人の時間と情報はタダじゃないけど…

こんばんは、Manachanです。明日の夜からまた海外出張ですが、今晩は東京の自宅で家族とTVの前でまったりしてます。

今日は土曜日、娘をアプリ開発教室に連れていく途中、こんなこと言われました。「パパはたぶん、日本一、楽してる大人だよね」と…ま、誉め言葉として受け取っておきましょう。

 

独立自営の事業主になって、4年余。日々、時間の使い方は自由です。自宅でも事務所でも旅先でも、好きなところで仕事できます。満員電車とも社内政治とも無縁。その意味では、確かに楽してるかも…そんな自由度の高い働き方が、私自身とても気に入っています。

でもよく考えると、私は自由な時間を「お金」に換えていかねばなりません。一家4人を食わせて学校に通わせる他、社員と自分の給料、事務所家賃、旅費滞在費、広告費、税務申告費等々を捻出し、創業・運転資金の元本利息を返済し、さらに利益も上げなければなりません。

事業主の境遇になると、サラリーマン時代よりは確かに、「時は金なり」だとリアルに感じます。ま、サラリーマンも会社組織を通じて、間接的には労働時間を給料に換えているわけですが、事業主の場合、毎月決まった給料が振り込まれるわけじゃない。自分で動いて売上あげなきゃならないし、そのために使うリソースはとりあえず自分の時間しかないわけだから…

 

とはいえ、私自身、「カネにならない仕事は一切しない」、「カネ払わない客とは一切付き合わない」とドライに割り切ってるわけではありません。むしろ逆で、当面カネになりそうもないことに、贅沢に時間を使っています。それは、

・将来の新市場開拓につながる(かもしれない)海外出張だったり…
・将来ビジネスパートナーになる(かもしれない)方々との面談や飲みだったり…
・旧知の友人に会いに行ったり…
・海に行ってのんびりしたり、知らない街を歩いたり…
・震災被災地でいろいろお手伝いをしたり、地元の方と飲んだり…

 

ま、もろもろありますが、カネになる云々はともかく、私が「有意義な時間の使い方」だと思うことをやってるんですね。何をもって有意義だと感じるか?その多くは、「相手」あってのことです。

・一緒に時間を過ごして楽しいと思う相手
・情報交換して有益だと思う相手
・自分をさらけ出して、本音でつきあってくれる相手

 

そろそろ本題に戻ります。本質的にいうと、私の時間、あなたの時間はタダではありません。相手に時間を使ってもらうには、それなりの「対価」を支払い、それを相手に認めてもらう必要があります。

その「対価」は、どんなかたちでも構いません。当然、お金でも良いし、情報でもネットワークでも良い。あるいは「人格」でも良い。上述「一緒に時間を過ごして楽しいと思う」ような相手なら、私は彼または彼女がすでに対価を払っていると見なし、その人のためにいつでも無条件で自分の時間を使う用意があります。そうじゃないフツーの相手の場合、私は自分の時間を使い情報を提供する対価として、お金をいただくことがあります。

 

私の大好きな「旅」の世界でいうと、たとえば、ネットを使った宿泊形態として、たとえば「AirBnBや途家などを通じて宿代を払う有償型の民泊」もあれば、「カウチサーフィン」という、無償で泊まる形態もありますよね。

「カウチサーフィン」が成り立つのはなぜか?泊める人(ホスト)と泊まる人(ゲスト)が、お互いに旅の情報交換をする、お互いの家に無料で泊めあうなど、「お金には換算できないけど、それに代わる何か」を対価として与え合っている。その前提があってはじめて成り立っています。

もう一つ、私の大好きな「外国語学習」では、「ランゲッジ・エクスチェンジ」(Language Exchange)といって、お互いの言葉を無料で教えあうことが広く行われています。私も日本語や中国語を教える見返りに、タイ語やベトナム語、マレー語を教わったことがあります。言い換えると、相手にタイ語を教わる対価を、日本語を教えることで払っているわけです。

最近の私は忙しいので、以前よりも対価を「お金」で払う頻度が増えています。カウチサーフィンとか好きだけど、朝から晩まで忙しく動き回るのでビジネスホテルにお金を払って泊まった方が気楽だと感じますし、ランゲッジエクスチェンジ好きだけど時間がないから、お金を払ってタイ語やインドネシア語のプライベートレッスン行ったりしてます。

 

以上まとめると、

・相手の時間は、タダではない。
・時間を使ってもらうには、相手にとって有益な何らかの対価を払う必要がある。
・その対価は、お金でなくても良い。人格、情報、ネットワーク等でも良い。

 

それが人間社会の掟だと思いますし、大部分の大人は理解しておられますが、世の中には、「相手の時間がタダ」で、「対価を支払わずにいくら使っても良い」と誤解している方も、少数ながら存在します。

特に、「自分のやってることが正義だと思い込んでいる人」にそれが目立ちますね。正しいことをしてるんだから、その目的のために相手のリソース(時間や情報)をどう使っても許される、という思考回路であるよう。

 

しかし世の中、往々にして、「あなたの正義が、私にとっても正義であるとは限らない」。価値観や感性を共有しない相手の時間を使わせていただくには、相応の対価を支払う必要があり、それをやらないと嫌われます。

モンスターペアレントとか、横暴な客とか、独善的な社会運動家とか、いろんなタイプがありますよね。お金を払うとか、相手に有益な情報を提供するとか、それ以前に「性格が良くて面白い奴」なら何だかんだいって許されるのですが、そのどれも提供できないと、結局、誰にも相手にしてもらえなくなります。

 

人生は時間でできています。繰り返しになりますが、私の時間もあなたの時間も、本質的にはタダじゃないので、相手の時間を使わせていただくには、それなりの対価を提供するのが世の掟。言い換えれば、人間は「金銭的または非金銭的な対価のやり取り」をしながら、お互いの時間や情報をシェアし合っているのだと思います。

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