中国からヘッドハンティング

私は2005年から07年にかけて、中国の大連市で、某巨大多国籍企業のITオフショア開発・保守のチームリーダー、マネジャーとして働いていました。

その職場を離れて、もう4年以上経ちますが・・・先日、そこを担当している転職エージェントから、私の携帯に連絡がありました。

発信番号は、「+86 411・・・」という、大連市の番号。「なぜ、大連から俺の携帯に電話が・・・」と、一瞬不思議に思いつつ、電話を取る。

担当者の女性は、中国語で、こう話してきました。

「鈴木さんが、以前働いていた職場で、○○○という職を募集しています。鈴木さんこそ適任だと思いますので、話を聞いてみませんか?」

その、○○○というのは、社員5000名を擁する某社大連オフィスのトップに直接レポートするような、ものすごくシニアなポジション。

私が2007年から今日まで、ずっと大連で頑張っていたとしても、おそらく手が届かなかったと思われるようなポジション。

これは、ITのキャリアを志してきた者として、一生に何度もないような、願ってもないチャンス。

いまどき、こんな豪快なヘッドハンティングがあるものなのか・・・しかも私の身にそれが起こるとは・・・

私の今の、日本の職場は、人員削減モードですが、某社の中国のビジネスは、相変わらずすごい勢いで伸びています。

大連オフィスなんか、私が入社した当時は、350名しかいなかったのに、1年ちょっとで1000名を超え、今では5000名規模という・・・6年間で14倍の成長。日本では普通、ありえない(Greeくらいか・・・)。

その成長ペースだと、マネジャーがいくらいても足りないだろうな。今の職場と比べて、はるかに大きなチームと権限、予算が与えられる仕事であるのは間違いない。

以前の私なら、この話に飛びついていたことでしょう。

勤務地は中国。当然、日本から家族を連れての移動になる。娘は学校に行くようになり、教育面も考えなくてはならないし、妻にもいろいろ心労を強いることになる。

しかし、私も、家族も、もともと変化のなかで生きてきました。2005年、オーストラリアから中国へ転職した時、妊娠した妻が一緒に来てくれて、そこで娘が生まれ、2年後、今度は日本への移住。そこで息子が生まれ、今日に至っています。

だから世界中、どの土地にも適応する自信がある。外国語だって、すぐ覚えられる。ましてや(日本のすぐ近所の)大連への移動など、我が家にとっては、何てことない。朝飯前です。

しかし、ここ数年で、私の価値観は変わりました。

確かにいま、ITキャリアとして、輝かしい成功のチャンスが待っている。ですがそれは、会社員の枠組のなかでの成功でしかありません。

私は、自分の事業も手掛けるようになって、サラリーマンが到底手の届かない、経済的成功や、自由、自律、自分の手でビジネスを育てる楽しみ・・・という世界があることを知ってしまいました。

だから、悩みました・・・少なくとも以前ほどは、会社組織のなかの成功にこだわらなくなったのは事実です。とはいえ、サラリーマンの枠内であっても、これまで10数年も追いかけてきた夢を、集大成できる魅力も感じていました。

結局、いろんな事情があって、この話、流れたわけですが・・・

私はこう思いました。

サラリーマン辞めたくない。少なくとも、第一線でずっと働き続けたい・・・と。

世の中は、「サラリーマンを卒業して、ハッピーリタイア、経済的自由を獲得」みたいな言説が幅をきかせていますが、

私は必ずしも、そうは思いません。

現に私は、サラリーマンを続けながら、世界のいろんな土地で働いてきましたし、

「世界のどこからも必要とされる」職業能力を通じて、移動の自由は、実質上、すでに手にしたと思います。

もっともそれは、「2~3年ごとの移動」であって、「行きたいところへ、瞬時に移動」のレベルではありませんが、

妻・子供を養い、職場・地域社会のなかで役割を担っている男が、「行きたいところへ、瞬時に移動」するわけはないので、「2~3年ごとに移動」で十分です。

そして、サラリーという、低リスクの定期収入(プラス不動産・副業収入)が入ってくることにより、経済的自由も相当程度、獲得していると思います。

このライフスタイルを維持するためにも、

会社組織のなかで、第一線で働き、キャリアを保つことは、少なくとも当面、私にとって必要だと思うのです。

ただし、今はいいけど、50代半ばを過ぎて、このしんどい仕事を続けたいとは思わないから、

人生のいずれの時点で、方向転換して、事業収入や権利収入中心の構造をつくっていきたいとは思っています。

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中国からヘッドハンティング

私は2005年から07年にかけて、中国の大連市で、某巨大多国籍企業のITオフショア開発・保守のチームリーダー、マネジャーとして働いていました。

その職場を離れて、もう4年以上経ちますが・・・先日、そこを担当している転職エージェントから、私の携帯に連絡がありました。

発信番号は、「+86 411・・・」という、大連市の番号。「なぜ、大連から俺の携帯に電話が・・・」と、一瞬不思議に思いつつ、電話を取る。

担当者の女性は、中国語で、こう話してきました。

「鈴木さんが、以前働いていた職場で、○○○という職を募集しています。鈴木さんこそ適任だと思いますので、話を聞いてみませんか?」

その、○○○というのは、社員5000名を擁する某社大連オフィスのトップに直接レポートするような、ものすごくシニアなポジション。

私が2007年から今日まで、ずっと大連で頑張っていたとしても、おそらく手が届かなかったと思われるようなポジション。

これは、ITのキャリアを志してきた者として、一生に何度もないような、願ってもないチャンス。

いまどき、こんな豪快なヘッドハンティングがあるものなのか・・・しかも私の身にそれが起こるとは・・・

私の今の、日本の職場は、人員削減モードですが、某社の中国のビジネスは、相変わらずすごい勢いで伸びています。

大連オフィスなんか、私が入社した当時は、350名しかいなかったのに、1年ちょっとで1000名を超え、今では5000名規模という・・・6年間で14倍の成長。日本では普通、ありえない(Greeくらいか・・・)。

その成長ペースだと、マネジャーがいくらいても足りないだろうな。今の職場と比べて、はるかに大きなチームと権限、予算が与えられる仕事であるのは間違いない。

以前の私なら、この話に飛びついていたことでしょう。

勤務地は中国。当然、日本から家族を連れての移動になる。娘は学校に行くようになり、教育面も考えなくてはならないし、妻にもいろいろ心労を強いることになる。

しかし、私も、家族も、もともと変化のなかで生きてきました。2005年、オーストラリアから中国へ転職した時、妊娠した妻が一緒に来てくれて、そこで娘が生まれ、2年後、今度は日本への移住。そこで息子が生まれ、今日に至っています。

だから世界中、どの土地にも適応する自信がある。外国語だって、すぐ覚えられる。ましてや(日本のすぐ近所の)大連への移動など、我が家にとっては、何てことない。朝飯前です。

しかし、ここ数年で、私の価値観は変わりました。

確かにいま、ITキャリアとして、輝かしい成功のチャンスが待っている。ですがそれは、会社員の枠組のなかでの成功でしかありません。

私は、自分の事業も手掛けるようになって、サラリーマンが到底手の届かない、経済的成功や、自由、自律、自分の手でビジネスを育てる楽しみ・・・という世界があることを知ってしまいました。

だから、悩みました・・・少なくとも以前ほどは、会社組織のなかの成功にこだわらなくなったのは事実です。とはいえ、サラリーマンの枠内であっても、これまで10数年も追いかけてきた夢を、集大成できる魅力も感じていました。

結局、いろんな事情があって、この話、流れたわけですが・・・

私はこう思いました。

サラリーマン辞めたくない。少なくとも、第一線でずっと働き続けたい・・・と。

世の中は、「サラリーマンを卒業して、ハッピーリタイア、経済的自由を獲得」みたいな言説が幅をきかせていますが、

私は必ずしも、そうは思いません。

現に私は、サラリーマンを続けながら、世界のいろんな土地で働いてきましたし、

「世界のどこからも必要とされる」職業能力を通じて、移動の自由は、実質上、すでに手にしたと思います。

もっともそれは、「2~3年ごとの移動」であって、「行きたいところへ、瞬時に移動」のレベルではありませんが、

妻・子供を養い、職場・地域社会のなかで役割を担っている男が、「行きたいところへ、瞬時に移動」するわけはないので、「2~3年ごとに移動」で十分です。

そして、サラリーという、低リスクの定期収入(プラス不動産・副業収入)が入ってくることにより、経済的自由も相当程度、獲得していると思います。

このライフスタイルを維持するためにも、

会社組織のなかで、第一線で働き、キャリアを保つことは、少なくとも当面、私にとって必要だと思うのです。

ただし、今はいいけど、50代半ばを過ぎて、このしんどい仕事を続けたいとは思わないから、

人生のいずれの時点で、方向転換して、事業収入や権利収入中心の構造をつくっていきたいとは思っています。

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