想通貨)と、私がライフワークにしている「不動産投資」との関係について書いてみます。

 

いくつかの暗号通貨の価値(もとい日本円や米ドルへの換算額)が短期間で何十倍、何百倍になり、世の中が「億り人続出」とか、「確定申告どうしよう~?」とか、騒がしくなってくるずっと以前から、私はビットコイン(BTC)を、送金用に使ってきました。

2015年末、私が最初にBTCを買った時の値段を、今でも覚えています。確か44,700円近辺でした。今日のレートは120万円近辺ですから、20分の1以下の値段。凄い話だよなあ…。

 

当時のBTC/JPYレートの値動きは穏やかで、今みたいに一日で20万円も30万円も動いたりなんてことはありませんでした。だから日本から海外へお金を送る、あるいはその逆をする際に、銀行窓口での煩雑な手続きを避けるための便利な代替手段として使っていました。その意味で、当時のBTCはまさしく「おカネ」でした。

BTCがおカネじゃなくなり、投機の対象になったのは、いつのことですかねえ?潮目が大きく変わったのは2017年前半あたりだと思います。

でもまあ、おカネって地味ですから…暗号通貨がおカネであることをやめた頃から、世の中の話題に乗り始めたんですよね。今では「コインチェック」とか「イーサリアム」とか、その辺歩いてるサラリーマンOLが当たり前に話してる世界ですもんね。

 

で、私はといえば、暗号通貨が急騰、乱高下した頃から、これに対する興味を失っていきました。余りにも簡単に、根拠や裏付けなしに値上がりすぎて、ゲームとして面白くないんです。逆に、私がライフワークにしている不動産は、実に奥深く素晴らしいアセットだと、改めて認識しました。気持ちを正直言うと、

 

自分の買った不動産の価値が2倍になるのと、暗号通貨が100倍になるのとでは、前者の方がずっと楽しい!

 

なぜそう思うのかを、考えてみました。

 

1)「物件選び・保有というプロセス自体が楽しい」

不動産投資は、根拠とルールのあるゲーム。世の中に何一つ、同じ物件が存在しないなかで、自分にとって「オンリーワン」の物件に巡り合うプロセスが楽しいし、また、ミクロ(物件周辺の環境、生活利便性、交通アクセス、地域賃貸需要や競合との関係etc.)とマクロ(人口増加率、GDP成長率や金融・融資環境etc.)を総合的に考えつつ、物件価値を上げていくプロセスが楽しい。また自分がオーナーとして運営するなかでバリューアップできる余地も大きい。要は、「マイ物件を探すのが楽しい」、「持ってて楽しい」…そういう意味での楽しさが、暗号通貨にはない。

 

2)「確かな資産になる」

不動産投資は実物ゆえ値動きも緩やかで、5~6年くらいの保有期間で価値を2倍にするのは簡単ではないが、それができれば相当な達成感がある。また、一旦2倍の価値になったものが、一夜にしてゼロや半分になることはありえず、確かな財産として自分の手元に残る安心感がある。一方、値動きの激しい暗号通貨には、それに相当する安心感がない。たとえ保有資産の時価が瞬間風速で1億円になっても、翌日6000万まで落ちることもありうる市況では、それはそれで、結構しんどいんじゃないかなあと思う。

 

また、いつも疑問に思うのですが、暗号通貨を推進してる人って、なぜ、「日本円みたいなリアル通貨への換算額」を気にするんだろう?

 

暗号通貨はもともと、通貨を独占的に発行する国家のコントロールを離れても、ブロックチェーン・分散型台帳技術のおかげで「信頼に足りうる流通・決済手段」として機能するものだったはずです。「脱・リアル通貨」として成り立つ「新タイプの通貨」候補だったはずです。少なくとも2015年末の時点で、私はそのようにビットコインを使っていました。

でも、今では暗号通貨そのものが投機の対象になり、客観的な裏付けなく思惑だけで乱高下するようになりました。脱・リアル通貨として価値が上がったのではなく、1BTCで買えるリアルな商品・サービスの価値が何倍になったわけでもありません。否、「日本円などリアル通貨への換算額」というバーチャルなレートだけが目まぐるしく乱高下しています。

 

「億り人」、「ビットコイン長者」といわれる人たちは結局、暗号通貨で何か商品・サービスを買ったりするよりは、むしろ日本政府が管轄する日本円に換えたかったんだな、と思います。そもそも「億」という言葉自体が「100,000,000JPY」の意味であるわけで…

そういう人が増えるほど、暗号通貨は脱・リアル通貨としての生命を失い、日本円を含むリアル通貨に従属するものになっていきます。主要国が暗号通貨の取引を禁止したり、取引所を一斉閉鎖したりしただけで価値を失うんですから、それ続けていくと、結局勝つのはリアル通貨になるよね。

 

だから、私はリアル通貨に対しても安定感のある不動産というアセットで、これからも資産づくりをしていきます。また、暗号通貨でひと財産築いた人は、早くアセット組み替えて不動産の形にした方が良いと思います。

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私が日本の将来を悲観しない理由

こんにちは、Manachan@バンコクドンムアン空港です。いつもご愛読ありがとうございます。

「海外不動産の総合商社」という新しい業態の会社を起業し、仕事柄、世界中を飛び回っている私。先週はアメリカ、今週は東南アジア、来週はヨーロッパと、めまぐるしく移動を続けるなかで見聞、体験したことや知見を、日本国内に暮らす皆様にフィードバックしています。今回お伝えしたいのは、

「私の見立てが正しければ、日本の将来、捨てたもんじゃない。悲観することはないと思うよ」

 

日本国内では、ここ20年ほど、悲観論が蔓延しています。諸外国に比べて景気が悪いとは言えない昨今でさえ、言説の上ではいま私たちが暮らすこの国の未来に対する先細り感が支配的。その背景には「将来、日本の人口は減り続け、経済停滞し、国際的地位が落ちる」「時代遅れになった経済社会システム変えられない、移民も受け入れられない」みたいな思い込みがあると思います。要は日本の総人口が減ることが運命であり、それを自分の意思で変えられると思ってないことが閉塞した思考の原因なのでしょう。

私の経験上、「日本以外で暮らしたことのない人」に特にその思い込みが強く、その背景には「失われた20年」を過ごすなかで各人の職業人生における成功体験の少なさが影響しているのかもしれません(もちろん、個々にみれば例外も多数あります)。

一方で、若い頃から日本を飛び出し海外各国で働いてきた私の目には、全く違う「日本の姿」が映っています。ポイントは4つあります。

 

1)「日本の経済社会システムは、皆さんが言うよりずっと自由でまともですよ」

→私は実際、日本にこれまでなかったタイプの会社を興して、今のところ誰にも邪魔されずに思う存分ビジネスできています。弊社の属する不動産業界は業界団体こそ古臭いですが大した影響力はなく、株式時価総額からいってもITやAIを駆使して不動産実業と上手に組み合わせた新タイプの会社が高く評価され、影響力を高めています。言論の場では日本経済界の古臭い部分だけ強調される感がありますが、実態はそれよりずっと自由で21世紀的なのです。

 

2)「海外でのビジネス競争に勝って利益をあげてる日本企業はたくさんありますよ」

→日本国内の言説では、中国はじめ外国企業との競争に負けて影響力を落とす日本企業のニュースが過大に報道されている感があります。無論そういう面もありますが、一方で平昌オリンピックの日本選手団のように「世界で堂々と戦う力をつけ、成果をあげている日本の企業」は物凄くたくさんあります。でもそれは日本語メディアになかなか上がってこないんですね。

 

3)「移民もとい外国人定住者が増えており、彼らを含めた日本の総人口はそんなに減りませんよ」

→東京など大都市圏を中心に、ここ5〜6年、外国出身の住民数が増え、人口動態の上で無視できない数になっています。すでに首都圏への流入人口の約3分の1を外国人が占め、横浜市や川口市など、外国人純流入が日本人純流入を上回る自治体も続出しています。日本全体でみても少子高齢化で日本人が毎年30万人減るなか、約15万人の外国人純流入がインパクトを和らげています。

彼らを「移民」と呼ぶと、日本人のなかでは「絶対無理〜」という声が上がってきますが、その言葉が嫌なら彼らを「外国出身の定住者」と呼べばよいわけで、実際に日本社会は年間15万人程度の外国人定住を、さしたる社会的混乱もなく受け入れています。外国人の流入を想定に入れない将来人口予測だけ見てると日本の今後が悲観的に見えますが、実際はそれよりずっと緩やかで現実的な線に落ちつくでしょう。欧米などたいていの先進国はそうやって人口規模を維持しています、

 

4)「日本の地方都市はポテンシャルの塊で、伸びしろ凄く大きいですよ」

→人口流出や少子高齢化、産業衰退の文脈で語られることが多い日本各地の地方都市。でもよく観察すれば、それぞれの街の持つポテンシャルを活かし、ビジネスやシティプロモーションにつなげる人材の厚みが足りないだけの話で、東京や世界中に居る豊富な人材、ノウハウ、資金を活かすかたちがつくれれば大きな宝に化ける潜在力を秘めていると思います。

私が「金沢市」の「町家を活かした宿泊施設」に着目したのは、「地方都市の持つポテンシャルを東京の資金とノウハウを使って経済価値につなげる」モデルケースにしたかったからです。金沢スタイルの町家が世界に愛される素晴らしい観光資源であるにも関わらず、地元視点では価値を見出せないので安い値段で放出される。でも幸い、金沢には東京の香りも知ってる、意識の開かれた起業家がいるので、彼らと組んで町家旅館やイベントを次々とプロデュースできれば、この地に新たな経済価値をつくることができる。

このモデルで、日本中の、新幹線の泊まる駅で新たな視点で観光地プロデュースをやってみたいです。特に西日本には、世界向けにプロデュースできそうな街が豊富にありますね。

 

以上まとめると、

私の目からみて、日本の経済社会は結構自由で革新的、世界で戦って勝てる企業も豊富にあり、人口も実質的に外国人を受け入れておりそんなに減っておらず、地方都市を中心に伸びしろをたくさん残している

フェアにみて、日本の将来は暗くないと思いますし、また次の世代に明るく自由な日本を引き継いでいくのは、私自身を含めて現役ビジネスマン世代の責務だと思います。

 

 

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「失われた20年」から「悩み多き普通の先進国」へ

こんにちは、Manachanです。2018年もブログご愛読のほど、よろしくお願いいたします。

今日は1月4日、用事があり東京都心に出ました。世の中的には明日から仕事始めの会社が多いようで、街は静かでしたが、株式市場は大フィーバーでしたね。東証の大発会は、いきなり700円以上高い23506円で引け、朝鮮半島有事以外は国内外の経済にマイナス材料があまりないなか、いきなり株価ラリーを予想させる2018年の幕開けになりました。

 

そういえば最近、「バブル以来」とか「バブル超え」みたいな経済ニュース多いですね。

・東証の株価は、26年ぶりの高値

・有効求人倍率は43年ぶりの高水準

・東京・銀座鳩居堂前の路線価はバブル期超えで過去最高

 

日経新聞の見出しをみても、「上場企業7割が増収増益」とか「潜在成長率上回る」とか、「消費者心理改善、4年ぶりの高さ」とか「正社員の求人倍率、高水準」とか、景気よさそうな記事が並ぶようになりました。

 

とはいえ、約30年前のバブル景気と今の経済状況は、様相を大きく異にしています。数字をよく見ると、

・公示地価がバブル期を超えたのは東京の一部のみ。大阪、名古屋以下の各都市の地価は上昇中とはいえバブル期に遠く及ばない。

・有効求人倍率がバブル期を超えたとはいっても、バブル期(1986~90年)の就業者数の伸び396万人に対し、最近4年間(2012~16年)は185万人。

・東証株価も、1992年の水準は超えたが、バブル絶頂期(1989年末)の水準までは達していない。

 

バブル期の日本は、人口が伸びていました。まだ若者が多く、仕事はそれ以上にあった活況の時代。当時は地価も国内どの場所でも上がったものです。でも今は、総人口が減少するなかでの人手不足の時代で、経済成長もせいぜい1%台。全国的に地価を押し上げるだけのパワーはなく、せいぜい東京とその近郊、政令指定都市くらいしか上がらない。人口の都市集中と地方の過疎化を背景に、地価の二極化、三極化は進む一方。

今さら、バブル以前のような活況は日本に戻って来ないでしょう。でも一方で、バブル崩壊以降、20年以上にわたり苦しんできた資産デフレ(地価、株価)や雇用が、とりあえずバブル前後の水準に戻ったことは、素直に喜んで良いと思います。その背景には、苦難の20数年を経て、日本企業の収益体質が筋肉質になり、金融システムの改革や規制緩和が進み、グローバルな成長を取り込める企業や都市が増えたこと等があります。長い低迷に苦しんだ時代から、日本人が学んだことは少なくなかったのです。

 

「バブル後」、「失われた20年(30年?)」が終わったのかどうか?というテーマが、2018年の日本で語られる機会が増えることでしょう。これはおそらく、コンセンサス取れない議論だと思います。今の日本は他の多くの先進国と同様、二極化が進んでおり、好景気の恩恵を受ける人間と、全く受けない人間がいて、両者は全く違う経済観を持っているからです。

私は東京都内に住み、好景気の恩恵をそれなりに受け、かつ出張で欧米先進国を頻繁に訪れています。その視点から言うと、

・今の日本は、すでに「バブル後、失われた20年」を克服している。

・その結果、欧米のフツーの先進国と似たような経済状況になった。体感値でいうと、いまの日本の景気は、アメリカ南部、オーストラリア、ドイツより少し悪く、南欧諸国、アメリカ北部よりは少し良い感じ。東京の景気も、先進国の大都市と比べると平均的。

・フツーの先進国とは、バラ色ではなく、将来に向けて難題と懸念が多い状態。少子高齢化、貧富格差の拡大、財政・金融政策の手詰まり、治安やテロの懸念等…どの欧米諸国も抱えている難題を、日本も当たり前に抱えている。

 

日本だけが特殊じゃない。日本の経済社会が抱える難題、懸念の多くは、他の多くの先進国にも、多かれ少なかれ共通するものなのだ…そういうフラットな理解に立ち、グローバルに投資を進めていきたいと思います。また、微力ながら日本経済を支える一経営者として、バブル後の苦闘の経験を大事にしながら、新しい産業・雇用、ビジネスモデルの創出に貢献していきたいと思います。

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反アベノミクスで弱者保護できるの?

こんにちは、Manachanです。今回は、「世界からみたアベノミクス」というテーマで書きます。なぜ、これを書きたくなったかというと、

 

・賛成、反対の立場を問わず、アベノミクスをテーマとする世の中の論評が、あまりに「井の中の蛙」というか、日本しか見えてない方が書いたものが多く(いや日本の経済状況さえまともに分析できてない方も多数)、余りにも目に余る貧弱さだから、

 

私は経済専門家ではないですが、国際不動産投資の分野で活動する企業経営者として、世界中の現場を歩いて外国企業と日々商談をこなすなかで、「各国の経済状態や政策を体感」してきております。誰にでも入手できる統計数字の分析とあわせて、「世界視野で、アベノミクスがどう見えるのか?」について、独自視点で論考してみます。

 

論点1;アベノミクスは、リーマンショック後の経済刺激策として、世界中の先進国が例外なく実施した「金融緩和策」の一つです。

金融緩和は、大きくわけて「政策金利の低下」、「マネーの大量供給」の二つの柱がありますが、日本のみならず米国も欧州諸国も、カナダ豪州などの資源国系先進国も、例外なくこれを実施しております。その結果、下図にみるように、

・リーマンショック後の政策金利は、どの国でも大幅な切り下げを実施、その後も低い状態が続いており、多くの先進国で「金利が消えた」状態になっています。

・マネタリーベース(貨幣供給量)は、日本も米国も欧州も、大幅に増えており、「マネーじゃぶじゃぶ、金余り」状態が続いています。

 

論点2;現時点では、金融緩和の出口を迎えつつある国(米国、カナダ等)と、まだ出口が見えない国(欧州、日本等)があります。

リーマンショックから10年近くを経過した現時点でいうと、移民流入等によって人口動態が元気で、経済状態が比較的マシな国(米国、カナダ等)はゆるやかな利上げによって、長く続いた金融緩和からの出口に向かいつつありますが、

一方で、人口がほとんど増えず、経済状態も米国等と比べて良いとは言えない欧州諸国や日本は、現時点では金融緩和をやめられません。なお、下図には言及ありませんが、欧州のユーロ圏以外の国(ウェーデン、デンマーク、スイス、ノルウェー、ハンガリー)も軒並みマイナス金利です。

 

 

論点3;金融緩和の結果、各先進国は雇用や失業対策の面では成果を上げています。

長く続いた金融緩和政策の結果、各先進国が一番成果を上げたのは「労働面」、つまり雇用を増やし、失業率を減らした点であると思います。下図にみるように、リーマンショックで急上昇した失業率が、各国とも2010年前後から低下し、アメリカはすでにリーマン前の水準を回復、ドイツと日本はそれ以上の成果を上げています。

次に、就業者数の増加率で比べたところ、各国ともリーマンショックで激減した後、2年程度でV字回復しています。ひとり、回復が遅れたのが日本ですが、2012年後半にアベノミクスが始まってから、各国の水準に並ぶようになりました。

 

 

論点4;雇用の回復の割に、GDPは伸びません。

リーマンショック後に目立つ世界的な傾向として、「マネー供給量とGDPとのギャップ」が目立っています。つまり、各国の中央銀行が市場に流すマネーが、実体経済になかなか回らず、GDPが期待ほど伸びないのです。背景には、「世界の人口高齢化」、「重厚長大産業からデジタル産業へのシフト」等があるかと思いますが、上記の結果、日本だけでなく世界的に、次の現象が起こっています。

・企業の内部留保が拡大
・金融市場(株式、不動産)へのマネー流入と値上がり

 

上記の事実から、フェアにみて、私はアベノミクスを「先進国のどこでもやってる当たり前の経済政策」だと理解しています。

というか、バブル以降、アベノミクス以前の日本が、「金融政策の動員」まで含んだ包括的な経済刺激策を何故やれず、失われた20年を迎えてしまったのか?海外からみるとそれが不思議ですが、

私は日本の有権者なので、その理由が当然分かります。第二次安倍政権は、「金融政策の決定権を、財務省の官僚から首相官邸に移した」という意味で、諸外国はともかく日本政治にとっては大変革だったのです。

 

論点5;アベノミクスは、「左派的」な経済政策といえます。

なお世界的にみれば、アベノミクスを含む、金融緩和による経済政策は、「リベラル、左派」の政策とみなされます。市場にお金をジャブジャブ流すので、株や不動産持ってる個人や企業を先に潤す面はありますが、企業活動の活性化や需要拡大を通じて結局は雇用を増やし、失業者を減らすことにつながるので、欧米の左派政党の間では定番の政策です。

いま、安倍さんが経済界トップに「労働者の給料を上げてください」と頼むなど、労組トップみたいなことをやってますので、誰からみても、これは左派的なアプローチといえるでしょう。

 

論点6;アベノミクスは実際、左派的に成果をあげています。

下図が、日本の就業者数推移(出典:総務庁統計局)になりますが、アベノミクス始動後の就業者数増加は劇的で、287万人も増えています。

2012年12月アベノミクス発足時⇒6263万人
2017年9月現在⇒6550万人

また、失業率と自殺者数は、日本の場合、驚くほど相関性が高いですが、数字をみる限り、アベノミクス以降は明らかな成果が上がっています。

失業率 4.3%(2012)⇒2.8%(2016)
自殺者数 27,858名(2012)⇒21,897名(2016)

 

論点7;反アベノミクスの二つの方向性

「弱者にやさしく」、「実際に成果もあげている」アベノミクスに対して、日本政治の現実のなかで反対の立場をとるにはどういう選択肢があるのか?方向性は大きくわけて二つかと思います。

 

1)自民党内の反アベノミクス派=財務省派=金融引き締め派

石破茂氏、野田毅氏など、財務省のペーパーを使って「反アベノミクス勉強会」やっているグループがこれに該当します。経済的な主張内容は消費増税早期実施による財政規律の確立、金融緩和政策に対する懸念等。「財務省」(と、それにつながる業界団体)の主張内容そのままという印象です。あと、今や忘れ去られつつありますが、小池百合子さんが国政選挙の時に標榜した「ユリノミクス」(英語で聞くと、ま~下品ね)も、「金融緩和と財政出動に過度に依存せず」と言ってたので、その点は財務省的なのかもしれません。


2)左派野党の「ポーズだけ反アベノミクス派」

立憲民主党に典型的ですが、経済政策の本音はアベノミクス支持。でも政治的立場上、安倍首相に反対の立場をとらざるを得ない諸政党がこれに該当します。同党の公約要旨をみると、護憲や安全保障はともかく、経済政策面は2019/10の増税反対を除き、ほぼアベノミクスの焼き直しにみえます。

 

論点8;反アベノミクスを、もっと詳しくみてみよう(私見もまじえて…)

1)財務省的な(石破茂さん的な)反アベノミクスは、要は財政緊縮策ですので、欧米の政治では「(どちらかといえば)右派的」「IMF的」「銀行管財人的」なアプローチとされます。

これやると、ほとんどの場合、国民(特に弱者)に負担を強いることになるので、欧米の左派政党はあまり採用しない政策です。また、緊縮策は現実政治のなかではたいてい失敗します。ユーロ危機時にドイツ(銀行団)がギリシャにやらせて失敗したのは記憶に新しいですね。

私の意見…ようやく景気が上向き、デフレ脱却がみえてきたとはいえ、まだ動きが弱い今の段階の日本で、この政策を性急にやるべきじゃないと思います。日本はデフレに逆戻り、まともに就職できるようになった若者たちを再び失業と低賃金労働の奈落の底に落とすでしょう。

 

2)左派野党の主張する反アベノミクスは、何を聞いても「修正アベノミクス的」で、安倍さんのやってることとの本質的な違いが分かりません。左派政党を標榜していたのに、左派的経済政策で安倍首相に先手を取られ成果をあげられてしまった苦渋が滲み出ています。

 

強いていうなら、「アベノミクスで経済格差が広がった」というポイントですかね。金融緩和やれば、まず株が上がる、不動産が上がる。お金持ちはますます豊かになる、でも庶民には関係ない。だからアベノミクス反対…みたいな。

 

でもねえ、「お金持ってる人に良い情報が集まる」、「投資リテラシーある人が真っ先に利益を上げる」のが、資本主義経済の道理ってものですよ。お金なくてリテラシーもないフツーの庶民に、誰が好き好んで良質な投資話を持っていくと思います?実際にそれやってるのは、初心者イーター系、貧困ビジネス系の怪しい人ばかりではないですか?

だから、金融緩和の初期に、株や不動産持ってる人、情報・知識のある人が先に豊かになるのは当たり前。どの国だってそうです。福祉国家のスウェーデンやデンマークだって、マイナス金利やったら不動産価格上がって、ストックホルムやコペンハーゲンに家持ってる人が真っ先に潤うわけでしょう?

そういう時期を経て、しばらく経ってから、株高で潤った企業が事業拡大のため労働者の雇用を増やし、ようやく庶民層や弱者にも恩恵が徐々にいきわたるわけです。現にアベノミクス以降、287万人の就業者が増えています。失業者も自殺者も減っています。

それを踏まえて、あなたたちが左派政党としてやるべきことは何ですか?無理やり、分かりにくい反安倍のポーズ取ることよりも、「アベノミクスもっと徹底的に、きめ細かくやれー!」とケツを叩くことが、弱者保護を標榜する、左派の本来やるべきことではないですか?

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日本の次世代のために経済成長を

おはようございます、Manachanです。今回は、「経済成長と社会的弱者の関係」について書いてみます。

日本では自民党、安倍政権が解散総選挙で圧勝しました。国政レベルでは今後4年間、東京オリンピック後まで、今の体制でいきそうです。今回の結果は、野党側(特に希望の党)の戦略ミスもありますが、比較的堅調な経済状況が、現政権を後押しした面が大きいと思います。特に若い世代ほど、自民党、安倍政権に対する支持率が高くなっており、巷では、「自民党の世なら就職できる」との声も聞こえてきます。

 

日本のいまの経済状況は、かつての好況とは様相が違います。株価や企業収益は絶好調、でも個人消費が盛り上がっているわけではない。雇用は絶好調、地価も上がっている、でも給料や物価が勢いよく伸びているわけではない。GDPの伸び率もそれなり(1~2%)。

私は、「バブル後、約20年間続いた無成長の時代が終わり、普通の欧米先進国レベルの低成長時代に入った」と理解しています。低いレベルの安定成長ゆえ、給料も個人消費も物価も勢いよく上がるかつての好況期とは違います。GDP=(労働者数x労働生産性)ですから、そもそも日本の総人口や労働年齢人口が年間数十万人減る局面のなかで高い成長は難しいですよね。今の状態なら、まあ御の字かと。

 

2012年末に登場したアベノミクス、何をもって成功というかは定義によりますが、それが「デフレ・無成長時代からの脱却」であるならば、今のところ、成功を収めつつあるという評価が妥当だと思います。ただ、これはアメリカや中国の経済状態が良いことが前提で、彼の国が不況になった時、日本がどうやって出口をとるのかという意味での不安はありますが。

とりあえず「アメリカが調子良い今のうち日本も成長しちゃえ」、ですかね。

 

低いレベルとはいえ堅調に成長してきたここ数年の日本で、若い世代のあいだで次の変化が起こっています。

・今のタイミングなら学校出た後、普通に就職できるようになった。

・普通に就職できるおかげで、ブラック企業を避けるという選択肢もできた。

ワタミ裁判や、電通の過労死事件という時代背景もあり、ネットでは「ブラック企業」に関する匿名投稿の情報があふれています。そこには「ブラックな職場を避けて、ホワイトな職場を選びたい」という若者の意識があるのだと思います。

(とはいえ、彼らの選択が賢いとは言いませんけどね。未だに人気就職先の1位、2位がメガバンクですから…)

 

ところで、就職をひかえた若者世代は、シングルマザー、障がい者、所得の低い地方の住民と同様、日本の労働市場のなかでは「社会的弱者」に分類されることが多いと思います。就学中の若者は労働市場で働いた経験がない分、不況になったら真っ先にしわ寄せがくる、という意味で。

特に、産業構造が高度化して、プロフェッショナルな仕事が求められる先進国ほど、若者の失業率は他の年齢層に比べて高くなります。日本も例外ではありません。

 

やや見にくいですが、下図は、日本の若年層(赤色=15~19歳、緑色=20~24歳、紫色=25~29歳)と、青色=全世代との失業率の推移(1989~2016年)です。

・若年層失業率は、全世代に比べて常に高い水準にある。

・1997年アジア経済危機と、2008年リーマンショックの際、若年層の失業率が特に大きく上がっている。

・2001~07年の「小泉時代」と、2012年~の「第二次安倍政権」時代に若年層失業率は低下している。特にここ数年の改善はめざましく、かつてのバブル期と同レベルになっている。

 

ここからわかることは、明確で

・若者は他の世代に比べ、雇用の面では弱い立場におかれている。

・失われた20年の「無成長」時代、若者の雇用は明らかに悪化した。

・彼らの雇用を改善するファクターは、「経済成長」以外にない。

 

さらにいうと、

ゼロ成長の経済は、若者や経済弱者にとって極めて過酷な世界

 

といえると思います。実際、いまの30~32歳、或いは43~45歳の就職氷河期世代の大卒当時の話を聞くと、「どれだけ頑張って面接受けても採ってくれなかった」、「就職など最初から諦めていた」、「酷いブラック企業だと知っていてもそこで働く以外なかった」等、シビアな話が出てきます。

 

今年1月4日、朝日新聞の編集委員が、「ゼロ成長はそれほど悪なのか?」という問題提起をして、ネットで紛糾したことがありました。

 

紛糾して当然でしょう。今の経済社会におけるゼロ成長は結果的に、社会的弱者に対する酷いしわよせ(貧困椅子取りゲーム)を伴うのです。

 

ゼロ成長になって、富める者が貧しき者と、財産や職を平等に分け合うほど、人間社会はうまくできていません。日本を含め、どの国でも、経済が伸びない世の中ほど、人は既得権益にしがみつこうとしますし、そこに参入する者を強烈に排除しようとします。

パイが増えない世界は、富や雇用にアクセスできる情報を持つ者が圧倒的に優位になります。会社のポストが減らされる、誰の首を切るか、という段になっても、社員を解雇するのは大変だしコストもかかります。首切られる側も必死で抵抗します。そんな状況下で、まだ労働市場に入っておらず、雇用にアクセスできない世代が割を食うのは自明の理。

つまり、不況で就職口が限られてくると、新卒の若者世代は、大人たちとの椅子とりゲームに勝てないのです。彼らを救うには、椅子を増やさなければなりません。そのためには経済成長が必要。企業の株価が上がり、事業の収益見込みが改善し、採用を増やそうという流れになってはじめて、新卒・第二新卒の採用が増えるのです。

 

私は、今の野党(特に左派、リベラル)が、社会的弱者を救おうと強調する割に経済成長には無関心なように見えるのが、気に食わないです。彼らを何とかしたければ、まず経済成長が必要…それが、資本主義社会のリアルな現状認識だと思うからです。

朝日の編集委員みたいに、ゼロ成長でいいやあ、というのは、若者はじめ社会的弱者に対して無責任で残酷ゆえ、賛同できません。むしろ、「もっと給料上げろ、労働環境を改善しろ、経営者もっと考えろ」と声を上げるのが彼ら本来の仕事でしょうに。

いま、私を含めて働き盛りの大人は、日本の次世代がちゃんと就職できるように、社会的弱者が浮かばれるように、よく考えて働き、経済成長する強い日本をつくることが責務だと思います。

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「アベノ開国エコノミー」人口減に挑む

こんばんは、Manachanです。いつもご愛読ありがとうございます。今回は、「日本の将来人口と安倍政権の政策」という、大きなテーマでブログ書きます。

2012年末以来、安倍晋三首相率いる内閣は、計4回の改造を経たとはいえ、戦後まれにみる長期政権となりました。スキャンダル等で支持率を落とす局面はありましたが、客観的にみて諸外国に比べれば安定した政権といえるでしょう。

 

彼の名を冠した経済回復策「アベノミクス」。登場4年半を経ましたが、よく言って、まだ道半ばの感があります。在任中に消費税増税という不利なイベントがあったとはいえ、経済成長率とかインフレ率といった指標をみれば、目標数値をなかなか達成できません。でもフェアにみて、20年もの長きにわたって経済不振に悩み、かつ世界に例をみない急速な少子高齢化と人口減少に悩む国ですので、どの指導者が何をやっても、成果が出るまでに相当時間がかかると思います。

なお、近未来の経済成長につながりそうな、構造変化的な兆しはいくつか出ています。「失業率低下(=ほぼ完全雇用)」と「有効求人倍率の高止まり(=かなり深刻な人手不足)」は、労働者の賃金上昇や正社員増加を想起させます。自殺数もなぜか劇的に減っています。また、日本を訪れる観光客は爆発的に増え、アジア有数の観光立国に変貌を遂げつつあります。

そして何より、「日本の総人口が、当初予想されたより減っていない」ことが、経済を下支えしている面は大きいとと思います。

 

安倍首相が、ガチガチの国粋主義者というイメージを抱く人は相当数居るでしょう。一部マスコミがそう喧伝してますし、また憲法改正をめぐる彼の言動が、国粋主義を連想させる面もあるでしょう。でも、経済政策の面でいえば、国粋主義のイメージとは全く逆です。統計数字を解析する限り、私は、次のように理解しています。

 

・近年の歴代政権のなかで、今の安倍政権ほど、外国人の入国・定住に対して開放的な政権は例を見ない。

・今の政権は、たぶん日本の歴史上初めて、外国人を日本に呼び込んで、経済発展につなげる開国政策に舵をきった政権として、後世に記憶されると思う。

 

統計数字でみてみましょう。安倍政権が発足したのが2012年末。その翌年から、「海外からの日本の人口純流入」がいきなり「プラス」に転じて、今日まで拡大を続けています。前任の民主党政権(菅・野田首相)と比べると一目瞭然。

民主党(菅・野田)政権下
2011年マイナス78,984人、2012年マイナス78,885人

自民党(安倍)政権下
2013年プラス14,378人、2014年プラス38,686人、2015年プラス94,438人、2016年プラス133,892人

 

外国人の純流入が増えた結果、どうなったか?日本総人口の年間減少数が、民主党政権下では「20万人台」だったのが、安倍政権になってから「10万人台」に緩和されているのです特に2016年は、外国人流入が日本人減少の約半分を補った計算になります。

民主党(菅・野田)政権下
2011年マイナス233,119人、2012年マイナス241,476人

自民党(安倍)政権下
2013年マイナス178,769人、2014年イナス176,605人、2015年マイナス142,405人、2016年マイナス161,973人

 

安倍政権下で、短期の観光以外の在住資格を得て来日した外国人数は急増しています。政権発足当時と2016年を比べると「3年間で約16%増」。2016年の動態を一言でいうと、「323万人が入国、309万人が出国して、差し引き14万人が日本国内に新たに定住した」ことになります。

民主党(菅・野田)政権下
2011年2,764,665人、2012年2,835,515人

自民党(安倍)政権下
2013年2,782,006人、2014年2,874,802人、2015年2,985,346人、2016年3,227,596人

在日外国人の存在は、急速に高齢化する日本の人口構成を、少しだけ若返らせています。日本人の平均年齢46歳に対し、在日外国人は20代と30代が圧倒的に多いのです。性別でみると女性の方が多く、出産適齢でもあるので、結果的に日本生まれの外国籍者を増やしています。あと高齢者の割合が少ないため、外国籍の出生数は死亡数の2倍以上になります。

2016年の数字が象徴的ですが、この年は、「日本人の出生数が100万人を割った」ことがニュースになりました。でも数字をよく見ると、日本人の出生数は987,747人、外国人が日本で出生した数16,321人を合わせると1,004,068人。在住外国人のおかげで出生100万人を辛うじてキープしたことになります。

なお2016年は、「外国人が日本に定住しているだけで、年間1万人が自然に増える」時代の幕開けになりました。外国籍者は日本で1万6千人生まれ、6千人死ぬから、差し引きプラス1万人です。安倍政権になってから、外国人の日本での出生数はさらに加速しています。

民主党(菅・野田)政権下
2011年11,702人、2012年12,714人

自民党(安倍)政権下
2013年13,245人、2014年14,376人、2015年14,638人、2016年16,321人

 

ここで閑話休題。ここ数年、来日する外国人観光客が爆発的に増えて、東京大阪のホテル不足や民泊ブーム、爆買い景気などを引き起こしましたが、これも今の安倍政権下で起こった現象といえます。訪日外客数データを、長期スパンでみると一目瞭然

自民党(小泉・安倍・福田・麻生)政権下
2001年477万人、2002年524万人、2003年521万人、2004年614万人、2005年673万人、2006年733万人、2007年835万人、2008年835万人、2009年679万人

民主党(鳩山・菅・野田)政権下
2010年861万人、2011年622万人、2012年836万人

自民党(安倍)政権下
2013年1036万人、2014年1341万人、2015年1974万人、2016年2404万人

 

安倍政権の4年間で、観光立国戦略で先行した韓国を一気にゴボウ抜きしたのは記憶に新しいですね。なお、2017年は北朝鮮の不穏な情勢を受けて韓国への観光客が激減した一方、日本へのインバウンド観光は好調なので、日韓間はダブルスコアの差がつきました。日本はすでに中国、タイに次ぐ、アジア第三位の観光立国と言ってよいでしょう。

 

ところで、読者の皆様は2014年5月に、こんなニュースが出たのを覚えておられますでしょうか?

 

人口、50年後に1億人維持 政府が少子化対応で初目標

 

このまま日本の人口が減るに任せていると、2060年時点の推計で8674万人まで人口が激減し、国際的な地位や国民生活の水準が低下し、財政破綻を招くと懸念されるため、政府が2020年までに少子化対策を集中的に進め、同年の人口を1億人以上(10545万人)に維持するという、極めて野心的な内容でした。

詳細な内容については、紙幅の関係で割愛しますが、統計数字を分析した私が思ったことは、

 

・安倍首相は、マジ本気で、日本の人口減と経済衰退に歯止めをかけたいと考えており、その一環として「在留審査緩和による外国人受け入れ」を、事実上の国策として推進していると思われる。

・もちろん、少子化対策の本命は現役子育て世代への政策的支援による出生率向上だが、その効果が出るには時間がかかる。政権執行部は、私がブログで分析した数字等は百も承知で、「日本社会が許容する範囲で、外国人をどう受け入れるか?」を、極めて現実的に考えているはず。

・一時的な落としどころは、おそらく、「日本人の自然減の半分を外国人の受け入れで補う」あたりかと…そうすれば、目に見える出生率改善が起こらなくても、2060年に人口1億人以上は維持できる計算になる

・その目算がついたからこそ、安倍首相は2014年の時点で、「人口1億人キープ宣言」をした可能性があると思う。実際、彼は宣言後2年で、「日本人自然減の半数を外国人流入で補う」状態を実現している。

 

なお、「事実上の移民受け入れをするなら、まず、日本国民にその是非を諮って欲しい。議論を深めて欲しい」という意見もあるかと思います。私は欧米の社会で長年暮らしてきたので、特にそう願っています。でも、日本の政治社会の現実を考えるに、多分それは無理な相談なのだと思います。

 

・日本社会は、指導者が理想の将来像を打ち出して、国民各層がその実現に向かって進んでいくというかたちでは動かない。

・善悪や、あるべき論ではなく、いま日本に暮らしている人々の気分や情緒で物事が決まる社会。だから、国民が移民受け入れの気分にならないうちに、首相がそれを打ち出したところで、政治的に墓穴を掘る結果にしかならない。安倍首相の立場からすれば、政敵に攻撃の口実をつくるリスクにしかみえない。

・だから、物事を表面化するよりは、「ビザ運用緩和による外国人定住促進」という、国民に見えにくい場所で人口を維持する努力をしていると考えられる。

 

私自身は、日本の経済や国民の生活水準、国際的地位や安全保障、財政の観点から考えて、日本の人口水準はできるだけ維持すべきと考えます。なぜなら、人口が減る、急速な高齢化が進むと、誰もが考えている社会で、積極的な設備投資やイノベーションは起こらないし、将来不安から消費マインドも委縮して、後はもう沈むだけになってしまうからです。日本はこんなに素敵な国なのに、子供たちに仕事も夢もない経済衰退国家を残したくありません。我々現役世代が、日本衰退を運命だと諦めず、それに極力抗うべく、果敢にチャレンジすべきだと思います。

その観点から私は、現実的な手段を駆使して人口の維持に努める安倍政権「アベノ開国エコノミー」を評価します。そして何より、我々国民は安倍自民党を選挙で選んでるわけですから、好き嫌いや評価はどうあれ、現政権が何を目指して行動しているかを、正しく理解すべきだと思います。

 

【関連ブログ記事】

外国人受け入れと首都圏再集中の構図(2017/5/5)

実はあまり減らなかった日本の人口(2017/1/4)

 

【参考資料】(※誰もがアクセスできる、簡単な統計だけを使って分析しました。)

総務省統計局、人口推計

日本政府観光局、訪日外客数統計

韓国観光協会、Korea, Monthly Statistics of Tourism

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体型のこと言われると不快な理由

こんにちはManachanです。先ほど中米のパナマに飛んできました。あの「パナマ文書」事件のお膝元になった国で、明日から不動産視察してきます。

パナマに来る前は、アメリカに3日間いて、ウォルマートやアウトレットでズボンを買い溜めしてきました。私は日本人としては太めの体型で、かつ腰回りに対して太腿が大きいため、日本の既製服では自分のサイズに合う長ズボンが見つけにくいですが、アメリカやカナダ、オーストラリアの店では既製服どころかバーゲン品でも自分にぴったりフィットするものが多いので当然買います。

逆に靴になると、欧米の店より日本の方が自分に合うものを見つけやすいです。私の足は甲高段広で、靴は4Eくらいで丁度良い。そういう足は欧米人より日本人(東アジア人)に多いみたいですね。

仕事柄、世界中を旅してますが、広い世界には本当に様々な体格、肌の色、髪の色、顔かたちの人間がいます。欧米各国、特に都市部はバラエティ豊かで、さながら「世界人類いろんな体型の博覧会」のようです。日本だと、基本的に皆、似たような顔かたちや体型をしているので、私などは時々体格で目立つようですが、アメリカに来ると全く目立ちません。

私の体型に関するコメント(「デブ」「太い」「ダイエットした方がいい」等)は、日本にいると結構な頻度で言われますが、日本や東アジアを離れると、まず言われなくなります。特にオーストラリアには5年も住んでて、当時の体格も今と変わらなかったのに、そのことを言われた回数はゼロでした。

確かにオーストラリアには老若男女問わず肥満体が多く、日本の方が標準体重の人の比率が多いと思いますし、それは素直に評価します。でも精神的な面でいうと、私にとってはオーストラリアやアメリカに居た方がずっと気が楽です。なぜなら、体格のことで不愉快なことを言われないから…

ひとつ象徴的な話をしますね。私の妻はオーストラリアで育ち、今は日本で子育てしています。子供たちは日本で育ち、日本人の通例に倣ってお友達を「デブ」とか「ガリガリ君」とか、その外見的特徴を口に出して揶揄しますが、妻はそれは良くないことだとたしなめます。

「人は皆、違うんだよ」

「誰もが、いろんな体型、肌の色髪の色をしている。それは大事な個性なんだから受け入れてあげなさい」

私も、妻のいうことはフェアだと思います。

外見だけで判断して、「あなたは○○だ」とコメントする。それが内容と文脈によっては不適切になりうる…そのことに余りにも無頓着な日本人が多いと感じます。

子供だけじゃなく、良い歳した大人でも、私のフェイスブック写真とかみて、「太い」とか「不摂生」とかいう。悪気がないの分かってるけど、私に言わせれば不愉快です。

あんた俺のお袋や嫁でもないし、うちの会社から給料もらってる社員でもない。保険金の受取人でもない直接の利害関係ない人なんでしょ?だったら俺の体型を別に心配する必要ないと思いますけど…

もし善意で言ってるなら、もっと気味悪いです。健康は大事だけど、世の中、誰もが健康至上主義者じゃないんです。私はたぶん、あなたと違う優先順位で人生を暮らしています。

アドバイスしたいんなら、少なくとも、私がその気になったのを確認してからやるのが筋だと思いますよ。私は大人ですから、減量する気になれば当然その意思表示はします。

最後にひとつ補足。私はGW明けに自宅でミニトランポリンを買い、日本に居る時は家族揃って一日10〜20分のエクササイズをしています。あと、妻に頼んで、野菜の多いメニューにしてもらってます。海外出張や外食が多いので維持が難しいですが、私なりにいろいろ考えて、徐々に取り組んでいます。

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人の時間と情報はタダじゃないけど…

こんばんは、Manachanです。明日の夜からまた海外出張ですが、今晩は東京の自宅で家族とTVの前でまったりしてます。

今日は土曜日、娘をアプリ開発教室に連れていく途中、こんなこと言われました。「パパはたぶん、日本一、楽してる大人だよね」と…ま、誉め言葉として受け取っておきましょう。

 

独立自営の事業主になって、4年余。日々、時間の使い方は自由です。自宅でも事務所でも旅先でも、好きなところで仕事できます。満員電車とも社内政治とも無縁。その意味では、確かに楽してるかも…そんな自由度の高い働き方が、私自身とても気に入っています。

でもよく考えると、私は自由な時間を「お金」に換えていかねばなりません。一家4人を食わせて学校に通わせる他、社員と自分の給料、事務所家賃、旅費滞在費、広告費、税務申告費等々を捻出し、創業・運転資金の元本利息を返済し、さらに利益も上げなければなりません。

事業主の境遇になると、サラリーマン時代よりは確かに、「時は金なり」だとリアルに感じます。ま、サラリーマンも会社組織を通じて、間接的には労働時間を給料に換えているわけですが、事業主の場合、毎月決まった給料が振り込まれるわけじゃない。自分で動いて売上あげなきゃならないし、そのために使うリソースはとりあえず自分の時間しかないわけだから…

 

とはいえ、私自身、「カネにならない仕事は一切しない」、「カネ払わない客とは一切付き合わない」とドライに割り切ってるわけではありません。むしろ逆で、当面カネになりそうもないことに、贅沢に時間を使っています。それは、

・将来の新市場開拓につながる(かもしれない)海外出張だったり…
・将来ビジネスパートナーになる(かもしれない)方々との面談や飲みだったり…
・旧知の友人に会いに行ったり…
・海に行ってのんびりしたり、知らない街を歩いたり…
・震災被災地でいろいろお手伝いをしたり、地元の方と飲んだり…

 

ま、もろもろありますが、カネになる云々はともかく、私が「有意義な時間の使い方」だと思うことをやってるんですね。何をもって有意義だと感じるか?その多くは、「相手」あってのことです。

・一緒に時間を過ごして楽しいと思う相手
・情報交換して有益だと思う相手
・自分をさらけ出して、本音でつきあってくれる相手

 

そろそろ本題に戻ります。本質的にいうと、私の時間、あなたの時間はタダではありません。相手に時間を使ってもらうには、それなりの「対価」を支払い、それを相手に認めてもらう必要があります。

その「対価」は、どんなかたちでも構いません。当然、お金でも良いし、情報でもネットワークでも良い。あるいは「人格」でも良い。上述「一緒に時間を過ごして楽しいと思う」ような相手なら、私は彼または彼女がすでに対価を払っていると見なし、その人のためにいつでも無条件で自分の時間を使う用意があります。そうじゃないフツーの相手の場合、私は自分の時間を使い情報を提供する対価として、お金をいただくことがあります。

 

私の大好きな「旅」の世界でいうと、たとえば、ネットを使った宿泊形態として、たとえば「AirBnBや途家などを通じて宿代を払う有償型の民泊」もあれば、「カウチサーフィン」という、無償で泊まる形態もありますよね。

「カウチサーフィン」が成り立つのはなぜか?泊める人(ホスト)と泊まる人(ゲスト)が、お互いに旅の情報交換をする、お互いの家に無料で泊めあうなど、「お金には換算できないけど、それに代わる何か」を対価として与え合っている。その前提があってはじめて成り立っています。

もう一つ、私の大好きな「外国語学習」では、「ランゲッジ・エクスチェンジ」(Language Exchange)といって、お互いの言葉を無料で教えあうことが広く行われています。私も日本語や中国語を教える見返りに、タイ語やベトナム語、マレー語を教わったことがあります。言い換えると、相手にタイ語を教わる対価を、日本語を教えることで払っているわけです。

最近の私は忙しいので、以前よりも対価を「お金」で払う頻度が増えています。カウチサーフィンとか好きだけど、朝から晩まで忙しく動き回るのでビジネスホテルにお金を払って泊まった方が気楽だと感じますし、ランゲッジエクスチェンジ好きだけど時間がないから、お金を払ってタイ語やインドネシア語のプライベートレッスン行ったりしてます。

 

以上まとめると、

・相手の時間は、タダではない。
・時間を使ってもらうには、相手にとって有益な何らかの対価を払う必要がある。
・その対価は、お金でなくても良い。人格、情報、ネットワーク等でも良い。

 

それが人間社会の掟だと思いますし、大部分の大人は理解しておられますが、世の中には、「相手の時間がタダ」で、「対価を支払わずにいくら使っても良い」と誤解している方も、少数ながら存在します。

特に、「自分のやってることが正義だと思い込んでいる人」にそれが目立ちますね。正しいことをしてるんだから、その目的のために相手のリソース(時間や情報)をどう使っても許される、という思考回路であるよう。

 

しかし世の中、往々にして、「あなたの正義が、私にとっても正義であるとは限らない」。価値観や感性を共有しない相手の時間を使わせていただくには、相応の対価を支払う必要があり、それをやらないと嫌われます。

モンスターペアレントとか、横暴な客とか、独善的な社会運動家とか、いろんなタイプがありますよね。お金を払うとか、相手に有益な情報を提供するとか、それ以前に「性格が良くて面白い奴」なら何だかんだいって許されるのですが、そのどれも提供できないと、結局、誰にも相手にしてもらえなくなります。

 

人生は時間でできています。繰り返しになりますが、私の時間もあなたの時間も、本質的にはタダじゃないので、相手の時間を使わせていただくには、それなりの対価を提供するのが世の掟。言い換えれば、人間は「金銭的または非金銭的な対価のやり取り」をしながら、お互いの時間や情報をシェアし合っているのだと思います。

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410円タクシー登場の東京が住みやすい!

おはようございます。Manachanです。

今月から私は、自宅近くでのタクシーの利用頻度が大幅に増えています。つい先月まで、日本国内でタクシーを使うことはほとんどなかったのですが、2月1日より東京のタクシー初乗りが730円から410円に大幅値下げされたのをきっかけに、「1㎞以内のちょい乗り」のヘビーユーザーになりました。

東京23区および武蔵野市・三鷹市のタクシー料金は、このように改訂されました。詳しくはこのニュース参照。

 

改訂前  初乗り730円(2㎞まで)、その後、280mごとに90円加算

改訂後  初乗り410円(1.052㎞まで)、その後、237mごとに80円加算

 

この改訂によって、2㎞以内の「ちょい乗り」が大幅に安くなりました。1.2km以内なら「ワンコイン」でお釣りが来ますからねえ。2kmを超えると料金これまでと変わらず、6.5㎞以上だと値上げらしいですが、どっちみちそんな距離乗ることは少ないし…

それよりも、我が家のある江東区東陽町近辺で、タクシーの「ワンコインちょい乗り」は、ものすごく意味が大きい、むちゃくちゃ利便性アップです。なぜなら、

 

・我が家は東陽町駅南側の住宅街にあり、そこにはみるべき商業施設がない(コンビニとマイバスケットだけ)

・一方、駅の北側には、「西友」、「OKストア」、「いきいき生鮮市場」という「3大スーパー」が集結し、日々安売り競争を繰り広げている。八百屋も中国食材専門店もあって地味に重宝。

・隣の木場駅には、イトーヨーカドーがあり、こちらに買い物に行くことも多い。

 

東陽町駅北側や木場駅の商業施設まで、我が家からの距離は約1㎞。これまでタクシーの初乗り730円だったので、買い物帰りの利用としてはちょっと割高感がありました。でも410円になれば、話は全く別。この寒空のなか、買い物帰りのビニール袋持って15分歩くよりも、「ワンコインでお釣りがくる」料金で家まで運んでくれる、こりゃ使うしかない。

また、1.5㎞程度の利用にもお得感が出てきました。先々週と先週は、息子と娘が相次いでインフルエンザにかかり、行きつけの小児科(江東区古石場)まで約1.5㎞、何度かタクシー乗車しましたが、料金改定前は800円したのに今は650円で済むので有難い。

さらに、我が家から東陽町駅まで、約700m、歩くと8~10分で着きますが、我が家の前に410円タクシーがいつも停まっているので誘惑に負けて「ついつい」乗ってしまいます。

 

こんな感じで、タクシー初乗りが410円になったことで、私のライフスタイルは激変しました。まるでバンコクに住むタイ人が、徒歩5分の道のりさえ歩かずに、10バーツ払ってバイクタクシーに乗るように、私は東京で410円タクシーを足代わりに使うようになってしまいました。

近距離でタクシー使うのが良いのか悪いのか、分かりませんが、少なくとも以前より劇的にラクです。東京の街がsらに住みやすくなったのは確かですね。

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「京都ぎらい」考察

こんにちは、Manachan@成田空港です。遠いヨーロッパへ旅立つ前に、ブログをひとつ。

昨日、近所の書店で、いま話題の本「京都ぎらい」が平積みされていたので、速攻で買いました。私はこういうタイトルの書籍をみると、反射的に買う習慣がついています。

 

私は不動産マニアで、とにかく「地域考察」が大好き。特に、「どの都市では、どこまでが市内とみなされ、どの地域が田舎だと見下されているか?」…これは、全国・世界規模で不動産投資をやる上で、不可欠な知識でしょう。不動産はペーパーマネーと違ってローカルなものであり、当該地域の人々の意識が不動産の需要や価値を決めてしまう面が大きいからです。

こういう土地勘や地理センスをないがしろにしてしまうと、たとえば、「業者にすすめられて買った富山市内の収益物件が、よく調べたらもともと婦負郡で、富山市に編入されたばかりの場所で驚いた」みたいな、笑えないジョークになりがち。富山市に限らず、平成の大合併で拡大した各都市の、「旧市内」と「もと郡部」の区別が即座につくような知識をつけたいものです。

 

そんな不動産マニアの私が読む「京都ぎらい」、とても秀逸な本でした。人々の心の中にある、差別意識、優越感、卑屈な心を、見事に言語化しています。1頁目からいきなり強烈な文章、

 

京都にはいやなところがある。私は京都市で生まれ育ったが(中略)今でも、この街のことは好きになれないでいる。

 

著者の井上章一氏は、京都市西郊の「嵯峨」そだち。現在は京都市の右京区に属し、嵐山や清凉寺など、名刹を多く抱える観光地…ですが、京都の街中(洛中)の人からは、よそもの扱いされるらしい。

 

行政上、京都市にはいっていても、洛中の人からは、京都とはみなされない地域がある。街をとりまく周辺部、いわゆる洛外の地は、京都あつかいをされてこなかった。

自分は京都市で生まれ育ったと、私は屈託なく言い切ることができない(中略)私は彼ら(=洛中の人)から田舎者呼ばわりされ、さげすまれてきた嵯峨の子に他ならない。

出身が京都府だという言い方なら、私もあまりためらいは感じない。

 

東京圏の辺縁部(千葉県柏市)で育った私も、その気持ちはなんとなく分かります。一見、「東京人」であるようで、やはり「東京人」とは言い切れないですね。

柏という場所は千葉県のはずれの方、東京と埼玉と茨城にすぐ出られる位置にあります。千葉の中心部(総武沿線の市川~船橋~千葉市)とのつながりは乏しい上に、彼地の人間からは「茨城扱い」されるので、自らを「千葉人」とも言い切れない(正直、自分の住まいがどの県に属しているのか、よく分からなくなる…)。

素直に「柏の人間」、それで通じなければ「首都圏人」だと思って欲しいです。この気持ちは、「京都市出身」じゃなくて「京都府出身」だと思って欲しい井上氏の心に通じるところがありますね。

 

それにしても、洛中(京都の街中)の人間の、「ウチ、ソト意識の激しさ」と、その地理的範囲の狭さには驚いてしまいます。引用つづく…

 

「お前なんか京都とちゃうやろ、宇治やないか」

「京都を西陣のやつが代表しとるんか。西陣ふぜいのくせに、えらい生意気なんやな

「山科なんかいったら、東山が西の方に見えてしまうやないの」

 

いわゆる「洛中」(北大路~西大路~九条通~鴨川)の範囲って、本当に狭いです。同縮尺の東京・山手線と比べてみると、一目瞭然。

rakunai

 

洛中の人が、西陣や山科(いずれも京都市内)の人をよそ者、田舎者と見下すのは、同一縮尺の東京でいえば、「東京駅近辺に住む人が、新宿や渋谷、池袋や六本木の連中を見下す」ようなもの。その構図を外からみると、可笑しい。

でも、先祖代々、洛中に暮らす人々にとっては、洛中こそ我が天地、「ほんまもんの京都」だと、大真面目に思っているわけです。そのプライドに、「京都ブランド」の価値の高さが拍車をかけます。「1200年の古都」には、東京のマスメディアが、大きな経費をかけて取材に訪れます。それを、井上氏はにがにがしく思います。

 

あなたたちが京都に、そうやっておもねるから、洛中の人々もつけあがるんじゃあないか。洛外が見下される一因は、東京メディアが京都をおだてることにもあるんだ

 

でも、「大阪人」だけは、京都をあがめまつることはしません。京都は下手にプライド高いだけで、実質的にすぐれてるのは大阪、大阪こそ関西の中心だと思っている彼らの京都観を、井上氏は痛快に思っています。

 

大阪のメディア人は、それほど京都の店をありがたがらないような気がする。京都の店がえらそうにふるまうことで、値打ちをつりあげていく。そういう上げ底のからくりを、近くにいるおかげで、見透かしているせいもあるだろう。

その点だけでも、私が大阪という街をありがたく思っている。首都のメディアがまつりあげる京都のすかした部分を、ないがしろにしてもらえる。洛中人士の誇らしげなところを、他の誰よりもあなどってくれるのは、大阪人である。

 

首都圏という、流動の激しい移民社会で育った私は、京都(洛中)に対する井上氏の強烈な葛藤や屈託を、全部は理解できないけど、でも「京都をおちょくる大阪人の見方」には親近感を覚えます。

それは、私は「京都」のブランド価値をあまり理解できないタイプの人間だからです。京都より大阪が好き。実質重視で、安くて美味い店がうなるほどある大阪は素晴らしい街だと思ってしまう私…大阪のコスパを知ったら、京都の観光地でクソ高い湯豆腐なんて食えるかと思う、そんな人間なのです。

もちろん、日本人として、そして、不動産に携わる人間として、京都のブランド価値を頭で理解する必要はありますけど、身体が、どうしても大阪の方を向いちゃうんですね。そういう意味で、私は関東産の「京都ぎらい」なのかもしれません。

 

井上氏の話題に戻りますが、洛中の人間に蔑まれ、強烈なコンプレックスを感じてきた彼は、より田舎にある地域を見下すことで心の安寧を得ようとする、その気持ちにひけ目を感じつつも否定できないと、正直に吐露しています。

 

京都の西郊に位置する嵯峨でそだった私は、洛中にひけ目を感じている。そして、洛中洛外のへだたりを知ってからは、より西側の亀岡をあなどりだした。田舎者よばわりをされた私は、より田舎びた亀岡を見いだし、心をおちつかせている。

南郊の宇治にすむ今も、より南側の城陽を、同じような目でながめている。

私が京都人をなじりたく思うのは、私に差別意識をうえつけた点である(中略)洛中が中心となる地理上の序列意識を、すりこんでいる。おかげで、私は亀岡や城陽を見下す、おろかな人間になってしまった。

 

ま、地域差別意識(?)の強弱はあれど、それは人間の本性なんじゃないかな。首都圏だって、たとえば埼玉の川越に住む人間が、下り方向の坂戸や東松山に対して、「あいつらより、俺らは都会人だぜ」、「奴らと一緒にして欲しくない」と思うことはあるわけで…

また、この現象は日本に限りません。例えばオーストラリア・シドニーでも、似たような「地域限定の序列意識」がみられます(シドニー版「ヒルズ族」のプライドと不動産考察)。井上氏がいみじくも言ってますが、

 

人間のなかには、自分が優位にたち、劣位の誰かを見下そうという情熱もある。これを全面的にふうじこめるのは、むずかしい。

 

不動産は、そんな「人間の本性」と直接向いあう仕事でもあります。土地建物は、文字通り「動かせない」資産。だからこそ、地域の人々のウチ・ソト意識、ミクロな序列意識、優越感や劣等感…それを理解した上で、不動産価値にどう影響するのか、見つめ続けていきたいと思います。

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