不思議の国キルギスと世界最安不動産

こんにちは、Manachanです。いつもご愛読ありがとうございます。皆様は、中央アジアにある小さな国、キルギスをご存じでしょうか?

【世界一の奥地をゆく】

世界一大きなユーラシア大陸。その中央部にあって、地球上で最も海から遠い地域が、中央アジア・・・そこは、旧ソ連に属していた5ヶ国(カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン)と、中国領の新疆ウイグル自治区からなる、広大な地域。総面積は日本の15倍!

キルギスを例にとると、そこは、中国北京から西へ飛行機で5時間、あるいはロシア・モスクワから南東に4時間半、アメリカ東西横断に匹敵する距離を、ずっと陸地だけ飛んだ先にある、はるかな内陸奥地。この地点からは、地球上のどの海も直線距離で2000㎞以上離れています。

中央アジアは、西洋と東洋を結ぶ、シルクロード交易路上にあり、太古の昔からさまざまな民族が行き来しました。西暦629年、インドの仏典を求めて唐の都・長安を飛び出し西へ向かった玄奘・三蔵法師は、はるかなる西域の旅の途中、天山山脈を超えてキルギス草原に出たという。その後、タラス河畔の戦いで中国の製紙法がアラブ・西洋に伝わったり、中国の陶磁器とペルシャの顔料との出会いが、青の都・サマルカンドの建築物として結実するなど、常に文明の交差点であり続けました。ユーラシア東端の海中にある日本列島の人々も、北伝仏教、奈良正倉院の宝物など、西へ7000km離れた中央アジアの影響を受けてきました。

海上物流が発達した今日でこそ、海から非常に遠く輸送インフラも発展途上な中央アジアは貿易上不利な「奥地」ですが、陸上交通盛んなりし頃、この地は「世界の目抜き通り」と言ってよかったかもしれません。

【他人とは思えないキルギス人】

 

キルギス共和国は、人口600万人余。人種のるつぼ中央アジアの例にもれず、多民族国家です。かつて300年ほど、ロシア帝国やソ連の統治下にあった歴史ゆえ、首都ビシュケクには、金髪碧眼のロシア人やウクライナ人も多数暮らしています。とはいえ、この国の主要民族であるキルギス人は東洋系で、日本人そっくりの外見をしています。

 

肌の色、背格好、顔かたち…どの要素をとっても、彼らは日本人に酷似しており、ビシュケクの街を歩いているだけで、「あっ、すみれ薬局のおばさん!」、「なぜ助川工務店のおじさんがここに居るの?」と驚くほど、近所に住んでる日本人の空似が多い。私が泊まったホテルの女性職員とは英語で話しましたけど、顔をみてると思わず日本語で話しかけてしまうほどでした。

 

遺伝子的に他人とは思えない人たちが、ヨーロッパの雰囲気のある、緑豊かで美しくおしゃれな街に住んでいるのが興味深いです。

 

 

【キルギスは完全にロシア語圏】

 

日本人と瓜ふたつな人が多くても、当然ながらキルギスで日本語は通じませんし、英語の普及度も低い国です。彼らがどの言語を話すかというと、主にロシア語と、キルギス語です。

 

首都ビシュケクには、ロシア人はじめ旧ソ連構成国の人が多数住んでおり、彼らはキルギス語を話せないこともあります。一方で、この街に住むすべての人は、ロシア語を話します。看板も9割以上がロシア語表記ですし、教育から、科学技術、ビジネス、法律に至るまで、ロシア語なしにキルギス国は成り立ちません。

 

*

 

【40部族とマナス王の伝説】

 

キルギス人は、広い意味でトルコ系民族(Turkic People)に分類されます。彼らは、今日のトルコ共和国だけでなく、アゼルバイジャン、中央アジア、新疆ウイグル自治区、東シベリアのヤクート共和国に至る、ユーラシア大陸の東西に広く分布しています。

 

そのため、キルギス語はトルコ語と近しい関係にあります。トルコ語やキルギス語で「40」はkırk(クルク)といいますが、これが、民族名・国名の由来になっています。つまりキルギス(クルグス)は「40部族の国」で、彼らをまとめて外敵と戦って国を守ったのが、民族叙事詩に出てくる伝説の勇者「マナス王」です。

 

首都ビシュケクの中心「アラトー広場」にマナス王の騎馬像があり、首都空港にもマナスの名が冠せられているほど、この名前はキルギス民族の象徴となっています。

 

 

【出稼ぎ経済の国】

 

1991年、ソ連崩壊の直後に成立したキルギス国家は、建国後30年近くを経過しましたが、経済建設に苦労したまま今日に至ります。2018年の一人あたり名目GDPは1268ドルと低く、世界186か国中の154位。中央アジアではタジキスタンの次に貧しい国とされます。

 

内陸最奥地にある国、しかも国土の93%が標高1500m以上の高地という山岳国で、物流の意味では極めて不利です。強い輸出産業がない農業国で、人口600万人しか居ない国なのに仕事はそれに輪をかけて少ないため、国民の優に10%以上が、旧宗主国のロシアや隣国カザフスタンに出稼ぎに行きます。

 

モスクワ等で肉体労働や汚れ仕事に励むキルギス人がもたらすルーブルは、キルギスにとって大事な外貨収入。首都ビシュケクに出稼ぎマネーが集まる結果、この街はGDP1200ドル余りの国とは思えないほど発展しています。
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【世界最安値の首都不動産】

 

キルギスの首都ビシュケクの中心地でさえ、今なら不動産を安く買えます。外国の個人名義で土地所有はできませんが、区分アパートメントなら所有権が持てる状況です。

 

不動産マーケット的には、この国はまだ初期段階にあり、マイホーム文化の萌芽はあれど、賃貸市場や二次売買市場が十分に育っていません。外国出稼ぎでお金を得たキルギス人ファミリーを中心に、ビシュケク市内~近郊の新築マンションを購入する意欲は高く、多くの人が、7~9万USドル位で住まいを買いますが、借りて住むことは一般化していません。その点は日本の昭和40年代頃の感覚に近いかな。

 

一方で、都心部のアラトー広場や国会議事堂南側の高級感あるエリアになると、そこは大使館職員や外国人ビジネスマンの世界。彼らはUSドルで家賃を払って借りることが一般的で、中古流通マーケットもそれなりに機能しているので、しっかりした管理会社さえあれば中長期保有型(Buy and Hold)の不動産に向く場所といえます。

 

 

この一帯の新築分譲や築浅の流通価格は、㎡あたり1100~1500USドルが相場。賃貸で人気のある2ベッドルーム2バスルーム(ボリュームゾーンは100~130㎡)は11~18万USドルといったところ。賃貸に出すとグロス利回り8~10%といったところ。

 

新興国とはいえ、首都の都心エリアで100㎡以上の新築に住めて2000万円いかない値段は凄いです。坪単価は40~55万円で、私がこれまで行ったなかで最安値国です。

 

 

あまり投資向けではないのかもしれませんが、300㎡超えの大型ペントハウス等も流通していました。大使クラスの方が住まわれるのでしょうか?この物件は335㎡で45万ドル、5000万円しないんですね。

 

 

中古でもちゃんとレノベすれば良い値段で再販できるようです。

 

【USドル家賃を高利で定期預金できる!】

 

キルギスがさらに面白いのは、都心部レジデンスの賃貸経営ならUSドルで家賃を受け取り、かつ、それを銀行に預けて高利運用できることです。キルギス国立銀行へヒアリングしたところ(2019年11月現在)、

 

一年定期預金の金利は、
●USドル建で5%
●キルギスソム建で12%

こんなに高い金利にも関わらずキルギスでは預金金利利益は非課税です。たとえばの話、「すぐ貸せる都心物件を17万ドルで購入して、大使館職員に1400〜1500ドルで貸して、家賃をUSドル建かキルギスソム建の定期預金で複利運用すれば、高利回りでキャッシュが増える」ということも可能なのです。

 

【現地管理会社は日本語対応可】

 

海外不動産投資の本質的な難しさは、物件が自分の住まいから非常に遠いところにあること。自分ですぐ行けるわけではない以上、現地で運用してくれる信頼のおけるパートナーが不可欠。彼らが居ないと、いくらマーケットが良くとも、画餅になってしまいます。

 

私が今回、キルギスに行った主な理由は、不動産視察とともに、現地で管理してくれるチームがどれだけしっかりしているかを見極めることでしたが、キルギスビジネスに長年携わってきた日本人の会社が窓口になり、現地管理チームも日本のキルギス大使館で長年勤めていた方や、コンクリ・建築会社経営の方、驚くほど多士済々が揃い、彼らが居れば何とかなりそうな気がしました。賃貸管理費は家賃の10%、もちろん日本語対応可。

 

【終わりの一言】

勝手知らない海外、しかも新興国キルギス…ということで、不動産保有中に何が起こるか分かりません。少なからぬ不確定要素があるなかで、「キルギスに親しみが持てる」、「ハプニングも多分楽しめる」、「10年後のキルギスの成長と、値上がりが楽しみ」という方には向くかもしれません。私の経験上からいって、一国の首都中心地で坪40~50万円で買えれば、5~10年のスパンで保有して最終的に損はしないだろうと思います。

キルギスは小国とはいえ、まともな都市がビシュケクしかありませんから、今後も人口が集まるでしょうし、イスラムの国だから出生率高く、人口伸び率も高く推移するでしょう。ロシアやカザフへの出稼ぎは今後当面続くでしょうが、そのマネーの受け皿もビシュケクしかありません。そして、街がきれいでおしゃれなのも良いですね。

 

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「金持ちと非・金持ちの違い」を理解し、「格差」を自力で乗り越えよう

こんにちは、Manachanです。久々のブログ更新になります。

今回は、私が普段、海外不動産の活動を通じて見聞する「金持ち」と「非・金持ち」の根本的な違いと誤解について整理したいと思い、私の頭のなかにあるものを図で表してみました。

 

1)金持ちの「富の構造」は3段階からなっている。

・有形の富(現金や資産など、目に見える、数値で測れるもの)
・無形の富(信用・人脈、知・リテラシー、スキルなど、目にみえないもの)
・彼らをとりまく「情報」(有益なものと、劣悪なものと、両方ある)

 

2)金持ちには情報が集まる

・金持ちには雑多な人々が群がり、それぞれの思惑で情報を持ち込む。
・優れた者ほど、情報の良し悪しを判断する「知・リテラシー」(無形の富)が発達している。
・良質な情報は、結果として彼らの有形・無形の富を、さらに豊かにする。

 

3)非・金持ちも、3段階の「富の構造」を持っている。但し、金持ちのそれとは質量ともに圧倒的な違いがある。

・有形の富、無形の富の絶対量が少ない。
・一般論として、劣悪な情報に取り囲まれている。典型的には「庶民を食い物にする貧困ビジネス」、「妬み、そねみ。それと結びついた左派的政治言説」など。
・劣悪な情報の特徴は、「有形の富しか見えてない」こと(例.「手っ取り早く稼ごう」、「金持ちから税金とろう」等々…)

 

4)劣悪な情報は、ただでさえ乏しい非・金持ちの有形・無形の富を、さらに痩せ細らせる

・「値段に見合う価値のない高額セミナー」、「信用や時間をお金に換えるビジネス」等々

 

貧富格差の構図を指摘した上で、その次の筋書きも、考えてみました。

 

5)非・金持ちが、金持ちの側に近づくには、まず、目に見えない「無形の富」や「情報」に着目すべき。

・具体的には、「知・リテラシー」を強化することで、劣悪な情報を排除し、身の回りを「良質な情報」だけで固める

・その情報を使って、「まず無形、次に有形」の順で、徐々に豊かにしていく。
6)具体的な方法は数多いが、たとえば「正直な情報発信を長年継続」は有効性が高いほう方。

・ありのままの自分をさらけ出し、ブログや動画チャンネルで正直な情報発信を長年続けていく

・興味のあるひとつのテーマを長年追求して、誰よりも詳しくなる 等々

 

7)中長期的は、有形の富と無形の富は、一定のバランスをとるようにできている。

・無形の富が充実すればするほど、それと帳尻をあわせるように有形の富も自然についてくる。つまり一歩一歩、金持ちの側に近づいていく。

 

視点を変えて、「貧富格差を乗り越える人格」について書いてみます。

【”いい奴”、”おもろい奴”が、貧富格差を乗り越える】

「持てる者」と「持たざる者」の経済格差(特に資産格差)が、世界的に拡大している昨今。「持たざる者」の側に生まれた者は、今の世をどう生きるべきか?「持たざる者」の立場に立った時に、自分に何ができるか?を考えてみました。

(私の出自は「持たざる者」ですが、最近は国際不動産ビジネスを通じて、「持てる者」の側に居る方々ともお付き合いしているので、その観点から書きます。)

 

1)「持たざる者」ほど、貧富を分け隔てるものは「お金」だと思い込んでいますが、それは本質的な理解ではありません。この世は、「人々の有限な時間」と、「その時間を使ってつくられた有形無形のリソース(知識、商品、財産、サービス等…)」からできています。「お金」は「ひとさまの有限な時間」や「リソース」を買う手段のひとつに過ぎません。

2)同じ時間を費やすにも、「誰に時間使ってもらうか」によって、結果に大きな差が生まれます。ビジネスでお金をつくる方法、海外不動産で資産運用する方法、CTスキャンの解析データから疾病リスクを読み取る方法…生半可な素人が100時間費やしても、その道の超プロの費やす1時間に及ばないことが、世の中たくさんあります。

3)超プロが、商売の道に生きる場合、誠実な者ほど、富裕層になることが多い。なぜなら世の中、「人々の困っていることを発見し、問題を解決してあげる」と、「お金」というかたちで返ってくるからです。

4)超プロが、自分の時間を費やす(費やしたくなる)動機は、お金だけとは限りません。よく観察すると、彼らは一銭の対価も得られないのに、「いい奴」や「おもろい奴」のために、最上級のノウハウを惜しげもなく与えることが多いです。

 

起業して、会社を大きくしようとすると、必然的に、いろんな専門家の知識・ノウハウを拝借することになります。変化の激しい現代、自分で試行錯誤するより、超プロの当世最高水準のノウハウを買った方が早いことも多い。その対価をお金で払おうとすると、非常に高額になります。

そこで、お金のない私は、自分が海外各地で得てきた経験を、ブログやFBで情報発信することによって、超プロな方々に「いい奴」、「おもろい奴」と思ってもらうことを心がけました

運と相性がよければ、自分が彼らにとって「いい奴」、「おもろい奴」、「一緒に時間過ごして楽しい奴」になれることもあります、そんな時、彼らは自分の有限な時間やノウハウ、人脈を、惜しげもなく与えてくれます。それこそが、私を「持たざる者」から「持てる者」に変えてくれる、超特急切符だったりするのです。

 

だから私、思うのです。お金持ちになりたい者が、お金そのものを目指してはだめなのだと。

それよりも、自分の内面に目を向けて、「強み」はどこにあるのか、「いい奴」や「おもろい奴」として自分をプロデュースするにはどうすれば良いのか?それを考えた方がずっと早いし、成果が上がると思います。

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【これは酷い】N国党、柏で一般人に罵声を浴びせ8分間追いかけ回し晒し者に、こいつら暴力ゴロツキ集団?

皆様こんにちは、Manachanです。

私の生まれ育った柏の街で、とんでもないことが起こってたんですね。2019年8月4日の出来事。

今年7月21日に政党要件を満たしたばかり、立花孝志党首率いる「NHKから国民を守る党」(N国党)が、柏市議会選挙中の演説で、聴衆のヤジにマジギレして、立花氏、大橋候補者(現・市議)および黄色シャツを着た7~8名の集団が、一般人男性を8分間、500mにわたって追いかけ、罵声を浴びせ、(タクシーに乗ろうとした男性を無理やり引きずり下ろすなど)身体的な暴力までふるったという信じがたい事件。

さらに信じ難いのは、N国党自身が、この動画をYoutubeにアップしていることです。すでに立花氏は参院議員、権力者の立場で一般人を許可なくネットに晒すのもさることながら、自分たちが暴力ゴロツキ集団だということを自ら衆目に晒しているのです。

23分余りの長い動画ですが、見どころは15分以降に集中しています。

 

15分40秒 演説中に「嘘つき!」のヤジが…すぐさま、大橋まさのぶ候補者(当選して現・柏市議)が激しく反応、黄色いシャツを着た7~8人くらいの集団で追いかけまわす。

16分16秒 ヤジを言った年配男性を、N国スタッフ7~8名が取り囲み「選挙妨害だ!」。ものすごい罵声が数分続く。

17分39秒 N国「警察よびますよ!」

18分30秒 N国「名誉棄損だ!」

21分18秒 家に帰りたいといってる年配男性を、旧水戸街道を信号無視して追いかけるN国スタッフ

21分45秒 N国「逮捕しますよ」

22分12秒 千葉銀通りでタクシーに乗ろうとした年配男性をN国スタッフ数名が力づくで阻止。

22分25秒~40秒 通りがかりの女性に大橋候補者&N国スタッフが罵声を浴びせる

23分01秒 立花孝志代表 年配男性の耳にガラケーを押し付ける

 

立花孝志(公党の代表、参院議員)、大橋まさのぶ(柏市議)および、黄いろシャツ7~8名の集団は、一般人男性を、8分間、500メートルにわたって追いまわし、罵倒し続けました。その恐怖と屈辱の8分間を、柏の地図に落としてみました。

 

‥‥絶句、という以外にない。

国会議員まで出してる公党が、こんなことやって、許される?

私、子供たちにこの動画見せました。10歳の息子は「N国から国民を守る党が必要だね」と…

れいわよりも、N国の方が早く、日本の社会から拒絶されると思う。マツコ集団襲撃の件もあるし、立花氏も数か月後にお縄かな。

柏の街で、こんなことやる奴らは許せない!こんな暴力政党は日本に要らない!

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日本へUターン起業のすすめ(5)

(この物語はフィクションです)

東京オリンピックを間近に控えた2020年3月上旬、Aさん一家は、大きな転機に立っていました。

日本に再移住して3年余り、娘は小5、息子は小2になり、子供同士の会話はもともと英語だったのが、今では日本語で話すことが多くなりました。学校の勉強が順調とは程遠いですが…あと英語力レベルの維持は週1回の補習校通いで何とか頑張っています。

 

子供も妻も元気で日本社会に適応してくれるのは有難いですが、いま懸念となっているのは、Aさんのジョブ・セキュリティの問題‥‥

外資勤めなので、一生会社に面倒見てもらおうなんて思ってはいませんでしたが、いざ、リストラされて東京の路頭に迷ってみると…学齢期の子供2人も抱え、これからどうやって生きていこうか、男43歳、途方に暮れてしまいました。

とりあえず失業保険は6か月間もらえますが、支給額これまでもらっていた手取り給料の4割くらい。生活水準を落とさないため、一刻も早く転職すべく、すでに履歴書も送り、面接アポも入っていますが、そのことがかえって、Aさんを悶々とさせます。

 

「俺は、勤め人をやるために、オーストラリアを離れて日本に戻ってきたんだろうか?」

 

退職を期に、オーストラリアに戻るという選択肢を、Aさんは考えていませんでした。戻ったところで、自分は働いて金を稼がなくちゃならない。サラリーマンとして再出発する意味では日本と一緒だし、子供たちもせっかく学習言語としての日本語を身につけつつあるところで、いまさら英語環境への復帰もないだろう。

何より、わざわざ一家連れて日本に帰ってきたのに、3年間サラリーマンやっただけで出戻るのは勿体なさすぎる。でも、これから何して生きていけばいい?…その答えは、他ならぬAさん自身が見つけなければなりません。

3月下旬、桜が三分咲きになる頃、Aさんは関西の実家へ一時的に里帰りしました。しばらく見ないうちに、両親もすっかり年老い、足腰弱くなり、病院通いの頻度も増えていました。あと2~3年もすればクルマの運転もきつくなるかもしれません。

 

「東京暮らしも、そろそろ潮時かな…」

 

退職に伴い、東京で暮らす意味のなくなったAさん一家。彼にとって故郷でもなく、生活費も高い東京に居る意味はもうありません。なんだかんだ言って、生まれ育った関西の方が水が合うし、両親の近くで暮らした方が何かと便利でもあり…

この里帰りは、これまでの人生や、自分の価値観やスキル、交友関係を棚卸しした上で、ゼロベースで、これからの長い人生を考える契機になりました。

近所の神社で、満開に近くなった見事なソメイヨシノ、その下で談笑する人たちを見ながら、Aさんは、こうつぶやきました。

 

「何ができるか?」じゃなくて、「いま何をしたいか?」、それを軸に考えてみよう。

できるかどうかはともかく、いま一番やりたいことは、これまで10年間、オーストラリア暮らしで身につけた視点を活かして、日本で新しいビジネスをはじめること。

 

オーストラリアで暮らしたAさんからみて、日本はビジネスチャンスの宝庫にみえます。そう言うと、日本の友人は驚きます、「こんな、人口も減って国力が衰えている国で、どんなビジネスチャンスがあるの?普通は東南アジアとかに行くんじゃないの?」…

でも、Aさんに言わせれば、違うんですね。

 

日本はいま、オーストラリアからみて30年遅れで、働き方改革をはじめている。そして、実質的な移民受け入れもはじめている。

その意味で、日本より約30年進んだオーストラリアの社会を自分は体験している。その時間差から得られる発想で、日本で新しいビジネスをすれば、伸びしろは大いにあるはず。

それは、産業技術やインフラの面で、東南アジアより約30年進んだ日本のビジネスマンが、時間差を活かして進出していく発想と、何ら変わらないはず。

 

「これだ!」、落ちてきた桜の花びらをはたきながら、Aさんは手を打ちました。

 

「素晴らしいのに元気のない日本を、何とか盛り上げたい」と思って、オーストラリアの安定した生活を捨てて、日本に戻ってきた。

東京でサラリーマン3年間やって、俺は悟った。このまま雇われを続けても、たぶん自己実現はできない。

自分のルーツ・関西に帰ろう。そこで、俺だからこそできるビジネスを立ち上げよう。

 

…4か月後

東京オリンピック開催が間近に迫り、関西一帯が猛暑に見舞われる7月半ば、Aさんは大阪市内でささやかな事務所を借り、法人登録をしました。

業種は今のところ、「不動産業」プラス「ビザ代行業」。国をまたぐビジネスになります。

 

1)日本の経営管理ビザや高度人材認定制度を取って移住したい外国人向けのサポート。

2)日本(特に関西近県)で不動産購入・賃貸を希望する外国人向けの仲介(将来的には自社物件を仕入れて寮運営もやりたい)。

3)日本人でオーストラリア不動産を投資目的で買いたい人向けの物件紹介・サポート

 

来月は、1)2)のプロモーションのため、中国の上海・杭州に渡って海外移住フェアに参加する予定。また3)のお客様は首都圏に多いので、今後は定期的に大阪~東京を往復することになるでしょう。

設立当初は自分が動くだけ、お金ばかりかかって、なかなか収入になりませんが、1年後には軌道に乗せたいと正直に話し、妻も子供たちも納得してくれました。

そして何より、ブログのファン達はAさんの人生最大のチャレンジ=起業を心から応援してくれました。早くも、お客さんになってくれた人もいます。

 

まもなく44歳の誕生日を迎えるAさん。オーストラリアを出て4年、自分の選んだ道に悔いはない。自分と家族を大事にしながら、人生の後半戦を精一杯生きていくと誓うのでした。

(完)

 

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日本へUターン起業のすすめ(4)

(この物語はフィクションです)

オーストラリアから日本へUターン移住したAさん一家。日本で育ったとはいえ、10年の海外生活で感覚や価値観が相当変わりましたので、日本社会に復帰する上でいろいろな課題や気づきがありました。

 

1)日本で実年齢は必ず聞かれる

Aさんは、オーストラリアの暮らしで、自分の実年齢を意識することはありませんでした。職場や面接で年齢聞かれたことは一度もありません(求職者に生年月日聞くのがそもそも違法です…)。同僚も海外からの移住組が多く、さまざまな年齢で移住してきています。上下関係が年齢とリンクしてないなか、わざわざ、ひとさまの年齢を知る理由はありません。

そんなAさんが、日本で就職活動をすると、履歴書に生年月日を書く欄があるのをみて驚きました。面接でも普通に年齢聞かれましたし、職場でも上司や同僚に、年齢や出身学校や卒業年次を聞かれたのは、さすがに違和感がありました。

でも、日本でしばらく暮らすうちに、なぜ相手の年齢を知りたがるのかを理解できるようになりました。日本人は、相手の年齢を自分の年齢と比較したうえで、言葉遣いや対応の仕方を考えるからなのですね。オーストラリアでは成人すれば年齢問わずフラットな感じがありましたが、日本の人間関係では、年齢などの上下関係がないと座りが悪いのでしょう。とはいえ、女性に年齢聞くことは文脈によっては軽いマナー違反になることも学びました。

 

2)言葉を使わずに「察する」ことが求められる文化

Aさんが、子供が学校からもらってくる教科書に一通り目を通した上で、一番価値が高いと思ったのが「道徳」の教科書でした。

読み物としてのクオリティが高く、子供の日本語読解力キャッチアップに役立つ上に、内容も「思いやり」とか「公共を大切にする心」、「歴史や文化を尊重する心」、「客観的状況から事実を把握するスキル」など、人間として生きる上で大事なことばかり。我が子がこれを内面化できれば、一生の財産になると思いました。

その代わり、「一流の食材は、一流の料理人じゃないと扱えない」。こんな深い内容の教材を、平均的な小学校教師が上手に扱えるとは思えないので、家庭教育の素材として徐々に使っていこうと思うAさんなのでした。

道徳の教科書自体、オーストラリアでは見たことありませんが、読んでて明らかに「日本的だな」と思ったのが、「言葉を使わずに、察する」コミュニケーションが重視されること。たとえば、「雨の日のバス停近く、商店の軒下で雨宿りしながら並ぶ人が数名いる状況に気づかない子供が、来たバスに真っ先に飛び乗って、お母さんに怒られた…なあぜ怒られたのか考えてみよう」という文章がありました。オーストラリアで同じことが起これば、雨宿りしている大人が”Please do not jump the line, mate!”(列に横入りはやめようね)と、言葉を使って言うはずです。多民族国家で「暗黙の了解」なんて通用しませんから、「相手の気持ちを尊重しつつ、上手に言葉を使う」スキルの方が重視されます。

そんなオーストラリアの環境に慣れたAさん、「言葉を使わず察するなんて、難しいなあ」と、日本流のコミュニケーションに戸惑う日々が続きます。もっとも、日本の都市部では外国出身住民が増え、ゴミ出しや騒音などのトラブルも増えたため、行政が「やさしい日本語を使って説明しよう」キャンペーンをやったりしています。日本社会も徐々に、「言葉を使ったコミュニケーション」が重視される流れなのかもしれません。

 

3)いまさら「働き方改革」なんて・・・・

Aさんが移住した頃の日本は、安倍政権による「働き方改革」の呼びかけが始まった時期でした。一言でいうと「労働生産性を上げて、極力残業しない働き方を実現する、副業やダブルワークも柔軟に認める」…という内容ですが、よく考えれば、オーストラリアで、そういう状態は30年以上前に実現しているわけで、「何をいまさら」感がある。

Aさん自身も、オーストラリア在住当時、残業はほぼしなかったし、アフター5の自由時間を使ってちょっとした副業をしたりしました。周りもそれが当たり前でした(本業でエンジニアなのに、副業で家具のビジネスを立ち上げて、そちらが本業になっちゃった奴もいます)。

日本はオーストラリアからみて、テクノロジーや産業の進んだ先進国にみえるけど、働き方の面では、30年以上遅れてるんだなあと思った次第。

 

4)日本に来て「捨てた利便性」と、「得た自由」

日本にUターンした場所が東京だったこともありますが、Aさん一家は移住後まもなく、「日常的にクルマを使う利便性」を捨てなきゃいけないことを悟りました。

オーストラリアに居た時は、基本どこに行くにも、クルマ利用。時に渋滞の悩みはありますが、慣れると「クルマのトランクに全てを詰め込んで、自宅まで一歩も歩かず、重いものも持たずに移動できる」便利さがありました。でも東京でそれは無理な相談。まずもって駐車場が高い、行った先で駐車も一苦労。道路も狭く、結局、公共交通機関を使ったほうがはるかに早く到達できる。Aさんはマイカーを持つ考えを諦め、普段は電車やバス。たまにクルマ使う時は、いま流行りの「カーシェア」でレンタルすることになりました。

また、オーストラリアで当たり前だった、「広い庭、広い居住空間」も、東京では諦めなくてはなりませんでした。もっとも、東京で広い庭なんて無理だと知っていましたが、室内の居住空間もかなりコンパクトになります。いまAさん一家の住まいは、専有面積75㎡前後2LDKバルコニー付の集合住宅。「ずいぶんコンパクトだな」と思いましたが、周りをみると、「東京の都心近くで75㎡に住めること」境遇自体が比較的恵まれていることを悟りました。

クルマを捨てたAさん一家、「駅やスーパー、コンビニまで歩くか、自転車に乗る」ライフスタイルになりました。最初はもちろん、慣れるのに大変でした。夏の暑い日も、冬の寒い日も、雨や雪の日も、とりあえず外気にさらされるわけです。特に、信号待ちする時が苦痛でした。これまでクルマでラクしてたんだなあと悟りました。

とはいえ、この生活に慣れれば、しめたもの。夜中11時12時でも人通りがあってお店が開いてて、女性ひとりでも買い物に行ける自由を手にしました。オーストラリア都市部で、こんな遅い時間に外出するのはまず考えられませんし、治安の懸念もありますが、日本(東京)では「夜中に、一人で外出して、好きなことをする」自由があります。

あと、子供のいる家庭人としていうと、オーストラリアだと公園にも親がついていくのが当たり前ですし、子供一人で留守番させることもありません。そもそも12歳以下の子供を放置すればネグレクトで犯罪になりますが、日本では親不在で子供だけで公園や街で遊ばせることができる…それには驚きました。治安の良さのおかげでもあるのでしょうが、「子供から目を離して親の時間を過ごせる自由」ってあるんですね。

 

Aさんは、オーストラリアで長年暮らした視点から、日本の文化や暮らし、働き方を再発見するブログを書き始めました。それが好評を博し、ファンも増えてきました。

数年後、Aさん一家に転機が訪れた時に、こつこつ書いてきたたブログが幸いすることになるとは思ってもみませんでした。

 

次号(最終回)に続く

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日本へUターン起業のすすめ(3)

(この物語はフィクションです)

201X年10月…

オーストラリアからの帰国移住で、日本(東京)での生活をスタートしたAさん一家。今日は、近所の公立小学校に通う、2年生の娘が通知表をもらってくる日です。

昔は「通信簿」という呼び名でしたが、今では「あゆみ」と呼ぶそうです。日本の学校、以前と同じ3学期制ですが、「あゆみ」が送られてくるのは、前期と後期の、年2回。10月は二学期真っ最中なのに、このタイミングで前期が終わって通知表が来るのは、不思議な感じがします。

 

オーストラリアで生まれた娘が、日本の学校になじめるのかどうかが、Aさんと奥様の最大の心配事でした。幸い今のところ、学校には毎日行けてますし、日本語で先生や友達とちゃんと話せているようですが、いろんな面で、やりにくさを感じているようでもあります。

というか、日本の学校に違和感を感じているのは、子供というよりむしろ両親なのかもしれません。特に納得いかないのが、「宿題」。

 

・宿題が、やたら多い。

・子供に大量の宿題やらせるのは、親の役割だという、暗黙の期待がある。

・それなのに、親にどうやって宿題をやらせるかという、インストラクションが一切ない。

 

娘はオーストラリアの公立小学校に、PrepとGrade-1、まる2年通いましたが、そこでは普段、宿題など出ないし、教科書類も学校に置きっぱなしでした。たまに宿題が出ることもありましたが、その際は両親に対して、宿題のポイントや指導法を、素人にも分かるよう詳しく説明してくれたものです。

一方、日本の小学校ではオーストラリアとは比較にならない量の宿題が出る、小2の子供が自発的に宿題やるわけないから、結局親が子供をなだめすかせて、時には叱りながらやらせなきゃならないが、やってみると実に大変なんです。こちとら、日本の教育受けてきたとはいえ、教えるプロじゃないんだし、日常生活で忙しいんだから、もっと学校にサポートして欲しいと思いました。

それよりも、子供に勉強教えるという、本来学校がやるべき仕事を、なぜ教師でもない親がやらなきゃいけないのか、人さまの時間を何だと思っているのか…そんな違和感がありました。

 

夏休みになると、「計算ドリル」「漢字ドリル」「一行日記」「読書感想文」「自由研究」など、宿題がどっさり出てきます。

娘は慣れない日本の学校生活でストレス溜まっているだろうと思い、慣れ親しんだオーストラリアで3週間ほど、過ごしました。サラリーマンであまり休めないAさんは1週間ほど一緒に滞在、その後は妻に託しました。

 

オーストラリアで生まれた娘は、のんびり屋なのか、あまり宿題をやる感じでもなく、夏休みは普通に遊ぶものだと気楽に考えているようです。そんななかで私や妻が一番苦労したのが、「一行日記」を毎日書かせること。漢字の難しさはもちろん、普段使っている英語の地名Collingwoodなどを、どうやってカタカナで書くべきか(コリンウッド?コリングウッド?)、娘は分からないし、親もどうやって教えていいのか分からない。担任の先生も日本以外住んだことないから、適切なアドバイスもできない。

それでも、Aさん一家は両親とも日本で教育を受けてきてある程度感覚値もあるので、まだしも対応可能ですが、娘のクラスには両親あるいは母親が外国生まれである児童も数名いるので、学校のサポート体制もろくに無いなかで一体どうやって宿題やらせているのか、いつも不思議に思います。

(注.作者の私は、日本育ちの父親ですが、妻が外国生まれで日本語不自由な状態で、子供を日本の学校に途中編入させましたので、Aさん一家より数倍は大変な思いをしております…)

 

あと日本の学校で戸惑ったのは、紙の配布物がむちゃくちゃ多いこと。学校からクラスから、PTAから教育委員会から、日々、膨大な量の配布物が配られてきて、とてもじゃないが、全部目を通す時間がない。そもそも、何が大事で、何をスルーして良いのか、その判断を自分でして良いかも分からないので、戸惑いました。

大量の紙の管理は大変なので、メールとかLINE、グループウェアなどを通知にもっと使って欲しいと思いました(LINEは親の間で広く使われているようですが…)。

 

昔と違って、いまは日本の普通の公立小学校でも、低学年から英語の授業があります。ALTのネイティブ教師が来て、週1回の授業。日本の子供相手なので大したレベルのことはできませんが、娘は英語できるので、先生からも同級生からも重宝されます。英語の時間だけは、ちょっとしたスターになれる感じです。

とはいえ日本の学校では、娘が英語を流暢に話すことが、必ずしも、ポジティブにみなされるとは限らないことも学びました。むしろ、英語能力より、日本語学習の遅れの方を懸念する教育関係者もいます。先生によっては、「とりえあず英語をやらず、今は日本語に専念した方が良い」と、見当はずれなアドバイスをする人もいます。少なくともAさん一家は、全員が日英バイリンガルであるわけで、日本語しか知らない先生に、バイリンガルを捨てるようなアドバイスをされるのは心外だと、Aさんはまじで噛みついたことがあります。

 

そんな感じで、日本の学校環境、違和感は少なからずありますが、素晴らしいと思う面もあります。特に、給食。あんなに美味しくて、栄養バランスのとれた食事を、安価で提供するシステムが素晴らしい。少なくとも、オーストラリアの学校にあるタックショップよりずっとヘルシーだし、日本の児童の肥満問題がずっと少ないのは、給食のおかげかと思うこともあります。

また、日本の学校は、オーストラリアに比べて、小グループ活動がずっと多い。4~5人くらいのグループで、自主的に課題に取り組んだり、協力したり、学習が遅れた友達を助けたり…向き不向きはありますが、娘が日本語まだ不自由だったころ、小グループの仲間にずいぶん助けてもらって有難かったです。

あと、朝の掃除を子供たちがやったり、美化委員会等があって、周りの環境を清潔に、整理整頓された状態に保つ教育も、日本ならではですね。オーストラリアも学ぶべき点だと思います。

 

Aさん一家が日本に再移住して、1年、2年…と、時が過ぎていきます。弟もお姉ちゃんと同じ小学校に入学して、彼なりに日々、頑張っています。そんな一家に、ある日突然、転機が訪れることになりました。

 

次号(第4回)につづく…

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日本へUターン起業のすすめ(2)

(この話はフィクションです)

201X年2月 東京・溜池山王にて…

オーストラリア移住して10年暮らしたAさん、関西出身。今は慣れないTokyoでサラリーマンをやって、約5か月が経ちました。まだ2月、気温6℃。日枝神社の方から、ビルの谷間を抜けて、寒風が吹きこんできます。

いま、家族の居るオーストラリア・メルボルンは真夏。今年は熱波が来て40℃超えの日もあったという…そろそろ、子供の学校が終わりスクールホリデイに入る頃、いよいよ、4月の小学校編入入学を目指して、一家が東京に集結する日が、間近に迫ってきました。父親ひとり単身赴任生活も、いよいよ終止符が打たれます。

 

Aさんが、10年ぶりに日本の居住者になった際、場所選びに葛藤がなかったといえば嘘になります。妻は九州出身、どっちみち田舎で仕事がなく地元に帰るつもりはないのですが、一方Aさんは関西出身。できることなら、大阪勤務で関西暮らしに返り咲きたかったのですが、一方で、仕事や待遇の面で妥協する気もありませんでした。

曲りなりにも、オーストラリアの英語環境で、プロフェッショナルなエンジニアとして10年働いた男。40歳で日本にUターンする今、自分の経歴やスキルを真に必要としている会社で働きたい、年俸もそれに見合ったレベルでいただきたい。

 

そうなると、日本企業のほとんどは候補から外れます(実際、40歳で海外から出戻りを中途採用する日本企業は少なく、応募しても一次選考でほぼ落とされた…)。逆に、日本に進出する英米系外資なら引く手あまたで、年俸も「1本立つ」(1000万円)レベルなので申し分ない。その代わり、どの求人票みても勤務地は東京23区…

自分のスキルが活かせて待遇も良い求人は、極端に東京一極集中していました。感覚的に「東京80%、関西15%、その他5%」といった感じ。たまに関西の求人があっても、リクルーターが東京に出てきて人探ししている状況を目の当たりにしたAさんは、「日本へUターンするためには、とりあえず東京で働くしかない」ことを悟りました。

 

東京で働く覚悟を決めたら、内定はすんなり決まりました。実は一次、二次面接をオーストラリアのメルボルン事業所でやって、最終面接は東京支社の上司(英国人)と電話会議やって、翌週には内定が出ました。オファーレターには年俸1020万円(固定給850万円+業績連動給170万円)と書いてあり、いまメルボルンでもらっている9万豪ドル(当時のレートで720万円)より大幅UPになります。

9月、妻と二人の子供をメルボルンに置いて、Aさんは残暑の残る東京でスーツ(クールビズ)姿のサラリーマンを始めました。上司や英国本社とは英語、同僚や客先では日本語を使い、セールスと一緒に技術仕様の説明や、客先での据え付け・調整やユーザー教育をする毎日。少人数だし忙しいし、残業もありますが、自分が必要とされていることに満足感とやりがいを感じる毎日。

 

仕事にも東京暮らしにもある程度慣れた翌年2月、Aさんは狭いマンスリーマンションを引き払い、4人家族で住めるよう、湾岸ベイエリア某所にUR住宅を借りました。広いリビングの2LDKプラス納戸、80㎡、築7年のマンション4階部分、ベランダ付、家賃17万円という条件。UR住宅は礼金とか保証料みたいな、訳分からない出費がなく、敷金3か月分だけ払えばいいので、オーストラリア暮らしが長い自分にも理解しやすい明朗会計。

職場までの通勤はドアドアで45分。メルボルン時代はクルマで職場まで片道45分かかっていたので似たようなもの。ただ、日本の場合は暑い日も寒い日も、自宅から駅まで歩く、地下鉄ホームまで階段上り下り…みたいな運動を強いられるので、メルボルンの方が身体はラクでしたね。

 

日本で働きはじめたAさん、最初は税金の安さに驚きました。でも、それは日本の住民税が後払いシステムになっていて、働き始めた初年度はかからない、でも翌年からはしっかりかかるのです。あと健康保険料など、トータルで考えれば日本の税金そんなに安くないことに気づきました(でもオーストラリアより少しマシかな)。

あと、自分が日本を離れた10年前と比べて、外国人の住民が増えたことにも驚きました。東京でも、関西の地元でも、コンビニやスーパー、居酒屋はアジア系外国人が働いているのが当たり前。街を歩けば、普通に中国語が聞こえてくる毎日…逆に、メルボルンで毎日聞いてた「英語」は、職場以外であまり聞く機会がありません。。

 

Aさん来日(?)当初は、見るもの聞くもの全てが新鮮で、コンビニのおにぎりの包み紙を手を汚さずに開けられるとか、コーンスープのパックがこぼれない親切設計になっている等、一つ一つに「おお!日本すげえ!」と感動していたものですが、在住5か月も経てば全てが当たり前になり、新鮮さが薄れてきた頃に、家族が合流することになり、Aさん一家の新たな冒険(?)が始まることになりました。

 

次号(第3回)に続く…

前号(第1回)にもどる…

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日本へUターン起業のすすめ(1)

(この物語はフィクションです…)

生まれ育った日本を離れ、憧れの国オーストラリアに移住して、はや10年。

200X年に技術移住カテゴリーで永住権をとったAさん(仮名)、移住・就職当初は英語の苦労が大きく、現地の日本人コミュニティを頼った時期もあったが、2~3年も住めばすっかり慣れ、今では朝から夜まで、ほぼ英語しか使わない日々が続く。

いつしか子供もでき、地域のパパ友、ママ友、職場の仲間、行きつけの「なんちゃって日本料理店」経営者の韓国人ファミリー、オージーフットボールEssendon Bombersの試合を見に行く仲間…交友関係も、今やこの国に生まれ育ったオージーと変わらない。週末は庭の芝刈りに、近所のショッピングセンターめぐり。たまにGreat Ocean Road界隈のビーチに出かけてバーベキュー、年に1度、4週間の日本里帰りが何よりも楽しみ…そんな日々が続く。

移住5年目に、メルボルン近郊で念願のマイホームを購入。その価値が3~4割上がり、担保価値を使って次の物件を買おうか、もうすぐ学齢になる子供の教育費の方に使っていくか、迷いどころ。勤め先は、オーストラリアで2社目、これまで年俸が順調に上がってきたけど、2年前から昇給がなくなり、転職しようか、でも不景気だからしがみつこうか、思案中…悩み事の中身も、今やオージーと変わらない。

 

はたからみれば、長年追い求めてきたオージーライフを見事に実現したといえるけど、でも何となく、違和感が残る。「このまま、この国で子育てして、年老いていくのが良いんだろうか?」、「俺が長年追い求めてきたことって、本当にこれだったんだろうか?」

とはいえ、この国で暮らしていく分には何の不都合もありません。ここはオーストラリア。中国から、インドから、欧州から、アフリカや中南米から、良質な暮らしを求めて皆が移住してくる国です。今さら出身国に帰りたい人なんて、身の回りには居ません。英語できない老親でさえ呼び寄せてきて、皆、この国で骨をうずめるのが当たり前です。

「そう、このままオーストラリアで暮らし続けても、問題はないんだ…」と、自分に言い聞かせるAさんでした。しかし…

 

「その日」は、なんの前触れもなく、やってきました。

夜中、Aさんはふと、起きて、6歳の娘の安らかな寝顔をみた次の瞬間、「英語での寝言」が聞こえてきました。よく考えたら、この子は朝から晩まで、ABC Kidsの子供番組をみて、近所の子供たちや、3歳の弟との会話もすべて英語。両親との会話だけは日本語だけれど、最近は英語が強くなって日本語がおぼつかなくなってきた。

ここメルボルンには日本語補習校(土曜校)があるので、そこに通わせるつもりですが、日常が英語環境のなか、漢字含めて日本語力の維持は相当難しいと、先輩の日本人親からも聞かされてきました。当たり前のことですが、二人の子供たちは「日本(東アジア)ルーツのオージーキッズ」への道を順調に歩んでいます。別にそれで問題はないんですが、Aさんは決心しました

 

「この子たちが、英語人オージーキッズになってしまう前に、家族で日本に帰るオプションも検討してみよう」

「よく考えたら、オーストラリアでの俺の仕事だって、将来安泰とはいえない。日本に帰った方が、職業的な面でもチャンスが大きいかもしれない」

「私の願いとして、子供たちが日英バイリンガルに育って欲しいわけで、このままオーストラリアに居るより、今の時点で日本に行った方が、漢字力含めて真のバイリンガルになれるチャンスも大きいのかもしれない」

 

Aさん一家は、年1回の長期休暇、日本への里帰り訪問を何よりも楽しみにしています。いつ行っても、日本は素晴らしい。日本通いを10年続けてきて、一度も飽きたことがない。もう他の国に行く気がしない。

子供たちは、当然、ゲーセン通い。オーストラリアで見たこともない高機能で斬新なゲームに夢中。そして、オーストラリアにない「ディズニーランド」「ユニバーサルスタジオ」はじめ、ワールドクラスのエンターテインメントが日本には揃う。新幹線に乗るのも、温泉に行くのも、民宿で畳の部屋に寝るのも楽しい。

何より、日本では日常生活の豊かさが素晴らしい。800円の海鮮丼ランチは、オーストラリアで25ドル出しても食べられないクオリティ。コンビニめしも、おにぎりから牛乳からホットフードからカップ麺からベーカリーまで、何食べても美味しくて高品質、しかもオーストラリアの半額。一番素晴らしいのが「ファミレス」。一品300円くらいで白ワインから辛味チキンからポップコーンシュリンプまで頼めて、しかもドリンクバーがあって何時間も快適に座れる飲食店は、オーストラリアに存在しない。

しかも、日本の電車の時間は正確だし、サービスいいし清潔。街を歩いてもゴミ箱ろくに置いてないのに、シドニーやメルボルンよりゴミが少なくてきれい…こんな環境で暮らせたら日々楽しいだろうなと思う。日本に住んでた時は当たり前すぎて気が付かなったけど、海外に出るとよくわかる、「日本の当たり前は、世界ではありえないクオリティ」であることを。

 

日本はかくも素晴らしい国だし実感もできるのに、昨今の元気のなさ、国力低下、国際影響力の低下も気になる。周りをみても、中国インド東南アジアの出身者、あるいはオーストラリア現地人の方が、企業にしろ移住者にしろ、日系よりは元気でお金もある。そして、どんどん差をつけられているような気もする…

でもって、そういう元気なアジア・オーストラリアの人たちが、ここ数年「日本に行ってきたよ。すごく楽しかった~」と、満面の笑みで帰ってくるケースも増えている。

 

Aさんは、ここで悟ったのです。

「そうか。俺が、日本に帰りたい本当の理由はこれだったんだ!」

「素晴らしいのに元気のない日本を、何とか盛り上げたい。俺なりに貢献したい。」

 

未知の国オーストラリアにやってきて10年、ハンディのあるなかで職と生活を確立したAさんには自信がありました。

「日本に帰ろう。そして、頑張ってみよう…」

 

201X年。Aさん39歳、オーストラリアに移住10年後の決心の日でした。

その日本で、Aさん一家を待ち受けていたものとは…
次回「日本へUターン起業のすすめ(2)」へ続く

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海外不動産は「保有耐性」+「外国耐性」

こんにちは、Manachanこと鈴木学です。いつもブログご愛読ありがとうございます。今回は、「海外不動産とオーナーとの相性」というテーマでひとつ書いてみます。

私は世界の不動産を日本向けに紹介・仲介する業者です(自身が投資家でもあります)。この仕事をやる上で、「お客様と海外不動産とが幸せな関係を結べること」を何よりも大切にしています。ある意味、「海外の物件」と「日本在住オーナー様」の良きご縁を取り持つ、結婚紹介所に近い仕事をしているのかもしれません。

でもって、お客様が幸せになる要因を突き詰めて考えると、次に二つに集約されると思っています。

保有耐性」と「外国耐性」

保有耐性、少し分かりにくい言葉ですが簡単にいうと、「購入後、何年~何十年と負担感なく持ち続けられる物件を選んでいるかどうか?」です。

負担感なく持ち続けられる…たとえば、家賃収入が安定的に入ってきて、ローンを払ってもまだ手残りがあるとか、物件の価値が上がり、いつの時点で売ることになっても損しない等々。あるい多少の現金手出しが発生しても、手元の現金で十分対応できるとか…そういう状態なら安心ですよね。

特に物件が遠い海外にある場合、日本から現金を注入しなければ維持できない状態は悲しいので是非避けたいもの。私の場合、オーストラリアやアメリカの物件は大抵ローン組んで買ってますが、家賃収入から諸費用諸税、ローン返済を差し引いてもキャッシュフローが無理なくプラスになるよう、借入比率を抑え目(50~70%)にしています。

あと、海外保有物件のなかには民泊運用していたり、或いは東南アジア新興国のコンドミニアム等、家賃収入の安定感にやや劣るものがありますが、そういう物件は原則、現金で買ってます。収入が変動してもローン返済がなければストレスなく持ち続けられますから…このように私は、保有耐性が常に高い状態を保つよう配慮して、Happy Investingを続けています。

逆にお客様が不動産を買って不幸になるケースの多くは、保有耐性が低いことから起こります

例えば、年収700万円のサラリーマンが1億円の地方中古RCマンションとかをフルローンで買って、手元の現金が数百万円しかない、みたいな状態は非常にリスキー。空室や修繕で少しお金が出ていけば破綻まっしぐら、売り逃げたくても買った値段では売れない。

私はそんな状態を知ってて物件購入を薦めることは絶対に無いですが、世の中にはそれを平気でやる業者やコンサルが少なからず居て、彼らの養分になっちゃう人も多いのが事実。バブル崩壊、スルガショック、アメリカのサブプライム危機、ユーロ危機…「保有耐性の低い客に、身の丈にあわない物件を売りつける」ことによる悲劇は、国内外の不動産の歴史でずっと繰り返されてきました。

幸い(?)にして、日本人が海外不動産を買う場合は、国内不動産みたいな過剰融資が起こりにくい分、救われてますが、それでも下記のケースでは保有耐性の問題が起こりがちですので注意しましょう。

・日本国内の融資(政策金融公庫やインハウスローン)を引いて海外不動産を買う場合、海外で予定通りに家賃収入が入らなくても日本円で毎月返済しなくちゃならないので要注意。特に「海外学生寮」とか「海外民泊」みたいな「事業ありきの家賃保証案件」を日本のローン組んで買ったのに、業者が保証家賃を払ってくれなかったら悲惨。そういう物件は大抵、元本価値より割高に買わされてますから売り逃げもできません(私そういうものおススメしませんが、どうしても買いたいなら、せめて現金買いすべきだと思います)。

上記の「保有耐性」は国内外の不動産に通じる普遍的な原則だと思いますが、海外不動産の場合は、それに加えて「外国耐性」というテーマも出てきます。

外国耐性とは何か?一言でいうと、「日本と違う外国の流儀に、お客様がどれだけ馴染めるか?」ということ。

これは、向き不向きの差がはっきり分かれます。「外国在住経験」があったり、「国際結婚」してたり、「海外旅行好き」だったりする方は大抵問題ないですが、

逆に、そういう原体験がなく、日本の流儀しか知らず、外国ではそれが通用しないことを理解できていない方は、せっかく収益性や資産価値に優れた海外不動産のオーナーになれても、結果的に不幸になってしまう。たとえば、

・海外に物件持つことが「不安 」で仕方ないと言う人( 独白: 海外という不確定要素をデータや知識で克服できるなら喜んでお手伝いしますが、「海外だから何となく不安」という気持ちだと私では解決できません。)

日本の不動産売買と同じ書類を、海外の不動産売買でも出せという人(独白:無理です!何十億円の大型物件お買いになるならしっかりデューデリレポート出ますけど、数千万円規模のフツーの物件なら現地の流儀に従うしかないです。)

私は、外国耐性のないお客様に対しては、大抵「無理して海外買わなくても良いんじゃないですか?」とアドバイスしています。そういう方が海外物件のオーナーになっても、ちょっとしたことで不安や怒りに苛まれるのが目に見えているから…

一つ補足しますと、外国耐性はマインドセットの問題で、(英語など)外国語スキルとは、あまり関連がありません。英語からきしダメという人でも、外国耐性を見事に備えている方もいれば、流暢な英語を話しても外国耐性に著しく欠ける人もいます。これは「良い、悪い」の問題ではなく「向き、不向き」の問題でして、シンプルに「自分に不向きな資産は持たない方が吉」ということです。

以上まとめると

・私は、海外不動産とお客様の幸せなご縁を取り結ぶ仕事をしたい。

その際に私が必ずチェックするのが、「保有耐性」と「外国耐性」が両方揃っているかどうか?

・どちらかが決定的に欠けている場合、私は海外不動産購入をおススメしない。

上記の原則を踏まえつつ、海外不動産と日本在住オーナー様との、良いご縁を結び続けたいと常に思っています。

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カリブ海唯一の先進国「ケイマン島」の奇跡

こんにちは、Manachanです。いま、カリブ海に浮かぶ島「英領ケイマン諸島」に来てます。諸島といっても島は3つだけで、主島のグランドケイマン島に人口と産業、インフラが集中しています。人口わずか6万人、交通渋滞も滅多にない、長閑で静かな熱帯の島です。

このグランドケイマン島、日本では「タックスヘイブン」(租税回避地)として知られています。同国には所得税も固定資産税も法人税も相続税もありません。6万人しか居ない島民から税金とってもたかが知れてるので、それよりは、外国からお金を落としてもらって経済を回した方が合理的なのです。ケイマンで法人設立すれば事業活動で利益が出ても事実上免税になるということで、世界中の多国籍企業や富裕層が、本国での租税回避目的でこの島を使っています。

だから、グランドケイマン島の中心地「ジョージタウン」は、KPMGとかEYとかDeloitteみたいな、世界を代表するグローバル会計事務所のオフィスが集結しています。英国やカナダをはじめ海外の銀行も支店を設けています。でもニューヨークや香港の金融センターと違って、ケイマンは高層建物が滅多にないこともあり、オフィス街といっても長閑でリラックスした雰囲気が漂います。

で、なぜ私がいま、ケイマンに居るのか?資産隠しや租税回避の指南をしたいわけではありません(今そんな時代でもないし…)。私がここに来るきっかけは、今年2月、米国ラスベガスでの国際不動産フォーラムで、ケイマン地場の不動産業者のプレゼンを聞いて、こりゃ見に行くしかないと思いました。特に私の興味をひいたのが、意外にも、「ケイマンの一人あたりGDP」でした。

ケイマンはカリブ海地域で、唯一、先進国レベルの所得水準を達成しています。

ケイマンは独立国ではなく、英国の海外領土(米国の信託統治領グアムみたいなもの)なので、経済データの入手が簡単ではありませんが、詳しく調べると中進国~途上国が圧倒的多数を占めるカリブ海諸国のなかで、ケイマンの数字が際立ちます。

一人あたり名目GDPランキング (2017~18、世界銀行)
英領ケイマン諸島 64,258ドル
(参考)アメリカ 59,532ドル
(参考)カナダ 45,032ドル
バハマ 35,861ドル
英領バージン諸島 32,000ドル
米領プエルトリコ 30,516ドル
セントクリストファーネイビス 18,789ドル
バルバドス 18,451ドル
トリニダード・トバゴ  17,491ドル
アンティグア・バーブーダ 17,476ドル
(参考)パナマ 17,117ドル

ドミニカ共和国 8,267ドル
ジャマイカ 5,475ドル
ハイチ 894ドル

驚くべきことに、ケイマンはカリブ海地域のなかでダントツの所得水準を誇るだけでなく、平均的にはアメリカ人よりも裕福なのです。

カリブ海地域は16~19世紀にスペイン、イギリス、フランス、オランダの列強の草刈り場になって、多くの国が独立した今日でも公用語が宗主国の言葉だったりしますが、同地域で経済的に成功している国は、ほぼ例外なく「英語が公用語 」です。

ケイマン、バルバドス、トリニダードトバゴ、(カリブ海ではないが大西洋上の)バミューダなど高所得な島国は、いずれも「英語 」 を公用語として、かつ「観光」と「金融」を経済の二大看板にしています。言葉を換えれば、いずれもロンドン・シティを総元締めとする「大英帝国タックスヘブン戦略」の一翼を担うことと、アメリカ人・カナダ人観光客の落とすドルを得ることで、高所得を実現しています。

世界中見て回って思うのですが、製造業を主体に経済成長をはかる国が、先進国になれる例は決して多くないし、ましてやドイツや日本の所得水準を超えるのは至難の業。どんなに優れたハイテクがあっても輸出競争を考えると、自国民の給料水準をそう上げるわけにもいかないからです。一方、グローバル経済のなかで「金融」「ビジネスオペレーション」をメインにして成功した国は、ドイツ・日本のレベルを軽々と超えていくことがあります。

それには二つ条件があって、「英語が公用語か、それに近い英語力を持つ国民であること」と「人口規模が少ないこと」。いま世界で高所得の先進国といえば、欧州ではルクセンブルグやスイス、アイルランド。アジアだとシンガポールや香港、ドバイ等がありますが、いずれも「英語ができて、人口規模が少ない、金融センター」という共通点があります。

カリブ海においては「ケイマン」がその役割を果たしており、 人口6万人と非常に少ないので、金融・観光セクターが生み出す富が国民にいきわたって、アメリカ以上の数字になったのだと思います。

実際にケイマンの景色は、島の隅々まで、「まさに先進国そのもの」です。アメリカフロリダ州に近い景色ですが、生活水準はそれ以上に高いと感じました。

・汚い場所が全くない。スラムや落書きの類が皆無
・道端で物売りとかが出てくることもない。
・建物がしっかり建っており、ボロ家、老朽家屋が見当たらない。
・道路はどこもきれいに舗装されている。
・海岸線はどこもきれいに整備され、環境保護意識の高さがうかがわれる。
・治安が本当に良い。荒れてる場所が全く見当たらない。

特に海の美しさは素晴らしく、一度みたら生涯忘れられないほどのインパクトがありました。このレベルで環境が保全されるためには経済力や教育水準の高さが必要で、貧困に苦しむジャマイカ、ハイチ、ドミニカなど隣国では実現不可能でしょう。

グランドケイマン島Seven Mile Beach

グランドケイマン島Rum Point

なお、ケイマンでも人種の近いによる貧富格差が、無いとはいえません。金融オフィス街を闊歩したり、高級ホテルに泊まりにくるのは欧米系白人が多く、清掃員やウェイターとして肉体労働しているのはアフリカ系黒人が多いです。ただ、後者といえども生活水準が低そうには見れない。それなりに給料をもらって、持ち家に住んで車くらいは持って、先進国の庶民レベルの生活はしているようです。いつもニコニコして、フレンドリーで気持ちの良い人たちです。

なぜ、カリブ海で珍しくケイマンが先進国になれたかというと、歴史的な幸運が重なったのだと思います。同地域の多くの国が今でも苦しんでいるのは、歴史的に少数の白人農園主が多数の黒人奴隷を酷使する歴史を経て、今でも大土地所有や富の極端な偏在があるからです。

隣国のジャマイカとの対比が分かりやすいですが、ジャマイカもケイマン諸島ももともと英国の植民地でした。国土が広くプランテーション農園が多かったジャマイカでは黒人奴隷の子孫が多数を占める社会ですが、農園になる土地が乏しいケイマンでは、大量の奴隷をアフリカから導入する必要がなく、白人自由民と黒人奴隷(のちに開放されて自由民化)が、支配・被支配の関係なく共存する社会が19世紀からできていました。

1962年にジャマイカが独立した時、ケイマンは独立せず、英領にとどまることを選択しました。ケイマンで英系金融を主とした経済発展がはじまるのは1970年代のことで、21世紀に入る前にすでに先進国レベルの所得水準を実現していました。

ケイマンは英国の伝統を受け継ぐ島だからでしょうか、極端な貧富の差をつくらず、極端な商業主義に走らず、社会全体の調和を重視するスタンスを感じました。比較的オーストラリアやカナダに近いと思いますが、海岸線にプライベートビーチをつくらず、万人がアクセスできるようにしたり、木立のなかにバーベキューができる憩いの場をつくったりしていて、そこにも好感を持ちました。

ケイマンでは、ビーチは、みんなのもの

そんなケイマンに来てみて、思ったことを箇条書きすると、

・海も一流、生活水準も一流、治安も一流…こんなに環境が良ければ当然、金持ちに選ばれるよなあ。
・いま、ニューヨークとかサンフランシスコみたいな良い都市で仕事している金融マンがケイマン配属になっても、この環境なら誰も文句いわないだろう。

お金持ちにも、金融マンにも選ばれる場所の不動産価値が、上がらないわけがないと思う。

私、ケイマンを誉めすぎな位、べた 誉めしてますけど、本心です。素晴らしい場所だと思ったから、その気持ちを正直に書いています。タックスヘイブンだからといって金欲ガツガツな街は私嫌いだし、ケイマンはそうではなく、心身とも豊かな環境で、のびのびと子育てしながら人生を過ごすに値する場所だと思うので、このように書いています。

そんなケイマンを、日本の方々に、一人でも多く知って欲しいと思います。最後に、「海が燃える」(Seafire)と呼ばれる、ケイマン名物の夕陽をご堪能ください。

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