グローバルビジネス

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帰国子女vsバイリンガルキッズ

こんにちは、Manachanです。今日は久々に、子供のバイリンガル教育ねたでいきます。

我が家の子供たちは、生まれた時から、母親には英語、父親(私)には日本語だけ使って話す、バイリンガルな環境で育っています。

いま、娘ソフィアが8歳半(来月から小3)、息子ポニーが5歳(同、幼稚園年長)。二人とも、平日は普通の公立小学校・幼稚園に通い、土曜日だけ、東京・代々木にある英語補修校に通っています。

補修校には、うちの子たちと同じ境遇の、「親の一方が英語ネイティブ、もう一方が日本語ネイティブ」の子供たちが通ってきています。まるっきり白人顔の子もいれば、日本人顔の子、ハーフっぽい子もいて、ルックスは様々ですが、皆、絵に描いたような「日英バイリンガルキッズ」。普段は英語を話し、英語で授業を受けているわけですが、日本語で話しかけると、普通に日本語が返ってきます。

男の子なら、「仮面ライダー鎧武(ガイム)、ウィザード」、あるいは「トッキュウジャー」の話をすれば、もう止まらない・・・皆、日本で育っているので、話題も、日本人の子供と変わりませんね。

英語補修校の庭で無邪気に遊ぶ、バイリンガルキッズたち・・・

そんなバイリンガルキッズたちも、小学校5年くらいになれば、進路の問題に直面します。親の思いとしては、日本に住みながら、英語も日本語も、満足いくレベルで中等教育を受けさせたいわけですが、その選択肢が、あまり多くないのです。

小学校の段階では、「近所の公立小学校(日本語)と英語補修校」の組み合わせでいいのですが、東京の場合、小学5年生くらいから、「中学受験」というものを、誰もが、意識しなくてはなりません。

私が育ったのは、首都圏郊外(千葉県)。中学・高校は地元の公立に行くのが当たり前、近場の私立は偏差値の低い学校ばかり・・・そんな環境だったので、「中学から受験」、「しかも私立が当たり前」、「公立中学に行く方が珍しい」東京23区の教育環境には、私自身、違和感ありまくりなのですが、

東京の環境で育つバイリンガルキッズたちも、当然、中学から私立受験が当たり前、というモードで日々を送るわけです。

聞くと、最近の私立中・高校は、私の学生時代とは、環境がずいぶん変わったようですね。トップレベルの学校だと、「東大、早慶」など国内トップ大学のほか、「英語圏の大学」を目指す学生も増えてきて、「英語を習う」授業のみならず、「英語で教科を教える」クラスも増えているようで、

我らが「日英バイリンガルキッズ」たちにとっては、願ってもない環境と思いきや、そういう話でもなさそうです。

バイリンガルキッズは、「帰国子女枠」が使えない

両親が日本人で、海外に3年以上、滞在してきた家庭のお子様であれば、「帰国子女」扱いで、受験上も有利な扱いを受けられる可能性がありますが、

日本で育ち、日本の公立学校に通うバイリンガルキッズは、「帰国子女」をしのぐバイリンガル能力をもちながら、「帰国子女枠」が使えない・・・という状況にあります。つまり、

「両親とも日本人の子供たちと、同じ条件で、日本語で受験しなくてはならない」・・・それが、なかなか高いハードルとして、立ちはだかります。その世界に、「ネイティブレベルの英語力」がプラスに働く要素は、ほぼありません。

たとえ、首尾よく日本の中学受験競争を勝ち抜いて、偏差値の高い私立中学に入れたとしても、よほど上手に学校・コースを選ばない限り、

日本語は良くても、英語教育がショボイ・・・という事態になりかねません。

生まれた時から四六時中、英語を話し、かつ補修校の英語学習に耐え抜いた子供たちが、今さら、「プリーズ・シット・ダウン」、「オープン、ザ、テキストブック」みたいな日本人英語の授業は退屈で仕方ありません。

したがって、「シブマク」(渋谷学園幕張校)とか「シブシブ」(渋谷学園渋谷校)、「広尾学園」など、実質的な英語教育に力を入れている私立学校に、バイリンガルキッズの人気が集中するわけです。

じゃ、英語中心のインターナショナルスクールに行けばいいじゃん!という話があるかもしれませんが、

英語はよくても、日本語がおろそかになるのは嫌だし、それに、学費が超・高い。その割に学生の資質が最高レベルではなかったりして、年間200万円以上払う価値を見出せない、という人も多く、日本のインターはなかなか難しい。

もちろん、ニシマチとか、評判のいいインターもありますが、子供の教育を考えて、欧米や東南アジアとか、海外に移る人もいるんですよね・・・

我が家の場合、上の子がまだ小学校2年ですが、早くも、「ソフィアちゃんの受験どうするんですか?」と聞かれたりして、回答に困ることも・・・

だって、私は中学受験なんて、まだ信じられんと感じる田舎者だし、それに将来、どの国に住むか分からないんだもんね。

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日本人ひとりぼっちの10年

おはようございます。Manachanです。

私が関わっている「海外不動産投資」というジャンルは、日本全体からみればかなりマイナーでニッチな世界。そもそも、日本で「不動産投資」している人の割合が少なく、その上に「海外」となれば、さらに敷居が高くなりますので…

一言でいえば、「俺たちって、変り者だよねえ・・・」ってこと。

間口が狭い世界ゆえ、最近は、「隣接領域」の方々とのコラボが多くなっています。たとえば、

「金融・証券投資」の世界から、「海外不動産投資」へ (eg..内藤忍さんとのコラボ)
「ネット物販ビジネス」の世界から、「海外不動産投資」へ (eg..松浦公基さんとのコラボ)
「新興国ビジネスプロモーション」の世界から、「海外不動産投資」へ (eg..石田和靖さんとのコラボ)

彼らと一緒に仕事するのは、私にとって、とても刺激的で楽しいです。ペーパーアセット投資、ネット物販、新興国メディア…それぞれの領域を極めた優れた人々から、学ぶことはとても多い。

さらに嬉しいのは、皆さん、口を揃えて、「勇気をもって、海外に出ていこう」と提唱している。そして、ご自身が先頭に立って引っ張っていることです。

石田さんの呼びかけで、ドバイやアゼルバイジャンでビジネスを始めた人たち
内藤さんに触発されて、アメリカや東南アジアのコンドミニアムを買い始めた人たち
松浦さんに刺激を受けて、日本ではなく本場アメリカAmazon.comで出店を始めた人たち

そういう人たちのなかから、海外で大きく成功する者が続出しそうな気がします。どんな世界でもそうですが、日本の優秀な頭脳や優れた実践家が、リスクをとって海外に出ていく効果は大きい。

彼らをみていると、つくづく「私が、ここ10年間、海外に出ていろいろ苦労したことは、無駄ではなかった」と思います。

今が、「出国ブーム」なのだとすれば、私は10数年前から、海外に出ていました。1989-90年に台湾に渡って語学留学したのは置いておくとしても、2000年にオーストラリアに移住して非居住者になり、そのあと中国に渡って働き、短期間ながらインドや米国で勤務を経て、日本に戻ってきたのは2007年のことでした。

主に、現地採用のサラリーマンITエンジニアとして、いろんな国の現場で働いてきたわけですが、どこに行っても、

同じアジア人でも中国人や韓国人はたくさんいるのに、日本人は私しかいない。

オーストラリア・シドニーの現場でも、中国・大連の現場でも、アメリカ・ノースカロライナ州の現場でも、日本人向けのコールセンターみたいな業種で働く日本人は数名いても、英語や中国語を使う職場で、現地の人たちと同じ条件で働く日本人は、見渡す限り、私ひとり・・・

どの国・都市に行っても、私が日本を代表する民間外交官状態になっていました。

海外に、もっと出てくればいいのに、なんで日本を出ないんだろう?

日本の経済的、文化的プレゼンスが小さいわけでは、決してありません。オーストラリアの現場では、当時、アジア・パシフィックで一番社員数が多く、サーバーセンターや技術専門チームもあった日本とのやり取りが多かったし、

中国・大連の現場では、中国人社員向けに「世界のビジネスマナー」を学ぶ講座がありました。そこで「日本人との付き合い方」というトピックが非常に重視されており、「欧米人との付き合い方」と同じくらいの紙数が割かれていました。私も、職場で唯一の日本人として、講座に呼ばれて、いろいろコメントしていました。

オーストラリアや中国にとって、日本はかくも重要な国だと思われているのに、肝心の「日本の人間」が現地では非常に少ない。日系企業の駐在員は減る一方だし、私みたいに現地採用でフツーにエンジニアやるような人間は、さらに稀少。

彼らにとって「人」が見えないと、日本のプレゼンスは、さらに下がっていく一方です。一方、中国人や韓国人はたくさんいて、仕事で日常付き合っているわけだから、どうしても、そちらの法に親近感を覚えてしまうわけで・・・

アメリカで従軍慰安婦の像とか何とか、話題がありますが、あれも、アメリカにおける日本人のプレゼンスが、少なくともコリアンと比べてずっと少ないことが影響しているのではないでしょうか?

これを、何とかしたい。私にできることは、わずかですが・・・ま、そういう状況でチャレンジを続けてきたことだけは、自分でも誇りに思っています。

あとは、石田さん、内藤さん、松浦さんのような方々が、どんどん、風を起こしてほしいですね。海外で活躍する日本人を増やすために・・・私も頑張りますので。

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会社の辞め時

こんばんは、Manachanです。

おそらく、2013年最後になるであろう、今回のブログ日記。

今年、私の身辺にも大きな変化がありました。その最たるものは、「18年続けてきた会社員生活」に別れを告げ、「独立自営」の道に踏み出したことです。

今年2月14日に、不本意ながら勤め先の会社を解雇され、3月27日に年収1000万円のオファーを得ましたが熟考の末あえて蹴り、いろんな紆余曲折の末、12月7日に東京五反田に事務所を構え、不動産業者としてスタートする、その間、何度も何度も、心の揺れ動く経験をしました。

周りを見渡せば、不動産界のアルファブロガーとして有名な赤井誠さん、ロサンゼルス不動産共同投資の仲間O氏、札幌セミナーのお世話人H氏、四国在住でミャンマー事業をはじめたS氏・・・不動産投資仲間が次々と、サラリーマンを辞めて、独立自営の道へ踏み出しています。

しかし、私の身辺はともかく、日本の企業社会全体を見れば、とりあえず安定したサラリーマンの身分を捨てて敢えて起業・独立というパターンは、まだまだ少数派でしょう。当然ながら、サラリーマンを辞めて嬉しいこともあるけど、そうでないことも、実はとても多いです。

サラリーマンを辞めて、起業・独立。人生の一大決断です。いつ「決行」すべきかは、各人が、自分自身を見つめ直して、家族ともよく話し合って、最適な解を探すしかありませんが、

この1年間、私が体験したことは、一つの参考にはなるかと思います。

サラリーマン辞めてよかったこと

・出社時間、退社時間、休暇を、すべて自分で決められる。

・退屈な上司、同僚と一緒に顔つきあわせなくて済む。

・自分の好きなこと(不動産関連ビジネス)だけをやれる。

サラリーマン辞めてちょっと後悔したこと

・「外資系大手サラリーマン」から「無名な一事業者」へと、属性が大幅に低下し、銀行融資のハードルが上がり、事務所ひとつ借りるにも審査が通らず苦労した。

・月給という、定期収入がなくなり、経済的な余裕が乏しくなった(※額面で同じ位稼いでいても、収入が一定しないというだけで、かなりのプレッシャーなのです)

・サラリーマン時代は、土日祝日は完全に「余暇」感覚で楽しめたが、自営になると、「余暇」の感覚がなくなり、商談があれば休みなく働くようになった。

ま、独立して良いこと悪いこと、いろいろありますね。私の場合、満を持してサラリーマンを辞めたわけでなく、「勤め人をあと3年くらい続けたかったのに解雇され、路頭に放り出された」という状況があり、やむなく独立自営という選択を迫られたわけですが、

それでも、フリーランスで1年近く頑張ってきて、多くの人に支えられて、都内に事務所も構えることもでき、すべてはこれからですね。

【都内・五反田の事務所、だんだん、環境が整ってきました!】

隣の芝生は青く見える・・・とはよく言ったもので、サラリーマンという身分を失った、私の偽らざる気持ちとして、

折角、給料毎月もらえるし、属性も良くて銀行融資も組みやすいんだから、サラリーマンでいられるうちは、続けた方がいいんじゃない?

でも、それは、人それぞれですよね。

どうしようもなく腐った会社、つまらない連中に囲まれて、日々仕事して時間の無駄だと感じる、あるいは自分のやりたいビジネスで、今が参入の大チャンス!という状況なのであれば、思い切って、いま会社辞めて勝負するのもアリだと思います。

独立当初は、多くの場合、仕事をおカネにするのに時間がかかり、一時的な生活水準の低下を伴いますので、家族とよく相談する必要もあるでしょうね。

一つだけ、確実にいえるのは、サラリーマンでいるうちに、いつ会社放り出されても、大丈夫に近い状態をつくっておくべき、ということです。

私、わずか18年間のサラリーマン生活で、会社を解雇されたことが1回、経営陣のスキャンダルで倒産・解雇寸前になったことが1回、あります。

アジア太平洋大家の会、副会長も、2年前に起こった「勤め先の倒産」が、フリーランスになったきっかけでした。

そんな経験をしてきたので、会社の給料以外に収入源がない状態は、そもそも「あり得ない」と思っています。だからこそ、収益不動産からキャッシュフローを得てきたわけですし、そこから派生するビジネスを取り扱うために、サラリーマン時代に合同会社をつくったり、したわけです。

今年2月に、勤め先を解雇された時点で、自分のサイドビジネス(合同会社)は、すでに4年目に入っていましたし、友人と立ち上げた「アジア太平洋大家の会」も、創立2年余、会員1200名以上の大所帯に育っていました。

要は、いつ会社を辞めてもいいように、数年間、準備してきたからこそ、突如、会社をクビになっても焦らずに、「独立自営」という方向に、スムーズに移行できたのだと思います。

より巨視的にいえば、経済グローバル化が進展するほど、産業界は独り勝ちと、二極化が進み、勝ち組でない「サラリーマン」は年々、辛くなる。先進国であれば、なおさら・・

副業、サイドビジネス、マイクロ法人・・・呼び方は様々ですが、サラリーだけに頼らず、自分の手で食い扶持を稼ぐ必要性は、これから、どんどん増してくると思います。

サラリーマン、すぐ辞めなくてもいいかもしれないけど、いつ辞めてもいいように、水面下で準備はしておくべきですね。一家の稼ぎ手・大黒柱であれば、なおさら。

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ファンが先かビジネスが先か?

こんばんは、Manachanです。2013年も、残りわずかになりましたね。皆様にとって、今年は、どんな年だったでしょうか?

私にとっては、間違いなく、我が人生で最も激動の一年でした。


2月、会社をクビになる。

3月、転職活動中に年収1000万円のオファーをもらうが、熟慮の末、蹴って、不動産の道で生きることを決めた。

5月に、千葉県松戸市で国内2棟目物件を取得(=手持ち現金を、ほとんど使い果たす・・・)。

6月に、中近東&西アフリカを訪問。

7月に、アジア太平洋大家の会、東京に次ぎ二拠点目となる九州支部を設立。

9月に、東南アジア4か国歴訪。ミャンマーの不動産事業に投資する決意を固める。

10月に、ハローワーク経由で、「宅建&FP」の職業訓練校に通う。

12月に、東京・五反田にオフィスを借り、外国人バイヤー専門の宅建業を立ち上げる。

慌ただしい一年でした。内容を詳しくみれば、幼虫がサナギを経て蝶になるごとく、自分が「サラリーマン」から「起業家」へと、大きく脱皮を遂げるための一年だったように思います。その意味では、大変、意義深い。

私は今でも、サラリーマン(外資系のITマネジャー)やれば、年収1000万クラスの商品価値はあるはずですが、もはや、あの世界に戻る気はないですね。自分のビジネス興す過程が、楽しすぎますし、出会う人も、素晴らしすぎて…

2011年に、趣味として立ち上げた、海外不動産投資の勉強会組織「アジア太平洋大家の会」も、いつの間にか大所帯となり、首都圏に900名以上、それ以外の地方に約400名のメルマガ会員を擁し、今や、東京、福岡のほか、名古屋、大阪、札幌にも、頻繁にセミナー等で行くようになった…1年前からは、信じられない変化です。サラリーマンやってたら、こんな動き、できませんしね。

一方で、この会の運営スタイルも、大きく変えていきたいと思います。これまでは、サラリーマンやりながら副業(余暇?道楽?)としてやってきましたが、これからは、本格的な「事業」にしていかないと、私の身体がもたないし、まともな経済生活もできない。

いや、お金は二次的なもので、むしろ、自分の後継者をつくりたい、という気持ちの方が大きいです。つまり、セミナー等で海外不動産投資&賃貸経営をきちんと語れる専門人材を、日本全国で育てたい。そのことにより、日本人のグローバル投資文化を盛り上げ、近隣アジア諸国の投資家に負けない位、海外不動産で収益を上げられるようになる、その一助になりたい。

そう考えた場合、私一人の力では、どうしても限界があるのです。他人の力と頭脳を借りなければ、レバレッジがかけられない。

そのためにも、「事業」にする必要があるのです。自分がボランティアとして、会を3年近く運営してきたからといって、他人に同じことを、求めるわけにはいかない。海外不動産投資の専門家になることが、彼/彼女にとっての「職業」となるように、ビジネスを組み立てる必要がある。

この年末年始かけて、事業構想を練ろうと思います。お楽しみに。

それにしても、人生、面白いものです。単なる趣味ではじめたことが、いつのまにか、事業になってしまう・・・・

「人」の側面からいうと、まず自分の「ファン」(応援団)が増えて、彼らがやがて「顧客」になり、「ビジネスパートナー」になっていく、というパターン。

特にネットビジネスに顕著な傾向かと思いますが、多くの人は、「自分のファン」を増やす前に、「顧客」をつくろうとする。キャッチーな宣伝文句満載のランディングページつくって、セミナーやって人を呼んで、顧客リストをつくる。彼らを「金づる」にしようと試みる・・・

その順序でやると、たいてい、うまくいかないのではないか、と思います。自分のファンでない、単なる顧客は、メリットがなくなると、あるいは飽きると、すぐ離れてしまうからです。

私の場合、アジア太平洋大家の会を立ち上げて3年弱…この期間を振り返ると、結果的に、「自分のファン」を増やすことに徹してきたように思います。

自分が、サラリーマンとしてそれなりに良い給料をもらっていたおかげで、これを商売にすることなく、採算度外視で、セミナー・講演やりまくった、オフ会に行きまくった、特に最近1年は、LCCと高速バス乗りまくって、日本全国の投資家と交流を続けた。

その過程で、私のファンが、徐々に増えてきたのは、有難いことです。今では、東京で、福岡で、名古屋で、素晴らしいセミナールームを、ありえない程の低価格で使わせてくれる方もいますし、私が外国人専門の宅建業を立ち上げる話をすれば、お仕事の機会をくれる方々が、日本中から、どんどん現れる…

新しい事業を始めるうえで、「自分のファン」というものは、この上ない、最高のセーフティネットだと思います。

物事を成し遂げようとすれば、まずは「ファンづくり」から始めよ!顧客は、その後からついてくるのだと思います。

【ファンは人生の宝です!】

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アンチ起業の国ニッポン

こんにちは、Manachanです。お待たせしました。4日ぶりの、ブログ更新になります。

ここ数日は、都内・五反田に開設した事務所の引っ越しや、オフィス備品の買い出し等で超多忙でした。しかも、重いデスクやソファを運んだので筋肉痛気味です(泣)。

でも、自分の事業を興すって、ワクワクしますねー。不安は多いけど、とにかく、自分が新たに生まれ変わった感じで、一日一日がとても新鮮です。

サラリーマンとして18年間勤めた男が、解雇されて、進路に悩んだ末、独立自営の道を選び、都内に事務所を構える…ここにこぎつけるまでに、実にいろんな経験をしました。会社員時代には気がつかなかった、日本の経済社会のからくりを学ぶこともできました。

私が感じたこと…いまの日本は残念ながら、意欲ある人々が気軽に起業できる社会とはいえない。起業を支える社会システムが未整備な上に、理屈の通らない、時流にそぐわない面倒臭い手続や、煩雑なお作法がたくさんある。実際私もかなりの不便を強いられ、時間と労力を使いました。

これから日本で起業する人にとって、私が経験したことの多くは、たぶん、誰もが追体験すると思います。備忘録を兼ねて、ブログに残しておきますね。

ところ、起業文化の振興・活性化は、日本の将来のために、絶対に必要だと思います。かつて「世界の工場」と呼ばれた日本の屋台骨を支えた製造業はすでにピークを過ぎ、アジア近隣諸国の安価な労働力に雇用を脅かされる立場になりました。

いまの日本では、好不況の波に関わらず、会社組織の枠組のなかで、フルタイムの良質な雇用を大幅に増やすのが難しくなりました。私自身も経験しましたが、リストラや解雇の憂き目に遭うことは、日本で働く多くの会社員にとって、すでに他人事ではないでしょう。

1970年代後半、日本人に雇用を脅かされたアメリカの労働者が、生き残るために、ミニ法人やマイクロ法人をつくり、多様なサービス業の担い手となりました。彼らのおかげで、LCC(合同会社)という簡易な会社の仕組みがつくられ、日本でも「1円起業」なるものが、法律上可能になっているわけですが…

今は日本人が、当時のアメリカ人と似たような立場になっている。私たちは、会社に頼らず、自営業者として生きていくことを、人生のどこかで、視野に入れなければならなくなっている。実際、日本人のかなりの部分が、そういうマインドセットにならない限り、この国に明るい経済的な未来はもたらされないでしょう。

日本をもっと、起業しやすい社会にする必要がある。門戸は、広い方がいい。融資は使いやすく、基準が明確な方がいい。事業が軌道に乗るまでの苦しい時期は、税金や印紙代等の負担が少ない方がいい。そして、成功・失敗にかかわらず、リスクを取って事業を始めた人々が、正当に評価され、報われる社会にしなくてはならない。

浜松の一主婦が、「アツアツに揚げたコルネットにアイスクリームを入れると美味しい」という発見をビジネス化したように、私たち一人一人が、日常生活や業務のなかで、無数に転がっている商売のネタを見つけて、周りのサポートを得ながら、上手にビジネスにしていく。多様なサービス業の担い手になって、日本の経済と雇用を活性化して、この国を支えていかなければならない。

今はネット、モバイルの発達で、働く場所に制約が少なくなったし、また太陽光パネルのように、東電みたいな独占事業体でなくても一般人が「発電事業」に参入できるようになった…そうしたテクノロジーの「追い風」を受けて、日本の起業文化を一気に活性化させられないか?と思案するわけです。

私の理想は、「いつでも、どこでも、誰でも、起業に関連するサービスや情報が得られる。気軽にメンター(起業支援するアドバイザー)がつけられて、起業経験者や仲間と知り合えて、創業融資を出す金融機関、エンジェル(投資家)、各省庁の出してる補助金の情報がすぐ得られる」状態。一番イメージ的に近いのは、「保険の窓口」ですかね。

たとえば首都圏の主要駅とか、百貨店とか、多くの人が集まる場所に、起業支援・相談の窓口があると良いと思います。カフェみたいにして、老若男女問わず入りやすい雰囲気にできればベストですね。

「起業の門戸を広くする」ためには、都庁、区役所みたいな、普段、人々が余り行かないところにあっても意味ないでしょう。あと、営業時間も大事ですね。サラリーマンが仕事帰りに利用するためには、少なくとも20:00頃まで開いてないと意味がない。

今の日本は、起業という明確な目的のある人が、「よいしょ」と頑張って、たくさんのハードルを乗り越えないと、コトを起こせない仕組みになっています。それは、時代遅れだと思う。

むしろ、ニートっぽい茶髪のお兄ちゃんが、「新宿駅の起業支援センター行って、ノリで起業したら、たまたま、うまくいっちゃった」みたいな方がずっと良いと思う。日本が、そういう仕組みを上手につくれたなら、この国の将来は、意外に明るいのかもしれない。

創業支援の補助金やセミナーは確かに増えた、全体の調和が取れてないような…

現状は、そこからほど遠いと言わざるを得ない。私が起業にあたって、どういう経験をしたのかというと、


1)区役所の創業融資窓口が平日17:00で閉まる!

私はサラリーマン時代、平成22年7月に、合同会社を設立しました。

事業をやるには、当面の運転資金と設備資金が必要になります。昨今の東京では各区とも、創業支援プログラムを設けており、金融機関の融資がついた案件に対して、区独自の利子補給を行い、おかげで実質利子負担は0.0~1.3%程度になります。この制度自体はとても良いのですが、問題は「使いにくい」こと。

私はこれまで、江東区、品川区、千代田区の窓口に行きましたが、どこも平日17時に閉まります。無料経営相談もできますが、時間は平日午前中か、午後4時までにしてくれと言われます。これでは、ほとんどの現役サラリーマンは利用できません。

創業支援のみならず、会社を立ち上げたら、絶対に必要な法務局、税務署、都税事務所での手続き…すべての窓口が、平日17:15に閉まってしまいます。いまの日本では、創業・起業に関わる公的サービ
スのほとんどが、すでに会社を辞めた、フルタイムの自営業者を対象としており、サラリーマンの副業では、非常に不便、不条理を感じました。


2)理屈にあわない税金が多すぎ!

いまの日本で、合同会社は比較的安価につくれるシンプルな会社組織です。私も4社ほどつくった経験ありますが、理解できないのが、登録免許税の高さ。設立時に6万円、区をまたいで本店移転しても6万円がかかる。これ何とかならんのかなあ・・

国家の税金だから、当然、払わなければならないものですが、「受益と負担のバランス」さえ取れていれば、払う側も納得感があります。しかし、法務局に会社の籍を置くだけで6万円とられ、同じ東京なのに、区をまたいで本店移転したらさらに6万とられる、その根拠は一体何なのだろう?特に本店移転なんて、住民票の移動に毛が生えた位の作業量だと思うのに…

あと、会社設立すると、当期利益がゼロかマイナスでも、地方税均等割7万円が、必ずかかってきます。これも納得感に乏しい…でも、「損失の繰り越し制度」とセットで考えると、ま、登録税よりは多少マシかなと思ったりします。

3)法人契約だと事務所が借りられない!

私は会社を辞め、フリーになった後、事務所を借りるのに、かなり苦労しました。

会社員時代は、年収1000万を超えていました。最新の源泉徴収も1000万超えだし、加えて、収益物件からのキャッシュフローも、確実に入ってきていますので、月12万円程度の事務所は、簡単に借りられると思っていました。

ですが、法人で物件借りる場合、多くの保障会社は、法人としての審査しか行わない。個人の年収や、資産状況はほとんど考慮されない…ということが分かりました。これまで、私の合同会社は、会社の副業として気楽にやってた関係で、大した売上は上がっていない。その関係で、何度も入居申込しても、保障会社を通らず、悔しい涙を飲みました。

後から考えれば、これは戦略ミスだったかも…私の場合、まず属性の高い個人名義で事務所の賃貸契約して、首尾よく借りられたら、今度は私個人と自分の会社の間で別途賃貸契約をすれば、もっとスムーズにいったかもしれませんが…

それ以前の問題として、なぜ、起業する人間が事務所を借りるのに、前年度の法人決算で足切されるのか、家主と入居者の間に入る保障会社というシステムが、なぜ個人と法人の属性をセットで審査できないのかが理解できない。正直な話、リスクをとって起業しようとする人間の邪魔をしているとしか思えないシステムでした。

都庁、区役所、税務署、法務局、保証協会、銀行、不動産屋…もちろん試行錯誤も含んでいますが、事務所開設にこぎつけるまでに、かなりの東奔西走を強いられました。いま振り返ると、その5分の3くらいは、事業の成否に直接関係のないもので、なぜ私がこれをやらなきゃいけないのか、ロジカルに理解しにくいものでした。

戦後史のなかで、今の日本ほど、新しい産業や、起業家を切望している時代はないでしょう。官民の知恵と力を結集して、日本の社会風土のなかから、起業を生み出す仕組みをつくらなければなりません。

その仕組みが、残念ながら、最適化されているとはとても言えない。ビジネスに理解のない人間が、的外れなルールや行政手続、運用ルールを積み上げているように思えてならない。

運用する人間は、普通の人で構わないけど、仕組みをつくる人間は、「日本のベスト・アンド・ブライテスト」でなければならない。そうでないと、他国との経済競争に負けるだけと思います。

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最悪FP講師にオカネの神様激怒!

こんばんは、Manachanです。

私は、10月15日から、職業訓練校に毎日通って、「宅建とFP(ファイナンシャルプランナー)」の勉強を続けています。

職業訓練とは、ハローワークと連動した、雇用政策の一つ。失業中の国民に、訓練を通じて職業能力をつけさせ、再就職のチャンスを与える、という趣旨で設計された制度です。

私と同期の訓練生は10名。うち女性が7名で男性が3名。平均年齢は30~40代。毎日、授業で顔突き合わせてるので、もう、すっかり仲良しになりました。

ここで学ぶ仲間は皆、宅建試験に合格して、不動産業界への「就職」を目指していますが・・・私だけは、再就職してサラリーマンになる気なんてさらさらなくて、「宅建業者として独立自営」する(&アジアの投資家に日本の物件をガンガン売って、仲介手数料や管理料をいただく)ことが当面の目的です。

それをやるにも、「不動産取引の知識」は絶対に必要なので、私も日々、民法、宅建業法、法令制限などを、学んでいるわけです。何しろ、自分のリスクで商売するんだもん、サラリーマンやるより、ずっと厳密に理解してなきゃならないですよね。

ここでの勉強は、とても楽しいです。不動産はもちろん、「おまけ」でついてくるFPの勉強も楽しい。

だって、オカネの勉強ですもの・・・・
お金Love! この手の話は、三度の飯より好きですっ!

Manachanブログ - 世界で不動産を買おう!

たとえば、教科書に載ってる「外貨建て投資」というテーマだったら、私、何時間でも、ボルテージ最高潮で話せますよ!

Manachanブログ - 世界で不動産を買おう!

しかし、世の中、うまくいかないものです。

こんな楽しいこと学んでいるのに、肝心の授業は最悪、最低なんです!!

FPの授業を担当する男性講師は、超~評判悪い。とにかく、教科書を棒読みして、簡単な説明を加えるだけで、応用とか、実践例とかは、全く教えない。それどころか、授業中の質問さえ受け付けないんです!

ま、授業のやり方は、講師それぞれのスタイルがあって良いと思うけど、私の目からみて、極めて由々しい問題だと思うのが、

FPの授業を担当していながら、ファイナンシャル・リテラシーがまるでない!

FPの講師なのに、投資一般の知識・理解もなければ、センスもない。たとえば、授業中に、こんなこと言うんです。

(講師)変額保険は、運用如何によっては、決められた額が支払われないこともあります。損する可能性が高い、リスキーな商品ですね。

⇒(Manachan独白)リスクをとって、リターンを目指す投資型商品なんだから、元本割れの可能性なんて当然あるだろ!肝心なのは、いかにリスクをコントロールして、確実にリターンを得ていくか、ではないの?

・(講師)利子所得にも、源泉分離課税20.315%が課せられます。たとえば、1千万円を銀行に預けると、1000円くらいの利息がつきますね。そこから、約200円が源泉で引かれ・・・

⇒(Manachan独白)FP講師なら、もっとマシな事例あげろよ!せっかく1千万の現金があるのに、そのまま銀行預けるなんて、じーさんばーさんじゃあるまいし…

あと、生徒の立場から言うと、授業中に質問しても受け付けてもらえないのは、実にフラストレーション溜まります。私、授業の終わりまでなんとか我慢して(ウンコ我慢するのと同じくらいしんどい…)、こんな質問をしました。


「先生、NISA(ニーサ:少額投資非課税制度)が来年から施行されますが、来年初めのFPの試験に出題される可能性ありますか?」

そしたら、頼りない答えが・・

「ニーサ?・・・ま、教科書に載ってないことは、出ないんじゃないですか」

えっ、もしかしてこの人、FP講師なのに、ニーサを知らないの?

FP以前に、これ、社会人の常識じゃないの?日経読んでりゃ、当たり前に出てくるニーサ、いい歳した大人がこれ知らないと、半沢直樹を知らないと同じくらい恥ずかしい鴨。まさか・・・いや、そんなことはないだろうと思いきや、

次の授業になると、私の懸念(?)が現実のものになりました。

これって、ニーサじゃん?

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しかし・・・先生は、見事に、スルーしたのです。

これが、少額投資非課税制度ですね、来年から施行されるそうです、以上!

これが、さっき私が質問したニーサですよね?」・・・という質問が、私の喉から出掛かりましたが、直前で引っ込めました。これ言うと、先生の面子丸つぶれだと思ったから・・・これも「武士の情け」。

しかし、約10分後、武士の情けをかけたことを、心から後悔する出来事が起こったのです。

【居住者、非永住者、非居住者と税制について】

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これを、先生がどう説明したか。

非永住者は、日本国籍がなく、過去10年のう
ち、日本在住期間が5年以下(←教科書棒読み)
非居住者は…日本を旅行している外国人とか、不法入国した水商売のねーちゃんとか・・・

私、皆の学習のためになればと思い、こんなコメントをしました。

「あとは、日本国籍でも、5年以上継続して外国住まいしていれば、非居住者になりますよ。実際、私も以前、非居住者でした。」

そしたらなんと・・・

先生、害虫でも見るような目で、俺をガン無視しやがったんです!!

もう~、こいつじゃ、話にならん・・・この瞬間から、私、FPの授業は、思い切り内職することにしました。

オカネ大好きな私に言わせれば、「オカネの理屈を知らない者が、教壇に立っている」こと自体が許せない。何だか、オカネの神様を冒涜しているような気がして・・・

オカネの勉強は、素晴らしい学問なのに・・・
いま、日本人に一番必要な学問なのに・・・

FP講師なら、もっとオカネの勉強しろよ!

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貧乏暇なし

おはようございます。Manachanです。

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はたらけど はたらけど
猶(なほ) わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る

という、石川啄木の有名な句がありますが、「これって、俺のことを言ってるのかも・・・」と、思うことがあります。

私だけでなく、サラリーマンを辞めて、独立開業して日の浅い、ほとんど全ての人にいえることなのではないでしょうか?

私の育った環境は…一族郎党の半分以上が、自営です。サラリーマンやっても、長く続かない、いつも商売の虫がうずうずしてしまう「血」なんだと思いますが・・

その誰もが、「石の上にも3年」と言います。つまり、「何やっても、最初の3年は、忙しいだけで、金にならないよ」ということ・・・

「石の上にも3年」の期間があるからこそ、人々は、独立開業にあたって、十分な運転資金を準備しようと試みるわけです。私も、今年の2月までサラリーマンやってましたが、「あと3棟くらい、収益物件増やして、キャッシュフローを分厚くしてから、独立したい」と考えていましたが、

世の中、うまくいかないものです。私の場合、十分な資金を準備する前に、会社を放り出されてしまった・・・(ブログ日記:会社員の辞め方

ま、ビルゲイツだって、スティーブジョブスだって、全ての条件が揃ってから商売始めたわけじゃない。人生、見切り発車しなくちゃならない局面は、何度もあるわけで、

男女の関係でもそうですね。良い意味で、「運命に流される勇気」がないと、いつまでも結婚なんてできないわけで・・・

私も、あのタイミングで会社クビになったことは、「マナブくん、君も40過ぎのイイ歳した男なんだから、とっとと独立して、勝負しなさい」という、女神の声だと割り切ったわけです。

サラリーマンから、いきなり、独立自営の世界に入ると、世の中のいろんなものが、違うかたちで見えてきます。

1)私の暮らしから、「余暇」という概念が消えた

サラリーマンやってる間は、週末、思い切りリラックスして、充電しても、月曜日の定時には出社するという生活のリズムがあり、お給料も毎月、決まった日に振り込まれていました。

土日、祝祭日、何をしても、給与収入は減らない・・・という意味で、この期間は完全なる「余暇」でした。

しかし、独立自営になると、そうもいきません。月曜日の、決まった時間に出社しなくても良い自由がある代わり、平日週末問わず、商売の種を蒔き続けなければ、(少なくとも私の場合)食っていけません。

ある意味、週末も、労働日になってしまうのです。そして、私の暮らしから、「余暇」という概念が消えました・・・

2)世の中、すべてのものが「コスト」に見えるようになった

毎月、決まったお給料が払われない世界に身を置くということは、

家族の食費、水光熱費、家賃、保険代、公租公課、事務所や法人維持のコスト、借入金返済、出張費用、クライアントとの会食費…その全てを、自分の手で、稼ぎ出さなきゃならないことを意味します。

よく考えれば、今この瞬間、ただ、息をしてるだけで、金がかかっているのです。家賃も法人維持のコストも、時間の経過とともに、お金が、チャリーン、チャリーンと、落ちていくようなもんですので・・・

サラリーマンしか知らなかった頃は、友達が独立すると、「頑張って、成功した暁には、俺を雇ってね!」みたいなことを言ってた記憶がありますが、

自分が独立した今となっては、「人を雇う?・・・固定費になるから、嫌だ!」みたいな気分になります。他人様に支払う給料や、付随する税金や社会保険費用を、自分のビジネスで稼がなきゃならないわけですから。

そんななかで、ビジネスを軌道に乗せ、職員を雇って、日本の雇用創出に貢献している人は、素直に、すごいなと思います。

雇用をつくる・・・その役目を誰かが、やらなくちゃ、経済社会は回っていかないですからね。私も、頑張って稼がなくちゃ。

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英検か?漢検か?…バイリンガルキッズの言語事情

こんばんは、Manachanです。

昨今、日本の富裕層・中流層の間では、「海外への資産フライト」のほか、「海外での英語留学熱」も、盛り上がりつつあるように思います。

特に、日本から近い英語圏の国で、物価水準も手頃なフィリピンやマレーシアへの英語留学者は、毎年、倍々ゲームで増えていると聞きます。

その背景には、経済のグローバル化により、ビジネスの場で英語の重要性が高まっていることと、日本のシステムで教育しても、十分な英語力が身につかないことへの不満があるのだに思います。

日本の子供の圧倒的大多数は、両親とも日本人で、家庭でも学校でも日本語環境オンリー…という状況なので、日本を飛び出して、英語環境に身を置くことは、もちろん意味あることだと思いますが、

我が家は国際結婚で、私は日本語、妻は英語を母国語としており、しかも夫婦間の会話は中国語…という多言語環境の家庭なので、子供たち(娘ソフィア8歳、息子ポニー4歳)を日英バイリンガルにする方法論も、純日本人家庭とは、自ずから違ってきます。

我が家の言語環境から、必然的に導き出される、日英バイリンガル戦略とは?


・英語のスピーキング:子供たちが家庭で日常的に英語をしゃべる環境があるので、わざわざ海外に出る必要は全くない。

・英語の読み書き:家庭で教えるのは難しいので、週1回、東京・代々木にある英語補学校に通わせている。

・日本語のスピーキング:日本に住んでいるので、全く問題ない。

、日本語の読み書き:日本の公教育システム(近所の区立小学校)で十分。但し、両親とも日本人の家庭で育った子供たちと比べると、ややハンディがあるので、宿題、ドリルの定期的なフォローが必要。

こう書くと、なんとなく「理想的なバイリンガルファミリー」みたいに格好良く見えてしまうけれど…実際の現場は、全然、かっこよくない。むちゃくちゃ泥臭いです。

だいたい、子供が、宿題やりたがらないですし…区立小学校の日本語の宿題と、補修校の英語の宿題がダブルであるから、やらせる側は大変、ストレス、疲労困憊。親はつらいよ。

あと、大人だと、うちの子供を見て、「日本語も英語もしゃべれて、いいですねえ~」と、羨ましがったりしますが、子供の世界は、全然そうじゃないです。妻が英語でしゃべるのをみて、娘の同級生が「ソフィアちゃんのママは、どうして、日本語しゃべらないの?」と聞いてきたり…

娘も、「なんで私が、クラスで一人だけ、周りの子供と違うの?」、「どうして、日本語も英語もやらなきゃならないの?他の子は日本語だけでいいのに…」と、恨み節(?)を言うこともあり…

いまの世の中、英語ができるメリットは確かに大きいけれど、それを実感するには、8歳くらいの子供にはまだ早すぎるのです。

娘が通う、代々木の英語補修校には、我々と似たような境遇にある子供たちが集まってきます。

ここでは、「日本語ネイティブと、英語ネイティブの間に生まれた子供」が多数を占めます。多くは我が家と同じく、平日は「日本の公立小学校」に通い、土曜日だけ「英語補修校」に来ます。話し言葉は、どの子も、立派な日英バイリンガルですが、読み書きに関しても、日英二言語とも完璧にしたいと、思っている親がほとんど。

日本で、いわゆる「インターナショナルスクール」に通わせるという発想は、彼らにはありません。インターは、英語での教育が主で、日本語の読み書きはどうしても二の次になる、それでは困る(=日本語の読み書きも、漢字含めて、日本人と同じ、ネイティブレベルにしたい)、という考えです。

ここでは、「見た目が、ほぼ白人でも、日本語で遊ぶし、漢字も普通に読む」子供も少なくありません。

そんな子供たちの日本語力、英語力は各人各様。どうしても、母親と過ごす時間が長いので、母親の母語に引っ張られる傾向があります。あと、母親が英米人の場合、漢字が難しいので、子供の日本語の宿題フォローは困難。学年が進むごとに「不可能」な領域になっていきます。

それぞれの制約条件のなかで、子供をバイリンガルにしようと、健気に頑張る大人たちが注目する資格が、意外にも、

英検(日本英語検定協会)

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なんです。TOEICでもTOEFLでもIELTSでもなく、ジャパニーズの子供がやる英検に、なぜ皆注目するのかというと、


英検は、問題文が日本語だから、いくら英語知ってても、日本語読めないと、合格できない!

そこに、英語だけでなく、日本語を重視するスタンスが、見て取れますね。私も、基本的には同じ考えです。

そんな集団のなかで、うちの娘ソフィアが、ちょっとした話題になっています。

漢検(10級)に合格した!

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ソフィアは、英検はまだ未体験で、漢検から先に受験しました、偶然、ソフィアの通っていた区立小学校が、漢検の会場になったこともあり、「良い機会だから、受けさせてみよう」と思ったのがきっかけです。

これ、日本人の子供ならフツーですが、英語補修校の親たちにとって、「漢検」はまだまだ未体験ゾーン。そこに切り込んだことで、「ソフィアちゃん、すごい!」と、ちょっとした評判になっています。

これから、バイリンガル志向の親たちには、英検だけでなく、漢検もブームになっていくのかもしれません。

ま、日本の社会人並みの漢字能力をつけないと、日英バイリンガルの意味ないですからねえ…道はまだまだ遠く、険しい。

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激突!橋下発言vsアングロサクソン

こんにちは。Manachan@ケアンズです。

昨日は、終戦の日でした。この日は、戦争で亡くなられた方を、静かに鎮魂したいものですが、東アジアでは毎年、日本要人の靖国参拝などを巡って、各国のメンツと歴史観がぶつかりあう、かまびすしい日になりますね。

このトピックで、議論しても、たいてい泥沼になるので、深入りしませんが、私の正直な感想をいうと、


日本も中国も韓国も、お互い様というか、同じレベルで、似たようなことやってるというか・・・

日中韓を問わず、「自分の国から出て暮らしたことのない」議員やメディア、国民ほど、好き放題騒ぎたがる。外国で、マイノリティとして暮らした経験があれば、絶対に口にしないような、他国の悪口を、平気で言う議員、メディアが多い。

そうした、「マジョリティの驕り」が横行する限り、日中韓、どの国にも肩入れしたくない。

たとえば昨日、靖国神社で反日的な声明を出そうとして止められた、韓国人議員がいましたが、あのニュースを聞いて、一番悲しんだのは、たぶん、日本に住むコリアンの人々でしょうね。

私だって、海外でマイノリティとして過ごした年月が長いので、あんなことは、絶対にやりません。よその国で、弱い立場で、無礼で非常識なことをしたら、たちまち自分の立場が危うくなるからです。

件の韓国議員は、韓国社会のなかで、身分が守られているから、あんな行動ができるのでしょうね。

やや時期を逸したかもしれませんが、関連するトピックとして、橋下氏の慰安婦発言があります。

彼の発言内容そのものに、私は、さほど違和感を感じませんでしたが、中韓はもちろん、米国をはじめとするアングロサクソン諸国から、大きな反発を受けました。

政治の常として、橋下氏の発言の一部を誇張・曲解して、思う方向に世論を誘導しようとする、さまざまな勢力や、政敵をこき下ろして、のし上がろうとする者が各地で現れました。彼らに肩入れしたくはないけど、結果的には、慰安婦発言は橋下氏の政治的影響力やカリスマ性を損なった出来事として、後世に記憶されることと思います。

もし、橋下氏の近くに、アングロサクソン文化に詳しいブレインがいたならば、あそこまで痛恨な結果にならなかったかとは思います。

英語圏アングロサクソンの国々、特に米国は、性道徳を含めて、モラル的にはかなり「お堅い」国です。

英国や、その流れを引くカナダ、オーストラリアあたりになると、米国よりは多少緩くて大らかですが、それでも、言論が自由なようでいて、実は「それを言っちゃあ、おしまいよ」みたいな決まり事が、結構たくさんあるものです。

Political Correctness (政治的な正しさ)

という言葉がありますが、英語圏の国々では、人種、民族、宗教、性、中絶など、政治的な議論をひき起こしやすいトピックを語る際に、日本人の平均的感覚からいえば、かなり厳格な「配慮」が求められます。

上のようなトピックで、何かを語ると、誰かを喜ばせ、一方で他の誰かを傷つけることが多い。そこで、公的な場では、誰も傷つけないような「配慮ある言葉選び」が求められます。それがPolitical correctnessと呼ばれます。

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Political correctnessが厳しく求められる社会を、窮屈に感じる人もいます。一方で、オーストラリアという白人主体の国で、私のようなアジア黄色人種マイノリティは、Political correctnessに、ずいぶん助けられてもきました。

オーストラリアにも、人種差別はあります。街を歩いていて、頭悪そうな白人のクソガキに、黄色い肌を理由に罵られたことは、何度かありますが、職場や大学など公的な場で、人種差別発言をされたことは、皆無です。「人種差別は、人として、やっちゃいけないことだ」という、強い倫理観が、この国のエリートやホワイトカラーには、共有されていました。これは、Political correctnessのプラスの側面でしょう。

一方、日本では、英語圏のようなPolitical correctnessの観念が根付いておらず、国際結婚している私などは、オーストラリアにいた時よりも、人々の心ない発言で傷つけられることが多いです。

性(セックス、ジェンダー)に関しても、厳しいPolitical correctnessが、英語圏では求められます。日本よりずっと、女性が組織の中枢にいることが多いこともあり、性的なことをコメントする時、私はかなり気を使います。

そういう言論環境ではない日本で、橋下氏は慰安婦に関して、持論を展開しました。主な内容は、3つあって、

①慰安婦制度は世界各国の軍が持っていた。当時は慰安婦制度は必要だった
②日本が欧米社会からレイプ国家と見られていることは事実と違う
③米軍司令官に、もっと風俗業を活用して欲しい

橋下氏はおそらく、②「日本がレイプ国家ではない」を一番言いたかったのだと思います。その結論を導き出すために、①「当時の社会的文脈から慰安婦は必要だった」を使い、サイドトピックとして、③「風俗業の活用」を言ったのだと思いますが(注.③に関しては、後日、橋下氏が撤回・謝罪済。)

アングロサクソン的な言論感覚でいえば、①と③が、問題になります。


①お前らの国も、慰安婦使ってただろ?  
③米軍司令官に、もっと風俗業を活用して欲しい
 
⇒ あんた、それ言っちゃあ、おしまいよ!
俺らの国は、(少なくとも建前上は)日本と違って潔癖なんだぞ!
Political Correctnessがあるから、責任ある政治家が「慰安婦必要」なんて、言ったりはしない!
 

橋下氏の思惑とは別に、上のような理屈から、アングロサクソン社会では橋下氏発言を「許しがたい」と感じ、大きな反発を見せたのだと思います。

文化の違い・・・といえばそれまでですが、橋下氏を含めて、日本のナショナリスト政治家は、もっと「アングロサクソン・リテラシー」を身につけた方が得策だと思います。

ニッポン・ナショナリズムを、この地上で体現させようとするなら、どう考えても、米国をはじめとするアングロサクソン世界を味方につける
必要があるでしょう。「中国や韓国と対峙する」スタンスであれば、なおさらそう・・・

特に近年は、米国経済界や政界において、中国・韓国の影響力が拡大し、日本の勢力が先細り傾向にあるようで、それも気がかりな材料です。

私は微力ながら、米国の不動産共同投資プログラムに関わり、利益を上げていますが、不動産に限らず、各種の領域で「米国で活躍する日本人」をもっと増やさなければ、この国のリスクは高くなる。中韓に比べて、誤解されやすい国になってしまう。

グローバル経済社会で、日本の存在感を上げたいならば、「日本の領域に閉じた言論」に終始するべきではない。少なくとも、アングロサクソン世界に通用する「理屈力」をつけるべきだと思います。

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日本に漢字が残った理由

こんばんは。Manachanです。

小学2年生になった娘は、今月23日、「漢字検定10級」にチャレンジすることになりました。

とはいえ、親が何もやらずに、子供に「勉強しろ!」と言っても説得力ないので、私が「2級」、妻が「6級」を、今年10月に受験します。結果的には、「家族ぐるみで漢検チャレンジ」になりました。

一応、勉強している父親の姿を娘に見せるため、毎日、「漢検2級問題集」を、2単元づつこなして、採点して、その結果を貼り出すことにしました。

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40代になって、漢検・・・最初の頃は、慣れなくて、違和感ありまくりでした。

社会人になってから、20年。ワープロ、PCでタイプする毎日。漢字書くなんて、手紙の宛名書き以外、まずやらないもんなあ。練習問題やっても、

「慰安旅行」の「慰」って、どう書くんだっけ?
「大胆」の「胆」をどう書くか、思い出せない!


答えを見て、「ああ、ようやく思い出した」・・・みたいな世界ですもんね。

ところで、漢字検定2級の参考書、前書きにはこんなことが書いてあります。

長い日本文化の発展過程において、漢字はその根幹となってきました。現代を生きる私たちの漢字・日本語を学ぶことは、次世代へ日本文化を受け継ぎ、発展させていくために欠くことができません。

これを読んで、ふと思うこと・・・

朝鮮半島、日本、ベトナム・・・中国文明の周縁部に位置し、漢字文化圏に属する国々で、なぜ、日本でのみ、今日でもたくさん漢字が使われているのだろう?

朝鮮(韓国)語、日本語、ベトナム語・・・いずれの言葉も、語彙の6割程度は、漢語由来だそうです。

このうち、ベトナムでは19世紀後半から、フランスの支配下になって、ローマ字表記になりました。現在、同国で漢字は全くといって良いほど、使われていません。

朝鮮半島でも、北朝鮮、韓国いずれの政権も、20世紀後半に漢字廃止政策をとった関係で、今では漢字の通用度は低い。ソウルを旅した方ならご存知でしょうが、当地の看板はひたすら「ハングル、ハングルの嵐」で、漢字表記は非常に少ない。

現時点で、中国語圏以外で漢字を多用する社会は、日本だけといえるでしょう。

なぜ、そうなったのか?・・・長い歴史のなかで、いろんな偶然が重なったのだと思いますが、一番の要因はたぶん、

東アジアのなかで、日本人だけが、「訓読み」を発明していた!

この一言に尽きるかと思います。

朝鮮語では、漢語は「音読み」しかありません。「訓読み」に相当するものは、漢字での表記ができず、ハングルでのみ表記可能となります。分かりやすい都市名でいうと、

「ピョンヤン」は「音読み」なので、「平壌」と、漢字表示可能ですが
「ソウル」には、相当する漢字表記がありません。

もし、日本語において、訓読みが発明されておらず、朝鮮半島と同じく、音読みのみ漢字表記していたら、今ごろ、どうなっていたか?・・・例えば、関東の都県名は、こうなっていたはずです。


東京都
かながわ県
さいたま県
ちば県
ぐん馬県
とちぎ県
いばら城県

北海道の地名に至っては、多くがアイヌ語起源ですから、漢字の音読みが、そもそも成立しない。もし訓読みがなかったら、

さっぽろ市
えべつ市
えにわ市

みたいに・・・オールひらがなorカタカナになっていたはずです。

日本語の凄いところは、音読みだけでなく、訓読みも発明されており、近代以前にすでに普及していたこと…その結果、和人の入植が進んだ北海道では、アイヌ語の地名が、漢字の「訓読み地名」に置き換えられました。

たとえば、旭川市の近郊に、「鷹栖」(たかす)、「近文」(ちかぶみ)という地名があります。いずれも、語源がアイヌ語の「チカプニ」(鳥のいる所)だそうですが、

「チカプニ」を意訳して、「鷹栖」という漢字地名をつくった。
「チカプニ」を音訳して、「近文」という漢字地名をつくった。

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そういう創作を、明治時代にすでにやっていた位、日本の先人たちは、漢字を高度に使いこなしていたわけですね。

私、朝鮮語は一生懸命勉強しましたし、ベトナム語も少しかじりましたが、それらの言語と比べると、日本語は音読みと訓読みがある分、漢字と一体化している度合が高い。

言い換えれば、中国語起源の漢字を、周辺民族のなかで、一番よく使いこなしたのが、日本人であり、その当然の帰結として、日本では漢字が今でも多く使われているのだと思います。繰り返しますが、

現代を生きる私たちの漢字・日本語を学ぶことは、次世代へ日本文化を受け継ぎ、発展させていくために欠くことができません。

日本文化の根幹に、日本語があり、その根幹に、漢字がある・・・先人から日本文化を受け継ぎ、子孫に伝えていく上でも、日本語と漢字の学習は不可欠なわけですね。

参考:漢字を捨てた朝鮮、残した日本(2009/2/3の日記)

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