2014年 7月 の投稿一覧

タイは「日本」だった…

おはようございます、Manachanです。昨晩、タイ北部の街・チェンマイに到着しました。今、ホテルでくつろいでいます。

昨日の午後5時までは、カンボジアの首都プノンペンにいました。旧仏領植民地、今日でもフランス文化の残り香を感じるこの街での滞在は、ある意味、「夢見心地」の要素がありました。

前回の日記でも書きましたが、プノンペン市街地はフランス風に都市計画され、アジア新興国とは思えないほど豊かな街路樹が整然と配置され、建物の高さ、屋根瓦の色もほぼ統一され、商業看板の類はほとんど見られない。市民の足「トゥクトゥク」(幌付きバイクタクシー)の色もデザインも街の風景に自然と調和し、観光地区には欧風のテラスハウスが並び、バルコニーの手すりにさりげなくレリーフが施されてとってもオシャレ♪

「この街は、ヨーロッパじゃん!」と思いました。ヨーロッパの街に、東南アジア人が暮らしている不思議空間…それがプノンペンでした。

プノンペンから、わずか1時間10分の空の旅。隣国・タイの首都バンコクに着くと、風景が一変します。

機内から見下ろすバンコクは、まぎれもなく大都会でした。高層ビルがボコボコ林立する地区がいくつもあり、高速道路が縦横無尽に走り、郊外まで、市街地・住宅地がずーっと続いています。まるで東京のよう。

ドンムアン空港に下りたち、外に出ると、「夢見心地」が一気に吹っ飛び、「現実」に引き戻されました。

「ここは、日本じゃん!」

一般道路の上に高架の高速道路!その風景が、ドンムアン空港からバンコク市街地までずーっと続きます。まるで「東京湾岸の国道357号線」のよう。プノンペンには、高架の道路など一つもなかったのに…

バンコクでは、地元の友人に空港近くのレストランに連れていってもらいました。この辺は、大都市バンコクの郊外エリア。どうみても「埼玉県内、新4号バイパスの杉戸・幸手近辺」みたいな沿道風景が続く。プノンペンでは見ない「商業広告」の類は、タイにはうなるほどある。コンビ二だって、「セブンイレブン」「ファミリーマート」の嵐。密度も日本の都市部とほぼ同じ。

間もなく、レストランに到着。広い駐車スペースに車がびっしり停まり、どうみても、「埼玉ロードサイドのファミリーレストラン」ふう。そうそう、タイは東南アジアでは珍しく、日本と同じ左側通行、右ハンドルの国で、それも「日本」を感じさせる一因であるのかも…

バンコクの楽しい食事の後、国内線で一路、北へ。700㎞離れた地方都市・チェンマイに入る。この街の風景も、笑っちゃうほど、日本チック。空港から片側2~3車線の道路をしばらく走って市街地に入り、そこから片側1車線の横道に入ってホテルに着きましたが、この辺は、「千葉市の駅前通りから栄町の路地に入る」ところにそっくり!

ホテルにチェックインして、TVをつけると、タイのバラエティ番組がわんさかあって…テロップが出て、サクラの笑い声が出て、ほとんど日本の民放バラエティじゃん!(余談ですが、カンボジアでは自国製のTV番組がロクにないので、ホテルのTVで見てたのはCNNの英語ニュースばかりでした)。

あと、バンコクでもチェンマイでも、タイ女子の茶髪率は日本女子とほぼ同じ感じ。チェンマイあたりだと肌色も日本女子と変わらないから、見た目ではマジで区別がつかんぞ!ただ、太腿の細さだけは、さすがに東南アジアの人だなあと思いますが…

そんな感じで、道路から車からTV番組から女の子に至るまで、万事、とても日本っぽいのがタイなのでした…

生活実感が近い分、日本人には、間違いなく住みやすい国なのだと思います。

【コンビニ、ATM、三面張りの川、バラエティ番組・・良くも悪くも、日本を感じさせるタイ・チェンマイの街】

href=”http://stat.ameba.jp/user_images/20140730/10/manachan2150/c6/70/j/o0640047813018743055.jpg”>

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アジア一美しい街にて…

おはようございます。Manachanです。

カンボジアの首都プノンペンは、穏やかな朝を迎えています。この街を潤す、トンレサップ河と、その向こうのメコン河を眺めながら、ゆったり寛いでいます。

プノンペンは、美しい街です。

散策が、楽しい街です。

プノンペンの美しさが、日本ではあまり知られていないのが残念です。カンボジアといえば、未だに「地雷があるんじゃないか」とか「貧しい子供たちのために学校建ててあげる」みたいな話ばっかりで…

地雷も、学校いけない子供たちも…カンボジアの田舎での話。首都プノンペンは別世界。ものすごく経済発展して、高層ビルも各国レストランもたくさんあります。

そして何より、プノンペンは、フランスの植民地支配下で、しっかり都市計画された街。その均整の取れた美しさが、今日も保たれている街です。アジア圏では珍しい、「ヨーロッパふうの街」。

だから、「プノンペンを訪れる人は、たいてい、この街が好きになる。特に女性に人気が高い」のです。

プノンペンの空港に降り立って、市内中心部に向かうと、

・建物の高さが揃っている

・屋根の色が、赤で統一されている

・看板もほとんどない

・とにかく緑が多い。街路樹や公園が豊富。

カンボジアの近隣都市、例えばバンコクは高層ビル&高速道路ジャングルの如きだし、マニラではトタン屋根のバラック小屋みたいなのがたくさんある。しかし、プノンペンではそういうものがほぼ見られない。

何というか・・・街の美観に対するセンスがとてもイイんですね。やっぱ、フランス人って賢いな。そして、フランスがつくった美しい街を、激しい経済成長のなかでもちゃんと維持しているカンボジア人も賢いと思う。

日本の都市にも、美しい場所はたくさんあります。京都の祇園や鴨川べり、東京の丸の内仲通り、仙台の青葉通、倉敷の美観地区…

ただ、都市全体のなかで、ピンポイントで美しい場所があるだけの話ですね。京都でさえ、ビルから見下ろす景色はいたって平凡です。

しかしプノンペンは、街全体が調和とれて、美しいんです。

プノンペンの街を歩いていると、軽い敗北感さえ覚えます。

・なんで、同じアジア人なのに、彼らはこんなに美しい街を維持できるんだろう?

・我々日本人が、カンボジアの100倍以上の経済規模を持っているのに、プノンペンのような美しい街の一つもつくり出せないのはなぜなのだろう?

また、私は仕事柄、海外不動産視察ツアーをよくやりますが、

プノンペンの場合、街の美しさが最大の武器だよなあ。

街を歩いただけで、物件買っちゃうよなあ。

是非、アジアで一番美しく、センスあふれる欧風の街プノンペンに来てみてくださいね。

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ベトナム380円ヘアカット

おはようございます。Manachanです。

いま、私がいるのは、ベトナム最大の都市・ホーチミン(サイゴン)の中心部にある、「ベンタイン市場」(Ben Thanh Market)。ここは「東京の築地市場」に似た、活気あふれる観光名所です。

市場のすぐそばに、ベトナム語しか通じない、小さな理髪店がありました。

とにかくバイク、バイク、バイクの嵐、ホーチミン。道路を渡るのも命がけ(?)だったりしますが

こちとら髪の毛が伸びきって、暑苦しくて仕方ないので、ひとつ切ってもらおうと…

お店に入っても、価格表はない。身振りをまじえて「散髪の値段」を聞いたところ、お店の女性が、おもむろに財布を取り出して、「5万ドン札」と「2万ドン札」と「1万ドン札」を出してきた…「5+2+1=8、そうか8万ドンか!」と理解し、商談成立。

散髪代8万ドンは、日本円にして、380円くらいですね。

・昨年、カンボジアで散髪して、125円だった
・同じ年に、マレーシアで散髪して、460円だった

ま、ベトナムで380円なら、そんなもんかと思い、納得。散髪台に座る。キティちゃんのスマホを取り出して、記念撮影っ。

私が座ると、とってもスパイキーでファンキーなヘアをしたお兄ちゃんが、バリカンと鋏で、切ってくれました。終わったら、かなりサッパリしましたね。

おまけ)ホーチミンの朝の風景を、いくつか。

【バスターミナル】

【ベンタイン市場内】
とにかく、食い物、食い物、食い物の嵐…美味しくて、いい国ですね。

【いま流行りのネイルサロン】

「死んだスキン…」という日本語が、おちゃめですね。

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東南アジアの顔

こんばんは、Manachanです。いまフィリピンでの仕事を終え、マニラから、飛行機で一気にベトナムのホーチミンまで移動するところです。

ベトナムの後は、カンボジア、タイ、ミャンマー、マレーシアを歴訪します。東南アジアは、気楽でイイですね。どの国に行っても、私はルックス的に、現地の人間に自然に同化してしまうので、アウェイ感を感じないで済む。

フィリピンに行くと、地元のフィリピン人だと思われるし…

カンボジアに行くと、地元のカンボジア人だと思われるし…

マレーシアに行くと、マレーシア華人肉体労働者だと思われるし…

地球上の人類を、見た目で分類すると、「白人(欧米人)」、「黒人(アフリカ人)」、「黄色人種(アジア人)」の三タイプに分かれると、よく言われますが、その通説は、最新の遺伝子解析の知見から、否定されつつあるそうです。要は、外見は同じアジア人に見えても遺伝的には、それよりずっと細かく分かれると…

しかし、人間の遺伝子を肉眼で見ることは当然できないので、結局、「見た目」で判断せざるを得ない。で、その文脈でいうと、

いわゆる「アジア人」を、あえて分類すれば、二グループに分かれると思う

・「北東アジア人」(North East Asians:中国、韓国、日本、モンゴル等)、
・「東南アジア人」(South East Asians:インドシナ半島、マレー半島、インドネシア、フィリピン等)

日本に住む、東南アジア出身者も、フィリピン人を筆頭に、都市部では結構な数いますね。たとえば東京下町では、親のどちらか一方がフィリピン人という児童が、クラスに数名いるのが当たり前。

彼らは「同じアジア人」でも、「日本人とは違う、一目で外国人だと分かる」ことが多い。しかしそれは、私たちが普段、アジア人を見慣れているから分かるわけで、

普段、白人ばっかり見ているヨーロッパの人や、黒人ばっかり見ているアフリカ人の目には、「北東アジア人」と「東南アジア人」は、たぶん同じに見えるでしょう。その微妙な違いを見分ける方法は、

・肌の色 (東南アジア人の方が、肌の色がやや濃い)
・骨格 (東南アジア人の方が、骨格が概して華奢で、足や太腿などが細い)

この二つしかないでしょうね。肌色といっても、東南アジア人で、平均的な日本人と同じ位、色白な人間は相当数いるし、また日本人でも比較的色黒な人は、少し日焼けすればすぐに、平均的な東南アジア人位の肌色にはなってしまうわけで、すぐに見分けがつかないことも多い。

彼女たちが、東南アジア女性の平均的な肌色と思われますが…

日本人と区別がつかないほど、色白な娘も少なくない(写真はフィリピン人)

そんな東南アジア各国で、人々の顔を、よく観察してみると、地域毎に微妙な違いがあるように思います。

1)島嶼系東南アジア人(フィリピン人、マレー人、インドネシア人、台湾原住民等) 

浅褐色の肌を持ち、日本人が思い浮かべる「南洋の人」に一番近いタイプ。ミクロネシアやハワイの島民に酷似。中国人にはあまり似ていない。

2)インドシナ系東南アジア人(タイ人、カンボジア人、ラオス人、ベトナム人-南部 等)

島嶼系東南アジア人とよく似ていて、肌色も大差ないが、外見的な特徴がもう少し、中国人に近くなる。

3)ミャンマー系東南アジア人

タイ人等に似ているが、中国人に加えインド人の特徴が混じり、ややエキゾチックな顔も時々みられる。

また、ハノイなどベトナム北部の人や、ミャンマーやタイ北部の山岳少数民族など、中国との国境近くに住む人々は、肌色がさらに白く、「北東アジア人」の特徴が出てくる。つまり中国人や日本人に似てくる。

あと、「沖縄」もアジアのなかでは面白いところで、県民の約3分の2は、日本本土と同じく「北東アジア人」的で、残りの3分の1ほどは、島嶼系東南アジア人(フィリピン人等)に近い特色を持っているように見えます。

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出国します

おはようございます。Manachanです。

いま、成田空港でフィリピン・マニラへの搭乗を待っています。9泊10日、東南アジア6か国弾丸出張のスタートです。

7/24-26  フィリピン(マニラ、セブ)
7/27   ベトナム(ホーチミン)
7/27-29  カンボジア(プノンペン)
7/29-31  タイ(チェンマイ)
7/31-8/1  ミャンマー(ヤンゴン)
8/2    マレーシア(ジョホールバル)

出国しても、私の仕事は基本的に変わりません。PCとネット環境さえあれば、世界中どこでも、都市部なら同じ仕事ができます。携帯電話も日本の番号で通じますし(ただ、通話料安くするため、別の番号からコールバックすると思いますが・・・)

ま、日本に比べるとネット環境悪くて仕事はかどらないとか、新興国の首都は道路の渋滞がすごくて予定通りいかないとか、細かい問題はいろいろありますが…ま、基本はどこでも一緒。

カンボジアみたいに、日本よりFree WiFiがそこら中にあって、安価で利用できる素晴らしい国もありますしね。

日本で働く友人たちのなかには、海外に出るのは、ましてや海外で仕事するのは大変なことだと考える人がいます。

「鈴木さん。海外行かれるんですか・・大変ですね。」

(大変だと、思ったことはないけれど…)

「海外でも、メールみたりできますか?」

(ええ、メールとFacebookくらいは、バリバリ、見れますけど・・・)

ですが、彼らとのコミュニケーションの方便として、「海外はすごく大変」だと、思わせた方がいいのかもしれない。そしたら、いろいろと同情してもらえたり、契約資料づくりとか手加減してもらえたりして…

では、行ってまいります。

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福島を敵に回した反原発(2014年夏・福島紀行最終回)

こんばんは、Manachanです。福島旅行から、無事、東京に帰ってきました。楽しかった~。

今回の日記は、福島のいまを語る上で欠かせないトピック「反原発運動」…私、彼らに対しては極めて辛辣な口調になりますが、戦後日本の歴史のなかで、かくも愚劣で、多くの人々を失望させた社会運動があったでしょうか?

その評価・総括は、後世の歴史学者に、やってもらうとして、現時点での私の問題意識は、

・なぜ、日本の反原発運動は、福島原発事故という絶好の「ネタ」がありながら、支持を広げていけなかったのだろう?

・なぜ彼らは、原発事故で一番苦しんでいる福島の人々を味方につけられなかったのだろう?

・なぜ彼らは、福島に住んでいる人々の心を傷つける言動(ヘイトスピーチ)を、いつまで経ってもやめられなかったのだろう?

一言でいうと、震災後の反原発運動は「不安」をネタに勢力拡大しようとして、いつまでもそのスタイルに固執した。それが決定的な間違いだったと思います。

仮面ライダー(ウィザード)にたとえれば、要は「ファントム」みたいな運動だったんですね。

「仮面ライダーウィザード」に出てくる「ファントム」っていう怪人は、なかなか興味深い存在ですよ。

ファントムとは:『ウィザード』に登場する魔物の集団、及び人間の精神世界「アンダーワールド」に巣食う魔物の総称。高い魔力を持つ「ゲート」と呼ばれる人間が絶望した瞬間、その者のアンダーワールドから浸食し、ゲートの内側から破壊する事で現実世界に出没する。

ファントムは、私たちの誰もが心の奥底に持っている「絶望」を養分にして、現実世界に出没して、仲間を増やそうとします。

この「絶望」を、「自分では解決不可能な不安」と読み替えても良いでしょう。あの原発事故で、東北や関東の多くの人が、いくばくかの放射線被曝した。それがきっかけで、「健康上の不安」を抱える人が増えた。

不安には、もちろん個人差があります。安全と安心は違うし、危険と不安も違う。私の場合、不安はわずか数週間で解消しました。3月21日に放射性セシウムを含んだ雨が関東に降り、私の故郷・柏エリアを中心に、線量が上がりました。でも、ウェブで勉強して、「あ、何だ、こんな程度。全然問題ないじゃん」と思った。

一方で、いくら客観的な数値を出して、丁寧に説明しても、不安が消えない人はいる。それが長引けば、「絶望」に変わる。ファントムに乗っ取られてしまう…

要は人生哲学の問題でしょうね。私、この世はリスクだらけと思ってます。リスクゼロも、100%の安心も、絶対無理。だから、「リスクを定量化して、他と比較して、どこまでなら許容する」アプローチをとる。その結果、「大丈夫。関東はもちろん、福島県の原発近くに行っても問題ない」という結論に至った。

一方で、「100%の安心」を求める人もいます。そういえばゼロ・ベクレル運動とかあったよねえ。地球上に生きる限り、ゼロは実現不可能なのに…そういうレベルを求めちゃうと、生きにくいよねえ。

東北・関東、そして日本に住む誰もが、安心と不安の狭間で、自分の答えを見つけようとしていたあの頃…反原発運動に関わったリーダーたちは、リスクを定量化・比較するより、「不安」側に寄り添う選択をしました。そこには、彼らなりの正義感と思い込みが働いていたのでしょう。すなわち、

・原発は絶対に悪。再稼働は許してはならない。

・原発が悪だというためには、放射能も危険でなければならない。

・放射能は微量でも超危険だから、福島原発事故に起因する放射能被害が必ず出るはずで、それを強調しなければならない。

そういう脳内概念操作によって、「危険」や「健康不安」を強調する言説ばかりが目立ってしまった。しかし、いま思えば、これは「勝ち目のない」論陣だった。なぜなら、

・原発の状態が落ち着き、2011年3月のような、放射性物質の大規模なフォールアウトは起こらなかった。

・地上に降った放射性セシウムが崩壊するので、空間線量はどんどん下がっていく。

・さらに、4月末までに、原発20㎞圏や高線量地域からは人々がおおむね避難し、農産物の出荷も制限されたので、福島県を含めて、放射線量による健康被害が出る可能性は非常に低くなった。

科学的・定量的に考えるなら、反原発運動のリーダーたちは、ここで戦略転換しても良かったはず。つまり、

「放射能健康被害は、福島県でさえも、たぶん出ない」ことにヤマを張って、原子力災害による故郷消失の不条理や反社会性などに、政府攻撃の焦点を絞れば良かった。

そりゃそうでしょう。浪江町とか飯舘村とか、自分の町で原発誘致してないのに、放射能で避難させられ、暮らしを奪われたんだから、世の中、こんな不条理はない。そこを上手に強調すれば、日本中の多くの人が、いや政府・東電でさえ納得してたはず。

そして、暮らしを奪われた気の毒な人たちが、他所に移住するもよし、故郷に帰るも良し、放射線と賢く付き合いながら、それぞれの人生を全うすることを、物心両面からサポートすべきだった。そうすれば、反原発派は日本国民の味方であり続けることができたはず。

しかし、なぜか分からないが、反原発勢力は、いつまでも「放射能による健康被害」の強調をやめなかった。過剰なほど放射能不安を煽り、ファントムのつぶやきに終始した。

福島で放射能による死者が一人も出ない。いつまで待っても出そうにない…その事実を突き付けられた彼らは、焦りさえ出てきた。死者ゼロは、本来なら喜ぶべきなんですが、それじゃ運動を続けられないという焦りからか、いろんな珍説、珍運動を編み出した…

瓦礫搬入絶対反対運動
(あの~、その瓦礫、福島じゃなくて、岩手・宮城のなんですけど…搬入に何の問題ありますか?)

どうして、こんな人たちが?
(何の目的かしら?動労千葉、動労水戸の人が、福島県内の鉄道開通に絶対反対って、意味不明)

こんなポスターつくって、福島の人、怒るよ
(俺、柏でこんなことされたら、ヤンキーマジ切れだぜ!)

福島で健康被害が起こってくれないと困る。運動が続けられない…そんな手前勝手な、倒錯した願望が、言葉に出さずとも、多くの人々に伝わってしまった。

かくして彼らは、福島の敵、日本の嫌われ者になった。だってファントムなんだもん。福島の人々の健康を素直に喜べない連中が、人間の味方なわけないでしょ?

その後、彼らの末路の哀れさは、推して知るべし。反原発候補、選挙で連戦連敗。福島県でも議席とれない。日本未来の党、瓦解。細川さん小泉さん小沢さん…大物政治家がことごとくKO負け。

鹿児島・川内原発の再稼働だって、阻止する力なし。福島の原発至近の「避難指示準備解除地域」「居住制限区域」「帰還困難区域」の区分けだって、行政主導で進み、反原発派は、何らの貢献もできなかった。

基本的な考え方が間違っているから、いつまでも修正できないから、ダメなんだよ。それで社会を変えるのは無理だよ…それに、彼らが気づくのは、いつのことだろう?

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福島不動産の黄金時代(2014夏・福島紀行その弐)

おはようございます。Manachanです。いま福島駅前のビジネスホテルにいます。

昨日は、いわき市を出発、広大な阿武隈高原を越えて、長駆、福島市までドライブしてきました。昨晩は、福島現地の友人と楽しい&美味しいオフ会でした♪

いわき~福島への移動中、福島第一原発から5㎞ほどの地点まで接近しました(それ以上は許可がないと入域できません)。いわき市は普通に栄えて人口も増えていますが、そこから北上して、第一原発に近づくほど無人地帯になっていきます。

・広野町までは、まだいい。商店やお店の5~6割くらいが戻っている感じ。駅前の銀行も営業中。

・そこから北上して、楢葉町に入ると、ほぼ無人の世界。避難指示が解除されたばかりで、住民の多くは戻っていません。商店も開いてるのはコンビニ、ガソリンスタンド数軒のみ。

・さらに北上して、富岡町に入っても、無人地帯が続く。ここは、震災の爪痕が生々しく残ります。町内の道路は陥没、亀裂だらけ、沿岸部の津波被害は目を覆うばかり、北部は放射線量が高く、北隣の大熊町との境界付近から帰還困難区域になって入域できない。

絵柄として、一番ショッキングだったのが、やはり、富岡の駅前でしたね。ここは、2011年3月11日から、時計の針が止まったままでした。

駅舎は流出、商店街は壊滅、クルマは逆さに倒れたまま放置…富岡駅など、原発至近のエリアは、最近まで出入りできなかったので(今でも、許可なしで行けるのは日中のみ、宿泊は原則禁止)、他県の津波被害を受けたエリアに比べて、復興は大きく遅れています。

「富岡は負けん!」という標語の後ろに、ホームだけ残った富岡駅、その後方には青い海がみえました。

富岡から北へ、次の駅「夜ノ森」は、内陸寄りなので津波被害こそありませんが、放射線量が高く駅自体が帰還困難区域に指定されていて、入れません。(駅西側の道路を日中ドライブするのはOK)。

夜ノ森駅北側の道路には、TVでしか見たことのない、帰還困難地域のバリケードが眼前に広がります。この一帯は新興住宅街で、一見何の被害もないのに人が住めないという光景はなんともシュール。

夜ノ森から西へ進路を変え、川内村、田村市、二本松市、川俣町などの山間部を通って、福島市に入る。道路上はどの地域でも、「除染作業中」の看板が見えました。

・川内村:人間の生活の匂いが感じられる。住民やお店の5~6割くらいが戻っている感じ。村の中心部は放射線量が低く、目立った震災被害もほぼなし。

・田村市(都路地区、船引地区):特に変わったところはなし。商店も開いており、バスも運行中。

・葛尾村:かなり人が減っている感じ。荒れた空き店舗が目立つ。

・二本松市(旧岩代町、東和町):平常通り。震災の影響はほぼ見られない。

・川俣町:平常通り。震災の影響はほぼ見られない。

・飯舘村:ほぼ無人地帯と化している。但し交通量多く、商店はいくつか営業中。

・伊達市(旧月館町、霊山町):やや人が減っている感じ。荒れた空き店舗がいくつか。

・福島市東部(渡利、大波):放射線量は近隣と比べて低くはないが、福島市街地近くでは新興住宅の建設が進み、人口が増えている感じ。

福島駅前に着くと、ホッとしました。やっぱり、街っていいなあ…

私、ここまで走ってみて、なぜ震災後の福島県において、三大都市(福島市、郡山市、いわき市)に人口が集まっているのか、理由がよく分かりました。

震災と原発事故で、無人(に近い)地帯と化した広大なエリアから、三大都市に人々が押し出されて、市民として定着したからですね。加えて、全国から集まった除染作業員も住宅・宿舎を借り、その多くは三大都市に集中する。

人口再集中の結果、三大都市では、次のような現象が起こっています。

・空室率の著しい低下
・家賃水準の上昇
・不動産価値の上昇
・新築の戸建住宅や賃貸用アパートの相次ぐ建設

すでに、三大都市に引っ張られるかたちで、福島県の住宅地公示地価も上昇しています。東北地方では宮城県に次いで二県目。

そして、平均1.2%上昇という控えめな数字からは想像もできないようなバブリーな話が、地元の友人から聞かれます。

・福島市で賃貸住宅の空きは、もはや、ない。週刊誌に空き物件情報出しても、瞬く間に予約が入る。

・福島大学(福島市金谷川)の近隣で賃貸住宅借りられないので、電車で40分離れた郡山市に部屋を借りて通う学生もいる。

・福島市から北に12㎞離れた桑折(こおり)町の賃貸アパートが、全室、除染作業の会社に借り上げてもらった。福島市内で借りられる部屋がないから、市外まで探さざるを得なかったのだという。

・いわき市の賃貸住宅の賃料も高騰が続き、家賃負担に耐えられなくなった人から地元(広野町など)に帰っている。お金のある人はいわきに家を買う。

もともと、福島、郡山、いわきに賃貸住宅を持っていた人は、満室、家賃上昇、不動産価値上昇でウハウハな人が多いでしょうね。震災後の仙台とほぼ同じ現象。ただ、今から買ってもすでに高騰しているから遅いみたいです。

震災に原発事故という特殊な要因が絡んで起こった、福島県の不思議な復興不動産景気。今後、いつまで続くのでしょう?

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いわき再訪(2014夏・福島紀行その壱)

おはようございます。Manachanです。

昨日は、都内で一本、不動産売買の決済を無事終えた後、一路、常磐高速を北上、福島県いわき市までやってきました。名湯「湯本温泉」の宿でゆっくりしています。「フラガール」の地元ですね。

【露天洞窟風呂♪】

【フラダンス観て1500円は安いな】

柏で生まれ育った私は、同じ常磐線つながりで、いわきエリアとは昔から馴染みが深く、子供の頃から何度も来ています。自然豊かな土地です。海あり山あり温泉あり水族館あり、冬は暖かく夏涼しい気候が最高ですね。

いわき市は、三年前の東日本大震災と原発事故で、大きな影響を受けました。

私、震災後10日目に、常磐高速を飛ばして、いわき在住の友人にガソリンを届けたことがありましたが、あの頃は大変でした。沿岸部は津波で壊滅状態。内陸部でも放射能恐怖でガソリンスタンドもお店も軒並み開店休業。

友人宅も津波直撃は辛うじて免れたとはいえ、震災後、水道水が一か月間ずっと止まり、風呂にも入れず大変だったと言います。毎日、遠いところまで水を汲みに行く、ガソリンスタンドで数時間待ち…そんな毎日。

沿岸部在住の人の多くがそうであるように、彼も津波で知り合いを何人も亡くしています。あと、原発汚染水問題で、現在でもいわき市での漁業に著しく制限がかかっているので、漁業者で除染の仕事にいく人も多いとのことです。

震災以来、私はいわき市を毎年訪れ、定点観測のようなことをやってますが、最近の変化といえば、「人口が、目にみえて増えたこと」。

沿岸部の津波直撃エリアや、原発事故で帰還できないエリアから、数万人単位の人々が相次いでいわき市に移住したため、泉、湯本、平などを内陸部中心に、新しい戸建住宅や賃貸用住宅の建設が目立ち、お店が増えています。

私は昨晩、JR常磐線の泉駅近くで夕食をとりましたが、「あれっ、スーパー増えてるぞ」、「こんなに家建ってたっけ?」と驚くほどでした。

数年後、小名浜地区では「イーオンタウン」ができます。福島県浜通りで唯一、シネマコンプレックス付きの大型商業施設の登場に地元の期待も大きい(これまでは、茨城県の水戸まで高速を飛ばして映画見に行っていたそうです…)

一方で、いわき市より原発に近く、放射線量が比較的低い双葉郡の広野町や楢葉町への住民帰還もはじまっています。東京・いわきから続く、道路も鉄道も開通しています。ただ、こちらの方は、インフラが整備され、スーパー・病院などが再開して暮らしが便利にならないと、住民帰還も本格化しないでしょうね。

実際、「震災後、いわき市に移住し、便利な都市生活を知ってしまった人々が、不便な地元に帰りたがるのか?」という問題がある。買い物のみならず、子供の教学環境ひとつとっても、名門高校、学習塾から、英語塾まで一通り揃ういわき市と、双葉郡とのギャップは大きい。

友人も、「イーオンタウンができると、ますます、いわきから離れられなくなるでしょうね」と言ってました。

もう少し内陸部に目を転じると、福島県の阿武隈高地。震災後、放射能問題で避難した人々の多くは、福島市や郡山市に移住しました。避難先で、「クルマですぐ買い物や病院に行ける、職もある」暮らしを知った人々は、若い世代ほど、地元の過疎地に帰りたがりません。原発事故の賠償をもらえる人は、都市生活のコストに耐える財力もありますので、なおさらそうでしょう。

さらに北上して、宮城県の沿岸部に行っても、同じ構図の問題があります。震災後、津波の直撃を受けた沿岸エリアから、仙台市への移住が進み、沿岸部のインフラが回復しても、人々が仙台を離れないという現象が…

仙台のワンルームマンションの相場は高騰し、すでに東京並みという声もあります。

震災・原発事故という不幸な出来事は、東北の被災三県において、「人口の新・都市集中」という現象を引き起こしているようです。

とはいえ、いろんな問題があっても、希望を失わず、力強く復興を進めている福島に、読者の皆さんも是非遊びに来てくださいね。

私も、うまいもの食いながら、旅を続けます。

【メヒカリは震災後、福島県内での漁獲ができません。おそらく隣の茨城県で上がった魚でしょうか】

【一方、カツオはうんと沖合で取れるので、福島県の水揚げでもOKだとか…】

次回に続く…

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ピギーちゃんの貯金箱

こんばんは、Manachanです。

今日、「ピギーちゃんの貯金箱」が、我が家に届きました。

この風変わりな貯金箱、先月6月29日に、広島のセミナーで講師としてご一緒した、岡本和久さんの主宰する「IOウェルスアドバイザー社」が、マネー教育の題材として販売している製品です。

詳しい説明は、ピギーちゃんのハッピーマネー四分法を読んでいただくとして、上の写真にもあるように、

ブタさんの身体を4等分に輪切りして、

・SAVE(ためる)
・SPEND(つかう)
・DONATE(ゆずる)
・INVEST(ふやす)

という、4つの箱に分かれています。子供たちは、お小遣いやお年玉をもらったら、

・いま、欲しいものを買うためのお金を、”SAVE”に入れる
・大きなものを買うためのお金を貯める時は、”SPEND”に入れる
・余ったお金で、困っている人を助けたい時は”DONATE”に入れる
・将来の自分のために、お金を殖やしたい時は”INVEST”に入れる

また、それぞれの箱に入れたお金は、ブタさんの四本の足から、用途別に取り出すことができます。とても良いデザインですね。

折りしも我が家では、小3の娘ソフィアと、幼稚園年長の息子ポニーに、お小遣いをあげ始めたばかり…絶妙なタイミングで、「ピギーちゃんの貯金箱」を導入できましたね。

ソフィアはいま、週250円のお小遣いをもらっていますが、本人は、次のように分けると言っています。

・SAVEに、100円入れる⇒ゲーム等に使う
・SPENDに、100円入れる⇒家族向けのプレゼントを買うために貯めておく
・DONATEに、25円入れる⇒具体的には考えていないが、困った人のためにとっておく
・INVESTに、25円入れる⇒具体的には考えていないが、将来の自分のためにとっておく

うちの子たちは日本語のほか、英語も日常的に使っているので、SAVE、SPEND、DONATEの意味は、そのまま分かります。

ただ、INVESTの意味は、まだ???なので…簡単に説明しました。

INVESTは、仮面ライダー凱武に出てくる「インベス」じゃなくて・・

「たとえば、自分の応援したい会社の株式を買っていいんだよ。子供でも株は買えるから…」

「たとえば、とっても美味しいお菓子をつくってる会社とか、あと、ソフィアちゃんが時々乗る小田急線や東武線みたいな鉄道の株も買えるんだよ」

「いい会社の株主になって、みんなで応援して、将来、その会社がたくさんお金を儲けたら、自分のお金も大きく増えるんだ」

といっても、小学3年生にはまだ早いかな…「株」と聞いて、野菜の「カブ」を想像するみたいなので。

「カブたくさん買って、おでんをつくる」話は美味しそうだけど、マネー教育じゃないよね。

まだ小さい子供にとっては、「学習・勉強」が一番の投資ですよね。大人と比べて、いま、豊富にある自由時間を、将来の自分の「お金を稼ぐ」能力に投じるわけですから…

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2014/5/4の日記、投資は世のため、人のためも、あわせてご覧くださいね。

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プノンペン、ヤンゴン成功物語

おはようございます。Manachanです。いま広島出張帰り、始発の新幹線のぞみに乗って、東京に帰る車中の人です。

広島駅の南口では、大規模な再開発が進行中で、50階以上タワーマンションや商業施設が
建つ見込みです。が、地元の友人に言わせると、「再開発やると言い始めてから、すでに何十年も経ってる」そうです。

いまの日本、都市開発のペースなんて、どこでも、そんなもんですよね。

開発の速さでいえば、何といっても、東南アジアの新興国がピカイチ。

たとえばマレーシアの首都クアラルンプール。最近20年で、ものすごく変貌しました。まるで原型をとどめないほど、摩天楼の林立するハイパー大都会になり、まるで「札幌が東京に変わってしまった」よう。

フィリピンの首都マニラ。特に都心部マカティと、BCG(ボニファシオ・グローバルシティ)の最近5年間の変貌は目覚ましい。この界隈を歩くと、東京都心近くに住む私でさえ、敗北感を覚えるほど、スゴイ。

現時点でいえば、東南アジアで最も開発のペースが速い都市は、

・カンボジアのプノンペン
・ミャンマーのヤンゴン

この二つが双璧だと思います。

【高層ビルが建ちはじめたプノンペンの街】 (今年3月撮影)

カンボジアとミャンマー・・いずれも、東南アジアの中では後発の新興国。隣国「タイ」と比べて、外資・技術・産業導入、都市インフラ整備の歴史が、20年以上は遅れています。

その遅れを取り戻すべく、いま急ピッチで外資主導の経済発展策を取り、いずれも成功しています。私は年2~3回のペースで、プノンペンとヤンゴンを訪れますが、「半年経てば街が全然変わっちゃう」程、世界中の企業が殺到して、無数の開発プロジェクトが進行中です。

つい数年前のヤンゴンは「鎖国中の眠ったような街」、プノンペンは「万事テンションが低い、のんびりゆったり地方都市」でした。今ではどちらも、驚くほど高層ビル林立、忙しい大都会になり、物価も急騰中。

この二か国が面白いのは…カンボジアとミャンマー、全く持ち味が違うことです。同じ東南アジアにある、上座部仏教の国ではありますが、外国ビジネスの視点からみると、

・ミャンマーは人口大国(6000万人以上)、カンボジアは人口小国(1500万人)

・ミャンマーの魅力は、潜在的なマーケットの大きさと、労働力の豊富さ。一方、カンボジアの魅力は、小国ならではの柔軟さと、ビジネスのやりやすさ(米ドルが流通する、外貨の持ち込み、持ち出しの自由度が高い等)

・経済発展モデルの観点から、ミャンマーに似ていると思う国は、日本、中国、インドネシアなど「人口大国、内需主導」パターン。一方、カンボジアに似ていると思う国は、シンガポール、マレーシア、ドバイなど「人口小国、外資導入」パターン

要は、全く違う土壌のうえに、全く違う花が咲いているのです。それぞれのモデルで、外資導入に成功した結果、主要都市が大発展しているのです。

ミャンマーでエキサイティングなのは、「6000万人以上の若い人口が、これから労働力、消費者になっていく、いずれはミャンマー自体がASEANの経済大国になる」という期待感。だからこそ、世界中のビジネスが参入する。

一方で、カンボジアは1500万人しかいないので、経済発展してもインパクトは少ない。でも、カンボジア政府は経済小国を逆手にとって、「米ドルが流通し、金融規制の緩い融通無碍のビジネス国家」を目指し、その戦略が当たった…

そして、いずれの国も、ASEAN経済統合という追い風を上手に活かしてますよね。

最後に、私たちアジア太平洋大家の会では、急変貌を遂げる「カンボジア・プノンペン」の投資機会を日本の皆様に紹介するために、東京と福岡で、次の不動産セミナーを開催することにしました。

7月22日(火)19:00~ カンボジア不動産投資セミナー@東京

7月26日(土)15:00~ カンボジア特選コンドミニアム紹介会@福岡

※上記のリンクから参加申込できます

カンボジアでは、私たち外国人が合法的に不動産を保有することができます。また、米ドルで投資も売却もできますし、殖えた米ドルをカンボジアの金融機関に預けてさらに殖やすことも可能。

国の伸びしろも、投資のしやすさ、お金のハンドリングも抜群なカンボジア。興味のある方、参加大歓迎です。

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