2018年 4月 の投稿一覧

空気よめない父 vs 空気よみすぎる娘

こんにちはManachanです。今回は久しぶりの育児エッセイでいきます。

私自身も、娘ソフィアも、それぞれ日本の学校には不適応な面を抱えつつ育ってきました。娘は現在中学1年生で不登校中。一方、私の小中学生時代は不登校自体が許されず(当時は「登校拒否」という犯罪者めいた言葉で呼ばれていた)、担任の先生にも毛嫌いされつつ日々登校しましたが、さすがに高校生になると自我が芽生えて、自分の意志でしっかり不登校するようになりました。

余談になりますが、加計学園問題で国会証人喚問されて、時の人となった文科省の元事務次官・前川喜平氏。出会い系バーや天下り斡旋問題もあって賛否両論の人物かと思いますが、彼、実は日本の不登校問題における偉大な功労者なんです。

 

・1980年代「登校拒否」児が増えた時期。当時の学校は「登校しないと卒業証書ださないぞ!」と保護者や子供を脅すことが横行し、無理な登校がさらに悲劇を大きくするトラブルが続出。そこで文部省は「卒業証書必ず出しなさい」指導を出した。その結果、今では完全不登校の状態であっても中学校から卒業証書が出るようになった。

・1992年に、「登校拒否」ではなく「不登校」という言葉を通知で使い、不登校は誰にも起こること、当たり前のことだと認識を改めた。その上で、民間施設等で学校復帰を前提とする指導を受けている場合、在籍学校での出席扱いにする方針を出した。

・2016年、馳浩文科大臣ら議員有志と協力して、「教育機会確保法」の実現に尽力した。

 

娘と同様、かつて日本の学校で不適応を経験した父の視点でみると、不登校児童に対する教師の理解や支援体制は、今なお課題が多いとはいえ私の小中学校時代と比べれば格段に整ってきたと感じます。これも前川氏や馳議員をはじめ、多くの方々の功労があってこそです。

ところで、同じ学校不適応でも、私と娘とは、違うタイプの性格ゆえ、それぞれ別の苦労をしています。

 

私は、空気が読めない。だから、集団行動でさまざまな問題を引き起こす。

逆に娘は、空気を読みすぎてしまう。表面的には集団行動で全く問題ないようにみえるが、実は相当疲弊している。

 

いずれも、病気ではなく、人類に一定の割合で存在する「脳の性質」です。私のは「自閉症スペクトラム」とか「アスペルガー」とか呼ばれるもので、娘のはおそらくHSP(Highly Sensitive Person、高敏感性・高感受性)かと思いますが、いずれも少数派であり、多数派の児童や先生に最適化された学校社会において様々な不適応を起こしやすいのです。

それぞれ、どんな問題を起こすのか?私の場合は、集団行動のなかで自分が何をすべきなのか、ちゃんと言ったり書いたりしてくれれば理解できるけど、それ以外の非言語的コミュニケーション(空気読み、人の気持ちを察する等)が極めて苦手で、それができて当然と考えるグループのなかでは誤解や齟齬が起こりやすい。この性質のせいで、社会人になっても、また家庭生活でも苦労しています。

一方で、娘の場合は、集団行動のなかで自分がすべきことを、他の人より知りすぎてしまう。空気を読みすぎ、同調圧力も必要以上に感じてしまう。人間関係だけでなく、大きな音や匂いにも極めて敏感で、処理する情報が質量ともに多すぎるために、学校で起こる物事にすぐ圧倒されてしまう。表面的には他人とうまくやる能力があるので、問題行動は起こさないが、実は相当な無理をしているので、結局、自分を守るために不登校や引きこもりになるのです。

言い換えれば、非言語的な情報に「鈍感すぎる父」と「敏感すぎる娘」…ともに、学校など集団生活では苦労するという共通点を持っています。

 

でも、学校という閉じた社会で不適応を起こしても、実社会ははるかに複雑で多様なので、鈍感な父も敏感な娘も、どちらも、社会のなかで居場所をみつけることはできるはず。その意味で私は、娘の将来を楽観しています。

私の場合は、非言語コミュニケーションは極めて苦手でも、言語コミュニケーションは人一倍得意で、ブログやコラム執筆、外国語習得などの分野で能力を発揮し、それを仕事に活かしています。他人のペースで動かされるのは絶望的に不得手ゆえ接客業などは無理でしょうが、得意分野に特化して自分のペースで動くのは得意なので、「海外不動産投資」という圧倒的な得意分野に特化して、情報発信と組み合わせてビジネスをしています。

一方、娘の場合は、感受性が人一倍強いという特性を生かした職業で輝けると思っています。例えば、デザイナーとか、カウンセラーや精神科医、あるいは、本人が多人数と付き合うストレスを克服する方法を見つけたなら、それこそ「学校の教師」になれたら良いと思います。不登校が一向に減らない今の教育現場では、一人ひとりの子供に好奇心を持ち、心でつながれる教師が切に求められているからです。

 

最後に、私と娘の性格は相性良いです。多くの刺激を受けすぎて疲れてしまうHSPな娘にとっては、たぶん鈍感すぎる人間の方が気が楽でしょう。

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定住人口で縮み、交流人口で拡大する日本

こんにちはManachanです。いつもご愛読ありがとうございます。今回のブログでは、不動産投資・ビジネス、国民経済におけるキーワード、「定住人口」と「交流人口」について論考したいと思います。

 

海外の不動産投資を志す日本のお客様は、多くが「将来、日本の人口が減り、経済が停滞・衰退する」ことを懸念しており、それが彼らをして海外に目を向けさせる主な動機になっています。

彼らのいう「日本の人口が減る」とは、日本の国土で暮らす「定住人口」が減ることを意味します。総務省の統計によれば、2017年の通年で、「日本国民が37万人減り、外国人の定住者・長期滞在者が15万人増え、差し引き22万人減り」、その結果、総人口が1億2682万人から1億2660万人くらいになるようです。ちなみに過去数年の総人口推移は「18万人減(2014)→14万人減(2015)→20万人減(2016)→22万人減(2017)」位です

(総務省や社人研の図表に必ずついてくる人口の将来推計は意図的に省いております。結局のところ、推計のほとんどが外れるわけで、それ自体が判断を誤らせるもとだと思います…)

 

一方、「交流人口」とは何でしょう?日本国に関していえば、「外国人(または日本人)が、相手国に居住しない前提で、旅行やビジネス、親族・友人訪問、会議や研修などの理由で日本(または外国)に短期滞在する人口」を意味します。

交流人口は、定住人口よりずっと速いペースで変動します。特に、日本に来る外国人の数は、「1341万人(2014)→1973万人(2015)⇒2403万人(2016)⇒2869万人(2017)」と。定住人口の20倍くらいのハイペースで増え続けています。

つまり、「定住人口が少し減って、交流人口が大きく増えている」のが、いまの日本の状況であり、両者を合わせてざっくり計算すると、面白い結果になります。

 

1)定住人口の見方…日本に定住する人間が年間22万人減る、彼らが一人あたり、生活費、住居費、教育遊興費などで年間300万円を消費すると仮定すれば、

⇒ 22万人x300万円=6600億円の消費が減る。

2)交流人口の見方‥・海外から日本に来る人間が年間400万人増える。彼らが一人あたり、ホテル代、飲食費、ツアー費用お土産代なので、年間15万円を消費すると仮定すれば、

⇒ 400万人x15万円=6000億円の消費が増える。

 

両者あわせると、日本経済への影響は「ほとんどチャラじゃん!」。今後、海外からの交流人口が今のペースで増え続けるかどうかは。国際環境や為替の影響を受けるため未知数ですが、少なくとも一国の経済を考えるなら、「定住人口と交流人口」を合わせてみた方が有益だと思います。

 

ところで、「定住人口の世界観」と、「交流人口の世界観」は、根本的に違います。これは、「定住農民」と「貿易商人」のものの見方の違いに似ているかもしれません。

私は後者、「交流人口」の世界で生きる人間です。日々、不動産を通じて日本と海外を結びつけるビジネスをしているので、「日本→海外、海外→日本の交流人口」をベースに物事を見ています。一方、日本国内で日本人を相手にするビジネスは、不動産賃貸経営を含めて、基本は「定住人口」をベースに物事を考えます。

 

おそらく、日本人の大多数が「定住人口」の住人だと思いますが、私は時として彼らと話がかみ合わなくなることがあります。例えば、彼らがよく口にする、「日本の人口が減るから経済衰退する」という悲観論が理解できても心から納得できないのです。なぜなら、私は交流人口の世界に生きており、こちらの方は縮小衰退どころか、「年々、数十%成長のすごくエキサイティングな世界」だからです。

また、交流人口の世界観でいうと、「日本なんて、まだ国際化始まったばかり、伸びしろすごく大きい」と思います。私が携わる国際不動産ビジネスは特にそうで、日本の業者が世界の不動産で商売する時代は、今まさに黎明期。特にヨーロッパ方面に行くと、私は日々、パイオニア。「彼らの目の前に立ち現れた最初の日本人業者」として商談に明け暮れています。

競合プレイヤーも少なく、いまから真面目にやれば、発足したばかりの弱小企業とはいえ、「日本と海外をつなぐ不動産ビジネス」というニッチ分野で天下取れると思っており、今のところ悲観や衰退とはまるで無縁の世界に生きています。

 

今のところ、国際交流人口では年々、マーケット拡大している日本国ですが、誰もがその恩恵にあずかれるとは限りません。明暗を分けるのは多分、「スキルセット」や「ものの見方、考え方」なのだと思います。たとえば、こういう文章を書く日本人がいます。

 

京都が悲鳴。日本に金を落とさせない中国丸儲けビジネスの実態

もう日本人の出る幕なし?外国人だらけのニセコにみる日本の未来

 

京都やニセコは、日本国内におけるインバウンド観光で成功した都市の代表格であり、タイのパタヤ、プーケット、インドネシアのバリ島に通じるものがあります。

海外のお客様を相手にする商売である以上、外国語でのサービスは必須であり、それを提供できる外国の事業者とも競争しなくてはならない宿命があります。日本国内でありながら、英語や中国語が幅をきかせる世界も一部存在するのでしょう。パタヤやプーケットでタイ語よりも英語がロシア語が幅をきかせるのと同じように・・・

これをチャンスととらえるか、脅威ととらえるかは、個人次第。上記の文章を書いた人のように、「自分自身が変わらずに外国人業者ばかり儲かることを嘆く」ようでは…

 

日本の業者だからといって競争に勝てるとは限らないのが国際ビジネスの掟であり、その競争が日本国土の上で起こるのがインバウンド観光。その恩恵に与りたい気持ちがあるならば、頑張って英語や中国語を覚えるなり、或いはそれができる人を上手に使って商売すれば良いと私は思うんですけど…

そういうマインドセットになれない人は結局、交流人口で拡大するニューエコノミーを味方にすることはできないのだと思います。

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イギリス~この国と文化のかたち

おはようございます。Manachanです。私は数日前まで、英国ロンドン近郊のセントアルバンス(St Albans)という美しい街にいました。驚くべきことに、この街は古代ローマ時代以来の2000年の歴史を持ち、当時は英国(グレートブリテン島)のなかでロンドンに次ぐ第二の都市だったそぅです。

現在、英国の主力民族であるアングロ・サクソン族が、欧州大陸からグレートブリテン島に渡ってくるはるか以前、先住民(ケルト民族)が支配者ローマ人に抵抗して戦った地が、ここセントアルバンス。

あれから2000年経って、大都市ロンドンの通勤圏ベッドタウンになった今も、街中いたるところに、ローマ時代の大聖堂や石積みの橋などの遺構が残っています。それだけでなく中世、近代、現代の建築物や道標、エンブレム、郵便ポスト等が街中に存在し、今なお現役で頑張っています。

 

 

海の向こうから訪れる私たちにとって、英国が今日みせる景色は、とても魅力的です。

この国では、古い街は古い街らしい落ち着いた佇まいをみせ、大都会ロンドン内にある各地域でさえ個性豊かな歴史と風情に溢れています。そして、真っ白な羊が草を食む緑の田園風景は他のどの国よりも美しい。

大陸欧州と違って戦災や自然災害による破壊が少なかった分、昔のものがよく残っています。その点は島国・日本にも近いのかもしれませんが、日本の農村によくある新建材の家みたいなものは少なく、荘園(マナーハウス)や茅葺き屋根の家とか水車小屋など、昔ながらの良さが残っています。

 

一方で、英国・アングロサクソンの文化は、「新しもの好き」で、情報発信能力に優れています。今なお、ビートルズとかハリーポッターとかマンチェスター・ユナイテッド等、世界中に影響力あるコンテンツを生み出し続けています。

それ以前の時代も、議会制度、郵便、鉄道、金融システム、株式会社と近代企業経営、サッカー、ラグビー、クリケット、ポップミュージック…英国人が始めた様々な仕組みが、世界中に広まって、人々の暮らしを楽しく豊かにしています。

なぜ、英国は古いものを多く残しながら、新しい仕組みやトレンドを生み出す力を持っているのか?英国文化を源流にもつ国・オーストラリアで暮らしていた私の仮説はこうです。

 
「アングロ・サクソンほど、親と子の関係や成人同士の関係が対等な社会は他に類例を見ない。多分それが、独自の文化創造力につながっている」

 

オーストラリアで暮らして驚いたのですが、この社会では、長幼の序とか、先輩・後輩みたいな感覚が皆無に近く、成人すれば、たとえ20歳と50歳であろうと対等、という雰囲気でした。

親子の関係にせよ、誤解を恐れずにいうと「お互いにため口をききあう」みたいなフラットな関係で、特に子供が成人すれば、その意志は個人として尊重され、親の意向を押し付けることは少ない。

こんな社会だからこそ、「親の世代はともかく、俺は俺の好きなようにやるよ」となる。その結果、世代ごとにトレンドが生まれる。それが、事実上の世界共通語(リンガフランカ)になった英語とともに世界中に広まる…

 

一方で、「なぜ、英国では古いものがよく残るのか?」というと、それも、アングロサクソンのフラットな親子関係が影響していると思います。

この社会では、子供世代は自分の好きなことをやる。でもって、親の世代が残したものは、良い意味で「放っておかれる」のです。

親世代が子供世代に対して、古い価値観を強圧的に押し付けるような社会では、力関係が逆転した時に、親世代の残したものを全否定したり破壊したり、みたいな負のパワーが生まれがちですが、

アングロサクソンでは、(少なくとも近現代においては)その押し付け自体が少なく、基本「自分の好きなことをやりなさい」という社会だから、親世代が残したものをあえて破壊したいという気持ちも生まれない。

下の写真にみるように、100年以上は経っていると思われるレンガ造りの住宅にモダンな店舗ができたり、隣の古い家に高さを揃えるかたちでモダンな近代集合住宅が建ったりするのは、英国ではありふれた風景です。

 

そういう歴史を繰り返してきたからこそ、今日の英国では、古い時代から遺されたものが、重層的に存在して、モダンなものと自然に共存していると思います。

日本はアジアのなかでは、奇跡的に、英国と似ている面の多い社会だと思いますが(島国、古いものがよく残る、実は新しもの好き…)、でも日本と大きく違うのは、英国は万事、「あまり無理しない」ことだと思います。インフラ整備も、ライフスタイルも、日本の都市部ほどせかせか急がず、ゆっくり、無理せず…そんな緩い空気の溢れた国。

英国のそんなところが、世界中の旅人を魅了するのだと思います。

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漢字で学ぶ中国語‐日本人の特権

こんにちはManachanです。今回は久々「語学ねた」でブログ書きます。

 

我が家は国際結婚ファミリーで、東京に住んでいます。子供は二人いて中1と小4。上の子は明日が入学式です。

私は日本で育ち母語は日本語、大人になってから英語圏に5年、中国語圏に3年暮らしたので、英語も中国語もビジネスレベルでできます。妻は台湾生まれですが幼い頃オーストラリアに移住したので、英語がネイティブ。家庭で親との会話は中国語が使われていましたがオーストラリア育ちゆえ漢字に触れられる環境ではなく、きょうだい間は英語が共通語になりました。彼女が漢字読めるようになったのは、高校卒業後、台湾に留学したからです。

その留学中、日本から語学留学に台湾に来ていた私との出会いがありました。その後、結婚して子供ふたりできて、いまは東京で暮らしています。

 

台湾で私たちが出会ったのは、1989年のこと。当時、妻は留学3年目で、中国語を流暢に話しましたが、それでも他の留学生と同様、「漢字の読み書きが難しい」と言ってました。

一方の私は、台湾に来てからわずか2か月、話し言葉は十分にできませんでしたが、日本で育ったおかげで漢字の読み書きの苦労はありませんでした♪

当時の留学生にとって、朝食は街の安食堂が定番ですが、当然ながら漢字オンリーの環境。「小籠包」「豆醤」「油条」「焼餅」「葱油餅加蛋」などと書かれたメニューを解読して満足に注文できるようになるまでに、約1年の中国語学習が必要と言われていました。確かに、漢字を持たない国で育って「一、二、三‥」の書き取りからはじめる人にはその位の学習期間は必要かもしれません。でも日本人だけは別で、中国語知らなくても、来台1日目からメニューの意味くらいは分かってしまいます。

 

その後、台湾で一年暮らしてどうなったかというと、私の中国語は長足の進歩を遂げ、台湾滞在4年目の妻と遜色ないレベルになりました。一生懸命勉強したつもりはありません。たまたま漢字を知っているアドバンテージを素直に活かしたらそうなったのです。

当時の私が中国語をどうやって覚えたかというと、日々、貸し漫画屋で「ドラえもん」の繁体字中国語版を借りて読んでました。1冊4元(20円)で借りられるので安いし、漢字だから意味が分かるし、何より子供の頃から親しんだ日本の漫画だからストーリーも知ってる。「なるほど…中国語ではこの場面でこう言うんだ!」。それを繰り返し、日常生活で真似していくと、話し言葉がどんどんできるようになりました。

 

あと、台湾の字幕付きTV番組も、中国語学習に大いに役立ちました。当時の台湾では日常的に台湾語(閔南方言)や客家語を使い、北京語発音を理解しにくい人が年配者を中心に多かったのです。それでも漢字字幕があれば理解できるので、ほとんど全てのTV番組に字幕がついていましたが、

日本で育った私からみて、こんなに素晴らしい学習手段は他にありません。字幕は漢字だから目で追っていけば意味はだいたい分かる、そこに北京語の音声がついてくるわけです。すでに知ってる漢字の意味に「日常生活で使われる生きた北京語の言い回し」を当てはめていけば、TVで楽しみながら語彙力が日々アップしていくわけです。漢字のない国で育った人だと、学習2~3年目にならないとできない芸当でしょうが、私はたまたま日本で育ったおかげで台湾渡航後すぐ実行できてしまうのです。

日本人が漢字知ってるアドバンテージを活かせば中国語は英語よりずっとラクに習得できる外国語・・・それが正直な実感です。

 

ところで、私たちはいま、日本で子育てしています。家庭で子供に対しては私が日本語、妻が英語で話します。平日は区立の小学校で普通に日本語環境、英語は補習校に週1回通わせています。

二人の子供たちは日本語と英語がネイティブで話せて読み書きもできます。中国語は子供たちは普段話しませんが、私は全く心配してません。なぜなら、

「二人とも日本で育ってるから漢字は分かる。それで中国語半分できたも同然」と思ってるからです。彼らが将来、中国大陸や台湾に行って中国語環境に身を置けば、経験上、非漢字圏の学習者の約半分の時間で習得できてしまうでしょう。

 

逆に、「英語圏で育てた方がいい」とアドバイスする人の気持ちが正直分かりません。漢字を使う日本で育つからこそ中国語に横展開できるのです。英語圏に連れていったらそのメリットが活かせないわけで・・・

私も妻も子供たちも人種的にはアジア人ですし、親から子へ文化的に継承すべき言語は日本語、英語、中国語の3つ。そう考えると、いま子供たちが「日本で育ち日本語をしっかり学ぶ」ことは、アジアと世界で生きていく上で戦略的価値があると私は考えます

 

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