【これは酷い】N国党、柏で一般人に罵声を浴びせ8分間追いかけ回し晒し者に、こいつら暴力ゴロツキ集団?

皆様こんにちは、Manachanです。

私の生まれ育った柏の街で、とんでもないことが起こってたんですね。2019年8月4日の出来事。

今年7月21日に政党要件を満たしたばかり、立花孝志党首率いる「NHKから国民を守る党」(N国党)が、柏市議会選挙中の演説で、聴衆のヤジにマジギレして、立花氏、大橋候補者(現・市議)および黄色シャツを着た7~8名の集団が、一般人男性を8分間、500mにわたって追いかけ、罵声を浴びせ、(タクシーに乗ろうとした男性を無理やり引きずり下ろすなど)身体的な暴力までふるったという信じがたい事件。

さらに信じ難いのは、N国党自身が、この動画をYoutubeにアップしていることです。すでに立花氏は参院議員、権力者の立場で一般人を許可なくネットに晒すのもさることながら、自分たちが暴力ゴロツキ集団だということを自ら衆目に晒しているのです。

23分余りの長い動画ですが、見どころは15分以降に集中しています。

 

15分40秒 演説中に「嘘つき!」のヤジが…すぐさま、大橋まさのぶ候補者(当選して現・柏市議)が激しく反応、黄色いシャツを着た7~8人くらいの集団で追いかけまわす。

16分16秒 ヤジを言った年配男性を、N国スタッフ7~8名が取り囲み「選挙妨害だ!」。ものすごい罵声が数分続く。

17分39秒 N国「警察よびますよ!」

18分30秒 N国「名誉棄損だ!」

21分18秒 家に帰りたいといってる年配男性を、旧水戸街道を信号無視して追いかけるN国スタッフ

21分45秒 N国「逮捕しますよ」

22分12秒 千葉銀通りでタクシーに乗ろうとした年配男性をN国スタッフ数名が力づくで阻止。

22分25秒~40秒 通りがかりの女性に大橋候補者&N国スタッフが罵声を浴びせる

23分01秒 立花孝志代表 年配男性の耳にガラケーを押し付ける

 

立花孝志(公党の代表、参院議員)、大橋まさのぶ(柏市議)および、黄いろシャツ7~8名の集団は、一般人男性を、8分間、500メートルにわたって追いまわし、罵倒し続けました。その恐怖と屈辱の8分間を、柏の地図に落としてみました。

 

‥‥絶句、という以外にない。

国会議員まで出してる公党が、こんなことやって、許される?

私、子供たちにこの動画見せました。10歳の息子は「N国から国民を守る党が必要だね」と…

れいわよりも、N国の方が早く、日本の社会から拒絶されると思う。マツコ集団襲撃の件もあるし、立花氏も数か月後にお縄かな。

柏の街で、こんなことやる奴らは許せない!こんな暴力政党は日本に要らない!

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日本へUターン起業のすすめ(5)

(この物語はフィクションです)

東京オリンピックを間近に控えた2020年3月上旬、Aさん一家は、大きな転機に立っていました。

日本に再移住して3年余り、娘は小5、息子は小2になり、子供同士の会話はもともと英語だったのが、今では日本語で話すことが多くなりました。学校の勉強が順調とは程遠いですが…あと英語力レベルの維持は週1回の補習校通いで何とか頑張っています。

 

子供も妻も元気で日本社会に適応してくれるのは有難いですが、いま懸念となっているのは、Aさんのジョブ・セキュリティの問題‥‥

外資勤めなので、一生会社に面倒見てもらおうなんて思ってはいませんでしたが、いざ、リストラされて東京の路頭に迷ってみると…学齢期の子供2人も抱え、これからどうやって生きていこうか、男43歳、途方に暮れてしまいました。

とりあえず失業保険は6か月間もらえますが、支給額これまでもらっていた手取り給料の4割くらい。生活水準を落とさないため、一刻も早く転職すべく、すでに履歴書も送り、面接アポも入っていますが、そのことがかえって、Aさんを悶々とさせます。

 

「俺は、勤め人をやるために、オーストラリアを離れて日本に戻ってきたんだろうか?」

 

退職を期に、オーストラリアに戻るという選択肢を、Aさんは考えていませんでした。戻ったところで、自分は働いて金を稼がなくちゃならない。サラリーマンとして再出発する意味では日本と一緒だし、子供たちもせっかく学習言語としての日本語を身につけつつあるところで、いまさら英語環境への復帰もないだろう。

何より、わざわざ一家連れて日本に帰ってきたのに、3年間サラリーマンやっただけで出戻るのは勿体なさすぎる。でも、これから何して生きていけばいい?…その答えは、他ならぬAさん自身が見つけなければなりません。

3月下旬、桜が三分咲きになる頃、Aさんは関西の実家へ一時的に里帰りしました。しばらく見ないうちに、両親もすっかり年老い、足腰弱くなり、病院通いの頻度も増えていました。あと2~3年もすればクルマの運転もきつくなるかもしれません。

 

「東京暮らしも、そろそろ潮時かな…」

 

退職に伴い、東京で暮らす意味のなくなったAさん一家。彼にとって故郷でもなく、生活費も高い東京に居る意味はもうありません。なんだかんだ言って、生まれ育った関西の方が水が合うし、両親の近くで暮らした方が何かと便利でもあり…

この里帰りは、これまでの人生や、自分の価値観やスキル、交友関係を棚卸しした上で、ゼロベースで、これからの長い人生を考える契機になりました。

近所の神社で、満開に近くなった見事なソメイヨシノ、その下で談笑する人たちを見ながら、Aさんは、こうつぶやきました。

 

「何ができるか?」じゃなくて、「いま何をしたいか?」、それを軸に考えてみよう。

できるかどうかはともかく、いま一番やりたいことは、これまで10年間、オーストラリア暮らしで身につけた視点を活かして、日本で新しいビジネスをはじめること。

 

オーストラリアで暮らしたAさんからみて、日本はビジネスチャンスの宝庫にみえます。そう言うと、日本の友人は驚きます、「こんな、人口も減って国力が衰えている国で、どんなビジネスチャンスがあるの?普通は東南アジアとかに行くんじゃないの?」…

でも、Aさんに言わせれば、違うんですね。

 

日本はいま、オーストラリアからみて30年遅れで、働き方改革をはじめている。そして、実質的な移民受け入れもはじめている。

その意味で、日本より約30年進んだオーストラリアの社会を自分は体験している。その時間差から得られる発想で、日本で新しいビジネスをすれば、伸びしろは大いにあるはず。

それは、産業技術やインフラの面で、東南アジアより約30年進んだ日本のビジネスマンが、時間差を活かして進出していく発想と、何ら変わらないはず。

 

「これだ!」、落ちてきた桜の花びらをはたきながら、Aさんは手を打ちました。

 

「素晴らしいのに元気のない日本を、何とか盛り上げたい」と思って、オーストラリアの安定した生活を捨てて、日本に戻ってきた。

東京でサラリーマン3年間やって、俺は悟った。このまま雇われを続けても、たぶん自己実現はできない。

自分のルーツ・関西に帰ろう。そこで、俺だからこそできるビジネスを立ち上げよう。

 

…4か月後

東京オリンピック開催が間近に迫り、関西一帯が猛暑に見舞われる7月半ば、Aさんは大阪市内でささやかな事務所を借り、法人登録をしました。

業種は今のところ、「不動産業」プラス「ビザ代行業」。国をまたぐビジネスになります。

 

1)日本の経営管理ビザや高度人材認定制度を取って移住したい外国人向けのサポート。

2)日本(特に関西近県)で不動産購入・賃貸を希望する外国人向けの仲介(将来的には自社物件を仕入れて寮運営もやりたい)。

3)日本人でオーストラリア不動産を投資目的で買いたい人向けの物件紹介・サポート

 

来月は、1)2)のプロモーションのため、中国の上海・杭州に渡って海外移住フェアに参加する予定。また3)のお客様は首都圏に多いので、今後は定期的に大阪~東京を往復することになるでしょう。

設立当初は自分が動くだけ、お金ばかりかかって、なかなか収入になりませんが、1年後には軌道に乗せたいと正直に話し、妻も子供たちも納得してくれました。

そして何より、ブログのファン達はAさんの人生最大のチャレンジ=起業を心から応援してくれました。早くも、お客さんになってくれた人もいます。

 

まもなく44歳の誕生日を迎えるAさん。オーストラリアを出て4年、自分の選んだ道に悔いはない。自分と家族を大事にしながら、人生の後半戦を精一杯生きていくと誓うのでした。

(完)

 

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日本へUターン起業のすすめ(4)

(この物語はフィクションです)

オーストラリアから日本へUターン移住したAさん一家。日本で育ったとはいえ、10年の海外生活で感覚や価値観が相当変わりましたので、日本社会に復帰する上でいろいろな課題や気づきがありました。

 

1)日本で実年齢は必ず聞かれる

Aさんは、オーストラリアの暮らしで、自分の実年齢を意識することはありませんでした。職場や面接で年齢聞かれたことは一度もありません(求職者に生年月日聞くのがそもそも違法です…)。同僚も海外からの移住組が多く、さまざまな年齢で移住してきています。上下関係が年齢とリンクしてないなか、わざわざ、ひとさまの年齢を知る理由はありません。

そんなAさんが、日本で就職活動をすると、履歴書に生年月日を書く欄があるのをみて驚きました。面接でも普通に年齢聞かれましたし、職場でも上司や同僚に、年齢や出身学校や卒業年次を聞かれたのは、さすがに違和感がありました。

でも、日本でしばらく暮らすうちに、なぜ相手の年齢を知りたがるのかを理解できるようになりました。日本人は、相手の年齢を自分の年齢と比較したうえで、言葉遣いや対応の仕方を考えるからなのですね。オーストラリアでは成人すれば年齢問わずフラットな感じがありましたが、日本の人間関係では、年齢などの上下関係がないと座りが悪いのでしょう。とはいえ、女性に年齢聞くことは文脈によっては軽いマナー違反になることも学びました。

 

2)言葉を使わずに「察する」ことが求められる文化

Aさんが、子供が学校からもらってくる教科書に一通り目を通した上で、一番価値が高いと思ったのが「道徳」の教科書でした。

読み物としてのクオリティが高く、子供の日本語読解力キャッチアップに役立つ上に、内容も「思いやり」とか「公共を大切にする心」、「歴史や文化を尊重する心」、「客観的状況から事実を把握するスキル」など、人間として生きる上で大事なことばかり。我が子がこれを内面化できれば、一生の財産になると思いました。

その代わり、「一流の食材は、一流の料理人じゃないと扱えない」。こんな深い内容の教材を、平均的な小学校教師が上手に扱えるとは思えないので、家庭教育の素材として徐々に使っていこうと思うAさんなのでした。

道徳の教科書自体、オーストラリアでは見たことありませんが、読んでて明らかに「日本的だな」と思ったのが、「言葉を使わずに、察する」コミュニケーションが重視されること。たとえば、「雨の日のバス停近く、商店の軒下で雨宿りしながら並ぶ人が数名いる状況に気づかない子供が、来たバスに真っ先に飛び乗って、お母さんに怒られた…なあぜ怒られたのか考えてみよう」という文章がありました。オーストラリアで同じことが起これば、雨宿りしている大人が”Please do not jump the line, mate!”(列に横入りはやめようね)と、言葉を使って言うはずです。多民族国家で「暗黙の了解」なんて通用しませんから、「相手の気持ちを尊重しつつ、上手に言葉を使う」スキルの方が重視されます。

そんなオーストラリアの環境に慣れたAさん、「言葉を使わず察するなんて、難しいなあ」と、日本流のコミュニケーションに戸惑う日々が続きます。もっとも、日本の都市部では外国出身住民が増え、ゴミ出しや騒音などのトラブルも増えたため、行政が「やさしい日本語を使って説明しよう」キャンペーンをやったりしています。日本社会も徐々に、「言葉を使ったコミュニケーション」が重視される流れなのかもしれません。

 

3)いまさら「働き方改革」なんて・・・・

Aさんが移住した頃の日本は、安倍政権による「働き方改革」の呼びかけが始まった時期でした。一言でいうと「労働生産性を上げて、極力残業しない働き方を実現する、副業やダブルワークも柔軟に認める」…という内容ですが、よく考えれば、オーストラリアで、そういう状態は30年以上前に実現しているわけで、「何をいまさら」感がある。

Aさん自身も、オーストラリア在住当時、残業はほぼしなかったし、アフター5の自由時間を使ってちょっとした副業をしたりしました。周りもそれが当たり前でした(本業でエンジニアなのに、副業で家具のビジネスを立ち上げて、そちらが本業になっちゃった奴もいます)。

日本はオーストラリアからみて、テクノロジーや産業の進んだ先進国にみえるけど、働き方の面では、30年以上遅れてるんだなあと思った次第。

 

4)日本に来て「捨てた利便性」と、「得た自由」

日本にUターンした場所が東京だったこともありますが、Aさん一家は移住後まもなく、「日常的にクルマを使う利便性」を捨てなきゃいけないことを悟りました。

オーストラリアに居た時は、基本どこに行くにも、クルマ利用。時に渋滞の悩みはありますが、慣れると「クルマのトランクに全てを詰め込んで、自宅まで一歩も歩かず、重いものも持たずに移動できる」便利さがありました。でも東京でそれは無理な相談。まずもって駐車場が高い、行った先で駐車も一苦労。道路も狭く、結局、公共交通機関を使ったほうがはるかに早く到達できる。Aさんはマイカーを持つ考えを諦め、普段は電車やバス。たまにクルマ使う時は、いま流行りの「カーシェア」でレンタルすることになりました。

また、オーストラリアで当たり前だった、「広い庭、広い居住空間」も、東京では諦めなくてはなりませんでした。もっとも、東京で広い庭なんて無理だと知っていましたが、室内の居住空間もかなりコンパクトになります。いまAさん一家の住まいは、専有面積75㎡前後2LDKバルコニー付の集合住宅。「ずいぶんコンパクトだな」と思いましたが、周りをみると、「東京の都心近くで75㎡に住めること」境遇自体が比較的恵まれていることを悟りました。

クルマを捨てたAさん一家、「駅やスーパー、コンビニまで歩くか、自転車に乗る」ライフスタイルになりました。最初はもちろん、慣れるのに大変でした。夏の暑い日も、冬の寒い日も、雨や雪の日も、とりあえず外気にさらされるわけです。特に、信号待ちする時が苦痛でした。これまでクルマでラクしてたんだなあと悟りました。

とはいえ、この生活に慣れれば、しめたもの。夜中11時12時でも人通りがあってお店が開いてて、女性ひとりでも買い物に行ける自由を手にしました。オーストラリア都市部で、こんな遅い時間に外出するのはまず考えられませんし、治安の懸念もありますが、日本(東京)では「夜中に、一人で外出して、好きなことをする」自由があります。

あと、子供のいる家庭人としていうと、オーストラリアだと公園にも親がついていくのが当たり前ですし、子供一人で留守番させることもありません。そもそも12歳以下の子供を放置すればネグレクトで犯罪になりますが、日本では親不在で子供だけで公園や街で遊ばせることができる…それには驚きました。治安の良さのおかげでもあるのでしょうが、「子供から目を離して親の時間を過ごせる自由」ってあるんですね。

 

Aさんは、オーストラリアで長年暮らした視点から、日本の文化や暮らし、働き方を再発見するブログを書き始めました。それが好評を博し、ファンも増えてきました。

数年後、Aさん一家に転機が訪れた時に、こつこつ書いてきたたブログが幸いすることになるとは思ってもみませんでした。

 

次号(最終回)に続く

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日本へUターン起業のすすめ(3)

(この物語はフィクションです)

201X年10月…

オーストラリアからの帰国移住で、日本(東京)での生活をスタートしたAさん一家。今日は、近所の公立小学校に通う、2年生の娘が通知表をもらってくる日です。

昔は「通信簿」という呼び名でしたが、今では「あゆみ」と呼ぶそうです。日本の学校、以前と同じ3学期制ですが、「あゆみ」が送られてくるのは、前期と後期の、年2回。10月は二学期真っ最中なのに、このタイミングで前期が終わって通知表が来るのは、不思議な感じがします。

 

オーストラリアで生まれた娘が、日本の学校になじめるのかどうかが、Aさんと奥様の最大の心配事でした。幸い今のところ、学校には毎日行けてますし、日本語で先生や友達とちゃんと話せているようですが、いろんな面で、やりにくさを感じているようでもあります。

というか、日本の学校に違和感を感じているのは、子供というよりむしろ両親なのかもしれません。特に納得いかないのが、「宿題」。

 

・宿題が、やたら多い。

・子供に大量の宿題やらせるのは、親の役割だという、暗黙の期待がある。

・それなのに、親にどうやって宿題をやらせるかという、インストラクションが一切ない。

 

娘はオーストラリアの公立小学校に、PrepとGrade-1、まる2年通いましたが、そこでは普段、宿題など出ないし、教科書類も学校に置きっぱなしでした。たまに宿題が出ることもありましたが、その際は両親に対して、宿題のポイントや指導法を、素人にも分かるよう詳しく説明してくれたものです。

一方、日本の小学校ではオーストラリアとは比較にならない量の宿題が出る、小2の子供が自発的に宿題やるわけないから、結局親が子供をなだめすかせて、時には叱りながらやらせなきゃならないが、やってみると実に大変なんです。こちとら、日本の教育受けてきたとはいえ、教えるプロじゃないんだし、日常生活で忙しいんだから、もっと学校にサポートして欲しいと思いました。

それよりも、子供に勉強教えるという、本来学校がやるべき仕事を、なぜ教師でもない親がやらなきゃいけないのか、人さまの時間を何だと思っているのか…そんな違和感がありました。

 

夏休みになると、「計算ドリル」「漢字ドリル」「一行日記」「読書感想文」「自由研究」など、宿題がどっさり出てきます。

娘は慣れない日本の学校生活でストレス溜まっているだろうと思い、慣れ親しんだオーストラリアで3週間ほど、過ごしました。サラリーマンであまり休めないAさんは1週間ほど一緒に滞在、その後は妻に託しました。

 

オーストラリアで生まれた娘は、のんびり屋なのか、あまり宿題をやる感じでもなく、夏休みは普通に遊ぶものだと気楽に考えているようです。そんななかで私や妻が一番苦労したのが、「一行日記」を毎日書かせること。漢字の難しさはもちろん、普段使っている英語の地名Collingwoodなどを、どうやってカタカナで書くべきか(コリンウッド?コリングウッド?)、娘は分からないし、親もどうやって教えていいのか分からない。担任の先生も日本以外住んだことないから、適切なアドバイスもできない。

それでも、Aさん一家は両親とも日本で教育を受けてきてある程度感覚値もあるので、まだしも対応可能ですが、娘のクラスには両親あるいは母親が外国生まれである児童も数名いるので、学校のサポート体制もろくに無いなかで一体どうやって宿題やらせているのか、いつも不思議に思います。

(注.作者の私は、日本育ちの父親ですが、妻が外国生まれで日本語不自由な状態で、子供を日本の学校に途中編入させましたので、Aさん一家より数倍は大変な思いをしております…)

 

あと日本の学校で戸惑ったのは、紙の配布物がむちゃくちゃ多いこと。学校からクラスから、PTAから教育委員会から、日々、膨大な量の配布物が配られてきて、とてもじゃないが、全部目を通す時間がない。そもそも、何が大事で、何をスルーして良いのか、その判断を自分でして良いかも分からないので、戸惑いました。

大量の紙の管理は大変なので、メールとかLINE、グループウェアなどを通知にもっと使って欲しいと思いました(LINEは親の間で広く使われているようですが…)。

 

昔と違って、いまは日本の普通の公立小学校でも、低学年から英語の授業があります。ALTのネイティブ教師が来て、週1回の授業。日本の子供相手なので大したレベルのことはできませんが、娘は英語できるので、先生からも同級生からも重宝されます。英語の時間だけは、ちょっとしたスターになれる感じです。

とはいえ日本の学校では、娘が英語を流暢に話すことが、必ずしも、ポジティブにみなされるとは限らないことも学びました。むしろ、英語能力より、日本語学習の遅れの方を懸念する教育関係者もいます。先生によっては、「とりえあず英語をやらず、今は日本語に専念した方が良い」と、見当はずれなアドバイスをする人もいます。少なくともAさん一家は、全員が日英バイリンガルであるわけで、日本語しか知らない先生に、バイリンガルを捨てるようなアドバイスをされるのは心外だと、Aさんはまじで噛みついたことがあります。

 

そんな感じで、日本の学校環境、違和感は少なからずありますが、素晴らしいと思う面もあります。特に、給食。あんなに美味しくて、栄養バランスのとれた食事を、安価で提供するシステムが素晴らしい。少なくとも、オーストラリアの学校にあるタックショップよりずっとヘルシーだし、日本の児童の肥満問題がずっと少ないのは、給食のおかげかと思うこともあります。

また、日本の学校は、オーストラリアに比べて、小グループ活動がずっと多い。4~5人くらいのグループで、自主的に課題に取り組んだり、協力したり、学習が遅れた友達を助けたり…向き不向きはありますが、娘が日本語まだ不自由だったころ、小グループの仲間にずいぶん助けてもらって有難かったです。

あと、朝の掃除を子供たちがやったり、美化委員会等があって、周りの環境を清潔に、整理整頓された状態に保つ教育も、日本ならではですね。オーストラリアも学ぶべき点だと思います。

 

Aさん一家が日本に再移住して、1年、2年…と、時が過ぎていきます。弟もお姉ちゃんと同じ小学校に入学して、彼なりに日々、頑張っています。そんな一家に、ある日突然、転機が訪れることになりました。

 

次号(第4回)につづく…

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日本へUターン起業のすすめ(2)

(この話はフィクションです)

201X年2月 東京・溜池山王にて…

オーストラリア移住して10年暮らしたAさん、関西出身。今は慣れないTokyoでサラリーマンをやって、約5か月が経ちました。まだ2月、気温6℃。日枝神社の方から、ビルの谷間を抜けて、寒風が吹きこんできます。

いま、家族の居るオーストラリア・メルボルンは真夏。今年は熱波が来て40℃超えの日もあったという…そろそろ、子供の学校が終わりスクールホリデイに入る頃、いよいよ、4月の小学校編入入学を目指して、一家が東京に集結する日が、間近に迫ってきました。父親ひとり単身赴任生活も、いよいよ終止符が打たれます。

 

Aさんが、10年ぶりに日本の居住者になった際、場所選びに葛藤がなかったといえば嘘になります。妻は九州出身、どっちみち田舎で仕事がなく地元に帰るつもりはないのですが、一方Aさんは関西出身。できることなら、大阪勤務で関西暮らしに返り咲きたかったのですが、一方で、仕事や待遇の面で妥協する気もありませんでした。

曲りなりにも、オーストラリアの英語環境で、プロフェッショナルなエンジニアとして10年働いた男。40歳で日本にUターンする今、自分の経歴やスキルを真に必要としている会社で働きたい、年俸もそれに見合ったレベルでいただきたい。

 

そうなると、日本企業のほとんどは候補から外れます(実際、40歳で海外から出戻りを中途採用する日本企業は少なく、応募しても一次選考でほぼ落とされた…)。逆に、日本に進出する英米系外資なら引く手あまたで、年俸も「1本立つ」(1000万円)レベルなので申し分ない。その代わり、どの求人票みても勤務地は東京23区…

自分のスキルが活かせて待遇も良い求人は、極端に東京一極集中していました。感覚的に「東京80%、関西15%、その他5%」といった感じ。たまに関西の求人があっても、リクルーターが東京に出てきて人探ししている状況を目の当たりにしたAさんは、「日本へUターンするためには、とりあえず東京で働くしかない」ことを悟りました。

 

東京で働く覚悟を決めたら、内定はすんなり決まりました。実は一次、二次面接をオーストラリアのメルボルン事業所でやって、最終面接は東京支社の上司(英国人)と電話会議やって、翌週には内定が出ました。オファーレターには年俸1020万円(固定給850万円+業績連動給170万円)と書いてあり、いまメルボルンでもらっている9万豪ドル(当時のレートで720万円)より大幅UPになります。

9月、妻と二人の子供をメルボルンに置いて、Aさんは残暑の残る東京でスーツ(クールビズ)姿のサラリーマンを始めました。上司や英国本社とは英語、同僚や客先では日本語を使い、セールスと一緒に技術仕様の説明や、客先での据え付け・調整やユーザー教育をする毎日。少人数だし忙しいし、残業もありますが、自分が必要とされていることに満足感とやりがいを感じる毎日。

 

仕事にも東京暮らしにもある程度慣れた翌年2月、Aさんは狭いマンスリーマンションを引き払い、4人家族で住めるよう、湾岸ベイエリア某所にUR住宅を借りました。広いリビングの2LDKプラス納戸、80㎡、築7年のマンション4階部分、ベランダ付、家賃17万円という条件。UR住宅は礼金とか保証料みたいな、訳分からない出費がなく、敷金3か月分だけ払えばいいので、オーストラリア暮らしが長い自分にも理解しやすい明朗会計。

職場までの通勤はドアドアで45分。メルボルン時代はクルマで職場まで片道45分かかっていたので似たようなもの。ただ、日本の場合は暑い日も寒い日も、自宅から駅まで歩く、地下鉄ホームまで階段上り下り…みたいな運動を強いられるので、メルボルンの方が身体はラクでしたね。

 

日本で働きはじめたAさん、最初は税金の安さに驚きました。でも、それは日本の住民税が後払いシステムになっていて、働き始めた初年度はかからない、でも翌年からはしっかりかかるのです。あと健康保険料など、トータルで考えれば日本の税金そんなに安くないことに気づきました(でもオーストラリアより少しマシかな)。

あと、自分が日本を離れた10年前と比べて、外国人の住民が増えたことにも驚きました。東京でも、関西の地元でも、コンビニやスーパー、居酒屋はアジア系外国人が働いているのが当たり前。街を歩けば、普通に中国語が聞こえてくる毎日…逆に、メルボルンで毎日聞いてた「英語」は、職場以外であまり聞く機会がありません。。

 

Aさん来日(?)当初は、見るもの聞くもの全てが新鮮で、コンビニのおにぎりの包み紙を手を汚さずに開けられるとか、コーンスープのパックがこぼれない親切設計になっている等、一つ一つに「おお!日本すげえ!」と感動していたものですが、在住5か月も経てば全てが当たり前になり、新鮮さが薄れてきた頃に、家族が合流することになり、Aさん一家の新たな冒険(?)が始まることになりました。

 

次号(第3回)に続く…

前号(第1回)にもどる…

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日本へUターン起業のすすめ(1)

(この物語はフィクションです…)

生まれ育った日本を離れ、憧れの国オーストラリアに移住して、はや10年。

200X年に技術移住カテゴリーで永住権をとったAさん(仮名)、移住・就職当初は英語の苦労が大きく、現地の日本人コミュニティを頼った時期もあったが、2~3年も住めばすっかり慣れ、今では朝から夜まで、ほぼ英語しか使わない日々が続く。

いつしか子供もでき、地域のパパ友、ママ友、職場の仲間、行きつけの「なんちゃって日本料理店」経営者の韓国人ファミリー、オージーフットボールEssendon Bombersの試合を見に行く仲間…交友関係も、今やこの国に生まれ育ったオージーと変わらない。週末は庭の芝刈りに、近所のショッピングセンターめぐり。たまにGreat Ocean Road界隈のビーチに出かけてバーベキュー、年に1度、4週間の日本里帰りが何よりも楽しみ…そんな日々が続く。

移住5年目に、メルボルン近郊で念願のマイホームを購入。その価値が3~4割上がり、担保価値を使って次の物件を買おうか、もうすぐ学齢になる子供の教育費の方に使っていくか、迷いどころ。勤め先は、オーストラリアで2社目、これまで年俸が順調に上がってきたけど、2年前から昇給がなくなり、転職しようか、でも不景気だからしがみつこうか、思案中…悩み事の中身も、今やオージーと変わらない。

 

はたからみれば、長年追い求めてきたオージーライフを見事に実現したといえるけど、でも何となく、違和感が残る。「このまま、この国で子育てして、年老いていくのが良いんだろうか?」、「俺が長年追い求めてきたことって、本当にこれだったんだろうか?」

とはいえ、この国で暮らしていく分には何の不都合もありません。ここはオーストラリア。中国から、インドから、欧州から、アフリカや中南米から、良質な暮らしを求めて皆が移住してくる国です。今さら出身国に帰りたい人なんて、身の回りには居ません。英語できない老親でさえ呼び寄せてきて、皆、この国で骨をうずめるのが当たり前です。

「そう、このままオーストラリアで暮らし続けても、問題はないんだ…」と、自分に言い聞かせるAさんでした。しかし…

 

「その日」は、なんの前触れもなく、やってきました。

夜中、Aさんはふと、起きて、6歳の娘の安らかな寝顔をみた次の瞬間、「英語での寝言」が聞こえてきました。よく考えたら、この子は朝から晩まで、ABC Kidsの子供番組をみて、近所の子供たちや、3歳の弟との会話もすべて英語。両親との会話だけは日本語だけれど、最近は英語が強くなって日本語がおぼつかなくなってきた。

ここメルボルンには日本語補習校(土曜校)があるので、そこに通わせるつもりですが、日常が英語環境のなか、漢字含めて日本語力の維持は相当難しいと、先輩の日本人親からも聞かされてきました。当たり前のことですが、二人の子供たちは「日本(東アジア)ルーツのオージーキッズ」への道を順調に歩んでいます。別にそれで問題はないんですが、Aさんは決心しました

 

「この子たちが、英語人オージーキッズになってしまう前に、家族で日本に帰るオプションも検討してみよう」

「よく考えたら、オーストラリアでの俺の仕事だって、将来安泰とはいえない。日本に帰った方が、職業的な面でもチャンスが大きいかもしれない」

「私の願いとして、子供たちが日英バイリンガルに育って欲しいわけで、このままオーストラリアに居るより、今の時点で日本に行った方が、漢字力含めて真のバイリンガルになれるチャンスも大きいのかもしれない」

 

Aさん一家は、年1回の長期休暇、日本への里帰り訪問を何よりも楽しみにしています。いつ行っても、日本は素晴らしい。日本通いを10年続けてきて、一度も飽きたことがない。もう他の国に行く気がしない。

子供たちは、当然、ゲーセン通い。オーストラリアで見たこともない高機能で斬新なゲームに夢中。そして、オーストラリアにない「ディズニーランド」「ユニバーサルスタジオ」はじめ、ワールドクラスのエンターテインメントが日本には揃う。新幹線に乗るのも、温泉に行くのも、民宿で畳の部屋に寝るのも楽しい。

何より、日本では日常生活の豊かさが素晴らしい。800円の海鮮丼ランチは、オーストラリアで25ドル出しても食べられないクオリティ。コンビニめしも、おにぎりから牛乳からホットフードからカップ麺からベーカリーまで、何食べても美味しくて高品質、しかもオーストラリアの半額。一番素晴らしいのが「ファミレス」。一品300円くらいで白ワインから辛味チキンからポップコーンシュリンプまで頼めて、しかもドリンクバーがあって何時間も快適に座れる飲食店は、オーストラリアに存在しない。

しかも、日本の電車の時間は正確だし、サービスいいし清潔。街を歩いてもゴミ箱ろくに置いてないのに、シドニーやメルボルンよりゴミが少なくてきれい…こんな環境で暮らせたら日々楽しいだろうなと思う。日本に住んでた時は当たり前すぎて気が付かなったけど、海外に出るとよくわかる、「日本の当たり前は、世界ではありえないクオリティ」であることを。

 

日本はかくも素晴らしい国だし実感もできるのに、昨今の元気のなさ、国力低下、国際影響力の低下も気になる。周りをみても、中国インド東南アジアの出身者、あるいはオーストラリア現地人の方が、企業にしろ移住者にしろ、日系よりは元気でお金もある。そして、どんどん差をつけられているような気もする…

でもって、そういう元気なアジア・オーストラリアの人たちが、ここ数年「日本に行ってきたよ。すごく楽しかった~」と、満面の笑みで帰ってくるケースも増えている。

 

Aさんは、ここで悟ったのです。

「そうか。俺が、日本に帰りたい本当の理由はこれだったんだ!」

「素晴らしいのに元気のない日本を、何とか盛り上げたい。俺なりに貢献したい。」

 

未知の国オーストラリアにやってきて10年、ハンディのあるなかで職と生活を確立したAさんには自信がありました。

「日本に帰ろう。そして、頑張ってみよう…」

 

201X年。Aさん39歳、オーストラリアに移住10年後の決心の日でした。

その日本で、Aさん一家を待ち受けていたものとは…
次回「日本へUターン起業のすすめ(2)」へ続く

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海外不動産は「保有耐性」+「外国耐性」

こんにちは、Manachanこと鈴木学です。いつもブログご愛読ありがとうございます。今回は、「海外不動産とオーナーとの相性」というテーマでひとつ書いてみます。

私は世界の不動産を日本向けに紹介・仲介する業者です(自身が投資家でもあります)。この仕事をやる上で、「お客様と海外不動産とが幸せな関係を結べること」を何よりも大切にしています。ある意味、「海外の物件」と「日本在住オーナー様」の良きご縁を取り持つ、結婚紹介所に近い仕事をしているのかもしれません。

でもって、お客様が幸せになる要因を突き詰めて考えると、次に二つに集約されると思っています。

保有耐性」と「外国耐性」

保有耐性、少し分かりにくい言葉ですが簡単にいうと、「購入後、何年~何十年と負担感なく持ち続けられる物件を選んでいるかどうか?」です。

負担感なく持ち続けられる…たとえば、家賃収入が安定的に入ってきて、ローンを払ってもまだ手残りがあるとか、物件の価値が上がり、いつの時点で売ることになっても損しない等々。あるい多少の現金手出しが発生しても、手元の現金で十分対応できるとか…そういう状態なら安心ですよね。

特に物件が遠い海外にある場合、日本から現金を注入しなければ維持できない状態は悲しいので是非避けたいもの。私の場合、オーストラリアやアメリカの物件は大抵ローン組んで買ってますが、家賃収入から諸費用諸税、ローン返済を差し引いてもキャッシュフローが無理なくプラスになるよう、借入比率を抑え目(50~70%)にしています。

あと、海外保有物件のなかには民泊運用していたり、或いは東南アジア新興国のコンドミニアム等、家賃収入の安定感にやや劣るものがありますが、そういう物件は原則、現金で買ってます。収入が変動してもローン返済がなければストレスなく持ち続けられますから…このように私は、保有耐性が常に高い状態を保つよう配慮して、Happy Investingを続けています。

逆にお客様が不動産を買って不幸になるケースの多くは、保有耐性が低いことから起こります

例えば、年収700万円のサラリーマンが1億円の地方中古RCマンションとかをフルローンで買って、手元の現金が数百万円しかない、みたいな状態は非常にリスキー。空室や修繕で少しお金が出ていけば破綻まっしぐら、売り逃げたくても買った値段では売れない。

私はそんな状態を知ってて物件購入を薦めることは絶対に無いですが、世の中にはそれを平気でやる業者やコンサルが少なからず居て、彼らの養分になっちゃう人も多いのが事実。バブル崩壊、スルガショック、アメリカのサブプライム危機、ユーロ危機…「保有耐性の低い客に、身の丈にあわない物件を売りつける」ことによる悲劇は、国内外の不動産の歴史でずっと繰り返されてきました。

幸い(?)にして、日本人が海外不動産を買う場合は、国内不動産みたいな過剰融資が起こりにくい分、救われてますが、それでも下記のケースでは保有耐性の問題が起こりがちですので注意しましょう。

・日本国内の融資(政策金融公庫やインハウスローン)を引いて海外不動産を買う場合、海外で予定通りに家賃収入が入らなくても日本円で毎月返済しなくちゃならないので要注意。特に「海外学生寮」とか「海外民泊」みたいな「事業ありきの家賃保証案件」を日本のローン組んで買ったのに、業者が保証家賃を払ってくれなかったら悲惨。そういう物件は大抵、元本価値より割高に買わされてますから売り逃げもできません(私そういうものおススメしませんが、どうしても買いたいなら、せめて現金買いすべきだと思います)。

上記の「保有耐性」は国内外の不動産に通じる普遍的な原則だと思いますが、海外不動産の場合は、それに加えて「外国耐性」というテーマも出てきます。

外国耐性とは何か?一言でいうと、「日本と違う外国の流儀に、お客様がどれだけ馴染めるか?」ということ。

これは、向き不向きの差がはっきり分かれます。「外国在住経験」があったり、「国際結婚」してたり、「海外旅行好き」だったりする方は大抵問題ないですが、

逆に、そういう原体験がなく、日本の流儀しか知らず、外国ではそれが通用しないことを理解できていない方は、せっかく収益性や資産価値に優れた海外不動産のオーナーになれても、結果的に不幸になってしまう。たとえば、

・海外に物件持つことが「不安 」で仕方ないと言う人( 独白: 海外という不確定要素をデータや知識で克服できるなら喜んでお手伝いしますが、「海外だから何となく不安」という気持ちだと私では解決できません。)

日本の不動産売買と同じ書類を、海外の不動産売買でも出せという人(独白:無理です!何十億円の大型物件お買いになるならしっかりデューデリレポート出ますけど、数千万円規模のフツーの物件なら現地の流儀に従うしかないです。)

私は、外国耐性のないお客様に対しては、大抵「無理して海外買わなくても良いんじゃないですか?」とアドバイスしています。そういう方が海外物件のオーナーになっても、ちょっとしたことで不安や怒りに苛まれるのが目に見えているから…

一つ補足しますと、外国耐性はマインドセットの問題で、(英語など)外国語スキルとは、あまり関連がありません。英語からきしダメという人でも、外国耐性を見事に備えている方もいれば、流暢な英語を話しても外国耐性に著しく欠ける人もいます。これは「良い、悪い」の問題ではなく「向き、不向き」の問題でして、シンプルに「自分に不向きな資産は持たない方が吉」ということです。

以上まとめると

・私は、海外不動産とお客様の幸せなご縁を取り結ぶ仕事をしたい。

その際に私が必ずチェックするのが、「保有耐性」と「外国耐性」が両方揃っているかどうか?

・どちらかが決定的に欠けている場合、私は海外不動産購入をおススメしない。

上記の原則を踏まえつつ、海外不動産と日本在住オーナー様との、良いご縁を結び続けたいと常に思っています。

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カリブ海唯一の先進国「ケイマン島」の奇跡

こんにちは、Manachanです。いま、カリブ海に浮かぶ島「英領ケイマン諸島」に来てます。諸島といっても島は3つだけで、主島のグランドケイマン島に人口と産業、インフラが集中しています。人口わずか6万人、交通渋滞も滅多にない、長閑で静かな熱帯の島です。

このグランドケイマン島、日本では「タックスヘイブン」(租税回避地)として知られています。同国には所得税も固定資産税も法人税も相続税もありません。6万人しか居ない島民から税金とってもたかが知れてるので、それよりは、外国からお金を落としてもらって経済を回した方が合理的なのです。ケイマンで法人設立すれば事業活動で利益が出ても事実上免税になるということで、世界中の多国籍企業や富裕層が、本国での租税回避目的でこの島を使っています。

だから、グランドケイマン島の中心地「ジョージタウン」は、KPMGとかEYとかDeloitteみたいな、世界を代表するグローバル会計事務所のオフィスが集結しています。英国やカナダをはじめ海外の銀行も支店を設けています。でもニューヨークや香港の金融センターと違って、ケイマンは高層建物が滅多にないこともあり、オフィス街といっても長閑でリラックスした雰囲気が漂います。

で、なぜ私がいま、ケイマンに居るのか?資産隠しや租税回避の指南をしたいわけではありません(今そんな時代でもないし…)。私がここに来るきっかけは、今年2月、米国ラスベガスでの国際不動産フォーラムで、ケイマン地場の不動産業者のプレゼンを聞いて、こりゃ見に行くしかないと思いました。特に私の興味をひいたのが、意外にも、「ケイマンの一人あたりGDP」でした。

ケイマンはカリブ海地域で、唯一、先進国レベルの所得水準を達成しています。

ケイマンは独立国ではなく、英国の海外領土(米国の信託統治領グアムみたいなもの)なので、経済データの入手が簡単ではありませんが、詳しく調べると中進国~途上国が圧倒的多数を占めるカリブ海諸国のなかで、ケイマンの数字が際立ちます。

一人あたり名目GDPランキング (2017~18、世界銀行)
英領ケイマン諸島 64,258ドル
(参考)アメリカ 59,532ドル
(参考)カナダ 45,032ドル
バハマ 35,861ドル
英領バージン諸島 32,000ドル
米領プエルトリコ 30,516ドル
セントクリストファーネイビス 18,789ドル
バルバドス 18,451ドル
トリニダード・トバゴ  17,491ドル
アンティグア・バーブーダ 17,476ドル
(参考)パナマ 17,117ドル

ドミニカ共和国 8,267ドル
ジャマイカ 5,475ドル
ハイチ 894ドル

驚くべきことに、ケイマンはカリブ海地域のなかでダントツの所得水準を誇るだけでなく、平均的にはアメリカ人よりも裕福なのです。

カリブ海地域は16~19世紀にスペイン、イギリス、フランス、オランダの列強の草刈り場になって、多くの国が独立した今日でも公用語が宗主国の言葉だったりしますが、同地域で経済的に成功している国は、ほぼ例外なく「英語が公用語 」です。

ケイマン、バルバドス、トリニダードトバゴ、(カリブ海ではないが大西洋上の)バミューダなど高所得な島国は、いずれも「英語 」 を公用語として、かつ「観光」と「金融」を経済の二大看板にしています。言葉を換えれば、いずれもロンドン・シティを総元締めとする「大英帝国タックスヘブン戦略」の一翼を担うことと、アメリカ人・カナダ人観光客の落とすドルを得ることで、高所得を実現しています。

世界中見て回って思うのですが、製造業を主体に経済成長をはかる国が、先進国になれる例は決して多くないし、ましてやドイツや日本の所得水準を超えるのは至難の業。どんなに優れたハイテクがあっても輸出競争を考えると、自国民の給料水準をそう上げるわけにもいかないからです。一方、グローバル経済のなかで「金融」「ビジネスオペレーション」をメインにして成功した国は、ドイツ・日本のレベルを軽々と超えていくことがあります。

それには二つ条件があって、「英語が公用語か、それに近い英語力を持つ国民であること」と「人口規模が少ないこと」。いま世界で高所得の先進国といえば、欧州ではルクセンブルグやスイス、アイルランド。アジアだとシンガポールや香港、ドバイ等がありますが、いずれも「英語ができて、人口規模が少ない、金融センター」という共通点があります。

カリブ海においては「ケイマン」がその役割を果たしており、 人口6万人と非常に少ないので、金融・観光セクターが生み出す富が国民にいきわたって、アメリカ以上の数字になったのだと思います。

実際にケイマンの景色は、島の隅々まで、「まさに先進国そのもの」です。アメリカフロリダ州に近い景色ですが、生活水準はそれ以上に高いと感じました。

・汚い場所が全くない。スラムや落書きの類が皆無
・道端で物売りとかが出てくることもない。
・建物がしっかり建っており、ボロ家、老朽家屋が見当たらない。
・道路はどこもきれいに舗装されている。
・海岸線はどこもきれいに整備され、環境保護意識の高さがうかがわれる。
・治安が本当に良い。荒れてる場所が全く見当たらない。

特に海の美しさは素晴らしく、一度みたら生涯忘れられないほどのインパクトがありました。このレベルで環境が保全されるためには経済力や教育水準の高さが必要で、貧困に苦しむジャマイカ、ハイチ、ドミニカなど隣国では実現不可能でしょう。

グランドケイマン島Seven Mile Beach

グランドケイマン島Rum Point

なお、ケイマンでも人種の近いによる貧富格差が、無いとはいえません。金融オフィス街を闊歩したり、高級ホテルに泊まりにくるのは欧米系白人が多く、清掃員やウェイターとして肉体労働しているのはアフリカ系黒人が多いです。ただ、後者といえども生活水準が低そうには見れない。それなりに給料をもらって、持ち家に住んで車くらいは持って、先進国の庶民レベルの生活はしているようです。いつもニコニコして、フレンドリーで気持ちの良い人たちです。

なぜ、カリブ海で珍しくケイマンが先進国になれたかというと、歴史的な幸運が重なったのだと思います。同地域の多くの国が今でも苦しんでいるのは、歴史的に少数の白人農園主が多数の黒人奴隷を酷使する歴史を経て、今でも大土地所有や富の極端な偏在があるからです。

隣国のジャマイカとの対比が分かりやすいですが、ジャマイカもケイマン諸島ももともと英国の植民地でした。国土が広くプランテーション農園が多かったジャマイカでは黒人奴隷の子孫が多数を占める社会ですが、農園になる土地が乏しいケイマンでは、大量の奴隷をアフリカから導入する必要がなく、白人自由民と黒人奴隷(のちに開放されて自由民化)が、支配・被支配の関係なく共存する社会が19世紀からできていました。

1962年にジャマイカが独立した時、ケイマンは独立せず、英領にとどまることを選択しました。ケイマンで英系金融を主とした経済発展がはじまるのは1970年代のことで、21世紀に入る前にすでに先進国レベルの所得水準を実現していました。

ケイマンは英国の伝統を受け継ぐ島だからでしょうか、極端な貧富の差をつくらず、極端な商業主義に走らず、社会全体の調和を重視するスタンスを感じました。比較的オーストラリアやカナダに近いと思いますが、海岸線にプライベートビーチをつくらず、万人がアクセスできるようにしたり、木立のなかにバーベキューができる憩いの場をつくったりしていて、そこにも好感を持ちました。

ケイマンでは、ビーチは、みんなのもの

そんなケイマンに来てみて、思ったことを箇条書きすると、

・海も一流、生活水準も一流、治安も一流…こんなに環境が良ければ当然、金持ちに選ばれるよなあ。
・いま、ニューヨークとかサンフランシスコみたいな良い都市で仕事している金融マンがケイマン配属になっても、この環境なら誰も文句いわないだろう。

お金持ちにも、金融マンにも選ばれる場所の不動産価値が、上がらないわけがないと思う。

私、ケイマンを誉めすぎな位、べた 誉めしてますけど、本心です。素晴らしい場所だと思ったから、その気持ちを正直に書いています。タックスヘイブンだからといって金欲ガツガツな街は私嫌いだし、ケイマンはそうではなく、心身とも豊かな環境で、のびのびと子育てしながら人生を過ごすに値する場所だと思うので、このように書いています。

そんなケイマンを、日本の方々に、一人でも多く知って欲しいと思います。最後に、「海が燃える」(Seafire)と呼ばれる、ケイマン名物の夕陽をご堪能ください。

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「北欧のラストランナー」伸びゆくエストニアと不動産

こんにちはManachanです。いつもブログご愛読ありがとうございます。今回は先週出張で行った「エストニア」について書きます。同国訪問は昨年9月に続いて2回目です。

エストニアは、九州程度の国土面積に人口わずか140万人という小国。バルト三国の一番北に位置し、首都タリンから狭い海(80km)を挟んだ対岸がフィンランドの首都ヘルシンキという、「ほぼ北欧」な位置にあります。またエストニア人は文化言語的にもフィンランド人と非常に近い「兄弟民族」であることもあり、彼らの地域アイデンティティは完全に「北欧」であるといえます。

エストニアはいま、「電子政府」や「IT大国」という文脈で日本に紹介される機会が増えていますが(ITどうなんでしょうねえ。タリンの街中でWIFIあんまりつながりませんし・・・)、私の視点からいうと、むしろこの国が、「スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、フィンランド、アイスランド」と同一カテゴリーに属する「6番目の北欧の国」であり、その6ヶ国のなかで一番、経済的に出遅れたおかげでポテンシャルが大きい、そこに魅力を感じます。

また、エストニアはバルト三国で唯一、自明な「北欧」ブランドを持っている意味も大きいでしょう。日本では知られていませんが、ヨーロッパ人にとってエストニアは、誰がみてもNordic Country(北欧の国)で、そこはヨーロッパのなかで、生活文化のクオリティが一番高いブランドイメージがあります。東アジアのなかで日本のブランドイメージが高いのと似て、ヨーロッパでブランド価値のある「北欧」の名を、エストニアは堂々と名乗れるポジションに居るのです。

昔から名実ともに北欧の一員だったエストニアですが、ソ連•共産主義陣営に組み込まれたことで、西側だった他の北欧5か国と経済的にかなり差をつけられました。1991年にソ連•ロシアから独立を果たした後、エストニア人は北欧とくにフィンランドの産業•生活水準に追いつくべく、地道な努力を続けてきました。また、北欧諸国もエストニアの産業やインフラのレベルを上げるために支援を続けてきました。

2004年にEU加盟、2011年ユーロ採用・・・独立から30年近く経って、エストニアがフィンランドに追いついたのかというと、たぶん「3分の2くらいは実現した」のだと思います。私は旧共産圏の国によく行きますが、エストニアはチェコ等と共に、経済的に一番成功したグループに入る印象です。バルト三国でいえば、ラトビア、リトアニアに結構な差をつけたトップランナーというイメージ。その差はたぶん、「北欧先進国からの投資・援助の差」という気がします。

エストニアが面白いのは、概して社会民主主義的、大きな政府を好む北欧文化圏にあって、唯一、「小さい政府」「自由放任的」な国であることです。税率が低いので起業や会社設立しやすいし、また、資産を置く場所としてもよく使われます。

また、エストニアの首都タリンは中世の面影を残す旧市街地が大観光地となっており、ヨーロッパやロシアからたくさんの人が訪れ宿泊需要も旺盛ですが、現時点でAirBnBに対する規制がまだありません。ヨーロッパの多くの都市が規制しているなか、ここにも自由放任的なエストニアの特徴がよく表れています。

あとエストニアが面白いのは、奇抜で斬新な建築デザインが目立つこと。他のヨーロッパ諸国と比べてもかなり「勝負した」 デザインの建物が、私たちの目を楽しませます。建築意匠に関する規制が緩く、新しいものに挑戦しやすいのかもしれませんね。とはいえ、北欧文化を受け継ぐ国だからか、とにかく「かっこいい」。どの風景を切り取っても「ダサさ」が全くありません。

不動産投資という意味でもエストニア面白いと思います。タリンは都心部コンドミニアムでも㎡単価が2000ユーロ台前半で、西欧主要国の首都の半額以下、旧共産圏のワルシャワ、プラハ、ブダペストに比べても安い。タリンより安く買えるEU・ユーロ圏の首都は、ラトビアのリガ、リトアニアのビリニュス位しかないと思います。

例えば、私が2019年3月に視察した、タリン中心地に建設中のKadrioru Plaza。内容的にも投資視点でも、なかなか素晴らしい物件と思いました。

1〜4階は商業施設とオフィス
– 5〜9階は住居
– 100m先にバス停と電停があり、都心と空港に直行
– 住居部分は向きによって海か首相官邸か旧市街のViewあり
– 1〜4階部分は各国料理レストランが入り、外に出ずに食事ができる
– 物件の隣が大規模スーパーSeiver。普段使いの買い物はそこででき

建物デザインが円形を基調にしており、断熱も完璧(ウレタン外断熱45cm +内断熱15cmは凄い!)、全室床下暖房だし、施工費用かかってると思いますが、価格はまだ安くて平米2400ユーロ。坪単価@99万円。

投資には65平米(1ベッド+リビング)タイプが良いと思います。お値段は€155,000。長期賃貸に出す場合は家賃€650/月なのでグロス利回り5%くらいですが、 現地の知り合いがエアビーの管理会社をやってて、清掃リネン予約管理含めて家賃の20%でやってくれるので、そこにお任せした場合、今の稼働率と単価ならネット7〜8%も狙えそう。

バルト海の眺望・・・

Kadrioru Plaza完成予想図

タリンの中心地でエリア良いし、これからフィンランドへ行く海底トンネルや、ドイツへ直行する高速鉄道などインフラ整備が進みそうなので、長期保有すればキャピタルゲイン期待も出てくると思います。

対岸、フィンランド・ヘルシンキの平均㎡単価が4962€なので、タリン側Kadrioru Plazaの2400€はざっと半額。ヘルシンキとの経済一体化が進めば、価格差も縮まってくることでしょう。

スタイリッシュで生活の質にこだわる北欧文化圏にありながら、まだ安い価格で不動産投資に参入できて、エアビーで運用しながら価格伸びしろも期待できるという意味では、エストニア・タリンはおすすめです。

 

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不動産屋と地域偏見

こんにちはManachanです。いつもご愛読ありがとうございます、

今回のテーマ「地域偏見」…私が本業にしている不動産屋という職業は、地域偏見とガチで付き合う仕事といえます。

地域偏見とは何か?

どの地域にも他者の主観的評価に基づく「評判」がありますが、そのうち良くないもの…例えば「治安が悪い」、「住民属性が低い」、「実はB地区」等々、その地域に有形無形の不利益を与える可能性のあるものを地域偏見と呼びます。

不動産屋はたぶん、世間一般の人々よりも、自分の担当する地域のミクロな偏見には詳しいでしょう。売買するなら職務として、土地や住民の来歴を知らなければなりませんし、所謂ヤバイ地域を避けたいお客様のために、先回りしてそれを知っておかなきゃいけない面もあります。

そうした、仕事で得られた知識を使って、特定地域に対する偏見を助長することもできてしまうのが不動産屋なのです。

例えば、私はサラリーマン時代、転勤で西日本の都市に移る際に、客として地元不動産屋に物件紹介してもらった経験がありますが、

こちらが頼んでもないのに、「あの地域はヤバイです、一見普通に見えますが実はB地区ですよ」みたいなことを平気で言ってました。たぶん親切心で教えてくれるんでしょうが、その地域にお住まいの方々の心情を考えると「微妙だなあ…」感は拭えず、

その都市に初めて住む者としていえば、ある地域に治安面の懸念があるならば当然教えて欲しいです(とはいえ日本国内だと、私が警戒するようなレベルの治安問題はほぼ存在しません。せいぜい「ガラが悪い」「自転車泥棒が多い」程度の可愛い話で…)。あとは自然災害リスクも知りたいですが今はたいていどの都市にもハザードマップがあるので見れば良いですし、

そんななか、B地区云々は首都圏出身の私にとって正直どうでも良い話です。首都圏にも当然、地域偏見はありますが、それを無意味にする程の凄い数の人口流入が毎年ある場所なので、賃貸で住む程度なら土地や住民の来歴など普通は気にしないのです。

近年は日本でも外国出身住民が増え、諸外国と同様、エスニック構成が地域イメージを形成しそうです。外国人はB地区云々よりは一目で分かりやすく、これからは、「駅の西側は◯◯人が多いから避けましょう」みたいなこと言う不動産屋が増えるでしょう。

私も国内外のいろんな地域の不動産を紹介するにあたって、そこの「外国人比率」について(多くはリスク回避の文脈で)聞かれる機会が増えてますので、当然、実感値も含めて知識を得てはおります。

でも、その知識をどう使うかについては、お客様の要望に添いつつも、自らの良心にも従いたいと思います。

外国人•移民は、大抵どの国でもセンシティブな問題。お金を落としてくれたり雇用をつくってくれる外国人も居れば、自国民の仕事を奪い厄介事を持ち込む外国人も居る。偏見含めていろんな考えや思いがあるなかで、私が常に心がけたいのが、

「(社会における)多数派の立場から少数者をレッテル貼りしたくない

なぜなら、私が海外いくつかの国でマイノリティ(少数者)として長年暮らした経験があり、今なお、日本において妻が外国人というマイノリティな立場で日々暮らしているからです。

もっとも、日本という比較的裕福で対外イメージの良い国に生まれたおかげで、マイノリティとはいえ比較的恵まれた立場ではありました。それでも、お客さんが無邪気に「鈴木さんご紹介物件のエリアは外国人多いんですか?」「治安の問題ありませんか?」みたいに聞いてくると、警戒レベルが1つ上がります。

面と向かって言いませんけど、「外国人•移民で何が悪い?」という心の叫びが…かつて海外に移住し、生きるために英語や中国語を覚え、マイノリティとして地元の連中に伍して働き、社会生活を築き上げていく上で経験したもろもろが、衝動的にフラッシュバックするのです。

お客様に外国人•移民比率云々について聞かれれば正直にコメントしますけど、同時に、(その方が望むなら)不動産オーナーとして、外国人•移民とよりよく付き合うマインドセットを身につけるお手伝いをしたいです。

私は日本で数少ない、海外移住を経験した不動産屋。マイノリティの立場を経験したからこそ、地域や移民に対する偏見を助長するような方向で自らの知識を使いたくないです。

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