こんにちは、Manachanです。

大変な事態になりましたね。コロナウィルス禍に揺れる全世界。恐怖と相互不信、先行きの見えない閉塞感に苛まれる人々とビジネス、ネット社会と情報過多が、不安に拍車をかける時代。

極めつけは、他国との行き来を遮断する欧米政治リーダーの決断。世界の株価は連日大暴落し、一気に奈落の世界同時不況に進みそうな今日この頃。ここ1~2週間に限っていうと、世界的なコロナ騒動の震源地は、紛れもなくアメリカでしょう。

東アジアで発生したコロナウィルスが、アメリカ大陸に飛び火。国内感染者数が日々、倍々ゲームで激増して、全米各地が恐怖と狂気に覆われ「激変」した、まさにその時、私はアメリカ・カナダへ8日間の出張をしていました。この体験は、一生忘れないでしょう。51年間生きてきて、ここまでエキサイティングな業務出張は、後にも先にも無いかもしれない。

 

私の出張コースを、アメリカ各州の感染者数マップと重ねあわせてみました。

 

その出張中に起こったことを、年表ふうにまとめました。一つひとつが歴史的瞬間、にわかフォレストガンプになった気分だな…

 

3月9日(月)日本出発、アメリカ入国

午後の成田空港は、葬式のように静まり返っていました。第一ターミナル、広大な北ウィングに人影まばら。これまでに見たことのない異様な風景でした。乗客よりも職員の方が多いんじゃないか?

確かに、いまコロナウィルス騒ぎの渦中にある日本、サラリーマンは自宅勤務、学校は軒並み休校、ディズニーもUSJも閉園、大相撲は無観客、センバツ甲子園も中止…仕事とはいえ、このタイミングで海外に行く私は余程の変わり者なんでしょうな。そして、チェックイン後が凄かった…

 

セキュリティチェック:客は私ひとり

出国手続き:客は私ひとり

出国後の書店;客は私と白人男性のふたりだけ

 

出国はできたけれど、アメリカに無事入国できるんだろうか?日本から来たということで感染が疑われ、別室に連れ込まれて隔離・検疫されるかもしれない。それで、普段より多めに文庫本を買いました。本さえあれば、万一アメリカで隔離されても暇つぶせると思って…

当時は客観的にみて、東アジアにあって中国に近い日本の方が、アメリカよりは感染リスクが高そうだというのが一般的な評価だったことでしょう。

でもアメリカに上陸して、認識が変わりました。数字を見るかぎり日本以上に感染が広がり、空港ガラガラ、飲食店もガラガラ、道路も普段よりガラガラ、学校も軒並み休校、イベントは中止の嵐、ホテルは激安セール、ショッピングセンターの棚からトイレットペーパーも体温計も缶詰も消える…それは日本だけの現象ではなく、アメリカでもカナダでも全く同じ状況だったのです。

私を乗せたデルタ便は、太平洋を越えて、アメリカ西海岸・オレゴン州ポートランドに到着しました。入国手続きで、係官から2~3の質問を受けました。「ここ2週間で中国、イラン、イタリアに行ってないか?」、「何しにアメリカに来たんだ?」、「いつまで滞在する予定なんだ?」等々…当たり障りのないように簡潔に答えると、意外なほどあっさり、入国を認めてくれました。

これで一安心…というのも、私が入国できないと、全米各地で予定している商談や視察が実施できなくなりますから。無事入国できた旨を、ラスベガスやヒューストン、アイダホ等で待ってる人たちにFacebookで伝えて、私は晴れて、ポートランドの土を踏みました。

奇しくもその日、ニューヨークのダウ平均株価が、一日2123ポイントも暴落し、サーキットブレーカー(取引停止)が発動されました。アメリカの歴史に残る「激動の一週間」は、すでに序章がはじまっていたのです。

 

3月11日(水)緊迫のカリフォルニア、トムハンクス・ショック

アメリカ入国して1、2日目。ポートランドと、アイダホ州ボイシーでの日々は、比較的平穏でした。いま振り返ると、アメリカ全土がコロナウィルスで大騒ぎする直前、「嵐の前、束の間の静けさ」だったのだと思います。

特に当時のアイダホ州は、感染者が一人も出ていませんでした。隣のワシントン州ではシアトル圏を中心にすでに約400名の感染者と、20名の死者が出ているのを横目に、「俺らの州は内陸だし、外国の連中は来ないし、コロナなんて大丈夫だよ」と、皆さん涼しい顔をしていました(注.その数日後に、アイダホ州でも感染者が確認されました…)

そのアイダホから飛行機でカリフォルニア州サンノゼに入ると雰囲気が一変。カリフォルニアは当時すでに、ワシントン州、ニューヨーク州に次いで、全米第3位の感染者数が報告されている州だったのです。空港に降り立ってすぐ、「日本と同じ緊迫した雰囲気」を感じました。

サンノゼといえばシリコンバレー、GAFAの本社が集中するMountain ViewやPalo Alto周辺のフリーウェイは、平日朝の時間帯は大混雑するはずなのに、今回に限って、まるで日曜日のようなガラ空き…Apple本社のビジターセンターに来ると、駐車場は悲しいくらいにガラガラ。ITエンジニアの皆さんは、軒並み自宅勤務しているようでした。

ショッピングセンターに行くと、日本と同様、トイレットペーパーはじめ紙製品は軒並み売り切れ、体温計も売り切れ、マスクの在庫ゼロ…落胆する私たちの横を、トイレットペーパーを10ロール位、カートに山積みした女性が歩いていきました。

その午後、海辺のサンタクルーズで物件視察をしていると、私のiPhone端末にニュースが入ってきました。なんと、「トムハンクス夫妻、コロナウィルス感染が判明」ですと…。

いまにして思うと、多くのアメリカ人をして「コロナウィルスやばい」と思わせる出来事が、皆が知ってる映画俳優トムハンクスの感染だったのだと思います。これで誰もが「他人事ではない」と思った…まさに歴史の決定的瞬間。若き日のトムハンクスが、アメリカ現代史の決定的瞬間を生きた男「フォレストガンプ」を演じたのは、偶然ではないと思いました。

あの瞬間を境に、アメリカは変わってしまった…その夜、トランプ大統領が電撃的に、大陸欧州26カ国からの渡航制限措置を発表したのは多分、「アメリカ国民の空気を読んで…」のことだったのだと思います。

 

その翌日、NYダウ平均は、2352ポイントという史上最大の暴落となり、わずか3日前の記録を更新。2回目のサーキットブレーカー発動。米国内の感染者数も、1000人、2000人、3000人…と、日々、倍々ゲームで増えていき、もう後戻りはできなくなりました。

 

 

3月15日(日)間一髪!薄氷のカナダ入国

カリフォルニアのあと、ラスベガス、ヒューストン、ワシントンDCと回ってきた私は、最後の目的地、カナダのトロントを目指す際、同国に無事入国できるのかどうか、気をもんでいました。

奇しくも2日前(3月13日)、カナダのトルドー首相の奥様にコロナウィルス感染が判明。首相自らが、自己隔離して暮らしていたのです。国のトップが自己隔離する位なら、早晩、我々外国人の入国を制限するでしょう。あと日本のいくつかのサイトには、「カナダに入国はできるけど、日本国籍者には隔離・検疫など行動制限がかかる」と書いてありました。

 

「カナダ行くのどうしようかなあ…隔離されるリスクがあるなら、アメリカから直接日本に帰国する方がマシかもなあ…」と一瞬思いましたが、当時確認できた情報によれば、カナダ政府から自己隔離要請はあっても強制的ではなく任意との話だったので、「行っちゃえ!案ずるより産むが易し」と思い、数日前の成田と同じくらいガラ空きのワシントン・ダレス国際空港から、予定通りトロントに飛びました。

トロントの入管では、数日前のポートランドと同じく、簡単な質問を2~3受けて、冷静に受け答えすると入国スタンプを押してくれました。その次の通関でも文句言われる覚悟をしてましたが、こちらもお咎めなく、カナダ入国成功!

入国日付は、3月15日。奇しくも、トルドー首相が米国人を除く全ての外国人非居住者のカナダへの入国禁止措置と発表する、わずか1日前でした。まさに間一髪のタイミングで入国。つまり、国境を閉ざす寸前のカナダの姿を垣間見れたわけです。

 

翌3月16日、私はトロントでの仕事を終え、利用客居なくてガラガラのピアソン国際空港から、午後2時45分発の羽田行きのエアカナダ便に乗り込みました。その搭乗時刻わずか15分前に、トルドー首相の入国禁止措置のニュースを聞きましたが、その理由の一つが、私が今いる場所「トロント・ピアソン空港の職員にコロナウィルス感染者が確認されたから」だそうで…。

折しもこの日、隣国アメリカのNYダウ平均は、2997ポイントという史上最大の暴落となり、3回目のサーキットブレーカー発動。もうこうなると、ブレーカーなんて無いも同然だよね。

 

出張を終えて…

いま私は、機上の人。カナダ~日本の長いフライト中で、あと数時間で羽田に着きます。

これまで書いたように、感染リスクのある場所で、入国制限や隔離、フライトキャンセルのリスクをかいくぐって、ギリギリな出張をしました。

私の体調は、主観的には完璧です。ここ2年ほど、風邪ひとつひかず元気そのもの。先ほど、アメリカで買った体温計で測ったら、96.3F(35.7℃)だったので発熱はしてません。

ただ、感染のリスクを疑う人も多分居ることでしょう。求められれば、家族や社員を守るために自己隔離も甘んじて受け入れます。本音では隔離が必要だと思わないけれど、でも自分だけの人生じゃないし、皆様に支えられて生かしていただいてる以上、必要な配慮はしますし、国や職場のルールは守ります。

あと言うと、私は大胆な行動をする割に、手洗い、消毒、うがいなどは普段かなり気をつけています。外出から自宅に帰る時は必ず検温してますし、その際の手洗いには使い捨ての紙を使い、さらにはゴミ箱も他と分けています。

日本に帰ったら、たぶん当面、海外には行かない(行けない)でしょう。私の意思や健康状態とは関係なく、今やアメリカもヨーロッパもアジアもオセアニアも、残念ながら、入出国に支障を伴いそうな国ばかりになってしまいましたから…

「ウィルスに侵された恐怖の世界、一体どこ行けば安心なの?」。そう聞かれたら、私は次のように答えます。「安心は、私の心のなかにあります」と…いま私の心は、池塘の水面のように静かで清らかで、惑わされません。不安にもなりません。激動する「いま」この瞬間を、心から楽しんで生きています。なぜなら、

「私は投資家だから」…投資家とは、自分の負えるリスクの範囲で、収益を最大化しようとする人のことです。今回の北米出張は、周りに心配かけたけど、でも自分がリスク負えると思うからやった。これまで海外の旅先で幾多のアクシデントを克服した経験値があるから自信もあった。で、リスク負って行動したその先には、ポートランドで、ラスベガスで、ヒューストンで、現地の方々の素敵な笑顔に出会うことができた。次の商売につながる動きもできた。本当に、思い切って出張に行って良かった。

コロナウィルス問題は、いつかきっと、人類が解決します。それまでは私の商売も含めて大変っちゃ大変です。でもコロナ禍の只中にある私たちがやるべきことは、コロナ後の世界をイメージしつつ、まさに激動する「いま」この瞬間を楽しみつつ、自分が今やれること、やるべきことに集中することではないでしょうか?この一週間で激動したアメリカ・カナダの「いま」を現地で垣間見て、その一瞬一瞬がとても新鮮で楽しかった…そんな風に生きていれば、心豊かに生きられる。大丈夫、何とかなりますよ。

 

コロナビールで乾杯!ウィルスなど、笑い飛ばしてしまえ…

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