「学校適応が難しい子」と「担任教師の無理解」による厄災を防ぐ方法

こんばんは、Manachanです。今回は子育て、学校教育ねたでブログ書きますね。

うちの近所にお住まいで、お子様を評判の良い公立小学校に通わせている友人から、残念な報告が入りました。学校で小3のお子さんと担任教師がトラブルになり、身体的な威嚇まで受けたにも関わらず、その教師は何らの処分も受けずに他校に転籍、どうしても納得いかないので不本意ながら裁判沙汰にするという…

そのお子さんは「集中できない、落ち着きがない」性格で小さい頃から発達障害の傾向が見られたので、お母さんは学校選びにものすごく気を遣い、自宅から距離のある学校まで日々、行き帰りの付き添いもしてきました。それで小1~小2は理解ある教師に恵まれ順調にいけたのですが、3年の担任教師がとにかく性格が合わず、お子さんも教室に怖くて入れず、強いストレスを感じると暴発したりして、「〇君が暴れて他の子に迷惑かけてます」と言われて何度も学校に呼び出されたようです。

 

まだ親の言い分しか聞いてないですが、私はお子さんに同情しますね。まだ小3、学校生活がどれだけ怖くて、不安だったことか。登校しても教室に入れなかったのはなぜなのか、教師として、もっと子供に寄り添って懸念を理解できなかったものなのか?暴発という問題行動を起こしたのも、おそらく「感情の高ぶりをどうコントロールしてよいか分からない」というスキルの問題である可能性が高く、もしそうなら罰を与えても全く意味がない。この子に足りないスキルが何で、どういう理由・きっかけで起こるのかを、子供を預かるプロ教育者として考えられなかったものなのか?

その観点でいうと、間違いなく、担任教師のスキルが足りなかったのでしょう。問題の初期から親を巻き込んで解決策を練るような機転もきかず、「迷惑」という言葉で物事を断じ、結局親とも全面衝突して裁判沙汰にまでなってしまったわけです。さらに言うと、その教師を処分せず、他校転籍というかたちで「臭いものに蓋」した学校側のマネジメント能力も大いに問題ありだと思います。

間違いなく言えることは、こうした一連の出来事で、最もつらい思いをしているのはお子さん本人だということです。

 

振り返ると、私自身が、ある種の発達障害を抱えた子供だったので、この一件は身につまされます。我が小中学校生活は、まさにジェットコースター、担任によって天国にも地獄にもなりました。よく理解してくれる担任のもとで順調な一年を送っても、学年が進んで担任が変わると、また一から振り出しに戻ってしまうのです。

さらに言うと、当時は今以上に、「子供が変なのは母親のせい、子育てのせい」にされる世の中でした。学校の先生も周囲の親たちも、私の奇行の数々(青っ洟を垂らして汚い、忘れものが酷い、身なりが酷くだらしない、言葉で気持ちを表現できない、授業態度は最悪だけどテストの成績だけは良い等々…)を、家庭でしつけができてない問題だと解釈し、私の母親のせいにするのでした。

確か小5でしたか、通知表にこんな所見が書いてあったのを今でも覚えています。

 

「基本的な生活習慣ができてないので、周囲の子に軽視される傾向があります。家庭でのしつけを徹底してください」

 

それをもらった私は、悔しくて切なくて、母親に涙ながらに訴えました。

 

「いまの先生は、僕のこと、全然分かってくれないんだよ」、
「それなのに、みんながお母さんを悪者にするんだ、すごく悔しいよ…」

「そうか、分かった。マナブは、お母さんのために泣いてくれたんだね。ありがとう!」

 

そして、歴史は繰り返す。今度は私自身が大人になって、不登校児を抱えて子育てすることになりました。中1の娘ですが、この子は私よりも困難が見えにくく、学校では全く問題行動を起こさずフツーに見えるのですが、登校が難しく、自宅で育つ生活を何年も続けています。

娘も私の子供時代と同様、担任によってジェットコースターみたいに運命が変わる学校生活を送ってきました。小学校の6年間で、理解のある担任の先生にあたったのが2回、あとの4回は彼女にとってベストとはほど遠く、担任との相性や理解度が不登校に直結するわけです…困難を抱えた子供の学校生活というものは、かくもデリケートで、壊れやすい。

 

周りを見渡せば、娘のように学校生活に適応できない子が何人もいます。我が家は国際結婚ファミリーですが、両親とも日本人の家庭でも当たり前にそういう子はいます。そして、学校と子供の適応というテーマは国を問いません。以前ブログで書きましたが(不登校児、どの国で育てても大変)、オーストラリアで知り合いの男の子(両親とも豪州人英語ネイティブ)が、小学校を2回変わっても適応できず、校長・副校長先生の教育方針にも合わずに、現在はホームスクール(自宅学習)しながら育っています。

「当たりはずれ」(Hit and Miss)は人生につきものとはいえ、もう少し何とかならんものでしょうか?まだ幼い子供が学校で適応困難になったら、親も教師も大変な思いをするし、それ以上に子供が辛い。教師との相性の良し悪しは避けられませんが、相性の悪い教師に当たってもリカバリー確率を高める方法論や体制をつくれないものでしょうか?

 

私思うに、学校内に「子供の代理人」(Advocate)的な教師が居て、早期に適切な介入ができれば成功確率が断然高まると思います。私は小学校の2年(前半のみ)と6年で、娘は3年と6年で、自分を理解し、高く評価してくれる担任教師に当たりましたが、仮にそうでないタイプの教師が担任になってしまった場合も、相性の良い大人に引き合わせてくれたり、相性の悪い担任から上手に引き離してくれるような役目をしてくれる誰かが居てほしい。

それが「生活指導(不登校対応も含む)の担当教師」なのか「保健室の先生」なのか、「スクールカウンセラー」なのかは学校によって違うでしょうが、少なくとも子供の気持ちをよく汲み取ってくれて、かつ学校内の教師の性格やスキルをよく知り、かつ担任に勇気を持ってNO!と言える方が望ましいと思います。

 

娘の場合は、奇しくも、在籍中学校にある「にほんごくらぶ」の先生(外国出身で日本語が不自由な児童が授業についていけるようサポートする専門教師)に救われつつあります。たまたま、その先生が言葉の問題含めて学校適応に苦しんでいる生徒をたくさん見てきたから子供の代理人になれるわけです。さらに踏み込んで言うと、私たちの暮らす東京江東区が外国出身者を一定数抱える多文化の社会になりつつあり、それに対応しようとする学校側の動きが結果的に娘を救っている面があるわけです。

学校適応に困難を抱える児童は、担任の無理解によって大きなダメージを受けてしまうハイリスクな存在ですが、仮にそれが起こったとしても、問題行動を起こす前に「子供の代理人」によるタイムリーで適切な介入ができる体制を、各学校で考えてもらいたいと思います。

 

最後に、私は子供時代に辛い思いをした経験と、娘の不登校問題を活かして、日本の公教育の現場で教師の方々と協力して有益なインプットをしていきたいと思います。

私立に行くとか、インターや外国留学に行くみたいな、「教育をお金で解決する」アプローチを私は好みません。日本の国庫に少なからぬ不動産譲渡益税や法人税を払ってる納税者なんですから、その税金で運営される公立の学校に子供を通わせたいし、かつ、税金が十分活かされるように、保護者の立場から先生の能力を開発し、よい仕事をしていただく上で貢献したいと思います。

 

世界中を見渡すと、今の日本の教育現場で「先生が真面目で熱心」なのは、何にも代えがたい財産だと思います。公立学校の先生がロクな給料もらえない国、教師の副業や怠業が当たり前の国、それを嫌気した富裕層が子供を私立や外国に逃がす国なんて、世界中にたくさんありますもん。少なくとも日本では、普通の公立学校で、一定レベル以上の教育を受けた先生が熱心に職務に勤しんでますし、地域の保護者と対話しようという意識も高い。日本人の特性か、相手の立場に立った共感能力の高い教師も少なくない…客観的にみて大変恵まれた国に住んでいると思います。

個人差はあれど先生方が真面目で勤勉だからこそ、ポテンシャルも大きいと思いますし、日本社会に貢献する次世代を育むのに絶対不可欠な条件「どの子にも教育の機会を与える」という理念にも共感してもらえると信じます。もし、困難を抱えた児童が相性の良くない担任に当たり、タイムリーで適切なケアができなかった結果、「その子に教育の機会を失わせてしまう」のはもちろん良くないし、それを防ぐために学校側で何ができるのか、保護者と一緒に考えましょうという提案にもご理解いただけるはずと思います。

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不登校児、どの国で育てても大変…

こんばんはManachanです。今回は子育てネタでブログ書きますね。

私の娘は、東京都内の区立中学1年生。断続的な不登校が小学3年からはじまり、中学生になっても未だに苦労が続きます。今のところ、親が付きそうかたちで週に数回、放課後登校させています。現場では不登校児に理解ある先生が居るかと思えば、全く理解も興味もない先生も居ます。とにかく「相性の良い先生にあたるかどうかという、自分ではコントロールできない”運”に左右される学校生活」に不条理を感じながら、親として苦労や心配は今後ずっと続くんだろうなあと思います。

 

ところで、不登校児は、どの地域でもどの国でも一定割合で居るようです。私たちは国際結婚家庭で、日本の学校への文化的適応に問題が多いと言われてますけど、多分それは問題の本質ではないでしょう。両親とも日本人の家庭で育った子でも、日本の学校に合わずに不登校になる子は相当数いるわけですから…妻の実家があるオーストラリアでも同様で、両親ともオーストラリア生まれの白人の家庭で育った子でも、学校に合わずに不登校になるケースは当然あります。

「オーストラリア不登校」、身近な知り合いにもいますよ。両親とも英語ネイティブの家庭に育ち、学校の成績は問題ないのに、他の子供たちとの人間関係をつくることができない。まずは小学校低学年でいじめに遭い、親がみかねて転校させたのですが、その学校にも馴染めず結局不登校になってしまった。

 

「不登校」を、英語圏ではSchool refusalと言います。直訳すれば「登校拒否」。かなりきつい言葉ですね。思えば私が子供だった1980年代、日本では「登校拒否」という言葉が使われていました、当時は子供を登校させないことがとても悪いことだとされ、その批判の矛先が親に行ったり(親もつらいのにね…)、また学校側も、義務教育にもかかわらず「登校させないとお子さんが卒業できませんよ」と、半ば脅しをかけるような時代でした。

卒業証書をちらつかせされたら、親も当然、我が子を無理にでも行かせようとする。それが、さらなる悲劇につながるわけです。いじめ、自殺…いろんな問題が頻発するなか、文部省は1992年、全国の小中学校に向けて、こんな通達を出します。

・「登校拒否」ではなく「不登校」という柔らかい言葉を使おう。

・「不登校」は自然なことだと認め、そうなった子供を学校に戻すような仕組みを考えよう。

・「不登校」「無登校」であっても、義務教育なのだから、卒業証書は必ず出そう。

 

今ではさすがに、「登校拒否」という言葉を使う人は減り、「不登校」自体が社会的に認知されてきました。フリースクールや、インターネットを使った通信制の中学高校などの選択肢も増えてきました。とはいえ、(学校に行かず)自宅で育つ子供のための教育「ホームスクーリング」はまだ認知度も低く、方法論も十分に開発されていない印象です。この方面で先進的なのは、やはりアメリカをはじめとする英語圏でしょう。長年の歴史と蓄積があります。

でもって、「ホームスクーリング」が盛んな英語圏で、「不登校」のことをSchool Refusal(登校拒否)と言うのはなぜなのか?…その意味を考えたいと思います。

 

私の見聞した範囲でいうと、オーストラリアでは、「お子さんが学校に行けないなら家庭でホームスクーリングすべきでしょ?」というかたちで物事が処理されるようです。まず福祉局の人が来て、ホームスクーリングプログラムを親に考えさせて、家でやらせる…という感じなので、そもそも「学校に戻す」という発想自体が希薄なように思います。

そもそも、社会と学校の成り立ちからして、日本とは根本的に違う。特にアメリカでは、近代的な学校制度を国がスポンサーするずっと前から、教会や開拓者コミュニティが民間の学校をつくり、独自の教育を積み重ねてきた(リンカーン大統領もケンタッキーの開拓者の学校で学んだわけです…)。オーストラリアも開拓者社会なので状況は同じで、人口希薄な遠隔地も多いので、そういう地域で育つ子供に対する教育は、都市部の学校とは全く別の体系で、ラジオやインターネットを利用しながら長年行われてきました。つまり、「児童教育は学校が全てではなく、それ以外の方法でやっても構わない」、これが英語圏社会に共通のコンセプトだと思います。

 

逆にいえば、そういう教育の伝統だからこそ、公立の小中学校で不登校になったらすぐ、「School Refusal(登校拒否)ですね。学校で無理なら家でやってください!」と、突き放されるのだと思います。

一方、日本、韓国、中国など東アジアは学校信仰が強い社会であり、国の認めた学校以外での教育はなかなか認めない傾向がある。だから、不登校になったら家でやりなさいと突き放すことは難しく、いろいろ考えて、何とか学校に戻そうとするのだと思います。「不登校」という柔らかい言葉を使ったり、登校日数ゼロでも卒業させることも含めて…

 

英語圏社会と東アジア社会、どちらの教育のやり方にも良し悪しがあると思います。日本の教育しか選べない方々は英語圏教育への憧れが強いのか、(こちらが頼んでもないのに)私に対して「インターに行かせるべきじゃない?」、「英語圏で教育した方がお子様のためじゃない?」みたいなアドバイスすることがありますが、

日本とオーストラリアどちらも選べる我が家の立場からすると、(選べるからこそ)オーストラリア教育の良くない部分も当然見えてくるわけで、我が子の特質、日豪社会や教育の在り方を総合的に考えれば考えるほど、実際に選ぶのはものすごく難しいと感じます。

 

私、現時点では、次のように考えます。

・娘は、たぶん日本で育てた方が良いだろう。

・いまオーストラリアに行ったところで、学校に馴染めるとは限らないし、馴染めなければ放り出されてホームスクール。せっかく覚えた日本語も忘れるだろうし、将来的に箸にも棒にもかからない扱いを受けるリスクが高い。

・その点日本なら、学校側が一生懸命、登校させようと努力してくれるし、その結果学校に馴染めるようになれば御の字。たとえ馴染めなくても日本で暮らすことで得られる日本語能力が、将来オーストラリアに行っても結果的に娘の身を助ける期待もある。

 

とはいいつつも、日本での学校生活、親としての苦悩は当分続くでしょう。気長に頑張ります。

 

続編はこちら…

「学校適応が難しい子」と「担任教師の無理解」による厄災を防ぐ方法

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日本に東京があって良かった 〜世界からTokyoへUターン起業した男のつぶやき〜

こんにちはManachanです。いつもブログご愛読ありがとうございます。

人間は生まれ育った場所で一生涯を送るとは限りません。故郷を離れ、就職や就学のため他所(大都市など)に移動する人が相当多いからこそ、世の中、UターンやJターンなる言葉があるわけですね。

たとえば、地方出身の人が東京に移動する場合、

  • Uターン…故郷→東京→故郷 (例.青森出身者が東京に出た後、地元に戻って暮らす)
  • Jターン…故郷→東京→故郷に近い中核都市(例.青森出身の人が東京に出た後、仙台で暮らす)

私の場合は少し変わり者でして、日本を飛び出して地球規模で「直径8000キロのUターン」をしました。

  • 故郷(日本)→海外(オーストラリア、中国等)→故郷(日本)

私は日本の首都圏(千葉県柏市)で生まれ育ち、東京の高校、大学で学び、1994年、東京で就職しました。

その6年後、2000年に日本を離れてオーストラリアに移住し、現地で就職。5年暮らした後は中国に移って働き、2007年に日本(東京)に戻り、Uターン就職。その6年後、サラリーマンを辞めて東京で起業しました。

以上まとめると、こうなります

  • 1994〜2000年 日本(東京)でサラリーマン
  • 2000〜2005年 オーストラリアでサラリーマン
  • 2005〜2007年 中国でサラリーマン
  • 2007〜2013年 日本(東京)でサラリーマン
  • 2013年〜 日本(東京)で起業

私はこのようにグローバルな人生を歩み、海外で英語や中国語を使う専門的職業に就いて働いてきたのになぜ、わざわざ家族全員連れて日本へUターンして、挙句に会社まで興したのはなぜなのか?その意味を考えてみました。

正直言うと、海外の広い世界で暮らしたあとで、日本に戻るに際して「3つの不安」がありました。それは、

  • 1)「大学→大企業という決められたレールを大きく踏み外した後、38歳という年齢で日本社会に合流してもまともな就職はできないのではないか?」
  • 2)「国際結婚して外国で生まれた子供が、異文化との共生に慣れていない日本の学校で先生や仲間に受け入れてもらえないのではないか?」
  • 3)「日本で暮らすと、子供たちに英語力を身につけさせる環境が無いのではないか?」

しかし蓋を開けてみると、上記は全て杞憂でした。日本もとい「東京」に、良い意味で期待を裏切られたのです。東京は私の気づかないうちに、国際都市として進化を遂げており、世界中の人々を同僚や隣人として自然に受け入れる多文化社会になりつつあったのです。

まず、1)については、38歳で再就職活動しても、同世代の一部上場企業の仲間と比べて遜色のない給料で、外資企業のITマネジャーとして迎え入れてもらいました。生活水準もキャリアの面でも、海外に居る時と比べて全く妥協することなしに、日本での経済生活をスタートできたのです。

正直言うと、日本に帰国した場所が「東京」だったから良かったのです。外資企業の専門職、管理職の求人は、私のみる限り、日本全国の80%以上が東京23区に集中していたのです。言い換えれば、私が首都圏生まれだったおかげで、両親の住まいの近くに「Uターン」できたわけです。これがもし、日本国内の他地域、例えば九州出身だったなら「Jターン」(九州→海外→東京)になっていたはずです。

次に2)について。今時の東京都内、特に23区東部の公立小中学校は外国籍や外国生まれの児童がクラスに居るのが当たり前。我が子の名前がカタカナでも妻が日本語ネイティブじゃなくても、珍しいことじゃないので自然に受け入れてもらえます。移民の多い英語圏の国ではノンネイティブの児童が英語の授業についていくのをサポートするESL(English as Second Language)クラスがありますが、東京の我が家近くの公立中学校にもそれに類したJSL(Japanese as Second Language)クラスが設置され、専門の教師が配属されています。

3)に関して。確かに日本社会では日本語が圧倒的に強く、英語の通用度も使用頻度も高くはありません。ですが、東京ならインターナショナルスクールも英語補習校も、帰国子女向けの塾も豊富な選択肢があり、我が家のような日英バイリンガルファミリーで育った子供が、日本語力と英語力を維持する環境は整っています(注. 首都圏でも埼玉や千葉、横浜以遠の神奈川に住むとハンディがあるので、英語力維持したいなら東京都内に住むことが大事です。)

また、他国と比べた英語通用度の低さは、多言語能力と海外勤務経験を持つ私からみれば逆に「他者に差をつけるチャンス」以外の何者でもない。結局その比較優位を活かして東京で起業することにしました。言い換えれば、東京は「世界最大の経済規模を持つのに英語通用度が低い」という稀有な都市であり、その舞台で私はチャンスを掴んだのです。

結局何が言いたいのか?私自身を含め、海外で活躍した日本人にとって「東京はいつでもUターンできる都市」だということです。客観的にみて、東京は日本で唯一の国際都市。外国語を使う専門的職業の雇用が豊富で、多文化共生の社会環境も英語力を維持する教育環境もそれなりにあります。

言い換えれば、国際都市·東京があるから、私は日本に帰って来れたのです。もし東京がなかったら、私は今頃間違いなく、日本以外の国に住んでいたことでしょう。

海外に住んでももちろん良いけれど、私は海外経験を活かして母国·日本に貢献したいと思うタイプの人間なので、日本に東京という都市があって良かった、おかげで楽しい人生になった…本当に、心からそう思います。

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海外不動産サポート料の意味と、最適化への挑戦

こんばんは、Manachanです。今回のブログでは、日本人投資家が業者経由で海外不動産を購入する際の「サポート料」の意味合いについて考察します。

 

「そもそも、なぜ購入サポート料が必要なのか?」

海外不動産を買う日本の投資家の多くは、購入価格の約2~5%の「サポート料」を仲介業者に支払っているはずです。これは顧客側、業者側それぞれの事情で、必要とされています。

顧客からみると、日本とは言葉も商慣習も大きく違う海外で不動産を買うわけなので、契約・登記まわり、保険の手配、管理契約や入居付けアレンジ、それらに関連する外国語のやりとりを、自分ではとてもできないから業者に代行してもらいたい。その対価としてサポート料を支払う、という構図になります。

一方、業者側からみると、ビジネスの収益源としてサポート料は日本人顧客から是非いただきたいものです。というのも、英米圏はじめ海外の多くの国では、不動産仲介手数料は「売り側からしか取れない」もので、買い手から取ってはいけない商慣習ですので、その国の法律で認められた仲介手数料以外の収入を、日本でサポート料という名目でいただく必要が出てくるのです。

私は自分自身が投資家(顧客側)でもあり、かつ業者側のポジションも持っているので、両者の立場が良く分かります。顧客が業者のサービスを切に必要としており、かつ業者が時間をかけてサービス提供するわけなので、適正な対価は当然に必要です。

時々、「サポート料なし」をうたう業者がいますが、そういう取引は疑ってかかった方が良いでしょう。サポート料なしでも商売やっていけるということは、売値をたっぷり乗せて、顧客に見えないところでガッツリ利益をとっているかもしれません。つまり「海外版かぼちゃの馬車」的な割高カス物件を客に売ってる可能性があるのです。

 

「サポート料をめぐる問題、トラブルとは?」

ところで、上記のサービスとサポート料をめぐって、顧客と業者がお互いに納得感のある取引ができるとは限りません。多分うまくいってないケースの方が多いのではないでしょうか。

まず、業者側からすると、「要求の細かい日本人客」と「アバウトな海外取引先」の板挟みになって苦しむケースが多い。お互い悪気はないのでしょうが、海外の商慣習や法律、サービスの概念は日本と大きく違うもので、メール等でやり取りしても海外取引先の回答は日本人客からみると要領を得ないし、それ以前にレスが遅い、逆に日本人の質問は海外取引先からみると枝葉末節すぎて答える気がなくなる…お互いの文化や商習慣が違う以上、その橋渡しの仕事はかなり高度なものになります。ビジネススキルと文化理解、語学力すべてが必要で、頭良くないと絶対に務まりません。

 

高度な仕事にも関わらず、それに見合った報酬を支払うに十分なマネタイズができる会社は、いまの日本の海外不動産業界では稀です。そもそも、日本人からサービス料を取ること自体、かなり難易度が高い。世界広しといえども、日常的な外食でもその料金に「サービス&おもてなし」が含まれる日本みたいな国は珍しく、そういう国に暮らす人たちは、外出しの「サービス料」を払うことに慣れていません。それが相当な専門知識を必要とするものであってもです。

ですが、日本の外に出ると、「サービスは別途料金で先払いが当然」の世界が多くなります。例えばアメリカとかだと、「弁護士の時間とるだけで1時間300ドル」のフィー徴収が当たり前で、しかも前払いしないと簡単な回答さえしてくれないことが多い。「先方にちょっと聞いて確認する位ならタダが当然」と思ってる日本人客とのギャップは非常に大きく、サポートスタッフは両者の板挟みで苦労します。

 

さらに、海外不動産仲介ビジネスの経営者のなかで、不動産業界経験者が相対的に少ないことが問題をさらに大きくしています。金融、保険でも旅行代理店でも、どの業種から参入しても良いと思いますが(私自身もITからの参入組です…)、「不動産は売りっぱなしが許されない世界」だという基本的な理解をしない経営者は、いとも簡単に「放置プレイ」、「国替え」、「転廃業」をしてしまいますし、そういう会社ほど有能なサポートスタッフが逃げてしまいます。

以前より多少はマシになりましたが、数年前の東南アジアでは日系仲介業者の「サポート中途放り出し」が酷く、日本人オーナーで「海外不動産難民」になってしまった方が多数おられます。私は2016年から、困ったオーナー様のために、仕掛中の不動産登記のフォローや、引き渡し、入居付けをサポートするレスキューオペレーションを始めています(参考:海外不動産レスキューのお仕事)。

 

「最適なサービスとサポート料を模索する」

上記を踏まえて、顧客と業者、それぞれがハッピーになれる海外不動産関連サービスと、その対価たるサポート料とはどうあるべきか、考えてみました。

まず、お互いが踏み外してはならない、二つの原則があると思います。

 

・業者へ…サービスを途中で放りだすのはナシよ。

・顧客へ…適正な対価を払わずにサービスだけ期待するのはナシよ。

 

それが満たされたら、不動産購入の本来の目的に立ち返ってシンプルに考えれば良いと思います。日本人の場合、海外不動産買っても当地に移住したいニーズは少なく、ほとんどが「投資」目的の購入なんですから、業者は「顧客が当該国への納税義務を果たしながら投資利益をちゃんと得られるようなサポート」に徹すれば良いと思います。

その際、業者が取るサポート料は、コストとして投資収支を圧迫する要因の一つになるので、顧客からみて「費用対効果」が納得感あることが肝要です。私自身は投資家で収支にはシビアなので、中間経費はできるだけ最小限にして、投資効率を最大化したいと思う人間です。そういう「投資家肌」の顧客もハッピーになれて、かつ「業者に全部お任せしてラクしたい」と思う顧客もハッピーになれるオプションが提示されれば良いと考えます。

その見地から、私は次の方式を提唱します。

 

1)購入サポート料は、購入手続に加え、第一回目の家賃入金と第一年目の当該国税務申告までをサポートする対価としていただく。そこまで一通り経験すれば、「管理会社や税理士など現地コンタクト先と、どのタイミングで、どういうコミュニケーションが発生するのか?」がだいたい分かるようになる。

2)それ以降は、「業者を通さず自分の責任で現地とコミュニケーションする」か、或いは「適正なサポート料を支払って業者に引き続きやり取りをお任せするか」、どちらも選択できるようにする。

 

私自身は、「業者にサポート料払わずに自分でやりたい派」なので、価値観の近い投資家系のお客様には、「最初の一年でやりとりの基本を覚えて、あとは自分でやった方がスキルも上がるし費用も節約できていいんじゃないですか?」とお勧めしますが、

私のみる限り、お客様の7割以上は「ずっとサポートして欲しい派」だと思います。もしそうであれば、「国際不動産サポートという高度な専門サービスに対して適正な対価(例.1物件につき毎月最低100USD以上)を払い続ける」覚悟が必要になります。それなりの投資規模で、かつ時間を買いたいのであれば、こちらをお勧めします。

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空気よめない父 vs 空気よみすぎる娘

こんにちはManachanです。今回は久しぶりの育児エッセイでいきます。

私自身も、娘ソフィアも、それぞれ日本の学校には不適応な面を抱えつつ育ってきました。娘は現在中学1年生で不登校中。一方、私の小中学生時代は不登校自体が許されず(当時は「登校拒否」という犯罪者めいた言葉で呼ばれていた)、担任の先生にも毛嫌いされつつ日々登校しましたが、さすがに高校生になると自我が芽生えて、自分の意志でしっかり不登校するようになりました。

余談になりますが、加計学園問題で国会証人喚問されて、時の人となった文科省の元事務次官・前川喜平氏。出会い系バーや天下り斡旋問題もあって賛否両論の人物かと思いますが、彼、実は日本の不登校問題における偉大な功労者なんです。

 

・1980年代「登校拒否」児が増えた時期。当時の学校は「登校しないと卒業証書ださないぞ!」と保護者や子供を脅すことが横行し、無理な登校がさらに悲劇を大きくするトラブルが続出。そこで文部省は「卒業証書必ず出しなさい」指導を出した。その結果、今では完全不登校の状態であっても中学校から卒業証書が出るようになった。

・1992年に、「登校拒否」ではなく「不登校」という言葉を通知で使い、不登校は誰にも起こること、当たり前のことだと認識を改めた。その上で、民間施設等で学校復帰を前提とする指導を受けている場合、在籍学校での出席扱いにする方針を出した。

・2016年、馳浩文科大臣ら議員有志と協力して、「教育機会確保法」の実現に尽力した。

 

娘と同様、かつて日本の学校で不適応を経験した父の視点でみると、不登校児童に対する教師の理解や支援体制は、今なお課題が多いとはいえ私の小中学校時代と比べれば格段に整ってきたと感じます。これも前川氏や馳議員をはじめ、多くの方々の功労があってこそです。

ところで、同じ学校不適応でも、私と娘とは、違うタイプの性格ゆえ、それぞれ別の苦労をしています。

 

私は、空気が読めない。だから、集団行動でさまざまな問題を引き起こす。

逆に娘は、空気を読みすぎてしまう。表面的には集団行動で全く問題ないようにみえるが、実は相当疲弊している。

 

いずれも、病気ではなく、人類に一定の割合で存在する「脳の性質」です。私のは「自閉症スペクトラム」とか「アスペルガー」とか呼ばれるもので、娘のはおそらくHSP(Highly Sensitive Person、高敏感性・高感受性)かと思いますが、いずれも少数派であり、多数派の児童や先生に最適化された学校社会において様々な不適応を起こしやすいのです。

それぞれ、どんな問題を起こすのか?私の場合は、集団行動のなかで自分が何をすべきなのか、ちゃんと言ったり書いたりしてくれれば理解できるけど、それ以外の非言語的コミュニケーション(空気読み、人の気持ちを察する等)が極めて苦手で、それができて当然と考えるグループのなかでは誤解や齟齬が起こりやすい。この性質のせいで、社会人になっても、また家庭生活でも苦労しています。

一方で、娘の場合は、集団行動のなかで自分がすべきことを、他の人より知りすぎてしまう。空気を読みすぎ、同調圧力も必要以上に感じてしまう。人間関係だけでなく、大きな音や匂いにも極めて敏感で、処理する情報が質量ともに多すぎるために、学校で起こる物事にすぐ圧倒されてしまう。表面的には他人とうまくやる能力があるので、問題行動は起こさないが、実は相当な無理をしているので、結局、自分を守るために不登校や引きこもりになるのです。

言い換えれば、非言語的な情報に「鈍感すぎる父」と「敏感すぎる娘」…ともに、学校など集団生活では苦労するという共通点を持っています。

 

でも、学校という閉じた社会で不適応を起こしても、実社会ははるかに複雑で多様なので、鈍感な父も敏感な娘も、どちらも、社会のなかで居場所をみつけることはできるはず。その意味で私は、娘の将来を楽観しています。

私の場合は、非言語コミュニケーションは極めて苦手でも、言語コミュニケーションは人一倍得意で、ブログやコラム執筆、外国語習得などの分野で能力を発揮し、それを仕事に活かしています。他人のペースで動かされるのは絶望的に不得手ゆえ接客業などは無理でしょうが、得意分野に特化して自分のペースで動くのは得意なので、「海外不動産投資」という圧倒的な得意分野に特化して、情報発信と組み合わせてビジネスをしています。

一方、娘の場合は、感受性が人一倍強いという特性を生かした職業で輝けると思っています。例えば、デザイナーとか、カウンセラーや精神科医、あるいは、本人が多人数と付き合うストレスを克服する方法を見つけたなら、それこそ「学校の教師」になれたら良いと思います。不登校が一向に減らない今の教育現場では、一人ひとりの子供に好奇心を持ち、心でつながれる教師が切に求められているからです。

 

最後に、私と娘の性格は相性良いです。多くの刺激を受けすぎて疲れてしまうHSPな娘にとっては、たぶん鈍感すぎる人間の方が気が楽でしょう。

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定住人口で縮み、交流人口で拡大する日本

こんにちはManachanです。いつもご愛読ありがとうございます。今回のブログでは、不動産投資・ビジネス、国民経済におけるキーワード、「定住人口」と「交流人口」について論考したいと思います。

 

海外の不動産投資を志す日本のお客様は、多くが「将来、日本の人口が減り、経済が停滞・衰退する」ことを懸念しており、それが彼らをして海外に目を向けさせる主な動機になっています。

彼らのいう「日本の人口が減る」とは、日本の国土で暮らす「定住人口」が減ることを意味します。総務省の統計によれば、2017年の通年で、「日本国民が37万人減り、外国人の定住者・長期滞在者が15万人増え、差し引き22万人減り」、その結果、総人口が1億2682万人から1億2660万人くらいになるようです。ちなみに過去数年の総人口推移は「18万人減(2014)→14万人減(2015)→20万人減(2016)→22万人減(2017)」位です

(総務省や社人研の図表に必ずついてくる人口の将来推計は意図的に省いております。結局のところ、推計のほとんどが外れるわけで、それ自体が判断を誤らせるもとだと思います…)

 

一方、「交流人口」とは何でしょう?日本国に関していえば、「外国人(または日本人)が、相手国に居住しない前提で、旅行やビジネス、親族・友人訪問、会議や研修などの理由で日本(または外国)に短期滞在する人口」を意味します。

交流人口は、定住人口よりずっと速いペースで変動します。特に、日本に来る外国人の数は、「1341万人(2014)→1973万人(2015)⇒2403万人(2016)⇒2869万人(2017)」と。定住人口の20倍くらいのハイペースで増え続けています。

つまり、「定住人口が少し減って、交流人口が大きく増えている」のが、いまの日本の状況であり、両者を合わせてざっくり計算すると、面白い結果になります。

 

1)定住人口の見方…日本に定住する人間が年間22万人減る、彼らが一人あたり、生活費、住居費、教育遊興費などで年間300万円を消費すると仮定すれば、

⇒ 22万人x300万円=6600億円の消費が減る。

2)交流人口の見方‥・海外から日本に来る人間が年間400万人増える。彼らが一人あたり、ホテル代、飲食費、ツアー費用お土産代なので、年間15万円を消費すると仮定すれば、

⇒ 400万人x15万円=6000億円の消費が増える。

 

両者あわせると、日本経済への影響は「ほとんどチャラじゃん!」。今後、海外からの交流人口が今のペースで増え続けるかどうかは。国際環境や為替の影響を受けるため未知数ですが、少なくとも一国の経済を考えるなら、「定住人口と交流人口」を合わせてみた方が有益だと思います。

 

ところで、「定住人口の世界観」と、「交流人口の世界観」は、根本的に違います。これは、「定住農民」と「貿易商人」のものの見方の違いに似ているかもしれません。

私は後者、「交流人口」の世界で生きる人間です。日々、不動産を通じて日本と海外を結びつけるビジネスをしているので、「日本→海外、海外→日本の交流人口」をベースに物事を見ています。一方、日本国内で日本人を相手にするビジネスは、不動産賃貸経営を含めて、基本は「定住人口」をベースに物事を考えます。

 

おそらく、日本人の大多数が「定住人口」の住人だと思いますが、私は時として彼らと話がかみ合わなくなることがあります。例えば、彼らがよく口にする、「日本の人口が減るから経済衰退する」という悲観論が理解できても心から納得できないのです。なぜなら、私は交流人口の世界に生きており、こちらの方は縮小衰退どころか、「年々、数十%成長のすごくエキサイティングな世界」だからです。

また、交流人口の世界観でいうと、「日本なんて、まだ国際化始まったばかり、伸びしろすごく大きい」と思います。私が携わる国際不動産ビジネスは特にそうで、日本の業者が世界の不動産で商売する時代は、今まさに黎明期。特にヨーロッパ方面に行くと、私は日々、パイオニア。「彼らの目の前に立ち現れた最初の日本人業者」として商談に明け暮れています。

競合プレイヤーも少なく、いまから真面目にやれば、発足したばかりの弱小企業とはいえ、「日本と海外をつなぐ不動産ビジネス」というニッチ分野で天下取れると思っており、今のところ悲観や衰退とはまるで無縁の世界に生きています。

 

今のところ、国際交流人口では年々、マーケット拡大している日本国ですが、誰もがその恩恵にあずかれるとは限りません。明暗を分けるのは多分、「スキルセット」や「ものの見方、考え方」なのだと思います。たとえば、こういう文章を書く日本人がいます。

 

京都が悲鳴。日本に金を落とさせない中国丸儲けビジネスの実態

もう日本人の出る幕なし?外国人だらけのニセコにみる日本の未来

 

京都やニセコは、日本国内におけるインバウンド観光で成功した都市の代表格であり、タイのパタヤ、プーケット、インドネシアのバリ島に通じるものがあります。

海外のお客様を相手にする商売である以上、外国語でのサービスは必須であり、それを提供できる外国の事業者とも競争しなくてはならない宿命があります。日本国内でありながら、英語や中国語が幅をきかせる世界も一部存在するのでしょう。パタヤやプーケットでタイ語よりも英語がロシア語が幅をきかせるのと同じように・・・

これをチャンスととらえるか、脅威ととらえるかは、個人次第。上記の文章を書いた人のように、「自分自身が変わらずに外国人業者ばかり儲かることを嘆く」ようでは…

 

日本の業者だからといって競争に勝てるとは限らないのが国際ビジネスの掟であり、その競争が日本国土の上で起こるのがインバウンド観光。その恩恵に与りたい気持ちがあるならば、頑張って英語や中国語を覚えるなり、或いはそれができる人を上手に使って商売すれば良いと私は思うんですけど…

そういうマインドセットになれない人は結局、交流人口で拡大するニューエコノミーを味方にすることはできないのだと思います。

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イギリス~この国と文化のかたち

おはようございます。Manachanです。私は数日前まで、英国ロンドン近郊のセントアルバンス(St Albans)という美しい街にいました。驚くべきことに、この街は古代ローマ時代以来の2000年の歴史を持ち、当時は英国(グレートブリテン島)のなかでロンドンに次ぐ第二の都市だったそぅです。

現在、英国の主力民族であるアングロ・サクソン族が、欧州大陸からグレートブリテン島に渡ってくるはるか以前、先住民(ケルト民族)が支配者ローマ人に抵抗して戦った地が、ここセントアルバンス。

あれから2000年経って、大都市ロンドンの通勤圏ベッドタウンになった今も、街中いたるところに、ローマ時代の大聖堂や石積みの橋などの遺構が残っています。それだけでなく中世、近代、現代の建築物や道標、エンブレム、郵便ポスト等が街中に存在し、今なお現役で頑張っています。

 

 

海の向こうから訪れる私たちにとって、英国が今日みせる景色は、とても魅力的です。

この国では、古い街は古い街らしい落ち着いた佇まいをみせ、大都会ロンドン内にある各地域でさえ個性豊かな歴史と風情に溢れています。そして、真っ白な羊が草を食む緑の田園風景は他のどの国よりも美しい。

大陸欧州と違って戦災や自然災害による破壊が少なかった分、昔のものがよく残っています。その点は島国・日本にも近いのかもしれませんが、日本の農村によくある新建材の家みたいなものは少なく、荘園(マナーハウス)や茅葺き屋根の家とか水車小屋など、昔ながらの良さが残っています。

 

一方で、英国・アングロサクソンの文化は、「新しもの好き」で、情報発信能力に優れています。今なお、ビートルズとかハリーポッターとかマンチェスター・ユナイテッド等、世界中に影響力あるコンテンツを生み出し続けています。

それ以前の時代も、議会制度、郵便、鉄道、金融システム、株式会社と近代企業経営、サッカー、ラグビー、クリケット、ポップミュージック…英国人が始めた様々な仕組みが、世界中に広まって、人々の暮らしを楽しく豊かにしています。

なぜ、英国は古いものを多く残しながら、新しい仕組みやトレンドを生み出す力を持っているのか?英国文化を源流にもつ国・オーストラリアで暮らしていた私の仮説はこうです。

 
「アングロ・サクソンほど、親と子の関係や成人同士の関係が対等な社会は他に類例を見ない。多分それが、独自の文化創造力につながっている」

 

オーストラリアで暮らして驚いたのですが、この社会では、長幼の序とか、先輩・後輩みたいな感覚が皆無に近く、成人すれば、たとえ20歳と50歳であろうと対等、という雰囲気でした。

親子の関係にせよ、誤解を恐れずにいうと「お互いにため口をききあう」みたいなフラットな関係で、特に子供が成人すれば、その意志は個人として尊重され、親の意向を押し付けることは少ない。

こんな社会だからこそ、「親の世代はともかく、俺は俺の好きなようにやるよ」となる。その結果、世代ごとにトレンドが生まれる。それが、事実上の世界共通語(リンガフランカ)になった英語とともに世界中に広まる…

 

一方で、「なぜ、英国では古いものがよく残るのか?」というと、それも、アングロサクソンのフラットな親子関係が影響していると思います。

この社会では、子供世代は自分の好きなことをやる。でもって、親の世代が残したものは、良い意味で「放っておかれる」のです。

親世代が子供世代に対して、古い価値観を強圧的に押し付けるような社会では、力関係が逆転した時に、親世代の残したものを全否定したり破壊したり、みたいな負のパワーが生まれがちですが、

アングロサクソンでは、(少なくとも近現代においては)その押し付け自体が少なく、基本「自分の好きなことをやりなさい」という社会だから、親世代が残したものをあえて破壊したいという気持ちも生まれない。

下の写真にみるように、100年以上は経っていると思われるレンガ造りの住宅にモダンな店舗ができたり、隣の古い家に高さを揃えるかたちでモダンな近代集合住宅が建ったりするのは、英国ではありふれた風景です。

 

そういう歴史を繰り返してきたからこそ、今日の英国では、古い時代から遺されたものが、重層的に存在して、モダンなものと自然に共存していると思います。

日本はアジアのなかでは、奇跡的に、英国と似ている面の多い社会だと思いますが(島国、古いものがよく残る、実は新しもの好き…)、でも日本と大きく違うのは、英国は万事、「あまり無理しない」ことだと思います。インフラ整備も、ライフスタイルも、日本の都市部ほどせかせか急がず、ゆっくり、無理せず…そんな緩い空気の溢れた国。

英国のそんなところが、世界中の旅人を魅了するのだと思います。

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漢字で学ぶ中国語‐日本人の特権

こんにちはManachanです。今回は久々「語学ねた」でブログ書きます。

 

我が家は国際結婚ファミリーで、東京に住んでいます。子供は二人いて中1と小4。上の子は明日が入学式です。

私は日本で育ち母語は日本語、大人になってから英語圏に5年、中国語圏に3年暮らしたので、英語も中国語もビジネスレベルでできます。妻は台湾生まれですが幼い頃オーストラリアに移住したので、英語がネイティブ。家庭で親との会話は中国語が使われていましたがオーストラリア育ちゆえ漢字に触れられる環境ではなく、きょうだい間は英語が共通語になりました。彼女が漢字読めるようになったのは、高校卒業後、台湾に留学したからです。

その留学中、日本から語学留学に台湾に来ていた私との出会いがありました。その後、結婚して子供ふたりできて、いまは東京で暮らしています。

 

台湾で私たちが出会ったのは、1989年のこと。当時、妻は留学3年目で、中国語を流暢に話しましたが、それでも他の留学生と同様、「漢字の読み書きが難しい」と言ってました。

一方の私は、台湾に来てからわずか2か月、話し言葉は十分にできませんでしたが、日本で育ったおかげで漢字の読み書きの苦労はありませんでした♪

当時の留学生にとって、朝食は街の安食堂が定番ですが、当然ながら漢字オンリーの環境。「小籠包」「豆醤」「油条」「焼餅」「葱油餅加蛋」などと書かれたメニューを解読して満足に注文できるようになるまでに、約1年の中国語学習が必要と言われていました。確かに、漢字を持たない国で育って「一、二、三‥」の書き取りからはじめる人にはその位の学習期間は必要かもしれません。でも日本人だけは別で、中国語知らなくても、来台1日目からメニューの意味くらいは分かってしまいます。

 

その後、台湾で一年暮らしてどうなったかというと、私の中国語は長足の進歩を遂げ、台湾滞在4年目の妻と遜色ないレベルになりました。一生懸命勉強したつもりはありません。たまたま漢字を知っているアドバンテージを素直に活かしたらそうなったのです。

当時の私が中国語をどうやって覚えたかというと、日々、貸し漫画屋で「ドラえもん」の繁体字中国語版を借りて読んでました。1冊4元(20円)で借りられるので安いし、漢字だから意味が分かるし、何より子供の頃から親しんだ日本の漫画だからストーリーも知ってる。「なるほど…中国語ではこの場面でこう言うんだ!」。それを繰り返し、日常生活で真似していくと、話し言葉がどんどんできるようになりました。

 

あと、台湾の字幕付きTV番組も、中国語学習に大いに役立ちました。当時の台湾では日常的に台湾語(閔南方言)や客家語を使い、北京語発音を理解しにくい人が年配者を中心に多かったのです。それでも漢字字幕があれば理解できるので、ほとんど全てのTV番組に字幕がついていましたが、

日本で育った私からみて、こんなに素晴らしい学習手段は他にありません。字幕は漢字だから目で追っていけば意味はだいたい分かる、そこに北京語の音声がついてくるわけです。すでに知ってる漢字の意味に「日常生活で使われる生きた北京語の言い回し」を当てはめていけば、TVで楽しみながら語彙力が日々アップしていくわけです。漢字のない国で育った人だと、学習2~3年目にならないとできない芸当でしょうが、私はたまたま日本で育ったおかげで台湾渡航後すぐ実行できてしまうのです。

日本人が漢字知ってるアドバンテージを活かせば中国語は英語よりずっとラクに習得できる外国語・・・それが正直な実感です。

 

ところで、私たちはいま、日本で子育てしています。家庭で子供に対しては私が日本語、妻が英語で話します。平日は区立の小学校で普通に日本語環境、英語は補習校に週1回通わせています。

二人の子供たちは日本語と英語がネイティブで話せて読み書きもできます。中国語は子供たちは普段話しませんが、私は全く心配してません。なぜなら、

「二人とも日本で育ってるから漢字は分かる。それで中国語半分できたも同然」と思ってるからです。彼らが将来、中国大陸や台湾に行って中国語環境に身を置けば、経験上、非漢字圏の学習者の約半分の時間で習得できてしまうでしょう。

 

逆に、「英語圏で育てた方がいい」とアドバイスする人の気持ちが正直分かりません。漢字を使う日本で育つからこそ中国語に横展開できるのです。英語圏に連れていったらそのメリットが活かせないわけで・・・

私も妻も子供たちも人種的にはアジア人ですし、親から子へ文化的に継承すべき言語は日本語、英語、中国語の3つ。そう考えると、いま子供たちが「日本で育ち日本語をしっかり学ぶ」ことは、アジアと世界で生きていく上で戦略的価値があると私は考えます

 

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「移民受け入れ是非」じゃなくて、「生活者」として自然に受け入れよう

こんにちは、Manachanです。久々のブログ更新になります。

私は仕事柄、欧州諸国の収益不動産をかなりの頻度で見にいきます。ドイツや英国が特に多いですが、これらは成熟した先進国で、高齢化もそれなりに進んでいます。経済成長率も年1~2%とか控えめな数字です。

そんな成熟社会でも、不動産価値は上昇傾向になることが多い。欧州は日本と違って新築供給が少なく、中古住宅をメンテしながら長年住み続ける文化が根本にあり、需要に比べて住宅供給が不足しがちなので賃料も売買価格も値上がりやすい傾向にありますが、価格を支えるもう一つの要因として「移民流入による人口増加」もあります。

英国の各都市ではポーランドなど東欧出身者や、インドやパキスタンなど南アジア系の方々が多く、ドイツではトルコはじめ中近東系の方をよく見かけます。彼らが英国やドイツの社会に順調に統合されているのかというと、当然いろいろ課題があるのでしょうが、苦労しながらも、それぞれの国なりに経験値と知恵を積んでいる印象です。

社会のなかで、外国出身者がマイノリティとしてそれなりの割合存在し、本国のマジョリティとともに生活者として暮らす風景は、程度割合の差こそあれ、私の住む東京にも共通する点です。つい数日前、Facebookにこんな投稿をしました。

 

[実質的な移民社会、東京に暮らして…]

日本に一定期間(90日)以上、合法的なビザで滞在する外国人の数は増え続けており、かつ、増加のスピードも加速しています。

【外国人登録者数の推移】
217万人(2015/6末)⇒223万人(2015/12末)⇒232万人(2016/6末)⇒238万人(2016/12末)⇒247万人(2017/6末)  ※今は確実に250万人超

数字を素直に読む限り、ここ数年の日本における外国人純流入(=入国-出国)は15~17万人/年のペースで推移しており、日本人の自然減少約30~35万人/年の約半分を補っています。

そのうち東京圏を詳しくみると、外国人純流入の約半分(7~8万人/年)が定着し、かつ日本人も15万人/年が他地域から転入しているので、「日本人も外国人も増える」、「外国人増加が全体の3分の1を占める」社会になっています。私の暮らす江東区も外国人比率が6%に迫り、身近に日本人以外が暮らすのが当たり前になりました。

ところで、日本の外国人純流入15~17万人は、奇しくも10年前の英国やドイツにおける外国人純流入(約20万人)と近い数字です。なおドイツは同時期(2005年)に移民法を制定し、移民を対象とするドイツ語の公教育などが法律で定められました。ドイツも英国も、移民してきた定住者の過半数が国籍を取得(日本でいう「帰化」)しています。

もっとも日本は欧州とは国情も歴史が全く違います。日本国として「移民を公式に受け入れる」宣言や、「税金を使って移民に日本語教育を与える」意思決定は、まだ遠い先のことでしょう。なお、うちの近所の小中学校では、アジア圏から十分な日本語知識なしに途中転入する生徒がいるので、実質的に教員による日本語補習が行われています。そういう地域も日本中に多いでしょう。

外国人がさらに増え、日本語教育や在留資格、年金はじめいろんな問題が起こり、既存の枠組ではにっちもさっちもいかなくなった時に、ようやく「潮時」、「移民受け入れやむなし」の雰囲気になって初めて、公式に物事が動くのだと思いますが。

でも生活者、不動産賃貸事業者の目でフラットにみる限り、相当数の外国人が日本に定住し、その数が年々増えている。労働提供者として消費者として賃借人として、日本社会に確かに存在しているという意味で、日本(特に東京)は実質的な移民社会になっていると考えて良いでしょう。日本政府が公式に移民を受け入れるかどうかは、「外国人が日本に暮らす」実態にそんなに影響しないと思います。

フィリピンとかインドとか中国から数年前に来日して、うちの近所で暮らしている人結構いますけど、彼らは普通に都心で働いて子供を地元の学校に通わせてて、母国に帰りそうな人は割合としては少ないです。そんな東京の風景は、トルコやポーランドから来て定住した住民の多い「ドイツ都市部」と重なります。

 

上の議論を、もう少し膨らませて書いていきますね。

日本の総人口は2008年をピークに減少局面に入り、少子高齢化を背景に減少幅は年々大きくなることが確実視されます。継続的な人口減少は日本経済に重苦しい悪影響を及ぼし続けており、日本社会や福祉システムを存続させるためにも、子育て支援に加え「ある程度の移民受け入れ」が議論のテーブルに乗って然るべきでしょうが、「移民」という言葉に対する国民のアレルギーが大きいので、政治家もそれをなかなか口にできません。

でも東京の江東区あたりに住んでると、身近に外国人が普通に居て、すでに長年暮らしてるし、お子さんは公立の小中学校に普通に通い、名簿をみても日本人じゃなさそうな名前がクラスに数名居る…実質的に移民受け入れてるじゃん、という感覚です。実際、首都圏各自治体では外国人比率が年々高まっていますし、横浜市とかは間もなく「日本人が減って外国人が増える」時代に入るでしょう。だからから猶更、「日本は移民受け入れない」という言説とのギャップを感じてしまいます。

日本の言論事情を考えると、「移民」という言葉を使わず、「定住者」といった抵抗の少ない言葉を使って議論した方が生産的でしょうね。「移民受け入れ、是か非か?」みたいな神学論争は意味がないし、すでに近所で暮らしている外国出身者との共生を目指し、彼らが日本社会に合流できる仕組みづくりを具体的に議論すべきだと思います。

 

日本は一般に言われるほど、排他的な社会ではないと思います。特に宗教に関して日本人は寛容で融通無碍なので、外国人比率が増えても信仰の違いに起因する衝突はたぶん起こりにくいでしょう。また、日本人同士だと同調圧力が強く存在しストレスの元にもなりますが、それが外国人に対しては通常適用されないので、そんなに「息苦しい社会」でもないでしょう。

外国人に対して寛容な日本人が、こと移民受け入れになると消極的になるのは、外国人を憎んでいるのではなく、日本人同士で互いに配慮しながら摩擦を起こさず過ごすのが快適で、その暮らしをずっと続けたいと思ってるからなのでしょう。確かに、日本の生活習慣に慣れていない外国人が目の前に居る環境で、日本的な意味でお互い摩擦なしで過ごすのは難しいでしょうから、

身近に暮らす外国人との間で文化の違いに起因する誤解や摩擦は起こりうるという意味での「無秩序」や、ゴミ出しや共同生活のルールや言葉で一から説明しなくちゃならない等の「面倒臭さ」を、日本人がある程度、受け入れる必要があると思います。逆に日本に一定期間以上暮らす外国人も、「日本人同士で気遣いながら快適に暮らしたい」というマジョリティの気持ちを尊重する必要があるのでしょう(普通は否が応にも、それに気づくものです…)。

外国出身の住民が身近に増えても、多くの日本人にとって「英語学習」は大して求められないでしょう(どっちみち、英語苦手なアジアの国からの流入が多いでしょうし…)。その代わり、「誰にも分かる簡単な日本語」で説明するスキルが必要になってくると思います。

 

日本で都市部を中心に「外国出身の住民」比率が今後も増えるのはほぼ確実でしょう。江東区でも、今の外国人比率6%弱が、5年後に7%、10年後に8%…みたいなペースで、徐々に増えていくと思います。日本の国籍や永住権を取る人も増えるでしょう。

でもそれは、日本人の人口減少を外国人に埋めてもらう「数合わせ」程にはならないでしょう(多分やるべきじゃないでしょうし・・)。日本人マジョリティの「摩擦起こさず快適に過ごしたい」気持ちと、「でも人口減少で国力衰退も困る」という気持ちの間で、今後の歴代政権が最適解を探りながら、「移民」という言葉を使わずに徐々に受け入れていくのだと思います。

その近未来が分かっているなら、排除せず、かといって無理もせず、お互い楽しく暮らしていきたいよね。

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旧西独vs旧東独の経済格差

こんにちはManachanです。いつもご愛読ありがとうございます。今回はいま私が出張で来ている「ドイツ」の話題でいきますね。

ドイツの首都にして、最大の都市は「ベルリン」ですが、この街は世界の大都市のなかても数奇な現代史を経験しました。

1945年にヒトラー率いるナチスドイツ敗戦により、ドイツ国は東西に二分されました。アメリカ主導で資本主義国として再出発した西ドイツ(ドイツ連邦共和国)は、「ライン川の奇跡」と呼ばれる経済復興を遂げ、わずか数十年で世界有数の経済大国に躍進。一方の東ドイツ(ドイツ民主共和国)は、ソ連主導で計画経済を運営してきましたが、経済力や所得水準、産業技術や企業経営の面では西側から大きく立ち遅れてしまいました。

その頃、首都ベルリンがどんな状態だったかというと、地図を見れば分かりますが、東ドイツ領のなかに囲まれていました。とはいえベルリン自体は、資本主義体制の西ベルリンと、社会主義体制の東ベルリンに二分され、その境界に「ベルリンの壁」が建設され、人々の行き来は厳しく制限されていました。

当時は、「東ベルリンが東ドイツの首都」。「西ベルリンは、西ドイツのなかで最大都市(でも地理的に孤立)」という位置づけでした。

 

資本主義と社会主義の違いによる、東西経済格差が誰の目にも明らかになった1989年に、「ベルリンの壁」が崩壊。翌年、事実上西ドイツが東ドイツを吸収する形で、ドイツ統一が成就、首都はベルリンに定められました。それから30年近く経ち、東西ドイツの経済格差がどうなったかいうお話をしますね。

マクロでみれば、東西ドイツ間の格差は縮小しつつありますが、現時点で格差はまだあります。見にくい表で恐縮ですが、2015年時点で

・旧東独地域の一人あたりGDPは、旧西独の71%
・旧東独地域の一人あたり可処分所得は、旧西独の82%

 

もっとも統一直後は、GDPも可処分所得も、東独地域は西独地域の40%以下でしたから、そこから見れば徐々に改善してきてはいます。今日でも、旧西独地域の住民は連帯税(Solidaritätszuschlag)という税金を連邦政府に払い、それが旧東独地域のインフラ整備や失業者の年金原資に充てられており、「西が東の経済を支援する」状態は変わっていません。

ドイツ統一は西側の住民には「税負担」というかたちで、一方で東側の住民には「人口流出」というかたちで、それぞれ大きな負担になりました。経済格差を大きく残した状態で国家統一、住民の移動が自由になった結果、東側の住民が良い給料、良い暮らしを求めて、大挙、西側に移住し続けたのです。その結果、

・旧西独地域の人口、統一時から4%増加
・旧東独地域の人口、統一時から14%減少

 

とはいえ、統一後20数年経って、「東から西への人口流動」の時代はようやく終わりました。2014年は、統一後はじめて、「西から東」への人口流動が「東から西へ」を上回りました。主な原因は、旧西独地域から首都ベルリンおよび周辺地域への大規模な移住です。ベルリンは首都なので仕事が豊富にある上、かつ旧西独地域より家賃はじめ生活費が安いのです。

つまり、(ベルリン全体を旧東独という前提で言うなら)ベルリンが東側で独り勝ちして、今や西側の人口を惹きつける程の発展を遂げているのです。その他の旧東独地域で、人口が増えているのは第二の都市ライプチヒ、ドレスデン位で、その他の地域は人口流出が止まっていません。

 

日本に例えていえば、「九州全体の人口は減少」、「でも福岡市やその周辺だけは人口増加率全国一で、首都圏からも移住してくる」のと似ていますね。

私は首都圏出身で福岡市に住んだことがありますが、福岡暮らしの魅力のひとつは「(首都圏と比べた時の)家賃や物価の安さ」でした。これは旧西独地域の人間にとってのベルリンの位置づけと似ています。ベルリンは、半分が旧東側だった歴史を引きずっている関係で、ミュンヘンやフランクフルト、ハンブルクなど旧西独地域の大都市より所得水準が20~30%低く、その関係で生活費も安めなのです。

 

次に、都市力という意味で東西を比較すると、ドイツの経済を引っ張るトップ7都市(Major 7)のうち、6つを旧西独の都市が占めています。東側でランクインしているのはベルリンのみ。

旧西独:ハンブルク、デュッセルドルフ、ケルン、フランクフルト、シュツットガルト、ミュンヘン

旧東独:ベルリン

 

航空網をみても一目瞭然で、ドイツの3大空港は、フランクフルト、ミュンヘン、デュッセルドルフと、全て旧西独にあります。いずれも都市周辺の経済力が高く、ビジネス需要が旺盛なのです。一方でベルリンは、テーゲルにしろシェ―ネフェルトにせよ、まだ空港が小さくて、フランクフルト辺りからみると田舎空港の趣きです。2020年にベルリン・ブランデンブルク国際空港が完成すれば、また状況も変わってくるのでしょうが…

 

なお、旧東独地域の都市からみると、ベルリンは「仰ぎ見るよな大都会」、「全てにおいて別格」の都市という位置づけになるようです。第二の都市ライプチヒも人口60万人いて、「ネクストベルリン」と呼ばれる程、発展が期待される都市ですが、そこに住む友人がこう言ってました。

「ベルリンは旧東独とはいえないよ。だって、半分がもともと西側なんでしょ?」

「デュッセルドルフとかミュンヘンとか、旧西側の都市は、お父さんやお爺さんの世代からずっと裕福だったんだよ。でも我々東側の人間は、社会主義で財産全部取られた状態で出発してるでしょう?格差あるのは当然だよ!」

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