不登校児、どの国で育てても大変…

こんばんはManachanです。今回は子育てネタでブログ書きますね。

私の娘は、東京都内の区立中学1年生。断続的な不登校が小学3年からはじまり、中学生になっても未だに苦労が続きます。今のところ、親が付きそうかたちで週に数回、放課後登校させています。現場では不登校児に理解ある先生が居るかと思えば、全く理解も興味もない先生も居ます。とにかく「相性の良い先生にあたるかどうかという、自分ではコントロールできない”運”に左右される学校生活」に不条理を感じながら、親として苦労や心配は今後ずっと続くんだろうなあと思います。

 

ところで、不登校児は、どの地域でもどの国でも一定割合で居るようです。私たちは国際結婚家庭で、日本の学校への文化的適応に問題が多いと言われてますけど、多分それは問題の本質ではないでしょう。両親とも日本人の家庭で育った子でも、日本の学校に合わずに不登校になる子は相当数いるわけですから…妻の実家があるオーストラリアでも同様で、両親ともオーストラリア生まれの白人の家庭で育った子でも、学校に合わずに不登校になるケースは当然あります。

「オーストラリア不登校」、身近な知り合いにもいますよ。両親とも英語ネイティブの家庭に育ち、学校の成績は問題ないのに、他の子供たちとの人間関係をつくることができない。まずは小学校低学年でいじめに遭い、親がみかねて転校させたのですが、その学校にも馴染めず結局不登校になってしまった。

 

「不登校」を、英語圏ではSchool refusalと言います。直訳すれば「登校拒否」。かなりきつい言葉ですね。思えば私が子供だった1980年代、日本では「登校拒否」という言葉が使われていました、当時は子供を登校させないことがとても悪いことだとされ、その批判の矛先が親に行ったり(親もつらいのにね…)、また学校側も、義務教育にもかかわらず「登校させないとお子さんが卒業できませんよ」と、半ば脅しをかけるような時代でした。

卒業証書をちらつかせされたら、親も当然、我が子を無理にでも行かせようとする。それが、さらなる悲劇につながるわけです。いじめ、自殺…いろんな問題が頻発するなか、文部省は1992年、全国の小中学校に向けて、こんな通達を出します。

・「登校拒否」ではなく「不登校」という柔らかい言葉を使おう。

・「不登校」は自然なことだと認め、そうなった子供を学校に戻すような仕組みを考えよう。

・「不登校」「無登校」であっても、義務教育なのだから、卒業証書は必ず出そう。

 

今ではさすがに、「登校拒否」という言葉を使う人は減り、「不登校」自体が社会的に認知されてきました。フリースクールや、インターネットを使った通信制の中学高校などの選択肢も増えてきました。とはいえ、(学校に行かず)自宅で育つ子供のための教育「ホームスクーリング」はまだ認知度も低く、方法論も十分に開発されていない印象です。この方面で先進的なのは、やはりアメリカをはじめとする英語圏でしょう。長年の歴史と蓄積があります。

でもって、「ホームスクーリング」が盛んな英語圏で、「不登校」のことをSchool Refusal(登校拒否)と言うのはなぜなのか?…その意味を考えたいと思います。

 

私の見聞した範囲でいうと、オーストラリアでは、「お子さんが学校に行けないなら家庭でホームスクーリングすべきでしょ?」というかたちで物事が処理されるようです。まず福祉局の人が来て、ホームスクーリングプログラムを親に考えさせて、家でやらせる…という感じなので、そもそも「学校に戻す」という発想自体が希薄なように思います。

そもそも、社会と学校の成り立ちからして、日本とは根本的に違う。特にアメリカでは、近代的な学校制度を国がスポンサーするずっと前から、教会や開拓者コミュニティが民間の学校をつくり、独自の教育を積み重ねてきた(リンカーン大統領もケンタッキーの開拓者の学校で学んだわけです…)。オーストラリアも開拓者社会なので状況は同じで、人口希薄な遠隔地も多いので、そういう地域で育つ子供に対する教育は、都市部の学校とは全く別の体系で、ラジオやインターネットを利用しながら長年行われてきました。つまり、「児童教育は学校が全てではなく、それ以外の方法でやっても構わない」、これが英語圏社会に共通のコンセプトだと思います。

 

逆にいえば、そういう教育の伝統だからこそ、公立の小中学校で不登校になったらすぐ、「School Refusal(登校拒否)ですね。学校で無理なら家でやってください!」と、突き放されるのだと思います。

一方、日本、韓国、中国など東アジアは学校信仰が強い社会であり、国の認めた学校以外での教育はなかなか認めない傾向がある。だから、不登校になったら家でやりなさいと突き放すことは難しく、いろいろ考えて、何とか学校に戻そうとするのだと思います。「不登校」という柔らかい言葉を使ったり、登校日数ゼロでも卒業させることも含めて…

 

英語圏社会と東アジア社会、どちらの教育のやり方にも良し悪しがあると思います。日本の教育しか選べない方々は英語圏教育への憧れが強いのか、(こちらが頼んでもないのに)私に対して「インターに行かせるべきじゃない?」、「英語圏で教育した方がお子様のためじゃない?」みたいなアドバイスすることがありますが、

日本とオーストラリアどちらも選べる我が家の立場からすると、(選べるからこそ)オーストラリア教育の良くない部分も当然見えてくるわけで、我が子の特質、日豪社会や教育の在り方を総合的に考えれば考えるほど、実際に選ぶのはものすごく難しいと感じます。

 

私、現時点では、次のように考えます。

・娘は、たぶん日本で育てた方が良いだろう。

・いまオーストラリアに行ったところで、学校に馴染めるとは限らないし、馴染めなければ放り出されてホームスクール。せっかく覚えた日本語も忘れるだろうし、将来的に箸にも棒にもかからない扱いを受けるリスクが高い。

・その点日本なら、学校側が一生懸命、登校させようと努力してくれるし、その結果学校に馴染めるようになれば御の字。たとえ馴染めなくても日本で暮らすことで得られる日本語能力が、将来オーストラリアに行っても結果的に娘の身を助ける期待もある。

 

とはいいつつも、日本での学校生活、親としての苦悩は当分続くでしょう。気長に頑張ります。

 

続編はこちら…

「学校適応が難しい子」と「担任教師の無理解」による厄災を防ぐ方法

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