2018年 5月 の投稿一覧

「学校適応が難しい子」と「担任教師の無理解」による厄災を防ぐ方法

こんばんは、Manachanです。今回は子育て、学校教育ねたでブログ書きますね。

うちの近所にお住まいで、お子様を評判の良い公立小学校に通わせている友人から、残念な報告が入りました。学校で小3のお子さんと担任教師がトラブルになり、身体的な威嚇まで受けたにも関わらず、その教師は何らの処分も受けずに他校に転籍、どうしても納得いかないので不本意ながら裁判沙汰にするという…

そのお子さんは「集中できない、落ち着きがない」性格で小さい頃から発達障害の傾向が見られたので、お母さんは学校選びにものすごく気を遣い、自宅から距離のある学校まで日々、行き帰りの付き添いもしてきました。それで小1~小2は理解ある教師に恵まれ順調にいけたのですが、3年の担任教師がとにかく性格が合わず、お子さんも教室に怖くて入れず、強いストレスを感じると暴発したりして、「〇君が暴れて他の子に迷惑かけてます」と言われて何度も学校に呼び出されたようです。

 

まだ親の言い分しか聞いてないですが、私はお子さんに同情しますね。まだ小3、学校生活がどれだけ怖くて、不安だったことか。登校しても教室に入れなかったのはなぜなのか、教師として、もっと子供に寄り添って懸念を理解できなかったものなのか?暴発という問題行動を起こしたのも、おそらく「感情の高ぶりをどうコントロールしてよいか分からない」というスキルの問題である可能性が高く、もしそうなら罰を与えても全く意味がない。この子に足りないスキルが何で、どういう理由・きっかけで起こるのかを、子供を預かるプロ教育者として考えられなかったものなのか?

その観点でいうと、間違いなく、担任教師のスキルが足りなかったのでしょう。問題の初期から親を巻き込んで解決策を練るような機転もきかず、「迷惑」という言葉で物事を断じ、結局親とも全面衝突して裁判沙汰にまでなってしまったわけです。さらに言うと、その教師を処分せず、他校転籍というかたちで「臭いものに蓋」した学校側のマネジメント能力も大いに問題ありだと思います。

間違いなく言えることは、こうした一連の出来事で、最もつらい思いをしているのはお子さん本人だということです。

 

振り返ると、私自身が、ある種の発達障害を抱えた子供だったので、この一件は身につまされます。我が小中学校生活は、まさにジェットコースター、担任によって天国にも地獄にもなりました。よく理解してくれる担任のもとで順調な一年を送っても、学年が進んで担任が変わると、また一から振り出しに戻ってしまうのです。

さらに言うと、当時は今以上に、「子供が変なのは母親のせい、子育てのせい」にされる世の中でした。学校の先生も周囲の親たちも、私の奇行の数々(青っ洟を垂らして汚い、忘れものが酷い、身なりが酷くだらしない、言葉で気持ちを表現できない、授業態度は最悪だけどテストの成績だけは良い等々…)を、家庭でしつけができてない問題だと解釈し、私の母親のせいにするのでした。

確か小5でしたか、通知表にこんな所見が書いてあったのを今でも覚えています。

 

「基本的な生活習慣ができてないので、周囲の子に軽視される傾向があります。家庭でのしつけを徹底してください」

 

それをもらった私は、悔しくて切なくて、母親に涙ながらに訴えました。

 

「いまの先生は、僕のこと、全然分かってくれないんだよ」、
「それなのに、みんながお母さんを悪者にするんだ、すごく悔しいよ…」

「そうか、分かった。マナブは、お母さんのために泣いてくれたんだね。ありがとう!」

 

そして、歴史は繰り返す。今度は私自身が大人になって、不登校児を抱えて子育てすることになりました。中1の娘ですが、この子は私よりも困難が見えにくく、学校では全く問題行動を起こさずフツーに見えるのですが、登校が難しく、自宅で育つ生活を何年も続けています。

娘も私の子供時代と同様、担任によってジェットコースターみたいに運命が変わる学校生活を送ってきました。小学校の6年間で、理解のある担任の先生にあたったのが2回、あとの4回は彼女にとってベストとはほど遠く、担任との相性や理解度が不登校に直結するわけです…困難を抱えた子供の学校生活というものは、かくもデリケートで、壊れやすい。

 

周りを見渡せば、娘のように学校生活に適応できない子が何人もいます。我が家は国際結婚ファミリーですが、両親とも日本人の家庭でも当たり前にそういう子はいます。そして、学校と子供の適応というテーマは国を問いません。以前ブログで書きましたが(不登校児、どの国で育てても大変)、オーストラリアで知り合いの男の子(両親とも豪州人英語ネイティブ)が、小学校を2回変わっても適応できず、校長・副校長先生の教育方針にも合わずに、現在はホームスクール(自宅学習)しながら育っています。

「当たりはずれ」(Hit and Miss)は人生につきものとはいえ、もう少し何とかならんものでしょうか?まだ幼い子供が学校で適応困難になったら、親も教師も大変な思いをするし、それ以上に子供が辛い。教師との相性の良し悪しは避けられませんが、相性の悪い教師に当たってもリカバリー確率を高める方法論や体制をつくれないものでしょうか?

 

私思うに、学校内に「子供の代理人」(Advocate)的な教師が居て、早期に適切な介入ができれば成功確率が断然高まると思います。私は小学校の2年(前半のみ)と6年で、娘は3年と6年で、自分を理解し、高く評価してくれる担任教師に当たりましたが、仮にそうでないタイプの教師が担任になってしまった場合も、相性の良い大人に引き合わせてくれたり、相性の悪い担任から上手に引き離してくれるような役目をしてくれる誰かが居てほしい。

それが「生活指導(不登校対応も含む)の担当教師」なのか「保健室の先生」なのか、「スクールカウンセラー」なのかは学校によって違うでしょうが、少なくとも子供の気持ちをよく汲み取ってくれて、かつ学校内の教師の性格やスキルをよく知り、かつ担任に勇気を持ってNO!と言える方が望ましいと思います。

 

娘の場合は、奇しくも、在籍中学校にある「にほんごくらぶ」の先生(外国出身で日本語が不自由な児童が授業についていけるようサポートする専門教師)に救われつつあります。たまたま、その先生が言葉の問題含めて学校適応に苦しんでいる生徒をたくさん見てきたから子供の代理人になれるわけです。さらに踏み込んで言うと、私たちの暮らす東京江東区が外国出身者を一定数抱える多文化の社会になりつつあり、それに対応しようとする学校側の動きが結果的に娘を救っている面があるわけです。

学校適応に困難を抱える児童は、担任の無理解によって大きなダメージを受けてしまうハイリスクな存在ですが、仮にそれが起こったとしても、問題行動を起こす前に「子供の代理人」によるタイムリーで適切な介入ができる体制を、各学校で考えてもらいたいと思います。

 

最後に、私は子供時代に辛い思いをした経験と、娘の不登校問題を活かして、日本の公教育の現場で教師の方々と協力して有益なインプットをしていきたいと思います。

私立に行くとか、インターや外国留学に行くみたいな、「教育をお金で解決する」アプローチを私は好みません。日本の国庫に少なからぬ不動産譲渡益税や法人税を払ってる納税者なんですから、その税金で運営される公立の学校に子供を通わせたいし、かつ、税金が十分活かされるように、保護者の立場から先生の能力を開発し、よい仕事をしていただく上で貢献したいと思います。

 

世界中を見渡すと、今の日本の教育現場で「先生が真面目で熱心」なのは、何にも代えがたい財産だと思います。公立学校の先生がロクな給料もらえない国、教師の副業や怠業が当たり前の国、それを嫌気した富裕層が子供を私立や外国に逃がす国なんて、世界中にたくさんありますもん。少なくとも日本では、普通の公立学校で、一定レベル以上の教育を受けた先生が熱心に職務に勤しんでますし、地域の保護者と対話しようという意識も高い。日本人の特性か、相手の立場に立った共感能力の高い教師も少なくない…客観的にみて大変恵まれた国に住んでいると思います。

個人差はあれど先生方が真面目で勤勉だからこそ、ポテンシャルも大きいと思いますし、日本社会に貢献する次世代を育むのに絶対不可欠な条件「どの子にも教育の機会を与える」という理念にも共感してもらえると信じます。もし、困難を抱えた児童が相性の良くない担任に当たり、タイムリーで適切なケアができなかった結果、「その子に教育の機会を失わせてしまう」のはもちろん良くないし、それを防ぐために学校側で何ができるのか、保護者と一緒に考えましょうという提案にもご理解いただけるはずと思います。

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不登校児、どの国で育てても大変…

こんばんはManachanです。今回は子育てネタでブログ書きますね。

私の娘は、東京都内の区立中学1年生。断続的な不登校が小学3年からはじまり、中学生になっても未だに苦労が続きます。今のところ、親が付きそうかたちで週に数回、放課後登校させています。現場では不登校児に理解ある先生が居るかと思えば、全く理解も興味もない先生も居ます。とにかく「相性の良い先生にあたるかどうかという、自分ではコントロールできない”運”に左右される学校生活」に不条理を感じながら、親として苦労や心配は今後ずっと続くんだろうなあと思います。

 

ところで、不登校児は、どの地域でもどの国でも一定割合で居るようです。私たちは国際結婚家庭で、日本の学校への文化的適応に問題が多いと言われてますけど、多分それは問題の本質ではないでしょう。両親とも日本人の家庭で育った子でも、日本の学校に合わずに不登校になる子は相当数いるわけですから…妻の実家があるオーストラリアでも同様で、両親ともオーストラリア生まれの白人の家庭で育った子でも、学校に合わずに不登校になるケースは当然あります。

「オーストラリア不登校」、身近な知り合いにもいますよ。両親とも英語ネイティブの家庭に育ち、学校の成績は問題ないのに、他の子供たちとの人間関係をつくることができない。まずは小学校低学年でいじめに遭い、親がみかねて転校させたのですが、その学校にも馴染めず結局不登校になってしまった。

 

「不登校」を、英語圏ではSchool refusalと言います。直訳すれば「登校拒否」。かなりきつい言葉ですね。思えば私が子供だった1980年代、日本では「登校拒否」という言葉が使われていました、当時は子供を登校させないことがとても悪いことだとされ、その批判の矛先が親に行ったり(親もつらいのにね…)、また学校側も、義務教育にもかかわらず「登校させないとお子さんが卒業できませんよ」と、半ば脅しをかけるような時代でした。

卒業証書をちらつかせされたら、親も当然、我が子を無理にでも行かせようとする。それが、さらなる悲劇につながるわけです。いじめ、自殺…いろんな問題が頻発するなか、文部省は1992年、全国の小中学校に向けて、こんな通達を出します。

・「登校拒否」ではなく「不登校」という柔らかい言葉を使おう。

・「不登校」は自然なことだと認め、そうなった子供を学校に戻すような仕組みを考えよう。

・「不登校」「無登校」であっても、義務教育なのだから、卒業証書は必ず出そう。

 

今ではさすがに、「登校拒否」という言葉を使う人は減り、「不登校」自体が社会的に認知されてきました。フリースクールや、インターネットを使った通信制の中学高校などの選択肢も増えてきました。とはいえ、(学校に行かず)自宅で育つ子供のための教育「ホームスクーリング」はまだ認知度も低く、方法論も十分に開発されていない印象です。この方面で先進的なのは、やはりアメリカをはじめとする英語圏でしょう。長年の歴史と蓄積があります。

でもって、「ホームスクーリング」が盛んな英語圏で、「不登校」のことをSchool Refusal(登校拒否)と言うのはなぜなのか?…その意味を考えたいと思います。

 

私の見聞した範囲でいうと、オーストラリアでは、「お子さんが学校に行けないなら家庭でホームスクーリングすべきでしょ?」というかたちで物事が処理されるようです。まず福祉局の人が来て、ホームスクーリングプログラムを親に考えさせて、家でやらせる…という感じなので、そもそも「学校に戻す」という発想自体が希薄なように思います。

そもそも、社会と学校の成り立ちからして、日本とは根本的に違う。特にアメリカでは、近代的な学校制度を国がスポンサーするずっと前から、教会や開拓者コミュニティが民間の学校をつくり、独自の教育を積み重ねてきた(リンカーン大統領もケンタッキーの開拓者の学校で学んだわけです…)。オーストラリアも開拓者社会なので状況は同じで、人口希薄な遠隔地も多いので、そういう地域で育つ子供に対する教育は、都市部の学校とは全く別の体系で、ラジオやインターネットを利用しながら長年行われてきました。つまり、「児童教育は学校が全てではなく、それ以外の方法でやっても構わない」、これが英語圏社会に共通のコンセプトだと思います。

 

逆にいえば、そういう教育の伝統だからこそ、公立の小中学校で不登校になったらすぐ、「School Refusal(登校拒否)ですね。学校で無理なら家でやってください!」と、突き放されるのだと思います。

一方、日本、韓国、中国など東アジアは学校信仰が強い社会であり、国の認めた学校以外での教育はなかなか認めない傾向がある。だから、不登校になったら家でやりなさいと突き放すことは難しく、いろいろ考えて、何とか学校に戻そうとするのだと思います。「不登校」という柔らかい言葉を使ったり、登校日数ゼロでも卒業させることも含めて…

 

英語圏社会と東アジア社会、どちらの教育のやり方にも良し悪しがあると思います。日本の教育しか選べない方々は英語圏教育への憧れが強いのか、(こちらが頼んでもないのに)私に対して「インターに行かせるべきじゃない?」、「英語圏で教育した方がお子様のためじゃない?」みたいなアドバイスすることがありますが、

日本とオーストラリアどちらも選べる我が家の立場からすると、(選べるからこそ)オーストラリア教育の良くない部分も当然見えてくるわけで、我が子の特質、日豪社会や教育の在り方を総合的に考えれば考えるほど、実際に選ぶのはものすごく難しいと感じます。

 

私、現時点では、次のように考えます。

・娘は、たぶん日本で育てた方が良いだろう。

・いまオーストラリアに行ったところで、学校に馴染めるとは限らないし、馴染めなければ放り出されてホームスクール。せっかく覚えた日本語も忘れるだろうし、将来的に箸にも棒にもかからない扱いを受けるリスクが高い。

・その点日本なら、学校側が一生懸命、登校させようと努力してくれるし、その結果学校に馴染めるようになれば御の字。たとえ馴染めなくても日本で暮らすことで得られる日本語能力が、将来オーストラリアに行っても結果的に娘の身を助ける期待もある。

 

とはいいつつも、日本での学校生活、親としての苦悩は当分続くでしょう。気長に頑張ります。

 

続編はこちら…

「学校適応が難しい子」と「担任教師の無理解」による厄災を防ぐ方法

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日本に東京があって良かった 〜世界からTokyoへUターン起業した男のつぶやき〜

こんにちはManachanです。いつもブログご愛読ありがとうございます。

人間は生まれ育った場所で一生涯を送るとは限りません。故郷を離れ、就職や就学のため他所(大都市など)に移動する人が相当多いからこそ、世の中、UターンやJターンなる言葉があるわけですね。

たとえば、地方出身の人が東京に移動する場合、

  • Uターン…故郷→東京→故郷 (例.青森出身者が東京に出た後、地元に戻って暮らす)
  • Jターン…故郷→東京→故郷に近い中核都市(例.青森出身の人が東京に出た後、仙台で暮らす)

私の場合は少し変わり者でして、日本を飛び出して地球規模で「直径8000キロのUターン」をしました。

  • 故郷(日本)→海外(オーストラリア、中国等)→故郷(日本)

私は日本の首都圏(千葉県柏市)で生まれ育ち、東京の高校、大学で学び、1994年、東京で就職しました。

その6年後、2000年に日本を離れてオーストラリアに移住し、現地で就職。5年暮らした後は中国に移って働き、2007年に日本(東京)に戻り、Uターン就職。その6年後、サラリーマンを辞めて東京で起業しました。

以上まとめると、こうなります

  • 1994〜2000年 日本(東京)でサラリーマン
  • 2000〜2005年 オーストラリアでサラリーマン
  • 2005〜2007年 中国でサラリーマン
  • 2007〜2013年 日本(東京)でサラリーマン
  • 2013年〜 日本(東京)で起業

私はこのようにグローバルな人生を歩み、海外で英語や中国語を使う専門的職業に就いて働いてきたのになぜ、わざわざ家族全員連れて日本へUターンして、挙句に会社まで興したのはなぜなのか?その意味を考えてみました。

正直言うと、海外の広い世界で暮らしたあとで、日本に戻るに際して「3つの不安」がありました。それは、

  • 1)「大学→大企業という決められたレールを大きく踏み外した後、38歳という年齢で日本社会に合流してもまともな就職はできないのではないか?」
  • 2)「国際結婚して外国で生まれた子供が、異文化との共生に慣れていない日本の学校で先生や仲間に受け入れてもらえないのではないか?」
  • 3)「日本で暮らすと、子供たちに英語力を身につけさせる環境が無いのではないか?」

しかし蓋を開けてみると、上記は全て杞憂でした。日本もとい「東京」に、良い意味で期待を裏切られたのです。東京は私の気づかないうちに、国際都市として進化を遂げており、世界中の人々を同僚や隣人として自然に受け入れる多文化社会になりつつあったのです。

まず、1)については、38歳で再就職活動しても、同世代の一部上場企業の仲間と比べて遜色のない給料で、外資企業のITマネジャーとして迎え入れてもらいました。生活水準もキャリアの面でも、海外に居る時と比べて全く妥協することなしに、日本での経済生活をスタートできたのです。

正直言うと、日本に帰国した場所が「東京」だったから良かったのです。外資企業の専門職、管理職の求人は、私のみる限り、日本全国の80%以上が東京23区に集中していたのです。言い換えれば、私が首都圏生まれだったおかげで、両親の住まいの近くに「Uターン」できたわけです。これがもし、日本国内の他地域、例えば九州出身だったなら「Jターン」(九州→海外→東京)になっていたはずです。

次に2)について。今時の東京都内、特に23区東部の公立小中学校は外国籍や外国生まれの児童がクラスに居るのが当たり前。我が子の名前がカタカナでも妻が日本語ネイティブじゃなくても、珍しいことじゃないので自然に受け入れてもらえます。移民の多い英語圏の国ではノンネイティブの児童が英語の授業についていくのをサポートするESL(English as Second Language)クラスがありますが、東京の我が家近くの公立中学校にもそれに類したJSL(Japanese as Second Language)クラスが設置され、専門の教師が配属されています。

3)に関して。確かに日本社会では日本語が圧倒的に強く、英語の通用度も使用頻度も高くはありません。ですが、東京ならインターナショナルスクールも英語補習校も、帰国子女向けの塾も豊富な選択肢があり、我が家のような日英バイリンガルファミリーで育った子供が、日本語力と英語力を維持する環境は整っています(注. 首都圏でも埼玉や千葉、横浜以遠の神奈川に住むとハンディがあるので、英語力維持したいなら東京都内に住むことが大事です。)

また、他国と比べた英語通用度の低さは、多言語能力と海外勤務経験を持つ私からみれば逆に「他者に差をつけるチャンス」以外の何者でもない。結局その比較優位を活かして東京で起業することにしました。言い換えれば、東京は「世界最大の経済規模を持つのに英語通用度が低い」という稀有な都市であり、その舞台で私はチャンスを掴んだのです。

結局何が言いたいのか?私自身を含め、海外で活躍した日本人にとって「東京はいつでもUターンできる都市」だということです。客観的にみて、東京は日本で唯一の国際都市。外国語を使う専門的職業の雇用が豊富で、多文化共生の社会環境も英語力を維持する教育環境もそれなりにあります。

言い換えれば、国際都市·東京があるから、私は日本に帰って来れたのです。もし東京がなかったら、私は今頃間違いなく、日本以外の国に住んでいたことでしょう。

海外に住んでももちろん良いけれど、私は海外経験を活かして母国·日本に貢献したいと思うタイプの人間なので、日本に東京という都市があって良かった、おかげで楽しい人生になった…本当に、心からそう思います。

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海外不動産サポート料の意味と、最適化への挑戦

こんばんは、Manachanです。今回のブログでは、日本人投資家が業者経由で海外不動産を購入する際の「サポート料」の意味合いについて考察します。

 

「そもそも、なぜ購入サポート料が必要なのか?」

海外不動産を買う日本の投資家の多くは、購入価格の約2~5%の「サポート料」を仲介業者に支払っているはずです。これは顧客側、業者側それぞれの事情で、必要とされています。

顧客からみると、日本とは言葉も商慣習も大きく違う海外で不動産を買うわけなので、契約・登記まわり、保険の手配、管理契約や入居付けアレンジ、それらに関連する外国語のやりとりを、自分ではとてもできないから業者に代行してもらいたい。その対価としてサポート料を支払う、という構図になります。

一方、業者側からみると、ビジネスの収益源としてサポート料は日本人顧客から是非いただきたいものです。というのも、英米圏はじめ海外の多くの国では、不動産仲介手数料は「売り側からしか取れない」もので、買い手から取ってはいけない商慣習ですので、その国の法律で認められた仲介手数料以外の収入を、日本でサポート料という名目でいただく必要が出てくるのです。

私は自分自身が投資家(顧客側)でもあり、かつ業者側のポジションも持っているので、両者の立場が良く分かります。顧客が業者のサービスを切に必要としており、かつ業者が時間をかけてサービス提供するわけなので、適正な対価は当然に必要です。

時々、「サポート料なし」をうたう業者がいますが、そういう取引は疑ってかかった方が良いでしょう。サポート料なしでも商売やっていけるということは、売値をたっぷり乗せて、顧客に見えないところでガッツリ利益をとっているかもしれません。つまり「海外版かぼちゃの馬車」的な割高カス物件を客に売ってる可能性があるのです。

 

「サポート料をめぐる問題、トラブルとは?」

ところで、上記のサービスとサポート料をめぐって、顧客と業者がお互いに納得感のある取引ができるとは限りません。多分うまくいってないケースの方が多いのではないでしょうか。

まず、業者側からすると、「要求の細かい日本人客」と「アバウトな海外取引先」の板挟みになって苦しむケースが多い。お互い悪気はないのでしょうが、海外の商慣習や法律、サービスの概念は日本と大きく違うもので、メール等でやり取りしても海外取引先の回答は日本人客からみると要領を得ないし、それ以前にレスが遅い、逆に日本人の質問は海外取引先からみると枝葉末節すぎて答える気がなくなる…お互いの文化や商習慣が違う以上、その橋渡しの仕事はかなり高度なものになります。ビジネススキルと文化理解、語学力すべてが必要で、頭良くないと絶対に務まりません。

 

高度な仕事にも関わらず、それに見合った報酬を支払うに十分なマネタイズができる会社は、いまの日本の海外不動産業界では稀です。そもそも、日本人からサービス料を取ること自体、かなり難易度が高い。世界広しといえども、日常的な外食でもその料金に「サービス&おもてなし」が含まれる日本みたいな国は珍しく、そういう国に暮らす人たちは、外出しの「サービス料」を払うことに慣れていません。それが相当な専門知識を必要とするものであってもです。

ですが、日本の外に出ると、「サービスは別途料金で先払いが当然」の世界が多くなります。例えばアメリカとかだと、「弁護士の時間とるだけで1時間300ドル」のフィー徴収が当たり前で、しかも前払いしないと簡単な回答さえしてくれないことが多い。「先方にちょっと聞いて確認する位ならタダが当然」と思ってる日本人客とのギャップは非常に大きく、サポートスタッフは両者の板挟みで苦労します。

 

さらに、海外不動産仲介ビジネスの経営者のなかで、不動産業界経験者が相対的に少ないことが問題をさらに大きくしています。金融、保険でも旅行代理店でも、どの業種から参入しても良いと思いますが(私自身もITからの参入組です…)、「不動産は売りっぱなしが許されない世界」だという基本的な理解をしない経営者は、いとも簡単に「放置プレイ」、「国替え」、「転廃業」をしてしまいますし、そういう会社ほど有能なサポートスタッフが逃げてしまいます。

以前より多少はマシになりましたが、数年前の東南アジアでは日系仲介業者の「サポート中途放り出し」が酷く、日本人オーナーで「海外不動産難民」になってしまった方が多数おられます。私は2016年から、困ったオーナー様のために、仕掛中の不動産登記のフォローや、引き渡し、入居付けをサポートするレスキューオペレーションを始めています(参考:海外不動産レスキューのお仕事)。

 

「最適なサービスとサポート料を模索する」

上記を踏まえて、顧客と業者、それぞれがハッピーになれる海外不動産関連サービスと、その対価たるサポート料とはどうあるべきか、考えてみました。

まず、お互いが踏み外してはならない、二つの原則があると思います。

 

・業者へ…サービスを途中で放りだすのはナシよ。

・顧客へ…適正な対価を払わずにサービスだけ期待するのはナシよ。

 

それが満たされたら、不動産購入の本来の目的に立ち返ってシンプルに考えれば良いと思います。日本人の場合、海外不動産買っても当地に移住したいニーズは少なく、ほとんどが「投資」目的の購入なんですから、業者は「顧客が当該国への納税義務を果たしながら投資利益をちゃんと得られるようなサポート」に徹すれば良いと思います。

その際、業者が取るサポート料は、コストとして投資収支を圧迫する要因の一つになるので、顧客からみて「費用対効果」が納得感あることが肝要です。私自身は投資家で収支にはシビアなので、中間経費はできるだけ最小限にして、投資効率を最大化したいと思う人間です。そういう「投資家肌」の顧客もハッピーになれて、かつ「業者に全部お任せしてラクしたい」と思う顧客もハッピーになれるオプションが提示されれば良いと考えます。

その見地から、私は次の方式を提唱します。

 

1)購入サポート料は、購入手続に加え、第一回目の家賃入金と第一年目の当該国税務申告までをサポートする対価としていただく。そこまで一通り経験すれば、「管理会社や税理士など現地コンタクト先と、どのタイミングで、どういうコミュニケーションが発生するのか?」がだいたい分かるようになる。

2)それ以降は、「業者を通さず自分の責任で現地とコミュニケーションする」か、或いは「適正なサポート料を支払って業者に引き続きやり取りをお任せするか」、どちらも選択できるようにする。

 

私自身は、「業者にサポート料払わずに自分でやりたい派」なので、価値観の近い投資家系のお客様には、「最初の一年でやりとりの基本を覚えて、あとは自分でやった方がスキルも上がるし費用も節約できていいんじゃないですか?」とお勧めしますが、

私のみる限り、お客様の7割以上は「ずっとサポートして欲しい派」だと思います。もしそうであれば、「国際不動産サポートという高度な専門サービスに対して適正な対価(例.1物件につき毎月最低100USD以上)を払い続ける」覚悟が必要になります。それなりの投資規模で、かつ時間を買いたいのであれば、こちらをお勧めします。

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