事実、真実、真理、解釈・・・物書きのつぶやき

おはようございます。Manachanです。

私は不動産投資家であり、同時に「ブロガー」という、物書きの端くれでもあります。ネット上では、ホームページ・ブログを通じて、1999年以来、15年間、文章を書き続けてきました。

私の文章は、不動産、マネー、地域考察など、社会の生きた現実を扱うことが多い。ですので、話の材料としては、「事実」、「データ」を多く使って、それらを自分なりに「解釈」した上で、読み物として楽しめるように、ストーリーを組み立てて書いています。

ここで、どうしても避けて通れないのが・・・「事実」、「真実」、「真理」といった、全ての文章に共通する概念。

物書きのなかには、「真実」や「真理」といった言葉を多用する人もいます。そこには必ず、作者本人の「思想・哲学」が含まれています。

私にも、思想や哲学がないわけじゃない(不動産教?)。でも、物を書くスタンスとしては、「事実」にこだわりたい、だからこそ「真実」や「真理」という言葉を使いたくない、という気持ちが強いです。

その辺を、ざっくり整理してみました。

「事実」 =「主観的事実」または「客観的事実」

「客観的事実」+「データ、分析、検証」⇒「真理」 (≒法則、科学的事実)

「主観的あるいは客観的事実」+「哲学、体験」⇒「真実」 (≒信念)

人間誰しも、「事実」(FACT)に基づいて思考します。

「事実」のなかには、「客観的事実」(誰の目からみても明らかなもの)と、「主観的事実」(人によって見え方が違うもの、あるいは一部しか見えてないもの)が含まれていますが、

そのうち「客観的事実」だけを積み重ねて、分析や検証を通じて、導き出した(導きだそうとする)ものが「真理」。これは「法則」とか「科学的真理」と似た概念です。また、その営みを「科学」と呼びますね。

一方、「事実」(主観的、客観的を両方含む)を、各個人の体験や哲学を通じて、昇華させた概念が「真実」と呼ばれるものだと思います。こちらは、「信念」や「イデオロギー」に近い概念ですね。したがって、

真理は、一つしかない(はず)
真実は、人の数だけある。

ということになるわけです。

一方、私の書き物のスタンスとしては、上の図でいう「真実」も「真理」も扱いたくない。重すぎるから・・・

むしろ、いくつかの「客観的事実」に基づいた私の「解釈」を皆様とシェアして、楽しく議論(無駄話?お茶話?)していきたいと思っています。

解釈とは、いくつかの事実を分析して、「たぶん、こうなんじゃないかな?」と思う。そんなレベルの「仮説」、「命題」みたいなものです。たとえば、

「柏エリアの人口が、過去5年間で140万人から145万人に増えた」というのは、客観的「事実」。

「柏エリアの昼間人口比率が、過去5年間で86%から89%」というのも、客観的「事実」。

「柏エリアに、東京大学、気象大学校、国立ガンセンター、科学警察研究所、のような国家機関が集積している」というのも、客観的「事実」

(※上記の数字はテキトーです。あしからず・・・)

それらを使って、たとえば、次のような命題を立てる、

「柏エリアが、埼玉の大宮エリアと同じく、北関東の拠点都市になりつつある??」

これは、「解釈」ですね・・・ここまで整理すると、ブログのネタとして使えるわけです。

そのネタを、読み物として面白くしたい。だから、

「10年後、柏が大宮になる日!!」

「20年後、首都圏北側で生き残る都市は、大宮と柏だけ??」

みたいな表題にするわけですね。このように料理すると、議論のネタとしても、読み物としても、また地域経済の学習題材としても、成立するわけです。

これらは、議論したところで、まだ「解釈」の段階を出ませんから、「真実」でも「真理」でもないわけです。

私、仰々しいこと好きじゃないから、これからも、「解釈」の領域で頑張って書いていきますね。

(追伸)タイムリーな話題を一つ・・・

いま、風評加害(フクハラ=福島ハラスメント)で話題になっている、「美味しんぼ~福島の真実編」・・・これは、「真実」と「真理」の違いを考える上で、格好の題材かと思います

作者(雁屋哲氏)にとって、福島の「真実」とは・・・科学的・客観的事実とは全く関係ない。自分一人にとっての「真実」、つまり「思想信条」に近いものだと思います。

おそらく・・・雁屋氏は、食べ物に畏敬の念を抱いていて、それが福島の地で、原発事故によって汚された。それが許せない。その怒りが彼をして、1年をかけた取材と創作に駆り立てたのだと思います。これは彼にとってはまさしく「真実」でありましょう。

しかし、福島に住む多く読者にとって、そんな「真実」は要らないんです。興味の対象は、むしろ「真理」(低線量被曝が、本当に危険で有害なのか等・・・)。もちろん、雁屋氏にそんな科学的検証などできないし、読者もそれを期待していませんが、

「福島」という実在の地名を使って、「放射能起因の鼻血」という、「真理」でないことを言いふらされた・・・それは、彼自身の「真実」に共鳴できない多くの読者(私自身を含む)にとって、単なる風評加害に他ならないわけです。

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