パオズになったおひなさま

こんばんは、Manachanです。明日から二日連続で開催するオーストラリア不動産セミナーの講演資料も無事完成し、一息ついたところでブログやります。

もうすぐ、小学校の夏休み。子供たちには宿題がどっさり出ます。なかでも「課題図書を読んで読書感想文」は定番中の定番。

うちの娘ソフィア(4年生)に課題図書読ませるのは、毎年、至難の業ですが、今年の課題図書の一つ「パオズになったおひなさま」(くもん出版)は、話舞台が中国の大連(ソフィアの生まれた街)ということで、興味を持つかもしれないと思い、早速買いました。

娘が大連生まれ、ということは当然、私や妻も住んでたわけです。2005~07年までこの街で過ごした私が、「パオズになったおひなさま」に出てくる、1940年代(日中戦争当時)の大連に関する描写を読んで、とても懐かしくなりました。

時代は違えど、大連の四季のめぐりは変わらない。「4月末、アカシヤ、リンゴ、アンズの花が一斉に咲き始める頃」、「11月、アカシヤの葉がすっかり落ちて木枯らしが吹く頃」…そうそう、そんな季節感でしたね。

でも、当時の大連が今と決定的に違うのは、「日本人の居住区」と「中国人の居住区」がはっきり分かれていたこと。おそらく、自分が日本人だということを強く意識しながら暮らす大連生活だったことでしょう(日本人街は、大連市・中山広場の近くにありました。近くにロシア人街もありました。いま、この一帯では旧い建物が壊され、高層マンションが建ち並ぶ新興住宅地になっています。)

その60年後、私が大連に移住。中山広場から10㎞近く離れた新開地「ソフトウェアパーク」(軟件園)に居を構えました。ここは少数の韓国人や日本人が暮らす他は全て中国人の世界。私も普段の生活で中国語以外を使うことはほぼなかったし、自分の国籍を意識することもありませんでした。ただ、私の中国語アクセントが大連人と明らかに違うので、地元民扱いはされず、「台湾人」か「福建省人」だと思われてました…

そんな中国どっぷり暮らしをしていた私、かつて「日本人の居住区」が大連に存在したこと自体、ピンとこないのですが…話を元に戻しましょう。

「パオズになったおひなさま」の主人公「よっちゃん」(大連生まれの日本人少女よしえちゃん)の両親は、日本人街にある食料品店「升屋」を経営していました。「升屋」は日本人街では珍しく、中国人店員を使っていました。よっちゃんの父君は大らかな性格で、「日本人と中国人が仲良くして、はじめて商売がうまくいく」という経営哲学の持ち主でした。店内では日本語と中国語が飛び交い、おかげでよっちゃん一家全員、中国語ができました。

よっちゃんの育った「升屋」

一方、よっちゃんの大親友が、同い年の中国人少女「リンちゃん」。この子は中国人居住区に住んでいました。幼い時に父を亡くし、母親が「パオズ」(包子=中国の肉まん)店を女手一つで切り盛りしていました。

リンちゃんの育った「パオズ屋」

当時、日本と中国は戦争状態でしたが大連の街は平和で、日本人街と中国人街の人々は、自由に行き来ができました。リンちゃんの母親は、日本人街の「升屋」に小麦を買いにいき、中国人街でパオズを作る毎日。子供たちも、お互いの家に遊びに行っていました。

当時の大連では日本人と中国人が同じ街に暮らし、お互いの風俗習慣を学びあっていました。西暦1月には日本の正月、2月には中国の旧正月、3月には日本のひなまつりがあります。旧正月にはよっちゃんが中国人街に出かけてお祭りを見に行き、ひなまつりにはリンちゃんが日本人街に出かける…まさに「コスモポリタン都市」でした。

はじめて雛人形をみて感激するリンちゃん

しかし、日本の敗色濃厚になった1944年頃から、状況が急変します。よっちゃんの父親は中国人と仲良くしすぎるのでスパイの容疑をかけられ、憲兵に連行されて暴行を受けます。リンちゃん一家も日本人と仲良いので周りの中国人から猜疑の目でみられます。治安も激しく悪化し、よっちゃんとリンちゃんは、これまで通り遊べなくなりました。

1944年末、もはや大連に居られなくなったよっちゃん一家は、店を畳んで日本へ帰国することに…寒風吹きすさぶ12月、帰国船に乗り込む彼らに、リンちゃんと母親が最後の別れを言いにくる。そこで、よっちゃんはとっておきの「ひな人形」をリンちゃんにプレゼント、リンちゃんは持ちきれない位の「パオズ」をよっちゃんに手渡す。

ひな人形がパオズに変わり、歳月は経つ。戦争に引き裂かれた仲良し少女二人はそれ以降、会うことはありませんでした。でも、よっちゃんは老年になっても、ひなまつりになると必ずパオズをつくり、幼き友リンちゃんを思い出すのでした…

…ストーリーはこんな感じです。小学4年生がこれを読んで、戦争や平和について考える、学校側はそれを期待しているようです。ソフィアはどんな感想文書くんだろねえ。

私が感想文書く立場だったら…テーマが重すぎてとても書けそうにありません。ただ、シンプルにこう思いました。

国籍民族、分け隔てなく接する商売人こそが、たぶん、世界平和に一番貢献するんじゃないかなあ…

そろそろ、私の会社でも留学生雇うか…

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コメント

  1. ★若さの秘訣は子どもの笑顔★子育てアドバイザー@なゆたん より:

    1. おじゃまします
    manachanさんのブログは読んでいて大変参考になりました。私もブログを書いているので良かったら遊びに来て下さい。
    http://ameblo.jp/nayu-hongo/

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