2015年 4月 の投稿一覧

言葉を習うこと、教えること

おはようございます。Manachanです。

現在、我が家では、妻が日本語学校で毎日勉強中、私が仕事の関係でタイ語を勉強中。学習のペースメーカーとして、私のタイ語検定(4級)が6月7日に、妻の日本語能力試験(JLPT3級)が7月5日に予定されています。

というわけで、私と妻が同じ机(食事テーブル)で、それぞれの言葉を学習する機会も増えてきたのですが、ここにきて顕在化してきたのが、お互いの学習スタイルの違い。

私が学習中のタイ語を、我が家で分かる人はいないので、もっぱら妻が、私や子供たちに日本語を質問することになりますが、

私は、新しい言葉の習得には熱心でも、人に言葉を教えることには余り情熱を覚えない

ということに気づきました。たとえばの話、妻の言語バックグラウンドは英語と中国語で、日本語の「助詞」に相当するものがないので、そこで苦労しているのですが、

妻 「私は~です」と、「私が~です」はどう違うの?

私 「同じようなもんだよ」

妻 「私は東京に住んでいます」と、「私は東京で生活しています」と、どう違うの?

私 「同じ意味だよ。」

妻 「どんな時に、”に”を使って、どんな時に”で”を使うの?」

私 「そんなん知るかよ。そのまま覚えちゃえばいいじゃん!」

というふうに、私は大体の意味を覚えればそれでいいと思っているのに対し、妻は「正しい日本語」を緻密に覚えたようで(というより、日本語の先生がそれを期待しているようで…)、その辺が噛み合わない。

妻 「正しい日本語の言い方で言ってくれないかしら?」

私 「俺は日本で生まれて、40年以上も日本語使ってるんだから、俺が自然に話してる言葉が正しい日本語だろ!」

万事、こんな感じなんです。私の語学学習は極めて実用重視で、教科書的な覚え方をしてきてないのです。それどころか、私は教科書自体が面倒臭いと感じるし、そんなものロクに使わんでも、実地のコミュニケーションを通じていくつもの外国語をマスターしてきたのです。

でもそれは、私が多くの人と違うやり方で、脳味噌の違う場所を使って言葉を学んできた…ということであり、私のやり方が妻にはそのまま通用しない。妻は多くの人と同様、教科書的なやり方で、理屈で学ぶしかない。それは重々承知しているのですが、

でも私、教科書に沿って教えることに情熱を覚えないんですよねえ~。所謂「正しい日本語」、「美しい日本語」なんて全然興味ないし(たぶん出来ないし)、困ったものだ。

そこへ行くと、息子(6歳)の日本語の教え方は大したもので、「ママ、こうやって言うんだよ」と、いつもやさしく丁寧に教える…私にはとても真似できません。

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金持ちオーストラリアとの付き合い方

おはようございます。Manachanです。オーストラリア3泊(うち機中2泊)の弾丸出張から帰り、いま、成田空港にいます(家に帰るんじゃなくて、これから福岡に飛ぶんだよなあ…ああ忙しい)。

久しぶりのオーストラリア・シドニーでのセミナー講演は、とても楽しかったです。セミナーでたくさんの方との良いご縁ができましたし、また、シドニー在住の昔からの友人とも、旧交を温めることができました。8月には家族の里帰りで渡豪するので、またセミナーやりたいな。

私、オーストラリア(シドニー)で2000年から05年まで暮らしました。同国を離れてから、すでに10年経ったわけですが、この間、オーストラリアでも日本でも、いろんなことがありました。
一番、分かりやすい変化は、両国の経済的な立場が逆転したことですね。

私がいた頃(約10~15年前)は、物価や給料水準は日本の方が高かったのに、今では、オーストラリアの方が高くなっている。

私、2000年に移住した時点では、オーストラリアは「安月給で、物価も安い」印象でした。移住当時の為替レートは、今でも覚えてますけど、1ドル=63円。その数か月後、シドニーオリンピックが終わると豪ドル安がガツンと来て、1ドル=56円くらいの時代になりました。

当時の私は、シドニーのIBMで、IT技術者(ロータスノーツ開発者)として働いていましたが、日本と比べた時の安月給が悩みの種でした。年俸は6万5千ドル、税金は約33%もっていかれるので、手取りが4万4千ドル前後。日本円に換算して270万円前後。しかも会社までの交通費は自腹。

私、移住前は東京で働いて、残業代含めて年収600万円を超えてましたし、税率も安かったですから、オーストラリアの手取り給料安すぎ!と思いました。その安い給料から、毎年、日本への里帰り費用を捻出してましたから、やりくりが大変でした。日本の友達と居酒屋に行って、飲み食いして6000円くらいかかると、「100ドルも散財してしまった!」と、ちょっと暗い気持ちになったほどです。

その代わり、現地物価は安く感じましたね。チャイナタウンのフードコートで麺料理を食べると、5.5ドル位。円換算330円でそれなりに美味しいですし、自宅から会社の最寄り駅(Penant Hills)まで、28㎞を移動した電車賃も片道2.9ドル、約170円なので、現地物価で生活する分には不自由は感じませんでした…

そんな時代を、「遠い目」で思い出します…歳月が経ち、日本からみると今のオーストラリアは、状況が劇的に変わってしまいました。

あれから日本は、デフレが続き物価が上がらない状況が続く。一方、オーストラリアは好景気とインフレが続き、毎年、物価が上がる通貨も切りあがる。今では完全に立場逆転。

今の為替レートが1ドル=92円、日本からみると現地物価の上昇も著しく、スーパーで買うミネラルウォーターが3ドル(276円)、フードコートで中華めし食べても12ドル(1100円)以上、IBMまで片道の電車賃が8ドル(730円)以上、シドニーでホテル泊まると軒並み200ドル(18400円)以上、シドニー郊外で一軒家を買うと安くても60万ドル(5500万円)…という世界になっています。駅の自販機でポテトチップスやペットボトル飲料売ってますが、軒並み300円超えなので買う気が失せてしまいます。

【シドニーのスーパー、食べ物は昔は安かったけど、今は安くない】

物価高だから当然ですが、賃金水準も大いに上がりました。今では、私と同じレベルのITエンジニアの仕事すれば、年俸10万ドル(920万円)以上はいくでしょう。オーストラリアは今や、日本より給料も物価も高い国になったのです。

統計データでも、「日豪逆転」が、裏付けられています
(一人あたりの名目GDP、USドル)

そんなオーストラリアと、どうやって付き合っていくか?

日本の年金もらってオーストラリアで悠悠自適に過ごすとか、日本の給料稼いでホリデーでオーストラリア行くとかは、もう割に合わないですね。現地物価高すぎて…でも逆に、

・オーストラリアで稼いで、日本で使えば安く感じる。
・オーストラリア在住者を相手にビジネスすれば割が良いかもしれない!

なにしろ、日本の1.5倍くらいの物価で暮らしている人たちです。オーストラリアから日本に来れば何でも安く感じる上に、品質やサービスのクオリティはたいてい日本の方が高いから、ものすごいコスパの良さを感じるはずです。不動産でいえば、「億」が当たり前の国ですから、東京の不動産でさえ「すげー安い」と感じるはずです。

そうした物価格差を、上手にビジネスに結びつけたい…それが私の、「古巣オーストラリアとの新しい付き合い方」。

普段、物価の安くてクオリティの高い日本で暮らし、金持ちオーストラリアのお客様を相手に商売して、豪ドルを稼ぎたい。だから、今後も「オーストラリア詣で」を定期的に続けるつもりです。

そして何より、日本を経済的に豊かにしていく上で、私らしいの貢献をしたいと思います。私は普段、世界中の国々を回っています。どの国も素敵なところがたくさんあり、嫌いな国は一つもありません。

でも、自分にとって一番大事な国は「日本」、これは生涯変わりません。私は日本のメシを食って大きくなり、日本の教育を受けてきた人間なのですから…日本のために、何ができるのか?私の得意とする「海外」「不動産」「ビジネス」をキーワードに、日本に海外のマネーパワーを引き込んで、もっと元気で活発な国にしていきたいと思います。

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シドニー920円ヘアカット

おはようございます。Manachanです。

昨日の朝、オーストラリアはシドニーに飛んできました。飛行機から見下ろすシドニー、海と都市が調和した姿が美しいですね。

シドニーの空港に着いて、早速、行動開始。先週の「韓国ソウルで散髪に挫折した」リベンジを果たすべく、理髪店を探しました。

シドニー・セントラル駅の改札を出ると、そこに、中国人が経営する散髪屋(Hair Beauty Massage,太陽火美容美髪室)がありました。値札は男性の場合10ドル(920円)安い。よし、ここに決めた。

店内に入ると、まず中国語で話しかけられる(ここは英語圏なのに…)。英語が不自由そうなお兄ちゃんだったので、そのまま中国語で受け答えする。私の場合、リクエストは極めてシンプル。

「どんな髪型にしますか?」
「とにかく、短く切って、バリカンも入れてください」

日本のQBハウスと同じく、シャンプーも顔そりもなし、散髪はものの10分で終わりました。大量の人間の髪を切ってるようで、手際はよかったですね。

もともとこんな感じでしたが…

ずいぶん、さっぱりしました

さっぱりした頭で、セミナー講演&懇親会。その後、13年前にシドニーで買った私の家を見に行きました。家の前に、大規模マンション(Promenade Apartment Parramatta)が建設中でびっくり。歳月が経てば、変わるものですね。

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陸路国境、今昔物語

おはようございます。Manachanです。夜行便で、成田からオーストラリア・ゴールドコーストへ飛んできました。今日の午後はシドニーでセミナー講演…今や世界中が仕事場ですね。自分がどこに住んでるのかよう分からん位。

日本もオーストラリアも「島国」なので、外国は「海の向こう」にあります。でも地球上の多くの国は大陸上にあり、陸地で隣国と接してますので、当然、国境越えは「陸路」になります。

私、大学時代は世界中を旅するバックパッカーとして、「陸路国境越え」をたくさん経験しました。国境のこちら側と向こう側で、いろんなものが変わるのが面白い。

-通貨
-物価や生活水準
-言葉や文字
-食べ物
-人々の見た目
-交通手段
-携帯電話のキャリア 等々…

世界で一番有名な陸路国境越えは、たぶん「米墨国境越え」でしょう。アメリカからメキシコ側に渡ると、両国の生活水準の差をまざまざと見せつけられます。

・アメリカ人はほぼフリーパスでメキシコ入りできるのに、メキシコ人はアメリカ入国を目指して長蛇の列に並ぶ。
・アメリカ側は小奇麗で整然とした住宅地が広がっているが、メキシコ側は雑然とした雰囲気。

その他にも、いろんな違いがあります。

・アメリカ側は英語、メキシコ側はスペイン語の世界(もっとも、国境近くではどちらも通じやすい…)
・アメリカ側の通貨は米ドル、メキシコ側はペソを使用。
・アメリカ側は巨大な体躯の白人が多いが、メキシコ側は小柄で日本人に近いルックスの人が増える。
・アメリカ側で食べるメシは概して大味だが、メキシコ側のメシは繊細な味付けで旨さのレベルがずっと上がる。 等々…

経済格差だけでいえば、「メキシコ‐グアテマラ国境」の方が強烈でしたね。

・メキシコ側の交通手段は近代的な「グレイハウンドバス」、一方グアテマラ側は今にも壊れそうなポンコツバスの上に生きたニワトリを満載した「チキンバス」
・メキシコ側の道路は完全舗装のフル規格、一方グアテマラは幹線道路でさえボコボコ段差だらけでバスが飛び上がる。あと、橋が爆破されて通れなかったりする…
・グアテマラ側ではメキシコペソが通用、一方メキシコ側ではグアテマラのお金(ケツァル)の価値はゼロ
・国境をグアテマラ側に超えると、地元の少年が頼んでもいないのに旅行客の荷物を運んでチップを請求(メキシコ側でそれやる人はいない)

アジア地域でも、いろんな陸路国境越えを、20年以上前から体験してきました。なかでも一番インパクト強かったのが、

【1988年、香港‐中国(深圳)の国境越え】

今でこそ、中国・深圳は近代的な大都会になりましたが、1988年当時はびっくりする程、何もありませんでした。地下鉄もない、高層ビルもない、自動車道もろくにない。赤土がむき出しとなった荒涼とした大地に、建物もまばらな状態。

深圳の駅前には、中国各地から来た何万人もの労働者が、菜っ葉服を着て、たむろしていました。ほとんどの者が、ぼけーっと、無為に過ごしていました。

深圳の街で英語表記など皆無。100%、中国語しか存在しない世界。「共産党、中国人民万歳」などのスローガンがたくさん掲げられていました。メシも、脂っこい中華めししか選択肢がなく、注文しても、店員にやる気が全くない。売店で買い物したら、店主が、商品を放り投げて渡してくる。

一方、香港側は当時から見事に発展していました。地下鉄もバスも完備、英語が通じ、世界中の美味しい食事が食べられる国際都市。

当時、香港側と中国側の生活水準や都市発展度は明らかに隔絶しており、米墨国境のそれをはるかに超えた格差でに見えました。

深圳(2013年)

深圳(1988年)

【1992年、シンガポール‐マレーシア国境越え】

シンガポール領、緑豊かな郊外住宅地Woodlandsから、狭い海峡にかかる橋を超えれば、そこはマレーシア領ジョホールバル(JB)の街。

今でこそJBは、鉄道駅のところに巨大な複合施設(JB Sentral)があるし、西側のヌサジャヤ地区も結構開けてコンドミニアム、ホテル、レゴランド、インターナショナルスクール等ができてますが、

当時のJBは、鉄道駅に張り付くように小さな市街地が広がっているだけの田舎町、今のヌサジャヤ地区は一面のジャングルでした。鉄道駅付近でさえ店があまりなく、一面の原っぱに屋台がたくさん出ていて、そこでメシを食ったものです。

一方シンガポール側は、当時から見事に開けており、全土が近代的に整備されていたので、マレーシア側に入ると30年程タイムスリップした感覚になりました。

もっとも、国境のどちら側も中国系とマレー系の住民が多く、英語も中国語もよく通じ、食べ物も似ている…という点では「やはり隣り同士なんだなあ」と思いました。でも通貨と物価だけが大きく違う。

シンガポール側で「ラクサ」(ココナツカレー麺)を食べると、当時は3シンガポールドル(マレーシアのお金で約6リンギット)しましたが、マレーシアのJBで食べると同じものが2リンギット。つまり値段が3分の1…でも味の方は明らかに、JBで食った方が旨かった。本場のラクサの味と素晴らしいコスパで、JBの街が大好きになりました。

1992年当時、シンガポールでこれ食べると200円、マレーシアでは60円

あの国境越えから、20年以上の歳月が流れました。今の私はバックパッカーじゃないけど海外出張が多く、同じルートの国境越えをよくやりますが、

「少なくともアジアでは、どの国境も、明らかに経済格差が小さくなっている」というのが実感です。

香港‐中国(深圳)間でい
うと、香港側も1988年当時よりはグレードアップしてますが、経済・生活レベルが低かった深圳側の方がより急速に発展して、香港にキャッチアップしてきているのです。同じことが、シンガポール‐マレーシア(JB)国境についても言えます。

もちろん、細かいこといえば深圳もJBも、まだ突っ込みどころ満載で、先進国都市とはいえない面も多分に残していますが、少なくとも表面的には新しいビル、商業施設が林立する都会になり、特に深圳は地下鉄もできて、一見、香港と見まがうような大発展ぶり。

そして深圳もJBも、昔と違って今では世界中の食事が楽しめる街になり、その意味では香港、シンガポールとそう大差なくなりました。国境をはさんだ物価格差もまだありますが、20年前と比べると明らかに小さくなっています。

これこそ、資本主義の法則なのかもしれません。国境を挟んで、生活水準や物価の高い国と低い国が隣り合う場合、投資マネーは、リターンの大きく伸びしろの大きい後者に流れる。すでに生活水準・物価の高い国がさらに伸びるよりも、まだ低い国がキャッチアップする方が簡単ですから…

今は2015年になりました。いま東南アジアで経済格差を感じる国境といえば、たとえば「タイ‐ラオス国境」があります。現時点で両国の表面的な発展ぶりやインフラ整備状況の差は歴然。でも、あと10年もすれば、ラオス側が急速に発展して、表面的にはタイ側と変わらなくなっちゃうんだろうなと思います。

水は高きところから低きところに流れる…

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成功する海外不動産セミナーのかたち

おはようございます。Manachanです。

先週と今週は、韓国、大阪、オーストラリア&福岡と、出張続きで体調管理にも一苦労。でも病気ひとつせずに元気でいます(というか、病気できないっすね…)。最近の東京は気候も暖かくなり、冬場よりは体調維持がラクですね。幸いにして花粉症とも無縁なので、日本の春は過ごしやすい♪

春うららかな東京で、Home’s不動産コラムを書きました。すでに連載18回目ですが、これまで書いたなかで一番好きな文章。がっつり引用したいと思います。

成功する海外不動産セミナー(Home’sコラム)

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↓引用はじめ

私たちアジア太平洋大家の会が主催した海外不動産セミナーは、開催150回を超えています。私はセミナー主催者として、海外不動産業者のプレゼン資料には必ず目を通し、必要に応じて「コメントや添削」してきました。

これまでの経験からいうと、大多数の業者プレゼン資料は、下記のような構成になっていました。

この種のセミナーを聞いてて、思うこと。

・「海外資産を持とう」という趣旨はいいけど、いろんな資産形成手段があるなかで、なぜ不動産を選ぶんだろう?

・ある国の経済成長の果実をとりたいなら、ETFとかインデックスファンドを紹介すればいいのでは?

・実物不動産だと個別性が強すぎて、同じ国・都市・エリアでも勝つ物件と負ける物件が出てしまう。経済成長の果実をとるという論旨と投資の実態が乖離しすぎてないか?

私自身を含めて、日本国内で経験のある不動産投資家・賃貸経営者なら、次のことを身に染みて
感じているはずです。

・東京都心でさえも、カスな物件は結構ある。

・どんなに衰退した地方都市でも、探せばお宝物件は大抵ある。

・同じエリアの同じ物件でも、シェアハウスにしたり、AirBnBを使ったりと、経営努力次第で収益は大きく上げられる。

・同じエリアの同じ物件でも、タイミングをうまくつかめば安く買えたり、高く売れたりする。

繰り返しますが、不動産は個別性が極めて強く、しかも相対取引で値が決まりますから一物一価ではありません。国の成長力や人口云々以前に「物件自体の競争力」、「賃貸経営力」、「売買のタイミング」等が大きく収益に影響してきます。

今後の人口動態や成長性だけから、「東京の物件は良くて地方の物件はリスキー」とは言えないのが不動産の世界。エリア考察や物件個別の見極めの方がずっと大事です。

上記の視点から、日本で賃貸経営する「大家さん」にとって有益な海外不動産セミナーとは何か、考えてみました。

↑引用おわり
――――――――――――――――――――――――――――――――――

私、自分で事業(不動産ビジネス)するようになって、つくづく思います。

不動産投資って、地味だよなあ…

事業やると、リスクも大きいですが、うまくいった時の成長力がまじで半端ない。不動産の場合、国・地域やタイミングにもよりますが5年で2倍になればかなり良い方です。一方、事業なら年間で数倍増、十倍増なんてことも珍しくない。

事業にかかわるお金の流れを紙のかたちにしたものが、株式であり社債であるわけで、その成長力が不動産を上回るのは当然ですね。

私はいま、日本国内の不動産仲介等を生業にしています。昨今は幸い、収益物件が動く時期なので、順調に売上・収益が伸びています。そういう時は一瞬、

利回りせいぜい10%、5年10年でキャピタル2倍なんて、かったるくてやってられないぜ」と思ったりしますが、それでも私は、不動産投資をやめません。不動産はスピードではなく、安定感が魅力だからです。

日本収益物件の売買仲介が儲かる時期は、せいぜい、あと2年でしょうね。その後必ず、銀行融資がタイトになって、物件が動かなくなる時期が来るはず。このビジネスモデルだけに依存してしまうと危険、というのは私にもわかります。

また、ビジネスの世界は競合が厳しいし、大手の参入やテクノロジーの出現でゲームのルールが一気に変わったりするので、売上・収益を維持するのも結構難しい。

だから私は、ビジネスで種銭ができたら不動産のかたちに変えます。

世の中に、資産を殖やす手段がたくさんあるなかで、不動産はどちらかといえば「守り」(ディフェンス)の部類に入る財。本質的に「早く儲かる」ものではありません。その代わり、人生で必ず必要な「住まい」に関わるものなので価値はゼロにならないし、銀行融資がつくなどのメリットがあります。

「守り」だからこそ、スピードよりも「確実に貸せる」、「確実に売れる」という側面を大事にしたいのです。その意味で、私は国内・海外を問わず、上述「大家向け不動産セミナー」のフォーマットを推奨しているわけです。

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福岡限定の移住需要

おはようございます、Manachanです。今朝は子供たちが起きる前にさくっとブログ更新、学校まで送り届けたら浜松、大阪へ出張だ!

今回の日記は、「インバウンドビジネス」(=外国人相手の不動産、ビザ商売)ねたでいきますね。

私はサラリーマン時代、アジア近隣諸国投資家向けの日本不動産サービス会社を2010年に立ち上げました。当時は会社勤務やりながらの副業だし、宅建業免許もなかったので、大したお金はつくれませんでしたが、2013年に独立自営になってから、成果が上がるようになってきました。

最近は円安でインバウンドの需要が高まっていますが、同時に競合も増えてきたので、最近の私は、「日本に移住したいアジア圏の外国人」向けに、日本のビザと不動産を手配する方向に特化しつつあります。

中国(特に東北地区)、韓国、台湾を中心に、住環境の良い日本へ家族で移住したい、ビジネスしたいというニーズは確かにあります。彼らは本国から数千万円単位のお金を持ってくるので、本気です。ですのでビザはもちろん、不動産仲介や管理もビジネスになります。お金のみならず、それなりに教育水準のある真面目な方が来るので、日本経済のためにもなっていると思います。

最近、結構な作業量になっているのが、「福岡限定の移住希望者」相手の仕事。私のところに問い合わせてくるアジア系外国人の2~3割は、福岡市周辺での居住を希望してまして…日々、外国人のリクエストに応じて、福岡周辺の物件資料を精査しております。こんな感じで、

・西鉄香椎8分3DK…場所は、まあまあいいんじゃない。
・西戸崎3分3LDK…ちょっと不便じゃないかしら。
・大濠公園5分2DK…場所は最高ですね。値は張りますけど。
・北九州市の香春口三萩野6分3LDK…福岡市じゃないけど、ここなら便利だからアリじゃない?
・北九州市の門司港9分一戸建…結構不便だと思います。

幸い、福岡在住経験あるから何とかなるけど、なければこんな遠隔コンサルはできないよなあ。行きたくても東京からすぐ行ける距離じゃないし…

なぜ、福岡が移住先としてかくも人気が高いのか?韓国、中国からみた「地理的な近さ」と「親近感」が大きいのだと思います。

特に韓国からは、プサン~福岡の定期航路で年間80万人もの観光客の入りがあるのに驚かされます。同国から来日する観光客の3~4分の1は、船で福岡入りしている計算になります。

逆に日本から船で韓国入りする旅客数はずっと少ないので、「日本人が思うよりも、韓国人にとって福岡はずっと身近な都市」ということになります。

また中国発、福岡から入国する観光客数も急激に増えています。大規模国際空港のある東京、大阪には及ばないとは思いますが、九州には「クルーズ船で直接渡航」という、強力な武器があります。

特に「上海⇒済州島(韓国)⇒福岡OR長崎OR鹿児島⇒上海」というコースがポピュラーみたいですね。この近さは、日本の他地域では太刀打ちできません。

私が2010年の福岡で見聞した、クルーズ船の中国人観光客の買いっぷりはものすごく、天神周辺の駐車場が全て中国人観光客のツアーバスで埋めつくされるとか、ベスト電器の電動鼻毛カッターが一瞬にして売り切れたとか、武勇伝が相次ぎました。クルーズの場合、飛行機手荷物の重量制限がないので、皆さん、買えるだけ買いまくったそうです。

今ではさらに円安が進み、中国人クルーズ船の九州来航数や観光客数も2010年よりもっと増えています。

東京や大阪の人が想像する以上に、アジア圏の近隣諸国に身近な九州・福岡。来る回数が多くて馴染みが深いほど、「日本に住むなら福岡がいい」と思う人も増えるのでしょう。

今は、福岡現地のパートナーと連携とりながら仕事を進めていますが、もっとビジネスボリュームが増えたら、福岡に拠点を置くなど、次のステップを考えても良いかもしれない。

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10日で辞める社員と、採用担当者の心

こんばんは、Manachanです。韓国出張から帰ってきたばかりですが、来週はオーストラリア出張。日々、忙しく過ごさせていただき有難いです。

今回のブログは、久々にサラリーマンねたで書きます。

入社10日で辞めていく新入社員に思う、採用担当者の本音と葛藤

これ、なかなか興味深い文章ですね。「最近の若者は我慢性がなくて困る」とか、「オッサンが的外れな人生訓垂れてかっこ悪い」とか、賛否両論あると思います。私、筆者の気持ちは良く分かりますよ。

今から10年近く前、中国・大連のIBMで勤務していた頃、私が採用したチームメンバーに、入社わずか10日で辞められた経験があるからです。

24歳のお子ちゃま(2005/12/12)

その時に感じた無念と不条理(?)を、ブログにぶつけました。

「ちょっとこれはヒドいんじゃないの?」という出来事が起こり、久しぶりにマジギレしそうになりました。

私に一言も断りもなく、メール一本入れただけで、仕事を簡単に辞めちゃうなんて、社会人のとる態度じゃないだろー?だいたい俺はこれまで何日間も、あんたの就職手続きに忙殺されたんだぞー。

背景説明しますと、当時の私はメンバー15名からなる、米国本社向けアプリ開発・サポートチームのリーダーでした。要は現場のマネジャーです。米系の外資企業は日系に比べて現場マネジャーの権限・裁量が大きく、人事部もありますが社員採用にあたっては私に事実上の決定権がありました。

当時の中国IT産業はまさに勃興期、社員数も毎年「3倍ゲーム」で増え続けていました。私が大連で入社した当時の社員数350名が、1年後には1000名以上に膨れ上がる怒涛の時代。ここまで大量の新規採用をするため、私の仕事も「日々是、面接」でした。

当時、私が大連で面接した中国人社員の数は100名を下りません。一日2~3人の面接は当たり前でした。今でも日本語より中国語の面接の方が得意なくらいです。

そこまで場数を踏んでも、採用に失敗することは当然あります。が、入社わずか10日で辞められたことは、後にも先にも一度しかありません。

【面接に明け暮れた日々@中国大連(2005~06)】

どの組織でもそうでしょうが、チームメンバーに辞められると、いろいろな人に迷惑がかかります。私のような現場責任者には、客先や上司に対する説明義務が課せられる上に、欠員補充に奔走しなければなりません。また、私の部下も、それなりに時間をかけて業務引き継ぎをするわけですが、その時間・労力も全て無駄になります。

ですので、チームメンバーとして貢献する前に辞められてしまうと、「お前なあ~、いい加減にせえよ!」と叫びたくなるのが正直な気持ちです。どの国、どの会社、どの職務であろうと、会社辞めるからには組織にかかる迷惑や時間的・経済的損失、当事者の苦労に思いを馳せつつ、礼を尽くすのが筋だと思います。

当時、その社員はメール一本で辞めようとしたので、その行動はさすがに、たしなめました。

世の中、仕事を辞めることは、メール一本で済ませるような簡単なものではない。少なくともチームリーダーである私と面と向かって、辞めたい旨を伝えたうえで、許しを請うのが筋だと私は思う。これは、君が将来、プロフェッショナルな組織で働きたいのなら、必ず知っておかなければならない大事なことなのだ。

しかし、採用採用者が辞める者に注意できるのは、せいぜいそこまでだと思います。「下積みで我慢しないと仕事の面白さは分からない」とか、「こんな安易に会社辞めるようでは他でも通用しないぞ」みたいな、オヤジ的人生訓を垂れるのは、私の趣味ではないし、その言い分に大した妥当性もないと思います。

社員がなぜ辞めるのか?こらえ性がないとか、そんな問題じゃない。ほとんどの場合、その企業組織に自分の望む将来が見出せないから辞めるのです。

後で知ったことですが、10日で辞めた例の社員も、その決断にかなり悩んだそうです。有名企業IBMとはいえ所詮インターン採用、給料は安いし、正社員になれる保証はない。彼の地元は中国・遼寧省北部の工業都市、両親は経済的に裕福とはいえず、相当無理をして、息子を大学卒業まで育てた。だから親にも仕送りしなければならない。でも、インターン採用では生活するのにも事欠く給料。

親の(経済的)期待というプレッシャーに直面していた24歳の彼。当然ながら、他社にいくつか応募しており、結局、正社員採用してくれる企業に入社が決まったそうです。

後日談になりますが、私に対して、そこまで心を割って話してくれた彼に感謝したのは言うまでもありません。

採用担当者として、辞める社員を責めたくなる気持ち、「このクソ忙しい時に、面倒かけやがってコノヤロ」と叫ぶ心の声、それは痛いほど分かります。でも、そこはグッとこらえて、笑顔で送り出すべきなのです。

また、会社組織と、自分の人生目標がミスマッチを起こす時、辞めるという選択は、ほとんどの場合、正しいと思います。自分の人生はもちろん、会社にとっても、そうするのが多分、一番いいはず。

「石の上にも3年」とか、「我慢すれば、徐々に仕事の面白さが分かってくるよ」とか、そんな漠然とした言辞でひとさまの貴重な時間を浪費させる気はありません。「慰留」なんて無意味。その人の人生目標にマッチする、具体的な提案を会社ができない限り、引き留めるべきではありません。

待遇を含めて、会社によりよい将来を見い出せなければ、すぐ辞めるのが吉。「辞職」という、自分にとって最高の選択をした社員を祝福して気持ち良く送り出す、それができる採用担当者はプロフェッショナルだと思います。

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韓国の散髪で挫折した話

こんにちは、Manachanです。

私は自他ともに認める「海外散髪フェチ」。カンボジアで、フィリピンで、ベトナムで、マレーシアで、アメリカで、オーストラリアで、中国で、インドで…海外出張に出るたびに、散髪せずにはいられない身体になってしまった私。

前回の散髪は3月2日(カンボジアで実施した4ドルヘアカット)。あれからすでに1か月半を経過し、髪の毛もいい感じにボサボサになっている。今回の韓国出張、超ハードスケジュールで自由時間が1~2時間しかありませんが、実は散髪のチャンスを虎視眈々と狙っていました。

4月15日(水)朝、気温7℃のソウル・シンチョン(新村)の安宿を出て、行動開始!

【7:45AM シンチョン路北側 マッサージ兼理容院】

飲食店が多数入居する築古の雑居ビル前で、グルグル回る「あの物体」を発見!ハングル文字で「マッサージ」と書いてあるが、ビルの地下二階に降りると「理容院」(イヨンウォン)の表記が!これはいけるかも。でも、まだ営業しておらず、人っ子ひとりいない。やむなく断念。

【7:50AM シンチョン路南側 サウナ兼理髪店】

朝の通勤時、バスやタクシーが行きかうシンチョン路を渡ったところに、再び「グルグル物体」を発見。しかも「理髪」(イバル)と書いてある!サウナに併設された店のようだが、ここで髪切れるかもしれないと、期待に胸を躍らせビルに入る。地下一階に降りたところで男性の管理人を発見!

「ここで散髪できますか?」と聞くと、

「まだ営業しておりません。すみません」という残念な返事が…ソウルで朝8時前だと、散髪にはまだ早すぎるのかもしれないね。

8:30から、ホンデ(弘大)近くの喫茶店でクライアントと商談。10時過ぎに終わると、再び、床屋探しにGO!

【10:20AM ホンデ駅北側、雑居ビル2Fの美容院】

大通り沿いのオフィスビルで、「Hair Makeup」という英語表記を発見し、ビルの二階に上がる、お店はすぐ見つかったが、店名は「ピンク・パウダー」、来ている客も若い女性ばっかり。バツが悪くなって、逃げるようにその場を後にする…残念!

さすがに、いい歳した男が「ピンクパウダー」は、こっぱずかしい。

【10:35AM ホンデ駅南側、学生街のオサレなヘアースタイリスト】

街路樹の緑が美しい代官山ふうのストリートで、「4 Hour Style HAIR」を発見!カッコいい店構え、ちょっと値段が張りそうだが、すでに帰りのフライトの時間が迫っておりゼイタク言っていられない。ここで、さくっと髪切ってもらおうっと。

でも、お店に入ると、「毎週水曜日は休業」との貼り紙が…うー残念。

朝メシ抜いて腹が減っていたので、「セマウル食堂」で豚キムチ鍋をガッツリ食って、残り時間の乏しいなか、最後のチャレンジ。

【11:10AM ホンデ駅近くのトンギョドン(東橋洞)地区 庶民的な美容室】

私好みのシンプルな店構え、「東西美容室」(トンソミヨンシル)を発見。こりゃまじで、いけるかもしれない。でも、お店に入ると女性(おばさん)客ばかり。

「男性の散髪できますか?」と聞くと、

「男性は無理です。すみません」との答えが…残念。韓国でも日本と同じく、「美容室」って書いてある店は女性専用なのかもしれないね。

【11:12AM トンギョドン(東橋洞)地区 ヘアカット店】

空港行きの特急電車の時間が迫り、今度こそ最後の散髪チャンス。いきなり「Jake Hair」という店を発見。「美容室」ではないので、男でも髪切れるかもしれないと思い、祈るような気持ちで入店。

でも、この店に来てるのも女性ばかり。そしてここでも、「男性の散髪やってません」と、つれない返事が。

万策尽きて、失意のうちに(?)、日本に帰国したManachanでした。

うーむ、韓国の散髪は思ったより難しい。私が女性だったら楽勝なんだけどな…この国の男はどこで髪切ってるんだろう?

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ソウルで迷子になった話

おはようございます。Manachanです。

今晩、韓国ソウルに旅立ちます。現地一泊だけの駆け足出張です。東京からだと、ソウル行くのも福岡行くのも大して変わらない距離だし、ビザ不要だし、羽田・成田発フライトの便数も鬼のように多くて便利なので、一泊すれば十分ですね。

今のソウルは、地下鉄は東京みたいに四通八達、日本語英語OKのインターナショナルタクシーなるサービスも登場して、とても便利になりましたね。

私が初めて韓国に行った1988年とは、隔世の感があります(27年も経ってるから当たり前か・・・)。あの頃の韓国は、

・渡航にビザ必要
・日本人観光客も少なく、ソウルのミョンドン(明洞)でさえハングル文字オンリー
・ソウル市内の地下鉄路線も数えるほどしかなく、市内移動はバスかタクシー

ソウルで市内バスを乗りこなすのは、ハングル文字の読解力と土地勘がないと無理なので、外国人観光客は必然的にタクシーのお世話になるわけですが、当時、ソウルのタクシーがまた難しくて、

・乗り合いタクシーが一般的
・韓国語以外全く通じない
・他の客もいるので、どこに連れていかれるのか分からない
・料金がいくらかかるかも分からない(運ちゃんの言い値)

私は21歳の時(1990年)、妻と一緒に韓国旅行したことがあります。ソウル金浦空港に着いたのが夜10時を回っていたので、タクシー乗って適当に近く宿に泊まろうとしました。覚えたての片言の韓国語で、

ソデムンヨグァン(西大門旅館)

と、行き先を告げると、運ちゃんは分かったのか分からないのか知らないが、猛スピードで車を走らせました。

金浦空港を出てまもなく、路上で女性をピックアップ、しばらくして別の男性をピックアップ、(もちろん韓国語で)運ちゃんとの猛スピードの会話が始まり、私も妻も一言も聞き取れない。

かなりの距離を移動したところで、路上で女性を下ろし、別の女性をピックアップ・・・そんな感じで、乗客が何度も何度も入れ替わり、タクシーは走る。さすがの私も、どこに連れていかれるのか不安になってきました。

そしてついに、乗客は私と妻だけになりました。タクシーの走行距離はすでに、金浦空港~西大門をはるかに超えていると思われ、真っ暗闇のソウルの街を東へと移動しているようでした。

私たちはソデムンヨグァンに行きたいんだけど、本当にそこに向かってますか?

当てずっぽうの韓国語で運転手に聞くと、ものすごいスピードで答えが返ってきて、こちらは一言も聞き取れない。しばし無言。

しばらく走って、ラブホテルみたいな怪しい宿で下ろされました。請求された料金は、予想よりは高くありませんでした(乗り合いだからねえ・・・)。でも、ここがソウルのどこなのか、全く分からない。

当時、韓国の宿泊施設は、普通のホテルに見えても「大人のおもちゃ」自販機が置いてあったり、実質的にラブホ利用されているケースも多く、要はホテルとラブホの境界がはっきりしていませんでしたが、今回案内された宿は、室外も室内も「やらしいピンク」で固められ、いかにも歌舞伎町の裏町にあるラブホのたたずまい。

さらに、ホテル支配人が私たちの寝室にずかずか入ってきて、私のパスポートか身分証明書を見せろと言う。この宿は21歳未満は泊まってはいけないようで、その意味では私はギリギリセーフなんですが、その事実を確認するのに10分以上かかった・・・すでに午前0時を回り、こちらは不安と疲労困憊ですぐ寝たいんだから勘弁してよ~と叫びたくなる。

ことが一件落着すると、ベッドで泥のように眠ったのは言うまでもありません・・・

次の日、ソウルは快晴、気持ちの良い朝を迎えました。外に出るとここは住宅街でで、団地・アパートがたくさん建ち並んでいました。平和なひととき、優しそうなおばさんに韓国語で聞いてみる。

「ここはどこですか?」
「チャガンドン(長安洞)だよ」

【チャガンドンは、こんな感じの下町でした】

宿に戻って、ソウル市内地図で「チャガンドン」を探すが、見つからない。後で分かったことですが、ここはソウル市内東部の住宅地で、チョニャンニ(清涼里)駅の近く。都心部からは離れているので、当然、観光客向けの地図には載っていなかったのです。よく考えたら、昨晩のタクシーはソウル市内を西から東へ大縦断していたのです。

【乗り合いタクシーの大移動】

とにかく、ソウル市内の中心部に出ようと思い、ホテルをチェックアウトする。歩いて5~6分のところに、ソウルメトロ2号線のシンダプ(新踏)駅があったので、そこから地下鉄に乗る。シンソルトン(新設洞)駅で一号線に乗り換えて、有名な観光地トンデムン(東大門)駅に到着。ここはさすがに観光地図に載っており、私も妻も、ほっと一息つきました。

ヒヤヒヤ、ちょっとワクワク・・・21歳の若さで経験したソウル迷子物語、今となっては良い思い出です。インターネットもスマホもある現代、こういう体験は、しようと思ってもなかなかできるものではないでしょう。

ま、あれで韓国個人旅行の度胸がついたから、私にとってはプラスの体験でしたね。

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不登校と心理エネルギー

おはようございます。Manachanです。今回は子育てねたで。

娘ソフィアの不登校問題、今年初めよりは大分改善したとはいえ、まだ解消には至っていません。

1月時点
登校班で行く確率0%
私が連れていって登校する確率75%
終日登校できない確率25%

4月時点
登校班で行く確率50%
私が連れていって登校する確率50%
終日登校できない確率0%

4月から、妻は日本語学校通学のため、平日は9時前に出なくてはならないので、その時間までにソフィアが登校しない場合(つまり週の半分くらい)は、学校に連れていく人は私しかいません。

時間の自由がきく自営業だから何とかなってますけど、私が出張等で不在にしたら最後、登校の「連勝記録」がすぐ止まってしまう状況ですね。

不登校がもたらす家庭生活に対するインパクト、その過程で私たち親が何をどれ位悩んでいるのか?何を考え、何を解決しようとしているのか?その葛藤は当事者じゃないと分かりません。たとえ育児や心理学の専門家が入ったとしても、よほどヒアリングを重ねない限り理解はできないでしょう。

子育ての苦労はどの親も体験しているでしょうが、子供の個性はそれぞれ違うし、直面する問題も家庭によって違う。そして、子供に対する親の態度や価値観も違う…親がどんなに頑張ったところで、「周囲の誤解、無理解」は避けられない問題です。

たとえば、私たち夫婦の場合、時々こんなことを言われたりします。

・学校に連れていけないことを、「甘やかしているからだめなんだ!」と言われる

⇒(Manachan独白)厳しく言いつけて解決する位なら、俺らこんな苦労はしないよ。

・日本の学校が合わないなら、英米系の学校(インター)に行けば解決するんじゃん?

⇒(Manachan独白)週一回の英語補習校でさえ不登校気味の子が、月~金の5日間、インターに喜んで通学するなら、俺らこんな苦労しないよ。

ま、事情を知らないし、責任もない立場だから見当はずれのこと言うんだろうね。ま、外野(世間)なんてそんなもんでしょう。自分で試行錯誤しながら、模索していくしかありません。

今日は10時になって、ようやく、ソフィアが学校行くと言ってくれました♪パパの苦労はまだまだ続く。

不登校に直面する私が日々感じているのは…娘の場合、

・義務とか、決まりだから学校行かなきゃならないとか、そういう観念がほとんどない。
・友達に合わせたり、周りの期待に応える、という感覚もない。
・その時々の、自分の感情や気分を他の何よりも優先する。

だから、彼女が「学校行きたくない」という気持ちになったら最後、他のいかなるロジックも通用しないのです。

では、なぜ学校行く気にならないのか?…私の仮説ですが、たぶん、「心のエネルギー」の問題だと思います。ピーク時のエネルギーが100とすると、

・学校に一日行くだけで、エネルギーを80くらい使いきって、残りが20くらいになる。
・その後、家で好きなことをしているうちに、エネルギーが回復する。
・もし、朝起きた時点で、エネルギーが80以上になっていれば、登校班で学校に行ける。
・逆に、エネルギーが80に満たない場合は、学校に行ったら最後エネルギーを使い果たすことが分かっているので、頑として行かない。

そういう時は、学校行けとは一切言わず、家で好きな本を読ませたりして、エネルギーが十分回復するのを待つしかありません。

学校に行くだけで、(ポケモンの)HPが「1」くらいに落ちるので、ゆっくり回復させてやらないといけない。

学校行くとエネルギー消耗するのは、なぜか?私もアスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)だからよくわかりますが、学校という集団教育の場は、無意識のうちに「皆と合わせる」とか、「周りの希望を察知して動く」ことを期待されます。大多数の子は、慣れれば難なくできるようになりますが、自閉症系列の子供にとっては、ものすごい不自然なことです。

私なんか、40歳を超えても、セレモニーの場で席順とか服装とか考えるだけで頭がパニックになり、下手したら仮死状態(HPが1以下)になってしまいます。娘も似たような体験を、学校でたくさんしているのでしょう。日本の学校でも英語圏の学校でも、集団生活のプレッシャーを人一倍受けて消耗する点では全く同じ。

要はそういう脳の構造なんですから、親のしつけや学校の指導で解決できるものではないのです。外野が何言っても動かないのです。いま私にできることは、

・心のエネルギー回復をじっくり待ちながら、学校に行かせ続ける。

中長期的には、

・あまり激しく消耗しないような教学環境を選ぶ。

基本的には、本人の好きなことをやらせるのが良策かなと思います。パソコンとか実験とか好きそうだから、そういう教室だけ行かせて、伸び伸びやらせる。通常の塾には行かず、受験競争にも参戦しない。

もしかしたら、将来大きく伸びる子かもしれないので、(大きな心配のなか)ちょっとだけ期待しましょう。

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