こんばんは、Manachanです。
今回のテーマは、2週間ほど前に起こった「フランス紙襲撃テロ事件」…今年1月7日、風刺画が売り物のフランスの週刊新聞「シャルリー・エブド」のパリにある編集部が、自動小銃をもったアルジェリア系フランス人の兄弟に襲われ、編集長や風刺漫画家ら12人が死亡した事件でした。
この事件、フランスにとっては、アメリカの「9・11テロ」に匹敵するような衝撃が走ったとされます。そして、西側世界全体を巻き込んだ、大きな国際問題になりました。
1月11日には、フランス各地で犠牲者を悼むための大行進が実施され、その数は全国合計で少なくとも370万人に達したとの話。このうちパリの行進に加わったのは160万人超とみられ、キャメロン英首相やドイツのメルケル首相ら欧州主要国を中心とする40人超の各国首脳も参加しました。
私、翌12日からカナダとアメリカに出張しました。現地のローカル新聞でもパリの出来事が連日のトップ扱いで、同じ欧米の価値観を共有する国々にとっては巨大なインパクトのある事件だったのだと実感しました。
日本のマスコミではそこまで大きな扱いはなかったですね。今ではすっかり、「イスラム国人質事件」にかき消されてしまったし…
今回の凶行の犠牲になったひとり「ジャン・カビュ氏」は、別の新聞社「カナール・アンシェネ」で、日本の福島原発事故と東京オリンピックに関する風刺画を発表したことで、日本政府の抗議を受けたことがあります。
2年近く前、夏季五輪の東京開催が決まった頃、日本でもこんなニュースが流れたのを、思い出しました。
私、手が三本ある奇形の力士の絵をみて、こいつら趣味悪いな~と、正直、反感を覚えました。
フランスが、宗教改革から市民革命に至る歴史を通じて、「表現の自由」(Freedom of press)を血をもって勝ち取ってきたことは、もちろん知識として知っています。かの国の人に、風刺画という表現方法が愛されているのも分かります。フランスを含む西洋世界が、私たちの近代生活の土台の多くをつくってきたことに、感謝・尊敬の念さえあります。
但し、彼らの文化・文明を必ずしも共有するとは限らない、異文化圏・日本の人間から言わせてもらいます。私は風刺画を心から楽しめる人間じゃありません。そして、不十分な知識で一方的に放射能風評を広め、私たち日本の対外イメージを損なう行為は、はっきり言って不愉快です。
Wikiによれば、この風刺画が出た時、日本の官房長官、菅義偉は遺憾の意を述べ、大使館を通じて抗議する意向を示した。編集長のルイマリ・オロは抗議に対し、「自分たちではなく東京電力に怒りを向けるべきであり、謝罪するつもりはない」と発言したそうで…
そういう傲岸な態度で、彼らの信奉する「表現の自由」とやらを行使されてもねえ…世界中に、反発する人が増えるのではないでしょうか?
これまで、ヨーロッパの各紙は、イスラム教に対する風刺画をきっかけに、記者が何人も命を落としています。
もちろん、いかなる理由があれ、殺人やテロは許されないことです。不本意にも命を落とした記者に対して、自業自得だと言う気はありません。
但しだからといって、許容範囲を超えて、誰かの信仰や感情を傷つけても、「表現の自由」の御旗を守りたいとまでは思いません。そういうのは「自由の濫用」(Misuse of Freedom)であって、それに対するシンパシーを私は余り持ちあわせませんので…
仏テレビ局「フランス24」の討論番組(7日)で、イスラム教徒の地方議員マジド・メサウデネ氏は「シャルリ・エブドは風刺の度合いが許容範囲を超えていると思う」と指摘する一方で、「そんな風刺を世の中に出す権利は認める。同時に、『許容範囲を超える風刺だ』という自分の意見も社会に存在する権利があると思う」
私はメサウデネ氏の意見に共感します。表現の自由は守るべきで、そのルールに従って、はっきり「不愉快だぞ!」と言う権利は、私たちにあるはずと思う。
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