起業

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私は何のために働くのか?

こんにちはManachanです。いつもご愛読ありがとうございます。

私は18歳で親元を離れ、長い大学時代を経て25歳で就職、44歳で独立起業、いま51歳…計算すると、職業人としての人生が半分を超えて26年。うちサラリーマンとして19年、独立事業主として7年を過ごしたわけです

振り返ると、独立事業主として過ごした時期の方が、サラリーマン時代より明らかに幸せで充実しています。それは、「自分の時間を生きる」ことがおおむねできているからです。

「人間は時間をどのように使って、どのような価値を生み出すか?」を、図式化してみました。

 



・「時間」とは、誰にとっても有限な、人生で一番大事な、唯一無二のリソースです。

・人は「時間」を使って、有形ないし無形の、様々な価値を生み出します。

・時間の使い方は各人の自由ですが、その使い方如何で、結果が大きく違ってきます。

・幸福感や充実感は、「自分の時間を生きる」ことによって生まれます。

・「自分の時間を生きる」には2種類のタイプがあり、人生に必要な資産を生み出します。

1)何か好きなことに没頭したり、好きな人と過ごすと、その結果、「スキル」「評判資産」「友情」など、無形の資産が生まれます。

2)労働したり、会社を運営したり、投資をしたりすると、その結果、「金融資産」や「現金」など、有形の資産が生まれます。

・他方、やむをえない事情で「他人の時間を生きて」しまう場合、それは幸福感にはつながりません。

・他人のために意に染まぬ仕事や作業をすることで、お金をもらうことはできますが、それはかけがえのないリソースである「時間」を「現金」に替えるという、非常に効率の悪い行動です(=お金のために働く)。

・それよりは、金融資産を現金に変えた方がはるかに効率が良いです(=お金に働かせる)。

・さらに効率が良いのは、無形資産の一種「評価資産」をマネタイズすることです(=ファンの喜びをお金にする)

・でも、評価資産を現金化するよりも、評価資産そのものを豊かにした方がもっと有意義です。

 

これまでの人生を振り返り、時間の使い方は、どうだったか?

・サラリーマン時代(25~44歳)、充実してはいましたが、今考えると、意に染まぬ仕事に多大な時間を使っていました。給料や昇進のために我慢することがたくさんありました。

・2013年(44歳)で独立して、一日24時間のうち、起きている16時間を、全て自分の好きなように使う(=自分の時間を生きる)自由を手にしました。

・独立してから3年間(44~46歳)は、自分の時間を生きることで幸福感を味わいつつも、有形資産(現金や不動産)をつくることに必死でした。

・その後(46~51歳)は、生活するだけのお金には困らなくなったので、有形資産よりも無形資産(特に評価資産)に、自分の時間を多く投資するようにしました。

 

そして今、「無形資産は有形資産に勝る」事実を、まざまざと見せつけられています。たとえばの話、100万人のファンがいれば1億円つくることは簡単にできますが、逆に1億円を投じて100万人のファンをつくることはできません。

しかも、有形資産と違って、無形資産は簡単には奪われないのです。私の場合、情報発信を続けていれば、読者や友人・取引先に不義理しなければ、Manachanファンは失われないし、むしろ増え続けるのです。

 

本題に戻って、私がなぜ働くのか?お金に困ってないのに、なぜ今後も働き続けるのか?それは多分、

 

・評判という無形資産をもっと豊かにしたい。それでさらに質の高い、豊かな人生を送りたいから。

・そういう豊かな人生を送りたい人たちとつながって、面白い仕事をして、共に笑いたいから。

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海外不動産でお客様を不幸にしないビジネスモデル

こんばんは、Manachanです。いつもご愛読ありがとうございます。

クリスマス&年越しの時期は、静かでいいですね。日本も欧米圏も仕事がスローになり、メールの受信数も普段の3分の1程度。おかげさまでブログを書く余裕もできます。願わくば、年末年始以外も著作に十分な時間かけられるようになりたいですが、多忙なスタートアップ経営者の身、それは少なくとも数年先でしょうね。

 

今年、海外不動産業界のトップニュースといえば、何といっても、海外中古不動産に対する減価償却ルールが変わったこと

「2021年以降、個人が海外で得た不動産所得の計算上において損失が生じた場合、簡便法によって導き出した耐用年数で計算した減価償却費は生じなかったものとみなされ、その部分を他の所得と損益通算できなくなる」

 

それでいま、業界に激震が走っています。特にアメリカの中古木造住宅を日本向けに売る多くの業者は、「最初の4年間、減価償却で節税できまっせ」セールストークで売ってきましたが、今回の税制改正で、その種の商売は封じられたも同然。特に、テキサスやハワイで日本販売用に大量の戸建を買い取り保有していた日系業者も少なくなく、よほど安く仕入れてない限り、間違いなく不良在庫になるでしょう。

加えて、多くの不動産オーナーから「もう節税できなくなるなら売って欲しい」依頼が予想されますが、市場流通価格に業者利益(20~30%か、それ以上)を乗った価格で買ってしまった場合、今のタイミングで売っても損切りにならざるを得ない。それが明るみになる時、「おたくの会社そんなに利益とって客に売ってたの?」「なぜ全然説明しなかった?」みたいなクレームの嵐になることが、容易に想像されます。

節税ありきで商売していた日系業者にとって、2020年は間違いなく厳しい年になるでしょう。

 

税制が変わっただけで、なぜこんな結果になってしまうのか?私からみて、業者側のビジネスモデルに根本的な問題があるように思います。

1) お客様に売る物件(国、都市)が決まっている。

2) お客様が様々な動機で相談に来るにもかかわらず、「弊社物件を買いに来た客」という前提でセールスマンが応対する。

3) 比較的良心的な業者でさえ、現行ビジネスプロセスは「物件選定→契約→融資→管理→売却」。つまり「物件選定」が最初に来る。

これでは、国内ワンルーム販売業者等と同様、「はめ込み営業」(=自社都合で売りたい物件を客にあてがう)が横行してしまいますね。

 

これは私の個人的意見ですが、「物件選定」の前にやるべきことが最低2つあるはずと考えます。

Step1 : 適性相談(お客様のニーズ、財務目標、資産背景、気質や外国耐性を踏まえつつ、海外不動産のオーナーになって幸せになれそうかをプロの目で見極める)

Yesの場合、次のステップに進む

Step2: 国選び、都市選び(お客様の予算、期待する収益、投資安全度やリスク選考を踏まえつつ、世界にあまたある国、都市のなかから、不動産価格サイクルも見ながら、どこを選ぶべきか考える。

Step2までやって初めて、「物件選定」プロセスに入るのが本筋だと思います。税制改正で安易な節税売りが封じられた今、Step1と2をプロのレベルでやるかどうかが、海外不動産の販売会社とコンサルタントを分ける境界線になるのでしょう。それを可能にするために、私は場所を決めず、世界各国各地の不動産事情に、誰よりも通じた人間になりたい。

 

さらに、海外不動産は販売だけで終わりではありませんので、「売却したい」「悩みを相談したい」というリクエストにも応えていきます。どこから、どんな経緯で買ったかは不問。皆様の課題解決に私の能力を尽くしたい。それにより私は業界で、世界不動産のコンサルタントとして名誉ある地位を確立していきたいです。

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卑劣な恫喝訴訟、許せねえ!

こんばんは、Manachanです。いつもご愛読ありがとうございます。

今年も残すところ、あとわずか。先ほどまで会社の忘年会で楽しく過ごしました。零細企業経営者の立場でいえば、「今年一年が無事に終わり、新年を迎えられて良かった」という安堵感、「社員やお客様に支えられて来年も引き続き事業ができる喜び」にひたれる時期ですね。

事業が軌道に乗るまで、将来の生活保証などありません。それどころか、わずか半年後の食い扶持を、いまの仕事で稼がなきゃなりませんから、経営者は休めませんし、それが我が人生だと納得しています。「あんしん」「あんぜん」なんて言ってられないサバイバルな環境のなか、日々を生きてる、もとい生かされている実感はあります。だから、私を支えてくれる方々には感謝の念しかありません。

 

今年の末こそ平穏に過ごしてますが、つい昨年末は、ここまで安らかに過ごせるものではありませんでした。もう時効だと思うので正直に話しますが、いま思うと実に腹立たしい、理不尽極まりない訴訟を、ある人物から起こされ、その対応に忙殺されていたことも一因でした。

読者の皆様は、「スラップ訴訟」という言葉をご存じでしょうか?「スラップ」=SLAPP(Strategic Lawsuit Against Public Participationの頭文字をとった言葉)で、企業や政府など、人材や資金に恵まれた者が、権力を持たない一市民など比較弱者に対して、恫喝、発言封じ、或いはいじめることだけを目的に起こす報復的な民事訴訟を意味します。日本語で「恫喝訴訟」と訳されることもあります。

スラップ訴訟を起こす側は、必ずしも訴訟に勝つことを目的せず、むしろ、被告を社会的・経済的に痛めつけることを目的に故意に裁判を起こします。実際、被告になった者は、法廷準備費用や時間的拘束などの負担を強いられるため、一介のサラリーマンや庶民が裁判を起こされると日常生活が困難になり、委縮して、結果泣き寝入りになることも少なくありません(Wiki記事)。

要は「弱い者いじめ」を目的に法的手続きを濫用するわけで、社会正義にもとる上に表現の自由を委縮させる行為として、欧米諸国で問題視されています。カリフォルニア州では「反SLAPP法」が州法として成立し、被告側が原告側の提訴をスラップであると反論して認められれば公訴は棄却され、訴訟費用の負担義務は原告側に課されるようになっています。日本での立法化はまだこれからです。

 

もう済んだことですが、昨年、私がA(仮名)という人物にやられたのも、ある意味「スラップ訴訟」でした。Aは中堅の不動産建設・賃貸業を営む社長で、私が主催するセミナーで知り合いました。Aがドイツの収益物件を買いたいというので私が予算に合う物件を紹介し、現地視察もアレンジして、結果購入し、売買契約を結んで弊社で所定のサポート料をいただいたのですが、その後、ドイツでの入居付けや家賃入金が目論見通りに進まなかったり、またその過程で私が理不尽な無理難題を言われて、それに対してハッキリ「No!」と言ったのが気に食わなかったのかもしれませんが、

そしたらいきなり、私の事務所にAを原告、私を被告とする訴状が届いていたのでびっくりしました。読むと、私が約束した保証家賃が支払われないからサポート料を全部返せと…

 

弊社がいただくサポート料はあくまでお客様が海外物件を購入する際のお手伝いの対価であって、家賃保証という「結果」までお約束するものではありません。それ以前の問題として、ドイツでの家賃受けとりは現地管理会社に入金口座を通知したり、賃貸借契約書を送付する等、オーナーとしてやるべき手続きが必要で、私がその依頼を再三行ったにもかかわらずAが何もしなかった(=頑として聞かなかった)。

困り果てた私がドイツで八方手を回して、入金口座の提示があり次第Aの口座に家賃が支払われるところまでこぎつけた矢先に、何の予告もなしに訴状が届いたのです。いきなり不意打ちで後ろから殴られた気分でした。

 

冷静になって訴状を読むと、素人の私が読んでも「これ、本当にプロの弁護士が書いた訴状なのか?」と疑ってしまうほど、論理構成があやふやで、客観的な裏付けに乏しく、憶測や曲解、印象操作の嵐。しかも、原告主張のなかの一番重要な論点でエビデンス(書証)が提示されてない。こんなもの、よく裁判所が受理したなあと思いました。

顧問弁護士に訴状を見てもらっても、「これは酷い」と絶句するレベル。彼によれば「裁判勝つつもりはなく、単に着手金目当てで仕事請け負ったのでしょう」とのことでした。

 

いくら理不尽とはいえ、裁判です。まず裁判費用を払わなければなりませんし、第一回公判までにエビデンスを揃えなければなりません。海外出張が続く多忙のなか、泣きそうになりながら揃えました。

裁判は、4カ月かかりましたが、結果的にうまくいきました。結局、私がドイツの管理会社に振込先口座番号をお伝えする英文をつくり、Aに署名してもらったことで家賃を振り込んでもらい、その代わり第二回公判までに訴状を取り下げてもらいました。原告側弁護士も余りに無理筋すぎてやめたいと思っていたところに、当方の顧問弁護士にうまく交渉してもらったのです。

 

結果オーライでしたが、私はAのしたことをまだ許してはいません。気に食わない相手に対する恫喝を目的に裁判を起こしていいのか?その目的で日本の司法システムと貴重なリソースを使うことが許されるのか?食えない弁護士が多い今、数十万円の着手金で民事訴訟を請け負ってくれる者が居るのをいいことに、一民間人を訴えて良いのか?

また別件で、地方の建設会社社長が顧客(都内在勤サラリーマン)に対し、売買契約書上の融資条件に関する違約金数千万円を支払え、さもなければ1か月後に裁判するぞというFAXを送った事例がありました。私はその方の相談を受けて精査しましたが、こちらもどう考えても無理筋で、明らかに恫喝目的でした。現在進行中ゆえ、これ以上のコメントはしませんが、世の中、司法システムを濫用して脅しや嫌がらせに使う奴がいることはよく分かりました。

 

社会的リソースに恵まれた者が、その立場を利用して、リソースに恵まれない者を威圧し、沈黙させるために起こすスラップ訴訟を、野放しにしてはならないと思います。


・スラップ訴訟は、反社会的である。

・スラップ訴訟を起こす者は、社会的信用を失う。

・スラップ訴訟を請け負う法曹専門家は、職業的信用を失う。

 

日本で、それが社会的常識になる日が来ることを切に望みます、

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日本へUターン起業のすすめ(5)

(この物語はフィクションです)

東京オリンピックを間近に控えた2020年3月上旬、Aさん一家は、大きな転機に立っていました。

日本に再移住して3年余り、娘は小5、息子は小2になり、子供同士の会話はもともと英語だったのが、今では日本語で話すことが多くなりました。学校の勉強が順調とは程遠いですが…あと英語力レベルの維持は週1回の補習校通いで何とか頑張っています。

 

子供も妻も元気で日本社会に適応してくれるのは有難いですが、いま懸念となっているのは、Aさんのジョブ・セキュリティの問題‥‥

外資勤めなので、一生会社に面倒見てもらおうなんて思ってはいませんでしたが、いざ、リストラされて東京の路頭に迷ってみると…学齢期の子供2人も抱え、これからどうやって生きていこうか、男43歳、途方に暮れてしまいました。

とりあえず失業保険は6か月間もらえますが、支給額これまでもらっていた手取り給料の4割くらい。生活水準を落とさないため、一刻も早く転職すべく、すでに履歴書も送り、面接アポも入っていますが、そのことがかえって、Aさんを悶々とさせます。

 

「俺は、勤め人をやるために、オーストラリアを離れて日本に戻ってきたんだろうか?」

 

退職を期に、オーストラリアに戻るという選択肢を、Aさんは考えていませんでした。戻ったところで、自分は働いて金を稼がなくちゃならない。サラリーマンとして再出発する意味では日本と一緒だし、子供たちもせっかく学習言語としての日本語を身につけつつあるところで、いまさら英語環境への復帰もないだろう。

何より、わざわざ一家連れて日本に帰ってきたのに、3年間サラリーマンやっただけで出戻るのは勿体なさすぎる。でも、これから何して生きていけばいい?…その答えは、他ならぬAさん自身が見つけなければなりません。

3月下旬、桜が三分咲きになる頃、Aさんは関西の実家へ一時的に里帰りしました。しばらく見ないうちに、両親もすっかり年老い、足腰弱くなり、病院通いの頻度も増えていました。あと2~3年もすればクルマの運転もきつくなるかもしれません。

 

「東京暮らしも、そろそろ潮時かな…」

 

退職に伴い、東京で暮らす意味のなくなったAさん一家。彼にとって故郷でもなく、生活費も高い東京に居る意味はもうありません。なんだかんだ言って、生まれ育った関西の方が水が合うし、両親の近くで暮らした方が何かと便利でもあり…

この里帰りは、これまでの人生や、自分の価値観やスキル、交友関係を棚卸しした上で、ゼロベースで、これからの長い人生を考える契機になりました。

近所の神社で、満開に近くなった見事なソメイヨシノ、その下で談笑する人たちを見ながら、Aさんは、こうつぶやきました。

 

「何ができるか?」じゃなくて、「いま何をしたいか?」、それを軸に考えてみよう。

できるかどうかはともかく、いま一番やりたいことは、これまで10年間、オーストラリア暮らしで身につけた視点を活かして、日本で新しいビジネスをはじめること。

 

オーストラリアで暮らしたAさんからみて、日本はビジネスチャンスの宝庫にみえます。そう言うと、日本の友人は驚きます、「こんな、人口も減って国力が衰えている国で、どんなビジネスチャンスがあるの?普通は東南アジアとかに行くんじゃないの?」…

でも、Aさんに言わせれば、違うんですね。

 

日本はいま、オーストラリアからみて30年遅れで、働き方改革をはじめている。そして、実質的な移民受け入れもはじめている。

その意味で、日本より約30年進んだオーストラリアの社会を自分は体験している。その時間差から得られる発想で、日本で新しいビジネスをすれば、伸びしろは大いにあるはず。

それは、産業技術やインフラの面で、東南アジアより約30年進んだ日本のビジネスマンが、時間差を活かして進出していく発想と、何ら変わらないはず。

 

「これだ!」、落ちてきた桜の花びらをはたきながら、Aさんは手を打ちました。

 

「素晴らしいのに元気のない日本を、何とか盛り上げたい」と思って、オーストラリアの安定した生活を捨てて、日本に戻ってきた。

東京でサラリーマン3年間やって、俺は悟った。このまま雇われを続けても、たぶん自己実現はできない。

自分のルーツ・関西に帰ろう。そこで、俺だからこそできるビジネスを立ち上げよう。

 

…4か月後

東京オリンピック開催が間近に迫り、関西一帯が猛暑に見舞われる7月半ば、Aさんは大阪市内でささやかな事務所を借り、法人登録をしました。

業種は今のところ、「不動産業」プラス「ビザ代行業」。国をまたぐビジネスになります。

 

1)日本の経営管理ビザや高度人材認定制度を取って移住したい外国人向けのサポート。

2)日本(特に関西近県)で不動産購入・賃貸を希望する外国人向けの仲介(将来的には自社物件を仕入れて寮運営もやりたい)。

3)日本人でオーストラリア不動産を投資目的で買いたい人向けの物件紹介・サポート

 

来月は、1)2)のプロモーションのため、中国の上海・杭州に渡って海外移住フェアに参加する予定。また3)のお客様は首都圏に多いので、今後は定期的に大阪~東京を往復することになるでしょう。

設立当初は自分が動くだけ、お金ばかりかかって、なかなか収入になりませんが、1年後には軌道に乗せたいと正直に話し、妻も子供たちも納得してくれました。

そして何より、ブログのファン達はAさんの人生最大のチャレンジ=起業を心から応援してくれました。早くも、お客さんになってくれた人もいます。

 

まもなく44歳の誕生日を迎えるAさん。オーストラリアを出て4年、自分の選んだ道に悔いはない。自分と家族を大事にしながら、人生の後半戦を精一杯生きていくと誓うのでした。

(完)

 

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日本へUターン起業のすすめ(4)

(この物語はフィクションです)

オーストラリアから日本へUターン移住したAさん一家。日本で育ったとはいえ、10年の海外生活で感覚や価値観が相当変わりましたので、日本社会に復帰する上でいろいろな課題や気づきがありました。

 

1)日本で実年齢は必ず聞かれる

Aさんは、オーストラリアの暮らしで、自分の実年齢を意識することはありませんでした。職場や面接で年齢聞かれたことは一度もありません(求職者に生年月日聞くのがそもそも違法です…)。同僚も海外からの移住組が多く、さまざまな年齢で移住してきています。上下関係が年齢とリンクしてないなか、わざわざ、ひとさまの年齢を知る理由はありません。

そんなAさんが、日本で就職活動をすると、履歴書に生年月日を書く欄があるのをみて驚きました。面接でも普通に年齢聞かれましたし、職場でも上司や同僚に、年齢や出身学校や卒業年次を聞かれたのは、さすがに違和感がありました。

でも、日本でしばらく暮らすうちに、なぜ相手の年齢を知りたがるのかを理解できるようになりました。日本人は、相手の年齢を自分の年齢と比較したうえで、言葉遣いや対応の仕方を考えるからなのですね。オーストラリアでは成人すれば年齢問わずフラットな感じがありましたが、日本の人間関係では、年齢などの上下関係がないと座りが悪いのでしょう。とはいえ、女性に年齢聞くことは文脈によっては軽いマナー違反になることも学びました。

 

2)言葉を使わずに「察する」ことが求められる文化

Aさんが、子供が学校からもらってくる教科書に一通り目を通した上で、一番価値が高いと思ったのが「道徳」の教科書でした。

読み物としてのクオリティが高く、子供の日本語読解力キャッチアップに役立つ上に、内容も「思いやり」とか「公共を大切にする心」、「歴史や文化を尊重する心」、「客観的状況から事実を把握するスキル」など、人間として生きる上で大事なことばかり。我が子がこれを内面化できれば、一生の財産になると思いました。

その代わり、「一流の食材は、一流の料理人じゃないと扱えない」。こんな深い内容の教材を、平均的な小学校教師が上手に扱えるとは思えないので、家庭教育の素材として徐々に使っていこうと思うAさんなのでした。

道徳の教科書自体、オーストラリアでは見たことありませんが、読んでて明らかに「日本的だな」と思ったのが、「言葉を使わずに、察する」コミュニケーションが重視されること。たとえば、「雨の日のバス停近く、商店の軒下で雨宿りしながら並ぶ人が数名いる状況に気づかない子供が、来たバスに真っ先に飛び乗って、お母さんに怒られた…なあぜ怒られたのか考えてみよう」という文章がありました。オーストラリアで同じことが起これば、雨宿りしている大人が”Please do not jump the line, mate!”(列に横入りはやめようね)と、言葉を使って言うはずです。多民族国家で「暗黙の了解」なんて通用しませんから、「相手の気持ちを尊重しつつ、上手に言葉を使う」スキルの方が重視されます。

そんなオーストラリアの環境に慣れたAさん、「言葉を使わず察するなんて、難しいなあ」と、日本流のコミュニケーションに戸惑う日々が続きます。もっとも、日本の都市部では外国出身住民が増え、ゴミ出しや騒音などのトラブルも増えたため、行政が「やさしい日本語を使って説明しよう」キャンペーンをやったりしています。日本社会も徐々に、「言葉を使ったコミュニケーション」が重視される流れなのかもしれません。

 

3)いまさら「働き方改革」なんて・・・・

Aさんが移住した頃の日本は、安倍政権による「働き方改革」の呼びかけが始まった時期でした。一言でいうと「労働生産性を上げて、極力残業しない働き方を実現する、副業やダブルワークも柔軟に認める」…という内容ですが、よく考えれば、オーストラリアで、そういう状態は30年以上前に実現しているわけで、「何をいまさら」感がある。

Aさん自身も、オーストラリア在住当時、残業はほぼしなかったし、アフター5の自由時間を使ってちょっとした副業をしたりしました。周りもそれが当たり前でした(本業でエンジニアなのに、副業で家具のビジネスを立ち上げて、そちらが本業になっちゃった奴もいます)。

日本はオーストラリアからみて、テクノロジーや産業の進んだ先進国にみえるけど、働き方の面では、30年以上遅れてるんだなあと思った次第。

 

4)日本に来て「捨てた利便性」と、「得た自由」

日本にUターンした場所が東京だったこともありますが、Aさん一家は移住後まもなく、「日常的にクルマを使う利便性」を捨てなきゃいけないことを悟りました。

オーストラリアに居た時は、基本どこに行くにも、クルマ利用。時に渋滞の悩みはありますが、慣れると「クルマのトランクに全てを詰め込んで、自宅まで一歩も歩かず、重いものも持たずに移動できる」便利さがありました。でも東京でそれは無理な相談。まずもって駐車場が高い、行った先で駐車も一苦労。道路も狭く、結局、公共交通機関を使ったほうがはるかに早く到達できる。Aさんはマイカーを持つ考えを諦め、普段は電車やバス。たまにクルマ使う時は、いま流行りの「カーシェア」でレンタルすることになりました。

また、オーストラリアで当たり前だった、「広い庭、広い居住空間」も、東京では諦めなくてはなりませんでした。もっとも、東京で広い庭なんて無理だと知っていましたが、室内の居住空間もかなりコンパクトになります。いまAさん一家の住まいは、専有面積75㎡前後2LDKバルコニー付の集合住宅。「ずいぶんコンパクトだな」と思いましたが、周りをみると、「東京の都心近くで75㎡に住めること」境遇自体が比較的恵まれていることを悟りました。

クルマを捨てたAさん一家、「駅やスーパー、コンビニまで歩くか、自転車に乗る」ライフスタイルになりました。最初はもちろん、慣れるのに大変でした。夏の暑い日も、冬の寒い日も、雨や雪の日も、とりあえず外気にさらされるわけです。特に、信号待ちする時が苦痛でした。これまでクルマでラクしてたんだなあと悟りました。

とはいえ、この生活に慣れれば、しめたもの。夜中11時12時でも人通りがあってお店が開いてて、女性ひとりでも買い物に行ける自由を手にしました。オーストラリア都市部で、こんな遅い時間に外出するのはまず考えられませんし、治安の懸念もありますが、日本(東京)では「夜中に、一人で外出して、好きなことをする」自由があります。

あと、子供のいる家庭人としていうと、オーストラリアだと公園にも親がついていくのが当たり前ですし、子供一人で留守番させることもありません。そもそも12歳以下の子供を放置すればネグレクトで犯罪になりますが、日本では親不在で子供だけで公園や街で遊ばせることができる…それには驚きました。治安の良さのおかげでもあるのでしょうが、「子供から目を離して親の時間を過ごせる自由」ってあるんですね。

 

Aさんは、オーストラリアで長年暮らした視点から、日本の文化や暮らし、働き方を再発見するブログを書き始めました。それが好評を博し、ファンも増えてきました。

数年後、Aさん一家に転機が訪れた時に、こつこつ書いてきたたブログが幸いすることになるとは思ってもみませんでした。

 

次号(最終回)に続く

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日本へUターン起業のすすめ(3)

(この物語はフィクションです)

201X年10月…

オーストラリアからの帰国移住で、日本(東京)での生活をスタートしたAさん一家。今日は、近所の公立小学校に通う、2年生の娘が通知表をもらってくる日です。

昔は「通信簿」という呼び名でしたが、今では「あゆみ」と呼ぶそうです。日本の学校、以前と同じ3学期制ですが、「あゆみ」が送られてくるのは、前期と後期の、年2回。10月は二学期真っ最中なのに、このタイミングで前期が終わって通知表が来るのは、不思議な感じがします。

 

オーストラリアで生まれた娘が、日本の学校になじめるのかどうかが、Aさんと奥様の最大の心配事でした。幸い今のところ、学校には毎日行けてますし、日本語で先生や友達とちゃんと話せているようですが、いろんな面で、やりにくさを感じているようでもあります。

というか、日本の学校に違和感を感じているのは、子供というよりむしろ両親なのかもしれません。特に納得いかないのが、「宿題」。

 

・宿題が、やたら多い。

・子供に大量の宿題やらせるのは、親の役割だという、暗黙の期待がある。

・それなのに、親にどうやって宿題をやらせるかという、インストラクションが一切ない。

 

娘はオーストラリアの公立小学校に、PrepとGrade-1、まる2年通いましたが、そこでは普段、宿題など出ないし、教科書類も学校に置きっぱなしでした。たまに宿題が出ることもありましたが、その際は両親に対して、宿題のポイントや指導法を、素人にも分かるよう詳しく説明してくれたものです。

一方、日本の小学校ではオーストラリアとは比較にならない量の宿題が出る、小2の子供が自発的に宿題やるわけないから、結局親が子供をなだめすかせて、時には叱りながらやらせなきゃならないが、やってみると実に大変なんです。こちとら、日本の教育受けてきたとはいえ、教えるプロじゃないんだし、日常生活で忙しいんだから、もっと学校にサポートして欲しいと思いました。

それよりも、子供に勉強教えるという、本来学校がやるべき仕事を、なぜ教師でもない親がやらなきゃいけないのか、人さまの時間を何だと思っているのか…そんな違和感がありました。

 

夏休みになると、「計算ドリル」「漢字ドリル」「一行日記」「読書感想文」「自由研究」など、宿題がどっさり出てきます。

娘は慣れない日本の学校生活でストレス溜まっているだろうと思い、慣れ親しんだオーストラリアで3週間ほど、過ごしました。サラリーマンであまり休めないAさんは1週間ほど一緒に滞在、その後は妻に託しました。

 

オーストラリアで生まれた娘は、のんびり屋なのか、あまり宿題をやる感じでもなく、夏休みは普通に遊ぶものだと気楽に考えているようです。そんななかで私や妻が一番苦労したのが、「一行日記」を毎日書かせること。漢字の難しさはもちろん、普段使っている英語の地名Collingwoodなどを、どうやってカタカナで書くべきか(コリンウッド?コリングウッド?)、娘は分からないし、親もどうやって教えていいのか分からない。担任の先生も日本以外住んだことないから、適切なアドバイスもできない。

それでも、Aさん一家は両親とも日本で教育を受けてきてある程度感覚値もあるので、まだしも対応可能ですが、娘のクラスには両親あるいは母親が外国生まれである児童も数名いるので、学校のサポート体制もろくに無いなかで一体どうやって宿題やらせているのか、いつも不思議に思います。

(注.作者の私は、日本育ちの父親ですが、妻が外国生まれで日本語不自由な状態で、子供を日本の学校に途中編入させましたので、Aさん一家より数倍は大変な思いをしております…)

 

あと日本の学校で戸惑ったのは、紙の配布物がむちゃくちゃ多いこと。学校からクラスから、PTAから教育委員会から、日々、膨大な量の配布物が配られてきて、とてもじゃないが、全部目を通す時間がない。そもそも、何が大事で、何をスルーして良いのか、その判断を自分でして良いかも分からないので、戸惑いました。

大量の紙の管理は大変なので、メールとかLINE、グループウェアなどを通知にもっと使って欲しいと思いました(LINEは親の間で広く使われているようですが…)。

 

昔と違って、いまは日本の普通の公立小学校でも、低学年から英語の授業があります。ALTのネイティブ教師が来て、週1回の授業。日本の子供相手なので大したレベルのことはできませんが、娘は英語できるので、先生からも同級生からも重宝されます。英語の時間だけは、ちょっとしたスターになれる感じです。

とはいえ日本の学校では、娘が英語を流暢に話すことが、必ずしも、ポジティブにみなされるとは限らないことも学びました。むしろ、英語能力より、日本語学習の遅れの方を懸念する教育関係者もいます。先生によっては、「とりえあず英語をやらず、今は日本語に専念した方が良い」と、見当はずれなアドバイスをする人もいます。少なくともAさん一家は、全員が日英バイリンガルであるわけで、日本語しか知らない先生に、バイリンガルを捨てるようなアドバイスをされるのは心外だと、Aさんはまじで噛みついたことがあります。

 

そんな感じで、日本の学校環境、違和感は少なからずありますが、素晴らしいと思う面もあります。特に、給食。あんなに美味しくて、栄養バランスのとれた食事を、安価で提供するシステムが素晴らしい。少なくとも、オーストラリアの学校にあるタックショップよりずっとヘルシーだし、日本の児童の肥満問題がずっと少ないのは、給食のおかげかと思うこともあります。

また、日本の学校は、オーストラリアに比べて、小グループ活動がずっと多い。4~5人くらいのグループで、自主的に課題に取り組んだり、協力したり、学習が遅れた友達を助けたり…向き不向きはありますが、娘が日本語まだ不自由だったころ、小グループの仲間にずいぶん助けてもらって有難かったです。

あと、朝の掃除を子供たちがやったり、美化委員会等があって、周りの環境を清潔に、整理整頓された状態に保つ教育も、日本ならではですね。オーストラリアも学ぶべき点だと思います。

 

Aさん一家が日本に再移住して、1年、2年…と、時が過ぎていきます。弟もお姉ちゃんと同じ小学校に入学して、彼なりに日々、頑張っています。そんな一家に、ある日突然、転機が訪れることになりました。

 

次号(第4回)につづく…

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日本へUターン起業のすすめ(2)

(この話はフィクションです)

201X年2月 東京・溜池山王にて…

オーストラリア移住して10年暮らしたAさん、関西出身。今は慣れないTokyoでサラリーマンをやって、約5か月が経ちました。まだ2月、気温6℃。日枝神社の方から、ビルの谷間を抜けて、寒風が吹きこんできます。

いま、家族の居るオーストラリア・メルボルンは真夏。今年は熱波が来て40℃超えの日もあったという…そろそろ、子供の学校が終わりスクールホリデイに入る頃、いよいよ、4月の小学校編入入学を目指して、一家が東京に集結する日が、間近に迫ってきました。父親ひとり単身赴任生活も、いよいよ終止符が打たれます。

 

Aさんが、10年ぶりに日本の居住者になった際、場所選びに葛藤がなかったといえば嘘になります。妻は九州出身、どっちみち田舎で仕事がなく地元に帰るつもりはないのですが、一方Aさんは関西出身。できることなら、大阪勤務で関西暮らしに返り咲きたかったのですが、一方で、仕事や待遇の面で妥協する気もありませんでした。

曲りなりにも、オーストラリアの英語環境で、プロフェッショナルなエンジニアとして10年働いた男。40歳で日本にUターンする今、自分の経歴やスキルを真に必要としている会社で働きたい、年俸もそれに見合ったレベルでいただきたい。

 

そうなると、日本企業のほとんどは候補から外れます(実際、40歳で海外から出戻りを中途採用する日本企業は少なく、応募しても一次選考でほぼ落とされた…)。逆に、日本に進出する英米系外資なら引く手あまたで、年俸も「1本立つ」(1000万円)レベルなので申し分ない。その代わり、どの求人票みても勤務地は東京23区…

自分のスキルが活かせて待遇も良い求人は、極端に東京一極集中していました。感覚的に「東京80%、関西15%、その他5%」といった感じ。たまに関西の求人があっても、リクルーターが東京に出てきて人探ししている状況を目の当たりにしたAさんは、「日本へUターンするためには、とりあえず東京で働くしかない」ことを悟りました。

 

東京で働く覚悟を決めたら、内定はすんなり決まりました。実は一次、二次面接をオーストラリアのメルボルン事業所でやって、最終面接は東京支社の上司(英国人)と電話会議やって、翌週には内定が出ました。オファーレターには年俸1020万円(固定給850万円+業績連動給170万円)と書いてあり、いまメルボルンでもらっている9万豪ドル(当時のレートで720万円)より大幅UPになります。

9月、妻と二人の子供をメルボルンに置いて、Aさんは残暑の残る東京でスーツ(クールビズ)姿のサラリーマンを始めました。上司や英国本社とは英語、同僚や客先では日本語を使い、セールスと一緒に技術仕様の説明や、客先での据え付け・調整やユーザー教育をする毎日。少人数だし忙しいし、残業もありますが、自分が必要とされていることに満足感とやりがいを感じる毎日。

 

仕事にも東京暮らしにもある程度慣れた翌年2月、Aさんは狭いマンスリーマンションを引き払い、4人家族で住めるよう、湾岸ベイエリア某所にUR住宅を借りました。広いリビングの2LDKプラス納戸、80㎡、築7年のマンション4階部分、ベランダ付、家賃17万円という条件。UR住宅は礼金とか保証料みたいな、訳分からない出費がなく、敷金3か月分だけ払えばいいので、オーストラリア暮らしが長い自分にも理解しやすい明朗会計。

職場までの通勤はドアドアで45分。メルボルン時代はクルマで職場まで片道45分かかっていたので似たようなもの。ただ、日本の場合は暑い日も寒い日も、自宅から駅まで歩く、地下鉄ホームまで階段上り下り…みたいな運動を強いられるので、メルボルンの方が身体はラクでしたね。

 

日本で働きはじめたAさん、最初は税金の安さに驚きました。でも、それは日本の住民税が後払いシステムになっていて、働き始めた初年度はかからない、でも翌年からはしっかりかかるのです。あと健康保険料など、トータルで考えれば日本の税金そんなに安くないことに気づきました(でもオーストラリアより少しマシかな)。

あと、自分が日本を離れた10年前と比べて、外国人の住民が増えたことにも驚きました。東京でも、関西の地元でも、コンビニやスーパー、居酒屋はアジア系外国人が働いているのが当たり前。街を歩けば、普通に中国語が聞こえてくる毎日…逆に、メルボルンで毎日聞いてた「英語」は、職場以外であまり聞く機会がありません。。

 

Aさん来日(?)当初は、見るもの聞くもの全てが新鮮で、コンビニのおにぎりの包み紙を手を汚さずに開けられるとか、コーンスープのパックがこぼれない親切設計になっている等、一つ一つに「おお!日本すげえ!」と感動していたものですが、在住5か月も経てば全てが当たり前になり、新鮮さが薄れてきた頃に、家族が合流することになり、Aさん一家の新たな冒険(?)が始まることになりました。

 

次号(第3回)に続く…

前号(第1回)にもどる…

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日本へUターン起業のすすめ(1)

(この物語はフィクションです…)

生まれ育った日本を離れ、憧れの国オーストラリアに移住して、はや10年。

200X年に技術移住カテゴリーで永住権をとったAさん(仮名)、移住・就職当初は英語の苦労が大きく、現地の日本人コミュニティを頼った時期もあったが、2~3年も住めばすっかり慣れ、今では朝から夜まで、ほぼ英語しか使わない日々が続く。

いつしか子供もでき、地域のパパ友、ママ友、職場の仲間、行きつけの「なんちゃって日本料理店」経営者の韓国人ファミリー、オージーフットボールEssendon Bombersの試合を見に行く仲間…交友関係も、今やこの国に生まれ育ったオージーと変わらない。週末は庭の芝刈りに、近所のショッピングセンターめぐり。たまにGreat Ocean Road界隈のビーチに出かけてバーベキュー、年に1度、4週間の日本里帰りが何よりも楽しみ…そんな日々が続く。

移住5年目に、メルボルン近郊で念願のマイホームを購入。その価値が3~4割上がり、担保価値を使って次の物件を買おうか、もうすぐ学齢になる子供の教育費の方に使っていくか、迷いどころ。勤め先は、オーストラリアで2社目、これまで年俸が順調に上がってきたけど、2年前から昇給がなくなり、転職しようか、でも不景気だからしがみつこうか、思案中…悩み事の中身も、今やオージーと変わらない。

 

はたからみれば、長年追い求めてきたオージーライフを見事に実現したといえるけど、でも何となく、違和感が残る。「このまま、この国で子育てして、年老いていくのが良いんだろうか?」、「俺が長年追い求めてきたことって、本当にこれだったんだろうか?」

とはいえ、この国で暮らしていく分には何の不都合もありません。ここはオーストラリア。中国から、インドから、欧州から、アフリカや中南米から、良質な暮らしを求めて皆が移住してくる国です。今さら出身国に帰りたい人なんて、身の回りには居ません。英語できない老親でさえ呼び寄せてきて、皆、この国で骨をうずめるのが当たり前です。

「そう、このままオーストラリアで暮らし続けても、問題はないんだ…」と、自分に言い聞かせるAさんでした。しかし…

 

「その日」は、なんの前触れもなく、やってきました。

夜中、Aさんはふと、起きて、6歳の娘の安らかな寝顔をみた次の瞬間、「英語での寝言」が聞こえてきました。よく考えたら、この子は朝から晩まで、ABC Kidsの子供番組をみて、近所の子供たちや、3歳の弟との会話もすべて英語。両親との会話だけは日本語だけれど、最近は英語が強くなって日本語がおぼつかなくなってきた。

ここメルボルンには日本語補習校(土曜校)があるので、そこに通わせるつもりですが、日常が英語環境のなか、漢字含めて日本語力の維持は相当難しいと、先輩の日本人親からも聞かされてきました。当たり前のことですが、二人の子供たちは「日本(東アジア)ルーツのオージーキッズ」への道を順調に歩んでいます。別にそれで問題はないんですが、Aさんは決心しました

 

「この子たちが、英語人オージーキッズになってしまう前に、家族で日本に帰るオプションも検討してみよう」

「よく考えたら、オーストラリアでの俺の仕事だって、将来安泰とはいえない。日本に帰った方が、職業的な面でもチャンスが大きいかもしれない」

「私の願いとして、子供たちが日英バイリンガルに育って欲しいわけで、このままオーストラリアに居るより、今の時点で日本に行った方が、漢字力含めて真のバイリンガルになれるチャンスも大きいのかもしれない」

 

Aさん一家は、年1回の長期休暇、日本への里帰り訪問を何よりも楽しみにしています。いつ行っても、日本は素晴らしい。日本通いを10年続けてきて、一度も飽きたことがない。もう他の国に行く気がしない。

子供たちは、当然、ゲーセン通い。オーストラリアで見たこともない高機能で斬新なゲームに夢中。そして、オーストラリアにない「ディズニーランド」「ユニバーサルスタジオ」はじめ、ワールドクラスのエンターテインメントが日本には揃う。新幹線に乗るのも、温泉に行くのも、民宿で畳の部屋に寝るのも楽しい。

何より、日本では日常生活の豊かさが素晴らしい。800円の海鮮丼ランチは、オーストラリアで25ドル出しても食べられないクオリティ。コンビニめしも、おにぎりから牛乳からホットフードからカップ麺からベーカリーまで、何食べても美味しくて高品質、しかもオーストラリアの半額。一番素晴らしいのが「ファミレス」。一品300円くらいで白ワインから辛味チキンからポップコーンシュリンプまで頼めて、しかもドリンクバーがあって何時間も快適に座れる飲食店は、オーストラリアに存在しない。

しかも、日本の電車の時間は正確だし、サービスいいし清潔。街を歩いてもゴミ箱ろくに置いてないのに、シドニーやメルボルンよりゴミが少なくてきれい…こんな環境で暮らせたら日々楽しいだろうなと思う。日本に住んでた時は当たり前すぎて気が付かなったけど、海外に出るとよくわかる、「日本の当たり前は、世界ではありえないクオリティ」であることを。

 

日本はかくも素晴らしい国だし実感もできるのに、昨今の元気のなさ、国力低下、国際影響力の低下も気になる。周りをみても、中国インド東南アジアの出身者、あるいはオーストラリア現地人の方が、企業にしろ移住者にしろ、日系よりは元気でお金もある。そして、どんどん差をつけられているような気もする…

でもって、そういう元気なアジア・オーストラリアの人たちが、ここ数年「日本に行ってきたよ。すごく楽しかった~」と、満面の笑みで帰ってくるケースも増えている。

 

Aさんは、ここで悟ったのです。

「そうか。俺が、日本に帰りたい本当の理由はこれだったんだ!」

「素晴らしいのに元気のない日本を、何とか盛り上げたい。俺なりに貢献したい。」

 

未知の国オーストラリアにやってきて10年、ハンディのあるなかで職と生活を確立したAさんには自信がありました。

「日本に帰ろう。そして、頑張ってみよう…」

 

201X年。Aさん39歳、オーストラリアに移住10年後の決心の日でした。

その日本で、Aさん一家を待ち受けていたものとは…
次回「日本へUターン起業のすすめ(2)」へ続く

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毎年、過去最高を更新する人生~二つの鉄則

おはようございます。Manachanです。2019年の新年あけましておめでとうございます。

ここ数年、年越しは柏市の実家で過ごし、家族全員で「ガキの使い」を観て、近くの安房栖神社で初詣して、というのが定番になっています。人生や仕事にいろいろ変化はあれど、お正月は毎年変わらないのがいいですね。

 

おかげさまで、2013年に独立自営業主になって以来、5年連続で、「今年は人生最高の年だった」と思える年越しを続けております。あくまで私の主観的満足度の話ではありますが、2014年は13年より良い、15年は14年より良い…それが続いてきてますから、いま、2018年は人生最高の年だったと、心から思えているわけです。

日本の年号が変わる2019年、私の仕事や暮らしに何が起こるか分かりませんけど、前の年よりさらにワクワクする出来事やエキサイティングな出会いに満ちた一年になるであろうと、特に根拠もなく、とても楽しみにしています。

 

最近5年間、私の人生がとても楽しくなった理由を考えると、主に二つあると思います。

 

1)楽しい人に囲まれて、好きな仕事だけを選んでやっている。

「好きを仕事にする」、「好きな奴とだけ一緒に仕事する」、この二つが揃えば人生は素晴らしいものになります。

かつてサラリーマン時代は、プロジェクトマネジャーという職種でして、勤め先や派遣先から一緒に仕事する人間を割り当てられ、誰と一緒にやることになっても人間関係うまくやるよう、求められていました。その中には当然、気質や価値観が著しく合わない、一緒にいて全然楽しくない人間も含まれますが、彼らとも表面上は仲良くして、業務を遂行しなければならない立場でした。

それを長年やって、さすがにある程度は、「仮面かぶって嫌な奴と付き合う」テクニックを身につけましたけど、それで勤務評定が上がったところで、自分の幸福感には結びつかないことがよく分かりました。

幸か不幸か、数年後、私は勤め先を解雇され、それをきっかけに独立自営の道を選びました。生活の保障はないけれど、その代わり自分で仕事の内容も、時間の使い方も、一緒に働く人間も、自由に選べる立場になったのです。

独立後5年間は、一緒に仕事する同僚や、ビジネスパートナー、お客様を厳選して、嫌な奴、気の合わない奴を私の身辺から極力忌避・排除してきました。そのおかげで、今は仕事に行くのが憂鬱とか頭が痛いみたいな、ネガティブな経験はほぼ皆無になりました。かつてのサラリーマン時代は、日曜日夕方あたりに、月曜から始まる一週間の仕事が憂鬱、みたいなことを人並みに感じてましたけど、今の暮らしはそれとは完全に無縁です。

 

2)ちゃんと付き合わなければならない「家族」とは真剣に向き合う

仕事で一緒にやる人は、ほぼ自分の一存で選べるし、嫌だと思えばすぐ切れば良いですが、家族となると、そうはいきません。自分が親の立場で子育てしていると、切実にそう思います。

我が家においては、私と妻との夫婦関係が安定していることが、二人の子供たちが安心感育つ上で欠かせない条件です。ただ、それは相性もありますし、簡単なことではありません。

世の中には、長期間にわたって夫婦仲がナチュラルに良いというカップルも居るようですが、私と妻の場合は、そうではありません。お互い、継続的な努力をしていかないとすぐ壊れるほど、お互いの気質も違うし、夫婦関係に期待するものが全然違うのです。

たとえば、世界的なベストセラーになった、5 Love Languagesという本を使ってテストしてみると、私の場合は圧倒的に、夫婦関係に「肯定的な言葉」(Word of affirmation)を求めていますが、それは妻にとってはほとんど価値がなく、彼女は「贈り物」(Receiving Gifts)や「クオリティ・タイム」(Quality Time)を求めていました。でもその二つとも、私にとっては大した価値がありません。つまり、お互い良かれと思うことをやっても、それは相手が求めることと全然違うのです。

愛の伝え方には5種類ある。すれ違いの原因にもなる Love Language の違い。

 

私が独立した2013年から、最初の3年くらいは、仕事はとても楽しいけど夫婦関係はどんなに努力してもうまくいかないのが私の悩みでした。今でも完全にうまくいってるとはいえないけれど、少なくとも下記の2つの「ミーティング」を日常的にやることで、かなり落ち着きを取り戻しています。

 

1.Marriage Meeting(まず、夫婦がお互いの努力に感謝しつつ、家庭内でやるべきこと、家族旅行などのイベント、懸念事項について話し合う場)

2.Thriving Meeting(二人の子供たちが、学校や家庭や地域で活躍できる環境を整えるよう、話し合う場)

 

いずれのミーティングも、トータルの所要時間は45~50分で、我が家ではこんな構成にしています。

1)瞑想(Meditation、最初の10~15分間):お互い、心を落ち着かせる。

2) お互いに感謝(Affirmation、7~8分間):最低5つ以上、相手を褒め・感謝する言葉を考え、伝える。

3) 家庭の作業打合せ(chores、7~8分間):炊事洗濯、皿洗い、ゴミ出し、子供を病院に連れていく等、やらなきゃならないことを、いつ誰がやるかを話す。

4) 家族旅行や習い事について共有(Planning for good times、7~8分間):夏休みや冬休みの家族旅行や、結婚記念日等の小旅行、お互いのスキルアップにつながる研修や資格学習について話す。

5)懸念事項を共有(Problems and challenges、7~8分間):心配事や解決すべきことを率直に話す。

 

方法論については、この著書を参考にしています(日本語版も出ればいいなあ)

https://www.amazon.com/Marriage-Meetings-Lasting-Love-Relationship-ebook/dp/B00HNEPRK4

 

このミーティングを定期的にやることによって夫婦関係は目に見えて改善しました。お互いのすれ違いがあって少し険悪になっても、ミーティングで話せばいいという安心感にもつながっています。

 

誰にとっても、幸せや不幸せの多くは、自分とかかわる周りの人々からもたらされると思います。その環境を改善する努力を続けることで、時間はかかっても、結果的に人生をとても豊かにすることができるのです。

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花咲かじいさんが成功する理由…お金よりスキル、人間関係の時代

こんばんはManachanです。いつもご愛読ありがとうございます。今回は、「人間の幸せに欠かせない3つの資産と優先順位」というテーマで書いてみます。

「資産三分法」という、昔から語り継がれてきた考え方があります。「現金、株式、不動産という、特性の異なる資産に三分して資産を守る」というもので、ある意味私も実践しています(私の場合は、現金3分の1、投資不動産3分の1、事業投資3分の1…ですかね)。

 

今は、上記を換骨奪胎して21世紀的にした、「新•資産三分法」という考え方があります。橘玲さんや、私の大家仲間・河上伸之輔さんの著書で提唱されている考え方です。

1)会計資産…現金、株式、不動産など、すべての物的資産。
2)自分資産…スキルや経験など、自分がこれまで身につけてきたもの。
3)人間関係資産…困った時に助けてくれる友人がどれだけ居るか?

 

会計資産、自分資産、人間関係資産、どれも私たちの人生を豊かにするために欠かせないものです。また、それぞれが別々の特性を持つ資産でもあります。

 

会計資産(現金、株式、不動産)が十分あってそれで生活できれば、人生に自由な時間をもたらしてくれます。またリスクを取って会計資産をさらに増やしたり(投資)、それを使って欲しいものやサービスを買ったり(消費)できます。但し、基本的にモノなので他人に奪われるリスクはあります。

自分資産(スキル、経験、知識)は、自分の身体や脳に帰属する能力なので、誰も奪うことができません。また、能力ですから使えば使うだけ豊か(上手)になります。ただ、使わないと劣化したり、時代が進めば以前身につけたものが有効性を失うことはあります。

人間関係資産(助け合う仲間)は、モノでも属人的能力でもなく、自分を取り巻く外部環境のようなもので、人に良いことをして、喜んでもらえばもらうほど、豊かになっていきます。逆に、誰かに不義理をしたり、失望させると、乏しくなっていきます。

 

3つの資産は、お互いに変換可能です。「時間やお金を使ってスキルを磨いたり、人に良い情報を与えて喜ばれたりすれば、それは会計資産を自分資産や人間関係資産に変えていることになりますし、逆に自分のスキルや人間関係を使ってビジネスしてお金をつくれば、それは自分資産・人間関係資産を会計資産に変換していることです。

いまの世の中、一番重視されているのは「会計資産」かもしれません。モノなので分かりやすいですし、お金あるところ、商売あり、人も群がってきます。私も世間的には、「国際不動産投資家」という、会計資産的な側面にフォーカスしてセルフブランディングしています。

 

ですが、河上さんによれば今後、会計資産の価値が相対的に低下し、自分資産と人間関係資産の価値が高まっていくと…私も全く同じ意見です。

昨今はネット社会。資金力や会社の看板より情報発信力やマーケティング力、ファンの数がますます大事になってきています。YoutubeやInstagram動画で人々の話題・評判を勝ち取った人や、その仕組みをつくった人が、瞬く間にお金持ちになることも珍しくありませんし、時にそれは、どんな強大なビジネスでも太刀打ちできない社会的影響力を持ったりします。つまり、「ソフトな自分資産と人間関係資産」が、「ハードな会計資産」を凌駕する影響力を持ちつつあるのです。

私の身辺でビジネスに成功している人は、ほぼ例外なく、人間関係資産と自分資産を常に豊かにしようと心がけてきた方々です。

 

自分資産と人間関係資産の如何で大きな差がつくのは、太古の昔からそうだったと思います。日本育ちなら誰でも知ってる「花咲かじいさん」の寓話で説明すると、

・花咲かじいさんが桜の木に登って灰をまくと、きれいな花が咲いて、皆が喜ぶ。

・いじわるじいさんが同じことをしても、花は咲かない。

その差は何か…昔のシンプルな時代ですから、会計資産に大差はないでしょう。でも、花咲かじいさんには、豊かな自己資産と人間関係資産があります。周りの人を大事にし、生き物を慈しむ心(自己資産)があり、かつその行いが、周りの皆に支持されています(人間関係資産)。一方いじわるじいさんには、自己資産も人間関係資産も非常に乏しい。それが、結果の違いにつながった…。

 

現代でも、人間社会ですので同じことが起きます。武道館を満員にするような人気アーティストと同じ歌を私が歌っても、人々に同じ感動を与えるのは無理ですし、そこには、自己資産(歌や踊りのスキル)と人間関係資産(ファンの信頼・憧憬)の圧倒的な差があります。逆に、国際不動産という、私が過去10年以上にわたり、心血を注ぎスキルを磨いてファンを増やしてきた領域に関して、誰かが真似をしてもすぐに追いつき追い越すのはたぶん難しいです。

 

ところで、新・資産三分法において、私が重視するのは河上氏と同様、「自己資産」と「人間関係資産」です。もちろん、この二つを充実させるには会計資産(自由な時間を生み出す固定収入)が必要ですが、私の場合、生活に困らないだけの会計資産ができたら、それをすぐに自己資産と人間関係資産に変えています。

 

・自己資産に関しては、「国際不動産業界で他の追随を許さない、世界の不動産視察経験(インプット)と情報発信(アウトプット)、情報取得に必要な語学能力と情報ソース(手段)」を持つことを常に意識しています。ここ2年ほど、年間の3分の1は出国して、6日間で5か国みたいなむちゃくちゃハードなスケジュールで旅してますが、要は「少しお金ができればすぐ飛行機乗って世界の不動産見に行ってる」のです。

・人間関係資産に関しては、完璧にできているとは思いませんが、それでも、「自分が知りえた世界の不動産情報や知見は惜しみなく世に出していく」、「まず人さまに喜んでいただく、お金はその結果としてついてくればいい」、それを座右の銘にして長年やってきました。おかげさまで、不動産仲間には恵まれていると思います。

 

逆に、私からみて疑問に思うのは、

「富を誇示する行為」(分不相応な都心レジデンスに住む、高級外車に乗る、高額リゾートホテルに泊まる等)…本心から好きでやってるなら良いですが、世の中、上には上がいます。より裕福な人と自分を比べて、さらに欲望が刺激されたらキリがありません。それこそ永遠に満たされない渇望、餓鬼道そのものです。それにお金をかける位なら、自分資産と人間関係資産を充実させればいいのに、と思います。

「素人を半ば騙して利を得る行為」…最近、「キラキラ大家」「共食い大家」「コンサル大家」などと揶揄される方が増えてきました。要は、「不動産投資を知らない人をカモにして短期的な利を得る」不動産業界の悪しき慣習を真似する一部の大家・賃貸経営者を指します。彼らのやってることは、「自分資産」と「人間関係資産」を切り売りして「会計資産」に変えようとしているわけですが、私に言わせれば非常に効率悪く愚かなことです。要は、「いじわるじいさん」になることを自ら選んでるわけですから。

 

世の中、「自分資産」と「人間関係資産」のウェイトが高まっている。要は、「花咲かじいさん」になることが、つまりスキルを磨き人に好かれることが、結果的に富への早道になっていると思うので、私はその方向を目指していきます。

 

(追記 2018/12/8)

【3つの資産と、いざという時の保険】

私は2013年2月、44歳の時、勤め先をクビになり一時路頭に迷いました。その際、手持ちの3つの資産(会計、自分、人間関係)を使って窮地を脱しています。

〇会計資産(不動産からのキャッシュフロー)があったので、急に生活行きづまることはありませんでした。

〇自分資産(ITエンジニアとして19年の経歴、多言語能力)を使って、年収1000万円超のオファーはいただきましたが、ただ「もうサラリーマンやりたくない」と思ったので、この資産はとりあえず使いませんでした。

〇人間関係資産(不動産関係の友人)…結局、不動産業者として起業を選んだわけですが、創業当初の金がない時期を、友人たちがくれたお仕事で乗り切りました。また、不動産仲介に欠かせない役所調査や重要事項説明等に仲間が手を貸してくれました。

人生ピンチの局面では、会計資産、自分資産、人間関係資産の棚卸しと活用戦略を、否応なしに考えなければなりません。これからの人生でも何度かピンチが訪れでしょうから、3つの資産は常に豊かにしておきたいと思います。

 

【居住地選択は、人間関係資産をベースに考えたい】

今は、世界中どこに住んでも良い時代。海外で暮らす上での物理的・心理的障壁は確かに低くなりました。基本的に、自分のフィーリングと会う土地で暮らせば良いと思うし、仕事のしやすさ、生活・教育環境、気候など、いろんな要素があると思います。

私の場合、海外で10年近く暮らした後、今は東京にUターンして暮らしてます。たぶん今後ずっと東京を本拠にするだろうと思います。それは、私の「人間関係資産」が最も集中している場所が東京周辺だからです。

もちろん、世界中に友人は多数いますし、いま50歳ですが今から海外に出て一からビジネス・生活を立ち上げる自信もあります。それでも、東京周辺で長年培った人間関係資産やビジネスへの活用チャンスを考えると、本拠を他所に移したいという考えは今のところありません。

仕事柄、富裕層の方々との接点が数多くありますが、「資産を外出ししても、本拠地は今のまま」を選択される方がほとんどですね。皆さん地元で培った人間関係資産を豊かにお持ちだからだと思います。

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