2018年 3月 の投稿一覧

「移民受け入れ是非」じゃなくて、「生活者」として自然に受け入れよう

こんにちは、Manachanです。久々のブログ更新になります。

私は仕事柄、欧州諸国の収益不動産をかなりの頻度で見にいきます。ドイツや英国が特に多いですが、これらは成熟した先進国で、高齢化もそれなりに進んでいます。経済成長率も年1~2%とか控えめな数字です。

そんな成熟社会でも、不動産価値は上昇傾向になることが多い。欧州は日本と違って新築供給が少なく、中古住宅をメンテしながら長年住み続ける文化が根本にあり、需要に比べて住宅供給が不足しがちなので賃料も売買価格も値上がりやすい傾向にありますが、価格を支えるもう一つの要因として「移民流入による人口増加」もあります。

英国の各都市ではポーランドなど東欧出身者や、インドやパキスタンなど南アジア系の方々が多く、ドイツではトルコはじめ中近東系の方をよく見かけます。彼らが英国やドイツの社会に順調に統合されているのかというと、当然いろいろ課題があるのでしょうが、苦労しながらも、それぞれの国なりに経験値と知恵を積んでいる印象です。

社会のなかで、外国出身者がマイノリティとしてそれなりの割合存在し、本国のマジョリティとともに生活者として暮らす風景は、程度割合の差こそあれ、私の住む東京にも共通する点です。つい数日前、Facebookにこんな投稿をしました。

 

[実質的な移民社会、東京に暮らして…]

日本に一定期間(90日)以上、合法的なビザで滞在する外国人の数は増え続けており、かつ、増加のスピードも加速しています。

【外国人登録者数の推移】
217万人(2015/6末)⇒223万人(2015/12末)⇒232万人(2016/6末)⇒238万人(2016/12末)⇒247万人(2017/6末)  ※今は確実に250万人超

数字を素直に読む限り、ここ数年の日本における外国人純流入(=入国-出国)は15~17万人/年のペースで推移しており、日本人の自然減少約30~35万人/年の約半分を補っています。

そのうち東京圏を詳しくみると、外国人純流入の約半分(7~8万人/年)が定着し、かつ日本人も15万人/年が他地域から転入しているので、「日本人も外国人も増える」、「外国人増加が全体の3分の1を占める」社会になっています。私の暮らす江東区も外国人比率が6%に迫り、身近に日本人以外が暮らすのが当たり前になりました。

ところで、日本の外国人純流入15~17万人は、奇しくも10年前の英国やドイツにおける外国人純流入(約20万人)と近い数字です。なおドイツは同時期(2005年)に移民法を制定し、移民を対象とするドイツ語の公教育などが法律で定められました。ドイツも英国も、移民してきた定住者の過半数が国籍を取得(日本でいう「帰化」)しています。

もっとも日本は欧州とは国情も歴史が全く違います。日本国として「移民を公式に受け入れる」宣言や、「税金を使って移民に日本語教育を与える」意思決定は、まだ遠い先のことでしょう。なお、うちの近所の小中学校では、アジア圏から十分な日本語知識なしに途中転入する生徒がいるので、実質的に教員による日本語補習が行われています。そういう地域も日本中に多いでしょう。

外国人がさらに増え、日本語教育や在留資格、年金はじめいろんな問題が起こり、既存の枠組ではにっちもさっちもいかなくなった時に、ようやく「潮時」、「移民受け入れやむなし」の雰囲気になって初めて、公式に物事が動くのだと思いますが。

でも生活者、不動産賃貸事業者の目でフラットにみる限り、相当数の外国人が日本に定住し、その数が年々増えている。労働提供者として消費者として賃借人として、日本社会に確かに存在しているという意味で、日本(特に東京)は実質的な移民社会になっていると考えて良いでしょう。日本政府が公式に移民を受け入れるかどうかは、「外国人が日本に暮らす」実態にそんなに影響しないと思います。

フィリピンとかインドとか中国から数年前に来日して、うちの近所で暮らしている人結構いますけど、彼らは普通に都心で働いて子供を地元の学校に通わせてて、母国に帰りそうな人は割合としては少ないです。そんな東京の風景は、トルコやポーランドから来て定住した住民の多い「ドイツ都市部」と重なります。

 

上の議論を、もう少し膨らませて書いていきますね。

日本の総人口は2008年をピークに減少局面に入り、少子高齢化を背景に減少幅は年々大きくなることが確実視されます。継続的な人口減少は日本経済に重苦しい悪影響を及ぼし続けており、日本社会や福祉システムを存続させるためにも、子育て支援に加え「ある程度の移民受け入れ」が議論のテーブルに乗って然るべきでしょうが、「移民」という言葉に対する国民のアレルギーが大きいので、政治家もそれをなかなか口にできません。

でも東京の江東区あたりに住んでると、身近に外国人が普通に居て、すでに長年暮らしてるし、お子さんは公立の小中学校に普通に通い、名簿をみても日本人じゃなさそうな名前がクラスに数名居る…実質的に移民受け入れてるじゃん、という感覚です。実際、首都圏各自治体では外国人比率が年々高まっていますし、横浜市とかは間もなく「日本人が減って外国人が増える」時代に入るでしょう。だからから猶更、「日本は移民受け入れない」という言説とのギャップを感じてしまいます。

日本の言論事情を考えると、「移民」という言葉を使わず、「定住者」といった抵抗の少ない言葉を使って議論した方が生産的でしょうね。「移民受け入れ、是か非か?」みたいな神学論争は意味がないし、すでに近所で暮らしている外国出身者との共生を目指し、彼らが日本社会に合流できる仕組みづくりを具体的に議論すべきだと思います。

 

日本は一般に言われるほど、排他的な社会ではないと思います。特に宗教に関して日本人は寛容で融通無碍なので、外国人比率が増えても信仰の違いに起因する衝突はたぶん起こりにくいでしょう。また、日本人同士だと同調圧力が強く存在しストレスの元にもなりますが、それが外国人に対しては通常適用されないので、そんなに「息苦しい社会」でもないでしょう。

外国人に対して寛容な日本人が、こと移民受け入れになると消極的になるのは、外国人を憎んでいるのではなく、日本人同士で互いに配慮しながら摩擦を起こさず過ごすのが快適で、その暮らしをずっと続けたいと思ってるからなのでしょう。確かに、日本の生活習慣に慣れていない外国人が目の前に居る環境で、日本的な意味でお互い摩擦なしで過ごすのは難しいでしょうから、

身近に暮らす外国人との間で文化の違いに起因する誤解や摩擦は起こりうるという意味での「無秩序」や、ゴミ出しや共同生活のルールや言葉で一から説明しなくちゃならない等の「面倒臭さ」を、日本人がある程度、受け入れる必要があると思います。逆に日本に一定期間以上暮らす外国人も、「日本人同士で気遣いながら快適に暮らしたい」というマジョリティの気持ちを尊重する必要があるのでしょう(普通は否が応にも、それに気づくものです…)。

外国出身の住民が身近に増えても、多くの日本人にとって「英語学習」は大して求められないでしょう(どっちみち、英語苦手なアジアの国からの流入が多いでしょうし…)。その代わり、「誰にも分かる簡単な日本語」で説明するスキルが必要になってくると思います。

 

日本で都市部を中心に「外国出身の住民」比率が今後も増えるのはほぼ確実でしょう。江東区でも、今の外国人比率6%弱が、5年後に7%、10年後に8%…みたいなペースで、徐々に増えていくと思います。日本の国籍や永住権を取る人も増えるでしょう。

でもそれは、日本人の人口減少を外国人に埋めてもらう「数合わせ」程にはならないでしょう(多分やるべきじゃないでしょうし・・)。日本人マジョリティの「摩擦起こさず快適に過ごしたい」気持ちと、「でも人口減少で国力衰退も困る」という気持ちの間で、今後の歴代政権が最適解を探りながら、「移民」という言葉を使わずに徐々に受け入れていくのだと思います。

その近未来が分かっているなら、排除せず、かといって無理もせず、お互い楽しく暮らしていきたいよね。

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旧西独vs旧東独の経済格差

こんにちはManachanです。いつもご愛読ありがとうございます。今回はいま私が出張で来ている「ドイツ」の話題でいきますね。

ドイツの首都にして、最大の都市は「ベルリン」ですが、この街は世界の大都市のなかても数奇な現代史を経験しました。

1945年にヒトラー率いるナチスドイツ敗戦により、ドイツ国は東西に二分されました。アメリカ主導で資本主義国として再出発した西ドイツ(ドイツ連邦共和国)は、「ライン川の奇跡」と呼ばれる経済復興を遂げ、わずか数十年で世界有数の経済大国に躍進。一方の東ドイツ(ドイツ民主共和国)は、ソ連主導で計画経済を運営してきましたが、経済力や所得水準、産業技術や企業経営の面では西側から大きく立ち遅れてしまいました。

その頃、首都ベルリンがどんな状態だったかというと、地図を見れば分かりますが、東ドイツ領のなかに囲まれていました。とはいえベルリン自体は、資本主義体制の西ベルリンと、社会主義体制の東ベルリンに二分され、その境界に「ベルリンの壁」が建設され、人々の行き来は厳しく制限されていました。

当時は、「東ベルリンが東ドイツの首都」。「西ベルリンは、西ドイツのなかで最大都市(でも地理的に孤立)」という位置づけでした。

 

資本主義と社会主義の違いによる、東西経済格差が誰の目にも明らかになった1989年に、「ベルリンの壁」が崩壊。翌年、事実上西ドイツが東ドイツを吸収する形で、ドイツ統一が成就、首都はベルリンに定められました。それから30年近く経ち、東西ドイツの経済格差がどうなったかいうお話をしますね。

マクロでみれば、東西ドイツ間の格差は縮小しつつありますが、現時点で格差はまだあります。見にくい表で恐縮ですが、2015年時点で

・旧東独地域の一人あたりGDPは、旧西独の71%
・旧東独地域の一人あたり可処分所得は、旧西独の82%

 

もっとも統一直後は、GDPも可処分所得も、東独地域は西独地域の40%以下でしたから、そこから見れば徐々に改善してきてはいます。今日でも、旧西独地域の住民は連帯税(Solidaritätszuschlag)という税金を連邦政府に払い、それが旧東独地域のインフラ整備や失業者の年金原資に充てられており、「西が東の経済を支援する」状態は変わっていません。

ドイツ統一は西側の住民には「税負担」というかたちで、一方で東側の住民には「人口流出」というかたちで、それぞれ大きな負担になりました。経済格差を大きく残した状態で国家統一、住民の移動が自由になった結果、東側の住民が良い給料、良い暮らしを求めて、大挙、西側に移住し続けたのです。その結果、

・旧西独地域の人口、統一時から4%増加
・旧東独地域の人口、統一時から14%減少

 

とはいえ、統一後20数年経って、「東から西への人口流動」の時代はようやく終わりました。2014年は、統一後はじめて、「西から東」への人口流動が「東から西へ」を上回りました。主な原因は、旧西独地域から首都ベルリンおよび周辺地域への大規模な移住です。ベルリンは首都なので仕事が豊富にある上、かつ旧西独地域より家賃はじめ生活費が安いのです。

つまり、(ベルリン全体を旧東独という前提で言うなら)ベルリンが東側で独り勝ちして、今や西側の人口を惹きつける程の発展を遂げているのです。その他の旧東独地域で、人口が増えているのは第二の都市ライプチヒ、ドレスデン位で、その他の地域は人口流出が止まっていません。

 

日本に例えていえば、「九州全体の人口は減少」、「でも福岡市やその周辺だけは人口増加率全国一で、首都圏からも移住してくる」のと似ていますね。

私は首都圏出身で福岡市に住んだことがありますが、福岡暮らしの魅力のひとつは「(首都圏と比べた時の)家賃や物価の安さ」でした。これは旧西独地域の人間にとってのベルリンの位置づけと似ています。ベルリンは、半分が旧東側だった歴史を引きずっている関係で、ミュンヘンやフランクフルト、ハンブルクなど旧西独地域の大都市より所得水準が20~30%低く、その関係で生活費も安めなのです。

 

次に、都市力という意味で東西を比較すると、ドイツの経済を引っ張るトップ7都市(Major 7)のうち、6つを旧西独の都市が占めています。東側でランクインしているのはベルリンのみ。

旧西独:ハンブルク、デュッセルドルフ、ケルン、フランクフルト、シュツットガルト、ミュンヘン

旧東独:ベルリン

 

航空網をみても一目瞭然で、ドイツの3大空港は、フランクフルト、ミュンヘン、デュッセルドルフと、全て旧西独にあります。いずれも都市周辺の経済力が高く、ビジネス需要が旺盛なのです。一方でベルリンは、テーゲルにしろシェ―ネフェルトにせよ、まだ空港が小さくて、フランクフルト辺りからみると田舎空港の趣きです。2020年にベルリン・ブランデンブルク国際空港が完成すれば、また状況も変わってくるのでしょうが…

 

なお、旧東独地域の都市からみると、ベルリンは「仰ぎ見るよな大都会」、「全てにおいて別格」の都市という位置づけになるようです。第二の都市ライプチヒも人口60万人いて、「ネクストベルリン」と呼ばれる程、発展が期待される都市ですが、そこに住む友人がこう言ってました。

「ベルリンは旧東独とはいえないよ。だって、半分がもともと西側なんでしょ?」

「デュッセルドルフとかミュンヘンとか、旧西側の都市は、お父さんやお爺さんの世代からずっと裕福だったんだよ。でも我々東側の人間は、社会主義で財産全部取られた状態で出発してるでしょう?格差あるのは当然だよ!」

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