おはようございます、Manachanです。フィリピン、タイ、ラオス3か国出張から日本に戻ってきました。
今回の日記は、訪問国のひとつ「ラオス」がテーマ。
私、ラオスを訪れるのは、2回目。今年の3月と9月に、首都ビエンチャンを訪れています。目的は、ラオス国の歴史はじまって以来、初めての「コンドミニアム」(高級マンション)予定地視察と、経営陣との面談です。
東南アジアの不動産は、いつも中国、韓国、シンガポールなどが先に参入し、日本人は彼らの後塵を拝することが多いわけですが、ラオスに関しては、彼らが参入する前に日本人(投資家代表)としていち早く参入し、経営陣とガッチリ握っておきたい、という決意のもと、乗り込んでいます。
ラオスで一体どんなコンドミニアムが建つのか、その話は、順次していきます。今日は、予備知識として欠かせない「首都ビエンチャンの地理」について書きます。
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『ラオス人民民主共和国』
面積:23.7万平方キロ(日本の約60%)
総人口:約650万人(日本の約5%)
首都ビエンチャンの人口:約71万人
公用語:ラオ語(言語学的にはタイ語の一方言)
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この「ビエンチャン」の位置が、ある意味、すごい。
ラオスの首都からメコン川を挟んだ対岸が、すぐタイ領なのです!
メコン川は雄大な国際河川ですが、ラオスあたりは中流域で、河幅が大して広くありません。都内を流れる荒川程度しかありません。頑張れば泳いで渡れてしまう位。
実際、ラオスが社会主義化された1970~80年代、夥しい数のラオス人が、仕事と良い生活を求めて、メコン川を泳いでタイ領に渡りました。
ラオス人と、タイ人は、起源1000年前後、中国南西部からインドシナ半島に移住して、国をつくりました。タイ人とは民族的に同根で、今日でも言葉が通じます。見た目もタイ人と同じなので、ラオス人がタイ領内に紛れ込んでも、タイ人と名乗ってしまえば、それで通ってしまう‥
ところで、なぜ一国の首都が、隣国のすぐ対岸にあるのでしょう?しかもラオスにとって、タイは自分よりはるかに大きな存在。人口は10倍、国民総生産は60倍もあります。両国の間に軍事的緊張があれば、ラオスはひとたまりもないはず…
世界中見渡しても、首都が隣国と接している例は、ほとんど知りません。強いていえば、スロバキアの首都・ブラチスラバが、チェコとオーストリアと接している位かな。
チェコとスロバキアが、1918年から1992年まで、同じ国だったように、タイとラオス(厳密にいえばタイ東北部とラオス)は、かつて、同じラーンサーン王国の民でした。その時代は、1353年から1893年、ラオスがフランス領に編入されるまで、500年以上にわたりました。
ラオスが社会主義国として独立したのは1975年、その後しばらくは、隣接する資本主義国タイとの間で国境紛争があったそうです。その当時は、ベトナムという後ろ盾があったので対抗できましたが、ソ連と社会主義陣営が崩壊した後は、当然、タイと仲良くしなければ生きていけない。独立国とはいえ、タイの一地方みたいなたたずまいで、時を過ごしてきました。
同時に、タイから夥しい消費物資と、TVなど大衆文化がラオスに流れ込みました。言葉が通じるから、受容も早い早い!ビエンチャン国際空港のテレビからして、タイの番組を流してましたし、いまや、ラオス都市部の若者の共通語はラオ語でなくタイ標準語になってしまったという話もある位。
まるで、東北地方の若者が東京の共通語に染まってしまう、みたい話ですねえ…
つまり、ラオスとタイの関係は、「それぞれ異なる国民国家の対抗関係」というよりは、「もともと同じ国民だったのが、いろいろあって、別々の国になっちゃったのよねえ・・・」みたいな感じ。だからこそ、ラオスの首都ビエンチャンがタイ領の対岸にあっても、それは自然な風景に見えてしまうわけ。
仮に(いまさらあり得ないですが…)、タイが領土的野心を燃やして、ラオスを併合する気になったとしたら、ラオス人はそれを静かに受け入れるかもしれない。いや、軍事力を使わずに、「タイ・ラオス連邦」という国ができたとしても、なんら不自然ではない。もともと別の国だった「チェコ」と「スロバキア」よりも、タイとラオスの方が自然にくっつきやすい気がします。
そろそろ、不動産の話題に移りましょう。
今回のラオス訪問で、「タイ人と言葉が通じる」意味の大きさを、まざまざと見せつけられました。
ラオス国始まって以来、初のコンドミニアムを世に出そうとしているラオス人事業家と面談しました。ラオス国内の鉱山開発や建設業で財をなした経営陣、は2年間、じっくり事業計画を練って、満を持して、世界に通用するコンドミニアムをラオスの地に現出させようとしています。
その際、彼らが「タイのデベロッパー」の力を借りたのは、言うまでもありません。ラオスには、技術も経験もない。でも、川向うのタイには、少なくとも15年以上のコンドミニアム建設の歴史と、豊富な経験、技術がある。
少なくともベトナム、カンボジア、ミャンマー、フィリピンよりは確実に上をいく、東南アジアでトップクラスの「タイの建築コンセプトと施工技術」を、ラオス人経営陣は徹底的に学んだのです。お互いの言語的な障壁はほとんどありません。通訳なしで、そのまま、打ち合わせも電話会議もできるのです。(言葉の違う)ベトナム人やカンボジア人にはできない芸当です。
今年11月に着工予定のコンドミニアムの施工には、完成まで、タイの建築会社が全面的に参画する予定です。その時も、ラオス人の現場労働者と、タイ人エンジニアや現場監督の間に、言語的障壁がほぼない、というのも強い。
ようやく経済成長の端緒についたラオス。国民の起業家精神と物欲が伴った場合、今後、東南アジアで他の誰も真似できない「タイ語能力」を武器に、急速にキャッチアップを果たしてしまうのかもしれない…
一体、どんなコンドミニアムができるのか?それは、Home’sコラムを読んでみてくださいね。
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