クレジットカード地獄

こんにちは、Manachanです。いま、東京から福岡に向かうJAL機内でブログ書いています(最近忙しくて、ブログ書けるのは移動中くらいですね)。

先週土曜日、「いばら喜大家の会」のイベントで、「スッチー大家」こと上原ちづるさんのコインパーキング投資セミナーがあったので、聴講してきました。彼女のご高名はかねがね伺っておりましたし、以前からのFB友でもありますが、お会いするのは今回初めてでした(遅ればせながら、著書も読みましたよー)。

 

セミナー面白かったです。まず、当たり前の話ですが、

「自分のスキルを上手に使ってる人が、良い結果を出してるんだなあ…」

 

スッチー大家さんの場合、航空機の客室常務で培った「会話コミュニケーションスキル」を、不動産投資・賃貸経営で上手く使ってきたことが、よく分かりました。特に、

・相手を頑張らせる、ものの言い方
・相手を良い気持ちにさせる会話術

は、私も仕事で使ってみようと思いました。

 

もっとも私の場合、会話コミュニケーションが苦手でして(はたからは苦手に見えないかもしれないけど、本心では会話をあまり楽しんでいない…)、スッチー大家さんのまるっきり真似はできないと思いますが、

その代わり、会話以外の得意分野がいくつかあるので(文章の執筆スキルとか、外国語スキルとか、情報収集・分析スキルとか…)、それらを発揮して、お金やビジネスにしていくことの大事さを、再認識しました。それに、もう40歳過ぎたわけだし、似合わぬことで無理したくないしね。

 

あと、スッチー大家さんのお話を聞いてて、私と意外な共通点が、二つありました。

 

1)私の奥さんも、「もとスッチー」

妻は、シドニーをベースに、カンタス航空のFA(フライトアテンダント)を、8年ほどやっていました。だから、いわゆる「スッチー」の仕事がどんなものか、私もよく知ってます。立ちっぱなしの肉体労働(接客スマイルつき)で、見た目の華やかさとは裏腹になかなかハードな仕事ですね。特に妻は、オーストラリア~アメリカ便とか、南アフリカ便とか、時差のきつい遠方へもよく行きました。「到着地ではほとんど寝る。オーストラリアの生活時間に合わせて、現地時刻が昼でも寝る」と言ってましたね。

あと、どこの国でも、暴言を吐いたり、セクハラ・パワハラに走る「困った客」は存在します。妻も当然、「客が何をしたら、どう対応する」みたいな研修を受けていたようです。こういう仕事していると、確かに、不特定多数との会話コミュニケーションスキルは向上しますね。

 

2)「クレジットカード作れない地獄」を経験したこと

スッチー大家さんが結婚して、寿退社された後、ご主人がサラリーマンをやめて、自営業になった時期があったそうです。日本の社会では、自営業の信用度は低い。特に会社立ち上げたばかりの頃は、「お金借りられない」、「クレジットカードつくれない」苦しい時期を誰もが経験します。スッチー大家一家も、子供が生まれて何かと物入りの時期に、クレジットカードが一つもつくれず、大変不便な「日々、現金払い」の生活を送ったようです。

私は意外にも、サラリーマン時代に「クレジットカードつくれない地獄」を体験しました。2005年の春、中国・大連のIBMに就職し、その1年半後の2006年8月、会社の業務命令で日本へ長期出張に来た時の話です。私は日本人なのに、「中国のサラリーマンとして来日する」という、国際Uターンみたいな不思議な身分でした。

来日当初は、一人暮らしだったので、東京中央区八丁堀のワンルームマンションに滞在。翌月、家族(妻と1歳の娘)が来日すると、江東区木場にある、もう少し広いマンスリーマンションに移りました。

日本で暮らすと、当然、日本円を使わなければなりません。が、私のお給料や出張手当は、中国の銀行に、人民元で払いこまれます。そのお金を日本で引き出すことは、当時はできませんでした(中国の「銀聯カード」で、日本の三井住友銀行でキャッシングできるようになったのは、翌2007年のことです)。

当時の私は、日本でかかる生活費のほか、月30万円くらいするマンスリーマンション代も、「自分で立て替え払いして、後日、会社に請求する。その分は中国の口座に人民元で振り込まれる」という生活を送っていました。つまり、「日本円は出ていく一方で、中国に人民元ばかりが溜まる」生活だったのです。

当時の私、日本円の貯金は100数十万円しか残していなかったので、わずか3か月くらいで底をつきそうになりました。「こりゃやばい」と思った私は、「日本の銀行口座とリンクするクレジットカードをつくろう」と思い立ち、近所のショッピングセンターや銀行を回り、クレジットカード加入を、片っ端から申し込みました。ところが結果は、

「ことごとく、審査が通らず、クレジットカードつくれない!」

たとえ日本で働く日本人でも、私の勤務地は中国で給料も人民元だから、日本のシステムでは与信ゼロとみなされるのですね。

 

「これじゃ生活できない!」。困った私は、同時期に来日した中国人の上司や同僚に相談しました。当時、彼らが何してたかというと、「約2か月ごとに中国に里帰り帰国して、そのタイミングで中国から日本に生活費を送金」していたのです。「鈴木さんも中国に帰って送金すりゃいいじゃないですか?」と言われるばかり…

でも私は、日本人だから中国に里帰りする理由がありません。東京で働いて、実家が柏にあって、電車賃500円で里帰りできる人間が、なぜ送金のため中国くんだりまで行かなきゃならないのか?当時すでに、大連の住まいは引き払っていたので、ホテル住まいになるし、それに中国の給料もらってる人間が海外送金するには、在職証明や収入証明など、人事部から4種類くらいの書類をもらって送金申請しなくちゃならないので、きわめて面倒臭い。当時、子供がまだ1歳だから中国に連れていくのは大変な作業だし、奥さん一人を日本に置いていくのも大変。

でも、背に腹は換えられず・・・結局私は、中国に渡航して送金しなければなりませんでした。来日時期があと一年遅かったら、キャッシングできてたから、そんなことしなくてもよかったのにね。

 

後日談になりますが、翌2007年に、私は中国IBMを退社、日本のサラリーマンになりました。在職中に、私が日本で立て替え続けたお金と、中国政府に納めた源泉税の還付金が、中国に残した口座に入金されました。その額、日本円にして300万円を超えていました。それをそっくり日本に送金して、「福岡市でのワンルームマンション購入」の代金に充てました。後から考えると、クレジットカードつくれず、お金で苦労した経験が、「収益物件」というかたちに変わったので、それはそれで、良かったのかもしれない。

 

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