日本に東京があって良かった 〜世界からTokyoへUターン起業した男のつぶやき〜

こんにちはManachanです。いつもブログご愛読ありがとうございます。

人間は生まれ育った場所で一生涯を送るとは限りません。故郷を離れ、就職や就学のため他所(大都市など)に移動する人が相当多いからこそ、世の中、UターンやJターンなる言葉があるわけですね。

たとえば、地方出身の人が東京に移動する場合、

  • Uターン…故郷→東京→故郷 (例.青森出身者が東京に出た後、地元に戻って暮らす)
  • Jターン…故郷→東京→故郷に近い中核都市(例.青森出身の人が東京に出た後、仙台で暮らす)

私の場合は少し変わり者でして、日本を飛び出して地球規模で「直径8000キロのUターン」をしました。

  • 故郷(日本)→海外(オーストラリア、中国等)→故郷(日本)

私は日本の首都圏(千葉県柏市)で生まれ育ち、東京の高校、大学で学び、1994年、東京で就職しました。

その6年後、2000年に日本を離れてオーストラリアに移住し、現地で就職。5年暮らした後は中国に移って働き、2007年に日本(東京)に戻り、Uターン就職。その6年後、サラリーマンを辞めて東京で起業しました。

以上まとめると、こうなります

  • 1994〜2000年 日本(東京)でサラリーマン
  • 2000〜2005年 オーストラリアでサラリーマン
  • 2005〜2007年 中国でサラリーマン
  • 2007〜2013年 日本(東京)でサラリーマン
  • 2013年〜 日本(東京)で起業

私はこのようにグローバルな人生を歩み、海外で英語や中国語を使う専門的職業に就いて働いてきたのになぜ、わざわざ家族全員連れて日本へUターンして、挙句に会社まで興したのはなぜなのか?その意味を考えてみました。

正直言うと、海外の広い世界で暮らしたあとで、日本に戻るに際して「3つの不安」がありました。それは、

  • 1)「大学→大企業という決められたレールを大きく踏み外した後、38歳という年齢で日本社会に合流してもまともな就職はできないのではないか?」
  • 2)「国際結婚して外国で生まれた子供が、異文化との共生に慣れていない日本の学校で先生や仲間に受け入れてもらえないのではないか?」
  • 3)「日本で暮らすと、子供たちに英語力を身につけさせる環境が無いのではないか?」

しかし蓋を開けてみると、上記は全て杞憂でした。日本もとい「東京」に、良い意味で期待を裏切られたのです。東京は私の気づかないうちに、国際都市として進化を遂げており、世界中の人々を同僚や隣人として自然に受け入れる多文化社会になりつつあったのです。

まず、1)については、38歳で再就職活動しても、同世代の一部上場企業の仲間と比べて遜色のない給料で、外資企業のITマネジャーとして迎え入れてもらいました。生活水準もキャリアの面でも、海外に居る時と比べて全く妥協することなしに、日本での経済生活をスタートできたのです。

正直言うと、日本に帰国した場所が「東京」だったから良かったのです。外資企業の専門職、管理職の求人は、私のみる限り、日本全国の80%以上が東京23区に集中していたのです。言い換えれば、私が首都圏生まれだったおかげで、両親の住まいの近くに「Uターン」できたわけです。これがもし、日本国内の他地域、例えば九州出身だったなら「Jターン」(九州→海外→東京)になっていたはずです。

次に2)について。今時の東京都内、特に23区東部の公立小中学校は外国籍や外国生まれの児童がクラスに居るのが当たり前。我が子の名前がカタカナでも妻が日本語ネイティブじゃなくても、珍しいことじゃないので自然に受け入れてもらえます。移民の多い英語圏の国ではノンネイティブの児童が英語の授業についていくのをサポートするESL(English as Second Language)クラスがありますが、東京の我が家近くの公立中学校にもそれに類したJSL(Japanese as Second Language)クラスが設置され、専門の教師が配属されています。

3)に関して。確かに日本社会では日本語が圧倒的に強く、英語の通用度も使用頻度も高くはありません。ですが、東京ならインターナショナルスクールも英語補習校も、帰国子女向けの塾も豊富な選択肢があり、我が家のような日英バイリンガルファミリーで育った子供が、日本語力と英語力を維持する環境は整っています(注. 首都圏でも埼玉や千葉、横浜以遠の神奈川に住むとハンディがあるので、英語力維持したいなら東京都内に住むことが大事です。)

また、他国と比べた英語通用度の低さは、多言語能力と海外勤務経験を持つ私からみれば逆に「他者に差をつけるチャンス」以外の何者でもない。結局その比較優位を活かして東京で起業することにしました。言い換えれば、東京は「世界最大の経済規模を持つのに英語通用度が低い」という稀有な都市であり、その舞台で私はチャンスを掴んだのです。

結局何が言いたいのか?私自身を含め、海外で活躍した日本人にとって「東京はいつでもUターンできる都市」だということです。客観的にみて、東京は日本で唯一の国際都市。外国語を使う専門的職業の雇用が豊富で、多文化共生の社会環境も英語力を維持する教育環境もそれなりにあります。

言い換えれば、国際都市·東京があるから、私は日本に帰って来れたのです。もし東京がなかったら、私は今頃間違いなく、日本以外の国に住んでいたことでしょう。

海外に住んでももちろん良いけれど、私は海外経験を活かして母国·日本に貢献したいと思うタイプの人間なので、日本に東京という都市があって良かった、おかげで楽しい人生になった…本当に、心からそう思います。

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コメント

  1. Saya より:

    mana33chan, thank you for your blog post.Really thank you! Awesome.

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