各国不動産事情

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バングラデシュ「不動産投資以前の国」の魅力(1)

こんにちは、Manachanです。バングラデシュ・ダッカでの、2泊3日の不動産視察を終え、帰国の途についたところです。
バングラデシュ…日本の約4割しかない国土に、日本を2割も上回る約1億6千万人が暮らす世界一の過密国家。独立して40年余り、平均年齢も若く、本格的な経済成長が始まって間もない段階で、伸びしろ抜群…この類まれなるスペックは世界中のビジネスマン、投資家を魅了して余りあります。
特に、「平均年齢20代の人口が、1億6千万人もいて、まだ増えている」という状況は、居住・ビジネス需要をおカネにしたい不動産投資家にとってはまさに垂涎の的。その意味では、こんな素晴らしい国、世界中探しても滅多にありません。
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もっとも、「儲かりそう」と「住みやすそう」は、全く別の話です。遠い将来はともかく、現時点でバングラデシュの首都ダッカは、逆立ちしても「万人に住みやすい」環境とはいえません。快適、衛生、安全アメニティといった言葉とは、おおよそ対極にある、概ねどこもカオスでゴミだらけの状態。整備された富裕層エリアでさえも、一歩外に出れば生ごみとスパイスの臭いの混じった、「生ぬるい微妙な風」から逃れる術はありません。
清潔、衛生にこだわる人にとっては、間違いなく「超絶住みにくい」環境です(私は、汚さや臭さに免疫がある体質なので無問題ですが…)。
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そのダッカで、平均的な日本人がなんとか許容できるレベルの近代生活をしようとすれば、かなりのお金がかかります。具体的には、グルシャン、ボナニ、バリダラ、ウッタラなどモダンな街の、近代的なコンドミニアムに住み、スーパーマーケットで輸入食品を買い、クルマ・運転手付きという生活。そのコストは少なくとも、バンコクやクアラルンプールよりはるかに高くつくでしょう。下手したら東京より高いかもしれません。なぜなら、
1)移動するために車と運転手コストがかかる。
今のダッカは、近代的な電車もない(屋上に人が鈴なりになる超満員バングラ国鉄ならあるけど…)、タクシーも滅多にない、交通機関はリキシャ(人力タクシー)、CNG(天然ガスタクシー)とローカルバス(ベンガル文字読めないと乗れない)だけなので、結局、自家用車ないと満足に身動き取れません。
しかも、4車線の道路に平気で6列並び、隣の車と隙間10㎝くらいですれ違うカオスな交通状況なので(ボコボコに凹んでる車多し)、自分で運転は論外。結局、運転手コストがかかるわけです。
2)衛生的な食事を求めるとコストがかかる。
安いストリートフードが豊富なバングラデシュ。でも衛生的とは言い難く、あれを抵抗なく食べられる日本人は少ないでしょう。一方、近代的なスーパーマーケットで買うと輸入品が多く、値札は日本の感覚とほとんど変わりません。外食で日本料理も食べられますが、バンコクあたりと比べてバラエティ少ないし値段も張ってしまいます。
バングラデシュを含め、ミャンマー、カンボジアなど、後発の新興国に共通する傾向として、モノ・サービスの価格が極端な二重構造になりやすい。低所得の一般ピープル向けの物価は激安な一方、富裕層や外国人の求める近代的・文化的生活に必要なモノ、サービスの供給が圧倒的に足りないし、インフラ整ってない分も価格に転嫁されるので、結果的に高くなってしまう。
バングラデシュと比べて、日本人にとって圧倒的に馴染みやすい環境のミャンマーやカンボジア、ラオスも、「物価の二極分化」が起こっている点ではほぼ同じ状況です(バングラと経済レベル似てますからねえ…)
一方、タイやマレーシアぐらい経済発展してくると、近代インフラが整備され、そのインフラを使ったモノ、サービスの提供も多く価格競争も起こるので、結果的に「安くて、それなりにまともなもの」が多くなります。タイ、マレーシアが日本人ロングステイ人気で上位の常連なのも、「まともなクオリティのモノが安い」ことが大いに影響しているのでしょう。
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近年のバングラデシュが経済発展しているのは間違いないです。勢い、スピード感も十分。特に、ダッカ都心部のグルシャンあたりの景観は、近代的なビルやマンションが林立するエリアが延々と続き、極めて都会的。巨大ショッピングセンターがいくつもありますので、ミャンマーやカンボジアの一等地よりさらに都会でしょう。
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でも、グルシャンの超都会なロータリーから2分歩くと、未舗装の道路に牛やヤギが闊歩して、糞をたれまくったり、大量のゴミが投棄されたりしているのです。
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バングラデシュ(ダッカ)が、今のタイ、マレーシアのレベルで住みやすくなるためには、まだ道遠し。インフラ整備やモラルの改善含め、少なくとも10~20年の時間がかかるでしょう。ですが、その「出遅れ」こそ、不動産投資の意味では美味しかったりするのです。
面白いことに、バングラデシュには、「投資用マンション」なるものが、現時点でほとんど皆無です。これは、ASEAN諸国と著しく違う特徴でしょう。
マンション自体は、ダッカ都心部を中心に、たくさん建っています。というか、この街は驚くほど集合住宅だらけで、ものすごい密度です。で、ほとんど全てが実需用なのです。バングラデシュの人々が、自分で住むために買ってるのです。そこには、この国特有の事情があります。
1)外国人がほぼ流入していない。
バングラデシュに入国する外国人は、年間50万人に満たない数。2000万人来ている日本と比べると、40分の1…東京の街で、一見日本人に見えても実は中国人、韓国人、ベトナム人だったというケースはたくさんありますが、ダッカの街で見かける地元民はほぼ全てバングラデシュ(ベンガル)人と言って差し支えないでしょう。
2)人口大国なので内需が十分ある。
バングラデシュは、人口1億6千万人。その大人口が職やチャンスを求めてダッカに集まるため、すでにダッカ都市圏は2000万人近くが暮らすメガシティ・・・住宅供給が人口増加に追いつかず、ガンガン建てても人がすぐ住みます。
モノ・サービスの価格が極端に二極化しているのと同様、今のダッカでは、住宅市場も二極化しています。お互いに隔絶した「富裕層向け住宅」と「庶民層向け住宅」の二つのマーケットがあり、平気で価格差10倍以上する世界。
その富裕層向け住宅地は、ダッカ中心部~北部の、便利で整備された場所に集中しています。彼らの多くはマンションに住み、建坪150~250㎡の、4~5部屋の大きな部屋を好んで買います。価格は場所によりますが、いま絶賛開発中の「ボシュンドラA~D地区」の場合、分譲価格1500~3000万円がボリュームゾーン。
一方で庶民層は、家など買えません。よしんば買えても価格はその10分の1以下でしょうから、まさに「貧富の隔絶した世界」があるのです。そして、富裕層の住宅マーケットは、年々、成長しています。
富裕層の実需住宅が、投資物件として出回ることは、まだ一般的ではありません。出回ったとしても賃貸利回り低いですから、投資妙味はありません。でも逆にいえば、
・土地を仕込んで、上物を建てて、富裕層の実需住宅を売る「デベロッパー」が、個人投資家の資金レベルでできる。
という、「一番美味しいとこ取り」ができるのが、今のバングラデシュなのです。言い換えれば、
日本の個人投資家が、いわゆる「不動産投資」ではなく、「不動産事業」をやって大きな利幅が期待できるのが、今のバングラデシュ。
タイとかマレーシア、いやベトナムでさえも、今から住宅をデベロップするには、大きな資金が必要となります。それは個人投資家の手の届くレベルではありません。だから多くの日本人投資家は、デベロッパー利益がたっぷり乗った価格で「プレビルドのコンドミニアム」を買わざるを得ないのです。
しかしバングラデシュは、まだ「不動産投資以前の段階」ですから、 自らがデベロッパーになって、数千万円~1億円程度の初期投資額で「不動産事業」を行い、平均40~50%といわれる「デベ利益」を取りにいくことができる・・・それが、他国にはない大きな魅力といえましょう。

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では実際、バングラデシュでどんな不動産事業ができるのでしょう?次回に続きます。

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7月、英国で不動産武者修行

こんばんは、Manachanです。いま羽田から、バンコク経由、バングラデシュ・ダッカを目指して移動するところです。次回の日記は間違いなくバングラ不動産(orローカルめし?)ねたで書きますが、今回は全然違う国の話題でいきますね。

アジア太平洋大家の会では、今週末から、国内4都市で立て続けに、「英国不動産セミナー」を開催する予定です(下記URLから参加申込できます。)

[check]2016/5/14(土) 英国「予約開発」高収益物件セミナー@東京(渋谷)画像の説明

[check]2016/5/19(木) 英国「予約開発」高収益物件セミナー@大阪画像の説明

[check]2016/5/20(金) 英国「予約開発」高収益物件セミナー@名古屋画像の説明

[check]2016/5/28(土) 英国「予約開発」高収益物件セミナー@福岡画像の説明

 

これらのセミナー、通常の「海外不動産物件紹介セミナー」を、はるかに超える内容のものになると期待しております。講師の小川さんは、不動産販売セールスマンでもなければデベロッパー側の人間でもありません。彼らとは全くカテゴリーの違う、金融&不動産の専門家なのですね。

収益不動産は、入居者、オーナー・投資家、デベロッパー、金融機関など、各プレーヤーがそれぞれの利害関係が絡み合うなかで存在しますが、その全体を俯瞰しながら、「投資家には高リターンを」、「デベロッパーには適正利益を」、「入居者には居住ニーズにこたえる良質住宅を」、「金融機関には優良顧客を」…皆それぞれハッピーになるソリューションを考え、企画し、かたちにする、独立系のプロフェッショナルが英国にはいます。小川さんもその一人。

彼は言います。「在庫を持ってしまうと、投資家にとってベストな物件じゃなくても、売らなきゃならないことがある」、「でも、弊社は在庫を持たないので、投資家目線で本当に良いものだけをおすすめできる」と…このような方をセミナー講師としてお招きできて、実に嬉しいです。

私これまで、いろんな海外の国で不動産を見てきましたが、英国の収益物件には、実に奥深い、不思議な魅力を感じます。

 

1)先進国の、しかも都市部でなぜ、1000万円前後の投資しやすい価格で、収益物件がつくれるのか?

2)しかも、グロスでなく、ネット利回り9%みたいな高リターンを、数年にわたって投資家に返し続けられるのはなぜなのか?

3)しかも、数年後に販売価格より高い価格で転売が期待できるのはなぜなのか?

 

私、日本国内の収益物件の目利きには自信ありますが(特に千葉、埼玉方面が得意)、それでも、ネット9%のリターンを返し続けて、かつ売却益の出る価格で買い取れるお宝物件を見つける自信は全くありません。(9%のリターン出して、買い値より下の価格で買い取るのは可能だけど…)。

しかも英国の場合、東南アジアのプレビルドでよくある、「開発利益をたっぷり乗せて分譲し、その利益から利回り保証の原資を捻出する」という感じではありません。むしろ、不動産マーケット調査を愚直に積み重ねた上で、ニーズに合う物件をつくり、収益性を引き出し、プロジェクトファイナンスもうまく使いながら、リスクが低くその割にハイリターンな投資商品にうまく仕上げている印象なのです。

小川さんに、「英国では、なんでこんなに安定した収益物件をつくれるんですか?」と問うと、「実は、とても洗練されたファイナンスの仕組みがあるのです…」と、

 

私、その技を学びに、今年の7月、英国に行くことにしました。!

2016年は、小川さんから、そして英国から、不動産とファイナンスのコラボ、安定感の高い収益物件のつくり方を、がっつり学ぶ年にしたいと思います。

 

7月18~23日、5日間かけて、ロンドン、リーズ、ハダーズフィールド、シェフィールド、マンチェスター、そしてスコットランドのエディンバラ、バースと、電車を中心にグレートブリテン島の南から北へ移動しながら、本場の不動産コンサルタント、デベロッパー、金融機関などの仕事ぶりをしっかり見てくる旅をしてきます。

皆さんも、一緒にいきませんか?

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セミナーでも紹介しますが、スケジュールはこんな感じです。

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旅の服装、持ち物、交通機関、食事、ナイトライフ・・・なんだか、すごく楽しみですね。

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英国ツアーについて詳しく知りたい方は、私までご連絡いただくか、あるいは下記セミナーのいずれかに参加してみてくださいね。

[check]2016/5/14(土) 英国「予約開発」高収益物件セミナー@東京(渋谷)画像の説明

[check]2016/5/19(木) 英国「予約開発」高収益物件セミナー@大阪画像の説明

[check]2016/5/20(金) 英国「予約開発」高収益物件セミナー@名古屋画像の説明

[check]2016/5/28(土) 英国「予約開発」高収益物件セミナー@福岡画像の説明

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業者が「穴場」を教えてくれない理由

こんばんはManachanです。今回、ブログのテーマは「不動産投資を穴場をどうやってみつけるか?」

今日は朝から、千葉県の柏駅で商談がありました。そのついでに、私が20代の頃マイホームとして中古で買い、2011年に売却した3LDKのマンションを見に行きました。

この家は、柏駅から徒歩5分の場所にあります。11年間貸し続けて、ほとんど空かず、家賃を稼ぎ続けた孝行息子でした。売りに出した時も数日で売れました。「この駅近のマンション、どうしても住みたかったんです。ありがとうございます!」と言ってキャッシュ買いしてくれたご家族が、今でも住んでいます。

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私は柏の出身で、柏駅の力をよく知っています。駅周辺に商業施設が集まり、電車も便利で東京駅まで直通30分強。柏駅から徒歩10~15分離れた一戸建てに住んでて、「もっと駅の近くに住みたい」と願い、駅5分圏内のマンションが中古で出るのを、今か今かと待ってる人がいくらでもいます。

私、それを知ってるので、「柏駅徒歩5分」という立地には、オーナーとして、ものすごい安心感を感じています。下手な都内の駅より強いのではないかと…その点は、同じ千葉県内のターミナル駅である、船橋駅や津田沼駅、千葉駅などでも、徒歩5分圏内は同じく、極めて強い立地と思います。

 

 

ところで、いま外国人の日本不動産買いが時々話題になってますが、近隣アジア圏の投資家が、柏や船橋の駅近物件を買うかといえば・・私の知る限り、そんな動きはほぼ皆無。

現時点では、物色対象が極端に「東京の都心5区」に限られます。その理由は、彼らの母国語で読める不動産情報が「都心5区」以外極めて少なく、それ以外の地域に知識が及んでいないからです。

「都心5区」(頑張っても「都心9区」)なら探すけど、それ以外はよく分からないからパス・・というのが、大方の投資家の態度であり、その基準でいけば、船橋や柏の駅前も東京都じゃないからパス、ということになります。

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首都圏の人口動態や不動産市場に関して、もっと理解が進めば、「東京都じゃなくても、都心30km圏、国道16号線の内側なら実質、東京みたいなもんだからOK」ということになります。たとえば、西日本系の金融機関が、東京・首都圏の物件に融資を出す時、よく判断の目安になるのが「16号線ライン」です。この外側だと、人口減少や空室懸念があるからNGだけど、内側ならOK…という考え方。この目安でいえば、船橋や柏も、なんとか検討範囲に入ってきます。

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私、16号線の外側だからダメとは思いませんが…それでも、「都心5区オンリー」と「16号線の内側までOK」とでは、投資のストライクゾーンが断然違うことは、論を待ちません。

私、どの国、どの都市で不動産買うにせよ、最低、「16号線までOK」程度のストライクゾーンを設定して、賢く穴場をみつけて買い進めていきたいと考えます。それには、「現地不動産マーケットの学習」が欠かせません。

 

自分で学習せずに、日系業者の物件紹介に頼った場合、たいてい、その国における「都心5区」みたいな狭い範囲の物件しか紹介してくれません。たとえばの話、

・バンコクの日系業者は、スクンビット地区の物件ばっかり紹介してくるでしょ?

・マニラの日系業者は、マカティやボニファシオ・グローバルシティの物件ばっかり紹介してくるでしょ?

・クアラルンプールの日系業者は、KLCC、ブキビンタン、モントキアラあたりの物件ばっかり紹介してくるでしょ?

 

別にこれは、海外に限った話ではなくて、日本の東京物件を外国人向けに紹介する業者も、大抵は「都心エリア偏重」になります。それには、いろんな理由があって、

・都心物件だと、鉄板なイメージがあって、バイヤーにも受け入れられやすい。

・都心物件だと、値が張るので仲介手数料も取りやすい。

・都心物件だと、行くのも便利で、管理がしやすい。

等々…

 

そういう業者側の都合もあるため、「(柏や船橋の駅前みたいな)都心をちょっと外した、不動産投資の穴場的なエリア」の物件は、なかなか紹介してくれないのです。基本、自分で調べて探さねばなりません。

 

でも、どんな調べ方があるのか…たとえば、私が企画する、ASEAN各都市の有料セミナー(不動産アカデミー)に出てみるのも、コスパの高い方法かと思います。たとえば、昨年11月から今年2月にかけて開催した「バンコク不動産アカデミー」からの引用、

 

バンコク都心をちょっと北側に離れた「ラチャダー地区」は、物件価格安い割に賃料がとれて、利回りが高い。こりゃ穴場かも…

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BTSスクンビット沿線、サイアム駅から北へ1~2駅、「ラチャテウィー」と「パヤータイ」両駅は、上記と同じ理由で賃貸利回りが高く、穴場チック…

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あと、BTSシーロム沿線では、「チョンノンシー」駅の賃貸経営パフォーマンスが飛びぬけて高い…等々、探せば結構あります。物件価格高止まりのイメージのあるバンコクにも、投資妙味のあるエリアはたくさんある。

 

バンコクで営業する日系業者が、「ラチャダー」とか「チョンノンシー」、「ラチャテウィー」あたりの物件を紹介してくる可能性は極めて低いので、私、自分で探したんです。タイ語を学んで、バンコク市内の50駅近くの駅前全部歩きまわって、データ分析しまくって、探した。

海の向こうでそういう作業をやるのは、多くの人にとって現実的ではないので、私は日本の投資家のために、ASEANのいろんな街を調べて、歩いて、投資の穴場をたくさん発掘してきます。「バンコクの柏駅前」、「ホーチミンの船橋駅前」みたいな場所を探し求めて、皆様に紹介します。

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情報をつくる技術、売る技術

おはようございますManachanです。約一週間ぶりの、ブログ更新になりますね。

 

中国から帰国したのが、4月18日。それから1週間は仕事がむちゃ忙しくて死にそうでしたが、昨日は久々に時間ができたので、語学学習日にしました。

11時から13時まで、インドネシア語。15時から17時まで、タイ語…一日4時間のプライベートレッスンをガッツリこなして、結構ハードでしたが、たまには、こういう過ごし方もいいよね。

インドネシア語クラスでは、今月初め、ベトナム・ホーチミンで体験した「レンタルバイク盗難事件」を、インドネシア語で表現してきました。

ホーチミンでレンタルバイク盗まれた話(2016/4/1)

 

ベトナムで私はバイクを借りて、そのあと、盗まれました。

Di Vietnam saya menyewa motor, lalu motor itu di curi olecuri.

 

そして、私は警察署に行き、5時間後、バイクが見つかりました。

Lalu saya pergi ke polisi, 5 jam kemedian motor itu ditemukan.

 

私が警察署で待っていた時、私のパスポートはレンタルバイク屋に預けていたので、ベトナムから出国できませんでした。

Waktu saya menunggu di kantor polici, passport saya sedang ada di toko sewa motor, jadi saya tidak bisa keluar dari Vietnam.

 

バイクが見つかり、レンタルバイク屋からパスポートを返してもらって、空港に行くことができました。

Setelah motor ditemukan passport saya ditembulikan oleh toko sewa motor, oleh karna itu saya bisa pergi ke bandara.

 

そろそろ本題に入りますね。今回、私がベトナムに行った理由は、昨日開講した、全3回の有料セミナー「ベトナム不動産アカデミー」のネタづくりのための、現地調査です。

(下の画像クリックでセミナーページに飛びます)

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ベトナム不動産アカデミーは、「ASEAN不動産アカデミーシリーズ」の第二弾企画。それまでは、「バンコク不動産アカデミー」をやっていました。

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ベトナムアカデミーが終わったら、第三回目は「インドネシア」(ジャカルタ)になることは決まっています。その準備もあって、インドネシア語やってるんですよね…

 

ところで、この不動産アカデミー。受講料は、そう安くありません。3回続きの講義で、3万円。1回あたり1万円の計算…高額セミナーとはいえませんが、かといって、メシ代程度で気軽に参加できる価格帯でもない。

タイの不動産や、ベトナムの不動産を、本気で学びたくて、その情報に1回1万円を出す、真剣な方々だけを相手にしています。

 

私自身は、高額セミナーや、情報商材含めて、情報収集には喜んでお金をかける人間。海外のどこかの国の不動産に、本気で投資しようと思えば、セミナー代が1回数万円かかっても、情報料として当然払いますし、その投資をしたことで、数千万円かかる不動産購入にあたって、より賢い判断ができるようになるなら、数万円の出費なんて安いものだと思いますし、

あるべき論を言えば、私が関わる「海外不動産投資」の世界は、極めて専門的で幅広い知識を必要とするので、本来、「高付加価値型の情報サービス業」であってしかるべきだと思います。具体的なイメージはこんな感じ、

 

・業者の物件紹介セミナーは、無料~2000円程度の低額帯。

・マーケット分析、融資、税務、法務などの知識系セミナーは、1万円以上が当たり前。

 

とはいっても、世の中、情報にお金を出す人々ばかりとは限りません。なおかつ、ねたが海外不動産投資になると、マーケットも相当小さいので、情報だけで食っていくのは至難の業。いま日本で、それができている人はほぼ皆無でしょう。

そんななかで私は、徐々に、海外不動産業界を「あるべき姿」に近づけていくために、いろんなチャレンジをしています。その一つが、「ASEAN不動産アカデミーシリーズ」。基本的なコンセプトは、

 

1)「お金を払うに値する」有益な情報を、できるだけ低コストで、つくる。

2)現地での調査費、活動費くらいは、セミナー参加費から捻出できるようにする。

3)セミナーだけでなく、DVD商材や出版物などの商品でキャッシュポイントをつくり、近い将来、ASEAN不動産情報だけで食えるようにする。

 

1)低コストで情報をつくる、という面では、たぶん誰にも負けないと自負しています。東南アジアの非英語圏を舞台する調査ですが、通訳アシスタント含め、基本、誰も雇わず、人件費をかけずに、私ひとりで動きます。しかも、LCCに乗って現地入り、一泊3000円くらいの安宿に泊まって、ローカル食堂で安メシ食って、安いレンタルバイク等を借りて動きますので、たぶん、通常の会社で社員を出張させるよりローコスト。

とはいえ、どんなに安くあげても、1回の現地調査で、実費で20~25万円くらいはかかってしまいます。内訳は、

・日本からの渡航費、現地交通費が、約10万円 (日本~タイ・ベトナムへの往復航空券5~6万円プラス、渡航先国の数都市をLCCやバス、タクシー、レンタルバイクで回る移動費がざっくり3~4万円。)

・現地で、不動産業者にアテンドしてもらう費用が、約5万円 (1日中案内してもらってガッツリ不動産みると、通常は1~2万円の請求。滞在中、3~5日くらいはアテンド依頼しますので、総額5万円であがれば安い方。

・現地滞在費が、少なくとも5~6万円 (現地調査は、8~10日間が一般的。宿泊コストは3000円/日、食事代、消耗品代が2000~3000円/日。時には現地業者から良い情報を得るために、値段の張る食事をすることもある。)

・その他、現地語資料の翻訳代などが、別途、かかることがあります(タイ語の簡単な資料なら、何とか原文のまま読めるようになりましたが、前回の調査では、タイ語資料の分量が140ページ以上あり、こりゃさすがに大変なので、現地の業者に英訳してもらいました。その費用が20数万円。)

・あと、現地ポータルサイトからクローリング・プログラムで情報取得してくれるITエンジニアの方々にも、本来なら報酬をお支払しなくてはなりませんが…バックエンドの商品が売れたらお返ししようと思っています。

 

2)翻訳代やITエンジニアへの報酬、自分の時給などを全て度外視して、現地での調査費・活動費(最低20~25万円)だけでも、セミナー代から回収するためには、参加費1人あたり3万円として、最低、10~12名は集めなければなりません

集客は、現時点では、オウチーノ社の協力を得ております。同社にランディングページつくってもらったり、プロモーション動画撮って編集してもらったり、講演会場を提供してもらったりと、いろいろ動いていただいており、必要な費用をお支払した後、私の手元に残る金額が、ASEAN現地での調査費用とトントンになれば良いという考え方で、最低10~12名の集客を、損益分岐点として死守することを心がけています。今のところは幸い、

バンコクアカデミーでは、16名参加

ベトナムアカデミーでは、12名参加

ですので、これからも自腹を切ることなく、インドネシア、フィリピン、ミャンマー、カンボジア…ASEAN各国でどんどん、調査を続けられるわけです。

それより大事なことは、「1回あたり1万円払ってもご満足いただける、ガッツリ内容のある講義」を続けていくことです。1万円、日常生活から考えればそう安いものではありませんので、その出費に値するバリューを常に提供すべく、一回一回、真剣に取り組んでいます。

 

3)不動産アカデミーの良さは、情報自体に価値があること。だから、有料セミナーだけでなく、調査レポートや書籍、DVD教材、Webセミナーなど、バックエンド商品をつくり、B to Bで売っていくことができます。

私自身の率直な思いとしても、「今のかたちの有料セミナーだけではせいぜい、私個人の能力に依存した、泥臭い現地調査しかできない」、「海外不動産投資をまともな情報産業にしていくためには、商品をつくって流通させるしかない」…

今後、商品を売って利益が出れば、ITエンジニアの皆様にはもちろん、私自身が費やした時間に関しても「対価」を払っていくことができますし、うまく商売として回っていけば、人を雇ったりして、情報ビジネスをさらに加速させることができます。

特に、Webセミナーの可能性には注目しています。これが立ち上がれば、私が東京で行う講義を、日本全国、海外からでも視聴することができますし、また、私がASEAN現地に居る状態で、日本にいる聴講者に、ホットな情報をお届けすることもできるからです。

 

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vietnamacademytop

 

海外不動産投資を高付加価値型の情報産業にする・・・まだ「産みの苦しみ」の段階ではありますが、今後の発展が楽しみです。

 

追伸)「ベトナム不動産は興味あるけど、時間が合わない。あるいは、3万円の出費はちょっと…」と思った方、「ハノイ」に限った話なら、私の調査成果の一部を5月1日(日)16時~のセミナーでお話しすることはできます。

鉄道開通間近!ハノイ不動産セミナー@東京(神田)

 

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海外メルマガで情報収集

こんばんは、Manachanです。

海外の不動産に興味が出た時、その国・都市に関する経済・不動産ニュースにアクセスすることは大変有益ですが、これはまさに、「言うは易し、行うは難し」。

 

メジャーな都市、例えば米国だとハワイ、ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコなどの情報は、比較的入手しやすいですが、それ以外の都市になると、日本語の情報自体が極端に少なくなります。

例えば、我々アジア太平洋大家の会では、メンフィス(テネシー州)やフェニックス(アリゾナ州)の不動産セミナー開催の予定がありますが、こういうマイナーな都市の経済・不動産情報を、日本に居ながらいかにして得ていくか?日本語の情報はほとんどないし、仮に英語が読めてもリアルタイムな情報を系統的に得ていくのは決して簡単ではありません。ウェブで一生懸命情報収集しても古い情報や不確かな情報がゴマンとありますので、

「海外に興味はあっても情報が余りにも足りないので、投資判断できない」

「業者のセールストークが本当に正しいのか、裏取りするための情報を得たいけれど、どうしたらいいか分からない」

という声が多いのが実情です。

 

私は、皆さまに海外不動産セミナーをお届けする立場ですので、現地を自分の目で見たり、独自のルートで現地のリアルタイムな情報を得ることは「生命線」だと思っていますが、私がやってもやはり簡単ではないし、手間と時間がかかります。永遠の課題ですね。

でも最近は「海外発の無料メルマガ」が出てきているので、これを使って、手間をかけずに情報収集が可能になってきました。例えば、

 

1)カナダ・アルバータ州経済ニュース The Owl(英語)

カナダATB Financial社が出している無料の経済メルマガ。同国きっての石油産出地域・アルバータ州(カルガリー、エドモントン等)に特化した、クオリティの高い経済ニュースが持ち味。私は2015年1月頃からずっと購読しています。

購読方法・・・このページからユーザー登録すればOK。
http://www.atb.com/learn/economics/Pages/the-owl.aspx

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アルバータ州はこれまで、石油輸出のおかげで、カナダで一番裕福な州で給料水準も高く、カナダ中から人々が集まり活気にあふれていましたが、2014年後半からの「逆オイルショック」で原油価格が半減して、潮目が変わってきました。

これまでのように、経済拡大できなくなったアルバータ州。果たしてどんな影響が出ているのか、不動産の買い場は来るのか、大変興味深く思い、1年以上購読を続けています。情報は新しいし考察も深く、ニュースソースとして大変有益だと思います。たとえば、

 

原油生産が減っているため、さすがに原油を使った製造業は大きく落ち込んでいます

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都市部のホテル稼働率も変調気味、一方でリゾートホテルは絶好調(安いカナダドルと米国人旅行客のおかげ)

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個人破産件数は、逆オイルショック後、横ばいから微増傾向に

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その割に、個人消費は堅調、たとえば外食セクターに影響は出ていない

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州内人口の伸び率も鈍化しているが、それでも、カナダ全国平均の2倍(年率1.8%増)

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こんな感じで、アルバータ州経済の「いま」が、読みやすいかたちで提供されているのです。

 

2)アメリカ、Zillow物件サーチ(英語)

アメリカの不動産ポータルサイト大手Zillowでは、日本の「楽待」や「健美家」同様、検索したい条件に該当する物件情報をメールで送ってきてくれます。

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購読(?)方法は簡単。Zillowサイトにログインして、「検索条件を保存」(Save Search)すれば、物件情報が自動で送られてきます。頻度は「都度」か「毎日」を選べます。

http://www.zillow.com/

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私は昨年末から、「テネシー州メンフィス」戸建の適正価格をリサーチしており、その材料として、Zillowを使っています。相当の期間にわたっていろんな物件情報をみていれば、メンフィス戸建の相場観も、何となく養われます。

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3)タイ、CapitalOneメルマガ(タイ語)

非英語圏のメルマガというと、英語よりさらに敷居が高く感じますが・・・タイ・バンコクの不動産に興味ある方に、CapitalOne社のメルマガはかなりおすすめ。

http://www.capitalone.in.th/

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CapitalOne社は、タイ人中間層向けのコンドミニアム情報をたくさん出しており、言語は当然、「タイ語」になりますが、その代わり、タイ不動産に関わる日系業者や英米系業者がたぶん知らない物件情報に直接アクセスできます。

タイ文字が多少なりとも読めれば、かなり楽しめます・・・たとえば、この物件は面白い。

 

エアポートリンクHua Mak駅至近、数年後に開通する路線とあわせて3駅利用可、駅徒歩0分、ショッピングセンターすぐそば、買価100万バーツ台。

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現状、エアポートリンクの駅しかありませんが、将来イエローラインとオレンジラインが通るようになれば、都心まで5㎞程度なので、とても面白い。

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日本人がなんとか住めそうなエリアの物件紹介もあります。これは、プロンポン駅南側、徒歩10~15分。ローカルエリアとの境目あたりに建つコンドミニアム。個人的に、このエリアは上がり目大きいと思う…

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こんな感じで、労せずして、それなりに良質な、リアルタイムな情報に接することができるのが、メルマガの良さですね。

不動産投資に「情報は命」なので、これからもどんどん、海外メルマガ開拓していこうと思います。

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ホーチミンでレンタルバイク盗まれた話

こんにちはManachanです。ベトナム5日間にわたる、3都市での不動産行脚も終わり、無事、マレーシアに戻ってきました。

最終日、ホーチミン市滞在中にレンタルバイクの盗難トラブルに巻き込まれて、警察署や派出所に出頭したりバイクのドロボウ市に行ったりと、普段なかなかできない体験をしました。ま、とりあえず一件落着したのでブログ書いてるわけですけどね。

 

『3月31日、ホーチミンでバイクを借りる』

私、今回ホーチミンでは1泊しかできない時間の制約があり、短時間にできるだけ多くのエリアを回って皮膚感覚をつかむために、「バイク借りて自由行動」という選択をしました。

外国人バックパッカーの溜まり場「ファングーラオ通り」には、格安で借りられるレンタルバイク屋がたくさんあります。私が借りたのは、24時間乗り放題7USドルの激安価格。デポジット(預け金)も必要ありません。その代わり、バイク返すまでパスポートを店に預けなければなりません。

「パスポートを人質に取られた」状態で、とりあえずバイク借りて、3月31日の午後5時過ぎ、ファングーラオ通りを出発。まずは南に向かい、4区、7区方面を目指す。

ホーチミンは、どこへ行ってもバイク、バイク、バイクの海…密度もすごい。自分の前後左右にいるライダーと接触しそうになりながら、排気ガスにまみれて乗るのは、慣れないうちは、かなり神経を使います。路面状態も良くないし、クルマには思い切りクラクション鳴らされて交通弱者の屈辱を味わうし、交差点で直進するバイクと左右方向から進入してくるバイクが入り乱れるとまじカオスだし、皆、歩道を当たり前に走るしマナー滅茶苦茶(でも気づいたら、行儀悪い私も歩道を爆走していました…)。

 

【ホーチミンのカオスな交通事情のなか、バイクライダーになる】

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交通ルールなんて、あってないようなものだし、バイク用の車線もない。右折したければなんとなく右側に寄せる、左折ならなんとなく左側…とにかく、自分と同じ方向に行きそうなバイクについていく感じで乗るんですね。

あと、バイク借りた時点でガス欠寸前だったので、ガソリンスタンドを一生懸命探したり、片言のベトナム語で聞いたりしましたが、本当に見つけにくくて苦労しました。タイあたりに比べると、ベトナムのガソリンスタンドは少ないし、目立たない。

そんな感じで最初は苦労しましたが、走行10kmを超えると慣れてきて、涼しい夜風に吹かれて快調に飛ばす。まずは4区、7区、ニャーベー県方面を郊外まで走り、一区に戻るとガソリンスタンドで給油できたので、元気回復、調子に乗って今度は北を目指す。ビンタン区、2区、9区、トゥードゥック区まで進み、帰りは3区経由で1区に戻る。たぶん80㎞くらい走ってましたかね。宿に戻ると夜11時近くでした。

 

【慣れてくると、お店で小休止したり】

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【ショッピングセンターの地下に停めたり】

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【遠くの郊外まで、足を延ばしたりしました…】

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もちろん、乗り物がバイクなので停車が必要。本来ならホテルの人に一言いって、ガードマンに頼んで安全な場所に泊めてもらうべきでしたが、疲れ切っていたのでそこまで知恵が回らず、ホテル近くのお店の前、バイクが7~8台位停まっている場所(レタントン通り251)に一緒に停めて、スマホで写真をとって、そのままホテルに戻って寝てしまいました。いま考えると、その軽率な行動が悲劇のはじまりでした…

 

『翌朝、4月1日のエイプリルフールに、嘘みたいな出来事が起こる』

私はいつも早起きで、日の出前に起きる自信があるのですが、東京、クアラルンプール、ダナン、ハノイとハードな移動が続き疲労がたまっていたのか、目が覚めたら7時過ぎ、お日様は高々と上がっていました。メールの返事を書き、朝食を摂ると、時間はすでに8時過ぎ。

昨晩、その辺に停めたバイクのことが、少しだけ、気になっていました。お店の人に怒られてるかもしれないと思いつつ、現地に行ったら、我が目を疑いました。

 

バイクが、ない!

【バイク盗まれた現場】(251 Le Thanh Ton St.)

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昨日、7~8台停まっていたバイクが、全て跡形もなくなって、その場所に飲食店が営業していました。店の邪魔だから移動されたのかと思い、数軒先まで見てみるけど、どこにもない。

 

昨晩のうちに、盗まれた?それとも、違法駐車で撤去された?

 

違法駐車で撤去されたのなら、罰金払って取り戻せば良いのでマシだけど、盗まれてたら、まじで取返しがつかない。そもそも、撤去されたバイクがどこに行くのかを知る術さえない。ここは勝手知らない異国ベトナム・ホーチミン、言葉も通じない。習いたての片言ベトナム語なんて、この非常事態に役立つようなシロモノじゃない。英語か、あるいは日本語、中国語のどれかを話す現地の人に動いてもらわないと解決できない。

ふと、レンタルバイク屋に預けたままのパスポートのことが、胸に去来しました。そして、今日13時25分発のエアアジア便でクアラルンプールに飛ばなきゃならないことも…残された時間は少ない。

そこに、たまたまバイクで通りがかった40歳くらいのベトナム人男性が、少し英語を話せるので、事情を話してみたら、

 

「たぶん、それは盗られたんだよ。バイク屋に行って取り戻してきて、その後、警察に届け出ればいい、俺が連れていってあげるから、後ろに乗りな。」

 

そんなに悪い人には見えなかったし、とにかく、手がかりが欲しかったので、バイクの後ろに乗ってみる。で、連れていかれたところは結構遠くて、ハイバーチュン通りを西にずっと進み、橋を渡って、フーニャン区に入ってしばらく行ったところ。盗難現場(?)からの距離は4㎞くらい。

そこでは、道の両側に、ものすごい数のバイクショップがありました。「とにかく、一軒一軒回って、ナンバーをみて、盗まれたバイクを見つけたら一緒に警察に行こう」と言われたので、私はその言葉通りにしました。店の人にブツブツ文句言われても無視しつつ、大急ぎで15軒くらい見ましたが、私が昨日乗ってたバイクは、見つかりませんでした。

仕方なく、その男性のバイクの後ろにまたがり、1区に戻る。ベンタイン市場近くの、派出所らしきところで下されました。時は、すでに9時30分。残念ながら、バイクの手がかりはない。10時か、遅くても11時までに解決できないと、私は飛行機に乗れない。この人の言う通りにしても無理だと判断した私は、彼にいくばくかの手切れ金を渡して、独自行動をはじめました。

 

【ホーチミンの派出所は、こんなところ】

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まず、その派出所に入り、「指さしベトナム語会話」を使って、「セーマイクアトイビトロム(Xe May cua toi bi trom、バイク盗まれました)」とベトナム語で言ってみる。派出所にいた、4人ほどの男性はベトナム語しかできず、なかなか意思疎通ができない。すると、一番年齢の若い職員が、近くの商店で、流暢な英語をしゃべる女性を紹介してくれました。

ようやく、まともな英語を話すベトナム人と出会えて、話がどんどん進む。その女性が言うには、

 

ホーチミンで盗難に遭ったのなら、事情はどうあれ警察に処理してもらうのが最良の策だと・・・

 

ホーチミン1区(District)にはいくつかの地区(Ward)があり、盗難場所から考えて、ベンゲー(Ben Nghe)地区の管轄だから、同地区の警察署に行くべきだと…その言葉通り、バイクタクシーに2万ドン払って、その警察署(274 Ho Tung Mau St.) に向かう。

警察署になると、さすがに派出所と違って、まともな英語を話す男性警官がいました。私が事情を話すと、

 

「分かりました。私が事案を処理して、レンタルバイク屋と話しをつけますから、すぐに、宿泊先ホテルに連絡して、英語を話すコミュニケーターを連れてきてください」と。

 

「あれ、私たちいまちゃんと英語で話してるじゃないですか?それでもホテルのコミュニケーターが必要なんですか?」と聞くと、

「警察の職務として、外国人の通訳サービスは提供していないんです。誰か他の人にやってもらわないと…ここ1区はどのホテルにも英語のコミュニケーターいますから」

 

私は言われるまま、ホテルに電話連絡すると、コミュニケーターがあと15分くらいで警察署に来てくれるという。すでに10時半を回っていました。なんとか、英語できる人に動いてもらえる体制はできたけど、まだバイクの手がかりはないし、パスポートさえ手元にない。この状態で、13時25分の飛行機に乗るのは、もう無理だろうなと諦めはじめる。

10時45分頃、コミュニケーター(ホテル職員の女性)がバイクで警察署に出頭。彼女によれば、「盗難現場のすぐ近くの派出所」(40-42 Le Anh Xuan St.)で、レンタルバイク屋の同席のもと、事案を処理しますので、一緒に行きましょうと。バイクの後ろに乗せてもらって再び移動。

まず派出所に行って、彼女の通訳を通して職員と話す。次にファングーラオ通のレンタルバイク屋に行って、私のパスポートを預かっている店の男性と、通訳を通じて話す。そして一同揃って、再度、派出所に向かう。到着は11時半。この時点で、私は13時25分のフライトは断念し、とにかくパスポート返してもらって、次の飛行機を予約する作戦に切り替えました。クアラルンプールでは今晩、ビジネスパートナーと会食の予定があったので、LINEで到着が数時間遅れる旨を話す。

その後、15分ほど待ったでしょうか?コミュニケーターが、「バイクのキー、持ってますか?」と聞いてきました。「はい、あります」、財布に入ったキーを取り出し、彼女に渡す。

 

「バイクのキー…もしかして、バイク見つかったのかな?」

 

案の上、その通りでした。私の借りたレンタルバイクは、昨晩、違法駐車で撤去されて、派出所の室内に移動されていたのです!

 

【12時間ぶりに、バイクと対面!】

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昨晩、駐車してから12時間ぶりに、バイクと対面。ちゃんとエンジンかかるんじゃん!撤去処理手数料50万ドンを払い、レンタルバイク屋まで乗って、パスポートを返してもらって、全て一件落着。

その後、コミュニケーターのバイクでホテルに戻り、WIFIでPCつなげて次のクアラルンプール行きのフライト予約にも成功、16時15分発のマリンドエア便で、クアラルンプールに飛ぶことができたのです。

コミュニケーターと、派出所の人にお礼を言った後、近くの店で食べたフォーとビールの味が、忘れられないほど美味かったです。警察トラブルの後、「シャバの味」は最高ですね。

【幸せの黄色いハンカチで、高倉健が網走刑務所から出所して初めて食ったラーメンみたいだ…】

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【今回の地図つくりました】

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地名に歴史ありーベトナム編

こんばんは、Manachanです。今日は朝から晩まで、ハノイの東から西へ、不動産物件を見まくって、とても充実した楽しい一日でした。

不動産を生業とする者の習性として、どの土地に行っても、地図を頭に入れながら歩き回ったり、地名の由来に思いを馳せたりするものです。それは、ベトナムという外国でも変わりません。

 

Hai Bà Trưng(ハイバーチュン)とかBạch Đằng(バクザン)とかTrần Hưng Đạo(チャンフンダオ)とか、ベトナムのどの都市に行っても、よく出てくる地区名や街路名がありますね。調べると、 その少なからぬ割合が、ベトナム歴史上の人物の名前で占められています。彼らの多くが武将や皇帝、革命指導者であり、「戦役で外敵を破って、ベトナム民族の独立を守った」英雄です。

現在のベトナムの領土が、漢民族の文書に出てくるようになったのは、今から約2000年前、イエス・キリストの時代にまで遡ります。それ以来、ベトナム民族の歴史は、息つく暇もない位、戦争に次ぐ戦争の連続。ざっくり言うと、前半の1000年間は中国の支配下にあり、後半の1000年間は独立国家として生きてきたわけですが、いずれの時代も、外敵と戦い続け、並々ならぬ犠牲を払って、インドシナ半島東側の領土を守り続けてきました。

 

ベトナムにとっての「外敵」は、多くの場合「中国・漢民族」だったわけですが、時には「モンゴル(元)」、「シャム(タイ)」、「フランス」、「アメリカ」などを敵に回して戦いました。ベトナム人は昔から筋金入りの「戦う民族」だったのです。

だから、ベトナム史上、それぞれの時代に、「外敵と戦った英雄」がいて、そこに非常に多くの人名が出てきます。彼らの名前は、ベトナム中の道路や地域の名前を埋め尽くしています。今回は、代表的なものだけをとりあげますね。

 

Hai Bà Trưng (ハイバーチュン、徴姉妹の乱、西暦40-43年)

「古代ベトナムのジャンヌ・ダルク」

ホーチミン、ハノイを含め、ベトナム各都市でよく目にする地名ですね。これはイエス・キリストの昔、中国の「後漢・光武帝」の時代に、ハノイ周辺に実在した人物の名前です。ハイは「2」、バーは「婆」(女性の意味)、チュンは「徴」…つまり「徴」姓の2人姉妹(徴側と徴弐)で、ベトナム民族の祖先だったと思われます。

ハノイ周辺が、中国人によって「交趾」(コーチ)と呼ばれ、属領にされつつある頃、現地の豪族であった徴姉妹が、周辺の豪族を味方につけて、西暦40年、後漢政府に反旗を翻し、周辺地域を3年間だけ支配しました。光武帝は馬援将軍を派遣し、反乱鎮圧を命じました。徴姉妹も抵抗しましたが力及ばず、西暦43年、馬援の軍に殺害されました。

徴姉妹はベトナム人の間で、今日でも英雄として語り継がれています。馬援に討たれるまでのわずか3年間を「ハイバーチュン時代」と呼んでいるほどです。なお、この時代は日本の福岡市近辺にあった「奴国」が後漢光武帝に朝貢し、「金印」を授かったのとほぼ同時期です。北部九州の人には感慨深い事実ではないでしょうか?

 

Battle of Bạch Đằng River (バクザン、白藤江の戦い、938年、981年、1288年)

「ベトナムの関ケ原決戦」

ベトナム第三の都市・ダナンのメインストリート「バクザン通り」をはじめ、ベトナム各都市にある地名ですね。

徴姉妹の乱から900年の長きにわたり、ベトナムは中国歴代王朝の支配下にありましたが、西暦939年、ついに独自の民族王朝「呉朝」を持つことができました。そのきっかけとなったのが、938年の白藤江(バクザン河)の戦いでの勝利。ハノイの北東「ハロン湾」付近にある河口が決戦の地になりました。

勝てば独立、負ければ異民族の支配…「ベトナムの関ケ原」天下分け目の戦いに、呉権率いるベトナム軍は、小舟を使った巧みなゲリラ戦術で中国(南漢)軍を見事に撃破して、ベトナム民族による国家を地上に現出させました。

その後も、白藤江はベトナム対中国王朝の決戦の地になりました。981年、前黎朝 と 北宋による戦いはベトナム側敗北。1288年、陳朝 と 元による戦いはベトナム側の勝利になりました。

 

Trần Hưng Đạo (チャンフンダオ、陳興道、1228~1300年)

「ベトナムで元寇を撃退した英雄」

ホーチミン1区に「チャンフンダオ通り」がありますね。ベトナム人の歴史上の人物のなかでは、日本人に比較的知られている名前かもしれません。

彼は大越陳朝の王族・武将。1257年、モンゴル軍が侵攻してきた際、大越軍を率いて蒙古軍を大いに破り、1282年からクビライが建てた元による侵攻を受けると、チャンフンダオは大越軍の総司令官に任じられ、巧みなゲリラ戦を繰り広げて元軍に大勝しました。

ほぼ同時期、日本にも元の侵攻(元寇)があり、九州・福岡周辺の武士たちが勇敢に応戦。台風にも助けられて独立を守りました。巧みな戦術で元軍を打ち破ったチャンフンダオは日本人の心を打つベトナム人の一人ですね。

 

Phạm Ngũ Lão (ファングーラオ、范五老、1255~1320年)

「ベトナムの諸葛孔明」

ホーチミン1区、バックパッカーの安宿が並ぶ一角「ファングーラオ通り」。その地名の由来は、前出チャンフンダオに仕え、元王朝への抵抗戦争で数々の戦功を納めた名軍師「ファングーラオ」。

 

Lê Lợi/Lê Thái Tổ (レロイ/レ・タイト、黎利/黎太祖、1385~1443年)

「明朝を打ち破った、ベトナム中興の祖」

ホーチミン1区に「レロイ通り」があり、ハノイのホアンキエム湖沿いの周回道路に「レ・タイト通り」の名前が付けられています。その由来は、後黎朝大越国の初代皇帝「レロイ」(廟号は「レ・タイト」)。

1406年の明の永楽帝によるベトナム侵攻とその後の支配に抵抗。明の勢力をベトナムから追い払い、ハノイで黎朝を開きました。軍事面だけでなく政治家としても大きな成果をあげ、均田制・科挙制などを導入、諸法典の整備に取り組みました。

 

Nguyễn Huệ (グエンフエ、阮恵、1753~1792年)

「ベトナムのナポレオン、国の南北でシャム軍と清朝を打ち破った天才将軍」

ホーチミン1区の目抜き通り、歩行者天国の「グエンフエ通り」がありますが、その由来は、18世紀に活躍した、ベトナム西山朝第2代皇帝にして、同国史上最も成功した軍司令官の一人でもある「グエンフエ」。

「ベトナムのナポレオン」とたとえられるほどの戦上手。ベトナム南部では、ラックガム=ソアイムットの戦いで広南阮氏の残党とシャム(タイ)の連合軍を破り、ベトナム北部ドンダーの戦いでは黎朝残党と清王朝の連合軍を破っています。

 

Đề Thám (デタム、提探、1858~1913年)

「フランス植民軍に抵抗した提督」

ホーチミン市1区の安宿街が並ぶデタム通り。その由来は、ホアン・ホア・タム、またの名をデ・タム(タム提督)。彼はベトナム北部・北江省の安世県を中心に25年にわたって繰り広げられたフランス植民地政府への反乱である安世起義の指導者です。農民兵を組織し、巧みな戦術で何度もフランス軍を撃退しました。

 

Nguyễn Thị Minh Khai (グエンチミンカイ、阮氏明開、1910~1941年)

「ホーチミンの妻(?)にして革命同志」

ホーチミン3区やハノイのハイバーチュン区に「ミンカイ通り」がありますが、その由来はベトナムの女性革命指導者「グエンチミンカイ」。

1930年にミンカイは香港に赴き、当時「阮愛國(グエン・アイ・クォック)」と名乗っていたホー・チ・ミンのコミンテルン極東支部秘書となりました。翌年、ミンカイとホーチミンは互いにひかれあい、結婚を計画していましたが、ミンカイが破壊活動の容疑で英国警察に逮捕・投獄されたため、二人の仲は引き裂かれ、ミンカイは1940年にフランス植民地政府に捕縛され、翌年銃殺されました。

ミンカイの名前を冠した地名や学校名はベトナム中にあります。

 

Lý Tự Trọng (リ―トゥ―チョン、1914~1931年)

「17歳でフランス軍に処刑された革命殉教者」

ホーチミン1区、日本人街レタントン通りと並行する長大な通り。私の常宿もあるお洒落なエリアですが、地名の由来は、フランス植民地時代、1931年にホーチミンで革命デモを起こし、わずか17歳で処刑され命を落とした少年「リ―トゥ―チョン」。若き殉教者として、その名はベトナム人の心に刻まれています。

 

…こんな感じで、ベトナムの歴史は戦いに次ぐ戦い。苦難のなかで、ベトナムのために命をかけた人々の名前が語り継がれ、地名になったり、学校名になったりしているわけです。

その歴史に思いを馳せながら歩くベトナムも楽しいものですね。この知識は、ベトナム人と仲良くなったり、また不動産投資の面でもきっと役に立つと思いますよ。

 

【ホーチミン1区東部】

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【ホーチミン1区西部~3区】

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ダナン(ベトナム)vsセブ(フィリピン)…、東南アジア観光都市対決

こんばんは、Manachanです。私は先ほど、ベトナム中部の美しい街・ダナンを後にして、首都ハノイに飛んできたところです。

人生初のダナン訪問。本当に、行ってよかった。観光地・保養地として、素晴らしいコンテンツ、ポテンシャルを持つ街ですね。ダナンを中心とする中部ベトナムは、海の魅力、グルメの魅力、文化の魅力を全て兼ね備え、東南アジアでも有数の総合力だと思います。

 

・都市と海、両方の魅力を持つ「ダナン」
・古都にして街全体が世界遺産の「ホイアン」、「フエ」
・長大な白砂のビーチに連なる「リゾートホテル群」
・グルメに可愛い小物…女子旅に最適。

 

【一見、長閑な地方都市にみえるダナンですが…】

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【実は、大観光地】

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観光地ダナンの魅力は、日本でも、徐々に認知されてきていますが、すでに欧米人の間では人気沸騰のようで、ダナン国際空港、ビーチリゾート、ホイアンの土産屋・飲食店、どこに行っても白人観光客があふれていました。シニアな年齢の方々、子供連れの方々、どちらもたくさんいましたね。

東南アジアで、ダナンに一番タイプの似た都市はどこか?私の行った範囲でいうと、「フィリピンのセブ」でしょうかね。この二都市は多くの点で、共通しています。

 

・街のサイズがほぼ同じ。
・海と山に囲まれた地形がそっくり。
・都市とビーチが隣り合っている点も同じ。
・いずれも国際空港があり、拡張工事中。
・どちらも外国人に人気の観光都市。
・国内大都市の観光客にも人気が高い(ハノイ、ホーチミン⇒ダナン、マニラ⇒セブ)

 

【観光客急増で、ダナン空港拡張中。】

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どちらも、甲乙つけがたい魅力を持ちますが、あえて甲乙つけてみると、

 

・都市周辺のビーチは、ダナンの方が勝る。セブ(マクタン島)のビーチは、ホテルとホテルの間が分断されていたりするけど、ダナンは数十キロにわたって白砂のビーチが続き、まるでゴールドコーストのよう。

・但し、セブの場合は海を渡ればボホール島やネグロス島、またセブ島の南部に素晴らしいビーチ・ダイビングスポットが多いので、周囲の島まで含めるとセブの魅力が勝る。

・ショッピングの面では、セブの方が勝る。セブのアヤラモールは素晴らしいし、新開地SRP地区に東南アジア最大級のSMモールも完成。ダナンには、これらに匹敵する商業施設はない。

・食文化・グルメの面では、ダナンの魅力が大きいですね。ベトナム料理はとにかく美味しくてヘルシーだし、中部ベトナムで特色のある料理も豊富。

・産業、特にサービス業では、セブの発達度が上。英語圏のメリットを活かし、ソフトウェア、コールセンター、英語教育産業が大きく発達。ダナンもITに力を入れているけど、セブに比べると落ちる。ベトナム人英語得意でないのが辛い。

・文化的なコンテンツでは、ダナンの方がバラエティ豊か。すぐ近くにホイアンやフエ、ミーソン遺跡など、悠久の歴史を感じさせる観光地が周辺に多い。

 

【値段が高くても、安くても、うまい。ベトめしに、まずいものなし!】

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物価は、両者似たようなものですね。10㎞くらいタクシーに乗ると、セブでもダナンでも500円くらい。麺料理などは、ローカルが食べる安いもので150~200円。宿泊施設は高級リゾートから安宿までピンキリで、1泊4~5万円以上するリゾートはどちらにもある。2000~3000円クラスだとダナンの方が小奇麗な宿に泊まれる印象でしょうか。

あと言うと、セブの方が見た目の貧富格差が大きく、ダナンの方が所得が平均している印象ですね。セブの場合、豪邸街やショッピングセンターは凄いけど、その周りに貧しい住民の掘っ立て小屋みたいな住宅も目立ちますが、ダナンの場合、そういうものが見当たらない。その代わり、セブほど富裕層の華やかな消費生活を感じさせるものがまだなく、全体的にのんびりした印象。

なお、道路の整備度合いはダナンの方が上、治安も全般的にダナンの方が良さそう。但し、セブでもアヤラモール周辺やITパーク周辺にいれば、環境が整備されて快適だし、近代的かつ都会的。一方、ダナンでここまで垢ぬけた場所は見当たらない。

 

【都会度と消費生活では、セブに軍配。アヤラセンターとビジネスビル群】

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海と都会を楽しめる、東南アジアの観光都市対決、結論は、

 

・美味しいもの食べて、安心できる環境でまったり過ごしたいなら、ダナン。

・英語を学びつつ、都会と自然のメリハリある環境で過ごしたければ、セブ

 

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生活コスト3分の1のオーストラリア

こんばんは、Manachan@マレーシアです。

3月26日の朝7時過ぎ、クアラルンプール国際空港に着くと、外気温すでに31℃。空港の外に出ると熱気と湿気がムワッと…我が家は今年1月にタイ・バンコクに行ったばかりですが、ここマレーシアもタイ同様、常夏の国。

でも高速道路で市内に向かうと、マレーシアの風景は隣国タイとは似ても似つかないことに気づきます。とにかく土地が広くて、樹林と未利用地が多い。人家が少なく、その割に車の交通量は多い。大雑把な風景のなかに時々、高層マンションや戸建住宅地、ショッピングセンター、ガソリンスタンドなどが出現する。

どこかで見覚えある景色だなあ…私が知る限り、ここと一番似ているのは、「オーストラリア」。そう、不思議なことに、マレーシアとオーストラリア、いろんなところが、やたら似ているんです。同じ旧英連邦で地理的にも近いので、オーストラリアの影響大きいんでしょうね。

 

クアラルンプール郊外の景色、これが「オーストラリア」といわれても、私は違和感ありません。

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ショッピングセンターからみる外の景色。緑地や空き地、建物の感じが、オーストラリアの都市近郊っぽい。

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クアラルンプール周辺は、分かりやすくいうと「ニュータウンの集合体」。プトラジャヤ、サイバージャヤ、ペタリンジャヤといった郊外衛星都市に、無数の、「港北ニュータウン」に似た地域が点在し、そこに学校、病院、商業・娯楽施設、高速道路I/Cなど、人々の生活に必要なものが計画的に配置されています。

今回はその一つ、プトラジャヤにある「IOIリゾートシティ」に行きました。港北ニュータウンというよりは、オーストラリアの住宅地にそっくり。

ショッピングセンターの設計、入居テナントからして、オーストラリア各地で展開する大手SC「ウェストフィールド」と景色がダブる…ウェストフィールドでよくみかける、Target、Priceline、Harvey Normanに瓜二つの店舗が、ここにある。飲食店のラインアップも、オーストラリアの中流層が好みそうな「オーガニック野菜と肉料理のモダンな西洋料理の店」とか、「ゆったりと広いカフェ」、「寿司バー」の類が目立ちます。

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フードコートの雰囲気も、オーストラリアとよく似ています。この写真だけ見せて、「オーストラリアのアジア系住民の多い地域のフードコート」だと言われたら、信じてしまうかも。

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さらに、値札もオーストラリアに似てますね。フードコート内のプロモーション(割引価格)で9.9。ジャパレスの「うどん」や「丼もの」の値段が10.9~14.9。

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ただ、決定的に違うのが、「通貨と物価」。オーストラリアだと、フードコートで食べる肉うどんの値段が「12.9豪ドル」。マレーシアだと「12.9リンギット」ですから、

1豪ドル=3リンギット
1豪ドル=84円、1リンギット=28円
肉うどん・・・オーストラリアで1084円、マレーシアで361円

 

食べ物に限らず、タクシーや電車の運賃、書店で売ってる本や雑誌の値段、スーパーで買う飲料の値段、家賃や民泊の宿泊料なども、おおむね、マレーシアとオーストラリアの値札は同じ。電化製品とか車はともかく、日常品においてマレーシアの生活物価はオーストラリアの約3分の1ということになります。

いろんなものがオーストラリアとそっくりで、かつ値段3分の1ならすごくお値打ち感がある…と思います。もちろん、日本からみても明らかに物価安いので、移住先、ロングステイ先としてマレーシアは人気があります。ロングステイ希望国ランキング、2006年から9年連続、1位ですからね。

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「1位マレーシア、2位タイ」という、アジアのツートップも定着してきましたね。日本から近くて行きやすい、住んでる人間が同じアジア人種だし、食べ物も米・麺ベースなので馴染みやすい。物価が安くて、その割にまとも…というのが人気の理由でしょうか。

(余談ですが、マレーシアに来ると私は、地元民だと思われます。それどころか、うちの家族は全員、英語か中国語で話しかけられるのに、私だけマレー語で話しかけられたりします。同胞だと思ってくれるのは構わんけど、早口のマレー語で話しかけてもSatuとかAndaとかBanyak-banyak位しか分からんぞ…)

近年、ヨーロッパ諸国が、ランキングからほぼ姿を消し、人気の国は東南アジアか英語圏先進国に限られてきましたね。そのなかでオーストラリアが若干、人気を落としているのは、「物価が高い」イメージのせいでしょうか。

 

マレーシアは、「一応、英語圏」なので、子供に英語を学ばせたい親たちにも人気があります。ここは多民族国家で、マレー系、中国系、インド系等、いろいろいますが、基本的に皆、英語を話しますすし(というか、種族間の意思疎通やビジネスのため英語は必須)、英語ベースのインターナショナルスクールの類も豊富にあります。

移住当初は、「マレーシア人が日本人にも聞き取りやすい英語で話してくれる」となかなか好評。中華系はともかく、マレー系住民の母語は日本語に似た音韻体系を持っていて(ほぼ「あいうえお」だもんね…)、ローマ字っぽい英語で話すので聞いて理解しやすい。

ただ、マレーシアの暮らしや英語教育に慣れてくると、ここが「なんちゃって英語圏」であることが分かり、物足りなくなってきます。皆、母語はマレー語や中国語であり、第二言語として英語を学んでいる。確かに英語は話すけど、ネイティブじゃないと…

そこで、「ホンモノの英語圏」で暮らしたい人、学業を続けたい人は、オーストラリアやニュージーランドとかに行くわけです。

とはいえ、日本人が英語や海外暮らしに慣れるための「ゲートウェイ」として、マレーシアの利用価値は大きいですよね。生活コストも安いわけだし…。

 

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マレーシア星ヶ丘物語

こんばんはManachanです。今朝、マレーシア・クアラルンプール(KL)に着きました。家族4人で、都心部のコンドミニアムに滞在しています。いわゆる「民泊」ですが、広くて、とても気に入っています。

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私たちが滞在する場所は、「KLの新宿」と呼ばれる繁華街ブキビンタン(Bukit Bintang)から、モノレールで1駅目Raja Chulanのすぐそば。ブキビンタンの駅から歩いても10分かかりません。

いまのブキビンタン、ものすごく都会的で、人出も多く賑やか。マレー系、中華系、インド系、中近東系、欧米系…世界中のいろんな民族が集まる場になっています。

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ブキビンタンには、世界主要都市の百貨店と比べてもひけを取らない超豪華な「パビリオン」をはじめ、ハイエンドな商業施設がいくつかある一方で、東南アジアらしい、怪しげな個店が集まる「スンゲイワン・プラザ」や「BBプラザ」等もあり、いずれも賑わっています。

私は「スンゲイワン・プラザ」大好き。いつもここで、DVDを買ったり、食材を調達したり、携帯電話のSIMロックをはずしたり、散髪したりしています。

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ブキビンタンという地名、Bukitが「丘」、Bintangが「星」の意味。日本風にいえば「星ヶ丘」。名古屋の地下鉄駅みたいで、おしゃれな名前ですね。

私が初めて、マレーシアを訪れたのは1992年。当時のKLは、大都会になった今からは想像もできないほど、小さく、シンプルな街でしたが、その時代から、星ヶ丘、もといブキビンタンはKL随一の商業中心地でした。

 

1992年当時は、アジアで先進国が日本だけしかなく、韓国、台湾、香港、シンガポールが「アジアNIES」とよばれる中進国、あとは全て発展途上国だった時代でした。

東南アジアでいうと、当時、近代的な都会といえばシンガポールとバンコク位しかありませんでした。マレーシアの首都KLは、「えっ、これでも首都なの?」と驚くほど、こじんまりとした、日本でいう「地方の県庁所在地」レベルの街でした。現在の「カンボジア・プノンペン」と似たような都市レベルだったと記憶してます。

 

・現在の都心CBDであるKLCC地区は、まだ開発前で更地だった。当然、「ペトロナス・ツインタワー」もなかった。
・セントラル駅の裏手は、一面の森で、「タマン・ラマラマ」(蝶々の公園)と呼ばれていた。
・セントラル駅からチャイナタウンまで、1~2㎞の間は一応、市街地が続いており、旅行者の多くはそこに泊まっていた(それ以外の選択肢がなかった)。この一帯の商業店舗といえば、見渡すかぎり個店ばかり。
・セントラル駅から5~10㎞も離れると、ゴムのプランテーションが広がっていた。

 

とはいえ、貧乏ではなかったです。マレーシアは昔から、少ない人口で豊かな資源を占有している国だから、街が小さくてシンプルとはいえ、他の東南アジア諸国にはない、生活水準の高さは感じました。当時の私は、KLを離れて、地方都市のテメルロー(Temerloh)やジェラントウット(Jerantut)にも足を運びました。そこには平屋建ての商業施設が一つあるだけ、みたいな状態でしたが、それでも皆さん、まともな家に住んで栄養も十分のようで、貧しさとは無縁のようでした。

でも、KLは一国の首都なのだから、マダムや娘さんがおめかしして行くような百貨店の一つや二つはあるはず。よく見たら、その機能はブキビンタンが一手に担っていました。

当時、ブキビンタンにあった「伊勢丹」が、KL、いやマレーシアで唯一、近代的な百貨店と呼べる代物でした。今のプノンペンでいう「イーオンタウン」みたいなものですね。伊勢丹を中心に、建ち並ぶいくつかの商業施設と、人々の賑わい…商都ブキビンタンがあるからこそ、KLはマレーシアの首都でいられるのだと思いました。

 

あれから20数年、KLはものすごく変わりました。KLCC地区は高層オフィスビルが林立して摩天楼と化してますし、大型百貨店、ショッピングセンターは、星の数ほど建ちました。商都ブキビンタンも、時代にあわせて進化・グレードアップを続けています。

活気あふれるブキビンタン。これからもKLを引っ張っていく存在でありつづけることでしょう。

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