各国不動産事情

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理想の豪州不動産投資

こんばんは、Manachanです。18日間のオーストラリア滞在を終えて、日本に帰ってきました。

今回の滞在中、大事なミッション(ブリスベン物件の購入&ローン借り換え交渉)がありましたが、無事成功をおさめ、充実感を胸に帰国の途につきました。

☆今回、購入した物件に関しては、私のブログ「ピュアホワイト高利回り物件@ブリスベン
☆豪州ローン借り換えに関しては、Home’s不動産コラム「オーストラリアでフルローン引いて物件購入した話」をご参照ください。

滞在地ケアンズから成田まで、7時間のフライト中、不動産投資雑誌”Australian Property Investors“を、じっくり、隅から隅まで読んでいました。

私はこの雑誌を、2003年頃からずっと愛読しています。毎年1~2回、渡豪する毎に買って読んできましたので、最近10年以上にわたる同国不動産マーケットの状況や、投資トレンド、脚光を浴びたエリアなどを、よく覚えています。

☆「1998~2003年 オリンピックブーム期」

2000年にシドニーオリンピック開催。その前後の数年間は、豪州全土で不動産価格が勢いよく上がった時期です。当時は「バリューアップ」すれば高く売れた時代なので、「700平米以上の土地区画を買って二戸建てる」とか、「ボロ家を買って大規模レノベ―ション」などが流行っていました。確か、当時の住宅ローンの金利は6~7%台でした。

☆「2004~08年 リーマン前の金利上昇期」

豪州不動産マーケットは2003年にピークを打ったあと、04~05年にかけて低迷期を迎えます。場所によっては、不動産価格が10%以上下がりました。2006年頃から再び上昇をはじめ、08年にリーマンショックの余波で冷や水…といったように、不動産マーケットが一進一退していた時期です。

但しローン金利だけは、リーマンの直前まで一貫して上がり続け、ピーク時には9%に達しました。融資を受けて不動産買っても、このような金利水準で、インカムゲインを出すのは難しいこともあって、当時は「ネガティブギアリング」(Negative Geering)という節税法が流行っていました。投資不動産で出した赤字(=賃貸収入―ローン金利―諸経費)をサラリー所得と合算すれば、かなりの節税効果が生まれるので、多くの人が実践していました。

☆「2009~11年 リーマン後リカバリーブーム期」

欧米先進国のなかで、リーマンショック後、経済をいち早く回復軌道に乗せた豪州。この時期に政府が行った経済刺激策で一番効果が高かったのは、「公定金利の大幅な引下げ」(7%⇒3%)。住宅ローン金利も、それまで9%だったのがいきなり5%になり、金利負担が大いに軽くなったので、皆が、住宅取得に走りました。その結果、豪州全土で不動産価格が数十パーセント上昇。特に資源産出州の中心都市、パースやダーウィンの値上り幅が際立ちました。

☆「2012~13年 スローダウン期」

2009~11年に不動産価格が上がりすぎた反動で、パース、ダーウィンを中心に価格上昇トレンドが沈静化。公定金利はさらに下がり、住宅ローン金利も豪州歴史始まって以来の4%台に突入。金利水準がここまで低くなれば、融資受けて不動産買った人でもインカムゲインを得やすくなることから、いまの日本に似た「利回り&キャッシュフロー型の不動産投資」(賃料の割に取得価格が比較的安く、賃貸に出して黒字が出るような収益不動産)が流行りました。

☆「2014年~ シドニー中心の不動産ブーム期」

2014年に入る頃から、豪州最大都市シドニーが空前の不動産ブームを迎えます。シドニー圏全域で、直近2年間で30%ほど上昇。「いま買わないと一生買えない」と焦る人々による実需購入と、値上がりを当て込んだ「キャピタルゲイン狙い投資」が目立ちました。金利水準は相変わらず4%台と低く、賃料は高止まりなのでキャッシュフロー型の投資は可能ですが、そもそもシドニー不動産が高すぎて取得が難しいので、多くの投資家が州境を超え、割安なメルボルンやブリスベンで収益物件を物色する動きが目立ってきました。

ここ10数年だけでも、マーケットの変化とともに、不動産投資のスタイルも移り変わってきたことがよく分かりますね。その時々の流行りはともあれ、自分の投資哲学だけは常にブレないようにしたいと思います。オーストラリアで不動産投資する際の私のポリシーは、

・長期投資 (最低でも10年は保有)
・インカムゲイン重視 (グロス利回り6%以上、賃貸に出して余裕で黒字が出るものだけ買う)
・売却より買い増し (1軒目の値上がりを利用して、2軒目、3軒目と買い足していく)

今回、私がブリスベン物件を購入するシナリオは、

・2002年に買ったシドニー物件の値上がり(39万⇒80万ドル)を自己資金算入して、現金手出しなしでフルローンで取得
・ブリスベンでグロス7.2%の高収益物件をゲット

という意味で、我が投資哲学にぴったりくるモデル。とても気に入っています。

今回読んだ雑誌Australian Property Investorsに、「投資家列伝」みたいなコーナーがあります。そこに出てきた若き投資家Peter Toma氏の行った不動産投資が、まさに私の理想形とぴったりなので、驚きました。

Peterは若干27歳。建築技師として働き、額面の年収は6万6千~8万ドル(600~730万円)と、20代にしては比較的恵まれています。不動産も、すでに3戸取得しています。

・2013年1月に、シドニー西郊Fairfieldで、2ベッドのアパートを2戸同時取得。価格は29万2千ドルと28万8千ドル、合計で58万ドル。家賃収入は週あたり380ドルと400ドル、計780ドル。自己資金20%を用意して80%は融資で調達。
・2013~14年から始まったシドニー不動産ブームの恩恵を受け、2戸合算の担保価値が79万ドルと、2年足らずで約35%上昇。
・2014年10月に、ブリスベン西郊Ipswichで3ベッドの戸建を19万5千ドルで取得。家賃収入は週270ドル。シドニー2戸の値上がり分を自己資金算入して、現金手出しなしで購入。

彼の場合、驚くべきことに、

・取得物件全てを、表面利回り7%前後で買っている(6.7~7.2%)
・投資エリア選定とタイミングが絶妙。シドニーの不動産ブームが起こる前に、値上がり幅の一番大きい西部郊外で仕込んでいる。
・しかも2014年後半に、今後、値上がり幅が大きいと見込まれるブリスベン西部郊外で物件を仕込んでいる。

私からみて、非常に見通しが明るく、かつ低リスクの投資だと思います。彼の所有物件ポートフォリオからみて、シドニー西郊はまだ値上がり余地を残し、ブリスベン西郊はこれから値上がる。仮に不動産市場が暗転しても、賃料しっかり取れているので破綻しない。今後、金利が2%くらい上がってもまだ黒字が出る…

投資エリア・物件選定も非常に理にかなっていて、地域の人口動態、平均所得、空室率、価格トレンドのデータでまず絞り込み、「市場価格より割安」かつ「賃貸需要にマッチした」物件ならすぐ買う、というスタンス。

彼は4軒目、5軒目と買い足していく意向ですが、5軒目取得をする頃にはサラリーマンを卒業できそうですね。

奇しくも、私が今回買ったブリスベン物件は、Peterが去年10月に買った物件とほぼ同エリア、価格は2倍、賃貸収入も2倍…という内容。ということは、Peterが成功できるなら、私も成功できるはず♪

私のほか、5名ほどの日本人投資家が購入意向を示していますが、首尾よく買えたなら、売って出口を考えるよりも、ある程度(30~50%)値上がったタイミングでオーストラリア2軒目取得を目指して欲しいです。

私の計算上、オーストラリアでちゃんと回る収益物件を3~4軒買って運用できたら、老後資金の心配はほぼなくなりますので…40代とか50代前半くらいでスタートできれば、十分、実現可能と思いますよ。

私の買った「デュアルキー物件」(一区画の土地に戸建2戸、ダブルで賃貸収益を得るタイプ)の広告が、雑誌裏面を飾ってました!

オーストラリア不動産で年金づくりに興味ある方、詳細を知りたい方は、「アジア太平洋大家の会」事務局までメールを下さいね。

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はじめての海外アルバイト

おはようございます。Manachanです。オーストラリア・ケアンズ滞在もいよいよ終わり、明日には日本へ帰国します。

先日、作家・論客として名高い雨宮処凛さんの「失われた20年インタビュー」をWebで読みました。

雨宮さんと私は、そんなに年齢違いません。奇しくも同じ1994年に東京で就職したわけですが、彼女はフリーターとして苦しい歳月を重ねる体験のなかで、非正規労働や若者の貧困に目を向けていきました。対照的に私は、海を超えて外国で就職、という方向に走っていきました。

雨宮さんのインタビューを抜粋・引用しますと、

1993年に東京に出てきて、美大専門の予備校に行きました。バブル崩壊は何となく知ってたけど、東京に出た時はまだジュリアナ・ブームのような感じで、すごいバブルっぽい雰囲気がありました。94年に進学を諦めたんですが、その時に「就職氷河期」といわれていて、どうしたら就職できるかわからないし、まあアルバイトを始めようと思いました。実際に始めると、時給はどんどん下がっていって、バイト先でも「すごく悪い時にフリーターになったね」って言われましたね。

就職氷河期、ありましたね。1994年頃は、直前の時代(バブル期)と比べて求人数の激減は際立っていました。1990年あたりなら、「大学卒業してれば馬鹿でも就職できる」と言われてましたし、「就職が嫌ならフリーターとして悠々自活できる」時代でした。人生、タイミングが運命を左右する面って大きいですよね。

もっとも、就職が厳しくなった1994年時点で、私は大学院を卒業していました。雨宮さんは高卒・予備校中退だったわけで、時代が同じとはいえ「社会的資本」の差はかなり大きかったわけですが…引用続けます。

学生時代にバブルだったので、ものすごく受験勉強が厳しくて、受験戦争で傷つけられても、すべて頑張れば報われるという戦後日本の一番大切にしていた「神話」みたいなものを信じてきた。けれども、自分が社会に出たころ、「バブルが崩壊したから今までのことは全部うそになりました」と言われた気がして、すごくびっくりした。大人とか学校から教わってきたことが、たかが経済によってうそになるんだ、みたいな。

これは、共感します。私も全く同じことを感じていましたから…雨宮さんも私も、日本のなかで「幸運な逃げ切り世代」に属さないのは明らかです。さらに続けます。

飲食店で働いていると、日本人のフリーターに比べて韓国人のほうが時給は安いのに働き者だから取り換えたいとか、そういうことを言われるんですよ。「自分は日本の底辺にいて、外国人労働者とまったく変わらない。もし外国人労働者と自分を区別するものがあるなら、それって日本人であることしかない」みたいな、過剰に日本人であるってことにすがっていきました。

うーん、これはどうかな。気持ちはとてもよく分かるんだけど、逆に私にいわせれば、韓国人が海を超えて日本で働いてるのと同じように、自分が海を渡って出稼ぎに行けばいいんじゃないの?日本人に生まれたからって、日本で一生働き続けなけりゃいけない道理もないんだし…

私がそういう発想になるのは、さらに前の時代、1989年から海外(台湾)でアルバイトしてお金をもらっていた…という原体験が大きいと思います。

私は1989年4月から翌年3月まで、日本の大学を休学、台湾・台北市の師範大学に語学留学して、中国語を学んでいました。台湾渡航当時は、ユースホステル(青年活動中心)に寝泊まりしてまして、89年6月のある日、同宿の先輩から「ボールペン工場のアルバイト」を紹介してもらいました。

職場は、台北市内、中小工場と住宅が密集するゴチャゴチャした下町、仕事内容は「ボールペンの簡単な検査」(柄を回して、芯が出るかどうかのチェック)、朝9時から夕方5時まで働いて、日給は400台湾ドル(当時のレートで2200円)、昼食支給付、という条件でした。

条件面はそれなりですが、私にとっては、20歳にして初めて体験する「海外で外国語(中国語)を使っての給与労働」でした。

台湾の、こんな職場で、働いてました…

まだ、台湾渡航後1か月経ってない時期なので、中国語は十分に話せず、聞き取れずという状態。職場で、検品後の段ボールを「持ってきて」と指示されても、違う方向に「持って行ったり」…私がミスするたびに、職場の台湾人おばちゃんから爆笑されてました。

私がびっくりしたのは、支給される弁当のデカさ…日本の弁当の倍近くあるサイズで、ご飯と肉、野菜がギッシリ詰まっていました。私はまだ20歳だったので、全部食べきることもありましたが、残すこともありました。

次に驚いたのは、デカい弁当を食った後、台湾人の社員が一斉に机にうつぶせになって寝はじめたこと…夏の長い台湾では、涼しい夜になってから行動開始、一晩中起きてる人も多く、昼はスペインのシエスタよろしく「昼寝タイム」なのです。弁当食い&昼寝あわせて、昼休みはたっぷり1時間半もありました。

この職場では、2日間働いた後に、2日分の給料(800台湾元)をもらいます。私も出社2日目で、はじめて「100元札8枚」、邦貨換算4400円を拝んだわけです。大した金額ではありませんが、でもこれは紛れもなく、私の時間と身体を使って稼いだ外貨収入なのです。

私がその後の人生で、外国に出稼ぎに行くことに全く抵抗なくなったのも、台湾アルバイトの原体験があったかもしれません。

外国暮らしがとても縁遠いと感じる日本人もまだ多いです。私も、「息子が中国に行って働くと言うんです。どうしたらいいでしょうか?」みたいな人生相談を受けることがありますが、「いいんじゃないすか、今の時代、日本から中国へ出稼ぎに行くのも、柏から東京へ出稼ぎに行くのと大して変わりませんよ」と、軽~いノリで答えたりします。この発想も、20歳で台湾アルバイトの経験をし
たからこそでしょう。

先ほどの雨宮さんの話に戻りますが、彼女が苦しいフリーター渡世ながら日本に留まり、非正規労働の実態を見つめ続けたからこそ、作家・論客として日本に大きな貢献を果たしていることは素直に認めます。

でも、私自身はそういう方向を選択しません。「日本の就職が厳しく苦しいなら、海外に活路を見出せばいいじゃん」という考えだからです。外国語も、最初は不自由で苦労しますが、慣れれば上手になります。そして、いろんな言葉ができればできるほど、就職可能性や活躍の場も広がります。海を渡って働くことが、語学習得という意味でレバレッジがきく、効率の良い時間の使い方だとも思います。

海外で働いた結果、日本語のほか、英語、中国語がビジネスレベルになれば、別に世界のどこで働いてもいい。「日本の失われた20年」なんて関係なくなるでしょ?

そういう世界に気づくことができたのも、台湾アルバイトの経験があったからでしょう。本当に、台湾に感謝です。

日本に帰国したら、すぐ、台湾不動産セミナーで講演します。興味のある方は是非

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目指せ資産3倍!台湾不動産セミナー@東京(リンク

■日程 2015年8月22日(土) 13:15~15:00

■会場 東京都新宿区西新宿7-2-4 新宿喜楓ビル Pルーム

■参加料金:無料 

■参加申込リンク:http://asia-pacific.tv/pp/button.php?id=279&skin 

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シドニー値上がればブリスベン値上がる理由

こんばんは、Manachanです。

私が買付入れたブリスベンMountviewの「土地+ダブル戸建」物件(ブログ記事)。融資審査も、これまで二転三転しましたが、ようやく佳境に入りそうです。

私はオーストラリア不動産投資13年ありますが、今回の物件は久々に「テンションの上がる」エキサイティングな案件。正直、むちゃくちゃ買いたいです。

想定利回(表面) 7.2%
融資条件     年利4.65%、利子のみ償還プラン

表面的な数字だけみると大した好条件には見えません(カナダとか行くと、表面8%超で融資の年利2.9%とかもある!)。それでも、オーストラリアで物件買い増したい理由はただ一つ、

13年前に買ったシドニー物件の値上がり分を、そのまま担保として使えて、現金手出しほとんどなしで投資できる!

少し解説しますね。

・2002年に買ったシドニー(Parramatta)物件の担保評価が、13年経って倍増した(39.4万ドル→78万ドル)
・残債はあまり減ってないが、値上がり分のおかげで45~50万ドルの空き担保ができている。
・今回、ブリスベンで買う物件価格は40万ドルなので、シドニー物件と共同担保にすれば、極端な話、現金手出しなしでも融資が引ける。

シドニーの空き担保を、控えめに見積もって45万ドルとしても、

物件の担保価値  シドニー 78万 + ブリスベン 40万 = 118万
空き担保     シドニー 45万

ですので、

1)ブリスベン物件、自己資金ゼロの場合
45万÷118万=自己資本38%、融資62%

2)ブリスベン物件に自己資金10%(4万ドル)入れた場合
(45万+4万)÷118万=自己資本42%、融資58%

私、さすがに海外物件のフルローンには抵抗あるので、ブリスベン物件に10%の自己資金入れる予定ですが、それでも、「海外不動産を90%融資で買える」のは破格の条件。シドニー物件が値上がってくれたおかげですね♪

もし、90%融資が引けて、ブリスベン物件を予定通り2戸とも賃貸に出せたとすると、


現金手出し    自己資金40,000 + 印紙税・司法書士費用等16,000 = 56,000ドル

家賃収入(2戸分)  550ドル x 52週 = 28,600ドル/年
ローン償還     1395ドル x 12月 = 16,740ドル/年
諸経費       市税1,500 水道600 賃貸管理 2,000 => 4,100ドル/年  
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キャッシュフロー  28,600 – 16,740 – 4,100 = 7,760ドル/年 (650ドル/月)

つまり、

1)56,000ドルの現金出して、年間7,760ドル入るから、約7年で投下資金を回収できる。
2)毎年家賃を上げられる可能性も大きいので、回収期間はさらに短くなりそう。
3)しかも7年後にキャピタルゲインを手にする可能性も大きい。

7年で投下資金回収できる不動産投資案件は、日本国内にもたくさんありますが、プラス「毎年、家賃上げられて」かつ「7年後のキャピタルゲインも堅い」となると滅多にない。また、本業の不動産仲介収入が毎月変動するなか、月6万円の収入で「生活費下支え」も有難い上に、日本円以外の通貨で家賃収入が得られるのは精神衛生上も良い。

もっとも、AirBnBとか使って、さらに高収益を狙う手法もありますが、それはオーストラリア以外の国でじっくり取り組んでいきたいと思います。

で、もう少し掘り下げて考えてみましょう。

シドニー在住の不動産オーナーで、私と同じこと考えている人は多いはずと思いませんか?

【バブリーなシドニー…ここ数年で不動産価格は急騰】

・シドニーに持ってる物件の価値は、急速に値上がっている。
・しかし、家を買い替えようにも、あるいは値上がり分を担保に使って物件買い増すにも、シドニーで買う限りどこも値上がっているから、決して買いやすくはない。

そこで、

・シドニーより値上がりの遅い他都市の物件に投資する。

という選択肢が出てくるわけです。いまオーストラリアの都市どこでも、シドニーと比べれば安い。特にブリスベン、ケアンズ、アデレードなどは夢みたいに安いと感じるはず。

【ケアンズの不動産広告…40万ドルで海辺の広い土地付きの家が買える!シドニーの5分の1!】

いまシドニーでは、こんな話題で賑わっています。

・ブリスベンの不動産は、シドニーの半額で買える。
・シドニー20㎞圏内で80万ドル以下の土地付き一戸建を買うのはほぼ無理。でもブリスベンでは結構良いエリアで、広い土地付きの家が50万ドルで買える。あるいはブリスベン都心部、川の眺望のある2ベッドの高級コンドミニアムが50万ドルで買える。

実際、値上がったシドニー物件の担保を使えば、ほとんど現金手出しなしでブリスベンの不動産が買えるのです。私は数日前、ブリスベン、ゴールドコースト、サンシャインコーストを回りましたが、皆、異口同音にシドニーから投資家が押し寄せてきていると言ってました。

また、シドニーでは北部の副都心Chatswoodの不動産店に行きました。店頭広告をみるとChatswood近辺の売り物件はほとんどなく、なんと、ブリスベンの投資物件を前面に押し出していました。都心部の高級コンドミニアムなので60万ドルとかしますが、シドニーの同等物件に比べれば約半額なので、買いたい人は多いでしょうね。

私見ですが、シドニーの物件価格、これまでは12~3年間で倍増しましたが、今後は同じスピードで値上がり続けるとは思えません。移民流入が多く、先進国のなかでは比較的元気なオーストラリア経済と
はいえ、長い時間軸でみれば確実に成熟化・高齢化しており、4%→3%→2%というふうに公定金利を下げないと、経済成長率が保てなくなりつつあります。

公定金利を下げると、当然、住宅ローン組みやすくなるので、不動産市場にマネーが流入しやすくなります。今それで、シドニーの不動産価格が高騰しています。かつての日本や今の韓国台湾もそうですが、実体経済が元気とは言い難いのに不動産価格が高騰する現象を、シドニーも経験しています。

今の上昇トレンドがどこまで続くかは、分かりません。すぐには下がらないでしょうが、上り幅は緩やかになっていくでしょう。但し、確実にいえると思うのが、

・今後、シドニーとブリスベンの価格差が調整される。つまり、シドニーに引っ張られて、ブリスベンの不動産が値上がっていく

ブリスベン不動産は家賃取れるだけでなく、向こう5~10年のキャピタルゲインという意味でも極めて魅力的だと思います。

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シドニー物件、資産価値上昇のチャンス

おはようございますManachanです。シドニー滞在3日目の朝を迎えています。

私は今から13年前、2002年にシドニーの衛星都市パラマタ(Parramatta)でマイホームを買いました。これは私が日本以外で買った初めての物件、今も保有中で賃貸に出しています。

この物件は、D&D Real Estateという、レバノン人が経営する不動産屋を通じて買いました。当時のセールス担当は「ハッサン」というシリア出身の男性社員でした。

この会社、なかなか立派なもので、13年の歳月が経っても、ちゃんと元の場所で営業していました。私が行った時、彼らはちょうど創業17年のお祝い準備中で、オフィスの飾り付けをしていました。そこで、ハッサンに似た男性を見かけたので、声をかけてみました。

私「すみません、もしかしてハッサンですか?」

男性「いえ、違いますが、どなたですか?」

私「私、13年前に御社からBroughton Streetのタウンハウスを買った、鈴木という者です。当時の担当がハッサンでした」

男性「ああ、ハッサンですか。彼は私たちと、4年半、働いてくれましたが、今は別のところで働いています」

そのあと、社長が出てきました。何となく、見覚えのある顔。私は、社長の応接室に呼ばれて、大いに歓待を受けました。

社長「私たちは、ここパラマタを中心に、17年間、こつこつと管理物件を増やしてきました。今では、東はAshfield、西はPenrith、南はCronulla、北はNewcastleに至るまで、300物件以上を管理しています。」

私「そうなんですか。社業ご発展のようで、私も嬉しいです。」

社長「イスラムの聖典コーランの教えに従い、私たちは信義誠実を旨に、オーナー様の資産価値を最大化するべく務めてきました。数百名のオーナー様には、ご満足いただいています。」

この社長から、パラマタの街の近況と、私の物件を取り巻く状況をヒアリングしました。シドニーの西の副都心として発展するパラマタは、いま、開発ラッシュの時代を迎えています。

1)駅前中心市街地の再開発 (オフィスビル、大学キャンパス、マンション等)

2)リバーサイドで中高層分譲マンション建設

が、同時に行われ、街中でクレーンがうなりをあげていました。私、昨日はシドニー圏内のいろんな街を回りましたが、Parramattaほど活気を感じる街は他にほとんどありません。

【Parramatta市街地のマスタープラン。ここに出てくる高層ビルの3~5割はこれから建設予定だから、伸びしろ十分ですね】

【市街地に隣接するリバーサイドは安らぎの空間】

しかも面白いことに、私の物件の周辺が、リバーサイドマンション開発の中心地のひとつなのです。我が家からパラマタ河に至るまで、Morton Street両側の空き地という空き地が開発され、中高層レジデンス建設が進んでいました。

JQZ社のRiver Vistas(リンク

―現状―

―完成予想図―

Starryland社のPromenade Parramatta(リンク

―現状―

―完成予想図―

どちらのホームページも、英語と中国語でつくられています。世界中どこでも、チャイニーズバイヤーのパワーはすごい。

私の家のあるBroughton Streetはこの辺で一番静かなストリートでしたが、今では建設工事のため、進入車両も増えて騒々しい状態になっています。そのためか、ここ2年ほど、家賃を上げるのに苦労してきましたが、

マンションが完成すれば、川に至る道が綺麗に整備され、商業施設やカフェが併設されて、環境が良くなりますので、更なる資産価値向上につながると期待しています。周囲でマンション暮らしが普及すれば、庭つきの一戸建て感覚の家に住み替えたいニーズは必ず出てきますから…

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あの時、買っとけばよかった…

おはようございます。Manachanです。シドニー滞在、最終日を迎えました。

当地シドニーの不動産価格、ここ20~30年ほどは右肩上がりで、いまやフツーの戸建でも「億超え」が当たり前のバブリー驚愕価格。これ以上あがるようだと、まじで誰も買えなくなるから勘弁してくれ~!と、現地在住の友人は異口同音に言います。

私はシドニーで2002年にマイホームを買い、13年を経過して価格が約2倍になりました。1豪ドル=90円で計算すると、私が買った当時は邦貨換算3500万円だったのが、今では7000万円になっている計算。私がそういう話をすると、「13年前にタイムマシンで戻って買いたいねえ」と友人は言います。

とはいえ、私が家買った当時も、全く同じことを考えていました。当時でさえ十年前の価格と比べれば2~3倍にはなってますから、正直、バブルだと思ってましたし、いつかバブル弾けて安く買えることを期待していました。当時は今と違ってローン金利も6~7%と高くて負担感大きかったし…

でも蓋を開けてみれば、バブルだと思ってた当時よりも、シドニーの不動産価格はさらに倍になりました。いま振り返れば、13年前に買うという決断をした私自身のファインプレーでしたが、

いつの時代でも、不動産というものは買う側にとってみれば決して安い買い物ではありません。長期にわたるローン返済に縛られることでもあるので、相当大きな勇気と決断が必要。不動産価格高騰のシドニーでいまマイホーム買うのは、間違いなく勇気が要りますが、13年前に今の約半額で買った私が出した勇気も、決して小さなものではなかったのです。

私と同時期にシドニーに移住し、私と同様、安定した収入を得ていた日本人のなかでも、マイホーム買えなかった人は多いです。彼らは、いつか不動産バブルが弾けることを夢みながら、十何年も賃貸暮らしを続けています。

私はいち早く家買って、それが倍に値上がりしたので、空き担保ができて2軒目、3軒目の取得を、非常に少ない現金手出しで進めています。家買えなかった友人たちは、「あの時、買っておけば良かった」と後悔しつつも、最初の一軒が未だに買えないのです。シドニーはすでに倍に値上がってるから難易度もアップしています。

彼らが、なぜ家を買えなかったのか?私の観察によると、

1) 居住地のこだわりが強すぎた

昔も今も、在シドニー日本人の居住地は、シドニー湾北岸の閑静な住宅地「ノースショア」に集中しています。詳しくいうとChatswoodを中心とする半径5~6km圏内。Artarmon、Lane Cove、Neutral Bay、Willoughby、ファミリーならLindfield、Killaraあたりに集中しています。日本人学校や補習校、日本食材スーパーやレストランもこの地域に多く、日本人コミュニティが形成されています。富裕層の住地ゆえ環境も良く、東京でいう「城南地域」「東急沿線」みたいなカラーの地域です。

一方、私は日本人としてはちょっと変わっていて、ノースショア地域にマイホームを持つことに、全く興味ありませんでした。私は千葉県柏市生まれ、柏Loveな「首都圏の田舎者」なので、東急沿線みたいなハイソエリアは肌に合わない。シドニーでも柏みたいな便利で気取らない郊外の街に住みたいと思っていました。私が選んだのは、シドニー西方の衛星都市パラマタ(Parramatta)。日本人ほとんどいない地域ですが、街が発達して買い物も学校も病院も何でも便利。柏みたいに「都心に出なくても地元で一通り揃う」ライフスタイルが実現できました。

そして、今も昔も、ノースショアに比べてパラマタは不動産が安い。13年前のマイホーム購入時、私の出せる金額は40万ドル程度でしたが、ノースショアでは一部屋のアパート位しか買えません。でもパラマタなら、3部屋の土地つきタウンハウスが買えたのです(注、今ではいずれも70~80万ドルコース)。

一方、ノースショアに住んでた友人たちの多くは、ノースショアでの暮らし、マイホーム購入を望んでいました。それは当時でさえ、難しいことでした。ノースショアでまともな一戸建て、最低でも80万ドルはしました。必要な頭金は16万ドル、諸経費や印紙税込みで20万ドルは用意しなければなりません。さすがに、それを捻出できる日本人は少なかった。

であれば、住む地域を変えるか、どうしてもノースショアに住みたければ狭いアパートを買うしか選択肢がないわけです。でも、その踏ん切りもつかなかった人が多い。私がパラマタの我が家に日本人の友人を招待して、バーベキューやりながら「ここ住みやすいよ、40万ドルで土地付き買えるよ~」と話したりしましたが、当時の日本人コミュニティはパラマタを含むシドニー西部地域への偏見が強く、治安だの環境だの、いろんな不安要因を挙げて食わず嫌いをする人が多かった。「西部に住むと、他の日本人から馬鹿にされる」みたいな頭もあったのでしょう。地元オージーには人気の高い街なのにね…

2) 資産の置き場所と、居住地を別々にする発想がなかった

また、ノースショア在住か否かに関わらず、シドニーに住む日本人の多くに帰国願望があるようで、「シドニーは仮住まい、いつか日本へ帰る」と考える人が多く、それが不動産購入をためらわせる要因にもなっていたようです。

私は、「仮住まいであれば尚更、シドニーで場所こだわらずに、自分の財力で買える地域に家買って、誰かに貸せばいいじゃん」と思うのですが…将来、日本に帰国してしまえば、家がノースショアにあろうとパラマタにあろうと、結局同じような海外物件になるのですから。

そうした、居住地と不動産所在地を別々にする発想が、当時の日本人の仲間には乏しかった。だから、いつまで経っても家買えなかったのだと思います。

素敵な場所にマイホーム持ちたくても…

最初の物件は、それ以外の場所に持つことも視野に入れて考えよう

もし、あなたがいまシドニーに住んで、最初の不動産取得に苦しんでおられるのなら、思い切って、最初の不動産はブリスベンで買い、自分はシドニーで賃貸住まい
…という選択肢も十分検討に値するのではないでしょうか?

今、ブリスベンの不動産価格は、ざっくり、シドニーの半額の感があります。私が13年前、シドニーで不動産買った頃と、今のブリスベンの値段は大差ない。つまり、シドニーからブリスベンへ、都市を変えるだけで、実質上「13年前にタイムスリップして不動産購入、資産形成」ができる。

いまシドニーの人が大挙して、ブリスベンで投資物件買いに来てます。いまブリスベンで家買って、その不動産価格がシドニーに追いついてくるなら、その頃に相当な空き担保が生まれているはず。それを使ってリファイナンスして、ノースショアで一戸建て取得を狙うのも、一考に値すると思いますよ。

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ピュアホワイト高利回り物件@ブリスベン

おはようございますManachanです。4か月ぶりにオーストラリアの土を踏みました。昨日はゴールドコースト、今日からシドニーにいます。

昨日は多忙な一日でした。成田からの夜行到着直後の朝7時、ゴールドコースト空港でレンタカーを借り、まず、45㎞北上したサウスポート市で日本語堪能な現地弁護士と意見交換。次に、87㎞北西方に走り、ブリスベン西郊の新興住宅地Mountviewで物件視察。軽い昼食のあと、北へ長躯170㎞のドライブ、サンシャインコースト市での物件視察。休む間もなく、南へ222㎞離れたゴールドコースト空港まで移動、19時過ぎに車を返却した後、20時半のジェットスター便でシドニーに飛びました。なんと、525kmもドライブしてしまった…オーストラリアの移動距離は半端ないぜ。でも、是非見たかった物件を全部視察できて、とても有意義な一日でした。

今回の日記では、Mountviewの物件について紹介いたします。この物件はなんと、

私が先月、現地を見ずに買付入れた物件!(現在、融資審査中)
(※買付入れたのは写真の物件ではなく、同地域、同タイプで今年後半に建設予定の物件です)

国内、海外を問わず、現地を見ずに物件購入することを、私は自分自身に堅く禁じています。でも現実問題、なかなかそうも言ってられない。欲しい海外物件はどんどん出てくる上に、日本での仕事が忙しくなかなかタイムリーに出国できない。それに、今のオーストラリアは不動産マーケット過熱状態で、私が欲しくなるような優良物件はすぐ売り切れてしまうことも分かっています。

幸か不幸か、私は13年前からオーストラリアで不動産を買ってきています。馴染みのあるマーケットなので、今回「えいや!」で買付を入れてしまいました。その物件をいま、後付けで現地視察しているわけですが、

思ったより、良かった!ポジティブサプライズ♪

何が良いかというと、とにかく場所が良い。Mountviewは、ダイヤの原石のような、筋の良さそうな新興住宅地でした!

Mountviewはブリスベン中心地から西へ26㎞離れた新興住宅地。現在、鉄道駅、ショッピングセンター、学校(小中高)、病院が一体となった、ニュータウン型の街づくりをしている最中でした。5年も経てば立派な街に変貌を遂げるでしょう。

Mountviewは、利便性が良い。ブリスベン西方の2つの中堅都市、SpringfieldとIpswichに挟まれた位置にあり、どちらへも10~15分のドライブで到達できます。ブリスベンからの通勤鉄道がSpringfield(21㎞地点)まで開通しており、あと2駅、距離にして5㎞延伸されればMountview駅に到達します。2018年頃の開通予定だそうで、その暁には、乗車時間約45分でブリスベン中心地に到達できます。東京でいえば、吉祥寺と立川に挟まれた国分寺や小金井に相当するポジションですかね。

私が買付入れた物件は、Mountview駅予定地から徒歩で5分ほど、ショッピングセンターや小中学校にも歩いて10分かからず、生活者・通勤者視点でとても便利です。

駅前を数年かけて総合的に開発する計画

看板のあるあたりが、ショッピングセンター出店予定地、その左隣が新駅予定地

既存の戸建住宅と区画整理された空き地が入り混じる風景。浦和美園駅みたいだ…

また、この物件は間取りがユニークです。約270㎡の土地に、3ベッドルームのファミリー向けの戸建と、1ベッドルームの単身・カップル向けの戸建が建つ。その2戸から家賃収入を得ることにより、通常の戸建賃貸を超える利回りを出す…というコンセプトの物件。

Mountview周辺はここ5年ほど、年率10%近い人口増加が続いており、非常に賃貸需要の強いエリア。2戸貸すと、550~570ドルの週家賃が期待できる。土地+2戸あわせた分譲価格は399,900ドルなので、低い方の家賃で見積もっても、

550ドル x 52週 ÷ 399,900 = グロス利回り7.15%

この数字、全物件の平均利回りが4%程度のオーストラリアでは破格です。この国ではグロス5.5%を超えれば相当高い印象ですが、7%超えはあり得ない数字。

日本で7%台というのは珍しくないでしょうが、オーストラリアは「国全体の空室率2%以下」、「オーナー権限が強く家賃を年々上げられる」、「保有時の税金が安い」、「値上がり期待が大きくキャピタルゲイン税もほぼかからない」ことを考えると、感覚的には首都圏で12%以上の新築お宝物件をゲットするのに近い。

また、私がこの場所を「筋が良い」と感じる理由は、「属性の良い白人(ピュアホワイト)ファミリーがたくさん住みそう」だからです。

オーストラリアで10年以上、大家をやって、自分の家を白人にも中国人にも、インド人にもアラブ人にも貸したことのある私の経験からいうと、

属性の良い白人は、賃借人としては最高のブランド

です。とにかく、彼らは家と街を大事にする、修理スキルが高く家の不具合をチョコチョコ直してしまう、時には、庭を素晴らしいガーデンに変えて資産価値をアップしてくれる!

同じ白人でも貧乏で粗暴なとんでもない連中もいますが、ちゃんとした教育を受けて安定した仕事のある、英語ネイティブのアングロサクソン白人は、お世辞ではなく本当の文明人だと思うし、賃借人としては最高水準。

私も大家として本音をいうと、賃借人の優先順位は「アングロ白人」、「日本人&韓国人&台湾人」、「中国大陸人」、「インド人」、「アラブ人」の順になります。

経験上、オーストラリアの街で比較的裕福なピュアホワイト(白人)がたくさん住む場合、景観が美しく保たれる確率が高い。

また、彼らは概して、異民族がたくさん住んでいるコミュニティを敬遠します。アラビア文字の看板が出るなど、エスニック色が強すぎて白人が敬遠する地域は、構造的に不動産価格が上がりにくい。

その点、Mountviewの場合、これから開発される地域だし、周辺のサバーブを見渡しても見渡す限り白人の世界。私がここ買っても、賃借人層として想定されるのが「まともな白人」なので、これはオーストラリアの不動産投資として、私の大変好むパターンになります。

この物件を紹介するセミナーを、今年後半に企画したいと思います。それ以前に詳細情報を知りたい方は、アジア太平洋大家の会のお問い合わせフォームでご連絡ください。

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タイと日本の文化的距離

おはようございます。Manachanです。いまオーストラリア・ゴールドコーストの空港にいます。

よく考えたら、ここ半月以上、海外ねたのブログしか書いてないですねえ。それでも、一日2000程度のアクセス「不動産ブログランキング」でも20位前後をキープしているようで、海外記事だけでも何とかなるもんですね。今回も懲りずに海外ねた。先週まで滞在した「タイ」ねたで書きます。

「タイ」はアジアのなかで、日本人に好感度の高い国名のようです。「旅行先」としても「ロングステイ先」としても、常にランキング上位の人気国。

物価は安い、食べ物は安くて豊富、バンコクあたりだとコンビニもデパートも多くて生活便利…あたりの理由が大きいのでしょうが、「タイ人の穏やかさやマナーの良さ」も、好感度を高める要因の一つだと思います。

・タイ人は、公衆の面前で激怒することが少ないし、
・列にちゃんと並ぶし、
・手をあわせて挨拶するし、

タイ人のこういう面が、日本人と(表面的には)感覚が近くて好感持てるのでしょう。人前で感情をあらわにしたり、大声で怒鳴ったりすることに寛容な国もありますが、タイ人も日本人も、そういう行為を嫌いますもんね。

一方、タイ人からみて日本もイメージの良い国名の一つです。マナーの良さ、清潔さに加えて、日本の食文化やファッション、ポップカルチャーもタイ人には魅力が高い。来日するタイ人観光客の数もうなぎのぼりで増えています。

そして、バンコクに星の数ほどあるショッピングセンターのフードコートは日本食だらけです。まるで「タイ人が日本のメシを食いにくる所」として定着しているかのよう。

とはいえ、タイと日本の文化慣習、違いもそれなりに大きいと思います。私、バンコク滞在で驚いたのは、

満員の電車(BTS)に座っていた50歳くらいの女性が、10歳くらいの女の子に席をゆずっていたこと。

その風景をみた数日後、タイ語クラスの副読本でも同じ話題が出ていました。タイ社会では子供に席を譲るのは当たり前のようです。もちろん、席を譲る対象には高齢者や妊婦、身体の不自由な人も含まれますが、日本人の感覚では、10歳くらいの元気な子供に席を譲るのはヘン、という気がします。

あと、同じ副読本で、こんなことが書いてありました。

・タイでは、子供が電車内で騒いでもいたずらしても、多くの人は気にしない。日本の大人は他人に迷惑かけないよう子供を叱ることが多いが、タイ人の間では滅多にない。

ところで、私は子供が電車内で行儀悪くしてもあまり気にしないし、どちらかといえば「お友達」感覚で「一緒に遊ぶ」ようなタイプ(そもそも人目が気にならないし…)。どちらかといえば妻の方が細かいこと気にするし、行儀に煩いところがあるし…家庭内では私がタイ人、妻が日本人みたいなもんですかね。

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バンコク塩漬け物件の救済策

おはようございます。Manachanです。いま、パタヤの「海のみえるコンドミニアム」のプール前でPC広げて作業してます。

平日に海外リゾートで仕事、「憧れのプレミアム・ノマドワーカー」みたいですが…ゴージャスなのは今日だけです~。明日はバンコクの安ホテルに戻ります。

ところで、昨日書いた「バンコクの 買って良い駅 だめな駅」(5-7-5で川柳みたいなタイトルだな…)、大きな反響がありました。

海外で不動産投資するにも、日本国内の不動産選びと同様、「業者トークの鵜呑み」は厳禁。確度の高い情報を集めて、駅力、地域力、物件力を分析した上で投資判断すべきだ、というのが私の主張であり、それ自体に異論のある方は少ないと思いますが、

そうやって整理していくと、必然的に、「ダメ出し」せざるを得ない地域や物件が出てきます。私のブログで「公開ダメ出し」された物件をお持ちの方もおられることでしょう。

私は、嘘はつきたくありませんが、一方で、「言いっ放し」もしたくありません。海外不動産投資の分野では、それなりに影響力あるブロガーとしての、社会的責任もあると思いますので…そこで、

・私が「良い」と思う物件の収益向上策

・私が「ダメ」だと思う物件のリカバリー策(入居づけ、転売サポート等)

を展開していきたいと思います。いま私はバンコクやパタヤで、日々、いろんな方々と会い、日本の投資家をサポートするネットワークを構築しつつあります。

その方針が、何となく見えてきましたので、皆様にお伝えします。

1)競争力の高い物件や地域では、Air BnBを使った高収益運営を目指す。

このモデルをやるには、「日本語が通じてAirBnB運営のできる現地管理会社」が不可欠です。バンコクの場合、現時点ではスクンビット沿線(アソーク~オンヌット間)か、北方面では「ラマ9」あたりまでの、Studio、1ベッド、2ベッドの物件をお持ちの方が対象となると思います。

また、パタヤでコンドミニアムお持ちの方も多いと思います。観光地という土地柄、通常賃貸は一般論として難度が高いですが、観光客の短期滞在ニーズは非常に高い都市ですので、Air BnBとの親和性が特に高い地域と思います。当地でもAir BnB運営の可能性も、現地管理会社と共に探っているところです。

現在、バンコクAir BnB経営のモデルケースとして、ラマ9エリアのコンドミニアムの数室をAir BnBで運営して、収益データをモニターしているところです。9月には東京でセミナー開催して皆様にお伝えできると思います。楽しみにしていてくださいね。

2)競争力の低い物件や地域では、現地パートナーを使った調査、無料広告からリカバリー策を探る

私が前回の日記でダメ出しした「BTSベーリン駅以遠の激安コンドミニアム」等、競争力の低い物件を塩漬けにせず、安くてもちゃんと賃貸をつけるためにはどうすればよいか?現地の有志と意見交換しながら、いろいろ知恵を絞っています。いま考えているのは、

1)同地域で、入居づけに困っている物件を、5室以上集める。

2)オンヌット地域に拠点のある、業歴の長いタイの不動産管理会社に直接、客づけ交渉する。同時に、現地のタイ人が読むような無料の広告をいくつか出す(有料広告もあるが、こちらは別途負担)

3)その管理会社にタイ人の入居者をつけてもらう。

この場合、二つの条件があります。

☆ 上記のモデルでやれる可能性があるかどうか、現地の日本人パートナーに有料で調査してもらいます。一人3000バーツでOK。

☆ 賃料水準で高望みは厳禁。「月額15000バーツ以上でないと利回り取れないからダメ」みたいなことを言うと、そもそも話が進みません。月額8000バーツでも7000バーツでも良いから早く入居つけて下さいと言って、あとはタイ人の管理会社に働いてもらいましょう。

バンコクやパタヤで、すでに完成した物件をお持ちで、入居づけに困っている方や、Air BnB運営に興味のある方は、アジア太平洋大家の会事務局にメールをいただければ、私Manachanが相談に乗ります。

daihyo◎asia-pacifi.tv

(◎をアットマークに変えてご送信ください)

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お嬢様の街アーリーの実力

おはようございます。Manachanです。バンコク出張もすでに1週間が経過しました。今回は、バンコクで不動産投資するなら是非知っておいて欲しい街「アーリー」(Ari)について書きます。

バンコクは東南アジアを代表する国際都市。世界中から来た人々が、それぞれ思い思いのスタイルで暮らしています。日本人の場合は、バンコク中心部~東部のスクンビット通り沿い(特にソイ23と63の間)に何万人単位で集まって住んでいます。ここで暮らしていれば、タイ語はおろか、英語が不自由でも、日本語だけで満足に暮らせる環境が一通り整っています。

バンコクで営業する日系の不動産屋は30社以上ありますが、その多くはスクンビット通り沿いの物件を中心に取り扱っているようです。主にバンコク在住日本人を相手にする商売なので、どうしてもそうなりますよね。

とはいえ、不動産投資家の立場からいえば、「狭いスクンビットから飛び出して、広いバンコクの各地を歩き、地域属性やマーケットを理解しておく」ことは必要。なぜなら、


・バンコク不動産の売買・賃貸マーケットの圧倒的大部分を占めるのは、タイ人。日本人マーケットは全体のごく一部に過ぎない。

・したがって、タイ人視点で住宅地として評価の高いエリアや、そこの地域相場を事実として知っておく必要がある。

いまのバンコクの状況を東京にたとえれば…日本語の読み書きが不自由な外国人が、「湾岸ベイエリア」に集結して、独自の経済圏を形成しているような感じですが、じゃあ、東京で不動産投資するにあたって、湾岸ベイエリアの不動産だけ知っていれば良いのかというと、それは違うと思います。

不動産業者はそれで良いかもしれませんが、投資家としては、東京の他地域の不動産相場も知った上で判断しないと危険だと思います。

今、タイでは、日本人駐在員の多い地方工業都市「シラチャー」のコンドミニアムを、日本人がたくさん買ってますが、この場所は、タイ人からみれば全然評価が高くない(=日本人にしか出口が取れない)ことと、観光価値もない(=AirBnB等を使って高利回りを出すことも期待しにくい)。このことを理解せずに買うのは危険だと私は思います。

バンコクに話を戻しますと、地元のタイ人が良い住宅地として高く評価しているエリアは、都心からみて北側に多い。BTSの駅でいうと、都心のサイアムから北へ5駅目の「アーリー」、6駅目の「サパーンクワイ」、7駅目の「モーチット」あたりかと思います。中でも「アーリー」は富裕層に人気絶大の街。

私も「アーリー」界隈を歩いてみて、その実力がよく分かりました。

アーリー駅前は戸建と、スタイリッシュな集合住宅が多い

アーリー駅前のショッピングセンター、おしゃれで地元感満載

「ヴィレッジ」スタイルといいますか…アーリーにはこじんまりとした高級店が多いんですね。広域から集客せず、地元の金持ちだけ相手にしているような店が。

北隣の「サパーンクワイ駅」も良いんですが、Big Cなど、比較的安いスーパーがある時点で、アーリーより地域属性が1ランク落ちる感じがします。

アーリーは外国人比率が高くないようで、基本的にタイ語の世界。ここで建設中のコンドミニアムもタイ語表記のみ。タイ人しか相手にしなくても商売が成り立つようです。逆に外国人からすると「言葉の壁」を感じるエリアですね。電車があるので十分住めますけど…。

アーリー駅周辺のコンドミニアムは、タイ人の相場なので賃料もリセール価格もそう高くありません。小奇麗な築浅コンドの1ベッド(30㎡台)で、月額1万バーツ、買っても300万バーツ以下とかがあり、日本人が多いスクンビット界隈よりは安い感じです。もっとも、1万バーツの価格帯だとほとんど空きがありませんでした。

アーリー駅近のコンドミニアム、英語表記ゼロ。

パホンヨーティン通りを西側に入り、Soi11やSoi9あたりを歩くと、アーリーの本当の実力が分かります。緑陰の濃い、道幅の広い街路。敷地面積の広い戸建中心の良質住宅地が広がります。

ここを歩くと、「スクンビットが貧相に見えてしまう」位のグレード感を感じます。いかにも、お金持ちのお嬢様がたくさん居そうな感じなのです。

アーリー西側…緑の濃い、閑静な良質住宅地

この界隈にはタイ人富裕層向けの高級コンドミニアムがいくつか建っています。賃貸にまわることも少なく、基本的にはタイ人の金持ちが大き目の部屋を買って自分で住む感じ。その典型例がSoi11にあるLe Monaco Residence

エントランスには、なんと、熱帯魚の巨大水槽!

1ベッドでも最低80平米。一部屋しか賃貸に出ておらず、賃料は月額4万5千バーツとのこと。スクンビット中心地のH CONDOあたりよりは安い。圧倒的にタイ人の世界ですが、西洋人の富裕層も多少いるのか、ちゃんと英語が通じました。

コンドミニアムからの眺望…とにかく緑が多い、庭広い。

昨日の夜は、アーリーの界隈で生まれ育ったタイ人のお嬢様と楽しいお食事をしました。顔写真は公表できませんがとにかく美人で、英語も堪能。いかにも上流階層な、育ちの良さを感じます。

彼女の話を聞いていると、「アーリーこそ、バンコクで一番素敵な場所」、「スクンビット、シーロム、ラチャダーなど外国人の多い場所は眼中にない」…そんな世界観が垣間みえます。東京でいえば、城南や目白のお屋敷街で育ったお嬢さんが、新興のベイエリアには全然興味ない、みたいな感じでしょうか。

私も、もし自分がバンコクで生まれ育ち、タイ語ネイティブだったなら同じように感じるんだろうなあ…それだけの実力、気品、生活水準の高さを感じる「お嬢の街アーリー」のお話でした。

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バンコクで不動産セミナーに参加

おはようございます。Manachanです。バンコク5日目の朝を迎えました。

昨日は、「タイにおける実質的な不動産協会」、「業界のオピニオンリーダー的」存在であるAREA社主催の不動産セミナーに、一日中参加していました。

昨日は夜12時過ぎまで、情報整理の作業をしていました。セミナーでいただいた分厚い資料2冊、ほとんどがタイ語で書かれ、時々英語が混じる感じなので、4時間にわたる長丁場セミナーで取ったメモと、私の乏しいタイ語知識をフル動員してのデータ整理…当然、時間がかかりました。

でも、素晴らしく有意義でしたよ。

・バンコク在住日本人・日系業者の通常の生活圏・行動範囲をはるかに超えた、バンコク首都圏全体の不動産市況について、全体的な理解が得られた。

・業界のプロが参加するようなセミナーに、投資家の立場で参加して、同じレベルの情報を知りうる意義も大きい。

私が夜12時過ぎまで、Wordにまとめたメモは15ページを超えます。とても、ブログで紹介できる分量ではないし、またバンコクのいろんなエリアの地名やデベロッパー名が出てきて分かりにくいと思うので、全体的な概要だけ書きますね。

・バンコク首都圏(バンコク市+郊外のノンタブリー市、サムットプラカーン市、パトゥムターニー市)の人口は横ばい。

・バンコク市の人口は減少傾向、郊外3市の人口は増加傾向。

・但し一世帯あたりの人数が4人台から3人台へと減っているので、世帯数は増加傾向。当然、住宅需要も件数ベースで上昇傾向。

・全体的な傾向として、戸建、タウンハウスからコンドミニアムへの移行過程にある。物件数ベースでも金額ベースでも、首都圏全体の6割近くをコンドミニアムが占める。

・戸建、タウンハウスの乏しいエリアはいくつか存在するが、コンドミニアムは基本、どのエリアにもある。都心部では高額帯、郊外部では低額帯のコンド供給が多い。

・バンコク首都圏全体でみて、住宅販売価格のボリュームゾーンは200~300万バーツ(720~1080万円)。

・直近では、100万バーツ台の庶民向け低額コンドと、500万バーツ以上の高級コンドの供給が増えている。

・住宅の売れ行きという意味での足元の市況は、決して芳しいとはいえないが、不景気の時代(2009~11リーマン後、洪水時)よりは少しマシ。

・バンコク首都圏では通勤鉄道路線が急ピッチで建設中であり、特にパープルライン沿線など、都心アクセスが改善するエリアもいくつか存在する。コンドミニアムが大量供給されている。

・不動産成約価格は、上昇エリアが20%台、下落エリアが10%台、横ばいが60%台。平均では年率3~5%で上昇中。

思ったこと、

・今のバンコク圏は、昭和50~55年あたりの東京首都圏の状況にそっくり(鉄道路線整備と郊外部でのマンション大量供給、高度成長を過ぎて成熟化に向かうなかでの住まい方の都市化、集合住宅への流れ、少人数世帯の増加等)

そういったマーケットの全体像を把握した上で、確かな投資判断をしていきたいと思います。

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