イタリア旅行記(2002年復刻版)~ローマ、ナポリ、ソレント

こんばんは、Manachanです。

「永久保存したい旅行記」第二弾の舞台は、2002年4月に訪れた「イタリア」。ローマから入り、南下してナポリとソレントを訪れ、悠久の歴史と地中海を満喫してきました。

あの旅では、オーストリア、チェコ、イタリア、スペイン、フランスと、5ヶ国を回ったのですが、「チェコ」と「イタリア」の印象が強烈すぎて、好対照すぎて…ヨーロッパを再訪する機会があれば、たぶん「チェコ」と「イタリア」を選ぶと思います。

イタリア、といってもローマから南側しか行ってませんが、その印象を一言でいうと、「声がデカい」、「都市計画と交通ルールめちゃくちゃ」、「観光ネタありすぎ」、「メシが超絶うまい!」。

良くも悪くも、キャラ立ちした、個性的すぎるお国柄が、人々の心をわしづかみにするのです。また行きたいなあ~。

 

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ローマへの道
プラハ・ルズィニェ空港のターミナルは、全館ライトブルーの色調で統一された大変モダンな建物でした。館内には免税店も多く、世界各国のブランド品が勢揃いして、少なくとも隣国オーストリアの、ウィーン国際空港よりずっと近代的でした。今世紀初頭にヨーロッパ先進国の仲間入りを目指す、また中欧随一の観光立国を目指す新生チェコ国家の意気込みを感じさせる建物、といえましょう。

我々がここから旅立つ、行き先はイタリアの首都・ローマです。我々が乗る小型のエアバス機はアリタリア航空とチェコ航空の共同運行便で、見たところ乗客のほとんどはイタリア人観光客でした。イタリア人とチェコ人を区別するもの・・・それは何といっても「声」です。おそらくヨーロッパで一番寡黙な国民・チェコ人と、一番騒々しい国民・イタリア人、その対比はすさまじいものがあります。

おおよそイタリア人が2人集まれば、「ガッハッハ」の笑い声がとめどなく溢れ出る、男性も女性も実によく通る声(食べてるものが違うんだろうか??)で、「マンジャーレ」、「カンターレ」など、実にアクの強い言葉で談笑する、そんな声が何百人分も重なりあうと、狭い機内に「やまびこ」現象が起こり、ぐわーんという振動が耳元を襲う。「この飛行機、ひょっとすると機内の騒音で墜落しちゃうんじゃなかろうか」と一瞬心配してしまうほどの騒々しさ。でも、それがイタリア行きの旅情を、いやが上にも盛り上げてくれます。

4月17日、12時20分にプラハを無事離陸した飛行機。我々の眼下に広がるのは、控えめな陽光と薄青色の空の下、緑色にうねるチェコの丘陵地帯です(秋には黄金色に染まるのでしょう)。伸びやかな、北海道的な風景です。当機はチェコを出発し、オーストリアとクロアチア領内を横切り、アドリア海を越え、イタリア半島を横断し、ローマまで行きます。このように書くと大層な長旅のように感じますが、その距離はわずか1100km、札幌~大阪間に相当するに過ぎません。わずか1時間半の空の旅です。

気がつくと、我々はすでにイタリア上空を飛んでいました。飛行機は徐々に高度を下げ、空港近くの農村風景を見せてくれました。まばゆい陽光、濃い緑、オレンジの果樹園・・・それは明らかに南国のものでした。イタリア・・・とてつもない国です。2000年以上前からローマの古代文明がこの地に栄え、ルネサンスもこの地に花開き、一国だけで全世界の文化遺産の約40%を保有し、世界史上の偉人を他のどの国よりも多く輩出し、今日でもローマ・カトリック総本山として、建築・ファッションの中心地として、またグルメやサッカ-の国として、全世界を魅了し続けるイタリア。ヨーロッパを旅するなら、その訪問地として絶対にはずせない国・イタリアに、我々は間もなく最初の一歩をしるします。

ローマ・フィウミチーノ空港は、大観光地イタリアの玄関口にふさわしい、巨大な近代空港でした。Stazione、Uscita、Vietato Fumare・・・イタリア語の表示が、旅情を盛りたてます。でも、それよりもイタリアを感じさせてくれたのが、観光案内所のスタッフでした。そこには、イタリア全土に数百万人いるとされるガッハッハ系のおじさん1名と、彫刻のモデルみたいな顔をしたお姉さん2名がいて、頼まれもしないのに皆よくしゃべるよくしゃべる。例えば私が名前を聞かれて、「スズキ、S-U-Z-U-K-I」とスペルを答えようとしたら、「大丈夫、スズキは有名な名前、皆スペル知ってるよガッハッハ」。私がパスタの美味しいレストランを聞くと、「大丈夫、イタリアはどこでもパスタが美味い。パスタならイタリアに任せとけガッハッハ」・・・万事こんな感じで、ガッハッハおやじのペースにすっかりはまってしまった我々は、ローマの宿もシャトルバスも、全ていいように手配されてしまいました(結果的にはそれでよかったんですけどね)。

 

ここは第三世界?

空港からシャトルバスに乗り込み、いよいよローマ市内に入る。ローマという都市は狭い地域に人家がぎゅーっと密集している上に、都心部のかなりの面積が遺跡として保存されているため、その住宅事情はお世辞にも恵まれているとは言えません。ウサギ小屋と揶揄される国で育った私の目にも、ローマ庶民の住宅は貧弱に映ります。建物は概して古く、屋上にはアンテナが無秩序に建てられ(すごいタコ足配線!)、バルコニーもない家が目立つ・・・東京の下町、北千住や竹ノ塚あたりによくある昭和30年代に建てられた安普請の低層マンションと言えば、当たらずとも遠からずでしょう。もっとも、大金持ちはすごい邸宅に住んでいるんでしょうけどね。

住宅事情以上に、我々を驚かせたのが交通事情です。特にローマ中心部の交通はすさまじい「混沌の極致」。ただでさえ狭い車道は路上駐車の嵐(いいのか?)、残ったスペースにクルマと巨大なバスがびっしり充満し、オートバイがその間を縫って駆けめぐる。ドライバーがまたすごい。運転はめちゃくちゃ荒っぽいし、市内だというのにスピードはガンガン出さないと気が済まないし、そのうえ事あるごとに(事がなくても)クラクションを鳴らしまくる。その騒音と排気ガスたるや、ひどいの一言。もちろん東京・大阪の比ではありません。

ローマの交通事情のひどさを一番痛感するのは歩行者になった時です。ここは天下の大観光地、全世界から毎日何万人もの旅行者が訪れて歩く町のはずなのに、都市計画自体が歩行者の便宜をほとんど考えてないのでは、と思わざるを得ません(遺跡だらけの町だから都市計画のつくりようがない、という話もある)。

だいたい、交通量の割に信号が圧倒的に少ない。そこで歩行者は車道を渡らざるを得ないわけですが、これがはっきり言って命がけなんです。ドライバーは歩行者を見ても減速してくれるわけじゃないし、クルマの物陰からいつオートバイが出てくるか分からない。もう半端じゃなくおっかないです。私は憤慨のあまり、思わず、「これまで何人もの旅行者が、交通事故で死んでるはずだ」と言ったほどです(でも、イタリア人ドライバーの素晴らしいテクニックのおかげで、死者は出てないのかもね)。

我々が今回の旅で訪れたのはウィーンとプラハ、どちらも散策の楽しい町です。対してローマは、散策に適した町とはお世辞にもいえません。交通地獄の車道のすぐそばに狭い歩道があって、そこを旅行者がすずなりになって歩かなきゃならない。加えて、犬の糞害もすごい。排気ガスのもやの中、前後の歩行者とフンに気を付けながら歩くのが、楽しいわけはありません。ローマには市内を貫いてテベレ川が流れているのですが、その川べりも歩けたものじゃありませんでした。立小便がすごく、それが南国の陽光で発酵してすさまじい臭気を発していたからです(だから、こんな所だれも歩いていません)。これに比べると、パリのセーヌ川、プラハのヴルタヴァ川沿いの散歩の、なんと楽しいことか。

ローマに着いて一日目の夕方、ミラノで航空機が高層ビルに突っ込んで、「すわ、無差別テロか」と騒がれた、あの事件が起こりました。私はその時ホテルでTVを見ていて、9・11を思わせるショッキングな画像を、イタリア語の解説(何言ってるか全然分からない)をBGMにしながら凝視していましたが、事件以上に私の目をひいたのは、アメリカやオーストラリアの都市と見まがうような、ミラノの堂々とした近代都市のたたずまいでした。私はいまローマの第三世界チックな風景の中にいるだけに、「同じ国なのにえらい違いだよなあ」と溜息が出ました。実際、ここローマからさらに南方のナポリに行けば、風景がさらに第三世界的、アフリカ的になるのです。私は、こんな所からも、イタリアの底知れない奥深さを感じました。

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廃墟の町

このすさまじい交通事情ですから、私はホテルに着いた後、正直言って歩いて観光するのが億劫になりました。でも折角ここまで来たんだし、目と鼻の先にコロッセオやトレヴィの泉があるわけですから、見ないわけにはいかない。それに腹も減ってきたから、イタリアの誇るパスタやピザを食わない手はない・・・というわけで、重い腰をあげました。

私たちの泊まったホテル・プリシラ(Via Calabria, 17 – 00187 Roma, TEL: 06 4817180。一泊92ユーロ、正直言って可もなく不可もなく、でした)は、テルミニ駅から北へ歩いて15分ほど、大使館や超高級ホテルが集まる、閑静な一角にあります(注.ローマにしては閑静、ということです)。そこからテルミニ駅を経て、コロッセオやフォロ・ロマーノがある、遺跡集中地域までの歩いて30分余の道のりは、慣れない旅行者にとっては確かにハードででした。排気ガスを吸わないようにハンカチを口にあてながら、何度もジェラートを食べて休んだものです(さすがに美味♪)。でも、いざ遺跡の前に立ってみると、疲れなど一気に吹き飛びました。一言、「やっぱりローマには来てみるものだ」。

フォロ・ロマーノは、まさに古代都市そのものでした。ここは今から2000年も前、古代ローマの政治の中心だったところで、元老院や神殿、凱旋門の遺構が残っています。しかも、ゆっくり歩くと半日はかかりそうな大きさです。このあたりは、フォロ・ロマーノ、コロッセオ、パラティーノの丘、カラカラ浴場、チルコ・マッシモ(戦車競技場)など、古代ローマ遺跡が目白押し・・・なんて生易しいものではなく、遺跡群が町の中心に堂々と居座って、現代人はその周辺部に小さくかたまって住んでいる、といった感じなのです。

これらは、全部見てまわりました。といっても、基本的に全て「廃墟」なので、残っているのは石やレンガでできた壁ばかりです。普通、壁を見るだけでは観光になりませんから、観光客はみんなガイドブックを持って、予備知識を仕入れて、壁にいろいろなイメージをふくらませながら歩く・・・例えば、「この中で古代ローマ人がフロ入ってたんだよね」とか、「この壁の前でシーザーが、”ブルータス、お前もか!”と叫んで殺されたんだよね」みたいに、各々が頭の中でストーリーをつくりながら歩く、これがローマ遺跡観光の基本なのでしょう。

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ローマ人の自信

私はこの遺跡(廃墟)だらけの町を歩きながら、ふと思いました。「もし自分がこの町で育っていたなら、人生観がずいぶん変わっていただろうなあ」と。ほんの40年前までただの草深い農漁村だった、東京郊外の町に育った私にとって、2500年前に栄えた古代文明を剥き出しのまま保存して今日に至っている、そして将来まで伝えていくであろう、ローマという町は想像を絶する存在でした。

実際歩いてみてよく分かりましたが、ローマという都市は中心部をはじめ至るところに古代遺跡がどかーんと居座っているため、近代都市としての機能性の向上は望むべくもないのです。実際、人口400万もいる大都市なのに地下鉄の路線は2つしかないし、都心と郊外を結ぶ近郊鉄道もあまりない(似たような人口規模の都市、例えば名古屋では地下鉄と近郊鉄道がどれだけ充実していることか・・・)、そこで市民の足はバスと自家用車、オートバイになるわけですが、それらが狭い車道に溢れに溢れて地上交通は慢性マヒに近い状態、見たところバスはいつも超満員です。正直言って、私はこの町に住みたいとは思いません。でも、どれだけ利便性を犠牲にしても、それでも壁ばっかりの古代遺跡を後生大事に保存しようとする、ローマ市民の心意気は鬼気迫るものがあります。

おそらく、現代のローマ市民にとって、これらの遺跡を少しでも取り壊すことは、都市ローマのアイデンティティの喪失、ひいては自分自身の存在意義の喪失にもつながると考えられているのでしょう。2500年という途方もない時間にわたって、このローマの地に繰り広げられた、奇跡としか言いようのない、絢爛豪華な人間ドラマの数々。それと共に現代を生きていこうというローマ人の決意が、この地をして他のどこにも真似できない、永遠の都たらしめているのでしょう。

実際、私が接したローマの人々は、ヨーロッパのどの土地の人間よりも都会人、もとい、「みやこの人」という感じがしました。日本でいえば京都人の、伝統・格式を重んじ、近代権力(東京)をどことなく冷めた目で見る、みやこ気質を何倍にも凝縮して、それを陽気なイタリア風に表現したのがローマ人気質、と言ってもいいかもしれません。例えばローマの男性は概してとてもフレンドリーで、口数がやたら多い。でも、何か押しつけられている感じは不思議としません。一方ローマの女性は、異国から来た、片言のイタリア語をしゃべる旅行者をジロッと一瞥して、軽く品定め(?)する人が目立ちます。でも、パリあたりの人間とちがって、尊大な感じは不思議としません。

とある統計によれば(?)、イタリア人男性は一日に平均8回、女性のおしりを触ると言われていますが、それでも、埼京線の通勤列車で、サラリーマンの中年男がOLのおしりを触るのと違って、いやらしい感じはあまりしません。同じことをしても、他の土地の人間がやると嫌味だけど、ローマ人の場合それを感じさせない。私はこのあたりに、みやこ人としての洗練を感じます。

おおよそローマ人に一番似合わない言葉は、「卑屈」でしょう。誰に対しても、たとえお金持ちのアメリカ人旅行客に対しても、決して卑屈にならない。観光客に来ていただくのではなく、これだけの舞台装置を擁する天下の都なのだから、全世界の人間が観に来て当然・・・という悠然とした態度を彼らはとります。ローマの悠久の歴史と、それが無言で物語る圧倒的なパワー。その伝統を引き継ぐ我々こそが、正統派のローマ人であり、正真正銘のヨーロッパ人なのだ、という文句なしの自信が、古都ローマにより一層の輝きを与えているような気がします。

 

ヴァティカン市国

「世界最小の国はヴァティカン市国」・・・小学校の頃、母に買ってもらったギネスブックにそう書いてありました。なにしろ、面積が後楽園球場(当時、東京ドームはなかった)数十個分にすぎず、人口は1000人に満たない・・・そんな国がこの世に存在すること自体、幼い私にとって不思議きわまりないことでした。それから20年余、私は地球を半周して、その不思議の国に立っています。

ローマ市内に点在する7つの丘、そのうちの一つがヴァティカン市国です。その「国土」は、カトリックの総本山、ローマ法王を擁するサンピエトロ寺院、ニ千年の歴史を持つカトリック美術の粋を集めたヴァティカン美術館、サンタンジェロ城の3つによって構成されています。「国民」の多くはローマ法王以下、カトリックの聖職者と、美術館の職員によって占められています。天下のローマ・カトリック総本山・・・今はセックススキャンダルで揺れていますが、腐っても鯛、ここは何と言っても全世界20億人を数えるキリスト教徒の聖地なのです。クリスチャンじゃなくても人類の一員として、観にいかない手はありません。

ヴァティカン市国に入国するのに、パスポートもビザも要りません。ローマの地下鉄A線、チプロ(Cipro)駅から、小高い丘を上っていけば10分もせずにヴァティカン美術館に着きます(歩く時間より、美術館の入場時間待ちの方がはるかに長いです)。地元イタリアはもちろん、アメリカ、ドイツ、日本、韓国などから来たツアー客が列をつくって歩いてますので、道に迷う心配はまずありません。

ヴァティカン美術館の目玉は、何といってもミケランジェロの「最後の審判」のある、「システィーナ礼拝堂」と、ルネサンスの天才画家の名作コレクション、「ラファエッロの間」でしょう。我々は美術館前で30分ほど時間待ちをして、世界各国語で説明が聞けるオーディオ・ガイドを借りて、いよいよ場内へ進みました。

この美術館は、想像をはるかに絶する場でした。贅をつくした大理石の宮殿、両側の壁にも屋上にも、びっしりと名画が並び、それが何百メートル、いや何キロにわたって続くのです。これらを全部堪能しながら回ったら、それこそ1週間あっても観きれないでしょう。どんなに急いで回っても、システィーナ礼拝堂まで2時間は優にかかるし、それまで名画、名画の洪水で、とてつもなく密度の高い時間を過ごすこと、うけあいです。ローマ・カトリックの、2000年以上にわたる営みのすごさ、途方もない宗教的情熱を、ここほど実感できる所はないでしょう。

とにかく、ものすごい美術館です。私も妻も、名画を堪能するというよりただただ圧倒されて、2時間ほど見学しただけなのにどっと疲れが出てきてしまいました。絵画で表現されている宗教的情熱がすごすぎるし、モチーフとなっているのが、例えば天使(女性)が異教徒の男性の血にまみれた首をとって微笑んでいるみたいな、我々の感覚からすればおどろおどろしいものが多いのです。だから、「確かにすごいのはよく分かった。でも、もっとほのぼのとした、明るい現代的な絵を見たい」という気持ちになるのです。これは、血のしたたる分厚いステーキを食べた後、さっぱりした和食が食べたくなる感覚に似ているのかな???でも、一度は絶対に見にいくべきだと思います。

ヘビーな名画攻撃(?)でどっと疲れた後は、ローマ法王のいるサンピエトロ寺院に直行しました。寺院前のサンピエトロ広場は、中央に天を刺すようなオベリスクが立ち、広場を囲む回廊の上から140体の聖人像が見守り、何万人集まれそうな大きさでした。この大空間もいろいろな肌の色をした観光客の大群で埋まっていました。我々は腹が減っていたので寺院内部には入らず、パスタがうまいと評判の、トラステヴェレ地区にあるレストランに直行しました。

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食べ物ならイタリアにお任せ・・・次回のお楽しみ

ヨーロッパを代表する食い倒れの国として名高いイタリア。この国で食べた物は、素晴らしい!もう最高でした。私はイタリアでこんなに美味いものを食べて、かえって不幸になりました(??)。今後、オーストラリアや日本でどんなイタリア料理を食べても、今回イタリアで食べたものには、到底かなわないだろうからです。

でも食べ物の話は、「ナポリ・ソレント編」に回します。ローマで食べたパスタやリゾットは確かに素晴らしかったのですが、新鮮な山海の幸に恵まれたナポリやソレントのイカ墨スパゲッティやモッツァレラチーズはさらにその上を行くからです。食いしん坊の読者の方は。次回に乞うご期待。

 

南の海へ

海を見たい・・・ローマのホテルにいた時、ふとそう思いました。これまで、ウィーン・プラハと、内陸ばかり回ってきて、何となく「潮の香り」、「シーフード」の類が恋しくなったからです。そこで、ヨーロッパ地図を広げてみると、ここローマのすぐ近くに地中海という、魅惑的な大海があるではありませんか。当初の予定では、ローマからフィレンツェに行き、そこから一気にスペインのマドリードまで飛ぶ予定でしたが、そうすると、今回のヨーロッパ旅行は、最初から最後まで一度も海を見ないで終わってしまう。せっかく目と鼻の先に地中海があるのに、それを見ないで帰るわけにはいかない・・・そこで、急遽予定を変更して、海を目指すことにしました。

どうせなら、南の海がいい・・・とはいえ、イタリア最南端のシチリア島まで行くのは大変です。もっと手近なところで探してみたら、ありました。ローマから南へ200km余り、イタリア南部の大都市・ナポリ(Napoli)と、そこから西へ細長く突き出た半島の先端近くにある、風光明媚な観光地・ソレント(Sorrento)です。

地図を広げてナポリ周辺を細かく見てみたら、なかなか面白そうです。まず半島の付け根の部分には、今から1900年前、ベスビオ火山の噴火によって一瞬にして廃墟と化した幻の都市・ポンペイがあります。そこから半島の先端に向かっていくと、北岸にソレントがあり、南岸にはアマルフィ海岸という、世界中の大金持ちや有名人が別荘を構える、風光絶佳な海岸線があります。さらに海を越えて南へ行くと、カプリ島という有名なリゾート地があります。でも、それら全部回る時間がありませんので、ナポリとソレントの二つの場所に絞り、電車とフェリーを使ってローマから一泊二日の旅を計画しました。

ナポリとソレント・・・地名を聞いただけで、輝く海、明るい陽光、オレンジやオリーブの果樹園といった、南国的な情景が浮かんできます。この地域は、「帰れソレントへ」や「サンタルチア(注1)」のような、カンツォーネと呼ばれるイタリア歌曲の舞台として、古くから親しまれてきたところです。読者の皆様も、これらの曲を中学か高校の音楽の授業で聴いた記憶があるかと思いますが、どちらもテノール(男声高音)の歌手が張りのある声で力いっぱい歌いあげるもので、微塵の暗さも屈託もない、明るく情熱的な土地柄が伝わってきます。あと、「赤い火を噴くあの山へ 登ろう登ろう」という歌詞でおなじみの「フニクリ・フニクラ」も、ナポリのすぐ東にあるベスビオ火山の登山電車ができた時のコマーシャルソングですから、これも「ご当地ソング」といって差し支えないでしょう。

(注1)サンタルチアは、ナポリ市内にある海港の名前です

ローマからナポリへの移動はもちろん鉄道。イタリアは日本に匹敵するほど鉄道が四通八達していて、しかも北のミラノから南のナポリまでは大幹線で超特急から鈍行まで頻繁に走っており便利です。我々の予約したローマ~ナポリ間の都市間超特急(ICE)は214kmを1時間45分で駆け抜けますから、新幹線とまではいかなくても常磐線特急スーパーひたちクラスのスピードを誇り、しかも電車賃は片道22.1ユーロ(2550円)と良心的。一ランク下げて通常特急にすると、所要時間は2時間を少し超えますがその分値段は片道19.5ユーロ(2250円)とさらに安く、日本で同距離を特急で移動するのと比べてほぼ半額で済んでしまいます。ヨーロッパの旅は鉄道がいいです。

4月19日(金)の朝、我々はナポリへ向かうべく、ローマ最大の鉄道駅、テルミニに向かいました。宿から駅まで徒歩で15分余り。重いスーツケースを引きずり、デコボコした狭い歩道に点在する犬のフンをよけながら、えっちらおっちら歩いていきました。なかなかの重労働です。交差点を一つ、二つと越え、ようやくテルミニ駅前の大きな広場に着きました。駅はすぐ目の前。早く荷物運びから解放されたい一心で、思わず先を急いでしまいます。が、そのとき、後方から妻の叫び声が・・・

 

カメラ盗難未遂事件

「カメラを返しなさい!」・・・とっさに後ろを振り返ると、信じ難い光景が。なんと、8歳くらいの少年がいて、妻のカメラを手に持っていたのです。その数秒後、少年はカメラを妻に返し、もう少し背の高い少女(姉か?)と共に雑踏に消えていきました。よく見ると、妻のウエストポーチのチャックが開けられていました。妻の話によると、その少年は横から歩み寄ってきて妻の前を横切ると同時に、ウェストポーチを開けてカメラをひったくったそうです。とにかく信じられない程の早業で、そのうえチャックを開けられてカメラが抜き取られたことさえ全く感じない程、鮮やかな手業だったそうです。幸い、気がついたから良かったけど、もう少し油断して歩いていたら気づかないうちに完全に盗られていただろうと妻は言います。

ここヨーロッパではアジア系の顔はただでさえ目立つ上に、デパック、スーツケースという出で立ちで歩いているから、一見して旅行者と分かってしまいドロボウのターゲットになりやすいのは重々承知なんですが、それにしてもあまりに幼くあどけない少年が、あまりに物凄い超絶テクニックで盗みを働いた・・・という事実をつきつけられて、妻はショックのあまり少しふさぎこんでしまいました。

 

トイレ缶詰め事件

「あんまり落ち込むなよ。ヨーロッパでドロボウが多いのはもともと覚悟の上じゃないか」と、私が慰めましたが妻の気分はなかなか盛り上がりません。でも、そのすぐ後、彼女の沈みきった心を一気に和ませる事件(?)が起こりました。

テルミニ駅に着くと、私は突然便意を催しました。荷物をたくさん持っていたので、それらをすべて妻に預け、私一人でトイレに駆け込みました・・・結論から言うと、私がトイレから出てきたのは10分か15分経った後のことです・・・妻はきっと、「長いクソだな~」と思ったことでしょう。でも実は、用の方は早々と足していたのです。その後私は、トイレからどうやって出ていいか全く分からず、四苦八苦していたのです。

ドアノブを左右どちらへ回しても駄目、押しても引いても駄目。しばらく、あーでもないこーでもないと試行錯誤しましたが、どうやっても出られない。こりゃやばい!第一カッコ悪いし、隣りのおっさんの用を足す音が聞こえて気持ち悪いし、電車の発車時刻は刻々と迫ってくる。焦りの余り、全身から汗が滲み出てきました。そこで、私は最後の強硬手段に出ることにしました。ノブに足をかけ、トイレの壁のてっぺんまで這い登り、そこから飛び降りるという、スパイダーマン戦術に切り替えたのです。その試みは見事成功。かくして、私はようやくトイレから出ることができました。妻はすでにトイレの前でしびれを切らして待っておりましたが、それまでのストーリーを正直に話したところ、妻は大爆笑。ドロボウ未遂事件で沈んだ心など一種に吹っ飛んでしまいました。ケガの巧妙とはまさにこういうことを言うのでしょう。

 

ナポリへ

トイレで思わぬ時間を食ってしまった後、我々は予約していたナポリ行き特急に飛び乗りました。内装の感じはほぼ新幹線と同じ、2人ずつ向かい合って4人一組、という形式の座席がほとんどでした。乗客はさすがに背広姿のビジネスマンが多く、日本人よりは多少口数多いけど、ヨーロッパでとびきり騒々しいイタリア人の中にあってはあまりに物静か。「やっぱりビジネスマンは庶民と一味違って、静かなんだなあ」と思いました。我々を乗せた特急列車は予定より10分遅れてローマ・テルミニ駅をすべるように出発し、ナポリ・チェントラーレ駅には予定より30分遅れで着きました。ここはイタリア。ま、こんなもんでしょう。

最新鋭設備や世界のブランドショップの揃うローマ・テルミニ駅と比べ、ナポリの駅は薄暗く、やや貧相で閑散としていました。観光客に交じってちょっと怪しい風体の挙動不審の男たちがウロウロ歩いている。この駅は治安要注意スポットなんだそうです。駅構内の公衆電話はほとんど全部ぶっ壊れていました。それでもさすがに観光地らしく、観光案内所はちゃんと稼動しており、イタリア人らしいホスピタリティあふれる態度で応対してくれました。

私たち、特に妻がナポリに期待すること、それはもちろん食べることです。イタリアは北の端から南の端まで、旨いものが溢れかえっている超一流グルメ国だそうですが、温暖なナポリ周辺の山海の幸をふんだんに使ったグルメは、食い意地の張った我々にとっては特に魅力的でした。例えば、ナポリ名物のポモドーロ・ピザは、具といえばトマトくらいしかないシンプルなものですが、トマトの鮮度と味だけで勝負するという、素材を活かすイタリア料理の原点ともいえる料理です。あと、モッツァレラ・チーズもナポリの名産で、水牛の乳しか使わない、搾乳後3日以上経ったものは使わない、という徹底した鮮度へのこだわりがある絶品だそうです。あと、ナポリ近辺にはシーフードがふんだんにあって何食べても美味、という話も聞いてました。ちなみにこれらの情報は、すべて日本の旅行番組や雑誌から仕入れてきました。

旅行案内所では、妻が日本の旅行雑誌を見せて、「これが食べられるところを教えてくれ」なんてやりとりをしています。彼女は中国人らしく、食べることに並々ならぬ情熱を燃やしており、どこで何が食えるか、という類の情報はすべて頭にインプットされていたようです。問答の末、駅のすぐ近く、ガリバルディ大通りの西方にある市場(メルカート)で食べられる、ということが判明し、我々は早速、現場に直行したのは言うまでもありません。

市場についてみると、唖然・・・・想像をはるかに上回るディープさ、すさまじい活気、東南アジアの市場を思わせるような人いきれと喧騒、とんでもないガラクタ品を言葉巧みに売る啖呵オヤジのたくましさ・・・ここには、上品にすましたヨーロッパのイメージなど微塵もありません。ただただ、人間くさい人間がモノを売り、買い、出会う場、まさに「市場の原型」を見たような気がしました。そして何より食べ物が素晴らしい。溢れかえる魚と肉、野菜、チーズ、フルーツ。その色鮮やかさ、美しさといったら・・・ここには、「豊穣なイタリア」が溢れていました。

市場に歩み入ると、まず目に入ったのがピザ。クレープみたいに、露店のホットプレートでそのまま焼いて出すからホカホカしていて美味そう。値段を聞くと(ここは英語が全然通じないのでイタリア語)、1枚1ユーロ(115円)とのこと。安い!ということで買って食べました。この種のピザはファストフードですので、むちゃ感動とまではいきませんでしたが、十分満足できる味でした。さすがイタリア、おぬしやるのう、と思ってモグモグやっていると、奥さんから「最初からこんなもの食べてるとすぐ腹にたまっちゃうじゃないの。さ、早く捨てて。次行くよ」と、叱られてしまいました。

その後、我々二人は溢れかえるフルーツ、シーフード、野菜の海をかきわけ、古くて小便くさいアパートの壁が両側に迫る狭い路地を、奥へ奥へと入っていきました。売られている食材はどれも美味そうなものばかり。でも調理しないと食べられないものなので、「この町でアパート借りて、毎日市場で買って自炊したいなあ」と思いました。イタリアに来て、食い意地爆発しまくりです。さらに進んでいくと、10分くらい歩いたでしょうか、道の右側に、なんとなく気になる「店」を発見しました。

なんとも不思議な「店」でした。入り口にはちょっとした生簀があって、アサリみたいな貝が売られているし、店内には3つほど小さいテーブルも椅子もあるので、「こりゃ食堂だろう」と思いました。ところが、店内を見渡しても誰もおらず、奥の方からおばさん、おじさんの声が聞こえてくるばかり、メニューもない・・・なんだこりゃ?と思いましたが、とりあえずものは試しと思って、店内に入ってみると、案の定、貫禄のあるおばさんが出てきて、案の定、早口のイタリア語でまくしたててきました。どうやら、英語は全く通じなさそうです。そしたらおばさん、スプーンで食べる真似をして、「マンジャーレ?」と聞いてきました。マンジャーレは「食べる」の意味です。そこで我々も食べる真似をして「マンジャーレ」と答えると、「さ、そこに座って」と言われて、席とテーブルを与えられました。腰を下ろすと、「やっぱりここは食堂なんだ」ということが実感できました。

その後、ちょっと頭の薄くなったおじさんが出てきて、我々に話しかけてきました。このおじさんもイタリア語一点張り、何言ってるのか分かりませんが、とりあえず、「パスタ、パスタ」と言ってることだけは分かりました。そこで私は、「シー、パスタ、パスタ」(シーはYesの意味)と答えると、おじさんは店の奥から袋入りのマカロニパスタを持ってきて、年季の入ったアルミ鍋でおもむろに茹ではじめました。どうやら、意思疎通はできてるようです。

湯だった鍋にパスタを入れると、おじさんは再び私たちの方を向き、「ヴィーノ?ビアンコ?ロッソ?」と聞いてきました。何となく、「ワインも要るか?白と赤がどちらがいい?」と聞いてるようだったので、私は「シー、ビアンコ、ペルファボーレ」と答えました(ペルファボーレはPleaseの意味)。そしたらそのおじさん、おもむろに店を出ていきました。怪訝に思っていたら、2分後、小さい瓶入りの白ワインを持って現れてきました。どうやら、隣りの店まで買出しに行ってたようなのです。あまりの微笑ましさに、思わず吹き出してしまいました。

その後も、「アサリはいるか?」「トマトのサラダはいるか?」みたいな問答を続け、出された食事を食べているうちに二人とも腹一杯になってきました。もちろん、値段の確認は一切なし。「お勘定、いくらするんだろ?」と不安になっていると、おじさんが出てきて、「15ユーロ」と宣言しました。安い!2人で腹いっぱい食べて、ワインも飲んで約1700円とは、イタリアの物価を考えると十分安いと思いました。ま、ナポリの庶民もたぶんこのくらいの値段で食事してるんでしょうね。

それにしても、英語など一切通じない、ディープな世界に感動してしまいました。世界中から観光客が集まるヨーロッパでは、主要観光地はどこへ行っても英語が通じます。ここナポリも、南イタリアでは屈指の観光地です。ところが、観光客の多くは王宮美術館やサンタルチアの港の方に流れていってしまうらしく、観光スポットから外れたこの市場は100%ナポリ庶民の世界そのもの。気取らない、よそ行きでない、地元の人々の暮らしを垣間見ることができて、すごく得した気分になりました。

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ソレントへ

腹を満たしていい気分になった私たちは次の目的地・ソレントを目指しました。ナポリからソレントまではベスビオ周遊鉄道(CircumTransvesuviana)に乗って1時間余りの行程。この鉄道、名前こそ観光チックですが、実際は地元のおばちゃんと高校生で埋め尽くされる生活鉄道です。私たちが乗った午後2時過ぎの電車も地元客が溢れて満員状態、中間地点のポンペイまで、ずっと立ち席でした。それにしても、この電車の騒々しいことといったら・・・どいつもこいつも、しゃべるしゃべる。そのうえ誰もが声帯に拡声器つけてるんじゃないかと思うほど声がデカい。私がすぐ隣りにいる奥さんに話しかけようとしても、周りの騒音にかき消されてしまう・・・重ねがさね、これがイタリア人なんだなと実感した次第です。

ポンペイを過ぎると、ようやく客の数が減ってきましたが、途中の小さい駅で乗ってくる不良(?)高校生が騒いで、相変わらずの騒々しさ。でも、風景の方はだんだんリゾート地っぽくなってきました。山の斜面に植えられたオレンジの樹、前方に広がるライトブルーの地中海、時折姿をあらわす白亜の高級邸宅街・・・私たちはいよいよ、南イタリア屈指のリゾートタウン、ソレントに近づいている、という気分が次第に盛り上がってきました。

生まれて初めて見る地中海。確かに美しい、絵画的な風景・・・でも、私の住むオーストラリアの海にはかないません。だいいち、ここは海の周りに人がたくさん住みすぎていて、まるで日本のような人口密集度なんですから、水質だってオーストラリアの海の方がずっときれいでしょう。そのうえ、ビーチにもあまり恵まれていません(岩場が多い)。でも、この地に連綿と築かれてきた歴史のなせる業でしょうか、オーストラリアと違って、詩的情緒にあふれています。この一帯は古くローマの時代から開かれ、中世には地中海をまたにかけて活躍した海洋王国の舞台でもありました。そういう経緯からでしょうか、この地に生える一木一草さえも、数千年にわたる人間の営みを見守ってきたような、酸いも甘いもかみわけた意味ありげな存在に見えてくるから不思議です。

列車は、いよいよ終点・ソレントに着きました。ソレントの駅は町の中心から少し離れていますが、木陰から海の垣間見える楽しい散歩道が続いています。この町は小さいですから、ローマやナポリみたいにクルマの騒音や排気ガス、乱暴極まりない運転に悩まされることがありません。このイタリアの国で、安心して道を歩けること自体、極上の幸せに思えてきます。

観光案内所で宿を予約し、チェックインして荷物を下ろした私たちは、折角だから地中海を堪能しようと、歩いて海辺まで降りていきました。ソレントの町は高台にあって、そこから海へは急な下り坂が続いています。狭い車道は観光バスの往来が激しいのですが、有難いことにそのすぐそばに歩道(階段)が設けられてあって、観光客はクルマを気にせず歩けます。その歩道わきにはおしゃれなレストランや5つ星ホテルがいくつもあって、さすがは観光地だと納得しました。

海岸に下りると、そこは船着場になっていました。船(水中翼船)の行き先はナポリとカプリ島。ソレントの沖に浮かぶカプリ島は、古代ローマ皇帝も愛したという、歴史あるリゾート地。景勝地・青の洞窟などもあってぜひ訪れたかったのですが、そこまでの時間がなく、涙を飲んで(?)、ナポリに帰る明日の船を予約しました。船着場の周辺は岩場になっていて、その近くに猫の額ほどのビーチがあり、その辺の景色が日本の海みたいでした。

その後は、高台の町に戻って一通り散策した後、近くのレストランで夕食。時間はまだ7時、宵っ張りの多いイタリア人はまだ誰も来ておらず、広い店内に私たち二人がポツンと座るかたちになりました。ちょっと寂しいシチュエーション・・・でも、味は感動的でした。特にこの店で食べたイカ墨パスタは、今回のヨーロッパ旅行で最高の美味でした。あの身震いするような美味さ、いったいどう表現したらいいの???もうそれだけで、「ヨーロッパに来て良かった」と思いました。その他、パルマハム、ラビオリの辛味ソース煮込み、ムール貝のオリーブ油漬け・・・何食べても、文句のつけようのない完成された味に、心から満足してホテルに戻りました。

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その次の朝はゆっくり起きて、この風光明媚な町でボーッと何もせず、ちょっと老人みたいですが心豊かな時間を過ごしました。この一生で二度と見られないかもしれない。南欧の風景をしっかり目に焼き付けたあと、午前11時半、ナポリへ向かう船の人となったのです。

多くの人にとって、イタリアの旅の最大の楽しみといえば、もちろんグルメ。イタリアを訪れた人で、食べ物の面で期待が裏切られた、という人はほとんどいないはず。この国の豊穣な大地と、輝く太陽と海にはぐくまれた豊富な食材と、2000年以上の歴史を経て完成された億万のレシピは、世界中の人々の貪欲な胃袋とわがままな舌を満たして余りあるはずです。私たち夫婦もそれなりに世界中を旅してきましたが、イタリアのメシのうまさは世界最高級、と太鼓判を押しています。

イタリアの前に訪れた国、チェコの食事も確かに美味しかったです。但し、チェコの場合は最初からメシが美味いという期待はしていなかったのに、食べてみたら実はうまかった、という類の感動でした。たとえていえば、世間に知られていない巨人軍の二軍選手を発掘したみたいな感動です。ところがイタリアについては、訪れる前からメシが絶対にうまいはずだと、大きな期待を抱いていました。そして、いざ食べてみると、期待をはるかに上回るパフォーマンスを示してくれました。とにかく、何食べても想像以上にうまい!というか、私がこれまで体験したことのない美味が、これまで未開拓だった味覚をどんどん刺激してしまうのです。私の人生に新たな地平を開いてしまったイタリア料理、恐るべしです。

さらにイタリア料理は、美味いだけでなくヘルシーです。この国の料理は、アルプスの北側と比べると圧倒的に野菜と果物が豊富ですし、シーフード類も充実しています。どのレストランで食べても、肉、魚、チーズ、穀物、野菜、果物のバランスが取りやすく、食べた後、一層元気になったような、全身に活力がみなぎってくるような感じがします。また、麺類、ご飯類も多いから、アジア式の食事で育った私たちでも胃にもたれることがありません。イタリア料理は基本的に、医食同源だと思いました。

それほど素晴らしいイタリア料理、本当に何食べても美味しくて感動ものでしたが、あえてベスト5を選ぶと次のようになります。

イカ墨スパゲッティ(ソレント)
リゾット(ローマ)
モツァレラチーズとトマトのサラダ(ナポリ)
ニョッキ(ローマ)
ムール貝のオリーブ油漬け(ソレント)

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でも、今回の旅行でこれほど美味いものを食べてしまったことが、私たちにとって幸せなのかどうかはよく分かりません。ここまで美味いイタリア料理をリーズナブルな値段で食べるなんて、たぶんイタリアに行かない限り不可能だと思うからです。でも、シドニーに住んでる以上、シドニーにあるもので我慢(?)しなくちゃなりませんから、この街で美味しいイタリア料理店を発掘したり、自分でもいろいろつくったりして、いま試行錯誤しているところです。イタリアで食べたものと少しでも近い味を再現するために・・・

 

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