2016年 3月 の投稿一覧

犬肉を食べていた頃…

おはようございます。Manachanです。

今日は日曜日、うちの奥さんは研修で一日中不在。私が終日、子供二人の面倒を見る予定です。たぶん、上野の博物館や動物園に行くことになるでしょう。

 

上野といえば、東京では新大久保、池袋北口と並ぶ、「ディープ中華めし三大聖地」の一つ。店主、店員、客のほとんどが中国人で、日本語があまり通じない店も少なくありません。

上野には、たとえば、「犬肉料理」を出す、中国東北料理の店があります。値段の割に美味しいので、こないだも、得意先の方と一緒に食べにいきました。堂々と「犬肉鍋」と表示されたメニューがあって、口をつけたのは私と、もう一人だけ。他の全員は遠慮してました。

 

【上野の犬肉鍋…4人前5,250円、2人前3,150円】
(新大久保店でも同価格です)

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私は2005~07年にかけて、中国の大連に住んでいました。現地では「犬肉」はポピュラーな食べ物、牛肉や豚肉と並んで売られるような、誰もが食べるものでした。

久しく行ってないので最近はどうか分かりませんが、私が住んでいた頃、大連・周水子国際空港からタクシーで市内へ向かうと、すぐそばに「狗肉湯」(犬肉スープ)と書かれたデカい看板があり、それをみて「大連に帰ってきたなあ」と実感したものです。

当時の大連で外食すると、肉を使った料理の価格は、「牛肉>>>犬肉>豚肉・鶏肉」という感じで、それなりにリーズナブル。会社の同僚と、週に一度は、「狗肉湯」ランチ(6元=当時は84円)を食いに行ってたものです。犬肉を食べてみると、「牛肉に近い食感」。当時の大連では「ちょっと安い牛肉」みたいな位置づけでしたね。

大連での生活を経て、日本に帰国すると、当然ながら、犬肉を食べる機会が圧倒的に減りました。今では、上野か新大久保に行って食べるしかないですもんね。ま、それでも構いません。豚肉、牛肉、鶏肉、羊肉があるわけだし、他の肉に比べて、犬肉が特に好きというわけでもないし…

 

中国、ベトナム、朝鮮半島、日本…東アジアの犬食文化は長い歴史を持ちますが、近年はどの国でも、犬をペットとして愛玩する習慣が普及し、それとともに、「犬を食べるなんて、可哀想」という価値観を持つ人も増えてきました。

日本、韓国、台湾では、犬食はめっきり減りましたし、本場・中国でさえも、犬肉食に対する風当たりは強くなりつつあるようです。中国南部・広西チワン族自治区の玉林市では、犬1万頭を食べる毎年恒例の「ライチ犬肉祭り」をめぐって、国内外で賛否両論が巻き起こっています。

中国で「犬肉祭」…「何が悪い」と1万匹、盛大に食べ尽くす 世界から約400万人が抗議

(こういう祭り、行ってみたいなあ・・・反対デモも凄いらしいけど。)

 

オーストラリア・シドニーに住んでいた頃(2000~05)の話。犬食習慣のあるアジアの民族が同国に移住してお店を開くことがよくありますが、犬肉の出荷は同国の法律で禁止されているため、「本来、犬肉を使うところ羊肉で代用する」メニューが多かった印象があります。

たとえば、シドニー南西部、Belmoreの駅近くに、韓国料理店が固まっている一角があります。店名からして、「コリアン客しか相手にしない」オーラが漂いますが、どの店も安くて美味いので私もよく行ってました。

 

【Belmore駅周辺に韓国料理店が並ぶ】

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私のいた頃は、この一角に「チャンジンドン・へジャンクック」という名店があり(英語しか知らない人には意味不明)、そこで一番好きだったメニューが、「羊肉鍋」でした。本来は「犬肉」を使う料理ですが、オーストラリアで犬を使うとご法度なので、羊肉で代用して、本来の味に近づける努力をしたそうです。確かに旨かった。

羊でも犬でも、美味しければなんでも食べてみたいです。

 

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感動のインドネシア語

こんばんは、Manachanです。

今朝から、東京飯田橋の語学学校で、インドネシア語を学びはじめました。マンツーマンレッスン形式で、10~12時までインドネシア語、12~13時までタイ語と、3時間ぶっ続けだったので結構ハードでした。

 

タイ語、ベトナム語と並行して、インドネシア語まで学ぶ・・・お互いに違いの大きい3ヶ国語の同時並行学習は常識的なやり方ではないのは分かってますが、もちろん、私なりの計画と勝算があってのことです。昨年10月1日のブログ「半年+30%多言語習得戦略」では、2016年3月にはインドネシア語の学習を始め、半年後には「とりあえず使える」(習熟度30%)レベルになると書いてますが、今のところ大体、描いた通りのスケジュールで学習が進んでいます。

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インドネシア語は、マーケットも大きく、将来性あふれる言語だと思います。

・話者人口 1億6500万人 (世界10位前後)

・2億以上の人口を持つ大国インドネシアの共通語

・隣りのマレーシアでも通じる言葉

 

下の地図の範囲内ではだいたい通じる言葉といえます。同じアジアで日本から比較的近く、経済関係も密接、将来的な伸びしろも大きい国ですので、インドネシア語の利用価値は高いですね。私は、今年後半に予定している「ジャカルタ不動産マーケット現地調査」に向けた準備の一環として、この言葉を学んでいます。

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もっとも、インドネシア語を母語とする人数は少なく、せいぜい2000万人台だそうです。広大なインドネシアの島々では700を超える言語が話され、お互いの意思疎通もままなりません。インドネシア国家統一に伴い、リアウ州(スマトラ島東岸、マレーシアに近い地域)で話される言葉が、諸民族の意思疎通のための共通語として選ばれ、「インドネシア語」となりました。

ですので、インドネシア人の大多数は、日常的には彼らの母語(ジャワ語、スンダ語、バリ語など)を使い、第二言語として「インドネシア語」を学ぶのです。

 

このインドネシア語という言葉…とにかく、とっつきやすいことで有名です。

・発音が簡単 (ローマ字の棒読みで大体OK)

・文字はアルファベット

・表記と発音がほぼ一致 

・時制もない、語形変化もない

・文法は自由度が高く、語順にうるさくない (日本語に似ている・・)

・英語そのままの語彙が多い(Information->Informasi, Pharmacy->Farmasi)

 

今日、インドネシア人の先生から初めてレッスン受けてみて・・・びっくり。拍子抜けする位、分かりやすいんです。

・えっ、まじ?こんなに簡単でいいの?

・これまでの、タイ語とベトナム語の苦労は、あれは一体なんだったんだ?

 

タイ語の場合、まずはあの難解そうなタイ文字を覚えなければなりません。しかも、声調は5つもあるし、子音と声調記号の組み合わせを覚えないと、正しい声調で発音できません。また、文字と音声が一致しないことも多いです。

その点、インドネシア語は、日本の小学4年生で覚えるローマ字みたいなアルファベット言葉だし、声調もない。文字と音声もほぼ一致…何だこのラクさは!

 

ベトナム語の場合、ローマ字だから文字的にはとっつきやすいし、同じ漢字文化圏なので日本の漢語みたいな語彙(漢越語)も少なくありません。でもその代わり、発音と声調はかなり厳密にできるようにならないと通じません。

その点、インドネシア語は声調なし、発音簡単(小学生がローマ字文読んでるみたい!)

 

もう、拍子抜けする位、簡単!とりあえず、日常会話レベルとか、初級レベルであれば、インドネシア語の学びやすさは、世界でもピカイチだと思います(中上級レベルになると、結構難しいようですが・・・)

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東南アジアによく行く人なら、インドネシア語、利用価値も大きいと思うし、是非学んでみては・・・

 

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日本人になるために…

こんにちは、Manachanです。今回は不動産を離れ、「育児」ねたでいきますね。

日本で子育てしていると、冬場はインフルや風邪の流行があるので、なかなか大変です。先週は娘ソフィア(小学4年)のクラスが二日間学級閉鎖になり、一息ついたと思ったら今週は息子ポニー(小学1年)のクラスが学級閉鎖に。

子供たちは、「家でゆっくりゲームできる!」と喜んでいますが、親としては複雑な心境でして…

 

我が家は国際結婚。私が日本生まれ、母は台湾生まれのオーストラリア育ち。ソフィアとポニーは、生まれながらにして、日・英・中の三か国語が飛び交う環境で暮らすことを運命づけられました。

(私の顔が福山になっているのはご愛嬌ということで…)

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毎年、夏休みの1か月余りは、オーストラリア・ケアンズにある妻の実家で過ごしますが、そこではさらに複雑な言語環境があります。そのなかで、小さなソフィアとポニーは、複数の言語を、相手に応じて使い分けながら育ってきました。

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「我が子には、英語、中国語を学ばせて、国際人に育てたい」と思う日本人の親からみれば、もう、羨ましくて仕方ない環境かもしれません。確かに言語スキルの面では、英語、中国語、日本語…世界的にもメジャーな3言語に、日常的に触れられるという意味で間違いなく恵まれているでしょう。ですが、こういう家庭にありがちな、厄介な問題もあるのです。

ソフィアは以前、「自分が何国人なのか、よく分からない」と言ってた時期がありました。「どうして私はフツーの日本人の名前じゃないの?」、「ソフィア亜州香なんて、”明治神宮前原宿”みたいな名前やだ!」と。

今では、「自分は日本人であり、かつ英語人」だと言うようになりましたが(「オーストラリア人」とは言わずに、英語ネイティブスピーカーという意味で「英語人」と言ってるようです・・)、

彼女の心、そしてもっと若い弟ポニーの心に、確固とした母国「日本」ができるまでには、あと数年を要しそうな気がしています。

 

私の場合、子供たちとは違い、日本人というアイデンティティを、寸分も疑うことのない環境で育ちました。両親とも日本人だし、東京近郊ベッドタウンという土地柄、(今と違って)外国人らしき人もほぼ見かけない。ご近所さん、学校の先生…周りが日本人ばかりで、使う言葉も日本語だけ。19歳になるまで出国したことがなかったし。

自分が日本人であること、周りの人たちからも、日本人として認められていること…それは私にとって、空気のように自明なことでした。

 

良い悪いは別として、いま、ソフィアやポニーは、私の子供時代とは著しく違う環境で育っています。両人とも日本語名、英語名、中国語名、3つの名前があります。「君のルーツは複数あるんだよ」、「日本人であり、同時にオーストラリア人でもあり、中国人でもあり…それでいいんだよ」といっても、まだ小さな子供がそれを理解するのは難しい。

ソフィアの場合、本人が意識しているのかどうか知りませんが、いま一生懸命、「日本人になろうとしている」健気な努力を感じます。周りの日本人の子供たちと一緒に、妖怪ウォッチのゲームで遊ぶ、コロコロコミックを読む、宿題を見せあう、学校で日直をやる、いろんな係や当番をやる、運動会や学芸会のリハーサルをする・・・

日本の学校なので、そりゃ、かったるい面も多々ありますけど…でも、そういう一日一日の地味な積み重ねが、彼女の心のなかに、「母国・日本」、「自分は日本人」というアイデンティティをつくるような気がするのです。

ソフィアやポニーにとって、名実ともに日本人になるための条件は、たぶん「周りの人に、日本人として認められること」、「日本人として、いろんな役割を求められ、それを一つ一つ、果たしていくこと」でしょう。ナショナルアイデンティティの確立、それは根源的な人間存在に関わることであり、言語スキルなどよりはるかに大事だと思います。

今、子供たちはフツーの区立の学校に通っています。教学環境としてベストなのかどうかは評価が分かれますが、「普通に、日本人になる」には最適な環境だと思います。ここで過ごす一日、一日が大切ですね。

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