銀座爆買いと、日本人の反応に思う…

こんにちは、Manachanです。先ほど、池袋で決済を終えて、その足で羽田に向かって中国・北京へ飛ぶ・・という、移動の多い日々を送っております。

昨日は、仕事で銀座に行く機会がありました。銀座は、いつも人通り多くて賑やかですね。私の歩いたコースは、

・銀座1丁目から、4丁目交差点まで、中央通りを南下
・4丁目交差点で左折し、晴海通りを東へ、歌舞伎座前まで進む

この距離を、ゆっくり歩きで10分余りで移動しつつ、街で聞こえてくる声を言語別に集計する、という遊びをやってみました。結果は下記の通り、

・中国語 14回
・日本語 13回
・英語   2回
・それ以外 2回

銀座の北部、1~2丁目あたりは日本語が多いですが、3丁目の松屋あたりから中国語の頻度が急増、4丁目交差点まで、ほぼ中国語ばかり聞こえる状態が続き、そこから晴海通りに入ると日本語が増える…といった塩梅。英語は、単発的に聞こえてくるだけでしたね。

街で聞こえてきた中国語に耳を澄ますと、上海以南や台湾の人のしゃべり方ではない。多くは、中国大陸の北部か西部から来た方々と思われました。

 

私は銀座に行く機会多いですが、中央通り沿い、3~8丁目は特に中国人旅行客が集中する地域で、日本人が行くと「アウェイ感」を覚える場所と言われています(パリのシャンゼリゼ通りも同じようなものですけどね…)。但し、中央通りから大通り一本、西か東へ移動すると、中国語の聞こえる頻度はまばらになります。

そんな日、銀座4丁目交差点で、ビジネススーツ姿の日本人中年サラリーマンがつぶやいた言葉が、印象に残りました。

 

これだと、日本が乗っ取られるね…

 

大勢の中国人観光客という、見慣れない存在への違和感、銀座の変貌ぶりに対する戸惑い…その気持ちは分かります。でも、別の視点からみれば、

 

良い歳した大人が、「乗っ取られる」みたいな不明瞭な言葉を使って、現状を正しく認識する努力をせずに、文句だけ言ってる状態に対する違和感を、私は感じます。

 

そもそも、日本の国が乗っ取られるって、具体的に、どういう状態を指すのでしょう?定義できるのでしょうか?今の銀座の状態(中央通り沿いだけ、中国人観光客が多数派になってる)から、何がどのように変化すれば、彼のいう「乗っ取られる」状態になるのでしょう?

これを、正面から問うたら、そのサラリーマン、たぶん明確に答えられないでしょう。彼が「乗っ取られる」というあやふやな言葉の枠組で思考する限り、妥当性を持った現状認識は無理な気もします。

私の違和感は他にもあります。

 

民主的手続に基づいて自分たちが選んだ政府が、公約通りに規制緩和して、その結果、外国人観光客が増えてるんでしょ?いまの銀座の状態は、突き詰めて考えれば日本人の「集合的意思」が実現された結果であって、ほぼ想定通りじゃないの?

そもそも日本は主権国家なんでしょ?日本領土内のルールは自分たちでつくって、皆に守らせるんでしょ?外国人観光客は、日本国がつくったルールの枠組に応じて増えたり、減ったりしてるんでしょ?自分らがルールを握ってる限り、乗っ取られるなんてあり得ないじゃん?(戦争でもして負ければともかく…)。

 

社会の何かが変化する時、普通考えて、功罪どちらもあるはずです。悪い方向にだけ向かう変化って、現実にはあまり考えられない。ビザ要件緩和の結果、外国人旅行客の来日数が増えたのなら、ホテル業や小売業等、日本の一部業界は確実に潤っているはずで、これは彼らにとってプラスな変化。

もっとも、ビザ要件を緩めた結果、外国人の不法滞在や失踪が増えたり、その結果治安に影響してくるのであれば、それは多くの人にとってマイナスでしょう。とはいえ、よく考えればこれは最初から想定できることです。

 

プラスとマイナスの両方を必然的に伴う「変化」のなかで、客観データにもとづいて現状を認識した上で、いかにしてプラスを最大化して、マイナスをコントロールするか?…これが、「チェンジ・マネジメント」といわれるもので、それなりの企業に勤める中堅サラリーマンなら、日常業務のなかで当たり前にやってることだと思うんだけど、

ことが「日本社会のチェンジ・マネジメント」みたいな話題になると、変化をコントロールする視点がすっぽり抜けて、一気に「乗っ取られる」とか「買い占められる」みたいな、あやふやな結論に飛びつく人が日本では多い。教育レベル・社会的地位が相当高い人でさえ、そういう「情弱」的なことを言ったりするのが、私に言わせれば不思議です。

以前書いた日記、「外国人の土地所有を制限できるか?」でも、同じ問題を感じました…

 

日本経済を活性化させたい。日本の国を復活させたい…という総論に、反対する人は多くないでしょう。

その手段として、たとえば「外国人観光客に来てもらう」とか、「優秀な外国人に、日本の職場で活躍してもらう」などがあり、具体的には観光ビザや永住権を取りやすくする等の施策になるわけですが、それをやった結果、日本人の誰かの職場を奪うとか、賃貸物件でのトラブル等、マイナス面の変化も伴うかもしれない。

だから、ビザ緩和をやるべきか、やらざるべきか、あるいは方法を変えてやるのか・・・といった「判断」が必要で、その判断材料となるデータを集める仕組みや、現状をモニターして政策に反映する仕組みも必要になる。それができて、はじめて「まともなチェンジ・マネジメント」が成立する。

 

日本の将来に関わる大事なことを、少なくとも教育を受けた人なら、本来、チェンジ・マネジメントのレベルで議論すべきと思うのですが、そういう議論が、日本で成り立つ土壌はまだまだ乏しいと感じます。

 

Facebook にシェア

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*