マスコミの惰性と地域イメージの関係

おはようございます。Manachanです。今回は久々の「マスコミ」ねたで…

人間にとって、世の中の事象は、「少数の関心事」と「多数のどーでもいい事」から成り立っています。たとえばの話、約30ページの新聞朝刊誌面に載っているテーマは少なくとも数百あるはずですが、そのなかで、自分の関心あるテーマはどれだけあるでしょう?関心分野が半分を超える人は、たぶん稀だと思います。

特に私は、興味分野が偏っているので、大部分のテーマに、全く関心ありません。新聞、雑誌とも、興味ある分野だけ選んで、つまみ食い的に読んでます。じっくり読む時間もないしね。

 

新聞記者や編集スタッフになると、少なくとも私よりは幅広い関心分野を持っていると思いますが、それでも、関心の濃淡、得意・不得意はあるはずで、個人的・組織的に関心が薄い分野とか、取材体制が不十分な分野になると、記事に「どーでもいい」オーラが漂ってきます。

先日、福岡でのセミナー後の懇親会で、こんな話題になりました。フィリピンで事業をしておられる方との話、

 

「フィリピンは、ここ数年でものすごい勢いで経済発展して、都市の環境も整ってきたのに、日本のマスコミは、そういう面を全然報道しない。十年一日のごとく、スラムや貧困、犯罪の記事ばっかりだ」

「経済紙になると、さすがにちゃんと取材するけど、一般紙の方は相変わらずひどいね」

「新聞記者は、10年、20年前の、貧しかったフィリピンのイメージを未だに持ってて、惰性で記事書いてるんじゃないか?あるいは、現場の記者がまともな記事書いても、デスクが先入観だけで却下してるんじゃなかろうか?」

 

それを聞いて、私も思い当たることがありました。ちょうど数日前、東京で会議していた時、香港人の日本不動産買いの話題になった時に、司法書士の先生が言ったこと、

 

「香港人に関しては、日本の不動産を投資目的で買うことはあっても、日本のビザとって移住するニーズはないよ。だって放射能の問題があるもん。」

「香港のマスコミって、日本の放射能に関する報道はえげつないから、未だに震災当初のパニックなイメージをひきずっている人も多いんだ・・・」

「今でも、東京や横浜の物件は避けて、大阪や福岡の物件をリクエストする香港人も少なからずいるんだ」

 

私、香港にはほぼ毎年行ってるし、現地で「蕷果日報」みたいな大衆日刊紙をそのまま読むので、「報道のえげつなさ」についてはイメージできます。香港で高層マンションのベランダから子供が落ちて亡くなった、中国本土で連続殺人事件が起こった等々、事故記事の書き方すごいもん。使われてる写真も、「兇」とか「悪鬼」みたいなオール漢字のタイトルも…あのノリで、日本の原発事故も、極度に誇張して書くんでしょうね。

香港は2011年震災当時、「末日災禍」、「50死士」(『星島日報』)、「全日本核汚染」(『東方日報』)みたいな、扇情的な見出しが躍った場所。日本の「いま」をよく知らない、あるいは「そんなんどーでもいい」と考えている記者やデスクが、2015年になっても当時のパニックなイメージを引きずったまま、惰性で記事を出し続けている可能性は大いにあうるでしょう。もしそうなら、日本のマスコミのフィリピンに関する報道と同じ構図ですね。

私は震災後もずっと東京に住んでて、小さい子供も育ててるし、毎日、関東や東北の野菜を食べてるし、仕事や遊びで福島県にもよく行くし…そういう暮らしをしているので、現地の事情をよく知らない外国人がイメージだけで東京の物件を忌避する気持ちは分かるにせよ、特に本人が住むわけじゃなくて投資物件として保有するだけなのに忌避するのは、正直理解に苦しむのですが、

でも、世の中のほとんどの物事は、「どーでもいい」ことから成り立っているのかもしれません。信頼できる筋からデータを得て、ちゃんと分析して合理的に判断する…みたいなことを、誰もができるわけじゃない。逆に「なんとなく、危なそうだから・・・避けよう」みたいな、非合理的な感情やイメージの占める割合は大きい。

 

私、長年ブロガーやってて、無力感を感じるのも、ここなんです。日々、一生懸命、皆様に有益だと信じる情報を発信し続けていても、読んでくれるのは興味ある方だけ。世の中の大多数の人は、ブログManachans Worldよりも、マスコミの出す「どーでも良い、惰性な記事・報道」をはるかに多く目にしているのです。

もちろん、マスコミの世界でも有能で志ある方は多いし、良質な記事・報道も世の中にたくさんあります。ただ、そうでないものも多い。どの業界もそうですが、国を問わず、マスコミも、玉石混交。私の嫌いな下品で怠惰で扇動的な記事も多いし、なくならない。

どのマスコミも、想定する読者層のレベルやニーズに合わせて記事を出す。読者も人間であり、「興味のない分野、つまり世の中の大部分のことはどーでもいい」と考えているので、その「どーでもいい」部分に訴求する記事や、惰性で書く記事は、人間の世が続く限り、なくならないでしょう。

 

フィリピンの話に戻ると、日本人の大多数がフィリピンに対する貧困・危険イメージを変えるには、あと5~10年くらい、同国の経済成長が続いて、英語流暢なフィリピン人のエリートが、東京のビジネス街を颯爽と闊歩して、日本人の一般ピープルが、「フィリピンは経済成長すごいらしいよ」、「スラムだの犯罪だの、〇〇新聞は未だにこんな記事書いて、こいつらバッカじゃねえの!」と思うようになったら、変わるのでしょう。

ま、シンガポールやマレーシアについて、今どきそんな記事書くマスコミはほぼありませんから、フィリピンも、徐々に見直されていくのでしょう。惰性な記事書くマスコミ人が、一番遅れてるかもしれませんね。

ま、それもヨカヨカ。人間社会なんて、所詮そんなもん。私は商売人だから、「マスコミや一般人の認識」と「現実」とのギャップに注目して、それをおカネにしていけば良いんだから・・・

 

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