「天声人語」の良さが分からん

こんばんは。Manachanです。

ここ数年、ほぼ毎日欠かさず、ブログ更新しています。我ながら、よく続くなあと思う・・・ホームページの時代から数えると、1999年8月の開設以来、13年以上も、ウェブで情報発信を続けていることになります。

13年書き続けている、ということは、私にある程度、文才が備わっているということなのでしょうね。大した才能じゃないのかもしれないけど、それなりに才能がないと、13年も続かないはずだから。

あと1か月もすれば、いよいよ、私の初著書が、出版される予定です。長い間、書き続けていると、良いこともあるんですね♪


私は、子供の頃から、読書好きな少年でした。小学5~6年で、松本清張全集を全部読破し、中学生や高校生の頃は、近所の柏市立図書館にこもって、いろんな本を、手当り次第、読んだものです。中国の歴史ものや、ロシア文学とか、特に好きでしたね。

文章を書くことは、もっと好きでした。読書感想文みたいに、お仕着せのフォーマットで書くのは嫌でしたけど、字数制限なく、自由な発想で書くのなら、いくらでも書けたものです。

大学3年の時、「人格改造~ヤマギシズム特別講習潜入記」というルポを書いて、同人誌に投稿したら、大変な好評でした。あれから20年以上経っても、こうやって読んでくれる人がいる位(リンク)。

ですので、日本語の語彙力や、文章表現力は、昔から人並み以上にあると、自負しているのですが・・・意外なことに、国語のテストは、苦手でした。全く、良い点数が取れないのです。

大学入試の時に受けた、共通一次試験(歳がバレますね・・・)では、800点中、ちょうど700点取りましたが、国語は200点満点中、128点しか取れなかったのです。他の教科は、ほぼ完璧だったのに、国語だけで、72点も失点していた・・・

いま振り返ると、私の「日本語の文章に対する強いこだわり」と、「国語教師やテスト出題者のスタイル」が、相容れなかった部分が大きいのでしょうね。

たとえばの話、当時は、国語力向上のためには、朝日新聞のコラム「天声人語」をとにかく読め!、という指導が行われていました。

インターネットもない時代でしたから、新聞を切り抜いて、ノートにペタペタ貼って、読んだものです。毎日、毎日が、その繰り返し・・・

でも当時の私は、天声人語の良さが、全く分かりませんでした。

いくら読んでも、「一体、何が言いたいのか?」、「何が結論なのか?」、分からなかったからです。「言語明瞭、意味不明瞭」だと、感じていたのですね。

さらに言うと、私はなぜ、国語の論説文が、「テストのネタ」になるのかさえ、よく理解できませんでした

小説や詩文ならともかく、論説文である限り、誰が読んでも、誤解なく、さくっと理解できる、論理明快な文章こそが、良い文章ではないでしょうか?

逆に、人によって、解釈が分かれるようなものは、悪文じゃないかと、少なくとも、論説文とは言えないのじゃないかと、思っていました。

実際、そういう観点で見た場合、当時の国語のテストで出される文章は、悪文が多かったです。文章の途中で論理が飛躍したり、筋道が曖昧だったり・・・

そういう文章が出題された場合、良い点を取るのは、私には至難の業でした。だから国語の成績悪いんだよね・・・

当時から20年以上経ちましたが、今でも「天声人語」信仰って、あるんでしょうか?

たぶん、あるんでしょうね。朝日新聞のサイトに、こんなこと、書いてますから、

大学入試問題に非常に多くつかわれる朝日新聞の天声人語。読んだり書きうつしたりすることで、国語や小論文に必要な論理性を身につけることが出来ます。

これ読むと、論理性が身につくのか・・・そこまで言うなら、久しぶりに読んでみようと思い、サイトをみると、案の定、「結局、何が言いたいのか、分からない」ものが多い(リンク)。

確かに、毎回、最新の時事ニュースを扱っているし、歴史・背景説明も十分で、深い教養・知識も垣間見える。「じゃ、何が結論なの?」というと、それがよく分からない。

最新の時事問題に関わる、著者の立場やスタンスも、よく分からない。はっきり言って、「観察者」、「傍観者」。物事に責任持つ立場でもなければ、自分の立場を明確にする必要もない。最後は感想を書くだけ・・・だからこそ、論点、焦点がぼやけるのかな。

新聞の論説って、こんなもんでしょうか?

読み物として、それなりの面白さはあるのかもしれないけど、これ読んで「論理性」が身につくとは、私には到底思えないのですが・・・

今日の日記、楽しめた方は、応援の「ぽち」を、よろしく。

Share on Facebook

SNSでもご購読できます。

コメント

  1. 不動産投資で海外移住by三歩目 より:

    1. 思い出したので
    引用します。

    主語がハッキリし、肯定か否定かがハッキリすれば、とかく、差し触りが生じ易い。
    ところが、一般に新聞の文章は差し触りを避けた文章なのである。
    新聞の文章といっても、日本の普通の大新聞の文章のことであるが、
    これは、或る特殊な事情の上に成り立っている文章なのである。
    簡単に真似してよいものとは言えない。
    清水幾太郎

    どういう人材に育てたいのか、国家の意図が、、
    と思うのは、穿ち過ぎ(誤用)でしょうか。
    http://ameblo.jp/3rd-step/

  2. manachan より:

    2. Re:思い出したので
    >不動産投資で海外移住by三歩目さん

    >主語がハッキリし、肯定か否定かがハッキリすれば、とかく、差し触りが生じ易い。一般に新聞の文章は差し触りを避けた文章なのである。

    なるほど・・・新聞のポジショントークとしては、理解できるけど、

    その他のビジネスの現場とか、理系学問の場じゃ、通用しない文章だと思います。

    主語述語、肯定否定が不明確で、何がしたいのか分からん文章なんて書いた日には、少なくとも私の職場じゃ、どやされるし・・・
      
    部下がこんなレポート書いてきたら、私は突き返します。
    http://ameblo.jp/manachan2150/

コメントを残す

*