こんにちは、Manachanです。今日は育児・学校ねたでいきます。
東京を代表する文教地区といえば、「文京区」の右に出る者はいません。面積11平方キロの狭い区内に、他の類例をみないほど多数の教育機関が立地しています。「東京大学」のおひざ元であるのはもちろん、
文京区内の教育機関
大学18 (国立4、私立14)
高校28 (国立2、都立3、私立23)
中学校27 (国立3、区立10、私立14)
小学校24 (国立3、区立20、私立1)
幼稚園30 (国立3、区立11、私立16)
まず、幼稚園~小学~中学の段階から国立校が3校揃ってるのが凄い。あと、区内の国立大学、どこも偏差値70以上必要な、日本のベスト・オブ・ベストな難関大学揃い…そんな環境なので、文京区には頭がアカデミックに賢いお子様や親御様が大勢いらっしゃいます。
文京区の「お受験」は幼稚園から始まり、国立小学校の入学対策を3歳から始める方が相当数います。また区立小学校もブランド価値が定まっており、区内で特に人気の高い「窪町小学校」と「誠之小学校」では、学区内に住まないと入学が極めて困難なこともあり、学区内に立地する分譲マンション価格が他地域の1割増しだったりします。
いつの時代も、我が子により良い教学環境を与えたいのは切実な親心…文京区内は首都圏や地方の富裕層が、子供の誕生を期に「マンション買って教育移住」のメッカでもあります。
そんな凄い教育エリアに、私は子供時代、2~3年ほど住んでました。幼稚園年長から小学校2年生の途中まで過ごした住まいが、文京区小石川5丁目「ヒルサイドマンション」の2DK。各フロアは5世帯のみで、うち2世帯が九州からの「教育移住」組だったので、引っ越し早々たまげました。
ヒルサイドマンション、当時は築浅でしたが、現在は築43年で外観もくたびれてます。でも、さすがに人気の窪町小学校区、今でも40㎡程度が月額12~13万円くらいで余裕で賃貸がつきます。ここは不動産的にも特殊エリアですね。
https://sumai-matome.jp/articles-826
居住地の関係で、私の通った小学校は当然「窪町小学校」でした。いま振り返れば、東京でも有数のブランド小学校に行ってたと思うと、改めて感慨深いですね。
ただ、教育環境の良さを理解できるのは大人だけで、年端もいかない児童が、それを理解するのは難しい。幼かった私は、むしろ不満たらたらでした。我が家は千葉県の柏市から出てきたのですが、
・柏では外の空き地で思い切り遊べるのに、文京区では児童館で室内遊びしかできない。
・柏の家は広い庭があって犬や鶏も飼えるのに、文京区の家は狭くてペットも禁止。
・柏の小学校は広い校庭で運動会できるのに、窪町小学校は運動会できるスペースがなく、お茶大のグランド借りなきゃならない。
広いミネソタから都会なサンフランシスコに出てきて戸惑う、「インサイドヘッド」のライリーみたいだ・・
あと、文京区に住むには、「先立つもの」が必要。狭い2DKの家賃でも柏の2~3倍するんですから、当時サラリーマンだった父には大きな負担でした。
結局我が家は、お金が続きませんで…コツコツ貯めたお金も文京区で全部使い果たし、私が小学校2年の2学期に、一家揃って柏に文無しUターン。まさに都落ち。その後18歳までずっと柏で過ごしたので、この地が私の故郷になりました。
柏に戻った私は、広い校庭や路地裏で、男の子と女の子入り混じって真っ黒に日焼けするまでドッジボールをしたり、手賀沼や北柏のトンネルで爆竹投げて遊んだり、取手から分岐する関東鉄道常総線と自転車で競争したり、利根運河で段ボール滑りをしたり、秋には乾いた田んぼでイナゴ捕まえて甘露煮にして食ったり…そんな育ち方をしました。
教学環境も文京区と大違い。小中学校の先生はたいてい茨城県から通勤して来ていて、茨城弁丸出しの先生も少なからずいました。文京区で当たり前だった「男子がピアノ教室に通う」ことも柏では奇異の目でみられる、中学校になると校則が不必要に厳しくて、それでも先生の目をかいくぐってB体の学ラン買いに行ったりバイク改造したり…
柏で育っても、結果的にオーライでした。まず何より、文京区で育った同級生たちと、ほぼ同等の学歴を得られたわけで、結局どこで育っても、本人次第で何とでもなるのだと思います。
もし私が文京区に育っていたら、何が違っていたのか?
たぶん、学歴というよりは、「住まい選び」の点で大きく違っていただろうと思います。
18歳で柏を出た私は、まず東京の多摩地区と足立区の貸家を転々として、転勤で福岡と群馬に行った後、29歳で柏の駅前にマンションを買いました。
首都圏のなかで、柏より都心に近くて家賃が高い場所はいくらでもある(というか、そんな場所ばかり…)なので、どこに住んでも満足でした。そもそも「東京都」アドレスと、「03」の市外局番を持てただけで感動しましたし、地元のマンションも価格安いので、結局20代でマイホーム持ててしまいました。
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2013/5/8 の日記「都民になれた日」から引用
当時、若かった私は、「サー(Sir)の称号」ならぬ、「都民の称号」を得て、意気揚々としていました。余りの嬉しさに、
「引っ越しました!」という葉書きを、友達に送りまくったのです。
そこにはもちろん、住所と電話番号を書くわけですが、
郵便番号が「120」・・・生まれて初めて手にする、「1」ではじまるナンバーに、感動しまくり!
電話の市外局番が「栄光の03」・・・再度、じーんと感動、感涙♪
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もし私が、文京区に育っていたらどうだったか?東京広しといえども、自分の実家より良い場所はほとんどない。駆け出しサラリーマンの給料で、実家と同等の場所に下宿するのはまず不可能。千葉埼玉神奈川はもちろん、都内でも山手線の外側だと不便さや遠さを感じると思うので、
一体どこに住めばいいんだろうな?贅沢ではありますが、あまりにも良い場所に育ってしまうと、それはそれで、悩み多き人生になるのかもしれません。