グローバルビジネス

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人工知能が人間の仕事を奪うのか?

おはようございます。Manachanです。

昨日、都内で開催された「私立中学の合同説明会」に行ってきました。小学6年生の娘を持つ身として、できるだけ本人に合った教育環境を見つけたいという親心が動機でしたが、同じように考える親は多いようで、ものすごい人出でしたね。170余りのブースが全部埋まり軒並み順番待ちでした。

最近の私立中高のパンフレットを見ると、「人工知能(AI)」という言葉がそこら中に踊っています。たとえば、

「2020年代以降、半数以上の仕事が人工知能に置き換わられると言われています。そんな時代を、どう生き、どう学んでいくか?」

来るべき時代に、いかなる教育ソリューションを提供するのか?できるのか?という点は別として、「いずれ人工知能に仕事を奪われる」という問題意識は、教育界としてかなり共有されているようですね。近所の区立小学校の校長でさえ、こないだそんな話をしてましたから・・

今回のブログは、「本当に、人間の多くの仕事が人工知能に奪われてしまうのか?」を、自らの体験を踏まえて検証・推論したいと思います。

私は、そのテーマを語るのに適した人材の一人だと自負しています。というのは私自身かつてITエンジニアとして、自分自身の仕事が奪われるリスクをリアルに感じ、必要に迫られて転職・キャリアの組み換えをしてきた者だからです。

実際、いま「人工知能に仕事を奪われる」云々の議論は、10年ちょっと前に、「IT技術やグローバル化によって先進国の仕事が奪われる」という議論と瓜二つに見えます。当時書いたエッセイを引用しますね。

ITは職を奪う?(2009/8/6)

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↓ 引用ここから

「ITは、我々の職を守るのか?奪うのか?」という問いに対しては、賛否両論が分かれます。バラ色の将来像を描く人もいれば、逆に職を奪われることを、危惧する人もいます。

日本という、経済先進国で働く者にとってみれば、ITの浸透によって、事務的な仕事が不要になったり、あるいは、より労賃の安い国に流出することによって、より高度で価値の高い仕事にシフトすることを迫られる、それができなければ、職を失う・・・みたいな状況に置かれた人も、多いことでしょう。実際それは、数年前、ITエンジニアとして働く、私の身にも起こりました。

数年前、私はオーストラリアで働いていました。ここは英語圏で、賃金水準が比較的高い国です。当時、同国のITチームの仕事を、インドや中国に移そうという話がありました。それらの国では、ほぼ同レベルのITエンジニアの労賃が、オーストラリアの3分の1から5分の1、と言われていました。特にインド人の場合、英語のハンディもありません。

私は、直感的にこう思いました。「このままでは、職を失ってしまう」と・・・

考え抜いた末、私が到達した結論は、こうでした。

『途上国のITエンジニアで、簡単に代替できてしまうような仕事をしている限り、未来はない』
『途上国のITエンジニアと競争するのでなく、彼らを使う立場にならねばならない』

折りしも、数年前から、我が職場に研修にきていた中国人エンジニアから、耳寄りな話を聞きました。彼の勤務する、大連のオフィスで、いまチームリーダーを募集しているとのこと。それも、二人の部下を率いて、米国の顧客向けに、オフショアからサービスを提供する仕事だとのこと。

中国へ行こう!私はそう決心しました。妻を説得して、電話面接を受けまくりました。そして数ヵ月後、私は住み慣れたシドニーを後にして、マイナス7度、凍てつく大連の土を踏んだのです。

中国での仕事は、大変忙しいものでした。私も部下2名のチームリーダーでスタートしたのが、1年後には3つのプロジェクトを同時に回し、計15名の部下をマネージする立場になりました。

そんな日々、大連オフィスに、見慣れた顔がやってきました。それは、シドニーのオフィスでかつて一緒に働いていた、オーストラリア人の同僚だったのです!話を聞くと、結局、シドニーの仕事を大連に移すことになり、彼の担当するアプリケーション知識を、大連のエンジニアに伝えに来たとのこと。

シドニーから、仕事を追いかけて、赤道を超えて中国にやって来たら、結局、元の仕事が追いかけてきたというわけです。私の選択は、間違っていなかったと、この時確信しました。

↑ 引用ここまで
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そろそろ、話を人工知能に戻しましょう。スマホ搭載AIアプリ、自動翻訳アプリ、医療・介護用ロボット…その発展は目覚ましく、さらに加速しているように見えますが、それが人間の仕事を奪う時には、少なくとも二つのことが起こらなければいけません。

・企業の経営陣が、人間がやっている仕事の全部または一部を、人工知能に置き換えるという「意思決定」が必要。
・上記意思決定の判断材料として、既存の業務フローの全部または一部を人工知能に置き換えるという「業務設計」が必要。

逆にいえば、少なくとも下記の仕事は、「人間」がやらなければなりません。

・人工知能の活用の是非を「責任」をもって決断する仕事
・業務を整理し、人間の労働と人工知能のベストミックスを「設計」する仕事

私が10数年前、「途上国のITエンジニアと競争するのでなく、彼らを使う立場にならねばならない」と考えたのと同様、これからの時代は、「人工知能を使う立場になる」ことを念頭に置いて仕事するのが、結果的に職を守り、キャリアを発展させるのだと思います。

キーワードでいえば、「責任」と「設計」でしょうね。人工知能は定型業務はもちろん、「判断」までできますが、自分の「判断」したことの「責任」までは取りませんし、それは最後まで人間の聖なる仕事として残るでしょう。逆にいえば、組織のなかで責任取らないサラリーマンとか、税務調査入られた時に責任とらない税理士会計士、金融商品の紹介してるだけの資産コンサルタント等は、今後どんどん淘汰されるのでしょうね。

また、業務のなかには、「ハイタッチな人間相手の仕事」のように、人工知能が代替しにくい領域が含まれます。例えば、生きるか死ぬかの瀬戸際になった時、多くの人は人工知能よりも安心して相談できる医師のアドバイスを選ぶでしょうし、そこに「宗教・死生観」がかかわってくると、なおさら、人工知能の及ぶところではありません。また、マイホームのように、多くの人が一生に一度だと思う大きな買い物になると、多くの客は人工知能よりも信頼できる営業マンを選ぶでしょう。つまるところ、業務は「人工知能と人間労働」のベストミックスになるわけで、その全体を「設計」する仕事もまた、人間の聖なる仕事として残るでしょう。

あと言うと、「起業家」も人工知能には代替できない領域でしょうね。自分自身も起業して4年目、実態は「気楽な零細企業社長」として、日々、いろんな方々と出会い、パートナーシップを組んで仕事していますし、ビジネスチャンスを求めて世界中に出かけます。極めて非定型な仕事、かつ属人的なスキル・人間力がものを言う仕事ですので、人工知能がどんなに発達しても奪われることはないでしょう。

以上まとめると、最後の最後まで人間の仕事として残りそうなのは、

・倫理的責任を伴う仕事(経営者など)
・ハイタッチな人間相手の仕事(医者、宗教家、芸術家からセールスマンまで)
・上記全体を設計する仕事(業務プロセス技術者など)
・起業家

これからの時代は、「人間とは何か?」、「労働とは何か?」、「人工知能はどう使うべきか?」、「社会のなかで責任取るとはどういうことか?」といった、本質的な問いを深く思考する能力や、他者を巻き込んで議論を深めていくコミュニケーション能力が必要なのだと思います。あとは、「変わる能力」(=時代のニーズに合わせて自分のスキルや職種を組み替えていく能力)も大事ですね。

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日本人の宗教をどう説明するか?

こんにちは、Manachanです。今朝、羽田を発ち、中国は北京首都空港に飛んできました。これから5泊6日、北京で多忙な日々が待っています。でもメシは楽しみ。

私は仕事柄、ヨーロッパやアメリカにも行くしASEAN圏にもオーストラリアにも行く。月の半分は日本の外に居るので、中国は一応海外とはいえ近いし気が楽ですね。

世界中いろんな地域に行けば当然、それぞれの土地の文化、言葉、慣習、食生活に触れる機会があるし、私の母国•日本についてもいろいろと聞かれます。日本と異なる様々な社会、文化で育った人達と信頼関係を築き、新たな価値を創造していくのが国際ビジネスですし、私もその最前線の現場に立って日々暮らしている自負があります。

ところで、地球上の人類の大部分は、何らかの「神」「宗教」を信じているそうです。行き先の地域によっては私も、「あなたの宗教は何ですか?」と真顔で質問されることが結構な頻度であります。

日本の日常生活やビジネスの場で宗教の話題になることは稀だし、ここ中国でも似たようなもの。日本や中国で、日常的に宗教的実践をしている人の割合はたぶん少ないし、自分が特定の宗教を信仰していると意識する機会も一般的には多くないでしょうが、

東アジアを離れて違う文化圏に行くと宗教が当たり前の話題になることがあり、そこで不用意な答えをするとこちらが望まない誤解をされることがあります。

たとえば信心深い人の多いカソリックの国に行って、宗教を聞かれて「どの宗教も信じてない」と答えると、彼らの文化では「無政府主義者か虚無主義者」みたいに解釈されることがあります。つまり、彼らからみれば極端な(ある意味危険な)思想の持ち主だと…

そんな誤解をされることは私の本意ではありません。私は、「お正月は神社で初詣、墓参りや法事は近所のお寺で、クリスマスはケーキでお祝い」みたいな、日本や中国でよくある「マルチな宗教観」を持ってる一般人に過ぎないわけで、

少なくとも「一般ピープルが当たり前に何らかの宗教を信じる社会で、それを敢えて否定していかなる神も信じないと決めてる」タイプの人間ではないのです。

相手が信心深い国の人の場合、彼らの文化コンテクストの基本を理解しつつ、自分に嘘をつくことなく言うなら、たとえば、

Well..I am a kind of Buddhist and Shintoist (not very practicing though)
「ま、仏教と神道かな(あまり真面目じゃないけどね)」

みたいに答えた方が無難かと。少なくとも「信教がない」と答えるよりは要らぬ誤解をされない分、便利な気がします。

私、最近はASEAN圏、特に上座部仏教圏のタイ、ミャンマー、カンボジア、ラオスに仕事で行く機会が増えています。これらの国々は日本企業の進出拠点としてもポピュラーな上に、特にタイ人は大勢が旅行客として来日するので身近ですね(注.同じ東南アジアの「ベトナム」は上座部仏教圏でないので上記カテゴリから外れます)。

上座部仏教圏では、日本あたりと比べて宗教的実践をする人が多い印象です。男性が成人すれば当たり前に出家したり、街の人が毎日托鉢僧に食べ物を与えたり、住む家のない人が寺院に保護してもらったりと、「仏教」が日常生活のなかに深く根づいているように見えるし、彼らをみていると、「私たちの住む日本は果たして仏教国なんだろうか?」と自問自答したりします。

タイ人からは、日本は同じアジアの仏教国で、仲間みたいに思われてるようです。アニメ「一休さん」が昔からタイで大人気ですし、日本に旅行行くなら(一休さんのいた)「安国寺」に行ってみたいというタイ人の女の子もいたなあ…

確かに日本には全国に仏教寺院がたくさんあるし、神社と共にお寺は日本人の暮らしに無くてはならないもの。その意味では日本は仏教国といえるでしょうし、そんな文化に包まれて育ち、真宗のお寺に墓参りや法事に行ってる私も、(特に意識はしてませんが)はたからみれば立派に宗教的実践をしているのかもしれません。

あと、東京に遊びに来た外国人を、真っ先に連れていく先も浅草寺とか成田山新勝寺あたりになりますね。特に宗教を意識しなくても仏教寺院を日本の文化、誇りだと思ってるからそうするわけです。

ただ、タイなど上座部仏教圏の出身者が日本で暮らすと、日本人の宗教的実践の薄さや、仏教が日常生活に余り身近ではないことにすぐ気づきます。あと、日本の僧侶が肉食妻帯することもかなりエキゾチックに感じるようです。つまり、日本は同じ仏教国だと思っていたのに、実情はかなり違うと…

巨視的にみると、インド文明をベースにした、宗教的気分や実践、戒律を重んじる東南アジアの上座部仏教圏と、中国文明のフィルターを通して仏教を受容した日本(+朝鮮、ベトナム)では、仏教の仕組みや社会文化的な位置付けが大きく違うのだと思います。

紀元前6世紀インド東部で生まれた仏教が、北に伝わりアフガニスタンを経て、漢土に伝わったのが紀元前後。その過程で、少なくとも宗教実践面は大きく変質したと思われます。例えば東南アジアで当たり前になってる午前中の托鉢は、気候の厳しいインド北辺に伝わる頃には形骸化したようです。

仏教が漢土に伝わると、当然、「中国化」します。「衆上(一般ピープル)の救済」を重視する大乗系仏教が、「超越的存在としての神よりも人間や歴史に関心が強い」中国の風土で受け入れられた結果、少数の僧侶が寺院で厳しい戒律に耐えるインド的な宗教テイストが薄まり、世俗化や大衆化が進んだのだと思います。分かりやすく言うと、仏教はもちろん存在するんだけど、社会慣習と一体化して、あまり宗教として意識されないタイプの仏教に変質していった…

古代の日本はインドから仏教を直接移入したのではなく、中華風味になった仏教を、漢字とともに移入した。それが日本古来の神(国津神など)と矛盾なく融合して、数々の宗派が生まれ、いろんな経緯を経て今に至るわけです。

中国、朝鮮、ベトナム、そして日本…東アジア圏は、広義の仏教国とは多分言えるんでしょうけど、国民レベルで宗教的意識や実践がどちらかと言えば希薄な「信仰心が余り篤くない仏教の国」…それが私の雑駁な理解ですね。それは同地域の人々が、中国文明の影響を長期間に渡って受け続けてきた歴史と無縁ではないのでしょう。

話が長くなりましたが、私は多くの日本人、東アジア人と同様、ある意味節操のないマルチな宗教観を持って暮らしています。それを英語で表現すると、やはり、こう言うしかないですね。
I am a kind of Buddhist and Shintoist

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良質な中国と付き合いたい

こんばんはManachanです。いま、飛行機で日米間を移動中、機内Wifi使ってブログ書いてます。

 

つい先週は、中国の南京へ出張してました。雄大な長江に育まれた古都。三国志の時代(呉の孫権)から栄え、宋朝、明朝、中華民国の時代に全中国の首都であった南京は名所旧蹟や景勝地が多い。中国のなかでも、観光で行ってまず後悔しない場所ですね。

私が訪れた時の南京は、2月中旬にしては暖かく、梅が満開でした。中国四大梅林のひとつを擁する「明孝陵」(ユネスコ世界遺産)も春の訪れを感じる陽気でした。写真をいくつか。

 

南京訪問の後は、上海浦東空港経由で福岡に飛んできました。九州地方も2月にしては暖かな陽気で、太宰府天満宮の梅も満開でした。

 

中国の江南地方と、日本の九州は距離的に近く、緯度も気候も似ていますが、風景写真を並べてみると、方や大陸、方や島国なので、ずいぶん違いがありますね。中国から日本に飛んでくると、「箱庭のようなコンパクトな自然」と「隅々まできれいに整理整頓された環境」に、日本らしさを感じます。中国大陸から続々とやってくる観光客も、日本のそういう風景が楽しみなんでしょうね。

 

南京のビジネスパートナー、美術や建築、歴史に造詣の深いX社長の言葉を借りると、いま中国人が日本に魅せられるのは、それだけではない。日本でみる数々の風物を通じて自ら(中国自身)を再発見する、そこに日本の奥深さがあり、だからこそファン、リピーターが多いのだと。

例えばの話、中国古来の建築物は、「木だけを使い、釘をひとつも使わない」ものだったようです。その構造ゆえ解体も移築も簡単にでき、皇族の間では南京の家屋敷をそのまま北京に移設することがよく行なわれていたと…

 

その後、時代は下り、中国大陸の木材資源も乏しくなり、木造家屋の文化や技術は廃れてしまいますが、現代中国人が日本に来て神社仏閣建築をみると、そこに「失われた中国古来の建築物」が眼前に現れ、深く感動すると…

建築物でなく、彼らが日本でみる、人々の礼儀正しさ(礼節の概念は古代中国で生まれ、日本を含む周辺諸国に移出された)、漢字文化(日本の漢字には、中国の唐代、宋代に移入されたものが多く、現代中国人からみて古風な使い方が多い)等々、「今では失われた、古き良き中国」を体感できる、世界で唯一の場所が日本なのだと…

 

また南京のX社長は、現代の日本、特に文化、学術、娯楽、サービスの発達に対して、心から尊敬の念を持っています。彼が常々言うことは、

「ここ20〜30年、日本は経済的には不振だったし、その間に中国の経済は長足の進歩を遂げたことは事実だ。でも考えてみろ、この20〜30年間にノーベル賞を受賞した日本人の数はどれだけ増えたか…世界の学術文化の進歩に、これだけ大きな貢献ができる国の将来は明るいんだよ」

「いま、アジアのエンターテインメント界で偉大な才能を10人挙げろと言われたら、そのうち5人は日本人だよ。宮崎駿、新海誠、庵野秀明…彼らの創意と洗練に我々中国人も大いに学ばないと」

 

南京のX社長、まだ30代前半なのに大企業集団を作り上げた、その経営手腕もさることながら、彼のものの見方、考え方にも、大いに啓発されます。

単に「知日派の外国人」という一言では表せない何かが、彼にはある。その日本観には、「東アジアにおける数千年の長い交流の歴史」に対する深い理解がある。それは、単に政治史だけでなく、科学技術や建築、美術、哲学といった分野まで及んでいる。

X社長のような人物が、日本を大好きでしかも尊敬しているという事実は、我々日本人にとっても大きな財産だし、私も彼の日本側パートナーとして、その「スケールの大きな問題意識」に常に応えられる人物でありたいと思います。

 

中国ビジネスを志して、6年。出会いにも恵まれ、今では多くの「良質な中国人のお客様」と、「良質なお付き合い」ができるようになりました。

日中間の付き合いにおける「良質」とは何か?私は次のように考えます。

「東アジア数千年の歴史文化に関する深い理解に基づく、お互いに対する尊敬、尊重をベースとする関係」

 

いま、日本と中国の間には、政治的にはいろいろ難しい問題があるのは事実ですが、その現象だけにとらわれて、現代の浅知恵だけで相手を論断するのは、つまらない。

それよりも長い歴史的視野に立ち、お互いの歴史、社会、文化や東アジアにおける関係史を踏まえたうえで現代の課題を考えたいものです。そこから「日中間の良質なコミュニケーションやお付き合い」が生まれるのだと思います。

 

お互い、漢字を含めて文化の相当部分を共有しているわけですから、それを「学び」に活かさない手はない。例えば三国志の「曹操」だって、漢字を知らなければ「Cao Cao」と音声表記するしかない。Cao Caoには何の意味もないけれど、漢字を持つ日本人なら「曹操」の意味が理解できるわけです。そうした、先人が残してくれた文化遺産に感謝しつつ、今をよりよく生きるために活用したいものです。

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仕事をラクにするために

こんにちはManachanです。8日間の欧州出張からようやく帰国しました。実際の日数よりもずいぶん長く行ってた気がするなあ。

特にドイツへは、ここ3か月で3回も往復してます。今回は、ドイツに加えてポルトガル、スペインも回りました。私は「アジア太平洋大家の会」を名乗ってますが、欧州はもはや「アジア」でも「太平洋」でもない。そのうち、「アジア大西洋大家の会」に改名したりして。

欧州行きの仕事は(北米もそうだけど)、片道10時間を超える長距離移動の上に、時差もあるからきついんですよね。例えば、スペインのバルセロナあたりで搭乗手続をしていると、日本まで「乗継含めてあと17時間もかかるのか」と思うと気が重くなるし、「俺たち、身体張って仕事してるよな~」とつくづく思う。

欧州ビジネスは幸い、軌道に乗りつつあります。盟友・市川隆久氏と組んで仕掛けた「ドイツ収益不動産の日本向け直売サービス」は久々のヒット企画になり、今後も息の長いお付き合いになりそう。ポルトガルのリスボンでも良い投資案件を仕入れることができ、これからますます忙しくなりそうです。

これは喜ばしいことであり、同時に「悲鳴」の種でもあります。ドイツもポルトガルもスペインも、今のところは私の属人的能力(多言語能力や不動産知識)を使って推進してますが、我が身はたった一つだし、家庭もあるし、日本~欧州間の暴虐的な距離・時差を考えると、いつまでもこんなこと続けてられない。移動だけで身体がキツイ欧州の仕事は、近場の中国・東南アジアの仕事とは全く違う。

欧州ビジネスを伸ばしながら、私がラクになるには、どうしたら良いか?世界中を舞台とする仕事と、円満な家庭生活を両立するにはどうしたら良いか?…いろいろ考えるわけですが、結局は、この一言に尽きると思う。

欧州に、私の代わりになるスキルを確保する

 

具体的にいうと、

・欧州内に在住・在勤で、
・日本投資家相手のツアーアテンド、Q&A対応ができて、
・現地パートナー企業とのやりとりや、法務・税務などの調査ができる

業務の内容・レベルを考えると、まぎれもなくプロフェッショナル・レベルの仕事になります。

・ビジネスレベルの日本語、英語は必須(あと、大陸欧州の言語も一つできた方が良い)
・不動産や投資、関連税務・法務の知識も必須
・日本のビジネスマナーや、顧客サービスのマインドセットも必要

そういう優秀な人材に、いかにして出会えるのか?どうやって採用するのか?日本から遠隔でどうマネージするのか?…簡単ではないですが、人材の問題を解決しないとビジネスは伸びないし、やるなら早く取り組んだ方が良い。おそらく、短期的には、

「現地で日本語の通訳アルバイト + 私or市川さんが出張ベースで対応」というかたちになるでしょうし、

長期的には、

「日本で優秀な人材を正社員として採用し、欧州に常駐させる」
「現地採用の社員と組み合わせて、ビジネスオペレーションを確立する」

ということになるんでしょうね。あと何年かかるのかな?いずれにせよ、事業の発展に合わせて、経営者としてやるべきことはやります。

昨晩、妻と「仕事と家庭の両立」について本音で話しました。娘の不登校問題もくすぶるなか、父親として、日本を長く留守にするわけにもいかない。でも、欧州ビジネスは伸ばしたいし、お客様の期待も大きい。だから、

・私が居なくても回るような現地オペレーションの構築をはじめている
・でも時間とお金の制約があるなかで徐々にすすめているので、軌道に乗るまでには多分1年くらい時間がかかる

それを話して、おおむね納得してもらいました。仕事でも家庭生活でもうまくやりたいですもんね。

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あえて商売にしない知恵

こんにちは、Manachanです。今日は連休初日、でも天気悪く、家族とBig Bang Theoryのビデオ見ながら家でゆっくりしてます。

今回は、「非商業主義と海外不動産ビジネス」というテーマで、ひとつ書いてみます。

 

このコラム、なかなか面白かったです。

高校野球はなぜ、日本最大の人気コンテンツになりえたのか?

 

ポイントを書き出してみますね(赤太字は筆者注)

・高校野球はなぜ、長きに渡って日本人の心をつかんできたのだろうか?

・非効率、不合理。そして非商業性が継続の秘密

・高校野球の非商業化は公益財団法人日本高校野球連盟(以下:高野連)によって徹底されており、選手や監督に金が払われないことはもちろん、審判はボランティア、甲子園使用料や放映権は無料、観戦料金は格安(外野席は無料)と、最低限の運営費を除けば金銭はほとんど動いていません

・朝から晩まで灼熱のグラウンドに立つ姿に胸を打たれる。強豪校では4000時間ともいわれる時間をつぎ込んで練習し、一発勝負のトーナメント戦に挑む様子に感動する。徹底して磨き上げられた「高校生らしさ」に心を震わせることに価値を見出しているのです。

・一大コンテンツである高校野球には、観客やテレビ局から料金をとって収益化する道もあるでしょう。しかしそれは成功しないと思います。より高いパフォーマンスを見せるプロ野球がすでに存在しているうえ、商業化により「高校生らしさ」が失われてしまったら、高校野球は重大な「売り物」を失ってしまいますから。

 

私は日本人として生まれ、子供の頃から甲子園の高校野球を愛してきました。灼熱の夏、グラウンドで生命を燃やし尽くす高校球児たちの輝きは、昔も今も変わっていません。高校野球は日本の文化そのものであり、これがなくなること自体、想像したくありません。

全国に極めて多数のファンがいる超有力コンテンツでありながら、あえて収益化の道を選ばず、「非商業化」に徹することで「高校生らしさ」というコンテンツを際立たせ、洗練させてきた、という点も納得です。私もファンの一人として、高校球児が「コカコーラ」や「ソフトバンク」等、スポンサーのロゴが入ったユニフォーム着てプレーするのを見たくありません。

また、運営主体の高野連や参加校の関係者がボランティアであっても、高校野球大会が存続することで、毎年、阪神電鉄や大阪・神戸の旅館業者、バス会社などに巨大な収益をもたらしている面もあります。また、佐賀県や福井県など、知名度の高くない県の代表校が甲子園で活躍したら、たちまち全国的知名度になるという「地域プロモーション効果」も、金銭に換算すればすごい額になるのでしょう。本体の「非商業性」や「文化性」を貫いた結果、その周りに「巨大な経済」が生まれる事例として、高校野球は日本一分かりやすいと思う…

 

高校野球と比べてしまうとおこがましいですが、私の主宰する海外不動産投資コミュニティ「アジア太平洋大家の会」も、「非商業性」を貫いたおかげで、結果的に細く長く存続できた事例の一つかもしれません。

2011年2月に東京で創立、今では福岡、名古屋、大阪の支部も加わり、全国4拠点と約2300名の会員を擁する当会は、高野連と同様、基本、ボランティアで運営している組織です。代表の私も副会長も各地の支部長も、手弁当で参画。基本的な運営費以外の金銭はほぼ動きません(オフ会の飲み食いも自腹…)。

とはいえ私たちの扱うものは、高額な不動産です。取引のたびに大きなお金が動きます。購買力のある2300名の会員をセミナーに動員する能力があるわけですから、会を収益化しようと思えばいくらでもできるチャンスはありました。

 

いま白状しますと、収益化を本気で考えたことが何度かあります。たとえば2013年2月、勤め先を解雇された翌日、私は都内・祐天寺にあった会の事務所(当時は五反田じゃなくて、祐天寺だった…)に行って、「俺これから、どうやって食っていこうかなあ?」と考えた時、オプションの一つにあがったのは、当時すでに約1500名の会員のいたアジア太平洋大家の会。

これだけの会員がいれば、広告収入とれる。それ以上に、業者からコミッション取れる。稼げる不動産ネタでセミナーをガンガンやって成約決めていけば、コミッションで食っていくことはできるかも…という、「メフィストフェレスの囁き」が、私の耳元に去来しました。

私、金儲けが悪いこととは思いませんよ。給与収入を失っても路頭に迷うわけにはいかない。家族4人、食わせていかなきゃならないんですから…ですので考えるべきは、「金儲けの手段」と「その手段をとった際のベネフィットとリスクの考察」。

 

当時の私は、アジア太平洋大家の会を、コミッション主体で収益化していく上での主なリスクは、次だと考えました。

・コミッション目当てで、自分がベストだと思わない海外物件を、会員に紹介しなければならないリスク(=良心の呵責)

・その結果、彼らに損させてしまい、会そのものや、不動産投資ブロガーとしての私の「評判」が落ちてしまうリスク。

・クライアント様(販売業者)に配慮する余り、ブログやメルマガで自分の思ったことを書けなくなるリスク(=フラストレーション)

 

いろいろ考えた結果、「会の収益化は、やりたくない」、「俺の性格に合わない」と思い、やめました。それどころか、翌2014年には「業者からコミッションいただかない」路線を打ち出し、今年9月1日に完全実施(コミッション一切いただきません)。それで、高野連的な「非商業主義」が決定的なものになりました。

(時々、副会長や各支部長には申し訳なく思ったりするんですよ…代表が商売っ気なくてごめんねと)

 

とはいえ、非商業化を選んだからこそ、こんなブログ記事を、誰への気兼ねもなく、ガッツリ書いたりできるわけです。

バンコクの買っていい駅、だめな駅 (2015/7/27

 

不動産投資視点で私が良いと思う「ウドムスック駅」よりも、あまり良いとは思えない「べーリン駅」周辺のコンドミニアムを日本人向けに売る業者の方がずっと多いのが現実です。彼らと金銭授受の関係を結んでしまうと、こんな記事は書けなくなってしまいます。

本音の記事を、自分の好きに書けるところが、非商業化の道を選んで良かったなあと思う点の一つですね。高校球児じゃないけど、非営利のおかげで常に私らしく、投資家らしくいられるわけで、それが幸福感にも結びついています。

 

もっとも、非商業化を金科玉条にする気はありません。会員にちゃんとサービスして、収益化する、社員も雇って仕組み化する…という運営も、できる人がやるなら十分アリだと思います。というか、資本主義社会ではそれが主流ですよね。

実際、いろんな友人から、「上手に収益化すればいいのに、もったいない」、「Manachanって、金儲け下手だよね」と、よく言われます。ハイ、本当におっしゃる通りです。

いつまでも、安宿に泊まって山下清みたいな恰好してなくても、やり方次第で一流リゾートホテルに泊まる身分になれるのに…」とか、時々言われます。ハイ、ご高説ごもっともです。でも私、別に東南アジアの安宿で十分満足なんでねえ。それに山下清画伯は、私の地元、千葉県我孫子駅の弥生軒に住み込みで働いたことのある郷土の偉人で尊敬してますし…

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私が不器用なことは、この際置いておいて…

利潤追求の世の中で、あえて、非商業主義を貫くことで、それが「文化」としての生命を持つならば、私はアジア太平洋大家の会は、今後も非営利のままで良いと思っています。「投資家の文化」って、日本に必要だと思いますから…

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金利なき世界と私たち

おはようございます、Manachanです。

日本もいよいよマイナス金利時代に突入しましたね。一足先にマイナス金利に突入したユーロ圏とともに、「日本もマイナス金利クラブに参加だね~」と揶揄される今日この頃。皆様いかがお過ごしでしょうか?

 

確かに、欧州は国債利回りマイナスが当たり前の世界…

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「公定金利をゼロやマイナスにしないと経済成長できない」経済自体が異常な状態だと思いますが、この状態をチャンスとみなす方もいることでしょう。日本の大都市部の不動産は、ますます融資つきやすくなって盛り上がるでしょうね。

 

下の図でニコニコしてるのはメガ大家さんや地主でしょうか。
(ちゃんと見極めて買わないと後がこわいですけど…)

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欧米日先進国のなかで、すでに欧州と日本がマイナス金利時代・・・今の時代、公定金利がわずかながらプラスなのは、昨年末に利上げやった米国位になってしまいました。

その米国も、欧州通貨や日本円と比べて米ドルが割高になるのは経済的にきついでしょうし、この状態が定着したら、米ドルとペッグしている世界中の通貨が、通貨高に耐えかねて米ドルペッグを続々とやめる…ことにもなりかねません。米ドル利上げが吉と出るのか凶と出るのか、まだまだ不透明。

より大きな視点でいうと、どの先進国でもリーマン後、公定金利は下がってゼロ同然になっています。日本の「失われた20年」を、欧米が追体験しているような、全世界が「バブル後の日本化」しているような様相。

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こんな時代、銀行に現金を預けても、金利なんかろくにつきませんよね。子供に、「銀行に預けたら利子が稼げるよ~」と教えるマネー教育も、遠い昔に消え去ったかのようです。

東南アジアとか中南米とか、中近東あたりの新興国に行けば、まだまだ定期預金の金利3%とか6%とかつくことがありますが、たいていの場合、その金利を帳消しにしてしまうほどのインフレや、通貨下落リスクと隣り合わせで、ようやく実現できる数字。

こんな時代に預金するなら、曲がりなりにも米ドルが流通して、「米ドル定期預金で6%とか7%」とかがつく、カンボジアやモンゴルとかを使うしかないよなあと思う今日この頃…いずれもカントリーリスクは小さくないと思いますが。

 

こんな時代だからこそ、ちゃんとした先進国の通貨で、定期預金で5%とかがつく商品は極めて貴重ですよね。今晩19時~、東京・神田のニュージーランドセミナーで紹介するのは、「不動産担保つき」という知恵を絞ったうえで、「NZドルで5%台」という、通常の定期預金を上回る金利を実現する商品…もし興味あれば是非、話を聞きにきてくださいね。

 

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なんでもシェア、新しい経済

こんばんは。Manachanです。今日は不動産話をちょっと離れて、「ネット革命とシェアリング・エコノミー」の話でいきますね。

 

香港在住の義姉が、最近、サンフランシスコに行った時のお話、

・サンフランシスコ国際空港から市内まで、タクシーで行ったら片道70ドル
・帰り、市内から国際空港まで、Uber(ウーバー)でクルマ呼んで行ったら、片道28ドル

だったそうです。ここまで価格差あるなら、もうUber使うしかないよねと・・

 

Uberとは、インターネットを使った配車サービス。言い換えれば、「21世紀のネット白タク」…サービス提供側からすると、自家用車と運転手と時間さえあれば小銭が稼げてしまうし、利用者の側からしても、スマホ一台あればどこに居てもクルマを呼べてしまうので便利。世界の多くの国で、「既存のタクシー業界のビジネスモデルを脅かす存在」にまで急成長しています。日本でも東京はじめ主要都市ですでに使えるようになっています。

前出の通り、北米などでは、既存のタクシーよりUberの方がずっと安いケースが多い。オーストラリアあたりで不動産視察して、タクシーが呼びにくい場所に行ってもUberでクルマ呼べてしまうので、実際、かなり重宝します。

逆にタクシー業界など、許認可で守られた業界からすればUberは天敵そのもの。利用者の安全を守るために、さまざまな法規制をクリアするための設備投資もしてきて、人件費や保険料を払って運転手も揃えたのに、客をUberにごっそり取られてしまうのですから。彼らに言わせれば、Uberでサービス提供する側は、業者なら当然支払うべきコストを払わず、ある意味「タダ乗り」しているわけです。実際アメリカはじめ多くの国で、タクシー業界からの圧力で、Uberに対する規制が政治課題になっています。

 

これってまさに、「不動産でいうところの、AirBnB民泊と同じ構図」ですよね?

・既存のホテル業界 vs ネット民泊サービス (AirBnBなど)

・既存のタクシー業界 vs ネット配車サービス (Uberなど)

・既存の派遣業界 vs クラウドソーシングサービス (Lancersなど)

・既存の金融業界 vs クラウドファンディング

 

ネット(スマホ)革命の力で、後者がにわかに勃興し、瞬く間に、大きなマーケットシェアをとってしまう。既存の法規制のなかでビジネスモデルを確立した前者の業界にとっては、当然面白くない話。ですが、規制を加えるにも新たな法律が必要だし、その前に政策立案のための現状把握も必要。それやってる間に、ネット・スマホは超スピードで現実を変えてしまう。

また、日本も北米も市場経済ですので、何だかんだいって、消費者が最終決定権を持っています。「安全・快適を考えてタクシーを選ぶ」消費者もいれば、「安くて目的地に着ければそれでいい」と考える消費者もいる。後者が相当数多ければ、役所も「民意」に反する取り締まりはやりにくい(年中、オーナー社長に罵声を浴びせられてる税務調査官みたいになっちゃう・・・)

現実的な解として、UberもAirBnBも結局、「基準を満たしたもの」が法律で認められ、合法化された彼らがホテル、タクシーの正式な挑戦者になっていくのでしょう。

 

Uberでクルマのシェア、AirBnBで民間住宅のシェア、ついでにオフィスもシェア、自転車もシェア、空き時間を使った労働もシェア・・・「なんでもシェアする、新しい経済」が伸びると、どうなるか?誰が得して、誰が損するのか?

・サービス利用者、特にネットリテラシーの高い者にとっては、福音でしょう。選択肢が増え、料金も安くなるわけですから。

・サービス提供者にとっては、「いつでもどこでも、サービスが提供できる」反面、競争者が増え、「万人の万人に対する競争」になりやすいから、かえってキツイかもしれません。たとえば、タクシー業界にとっては、Uberの出現によって、「同じ街で自家用車を持って運転できる人」がすべて新たな競争相手になりうる話です。

 

私にいわせると、「俺が10年以上前、英語圏のITエンジニアとして職場で体験したことが、いよいよ、人々の日常生活にやってきたのか・・・」と感慨深いものがあります。当時、私はオーストラリアで、サラリーマンITエンジニアとして、業務アプリケーションの開発・サポートの仕事をしていました。

英語を駆使して、ITの仕事をする・・・日本語で言うとかっこよく聞こえますよね。でも実際は、英語が使えるITエンジニアというだけでは、労働力(サービス提供者)としての価値は大して高くありません。インド、フィリピン、中国をはじめ、それができる人間は世界中にゴマンといる。しかも彼らは、先進国の何分の1かの給料で、喜んで長時間働くのです。給料安いとはいえ、それぞれの国では良い大学を出た、若くて優秀なエンジニア達です。そして何より、ネットがつながっている限り、世界中にいるITエンジニアが競争相手になるのです。

 

2003~04年にかけて、私のいたオーストラリアの職場から、アプリ開発やサポートの仕事が、どんどん、労賃の安いインドや中国に移管される事態を経験しました。会社の目指すものばコスト競争力向上、でもオーストラリアで働く我々からみれば、職が脅かされるわけです。

私は、悲しいかな、ITエンジニアとしての技術スキルは、よく言って平均程度。物価の高いオーストラリアで、インドの優秀なエンジニアの何倍もの給料を取っていることを、経営陣に対していつまでも正当化できる自信はありませんでした。「このままでは、職を失う」と危惧した私は、「英語+IT」以外の分野で、ライバルと差をつけることを考えました。

私が見出した答えは、「日本語と中国語と英語ができるITエンジニアとして自分を売り出す」こと。それを履歴書に書くためには、是非とも、中国での就労経験が欲しい。そう考えた私は、2005年、オーストラリアを後にして、中国に国際転職したのです。

日・英・中、3か国語できるITエンジニア・・・これだけのスペックなら、ライバルはうんと減るし、稀少価値になる。明らかに(需要)>(供給)だから、インドなど新興国エンジニアと同じ土俵で賃下げ競争しなくても済む。おかげさまで、2013年にサラリーマンをやめて独立するまで、高い年俸を稼ぎ続けることができました。

 

そして今、世はシェアリング・エコノミーの時代。ネット越しに多種多様なサービスが受けられて便利だけど、サービス提供者にとっては、辛い世の中。通り一遍のスキルしかないと、結局、「万人の万人に対する競争」という、レッドオーシャンのなかで生きざるを得ない。

こんな世の中で、高い収入を得て、生活を安定させるためには、社会的に需要のある分野で、自分自身が「オンリーワン」、「稀少価値」になることが何よりも大事なんだと思います。

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クレジットカード地獄

こんにちは、Manachanです。いま、東京から福岡に向かうJAL機内でブログ書いています(最近忙しくて、ブログ書けるのは移動中くらいですね)。

先週土曜日、「いばら喜大家の会」のイベントで、「スッチー大家」こと上原ちづるさんのコインパーキング投資セミナーがあったので、聴講してきました。彼女のご高名はかねがね伺っておりましたし、以前からのFB友でもありますが、お会いするのは今回初めてでした(遅ればせながら、著書も読みましたよー)。

 

セミナー面白かったです。まず、当たり前の話ですが、

「自分のスキルを上手に使ってる人が、良い結果を出してるんだなあ…」

 

スッチー大家さんの場合、航空機の客室常務で培った「会話コミュニケーションスキル」を、不動産投資・賃貸経営で上手く使ってきたことが、よく分かりました。特に、

・相手を頑張らせる、ものの言い方
・相手を良い気持ちにさせる会話術

は、私も仕事で使ってみようと思いました。

 

もっとも私の場合、会話コミュニケーションが苦手でして(はたからは苦手に見えないかもしれないけど、本心では会話をあまり楽しんでいない…)、スッチー大家さんのまるっきり真似はできないと思いますが、

その代わり、会話以外の得意分野がいくつかあるので(文章の執筆スキルとか、外国語スキルとか、情報収集・分析スキルとか…)、それらを発揮して、お金やビジネスにしていくことの大事さを、再認識しました。それに、もう40歳過ぎたわけだし、似合わぬことで無理したくないしね。

 

あと、スッチー大家さんのお話を聞いてて、私と意外な共通点が、二つありました。

 

1)私の奥さんも、「もとスッチー」

妻は、シドニーをベースに、カンタス航空のFA(フライトアテンダント)を、8年ほどやっていました。だから、いわゆる「スッチー」の仕事がどんなものか、私もよく知ってます。立ちっぱなしの肉体労働(接客スマイルつき)で、見た目の華やかさとは裏腹になかなかハードな仕事ですね。特に妻は、オーストラリア~アメリカ便とか、南アフリカ便とか、時差のきつい遠方へもよく行きました。「到着地ではほとんど寝る。オーストラリアの生活時間に合わせて、現地時刻が昼でも寝る」と言ってましたね。

あと、どこの国でも、暴言を吐いたり、セクハラ・パワハラに走る「困った客」は存在します。妻も当然、「客が何をしたら、どう対応する」みたいな研修を受けていたようです。こういう仕事していると、確かに、不特定多数との会話コミュニケーションスキルは向上しますね。

 

2)「クレジットカード作れない地獄」を経験したこと

スッチー大家さんが結婚して、寿退社された後、ご主人がサラリーマンをやめて、自営業になった時期があったそうです。日本の社会では、自営業の信用度は低い。特に会社立ち上げたばかりの頃は、「お金借りられない」、「クレジットカードつくれない」苦しい時期を誰もが経験します。スッチー大家一家も、子供が生まれて何かと物入りの時期に、クレジットカードが一つもつくれず、大変不便な「日々、現金払い」の生活を送ったようです。

私は意外にも、サラリーマン時代に「クレジットカードつくれない地獄」を体験しました。2005年の春、中国・大連のIBMに就職し、その1年半後の2006年8月、会社の業務命令で日本へ長期出張に来た時の話です。私は日本人なのに、「中国のサラリーマンとして来日する」という、国際Uターンみたいな不思議な身分でした。

来日当初は、一人暮らしだったので、東京中央区八丁堀のワンルームマンションに滞在。翌月、家族(妻と1歳の娘)が来日すると、江東区木場にある、もう少し広いマンスリーマンションに移りました。

日本で暮らすと、当然、日本円を使わなければなりません。が、私のお給料や出張手当は、中国の銀行に、人民元で払いこまれます。そのお金を日本で引き出すことは、当時はできませんでした(中国の「銀聯カード」で、日本の三井住友銀行でキャッシングできるようになったのは、翌2007年のことです)。

当時の私は、日本でかかる生活費のほか、月30万円くらいするマンスリーマンション代も、「自分で立て替え払いして、後日、会社に請求する。その分は中国の口座に人民元で振り込まれる」という生活を送っていました。つまり、「日本円は出ていく一方で、中国に人民元ばかりが溜まる」生活だったのです。

当時の私、日本円の貯金は100数十万円しか残していなかったので、わずか3か月くらいで底をつきそうになりました。「こりゃやばい」と思った私は、「日本の銀行口座とリンクするクレジットカードをつくろう」と思い立ち、近所のショッピングセンターや銀行を回り、クレジットカード加入を、片っ端から申し込みました。ところが結果は、

「ことごとく、審査が通らず、クレジットカードつくれない!」

たとえ日本で働く日本人でも、私の勤務地は中国で給料も人民元だから、日本のシステムでは与信ゼロとみなされるのですね。

 

「これじゃ生活できない!」。困った私は、同時期に来日した中国人の上司や同僚に相談しました。当時、彼らが何してたかというと、「約2か月ごとに中国に里帰り帰国して、そのタイミングで中国から日本に生活費を送金」していたのです。「鈴木さんも中国に帰って送金すりゃいいじゃないですか?」と言われるばかり…

でも私は、日本人だから中国に里帰りする理由がありません。東京で働いて、実家が柏にあって、電車賃500円で里帰りできる人間が、なぜ送金のため中国くんだりまで行かなきゃならないのか?当時すでに、大連の住まいは引き払っていたので、ホテル住まいになるし、それに中国の給料もらってる人間が海外送金するには、在職証明や収入証明など、人事部から4種類くらいの書類をもらって送金申請しなくちゃならないので、きわめて面倒臭い。当時、子供がまだ1歳だから中国に連れていくのは大変な作業だし、奥さん一人を日本に置いていくのも大変。

でも、背に腹は換えられず・・・結局私は、中国に渡航して送金しなければなりませんでした。来日時期があと一年遅かったら、キャッシングできてたから、そんなことしなくてもよかったのにね。

 

後日談になりますが、翌2007年に、私は中国IBMを退社、日本のサラリーマンになりました。在職中に、私が日本で立て替え続けたお金と、中国政府に納めた源泉税の還付金が、中国に残した口座に入金されました。その額、日本円にして300万円を超えていました。それをそっくり日本に送金して、「福岡市でのワンルームマンション購入」の代金に充てました。後から考えると、クレジットカードつくれず、お金で苦労した経験が、「収益物件」というかたちに変わったので、それはそれで、良かったのかもしれない。

 

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二番手でいこう!

おはようございます。Manachanです。いま、台湾の桃園空港でトランジット中。これからベトナム・ホーチミン市に向かいます。

私の生まれ育った街、千葉県柏市。柏駅周辺は、高島屋、そごう、丸井、イトーヨーカドーなど百貨店が並ぶだけでなく、商店街も元気で人通りが多く、県内屈指の賑わいを見せる大商業地域です。

柏の賑わう商店街、その代表的存在が、「二番街」です。千葉県内初登場の全蓋式アーケード商店街には、書店、楽器屋、画材屋、スーパー、洋菓子屋、マクドナルド、ネットカフェ、パチンコ店、ドンキホーテなど雑多なジャンルの個店が並び、情報やトレンド発信の場となっています(紹介記事)。

この商店街が、なぜ「二番街」なのかというと、ちゃんと由来があります。「一番ではなく常に挑戦し続け、可能性を求める二番(街)でいこう」という意味です。この言葉は、私の人生における座右の銘となっています。その心は、
・得意な分野で、どんなに努力しても、それでも世の中には、自分より凄い奴が必ずいる。

・そいつが「一番」なら、私は「二番」でいい。むしろ、二番手であることを大事にしたい。一番に追いつき追いつこうと、努力精進を続けることが、すなわち「自分の可能性」だし、「二番手の特権」だと思うから。
柏の駅前は、路線価や公示価格で、最近、千葉県ナンバーワンになったりしています。それでも、「俺たちは千葉で一番!」と舞い上がってしまったら柏の発展は止まる。常に、自分より上がいることを意識して、謙虚さを失わずにいこう。そういう戒めの意図が、「二番街」の名に込められているのです。そして、

・自分より凄い奴に対し、素直に負けを認めつつ、そいつと上手にコラボする方法を考えよう。

・そいつが「一番」なら、自分は「一番に必要とされる人間」を目指そう。
という、「しなやかな生き方」も、私が柏の街から学んだことでもあります。そういえば、英語でも似たことわざがありますね。”If you can’t beat them, join them.”(もし、相手に敵わないのなら、そいつらの仲間に加わろう)。
これは、今の時代を生きる日本人に必要な言葉かもしれません。20年前はともかく、今の日本はアジアで一番経済規模の大きい国でもないし、アジアで一番所得の高い国でもありません。いずれも「二番手」か、それ以下に甘んじてしまっています。

欧米、アジア、アフリカ・・・今は世界中のほとんどの場所で、日本語より中国語の方が多くの人に学ばれ、中国語の求人数の方が日本語の求人数より多くなっているのが現状。20年前と比べて、地位逆転されてしまっています。
私の身の回りには、この現状を嘆く日本人が多いですが、嘆いたって何も始まらない。それで日中の立場が再逆転するなら、いくらでもやればいいけど、無理でしょ。そんなことより、自分自身がとっとと中国語を覚えて、「中国語のできる人材」あるいは「中国人相手にビジネスできる人間」になるほうが手っ取り早い。

私は20年以上前から中国語を学んで、ビジネスレベルになってるから、たとえアジア全体が中国経済に席巻されたところで、全く困らない。むしろ自分の活躍の場が広がって有難い。

言葉を換えれば、アジアのなかで「中国が一番手」、「日本が二番手」になっても、別にそれでいいじゃん。自分が「一番手とコラボできる人材」になれれば良いのだし、日本にそういう人材が増えることが、むしろ「一番手」に追いつく道のような気がするし…
自分が「二番手」あるいはそれ以下であることは、恥ずかしいことや、残念なことじゃない。むしろ、それが「可能性」であり「希望」でもあると思います。“Japan as Asia’s number two and we are happy with it. We always have full of potential and hope!”

 

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クソ上司リスクの回避法

こんばんは、Manachanです。

東京五反田の我が事務所には、いろんな来客が来ます。私も日々、数々の人生相談を受けています。

弊社に来る方の多くは投資不動産の相談で来るわけですが、不動産購入自体が、ライフプランを左右する一大イベントなので、結局「人生相談」みたいになりますよね。その他、「会社員をやめたい相談」、「商売をはじめたい相談」、「これから就職・転職したい相談」など、雑多な相談が来ます。

今回のブログでは、「企業への就職・転職」をテーマに書いてみます。

 

私は25歳から44歳まで、19年間。サラリーマンをやりました。その19年間で6回も転職しました。ちょっと会社移りすぎかもしれませんが、「転職にあたっての会社選び」に関しては、それなりに、一家言持っている自負があります(我が人生の相当な時間を費やしましたのでねえ…)

サラリーマン、自営を問わず、働く者は、それぞれの現場を持ち、世の中に有益な何らかの仕事をする。怒られたり辛い思いをすることもあるけど、時には感謝もされる。そこに働き甲斐を見出していくものだと思います。

私、いま自営でとてもハッピーなので、サラリーマンに戻る気はありませんが、サラリーマンでも自己実現は十分可能だと思います。但しサラリーマンの場合、そこに「上司」という大きなファクターが必然的に絡んできます。

私は英米系の外資を渡り歩きましたが、そういう会社ほど、良くも悪くも、上司次第。「自己実現するための、最大のチャンスは上司」であり、同時に「最大のリスクも上司」になりがちです。

言い換えれば、運悪く「クソ上司」にあたってしまった場合、こいつが、サラリーマンで自己実現する最大のリスクになるわけです。

私は、「クソ上司」を、次のように定義しています。

・職務に最低限求められるスキルや知識がない。または、職務の目的自体を理解していない。
・部下の勤務評定や、スキルアップサポート等のスキルがなく、無関心。部下を人間として尊重する姿勢もない。
・職務遂行に対するモチベーションも低い。
・責任感や当事者意識も低く、自分のミスを部下のせいにしたりする。
・自分にない知恵を他から借りる気もなく、見当違いな作業指示ばかりする。

この5つのうち、3つ以上当てはまれば、間違いなくクソ上司と呼んで良いでしょう。

残念ながら、どんな組織でも、クソ上司の出現確率を、ゼロにはできません。特に、リストラ中で人員に余裕のない組織や、長年、人の流動がなく、「サル山のボス」みたいな権力関係ができてしまった部署によくありがちですが、一見、まともで優秀そうな組織のなかにもクソ上司はいる。もともと優秀な人でも、組織のなかで能力発揮の場を与えられなければ、気分が腐って、クソ上司になることもあります。

クソ上司は、さまざまな害悪を、組織にもたらします。彼らが長く上司をやればやるほど、優秀な人は去り、職務能力やモチベーションの低い社員だけが残る…

 

サラリーマン生活のなかで、運悪く、クソ上司にあたってしまった時、ちゃんと救済策や脱出策が用意されているかどうか?・・・会社員を長く続けたいのなら、その視点で会社選びをすべきだと思います。

例えば、私が6年半働いた会社では、「社内転職制度」(社内FA制度ともいう・・)がありました。どんなものかというと、

・社内で空きポジションがイントラネットで公募される
・自分のやりたい仕事があれば、まず、「直属の上司の承認を得ずに、応募できる」

 

もっとも、面接に進む前に、いまの所属部署の上司に、応募した旨を、ちゃんと説明しなければなりませんが、この制度が正しくとワークしていれば、「クソ上司のもとを離れて、かつ、他社に転職せずに済む」ことがあるのです。私自身も2004年に、この方法で、オーストラリアから中国に転籍した位なので、十分、恩恵にあずかっています。

これから就職・転職する会社で、長く働きたいのであれば、「御社の社風」とか「勤務地」、「株価や業界シェア」、「福利厚生」なんかよりも、「社内転職制度の有無」を、人事からちゃんとヒアリングした方が良い。

面接の際に、「御社に、社内転職制度がありますか?」と聞いてみて、人事部(または面接官)が、「弊社では20××年から制度を実施しています」、「これまで、××名の方が、この制度で移籍しました」等、具体的な数字をもって説明するようであれば、その会社はたぶん、働く価値のある会社だと私は思います。

 

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