グローバルビジネス

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私の居場所は市場(マーケット)が決める

こんにちはManachanです。いまヨーロッパから日本に帰る機上です。最近海外出張がやたら多く、私の住まいは機内かホテルみたいな気がする…

 

 

 

最近の行き先は欧米の街が多いこともあり、各地でステキな景色に出会います。

 

素晴らしい天候に恵まれたバルセロナ

 

中世おとぎの国みたいなタリン(エストニア)

 

シアトルのダイナミックな都市景観

 

フロリダ・オーランドのテーマパークは世界一!

 

パリの街角のカフェでたたずむ…

 

もちろん日本国内でも、ステキな場所がたくさんありますよね。

 

金沢の和風な街並み

 

岩手県一関市・厳美渓のだんご茶屋

 

最近、私が余りにもいろんな場所に行きまくっているからか、友人にもよく聞かれます。

「鈴木さんは、最終的にはどこに住みたいんですか?」

 

私の本心をいえば、こうです。

「さあ、どうなんでしょうね?自分でも分かりません。」

「自分の都合でどこか決まったところに住みたいという気持ちが余りないんです」

「世界中どの土地でも順応できますし、基本どこに居てもハッピーですから、私の居場所は皆さんが決めてくれればいいです。」

 

こんなふうに答えると、皆さん「??」となるので、少し詳しく解説しますね。

 

1)私はどの土地にも順応してしまうタイプの人間。酷暑OK厳寒OK、日本語通じなくてOK日本食なくてもOK、きったないカオスな環境OK…外的環境に対する不満がほぼありません。

「酷暑酷寒を避けて気候の良い土地に行きたい」「地震台風リスクのない土地に行きたい」とか、「ヨーロッパの美しい街並みのなかで暮らしたい」とか、「子供の教育のために英語圏に行きたい」みたいな、より良い条件を求めて移動したい気持ちが、私には本音レベルでほぼありません。

40℃超えの酷暑は頭から水かぶってしのげばいい、零下25度の酷寒もOK、天災の脅威もサバイバルゲームみたいに楽しめばいい、日本語や英語が通じなければ現地の言葉覚えればいい、酷い大気汚染も2日目から身体が慣れる、途上国の小便臭い安宿でゴキブリ潰す暮らしだって気にならない。ぶっちゃけ人間が住める環境ならどこだっていいです。

(もっとも私は国際不動産の仕事をしていて、お客様の物件購入動機は基本「良い条件の国・都市への憧れ」ですから、それは理解しようと努めてます。)

 

あえて、住む場所に関して自分の「好み」的なものを言うと、こんな感じでしょうか。

・田舎よりは、都市に住みたい。

・都市のなかでは、ローカル感あって下町っぽくて物価が安くて便利な場所がいい(例.東京でいえば「自由が丘」より「北千住」を好む、バンコクなら「スティサン」、ホーチミン市なら「10区」あたりが理想)

・多国籍な都市では、ちょっとカオスでエキサイティングな、第三世界からの移民が多く暮らすような場所がいい(例.パリでいえば、「18区バルベス界隈」あたりが好み)

 

2)私は現時点の知識をもとに、人生の最終形を決めてしまうことを好みません。むしろ、身体が丈夫でガンガン動ける今のうちに広い世界を体験し、「思いがけない出会い」から「人生が意外な方向に進んでしまう」未完成形の人生を楽しみたいです。

私はもうすぐ50歳になります。20~30代の頃みたいな無茶はできなくなりましたし、これから60代、70代になるともっと制約がきつくなるのは分かってます。でも、だからといって、60~70代になった時のためにいま何かする気にはまだなれないです。それは、「49歳の浅知恵で人生後半戦の方針を決める」ような気がして…

世の中、私より賢い人はたくさん居るはずだし、今みたいに積極的に動いていればそういう方々と出会って、刺激を受けて人生思わぬ方向に進むかもしれない。今はそういう可能性・意外性に賭けてみたいのです。

 

3)だから私の居場所は、ぶっちゃけ、読者・投資家仲間の皆さんが決めていただければ良いです

「今年の7~8月、Manachanと一緒にヨーロッパ3か国不動産旅に行きたい」

「南米コロンビアとペルーの不動産が気になるので、Manachanに見てきて、レポートして欲しい」

「モスクワとサンクトペテルブルク以外のロシアの都市で不動産投資チャンスがあるのがどこなのか、100万円出すからManachanの見立てで動画つき現地レポートして!」

「イラクやイラン、レバノンで不動産投資ができるのか、興味あるのでManachanに調べてもらいたい」

…等々、どんどんリクエストしていただければ良い。もちろん家族の都合等はありますけど、私は基本フットワーク軽いし、世界中どこでもハッピーに過ごせるし、言葉もすぐ覚えるし、もちろん不動産の見立てもできますので、

そういう用途に、私の身体と能力を使っていただければと思います。幸か不幸か、「どこに居たい」みたいなエゴが余りありませんので、私の居場所は基本、市場(マーケット)に決めてもらって結構です。

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日本に東京があって良かった 〜世界からTokyoへUターン起業した男のつぶやき〜

こんにちはManachanです。いつもブログご愛読ありがとうございます。

人間は生まれ育った場所で一生涯を送るとは限りません。故郷を離れ、就職や就学のため他所(大都市など)に移動する人が相当多いからこそ、世の中、UターンやJターンなる言葉があるわけですね。

たとえば、地方出身の人が東京に移動する場合、

  • Uターン…故郷→東京→故郷 (例.青森出身者が東京に出た後、地元に戻って暮らす)
  • Jターン…故郷→東京→故郷に近い中核都市(例.青森出身の人が東京に出た後、仙台で暮らす)

私の場合は少し変わり者でして、日本を飛び出して地球規模で「直径8000キロのUターン」をしました。

  • 故郷(日本)→海外(オーストラリア、中国等)→故郷(日本)

私は日本の首都圏(千葉県柏市)で生まれ育ち、東京の高校、大学で学び、1994年、東京で就職しました。

その6年後、2000年に日本を離れてオーストラリアに移住し、現地で就職。5年暮らした後は中国に移って働き、2007年に日本(東京)に戻り、Uターン就職。その6年後、サラリーマンを辞めて東京で起業しました。

以上まとめると、こうなります

  • 1994〜2000年 日本(東京)でサラリーマン
  • 2000〜2005年 オーストラリアでサラリーマン
  • 2005〜2007年 中国でサラリーマン
  • 2007〜2013年 日本(東京)でサラリーマン
  • 2013年〜 日本(東京)で起業

私はこのようにグローバルな人生を歩み、海外で英語や中国語を使う専門的職業に就いて働いてきたのになぜ、わざわざ家族全員連れて日本へUターンして、挙句に会社まで興したのはなぜなのか?その意味を考えてみました。

正直言うと、海外の広い世界で暮らしたあとで、日本に戻るに際して「3つの不安」がありました。それは、

  • 1)「大学→大企業という決められたレールを大きく踏み外した後、38歳という年齢で日本社会に合流してもまともな就職はできないのではないか?」
  • 2)「国際結婚して外国で生まれた子供が、異文化との共生に慣れていない日本の学校で先生や仲間に受け入れてもらえないのではないか?」
  • 3)「日本で暮らすと、子供たちに英語力を身につけさせる環境が無いのではないか?」

しかし蓋を開けてみると、上記は全て杞憂でした。日本もとい「東京」に、良い意味で期待を裏切られたのです。東京は私の気づかないうちに、国際都市として進化を遂げており、世界中の人々を同僚や隣人として自然に受け入れる多文化社会になりつつあったのです。

まず、1)については、38歳で再就職活動しても、同世代の一部上場企業の仲間と比べて遜色のない給料で、外資企業のITマネジャーとして迎え入れてもらいました。生活水準もキャリアの面でも、海外に居る時と比べて全く妥協することなしに、日本での経済生活をスタートできたのです。

正直言うと、日本に帰国した場所が「東京」だったから良かったのです。外資企業の専門職、管理職の求人は、私のみる限り、日本全国の80%以上が東京23区に集中していたのです。言い換えれば、私が首都圏生まれだったおかげで、両親の住まいの近くに「Uターン」できたわけです。これがもし、日本国内の他地域、例えば九州出身だったなら「Jターン」(九州→海外→東京)になっていたはずです。

次に2)について。今時の東京都内、特に23区東部の公立小中学校は外国籍や外国生まれの児童がクラスに居るのが当たり前。我が子の名前がカタカナでも妻が日本語ネイティブじゃなくても、珍しいことじゃないので自然に受け入れてもらえます。移民の多い英語圏の国ではノンネイティブの児童が英語の授業についていくのをサポートするESL(English as Second Language)クラスがありますが、東京の我が家近くの公立中学校にもそれに類したJSL(Japanese as Second Language)クラスが設置され、専門の教師が配属されています。

3)に関して。確かに日本社会では日本語が圧倒的に強く、英語の通用度も使用頻度も高くはありません。ですが、東京ならインターナショナルスクールも英語補習校も、帰国子女向けの塾も豊富な選択肢があり、我が家のような日英バイリンガルファミリーで育った子供が、日本語力と英語力を維持する環境は整っています(注. 首都圏でも埼玉や千葉、横浜以遠の神奈川に住むとハンディがあるので、英語力維持したいなら東京都内に住むことが大事です。)

また、他国と比べた英語通用度の低さは、多言語能力と海外勤務経験を持つ私からみれば逆に「他者に差をつけるチャンス」以外の何者でもない。結局その比較優位を活かして東京で起業することにしました。言い換えれば、東京は「世界最大の経済規模を持つのに英語通用度が低い」という稀有な都市であり、その舞台で私はチャンスを掴んだのです。

結局何が言いたいのか?私自身を含め、海外で活躍した日本人にとって「東京はいつでもUターンできる都市」だということです。客観的にみて、東京は日本で唯一の国際都市。外国語を使う専門的職業の雇用が豊富で、多文化共生の社会環境も英語力を維持する教育環境もそれなりにあります。

言い換えれば、国際都市·東京があるから、私は日本に帰って来れたのです。もし東京がなかったら、私は今頃間違いなく、日本以外の国に住んでいたことでしょう。

海外に住んでももちろん良いけれど、私は海外経験を活かして母国·日本に貢献したいと思うタイプの人間なので、日本に東京という都市があって良かった、おかげで楽しい人生になった…本当に、心からそう思います。

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定住人口で縮み、交流人口で拡大する日本

こんにちはManachanです。いつもご愛読ありがとうございます。今回のブログでは、不動産投資・ビジネス、国民経済におけるキーワード、「定住人口」と「交流人口」について論考したいと思います。

 

海外の不動産投資を志す日本のお客様は、多くが「将来、日本の人口が減り、経済が停滞・衰退する」ことを懸念しており、それが彼らをして海外に目を向けさせる主な動機になっています。

彼らのいう「日本の人口が減る」とは、日本の国土で暮らす「定住人口」が減ることを意味します。総務省の統計によれば、2017年の通年で、「日本国民が37万人減り、外国人の定住者・長期滞在者が15万人増え、差し引き22万人減り」、その結果、総人口が1億2682万人から1億2660万人くらいになるようです。ちなみに過去数年の総人口推移は「18万人減(2014)→14万人減(2015)→20万人減(2016)→22万人減(2017)」位です

(総務省や社人研の図表に必ずついてくる人口の将来推計は意図的に省いております。結局のところ、推計のほとんどが外れるわけで、それ自体が判断を誤らせるもとだと思います…)

 

一方、「交流人口」とは何でしょう?日本国に関していえば、「外国人(または日本人)が、相手国に居住しない前提で、旅行やビジネス、親族・友人訪問、会議や研修などの理由で日本(または外国)に短期滞在する人口」を意味します。

交流人口は、定住人口よりずっと速いペースで変動します。特に、日本に来る外国人の数は、「1341万人(2014)→1973万人(2015)⇒2403万人(2016)⇒2869万人(2017)」と。定住人口の20倍くらいのハイペースで増え続けています。

つまり、「定住人口が少し減って、交流人口が大きく増えている」のが、いまの日本の状況であり、両者を合わせてざっくり計算すると、面白い結果になります。

 

1)定住人口の見方…日本に定住する人間が年間22万人減る、彼らが一人あたり、生活費、住居費、教育遊興費などで年間300万円を消費すると仮定すれば、

⇒ 22万人x300万円=6600億円の消費が減る。

2)交流人口の見方‥・海外から日本に来る人間が年間400万人増える。彼らが一人あたり、ホテル代、飲食費、ツアー費用お土産代なので、年間15万円を消費すると仮定すれば、

⇒ 400万人x15万円=6000億円の消費が増える。

 

両者あわせると、日本経済への影響は「ほとんどチャラじゃん!」。今後、海外からの交流人口が今のペースで増え続けるかどうかは。国際環境や為替の影響を受けるため未知数ですが、少なくとも一国の経済を考えるなら、「定住人口と交流人口」を合わせてみた方が有益だと思います。

 

ところで、「定住人口の世界観」と、「交流人口の世界観」は、根本的に違います。これは、「定住農民」と「貿易商人」のものの見方の違いに似ているかもしれません。

私は後者、「交流人口」の世界で生きる人間です。日々、不動産を通じて日本と海外を結びつけるビジネスをしているので、「日本→海外、海外→日本の交流人口」をベースに物事を見ています。一方、日本国内で日本人を相手にするビジネスは、不動産賃貸経営を含めて、基本は「定住人口」をベースに物事を考えます。

 

おそらく、日本人の大多数が「定住人口」の住人だと思いますが、私は時として彼らと話がかみ合わなくなることがあります。例えば、彼らがよく口にする、「日本の人口が減るから経済衰退する」という悲観論が理解できても心から納得できないのです。なぜなら、私は交流人口の世界に生きており、こちらの方は縮小衰退どころか、「年々、数十%成長のすごくエキサイティングな世界」だからです。

また、交流人口の世界観でいうと、「日本なんて、まだ国際化始まったばかり、伸びしろすごく大きい」と思います。私が携わる国際不動産ビジネスは特にそうで、日本の業者が世界の不動産で商売する時代は、今まさに黎明期。特にヨーロッパ方面に行くと、私は日々、パイオニア。「彼らの目の前に立ち現れた最初の日本人業者」として商談に明け暮れています。

競合プレイヤーも少なく、いまから真面目にやれば、発足したばかりの弱小企業とはいえ、「日本と海外をつなぐ不動産ビジネス」というニッチ分野で天下取れると思っており、今のところ悲観や衰退とはまるで無縁の世界に生きています。

 

今のところ、国際交流人口では年々、マーケット拡大している日本国ですが、誰もがその恩恵にあずかれるとは限りません。明暗を分けるのは多分、「スキルセット」や「ものの見方、考え方」なのだと思います。たとえば、こういう文章を書く日本人がいます。

 

京都が悲鳴。日本に金を落とさせない中国丸儲けビジネスの実態

もう日本人の出る幕なし?外国人だらけのニセコにみる日本の未来

 

京都やニセコは、日本国内におけるインバウンド観光で成功した都市の代表格であり、タイのパタヤ、プーケット、インドネシアのバリ島に通じるものがあります。

海外のお客様を相手にする商売である以上、外国語でのサービスは必須であり、それを提供できる外国の事業者とも競争しなくてはならない宿命があります。日本国内でありながら、英語や中国語が幅をきかせる世界も一部存在するのでしょう。パタヤやプーケットでタイ語よりも英語がロシア語が幅をきかせるのと同じように・・・

これをチャンスととらえるか、脅威ととらえるかは、個人次第。上記の文章を書いた人のように、「自分自身が変わらずに外国人業者ばかり儲かることを嘆く」ようでは…

 

日本の業者だからといって競争に勝てるとは限らないのが国際ビジネスの掟であり、その競争が日本国土の上で起こるのがインバウンド観光。その恩恵に与りたい気持ちがあるならば、頑張って英語や中国語を覚えるなり、或いはそれができる人を上手に使って商売すれば良いと私は思うんですけど…

そういうマインドセットになれない人は結局、交流人口で拡大するニューエコノミーを味方にすることはできないのだと思います。

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私が日本の将来を悲観しない理由

こんにちは、Manachan@バンコクドンムアン空港です。いつもご愛読ありがとうございます。

「海外不動産の総合商社」という新しい業態の会社を起業し、仕事柄、世界中を飛び回っている私。先週はアメリカ、今週は東南アジア、来週はヨーロッパと、めまぐるしく移動を続けるなかで見聞、体験したことや知見を、日本国内に暮らす皆様にフィードバックしています。今回お伝えしたいのは、

「私の見立てが正しければ、日本の将来、捨てたもんじゃない。悲観することはないと思うよ」

 

日本国内では、ここ20年ほど、悲観論が蔓延しています。諸外国に比べて景気が悪いとは言えない昨今でさえ、言説の上ではいま私たちが暮らすこの国の未来に対する先細り感が支配的。その背景には「将来、日本の人口は減り続け、経済停滞し、国際的地位が落ちる」「時代遅れになった経済社会システム変えられない、移民も受け入れられない」みたいな思い込みがあると思います。要は日本の総人口が減ることが運命であり、それを自分の意思で変えられると思ってないことが閉塞した思考の原因なのでしょう。

私の経験上、「日本以外で暮らしたことのない人」に特にその思い込みが強く、その背景には「失われた20年」を過ごすなかで各人の職業人生における成功体験の少なさが影響しているのかもしれません(もちろん、個々にみれば例外も多数あります)。

一方で、若い頃から日本を飛び出し海外各国で働いてきた私の目には、全く違う「日本の姿」が映っています。ポイントは4つあります。

 

1)「日本の経済社会システムは、皆さんが言うよりずっと自由でまともですよ」

→私は実際、日本にこれまでなかったタイプの会社を興して、今のところ誰にも邪魔されずに思う存分ビジネスできています。弊社の属する不動産業界は業界団体こそ古臭いですが大した影響力はなく、株式時価総額からいってもITやAIを駆使して不動産実業と上手に組み合わせた新タイプの会社が高く評価され、影響力を高めています。言論の場では日本経済界の古臭い部分だけ強調される感がありますが、実態はそれよりずっと自由で21世紀的なのです。

 

2)「海外でのビジネス競争に勝って利益をあげてる日本企業はたくさんありますよ」

→日本国内の言説では、中国はじめ外国企業との競争に負けて影響力を落とす日本企業のニュースが過大に報道されている感があります。無論そういう面もありますが、一方で平昌オリンピックの日本選手団のように「世界で堂々と戦う力をつけ、成果をあげている日本の企業」は物凄くたくさんあります。でもそれは日本語メディアになかなか上がってこないんですね。

 

3)「移民もとい外国人定住者が増えており、彼らを含めた日本の総人口はそんなに減りませんよ」

→東京など大都市圏を中心に、ここ5〜6年、外国出身の住民数が増え、人口動態の上で無視できない数になっています。すでに首都圏への流入人口の約3分の1を外国人が占め、横浜市や川口市など、外国人純流入が日本人純流入を上回る自治体も続出しています。日本全体でみても少子高齢化で日本人が毎年30万人減るなか、約15万人の外国人純流入がインパクトを和らげています。

彼らを「移民」と呼ぶと、日本人のなかでは「絶対無理〜」という声が上がってきますが、その言葉が嫌なら彼らを「外国出身の定住者」と呼べばよいわけで、実際に日本社会は年間15万人程度の外国人定住を、さしたる社会的混乱もなく受け入れています。外国人の流入を想定に入れない将来人口予測だけ見てると日本の今後が悲観的に見えますが、実際はそれよりずっと緩やかで現実的な線に落ちつくでしょう。欧米などたいていの先進国はそうやって人口規模を維持しています、

 

4)「日本の地方都市はポテンシャルの塊で、伸びしろ凄く大きいですよ」

→人口流出や少子高齢化、産業衰退の文脈で語られることが多い日本各地の地方都市。でもよく観察すれば、それぞれの街の持つポテンシャルを活かし、ビジネスやシティプロモーションにつなげる人材の厚みが足りないだけの話で、東京や世界中に居る豊富な人材、ノウハウ、資金を活かすかたちがつくれれば大きな宝に化ける潜在力を秘めていると思います。

私が「金沢市」の「町家を活かした宿泊施設」に着目したのは、「地方都市の持つポテンシャルを東京の資金とノウハウを使って経済価値につなげる」モデルケースにしたかったからです。金沢スタイルの町家が世界に愛される素晴らしい観光資源であるにも関わらず、地元視点では価値を見出せないので安い値段で放出される。でも幸い、金沢には東京の香りも知ってる、意識の開かれた起業家がいるので、彼らと組んで町家旅館やイベントを次々とプロデュースできれば、この地に新たな経済価値をつくることができる。

このモデルで、日本中の、新幹線の泊まる駅で新たな視点で観光地プロデュースをやってみたいです。特に西日本には、世界向けにプロデュースできそうな街が豊富にありますね。

 

以上まとめると、

私の目からみて、日本の経済社会は結構自由で革新的、世界で戦って勝てる企業も豊富にあり、人口も実質的に外国人を受け入れておりそんなに減っておらず、地方都市を中心に伸びしろをたくさん残している

フェアにみて、日本の将来は暗くないと思いますし、また次の世代に明るく自由な日本を引き継いでいくのは、私自身を含めて現役ビジネスマン世代の責務だと思います。

 

 

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人工知能が人間の仕事を奪うのか?

おはようございます。Manachanです。

昨日、都内で開催された「私立中学の合同説明会」に行ってきました。小学6年生の娘を持つ身として、できるだけ本人に合った教育環境を見つけたいという親心が動機でしたが、同じように考える親は多いようで、ものすごい人出でしたね。170余りのブースが全部埋まり軒並み順番待ちでした。

最近の私立中高のパンフレットを見ると、「人工知能(AI)」という言葉がそこら中に踊っています。たとえば、

「2020年代以降、半数以上の仕事が人工知能に置き換わられると言われています。そんな時代を、どう生き、どう学んでいくか?」

来るべき時代に、いかなる教育ソリューションを提供するのか?できるのか?という点は別として、「いずれ人工知能に仕事を奪われる」という問題意識は、教育界としてかなり共有されているようですね。近所の区立小学校の校長でさえ、こないだそんな話をしてましたから・・

今回のブログは、「本当に、人間の多くの仕事が人工知能に奪われてしまうのか?」を、自らの体験を踏まえて検証・推論したいと思います。

私は、そのテーマを語るのに適した人材の一人だと自負しています。というのは私自身かつてITエンジニアとして、自分自身の仕事が奪われるリスクをリアルに感じ、必要に迫られて転職・キャリアの組み換えをしてきた者だからです。

実際、いま「人工知能に仕事を奪われる」云々の議論は、10年ちょっと前に、「IT技術やグローバル化によって先進国の仕事が奪われる」という議論と瓜二つに見えます。当時書いたエッセイを引用しますね。

ITは職を奪う?(2009/8/6)

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↓ 引用ここから

「ITは、我々の職を守るのか?奪うのか?」という問いに対しては、賛否両論が分かれます。バラ色の将来像を描く人もいれば、逆に職を奪われることを、危惧する人もいます。

日本という、経済先進国で働く者にとってみれば、ITの浸透によって、事務的な仕事が不要になったり、あるいは、より労賃の安い国に流出することによって、より高度で価値の高い仕事にシフトすることを迫られる、それができなければ、職を失う・・・みたいな状況に置かれた人も、多いことでしょう。実際それは、数年前、ITエンジニアとして働く、私の身にも起こりました。

数年前、私はオーストラリアで働いていました。ここは英語圏で、賃金水準が比較的高い国です。当時、同国のITチームの仕事を、インドや中国に移そうという話がありました。それらの国では、ほぼ同レベルのITエンジニアの労賃が、オーストラリアの3分の1から5分の1、と言われていました。特にインド人の場合、英語のハンディもありません。

私は、直感的にこう思いました。「このままでは、職を失ってしまう」と・・・

考え抜いた末、私が到達した結論は、こうでした。

『途上国のITエンジニアで、簡単に代替できてしまうような仕事をしている限り、未来はない』
『途上国のITエンジニアと競争するのでなく、彼らを使う立場にならねばならない』

折りしも、数年前から、我が職場に研修にきていた中国人エンジニアから、耳寄りな話を聞きました。彼の勤務する、大連のオフィスで、いまチームリーダーを募集しているとのこと。それも、二人の部下を率いて、米国の顧客向けに、オフショアからサービスを提供する仕事だとのこと。

中国へ行こう!私はそう決心しました。妻を説得して、電話面接を受けまくりました。そして数ヵ月後、私は住み慣れたシドニーを後にして、マイナス7度、凍てつく大連の土を踏んだのです。

中国での仕事は、大変忙しいものでした。私も部下2名のチームリーダーでスタートしたのが、1年後には3つのプロジェクトを同時に回し、計15名の部下をマネージする立場になりました。

そんな日々、大連オフィスに、見慣れた顔がやってきました。それは、シドニーのオフィスでかつて一緒に働いていた、オーストラリア人の同僚だったのです!話を聞くと、結局、シドニーの仕事を大連に移すことになり、彼の担当するアプリケーション知識を、大連のエンジニアに伝えに来たとのこと。

シドニーから、仕事を追いかけて、赤道を超えて中国にやって来たら、結局、元の仕事が追いかけてきたというわけです。私の選択は、間違っていなかったと、この時確信しました。

↑ 引用ここまで
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そろそろ、話を人工知能に戻しましょう。スマホ搭載AIアプリ、自動翻訳アプリ、医療・介護用ロボット…その発展は目覚ましく、さらに加速しているように見えますが、それが人間の仕事を奪う時には、少なくとも二つのことが起こらなければいけません。

・企業の経営陣が、人間がやっている仕事の全部または一部を、人工知能に置き換えるという「意思決定」が必要。
・上記意思決定の判断材料として、既存の業務フローの全部または一部を人工知能に置き換えるという「業務設計」が必要。

逆にいえば、少なくとも下記の仕事は、「人間」がやらなければなりません。

・人工知能の活用の是非を「責任」をもって決断する仕事
・業務を整理し、人間の労働と人工知能のベストミックスを「設計」する仕事

私が10数年前、「途上国のITエンジニアと競争するのでなく、彼らを使う立場にならねばならない」と考えたのと同様、これからの時代は、「人工知能を使う立場になる」ことを念頭に置いて仕事するのが、結果的に職を守り、キャリアを発展させるのだと思います。

キーワードでいえば、「責任」と「設計」でしょうね。人工知能は定型業務はもちろん、「判断」までできますが、自分の「判断」したことの「責任」までは取りませんし、それは最後まで人間の聖なる仕事として残るでしょう。逆にいえば、組織のなかで責任取らないサラリーマンとか、税務調査入られた時に責任とらない税理士会計士、金融商品の紹介してるだけの資産コンサルタント等は、今後どんどん淘汰されるのでしょうね。

また、業務のなかには、「ハイタッチな人間相手の仕事」のように、人工知能が代替しにくい領域が含まれます。例えば、生きるか死ぬかの瀬戸際になった時、多くの人は人工知能よりも安心して相談できる医師のアドバイスを選ぶでしょうし、そこに「宗教・死生観」がかかわってくると、なおさら、人工知能の及ぶところではありません。また、マイホームのように、多くの人が一生に一度だと思う大きな買い物になると、多くの客は人工知能よりも信頼できる営業マンを選ぶでしょう。つまるところ、業務は「人工知能と人間労働」のベストミックスになるわけで、その全体を「設計」する仕事もまた、人間の聖なる仕事として残るでしょう。

あと言うと、「起業家」も人工知能には代替できない領域でしょうね。自分自身も起業して4年目、実態は「気楽な零細企業社長」として、日々、いろんな方々と出会い、パートナーシップを組んで仕事していますし、ビジネスチャンスを求めて世界中に出かけます。極めて非定型な仕事、かつ属人的なスキル・人間力がものを言う仕事ですので、人工知能がどんなに発達しても奪われることはないでしょう。

以上まとめると、最後の最後まで人間の仕事として残りそうなのは、

・倫理的責任を伴う仕事(経営者など)
・ハイタッチな人間相手の仕事(医者、宗教家、芸術家からセールスマンまで)
・上記全体を設計する仕事(業務プロセス技術者など)
・起業家

これからの時代は、「人間とは何か?」、「労働とは何か?」、「人工知能はどう使うべきか?」、「社会のなかで責任取るとはどういうことか?」といった、本質的な問いを深く思考する能力や、他者を巻き込んで議論を深めていくコミュニケーション能力が必要なのだと思います。あとは、「変わる能力」(=時代のニーズに合わせて自分のスキルや職種を組み替えていく能力)も大事ですね。

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日本人の宗教をどう説明するか?

こんにちは、Manachanです。今朝、羽田を発ち、中国は北京首都空港に飛んできました。これから5泊6日、北京で多忙な日々が待っています。でもメシは楽しみ。

私は仕事柄、ヨーロッパやアメリカにも行くしASEAN圏にもオーストラリアにも行く。月の半分は日本の外に居るので、中国は一応海外とはいえ近いし気が楽ですね。

世界中いろんな地域に行けば当然、それぞれの土地の文化、言葉、慣習、食生活に触れる機会があるし、私の母国•日本についてもいろいろと聞かれます。日本と異なる様々な社会、文化で育った人達と信頼関係を築き、新たな価値を創造していくのが国際ビジネスですし、私もその最前線の現場に立って日々暮らしている自負があります。

ところで、地球上の人類の大部分は、何らかの「神」「宗教」を信じているそうです。行き先の地域によっては私も、「あなたの宗教は何ですか?」と真顔で質問されることが結構な頻度であります。

日本の日常生活やビジネスの場で宗教の話題になることは稀だし、ここ中国でも似たようなもの。日本や中国で、日常的に宗教的実践をしている人の割合はたぶん少ないし、自分が特定の宗教を信仰していると意識する機会も一般的には多くないでしょうが、

東アジアを離れて違う文化圏に行くと宗教が当たり前の話題になることがあり、そこで不用意な答えをするとこちらが望まない誤解をされることがあります。

たとえば信心深い人の多いカソリックの国に行って、宗教を聞かれて「どの宗教も信じてない」と答えると、彼らの文化では「無政府主義者か虚無主義者」みたいに解釈されることがあります。つまり、彼らからみれば極端な(ある意味危険な)思想の持ち主だと…

そんな誤解をされることは私の本意ではありません。私は、「お正月は神社で初詣、墓参りや法事は近所のお寺で、クリスマスはケーキでお祝い」みたいな、日本や中国でよくある「マルチな宗教観」を持ってる一般人に過ぎないわけで、

少なくとも「一般ピープルが当たり前に何らかの宗教を信じる社会で、それを敢えて否定していかなる神も信じないと決めてる」タイプの人間ではないのです。

相手が信心深い国の人の場合、彼らの文化コンテクストの基本を理解しつつ、自分に嘘をつくことなく言うなら、たとえば、

Well..I am a kind of Buddhist and Shintoist (not very practicing though)
「ま、仏教と神道かな(あまり真面目じゃないけどね)」

みたいに答えた方が無難かと。少なくとも「信教がない」と答えるよりは要らぬ誤解をされない分、便利な気がします。

私、最近はASEAN圏、特に上座部仏教圏のタイ、ミャンマー、カンボジア、ラオスに仕事で行く機会が増えています。これらの国々は日本企業の進出拠点としてもポピュラーな上に、特にタイ人は大勢が旅行客として来日するので身近ですね(注.同じ東南アジアの「ベトナム」は上座部仏教圏でないので上記カテゴリから外れます)。

上座部仏教圏では、日本あたりと比べて宗教的実践をする人が多い印象です。男性が成人すれば当たり前に出家したり、街の人が毎日托鉢僧に食べ物を与えたり、住む家のない人が寺院に保護してもらったりと、「仏教」が日常生活のなかに深く根づいているように見えるし、彼らをみていると、「私たちの住む日本は果たして仏教国なんだろうか?」と自問自答したりします。

タイ人からは、日本は同じアジアの仏教国で、仲間みたいに思われてるようです。アニメ「一休さん」が昔からタイで大人気ですし、日本に旅行行くなら(一休さんのいた)「安国寺」に行ってみたいというタイ人の女の子もいたなあ…

確かに日本には全国に仏教寺院がたくさんあるし、神社と共にお寺は日本人の暮らしに無くてはならないもの。その意味では日本は仏教国といえるでしょうし、そんな文化に包まれて育ち、真宗のお寺に墓参りや法事に行ってる私も、(特に意識はしてませんが)はたからみれば立派に宗教的実践をしているのかもしれません。

あと、東京に遊びに来た外国人を、真っ先に連れていく先も浅草寺とか成田山新勝寺あたりになりますね。特に宗教を意識しなくても仏教寺院を日本の文化、誇りだと思ってるからそうするわけです。

ただ、タイなど上座部仏教圏の出身者が日本で暮らすと、日本人の宗教的実践の薄さや、仏教が日常生活に余り身近ではないことにすぐ気づきます。あと、日本の僧侶が肉食妻帯することもかなりエキゾチックに感じるようです。つまり、日本は同じ仏教国だと思っていたのに、実情はかなり違うと…

巨視的にみると、インド文明をベースにした、宗教的気分や実践、戒律を重んじる東南アジアの上座部仏教圏と、中国文明のフィルターを通して仏教を受容した日本(+朝鮮、ベトナム)では、仏教の仕組みや社会文化的な位置付けが大きく違うのだと思います。

紀元前6世紀インド東部で生まれた仏教が、北に伝わりアフガニスタンを経て、漢土に伝わったのが紀元前後。その過程で、少なくとも宗教実践面は大きく変質したと思われます。例えば東南アジアで当たり前になってる午前中の托鉢は、気候の厳しいインド北辺に伝わる頃には形骸化したようです。

仏教が漢土に伝わると、当然、「中国化」します。「衆上(一般ピープル)の救済」を重視する大乗系仏教が、「超越的存在としての神よりも人間や歴史に関心が強い」中国の風土で受け入れられた結果、少数の僧侶が寺院で厳しい戒律に耐えるインド的な宗教テイストが薄まり、世俗化や大衆化が進んだのだと思います。分かりやすく言うと、仏教はもちろん存在するんだけど、社会慣習と一体化して、あまり宗教として意識されないタイプの仏教に変質していった…

古代の日本はインドから仏教を直接移入したのではなく、中華風味になった仏教を、漢字とともに移入した。それが日本古来の神(国津神など)と矛盾なく融合して、数々の宗派が生まれ、いろんな経緯を経て今に至るわけです。

中国、朝鮮、ベトナム、そして日本…東アジア圏は、広義の仏教国とは多分言えるんでしょうけど、国民レベルで宗教的意識や実践がどちらかと言えば希薄な「信仰心が余り篤くない仏教の国」…それが私の雑駁な理解ですね。それは同地域の人々が、中国文明の影響を長期間に渡って受け続けてきた歴史と無縁ではないのでしょう。

話が長くなりましたが、私は多くの日本人、東アジア人と同様、ある意味節操のないマルチな宗教観を持って暮らしています。それを英語で表現すると、やはり、こう言うしかないですね。
I am a kind of Buddhist and Shintoist

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良質な中国と付き合いたい

こんばんはManachanです。いま、飛行機で日米間を移動中、機内Wifi使ってブログ書いてます。

 

つい先週は、中国の南京へ出張してました。雄大な長江に育まれた古都。三国志の時代(呉の孫権)から栄え、宋朝、明朝、中華民国の時代に全中国の首都であった南京は名所旧蹟や景勝地が多い。中国のなかでも、観光で行ってまず後悔しない場所ですね。

私が訪れた時の南京は、2月中旬にしては暖かく、梅が満開でした。中国四大梅林のひとつを擁する「明孝陵」(ユネスコ世界遺産)も春の訪れを感じる陽気でした。写真をいくつか。

 

南京訪問の後は、上海浦東空港経由で福岡に飛んできました。九州地方も2月にしては暖かな陽気で、太宰府天満宮の梅も満開でした。

 

中国の江南地方と、日本の九州は距離的に近く、緯度も気候も似ていますが、風景写真を並べてみると、方や大陸、方や島国なので、ずいぶん違いがありますね。中国から日本に飛んでくると、「箱庭のようなコンパクトな自然」と「隅々まできれいに整理整頓された環境」に、日本らしさを感じます。中国大陸から続々とやってくる観光客も、日本のそういう風景が楽しみなんでしょうね。

 

南京のビジネスパートナー、美術や建築、歴史に造詣の深いX社長の言葉を借りると、いま中国人が日本に魅せられるのは、それだけではない。日本でみる数々の風物を通じて自ら(中国自身)を再発見する、そこに日本の奥深さがあり、だからこそファン、リピーターが多いのだと。

例えばの話、中国古来の建築物は、「木だけを使い、釘をひとつも使わない」ものだったようです。その構造ゆえ解体も移築も簡単にでき、皇族の間では南京の家屋敷をそのまま北京に移設することがよく行なわれていたと…

 

その後、時代は下り、中国大陸の木材資源も乏しくなり、木造家屋の文化や技術は廃れてしまいますが、現代中国人が日本に来て神社仏閣建築をみると、そこに「失われた中国古来の建築物」が眼前に現れ、深く感動すると…

建築物でなく、彼らが日本でみる、人々の礼儀正しさ(礼節の概念は古代中国で生まれ、日本を含む周辺諸国に移出された)、漢字文化(日本の漢字には、中国の唐代、宋代に移入されたものが多く、現代中国人からみて古風な使い方が多い)等々、「今では失われた、古き良き中国」を体感できる、世界で唯一の場所が日本なのだと…

 

また南京のX社長は、現代の日本、特に文化、学術、娯楽、サービスの発達に対して、心から尊敬の念を持っています。彼が常々言うことは、

「ここ20〜30年、日本は経済的には不振だったし、その間に中国の経済は長足の進歩を遂げたことは事実だ。でも考えてみろ、この20〜30年間にノーベル賞を受賞した日本人の数はどれだけ増えたか…世界の学術文化の進歩に、これだけ大きな貢献ができる国の将来は明るいんだよ」

「いま、アジアのエンターテインメント界で偉大な才能を10人挙げろと言われたら、そのうち5人は日本人だよ。宮崎駿、新海誠、庵野秀明…彼らの創意と洗練に我々中国人も大いに学ばないと」

 

南京のX社長、まだ30代前半なのに大企業集団を作り上げた、その経営手腕もさることながら、彼のものの見方、考え方にも、大いに啓発されます。

単に「知日派の外国人」という一言では表せない何かが、彼にはある。その日本観には、「東アジアにおける数千年の長い交流の歴史」に対する深い理解がある。それは、単に政治史だけでなく、科学技術や建築、美術、哲学といった分野まで及んでいる。

X社長のような人物が、日本を大好きでしかも尊敬しているという事実は、我々日本人にとっても大きな財産だし、私も彼の日本側パートナーとして、その「スケールの大きな問題意識」に常に応えられる人物でありたいと思います。

 

中国ビジネスを志して、6年。出会いにも恵まれ、今では多くの「良質な中国人のお客様」と、「良質なお付き合い」ができるようになりました。

日中間の付き合いにおける「良質」とは何か?私は次のように考えます。

「東アジア数千年の歴史文化に関する深い理解に基づく、お互いに対する尊敬、尊重をベースとする関係」

 

いま、日本と中国の間には、政治的にはいろいろ難しい問題があるのは事実ですが、その現象だけにとらわれて、現代の浅知恵だけで相手を論断するのは、つまらない。

それよりも長い歴史的視野に立ち、お互いの歴史、社会、文化や東アジアにおける関係史を踏まえたうえで現代の課題を考えたいものです。そこから「日中間の良質なコミュニケーションやお付き合い」が生まれるのだと思います。

 

お互い、漢字を含めて文化の相当部分を共有しているわけですから、それを「学び」に活かさない手はない。例えば三国志の「曹操」だって、漢字を知らなければ「Cao Cao」と音声表記するしかない。Cao Caoには何の意味もないけれど、漢字を持つ日本人なら「曹操」の意味が理解できるわけです。そうした、先人が残してくれた文化遺産に感謝しつつ、今をよりよく生きるために活用したいものです。

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仕事をラクにするために

こんにちはManachanです。8日間の欧州出張からようやく帰国しました。実際の日数よりもずいぶん長く行ってた気がするなあ。

特にドイツへは、ここ3か月で3回も往復してます。今回は、ドイツに加えてポルトガル、スペインも回りました。私は「アジア太平洋大家の会」を名乗ってますが、欧州はもはや「アジア」でも「太平洋」でもない。そのうち、「アジア大西洋大家の会」に改名したりして。

欧州行きの仕事は(北米もそうだけど)、片道10時間を超える長距離移動の上に、時差もあるからきついんですよね。例えば、スペインのバルセロナあたりで搭乗手続をしていると、日本まで「乗継含めてあと17時間もかかるのか」と思うと気が重くなるし、「俺たち、身体張って仕事してるよな~」とつくづく思う。

欧州ビジネスは幸い、軌道に乗りつつあります。盟友・市川隆久氏と組んで仕掛けた「ドイツ収益不動産の日本向け直売サービス」は久々のヒット企画になり、今後も息の長いお付き合いになりそう。ポルトガルのリスボンでも良い投資案件を仕入れることができ、これからますます忙しくなりそうです。

これは喜ばしいことであり、同時に「悲鳴」の種でもあります。ドイツもポルトガルもスペインも、今のところは私の属人的能力(多言語能力や不動産知識)を使って推進してますが、我が身はたった一つだし、家庭もあるし、日本~欧州間の暴虐的な距離・時差を考えると、いつまでもこんなこと続けてられない。移動だけで身体がキツイ欧州の仕事は、近場の中国・東南アジアの仕事とは全く違う。

欧州ビジネスを伸ばしながら、私がラクになるには、どうしたら良いか?世界中を舞台とする仕事と、円満な家庭生活を両立するにはどうしたら良いか?…いろいろ考えるわけですが、結局は、この一言に尽きると思う。

欧州に、私の代わりになるスキルを確保する

 

具体的にいうと、

・欧州内に在住・在勤で、
・日本投資家相手のツアーアテンド、Q&A対応ができて、
・現地パートナー企業とのやりとりや、法務・税務などの調査ができる

業務の内容・レベルを考えると、まぎれもなくプロフェッショナル・レベルの仕事になります。

・ビジネスレベルの日本語、英語は必須(あと、大陸欧州の言語も一つできた方が良い)
・不動産や投資、関連税務・法務の知識も必須
・日本のビジネスマナーや、顧客サービスのマインドセットも必要

そういう優秀な人材に、いかにして出会えるのか?どうやって採用するのか?日本から遠隔でどうマネージするのか?…簡単ではないですが、人材の問題を解決しないとビジネスは伸びないし、やるなら早く取り組んだ方が良い。おそらく、短期的には、

「現地で日本語の通訳アルバイト + 私or市川さんが出張ベースで対応」というかたちになるでしょうし、

長期的には、

「日本で優秀な人材を正社員として採用し、欧州に常駐させる」
「現地採用の社員と組み合わせて、ビジネスオペレーションを確立する」

ということになるんでしょうね。あと何年かかるのかな?いずれにせよ、事業の発展に合わせて、経営者としてやるべきことはやります。

昨晩、妻と「仕事と家庭の両立」について本音で話しました。娘の不登校問題もくすぶるなか、父親として、日本を長く留守にするわけにもいかない。でも、欧州ビジネスは伸ばしたいし、お客様の期待も大きい。だから、

・私が居なくても回るような現地オペレーションの構築をはじめている
・でも時間とお金の制約があるなかで徐々にすすめているので、軌道に乗るまでには多分1年くらい時間がかかる

それを話して、おおむね納得してもらいました。仕事でも家庭生活でもうまくやりたいですもんね。

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あえて商売にしない知恵

こんにちは、Manachanです。今日は連休初日、でも天気悪く、家族とBig Bang Theoryのビデオ見ながら家でゆっくりしてます。

今回は、「非商業主義と海外不動産ビジネス」というテーマで、ひとつ書いてみます。

 

このコラム、なかなか面白かったです。

高校野球はなぜ、日本最大の人気コンテンツになりえたのか?

 

ポイントを書き出してみますね(赤太字は筆者注)

・高校野球はなぜ、長きに渡って日本人の心をつかんできたのだろうか?

・非効率、不合理。そして非商業性が継続の秘密

・高校野球の非商業化は公益財団法人日本高校野球連盟(以下:高野連)によって徹底されており、選手や監督に金が払われないことはもちろん、審判はボランティア、甲子園使用料や放映権は無料、観戦料金は格安(外野席は無料)と、最低限の運営費を除けば金銭はほとんど動いていません

・朝から晩まで灼熱のグラウンドに立つ姿に胸を打たれる。強豪校では4000時間ともいわれる時間をつぎ込んで練習し、一発勝負のトーナメント戦に挑む様子に感動する。徹底して磨き上げられた「高校生らしさ」に心を震わせることに価値を見出しているのです。

・一大コンテンツである高校野球には、観客やテレビ局から料金をとって収益化する道もあるでしょう。しかしそれは成功しないと思います。より高いパフォーマンスを見せるプロ野球がすでに存在しているうえ、商業化により「高校生らしさ」が失われてしまったら、高校野球は重大な「売り物」を失ってしまいますから。

 

私は日本人として生まれ、子供の頃から甲子園の高校野球を愛してきました。灼熱の夏、グラウンドで生命を燃やし尽くす高校球児たちの輝きは、昔も今も変わっていません。高校野球は日本の文化そのものであり、これがなくなること自体、想像したくありません。

全国に極めて多数のファンがいる超有力コンテンツでありながら、あえて収益化の道を選ばず、「非商業化」に徹することで「高校生らしさ」というコンテンツを際立たせ、洗練させてきた、という点も納得です。私もファンの一人として、高校球児が「コカコーラ」や「ソフトバンク」等、スポンサーのロゴが入ったユニフォーム着てプレーするのを見たくありません。

また、運営主体の高野連や参加校の関係者がボランティアであっても、高校野球大会が存続することで、毎年、阪神電鉄や大阪・神戸の旅館業者、バス会社などに巨大な収益をもたらしている面もあります。また、佐賀県や福井県など、知名度の高くない県の代表校が甲子園で活躍したら、たちまち全国的知名度になるという「地域プロモーション効果」も、金銭に換算すればすごい額になるのでしょう。本体の「非商業性」や「文化性」を貫いた結果、その周りに「巨大な経済」が生まれる事例として、高校野球は日本一分かりやすいと思う…

 

高校野球と比べてしまうとおこがましいですが、私の主宰する海外不動産投資コミュニティ「アジア太平洋大家の会」も、「非商業性」を貫いたおかげで、結果的に細く長く存続できた事例の一つかもしれません。

2011年2月に東京で創立、今では福岡、名古屋、大阪の支部も加わり、全国4拠点と約2300名の会員を擁する当会は、高野連と同様、基本、ボランティアで運営している組織です。代表の私も副会長も各地の支部長も、手弁当で参画。基本的な運営費以外の金銭はほぼ動きません(オフ会の飲み食いも自腹…)。

とはいえ私たちの扱うものは、高額な不動産です。取引のたびに大きなお金が動きます。購買力のある2300名の会員をセミナーに動員する能力があるわけですから、会を収益化しようと思えばいくらでもできるチャンスはありました。

 

いま白状しますと、収益化を本気で考えたことが何度かあります。たとえば2013年2月、勤め先を解雇された翌日、私は都内・祐天寺にあった会の事務所(当時は五反田じゃなくて、祐天寺だった…)に行って、「俺これから、どうやって食っていこうかなあ?」と考えた時、オプションの一つにあがったのは、当時すでに約1500名の会員のいたアジア太平洋大家の会。

これだけの会員がいれば、広告収入とれる。それ以上に、業者からコミッション取れる。稼げる不動産ネタでセミナーをガンガンやって成約決めていけば、コミッションで食っていくことはできるかも…という、「メフィストフェレスの囁き」が、私の耳元に去来しました。

私、金儲けが悪いこととは思いませんよ。給与収入を失っても路頭に迷うわけにはいかない。家族4人、食わせていかなきゃならないんですから…ですので考えるべきは、「金儲けの手段」と「その手段をとった際のベネフィットとリスクの考察」。

 

当時の私は、アジア太平洋大家の会を、コミッション主体で収益化していく上での主なリスクは、次だと考えました。

・コミッション目当てで、自分がベストだと思わない海外物件を、会員に紹介しなければならないリスク(=良心の呵責)

・その結果、彼らに損させてしまい、会そのものや、不動産投資ブロガーとしての私の「評判」が落ちてしまうリスク。

・クライアント様(販売業者)に配慮する余り、ブログやメルマガで自分の思ったことを書けなくなるリスク(=フラストレーション)

 

いろいろ考えた結果、「会の収益化は、やりたくない」、「俺の性格に合わない」と思い、やめました。それどころか、翌2014年には「業者からコミッションいただかない」路線を打ち出し、今年9月1日に完全実施(コミッション一切いただきません)。それで、高野連的な「非商業主義」が決定的なものになりました。

(時々、副会長や各支部長には申し訳なく思ったりするんですよ…代表が商売っ気なくてごめんねと)

 

とはいえ、非商業化を選んだからこそ、こんなブログ記事を、誰への気兼ねもなく、ガッツリ書いたりできるわけです。

バンコクの買っていい駅、だめな駅 (2015/7/27

 

不動産投資視点で私が良いと思う「ウドムスック駅」よりも、あまり良いとは思えない「べーリン駅」周辺のコンドミニアムを日本人向けに売る業者の方がずっと多いのが現実です。彼らと金銭授受の関係を結んでしまうと、こんな記事は書けなくなってしまいます。

本音の記事を、自分の好きに書けるところが、非商業化の道を選んで良かったなあと思う点の一つですね。高校球児じゃないけど、非営利のおかげで常に私らしく、投資家らしくいられるわけで、それが幸福感にも結びついています。

 

もっとも、非商業化を金科玉条にする気はありません。会員にちゃんとサービスして、収益化する、社員も雇って仕組み化する…という運営も、できる人がやるなら十分アリだと思います。というか、資本主義社会ではそれが主流ですよね。

実際、いろんな友人から、「上手に収益化すればいいのに、もったいない」、「Manachanって、金儲け下手だよね」と、よく言われます。ハイ、本当におっしゃる通りです。

いつまでも、安宿に泊まって山下清みたいな恰好してなくても、やり方次第で一流リゾートホテルに泊まる身分になれるのに…」とか、時々言われます。ハイ、ご高説ごもっともです。でも私、別に東南アジアの安宿で十分満足なんでねえ。それに山下清画伯は、私の地元、千葉県我孫子駅の弥生軒に住み込みで働いたことのある郷土の偉人で尊敬してますし…

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私が不器用なことは、この際置いておいて…

利潤追求の世の中で、あえて、非商業主義を貫くことで、それが「文化」としての生命を持つならば、私はアジア太平洋大家の会は、今後も非営利のままで良いと思っています。「投資家の文化」って、日本に必要だと思いますから…

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金利なき世界と私たち

おはようございます、Manachanです。

日本もいよいよマイナス金利時代に突入しましたね。一足先にマイナス金利に突入したユーロ圏とともに、「日本もマイナス金利クラブに参加だね~」と揶揄される今日この頃。皆様いかがお過ごしでしょうか?

 

確かに、欧州は国債利回りマイナスが当たり前の世界…

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「公定金利をゼロやマイナスにしないと経済成長できない」経済自体が異常な状態だと思いますが、この状態をチャンスとみなす方もいることでしょう。日本の大都市部の不動産は、ますます融資つきやすくなって盛り上がるでしょうね。

 

下の図でニコニコしてるのはメガ大家さんや地主でしょうか。
(ちゃんと見極めて買わないと後がこわいですけど…)

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欧米日先進国のなかで、すでに欧州と日本がマイナス金利時代・・・今の時代、公定金利がわずかながらプラスなのは、昨年末に利上げやった米国位になってしまいました。

その米国も、欧州通貨や日本円と比べて米ドルが割高になるのは経済的にきついでしょうし、この状態が定着したら、米ドルとペッグしている世界中の通貨が、通貨高に耐えかねて米ドルペッグを続々とやめる…ことにもなりかねません。米ドル利上げが吉と出るのか凶と出るのか、まだまだ不透明。

より大きな視点でいうと、どの先進国でもリーマン後、公定金利は下がってゼロ同然になっています。日本の「失われた20年」を、欧米が追体験しているような、全世界が「バブル後の日本化」しているような様相。

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こんな時代、銀行に現金を預けても、金利なんかろくにつきませんよね。子供に、「銀行に預けたら利子が稼げるよ~」と教えるマネー教育も、遠い昔に消え去ったかのようです。

東南アジアとか中南米とか、中近東あたりの新興国に行けば、まだまだ定期預金の金利3%とか6%とかつくことがありますが、たいていの場合、その金利を帳消しにしてしまうほどのインフレや、通貨下落リスクと隣り合わせで、ようやく実現できる数字。

こんな時代に預金するなら、曲がりなりにも米ドルが流通して、「米ドル定期預金で6%とか7%」とかがつく、カンボジアやモンゴルとかを使うしかないよなあと思う今日この頃…いずれもカントリーリスクは小さくないと思いますが。

 

こんな時代だからこそ、ちゃんとした先進国の通貨で、定期預金で5%とかがつく商品は極めて貴重ですよね。今晩19時~、東京・神田のニュージーランドセミナーで紹介するのは、「不動産担保つき」という知恵を絞ったうえで、「NZドルで5%台」という、通常の定期預金を上回る金利を実現する商品…もし興味あれば是非、話を聞きにきてくださいね。

 

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