衰退する母国と私

おはようございます。Manachanです。

私が社会人になったのは、1994年(平成6年)のことです。それから、21年が経ちましたが、この期間中、日本が景気良かった時代はほぼ皆無でした。実感の上でも、また数字の上でも。

私と同世代か、ちょっと下の世代の日本人の大多数は、「好景気を知らない」、「経済成長の実感のない」世代と言って良いでしょう。自分の生まれ育った国・日本が、経済停滞し、所得水準と国際的な地位をずるずる落としていく…不本意な時代しか経験していません。

 

私は、いろいろな奇遇があり、31歳から38歳までの7年間を、海外で過ごしました。うち5年間住んだオーストラリアは、「経済黄金時代」と呼ばれ、2年間住んだ中国は、驚くべき高度成長の真っ只中。私は海外に出て働いたからこそ、「経済が成長する状態」を、勤労者の視点から体感することができましたが、もし日本国内でずっと働いていたら、そんな体験もできなかったことでしょう。

2007年、38歳で日本に帰国した後、しばらくは、ITエンジニアとしてインド企業に勤めていました。間もなくリーマンショックが起こり、勤め先CEOの粉飾決算スキャンダルもあって職が危うくなり、「クビになる前に、転職しちゃえ」と思い立ち、縁あってドイツ企業のIT部長の座に収まりました。

その会社での体験ほど、「日本の衰退」を実感したことは他にないですね。

 

勤め先はドイツ本社の下で、世界60か国以上に事業所を展開する多国籍企業。私は日本と台湾のIT部の部門長を任され、シンガポールにある、アジア・パシフィックのITディレクターにレポートする立場でした。

私の着任当時、日本事業所の社員数は400名余り。アジア・パシフィックでは中国の500名余に次ぐ第二位の規模でした。もっとも、その4~5年前は日本が600名以上で最大規模、中国は300名位しかいない状態でした。その後、急成長する中国にわずか数年で抜かれていたのです。

私の入社後も、中国の事業所は大いに業績を伸ばし、欧州、北米、日本が軒並み頭打ちななか、「成長の機関車」と呼ばれていました。内陸部の地方都市にどんどんオフィスを開設、ITプロジェクトにも事欠かず、部員も増え、常に忙しくしていました。

それを横目に、日本事業所は、高松や札幌の拠点を閉鎖、人員は削減につぐ削減。IT部のプロジェクトは全て凍結、爪に火を灯すようなコスト削減だけが求められました。私のいた3年間で、400名余りの社員数が、280名ほどに減ったのです。早期退職の仕事で人事部は大忙し、我々IT部はリストラされた社員からPCやスマホを回収して、リース会社に返したり、リサイクルする仕事だけが増える・・・

「日本の仕事だけやってても、先細りの将来しかない…」

 

私は海外で長年働いたグローバルプレイヤー。日本に居ながら、海外の仕事も取っていこう、アジアパシフィック全体の仕事に関与していこう、自分の生存領域を広げようと、私なりに努力しました。日本の数少ないITプロジェクトに台湾から部員を呼んで国際プロジェクトにしたり、中国のプロジェクトに日本から参画しようとしたり…

ただ、それはマネジメントの望むところではありませんでした。いくら技術力と経験があっても、「コストの高い日本人をなぜ中国に行かせる?中国で安い人を使ってやれ!」と言われるのが関の山。それでも、コストとベネフィットに基づいた議論ができれば良いのですが、そのうち、マネジメントは自社IT部そのものを廃止し、他社へのアウトソースを検討していることが判明。「お前ら、何もやらなくていいよ。余分な金かけなければそれでいい」と言われてるような気がして、だんだん、やる気を失っていきました。

イケてない職場人生のなかで、一番、ショッキングだったのが、2011年3月の東日本大震災の時…東京の臨海部にあるオフィスは、もちろん大きく揺れました。書棚は倒れる、天井は外れる…そんななかで、IT部の管理するサーバールームは無傷でした。その前年に、耐震補強工事をやっていたおかげです。アジアパシフィック全体が使うサーバーもいくつか、東京にありましたので、結果的に、海外オフィスの社員に大きな迷惑をかけずに済みました。

あの後、首都圏では交通機関は止まるし、輪番停電はあるし、信号は点灯しないし、ミネラルウォーターやトイレットペーパーは品薄になるし、新浦安で被災した韓国人社員を我が家に泊めてあげたりと、暮らしはいろいろ大変でしたが、頑張って毎日出社していました。その数日後です。海の向こうから、

「地震リスクのある日本に、アジアパシフィック全体のサーバーを置いておけない。シンガポールに移す!」

というお達しが・・・

 

「俺たちは、震災でいろんなものを奪われて、そこから懸命に立ち上がろうとしてるのに、お前らさらに奪おうとするのかよ?」

私は抵抗しました。結果からいうと、日本からシンガポールに移すプロジェクトも予算不足で中止になりましたが、

とはいえ、会社の限られたリソースを、成長期待の大きい中国、インドに集中させる方針は変わりません。縮小していくマーケット、日本に投資することを、ドイツのマネジメントが承認する雰囲気でもなく…結局私は、その1年半後、会社を去ることになりました。

多国籍企業のなかで、「日本の衰退」をさんざん痛感させられ、悔しいけれど何もできない非力さを感じた3年間でした。「結局、サラリーマンではどうしようもない、自分でビジネスを興すしかない」と決心するきっかけの一つにはなりましたね。

「お前ら、いつか見てろよ!日本をいつまでも軽視するんじゃねえ。俺たちが、日本経済を復興させるんだからな…」

 

日本に見切りをつけて、海外にお金を出そう、移住しようと、提唱する人もいます。私も財産はかなり外出しして、海外投資で利益を上げていますし、海外で働く能力を豊かに持っています。いくらでもやれる。でも、それだけではつまらない。

自分が東京に出てきて、いくら大成功したとしても、私の地元、(千葉県)柏や松戸や我孫子が、東京や神奈川の人間に馬鹿にされたり、蔑まれるのは絶対に嫌だ。

それと同じ理屈で、日本が今後さらに衰退して、欧米や中国やシンガポールの人間に、蔑まれたり、憐みの目で見られたりしたら嬉しいですか?私たちの先輩方が、戦後、あんなに素晴らしい経済復興を成し遂げてくれたのに、それを維持できずに、ずるずる下り坂しかないなんて、超かっこ悪いぜ。

衰退する国に住んでいるからこそ、我々は、いま景気の良い国の人間以上に、頭を使わなければならない、賢く立ち回らなければならない。

shibuya

 

グローバルプレーヤーになることは必要だし、その中で日本の立ち位置を正確に認識しなければならない。いま話題の安保法案にしても、自分勝手で内向きな理屈は要らない。国際社会のなかで、日本がどういう立ち位置を目指すのか?米国や中国とどう付き合うのか?米国と組む決断をするのなら、日本が衰退する国力をどう上手に使って、具体的にどのようなメリットを米国に与えられるのか?・・・その辺を考え抜けない社会運動や政党なんて、日本に要らない。

同じく、私はビジネスをする中で、いまの日本に対する健全な危機感、冷静な自己認識と、経済復興に意欲を持つ人と一緒に仕事したいと思っています。

 

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