語学

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感動のインドネシア語

こんばんは、Manachanです。

今朝から、東京飯田橋の語学学校で、インドネシア語を学びはじめました。マンツーマンレッスン形式で、10~12時までインドネシア語、12~13時までタイ語と、3時間ぶっ続けだったので結構ハードでした。

 

タイ語、ベトナム語と並行して、インドネシア語まで学ぶ・・・お互いに違いの大きい3ヶ国語の同時並行学習は常識的なやり方ではないのは分かってますが、もちろん、私なりの計画と勝算があってのことです。昨年10月1日のブログ「半年+30%多言語習得戦略」では、2016年3月にはインドネシア語の学習を始め、半年後には「とりあえず使える」(習熟度30%)レベルになると書いてますが、今のところ大体、描いた通りのスケジュールで学習が進んでいます。

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インドネシア語は、マーケットも大きく、将来性あふれる言語だと思います。

・話者人口 1億6500万人 (世界10位前後)

・2億以上の人口を持つ大国インドネシアの共通語

・隣りのマレーシアでも通じる言葉

 

下の地図の範囲内ではだいたい通じる言葉といえます。同じアジアで日本から比較的近く、経済関係も密接、将来的な伸びしろも大きい国ですので、インドネシア語の利用価値は高いですね。私は、今年後半に予定している「ジャカルタ不動産マーケット現地調査」に向けた準備の一環として、この言葉を学んでいます。

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もっとも、インドネシア語を母語とする人数は少なく、せいぜい2000万人台だそうです。広大なインドネシアの島々では700を超える言語が話され、お互いの意思疎通もままなりません。インドネシア国家統一に伴い、リアウ州(スマトラ島東岸、マレーシアに近い地域)で話される言葉が、諸民族の意思疎通のための共通語として選ばれ、「インドネシア語」となりました。

ですので、インドネシア人の大多数は、日常的には彼らの母語(ジャワ語、スンダ語、バリ語など)を使い、第二言語として「インドネシア語」を学ぶのです。

 

このインドネシア語という言葉…とにかく、とっつきやすいことで有名です。

・発音が簡単 (ローマ字の棒読みで大体OK)

・文字はアルファベット

・表記と発音がほぼ一致 

・時制もない、語形変化もない

・文法は自由度が高く、語順にうるさくない (日本語に似ている・・)

・英語そのままの語彙が多い(Information->Informasi, Pharmacy->Farmasi)

 

今日、インドネシア人の先生から初めてレッスン受けてみて・・・びっくり。拍子抜けする位、分かりやすいんです。

・えっ、まじ?こんなに簡単でいいの?

・これまでの、タイ語とベトナム語の苦労は、あれは一体なんだったんだ?

 

タイ語の場合、まずはあの難解そうなタイ文字を覚えなければなりません。しかも、声調は5つもあるし、子音と声調記号の組み合わせを覚えないと、正しい声調で発音できません。また、文字と音声が一致しないことも多いです。

その点、インドネシア語は、日本の小学4年生で覚えるローマ字みたいなアルファベット言葉だし、声調もない。文字と音声もほぼ一致…何だこのラクさは!

 

ベトナム語の場合、ローマ字だから文字的にはとっつきやすいし、同じ漢字文化圏なので日本の漢語みたいな語彙(漢越語)も少なくありません。でもその代わり、発音と声調はかなり厳密にできるようにならないと通じません。

その点、インドネシア語は声調なし、発音簡単(小学生がローマ字文読んでるみたい!)

 

もう、拍子抜けする位、簡単!とりあえず、日常会話レベルとか、初級レベルであれば、インドネシア語の学びやすさは、世界でもピカイチだと思います(中上級レベルになると、結構難しいようですが・・・)

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東南アジアによく行く人なら、インドネシア語、利用価値も大きいと思うし、是非学んでみては・・・

 

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日本人になるために…

こんにちは、Manachanです。今回は不動産を離れ、「育児」ねたでいきますね。

日本で子育てしていると、冬場はインフルや風邪の流行があるので、なかなか大変です。先週は娘ソフィア(小学4年)のクラスが二日間学級閉鎖になり、一息ついたと思ったら今週は息子ポニー(小学1年)のクラスが学級閉鎖に。

子供たちは、「家でゆっくりゲームできる!」と喜んでいますが、親としては複雑な心境でして…

 

我が家は国際結婚。私が日本生まれ、母は台湾生まれのオーストラリア育ち。ソフィアとポニーは、生まれながらにして、日・英・中の三か国語が飛び交う環境で暮らすことを運命づけられました。

(私の顔が福山になっているのはご愛嬌ということで…)

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毎年、夏休みの1か月余りは、オーストラリア・ケアンズにある妻の実家で過ごしますが、そこではさらに複雑な言語環境があります。そのなかで、小さなソフィアとポニーは、複数の言語を、相手に応じて使い分けながら育ってきました。

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「我が子には、英語、中国語を学ばせて、国際人に育てたい」と思う日本人の親からみれば、もう、羨ましくて仕方ない環境かもしれません。確かに言語スキルの面では、英語、中国語、日本語…世界的にもメジャーな3言語に、日常的に触れられるという意味で間違いなく恵まれているでしょう。ですが、こういう家庭にありがちな、厄介な問題もあるのです。

ソフィアは以前、「自分が何国人なのか、よく分からない」と言ってた時期がありました。「どうして私はフツーの日本人の名前じゃないの?」、「ソフィア亜州香なんて、”明治神宮前原宿”みたいな名前やだ!」と。

今では、「自分は日本人であり、かつ英語人」だと言うようになりましたが(「オーストラリア人」とは言わずに、英語ネイティブスピーカーという意味で「英語人」と言ってるようです・・)、

彼女の心、そしてもっと若い弟ポニーの心に、確固とした母国「日本」ができるまでには、あと数年を要しそうな気がしています。

 

私の場合、子供たちとは違い、日本人というアイデンティティを、寸分も疑うことのない環境で育ちました。両親とも日本人だし、東京近郊ベッドタウンという土地柄、(今と違って)外国人らしき人もほぼ見かけない。ご近所さん、学校の先生…周りが日本人ばかりで、使う言葉も日本語だけ。19歳になるまで出国したことがなかったし。

自分が日本人であること、周りの人たちからも、日本人として認められていること…それは私にとって、空気のように自明なことでした。

 

良い悪いは別として、いま、ソフィアやポニーは、私の子供時代とは著しく違う環境で育っています。両人とも日本語名、英語名、中国語名、3つの名前があります。「君のルーツは複数あるんだよ」、「日本人であり、同時にオーストラリア人でもあり、中国人でもあり…それでいいんだよ」といっても、まだ小さな子供がそれを理解するのは難しい。

ソフィアの場合、本人が意識しているのかどうか知りませんが、いま一生懸命、「日本人になろうとしている」健気な努力を感じます。周りの日本人の子供たちと一緒に、妖怪ウォッチのゲームで遊ぶ、コロコロコミックを読む、宿題を見せあう、学校で日直をやる、いろんな係や当番をやる、運動会や学芸会のリハーサルをする・・・

日本の学校なので、そりゃ、かったるい面も多々ありますけど…でも、そういう一日一日の地味な積み重ねが、彼女の心のなかに、「母国・日本」、「自分は日本人」というアイデンティティをつくるような気がするのです。

ソフィアやポニーにとって、名実ともに日本人になるための条件は、たぶん「周りの人に、日本人として認められること」、「日本人として、いろんな役割を求められ、それを一つ一つ、果たしていくこと」でしょう。ナショナルアイデンティティの確立、それは根源的な人間存在に関わることであり、言語スキルなどよりはるかに大事だと思います。

今、子供たちはフツーの区立の学校に通っています。教学環境としてベストなのかどうかは評価が分かれますが、「普通に、日本人になる」には最適な環境だと思います。ここで過ごす一日、一日が大切ですね。

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日本人に英語は不要なのか?

こんにちは、Manachanです。いま、北陸新幹線「かがやき」で、金沢に向かっているところです。安中榛名を越えるとトンネルばかり、電波もバリバリ圏外っすね…

私、2月29日(月)の夜に、「複数言語習得」(マルチリンガルになる)というテーマで、東京・銀座で講演することになりました(リンク)。話の幅を広げるため、時間をみつけて、語学学習に関するブログなどを読んでいますが、そのテーマでWeb検索していると、必然的にヒットするのが、この本。

 

成毛眞著「日本人の9割に英語は要らない」

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今から数年前、楽天、ユニクロ、サイバーエージェントなどの企業が、立て続けに「社内英語公用化」を宣言して、世間の話題になった頃に出た本ですね。グローバル化の流れで、猫も杓子も英語、英語、言ってるけど、普通の日本人にはそんなに必要ないんだよ」、「英語不自由でも専門や教養をしっかり学んでいればそれでいいんだよ」という論調で、英語コンプレックスを抱く層にもてはやされました。この本に触発されて、「英語不要論」という言葉さえ生まれましたね(でも、成毛さん本人は、英語を必要とする少数の日本人にはしっかり英語力をつけることを提唱しているので、英語不要論は彼の本意ではないと思いますが…)。

内容に賛否両論はあるでしょうが、私、「日本人の9割に英語は要らない」という内容に異論はありません。英語の影響力が増す昨今ですが、日本国の領域内は、今も昔も日本語が圧倒的に優勢な世界。日本で生まれ育った大部分の人は、日本語だけで一生過ごせますし、多少なりとも英語能力を必要とする日本人は、せいぜい総人口の1割というのも、私の肌感覚に合います。例を挙げると、日本パスポート持って海外渡航する人数は、延べ人数で年間1700万人程度。そこには、私みたいに複数回、海外渡航する日本人も相当数含まれていますから、重複を省けば、1300万人(総人口の1割)程度になるかも…

「英語必要な1割、不要な9割」という比率は、将来的にもそんなに変わらないと思います。非英語圏のなかでも、日本語は話者人口10位前後、経済規模3位、学習人口7位…相当な規模を持つマーケットで、日本語による出版、技術・高等教育など文化活動がビジネスとして十分成り立ちます。ドメスティックな市場原理が成り立つ以上、英語メディアに根こそぎ持っていかれることはまず考えられない。

 

私は日本で育ちましたが、たまたま国際結婚したし、海外で就職したし、英語はじめ、いろんな外国語を覚えなきゃならない境遇にいたから一生懸命勉強しただけであって、自分の体験を日本人一般に当てはめることはできないのは十分承知です。

「英語は大事」、「マルチリンガルになろう」みたいなことを、日本人向けに提唱したところで、そのマーケットは、どんなに頑張っても1割を超えないでしょう。渋谷センター街や難波パークス歩いてる若者の9割に、おそらく外国語は必要ない。今も将来も…

 

ただ、この書評に関しては、違和感ありまくりでした。

日本人も驚き。「英語ができないのは、幸福な国の証」だった

 

引用しますね。

>(シンガポール、フィリピンなどでは)英語ができない人はエリートとして扱われない。英語ができなければ、生涯大きなハンディを背負うので、必死に勉強しなければならない・・・自国の産業を持ち、国民がみな一定の生活レベルを保っている日本では、海外に飛び出さなくても自国で幸せに生きていける。英語ができないのは、幸福な国の証でもあるのではないだろうか。
たまたま、非英語圏のなかではマーケットでかくて、それほど切実に英語やらなくても良い日本の状態を、「幸福」というのはどうなんだろう?その推論に妥当性があるのかな?

シンガポールやフィリピンなど、英語やらなきゃならない国々の人々が、大変で不幸なのでしょうか?ああいう国の人々は、別段苦労しなくても、英語はじめ複数の言語を、日常生活のなかで身につけられる言語環境に暮らしているだけの話だと思いますよ。

私の立場からいうと、フィリピンやシンガポールに生まれて満足な教育を受けられれば、英語で情報収集も自由自在にできるし、英語を使った仕事に就けるから世界中でキャリア形成できるし、かえって得してると思うんだけどな。

英語は大変、英語を切実にやらんでもいい日本は幸福…そういう感慨を持つのは個人の自由だけれども、「幸福」という価値観に安住して、英語が満足にできないことの免罪符として使ってるような印象を受けてしまいます(本人は、そのつもりではないのかもしれませんが…マルチリンガルから見ると、そういう解釈になる)。

 

図を使って分かりやすく言えば、

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「英語やらなきゃならない層」(総人口の10%)のうち、約7割が「挫折予備軍」、約3割が「継続学習派」であるとしたら(この数字当てずっぽうですが、個人的には結構いい線いってると思う・・・)

本当は英語やったらメリットの得られる「挫折予備軍」をして、「英語不要な層」に引きずり込むような結果に寄与してしまうと思います(図でいうなら、下方に向かう白の矢印↓)。

 

もう一つ、引用。

>アメリカの外務職員局の調査によると、アメリカ人がフランス語、スペイン語など欧米圏の言語をマスターするには約600時間で済むが、日本語や中国語、アラビア語などは難しく2,200時間が必要だとしている。日本人が英語をマスターするのも2,000時間ほど必要と言われており、特に日本人が語学下手という訳ではない。単に日本語と英語はそれほど異なった言語だ、という事だ(中略・・)日本で仕事をしながら英語を流暢に話せるレベルに到達するのは、ほとんど不可能だと考えた方が良い。

日本語と英語の言語的距離が遠いのはその通りと思いますが、この議論には、外国語学習における目標設定が現実的でないという、根本的な問題があります。「英語学習者からみて、日本語習得は2000時間以上かかる」(日本人が英語をやっても、ほぼ同じ時間がかかる)・・を引用してますが、これは、英語を使って仕事できる「ビジネス(習得)レベル」を想定しているものですね。アメリカ外務省が出してるんだから、エリートの人間が外交官として勤務することを想定した数字なんでしょ?

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私の言語学習理論「5%-30%-80%」の法則からいえば、日本語環境で暮らす日本人が英語を学ぶ場合、多くの人にとって現実的な目標は「使用レベル(30%)」の達成英語圏で暮らしたり、英語で仕事する職にも就かない限り、「ビジネスレベル(80%)」達成は非常に困難。そのレベルを想定して、難しいと言っている…日本に住んでて英語を普段使ってないんだから、難しいの当たり前じゃん。

 

「英語は難しい」、「日本人は英語できなくてもいい」、「それでいいんだ、幸せだ」…そんな言説に、私は真っ向から意義を唱えます。本の知的レベル向上に百害あって一利なしと思うから。

 

私の役目は、

・「挫折予備軍」を、「継続学習派」に引き上げること

そして、

・「継続学習派」をさらに強く動機づけして、「バイリンガル」、「マルチリンガル」に育て上げること。

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英語含めて、外国語なんて、大して難しくないんですから…

適切な目標を設定して、体系的に学習を継続していけば、誰だってできるようになるんですから…

マルチリンガルが特に頭いいなんて、そんなこと、全然ないんですから…

 

日本人のなかで、英語・外国語を必要とする約10%に対して、私はそれを訴え続けたい・・・その第一歩となる講演をやりますので、興味のある方、きてくださいね。

 

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【第10回講座】 銀座夜大学『マルチリンガル(多言語話者)になる方法』

外国語はカンタン。やり方次第では、一生に10言語、20言語の習得だって十分可能!
5ヶ国語を操り、年間1言語ずつレパートリーを増やしているという客員教授 鈴木学氏の頭の中と学習方法を大公開します!英語学習で苦労する人生とは永遠にサヨナラしよう☆

◯日時:2月29日(月)19:00~22:00
◯授業料:21時までのご来店:6,000円
(ドリンクチケット2枚&ブッフェ料理)
21時以降のご来店:2,500円
(ドリンクチケット2枚)

会場:SHINOBY’S BAR 銀座
104-0061 東京都 中央区銀座5-10-10 6階

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マルチリンガルになる方法‐各論編3)「お金稼げる」レベルの外国語力を身につける

こんばんは、Manachanです。「マルチリンガルになる」連載、いよいよ最終回になります。

前回までは、「外国語を何とか使えるレベル」(習熟度30%)にするための学習方法を書きましたが、今回書くのは「外国語を使って仕事できる」、つまり「ビジネスレベル」(習熟度80%)を達成するには何をすべきか・・・これまでとはワンランク次元が違う話になります。

 

「ビジネスレベルの語学力」なるものを、具体的にイメージしてみましょう。私の身辺には、中国をはじめアジア各国の出身で、日本での留学・卒業を経て、日本の企業で働いている方が多数いますが、彼らは日本人に交じって、日本語ばかりの環境で、1日8時間以上、上司や同僚、部下とともに働いています。話し言葉のアクセントから彼らが日本人でないことは分かりますが、それでも、顧客対応含め日本語の読み書き会話は問題なく、外国人だからと特別扱いもされない…それこそが、ビジネスレベルです。

私自身は、英語圏(豪州、米国)で5年と、中国語圏(中国、台湾)で3年の在住・就労経験がありますが、当時の私は彼ら在日外国人社員と全く同じ境遇でした。平日は英語や中国語だけ使う職場で朝から晩まで過ごし、上司や部下、同僚と共に、メール、電話、チームミーティングをこなす日々。家に帰れば帰ったで、友達を呼んでホームパーティーしたり、子供を病院に連れていったり、保健所で親子教室に参加したり、壊れた電化製品を返品しに行ったり、時にはマイホームを買うために不動産屋や銀行と折衝したりと、おおよそ大人の生活に必要なあらゆることを、英語と中国語でこなしてきました。

いま振り返って考えると、当時の私は「会社員」(サービス提供者、上司、部下、メンター等)「顧客」、「学生」、「ホスト」、「父親」、「夫」といった、様々な社会的立場に立ち、その役割に求められるコミュニケーションを英語や中国語で行い続けたからこそ、ビジネスレベル以上になれたのだと思います。

 

日本語で「役職が人間を育てる」という言葉がありますが、外国語学習においても全く同じことがいえると思います。そう考えると、外国語ビジネスレベルになるための効率の良い方法は、「外国語圏への移住」か、「外国語を日常的に使う職場への転職」になるかと思います。

私自身に関していえば、これまで、英語圏や中国語圏で暮らし、働いてきたおかげで両言語ともビジネスレベルになれたけど、現在「使用レベル」(習熟度30%強)にある韓国語とタイ語については、今みたいに日本で暮らして仕事も日本語中心という状況が変わらなければ、ビジネスレベルの達成は難しいと感じています。全く不可能とは思わないけれど、多分、ものすごく時間がかかる。

逆に、私が韓国やタイに移住してしまえば、私は日常的に韓国語またはタイ語環境にどっぷり漬かる上に、会社経営者としてビジネスの現場でそれらの言葉を使うはずなので、ビジネスレベルの達成は間違いなくできると思います。いま、私の手持ちの言語知識や学習速度から考えると、

・韓国語の場合、半年~1年程度で、ビジネスレベル達成可能
・タイ語の場合、1年~1年半程度で、ビジネスレベル達成可能

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この論法でいくと、「日本人が日本に住み続ける限り、外国語のビジネスレベル達成はほぼ不可能」みたいにに聞こえるかもしれませんが、上に述べた通り、外国語を日常的に、様々な社会的立場で使う言語環境に身を置くことができれば、実現可能だと思います。たとえば、日本に住んでいても「外資系または海外事業部に属し」、「職場では英語をメインに使う」環境で過ごし、経験値を積めば英語ビジネスレベルにはなれるでしょう。

 

私が経験した、いくつかのエピソードを紹介します。

私はTOEICスコア845点の状態で、2000年5月に、オーストラリア・シドニーに移住しました。到着後すぐ就職活動をはじめ、奮闘3か月間、11社に落とされ12社目でようやく採用され、IT技術者として晴れて入社。

ただ、それまでの人生で、「1日8~9時間、英語だけの環境で仕事する」という経験がなかったため、入社当初は苦労しました。職場の同僚はフレンドリーで居心地よかったけど、一日の仕事が終わると疲労困憊、もう何も考える気力が残っていませんでした。

英語メールの書き方でも苦労しました。入社から半年ほど経った頃、私のメールの書き方が適切ではないと上司から注意され、英語ネイティブの同僚に、私がメールを出す前に、いちいち添削してもらった時期があります(今考えると、そいつは技術家肌でメールが得意ではなく、最適な人選だったとは思えないけど・・)。

メールや会話含め、英語のハンディを感じずに仕事できるようになったのは、入社1年半後くらいだったかと思います。しかし、ようやく一息つけたかと思った頃、私はLotus Notes技術チームのリーダーとして、若手の社員のメンター(世話役)をやるように命じられました。でもって、私の配下になったのが、マシンガンのような速さの英語をまくしたてるネイティブの女の子2名で、聞き取るのも大変で参りました。

そんな感じで、いろんな苦労がありましたが、5年近くもの間、英語環境の職場で働いてしまえば、もう言葉の苦労はありません。英語のビジネスレベルは、一生キープできる自信がつきました。

 

その後、私は2005年3月に、オーストラリアから中国へ国際転職。大連ソフトウェアパーク内で働くことになりました。私は台湾での留学経験があるので、中国語の会話は最初から問題ありませんでしたが、ビジネスの現場で中国語を使うのは初めてでした。

オーストラリアなど英語圏の職場は、「誰もが英語使うのは当たり前」の世界で容赦ありませんでしたが、中国の場合はもう少し優しく(?)て、外国人が中国語をしゃべることを、それほど期待されませんでした。フィリピン人やインド人など、中国語を一言も話せない、漢字読めない社員も相当数いましたし、彼らには、「中国人社員の英語力向上のため、職場では英語だけしゃべって欲しい」と期待されていました。

ただ、私の場合はなぜか、入社1日目から中国語環境のPCを渡され、中国語オンリーの社員研修を受けさせられました(同日入社の中国人新入社員数十名に混ざってしまい、外国人だと気づかれなかったのかも…)。

この職場で働いてみると、私が外国人として、英語で話すこと(=中国人社員の英語練習台になること)を一応期待されてはいましたが、コミュニケーションの効率を考えると、私はどう考えても、中国語を使わざるを得ませんでした当然ながら、社員の95%以上が中国人で、英語得意な人は少数。チームミーティングでは大体10~15名ほど参加。私以外、全員が中国人(または華僑)で、会話は当然中国語になる。私だけのために英語を使うと効率が著しく落ちるわけです。

あと、中国のITの職場は社員の入れ替わりが激しく、当時チームリーダーだった私は、毎日のように、採用のための面接をしましたが、そこでの会話は当然中国語になりますし、また、現地の人材紹介の会社ともたくさんやりとりしましたが、彼らの英語力は限りなくゼロに近いので、結局は、中国語使わないと仕事にならないのです。

そこまでやれば、否応なく、中国語はビジネスレベルになりますし、英語と同様、一生ものの能力になります。

 

私の「マルチリンガルになる」連載は、これで終わります。最後に一言、私が、今回の連載を思い立った理由について書きます。

一言でいえば、「日本でマルチリンガル(多言語話者)を一人でも増やしたい、そのために貢献したい」という気持ちから発しています。

私が何か国語話そうとも、そのスキルは私の頭脳の中にしかありませんから、儚いものです。私の寿命が尽きてしまえば、途端に、終わってしまいます。しかし、私の分身よろしく、5ヶ国語、6か国語を操る日本人を多数輩出することができれば、全く別の話になります。

世界数か国で、ITビジネスの最前線で長年働いてきた私の肌感覚でいうと、「日本の首都・東京には、グローバルビジネスを支えるマルチリンガルが数十万人必要」、「それができて、はじめて、香港やシンガポールに対抗できる」と感じます。これまで、それができなかったから、香港やシンガポールにアジアパシフィックの本社の座を奪われてきたわけで…

これは大変壮大な話で、私は余りにも微力ではありますが、何らかのかたちで、「マルチリンガル育成教育」に関わっていきたいし、良い方法論を模索してきたいと思うのです。

 

その第一歩として、初めて、「マルチリンガル」ねたで講演することになりました!いつもは不動産の話ばっかりだけど、たまには語学の話もいいですね。興味ある方は、2月29日(月)夜、銀座へGO!

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【第10回講座】 銀座夜大学『マルチリンガル(多言語話者)になる方法』

外国語はカンタン。やり方次第では、一生に10言語、20言語の習得だって十分可能!
5ヶ国語を操り、年間1言語ずつレパートリーを増やしているという客員教授 鈴木学氏の頭の中と学習方法を大公開します!英語学習で苦労する人生とは永遠にサヨナラしよう☆

◯日時:2月29日(月)19:00~22:00
◯授業料:21時までのご来店:6,000円
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      21時以降のご来店:2,500円
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会場:SHINOBY’S BAR 銀座
104-0061 東京都 中央区銀座5-10-10 6階

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マルチリンガルになる方法‐各論編2)言葉を「使える」レベルにする

こんばんは、Manachanです。連載ブログ「マルチリンガルになる方法」、各論編2)に入ります。

私の言語習得理論は、別名、「5-30-80の法則」といいます。ある言語を母語として育ち、成人した人が外国語を学ぶ場合、その達成度において3つのマイルストーン(目安)を想定します。母語の言語能力を100%とした時、外国語の学習が進むにつれて、

片言レベル(5%)
   ↓
使用レベル(30%)
   ↓
習得レベル(80%)

と、進んでいく…今回、各論編2)では、「片言レベル」(5%)を「使用レベル」(30%)に、ランクアップする方法論について書きます。私は、「5%から30%への移行」段階こそ、この連載のハイライトだと思っています。世の中、この段階でつまずき、外国語学習を中止・断念する人が余りにも多いからです。

私自身は、現時点で5ヶ国語できるマルチリンガル(多言語話者)とはいえ、これまで、いろんな言語の習得に挫折してきました。いま思うと、そのほとんどが「5%→30%」の段階で起こっています。その苦い経験を糧に、学習における「態度」や「方法論」を改善してきた結果、今では「一旦やると決めれば、少なくとも30%は必ず達成する」自信がつきました。その経験やテクニックを、皆様とシェアしたいと思います。

 

どの言語を学ぶにせよ、「30%」を達成するために、私が絶対に怠らないことは、二つ。

1)文字や声調記号を覚える

2)それらを使って、自分のオリジナル文章をたくさん書く。

 

1)について…英語をはじめ、アルファベット表記の言語を学ぶ場合、文字を覚える苦労は少ないでしょう。また、日本人の場合、漢字をすでに知ってますので、中国語の漢字を苦にする人は少ないでしょう。

しかし、タイ文字、アラビア文字、インドのデーヴァナーガリー文字など、見慣れない文字になると途端に拒否反応を示し、「こんな、ミミズがのたくったような記号、覚えられるか!」といって、最初から諦めてしまう人は多い。例えば、タイに長年住んでいる日本人で、会話は上手にできるのに、タイ文字が読めないという人は少なくありません。

私の学習スタイルは、文字の学習を大変重視します。いくら話せても文字が分からないと、新聞雑誌を原語で読めない、看板に書いてることも理解できない、メールも読めない書けない…そもそも、その言語で社会生活ができないからです。

それに、どんな文字でも、少なくとも漢字を覚えるよりはラクでしょ…と思います。日本で育てば、漢字という、世界でもトップクラスに難解かつ複雑な文字を、すでに何千個も覚えているわけです。私の息子は、7歳で小学1年生ですが、1年生のうち80個の漢字を覚えなくてはなりません。

それに比べて…タイ文字、子音字が44、母音字が32、全部で76しかない!(しかも、ほぼ使われなくなって覚えなくても良いものもある)。1年生の子供が学校で習う漢字数より少ないんだから、良い歳した大人なら覚えられるはずじゃんと思うのです。あとアラビア文字、インドの文字…数え方にもよりますが、少なくとも、日本人が大人になる前に覚える漢字みたいな膨大な数ではありません。

もっとも、文字を覚えてもそれですぐ読めるとは限りません。たとえばタイ語の場合、文字表記と発音が一致しないことも多いし、あと、文章のなかで単語と単語がどこで切れるか等々…結構な数の文を読んだり、書いたり、「場数」がそれなりに必要になります。
日本語と同様、タイ語の文は単語の切れ目を見つけるのに慣れが必要。

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あと日本人の場合、日本語にない「声調」のある言語を学ぶのに苦労する方も多いですね。中国語をはじめ、タイ語、ベトナム語等々…

あと、特に中国語やベトナム語は、日本語にない発音が多い上に、厳密に正しい発音をしないと通じないとか、別の意味になってしまうことも多いので、初学者にはその苦労は避けて通れません。それも、正しい文字・声調記号とセットで、覚えなければなりません。

 

どの言語も、そう簡単ではありません。でも、やればやるだけ、成果が出ます。それなりの時間をかけて、文字、声調記号、それに対応する発音を覚え、語彙数が500~1000程度に達した頃に、「到達度30%」のラインが見えてくるはずです。

そこに到達するスピードを早める方便として、私は、「自分オリジナルの文章をたくさん書く」ことを心がけています。語学の上達なんてシンプルなもので、結局、「アウトプットした回数と量」で決まりますから。

もちろん、初心者が書いても当然間違いだらけなので、ネイティブの先生に添削してもらう必要があります。その意味で、マンツーマン式あるいは少人数制の語学学校に行くか、あるいはネイティブの先生を見つけて教えてもらった方がいいですね。

 

私の場合、「習熟度30%」の達成基準として、「次の文章を書けるかどうか?」を、一つの目安にしています。

 

『マックスコーヒー 故郷の味』

私は千葉県の出身です。私が10歳の時、初めて口にしたコーヒーは、「マックスコーヒー」・・・これは千葉県と、隣の茨城県でだけ売られています。一缶あたり、約30グラムの砂糖が入っている、おそらく日本一甘いコーヒーです。

私が千葉に住んでいた頃、マックスコーヒーは日本中の誰もが飲む、ありふれた普通のコーヒーだと思っていました。でも大人になり、東京に引っ越すと、人々はマックスみたいな激甘コーヒーをあまり飲まず、甘さ控えめのコーヒーを好むことに気が付きました。都会の人は健康志向なのでしょうね。

たまの休みに、千葉の実家に帰る時、マックスコーヒーの自動販売機が見えると、ついつい買ってしまいます。そして一服、甘い!!!!これぞ、故郷の味。

(注.今では、マックスコーヒーは、ジョージア・マックスコーヒーになり、東京都内でも買えるようになっています。)

 

タイ語で書いたのが、これ…(学習開始後、5か月半後に執筆)

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トナム語で書いたのが、これ…(学習開始後、3か月後に執筆)

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こういう文章を、辞書ひきながらでも書けるようになれば、不完全とはいえ、一定レベルの読み書きはクリアし、言葉を「使える」レベル…「習熟度30%」近辺に達したとみなして良いと思います。

 

また、最近はどの国でもスマホ、PCの使用頻度が増えているため、「外国語の文字をタイピングできる能力」も大事になってきました。

タイ語のタイピングができれば、たとえばバンコクでタイ人とスマホで連絡とりながら待ち合わせすることもできるし、美味しい店をスマホで検索することがもできるわけで…行動様式がぐっと、現代人っぽくなります。

 

私のPCに、タイ語のキーボードシールを貼ったら、入力作業がラクになりました。

thaikeyboard

 

到達度30%になれば、外国で働くことも、なんとなく視野に入ってきます。例えばの話、バンコクで、「主に英語を使うけど、タイ語でのメールやりとりが少しだけ発生する職場でのオフィスワーク」があれば、今の私ならこなせると思います。あと数か月頑張れば、ベトナム語でそれをやることもできそう…活躍の場が世界に広がりますね。

とはいえ、「タイ人のお客さんとタイ語でやりとり」するとか、「大量のタイ語の資料を読みこなして仕事」するとか、「タイ語の経営会議をこなして、タイ人の部下に指示する」ような職場は、今の私にはさすがに無理です。それには、「習得レベル」(習熟度80%)が必要でしょう。

そのレベルにいかに達するのか・・・次回のエッセイ(各論編3、最終回)で書きます。お楽しみに。

マルチリンガルになる方法‐各論編3)「お金稼げる」レベルの外国語力を身につける

 

2016/2/17補足…各論編1)で、「英語をマスターしてから次の言語に挑戦」というアプローチは効率悪いと書いた通り、我々マルチリンガルの言語学習は、「ゼロから積み上げ」ではなく、「各言語の共通部分をつなげていく」アプローチをとります。

極端な例かもしれませんが、その典型例として、私がいま使っている「タイ語、ベトナム語共通ノート」を紹介します。これは、「ベトナム語の単語を新たに覚える時に、同じ意味の言葉をタイ語でも書いてみる、知らなければ辞書で調べてみる」という趣旨でつくっています。これにより、タイ語とベトナム語で共通する部分を見えやすくします (注.現時点ではベトナム語の語彙数が少ないので、ベトナム語からタイ語は何とかできても、その逆は難しいです)。

5言語、6言語、或はそれ以上できる人が、世界には結構います。彼らマルチリンガルが新たな言葉を覚える時、意識的または無意識的に、このような「共通部分をつなげる」アプローチを取っているはずと思います。

タイ語とベトナム語は、そんなに近い言葉とは思わないけど、英語、ドイツ語、オランダ語のように相互に近い言語同士なら、「2つか3つ、同時に覚え」てもいいんじゃないかなと思います。

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マルチリンガルになる方法‐各論編1)世界中の言葉をタダで学ぼう!

こんばんは、Manachanです。

語学系の連載ブログ日記「マルチリンガルになる方法」、いよいよ各論編ですね。今回は初級編、「片言レベル」になる方法について書きます。

 

このブログ読者の大多数は、日本語のネイティブだと思いますが・・・ちょっと想像してみましょう。もしあなたが外国人で、日本語知識が全くゼロの状態で、突然、来日することになったら、どうやって、言葉を覚えますか?

そして、横浜や千葉のはずれの方、ほぼ日本語しか通じない駅に、たった一人で降り立ったら、現地の人たちとどうやってコミュニケ―ションを取りますか?

 

私は世界5大陸を旅したバックパッカー、言葉が通じなくて不自由した経験を各国で死ぬほどたくさんしてきましたが、「最低限のサバイバル語彙」さえ学べば、食べ物を買ったり、トイレの場所を聞いたり、宿を取ったり、次の場所に移動する位はなんとかできます。それに必要なのは、

・「すみません」、「ありがとう」、「さようなら」など簡単な挨拶
自己紹介
・「いくら?」、「どこ?」、「何?」など、5W1Hを表す言葉
・1~100くらいまでの数字

 

以前は、「ポケット○○語会話」とか、「地球の歩き方の付録」みたいな、紙媒体しかありませんでした。でも、紙だと読んでて疲れるし、発音も正しくできないので現地で通じなかったりと、何かと不便でした。

でもネットが発達した今は、Youtubeで無料の語学ビデオがたくさん出ています。英語話者を対象にする日本語の教材だと、たとえばこんなものがあります。ビジュアルな映像で分かりやすいし、ネイティブが話すから正しい発音も覚えられて良いですね。

 

簡単な英語ができれば、この種の教材の探し方は簡単です。ネット接続して、ブラウザーを開いてGoogle等で、

Learn (言語名) in 3 minutes

と検索すればたいてい、出てきます。まず最初に、お隣の言葉・韓国語でやってみましょう。

 

Learn Korean in 3 minutes

Youtubeビデオが、ちゃんと出てきますよ~。

learnkorean

 

これを、中国語(Chinese)、フィリピン語(Filipino)、ベトナム語(Vietnamese)、タイ語(Thai)、インドネシア語(Indonesian)で換えて検索しても、同じ結果が出てきます。

chinesefilipinovietnamthai

 

ヨーロッパの言語名を入れてみても、同じシリーズが出てきます・・・これ、全部タダなんです。すごく便利な時代になりましたね。

european

 

よりマイナーな、中欧~東欧の言葉を学ぼうとすると、日本国内で書籍を見つけること自体が難しいですが、ネット社会のおかげで、今やどんな言葉でも、3秒で検索できてしまいます。費用もゼロ。

 

Veronicaさんから、チェコ語を習ってみよう

 

Joannaさんから、ポーランド語を習ってみよう

 

Evaさんから、ブルガリア語を習ってみよう。
(可愛いな。俺の家庭教師にしたいよ~)

 

この「3分で学ぶシリーズ」は優れもので、一通り聞けば、自己紹介、挨拶、1~100までの数、5W1H等、「最低限のサバイバル語彙」がほぼカバーできてしまいます。言語にもよっても違いますが、シリーズは5~8回。全部で30分もあれば十分。

私は電車の移動時間を利用して、この「3分で学ぶシリーズ」を、BGMとして聞いています。別に肩に力を入れて覚えようとはしてません。東欧の言葉を、仕事で使わなきゃならないプレッシャーは今のところないから…

(一方、タイ語、ベトナム語等、東南アジアの言葉は、今まじで、仕事で使わなくちゃならないため、学習モードで取り組んでます。詳しくは各論編2)で…)

 

私がなぜ、こんなことをしているかというと、

言語の知性やセンスを身につけるのに役に立つから…

 

言語の知性・センスとは、何か?

・各言語間の語彙・構造など、共通部分を見出して、コミュニケーションに活かす能力

・各言語に使われる多様な発音や声調を、聞き分ける能力

・各言語に使われる文字を識別する能力   等々…

 

たとえば、先に紹介した、「チェコ語」、「ポーランド語」、「ブルガリア語」を、一通り聞き比べてみましょう。それぞれの言葉が、かなり似ていることに気づくかと思います。特に「数字」などは、笑っちゃう位、ほとんど同じですよね。

また、どの言葉にも、男性名詞、女性名詞、中性名詞があり、名詞や動詞が語形変化したりと、基本的な構造がほぼ同じことにも気づくかと思います。もっとも、語彙は結構違いますけど…全体的にみて共通部分はかなり多い。

スロバキア語に至っては、基本構造どころか、語彙の多くがチェコ語と一緒じゃん、という印象。驚くほど似てますね。

 

もっとも、ヨーロッパの言葉が似た言葉ばかりとは限りません。例えばハンガリー語なんて、チェコやスロバキアのすぐ隣にあるのに、言葉はおそろしく違います。

 

Liviaさんから、ハンガリー語を習ってみよう。

(キレイですね~、健康美人という感じで。最近、一番ハマってるかも…)

 

あとフィンランド語とかも、他の北欧の言葉と全然違う。隣のスウェーデン語と聞き比べても、似てる部分がほぼ見いだせない。

Paulaさんから、フィンランド語を習ってみよう

 

上にみるように、世界中の各言語は、お互いに共通する部分もあり、そして違う部分も当然あります。

言語は生き物。長い歴史のなかで、隣接する言語同士が影響しあい、語彙を借りながら発達するものです。お互いに陸続きで距離が近ければ、気候風土や食生活が似通う分、語彙の面でもかなり共通するものです。また古代中国、古代インドみたいな大文明が栄えた地域では、周辺の諸言語が文明の中心地から多くの言葉や文字を借ります。日本語だって、中国生まれの漢字を借用して発達してきたわけですよね。

 

私たちマルチリンガルは、各言語の「共通部分」に、本能的に注目しますなぜなら、私たちは「外国語を一から学ぶ」というより、すでに知ってる言葉と、これから学ぶ言葉の共通部分を使ってコミュニケーションする」から・・・

言い換えれば、頭のなかに、いろんな言葉の要素(音や意味や文字)が、リレーショナル・データベースのようにお互いに関連付きで入っていて、それらを「つなげる」ことによって、新しい言葉を覚えたり、外国人と意思疎通するのです。

 

だから、

・片言レベルでも構わない。言語のレパートリーは、多ければ多いほどよい。

・たくさんの言語を知っていれば、意外なところで、役にたつはず。

というのが、私たちマルチリンガルの自然な感覚です。たとえばの話、

 

・チェコ語の「C」は英語の「C」と違って「ツ」という発音のようですが、中国語学習歴があるおかげで「中国語のC」と同じだと、すぐ理解できる。

・モンゴル語はロシア語と全く系統の違う言語ですが、同じキリル文字を使っています。以前、ロシアを旅した時にキリル文字を読めるようになっていたので、モンゴルに行くと看板がとりあえず読める。

「中国語の知識がチェコ語に役立つ」とか、「ロシア語の知識がモンゴル語に役立つ」というのは、意外かもしれませんが、マルチリンガル的には腑に落ちる話です。

 

ですので私たちは、

・「英語をマスターしてから、次の言語を学ぶ」みたいな考え方を、本能的に嫌います。

なぜなら、欧米圏には英語に近い言葉がたくさんあり、その知識が少しでもあれば英語学習の上でもシナジーが活かせると考えるからです。ですので日本人が英語だけ学んで、他の言語を禁欲的にまで学ばないというのは、マルチリンガルの感覚でいうと極めて効率悪い。

 

繰り返しになりますが、今は「タダで世界中の言語が学べる」時代。マルチリンガルにとってはむちゃくちゃ嬉しい時代ですし、読者の皆様も、世界中の言葉のビデオクリップを聞くことによって、マルチリンガル的なセンスが身につくかもしれません。

もし言葉に興味あればの話ですが、ビデオ聴くコストはゼロだし、使う時間もわずかで済むし、やらない理由はないと思いますけどね…

 

次回は、各論編2)。片言レベルを超えて、「とりあえず読める、書ける、タイプできる、ある程度聞き取れる・・・」使用レベル(習熟度30%)になるための学習方法について書きます。お楽しみに。

マルチリンガルになる方法‐各論編2)言葉を「使える」レベルにする

 

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マルチリンガルになる方法‐総論編

こんばんは、Manachanです。

最近、ブログ読者の方々や、不動産セミナーに参加された方々から、「どうやったら、外国語を覚えられるようになるのか?」、「良い学習方法を教えて欲しい」みたいな質問を受ける機会が増えてきました。

 

私は、「多言語話者」(マルチリンガル)の一人。国際結婚している関係で、我が家では常に日・英・中の3か国語が飛び交っておりますし、この三言語は仕事でも、ほぼ毎日使っています。

それ以外に、数年前は韓国語を仕事で使っていた時期がありますし、今ではタイ語やベトナム語を学校で学びつつ、数か月に一度は、現地の仕事で使っています。日本に居る時は、タイ語とベトナム語の宿題を同時並行でやったりします。

 

世界的にみて、マルチリンガルは決して珍しくありません。欧州のスイスやベルギー、東南アジアのマレーシア、シンガポールやフィリピンなど、多言語を日常的に使う社会が数多く存在し、特別な教育を受けなくても誰もが2言語、3言語使えるのが当たり前、という社会は結構多いからです。

ですが、私がいま暮らしている日本では、マルチリンガルは相当珍しい。特に、英語や中国語の能力はビジネスでのニーズも強く、市場価値も高い。私も自身の多言語能力に、これまでずいぶん助けられてきましたし、今でもそうです。

また、日本に限ったことはありませんが、仕事で英語・中国語を使う必要に迫られている方々も確実に増えており、忙しい業務をこなしながら外国語習得に苦労されている方々も少なくありません。外国語学習への関心が年々高まる昨今、私も貢献したい気持ちは十分あります。

 

私本人の主観でいうと、「苦労して外国語を覚える」感覚が全くないんですよね。日常的に多言語を使うのが当たり前な生活だし、これまで学んだことのない新しい言葉を学ぶ場合も、教科書・辞書首っ引きで一生懸命勉強するよりも、「生活のなかに新しい言語を取り入れて、身体で、自然に覚えてしまう」感じ。

たぶん、言語習得にあたって、マルチリンガルとして自然な、頭脳の使い方をしているのだと思います。だから常にEffortless(努力しない、骨が折れない)だし、それでも成果が上がるのです。

 

いまの日本で、誰もがそれを真似できるとは思いません。脳の構造や使い方は一人ひとり違うし、各人が置かれている言語環境も違うからです。とはいえ、私たちマルチリンガルが、

・どのような枠組で、語学力というものを捉え、
・どのような態度で、言語習得に取り組み
・どのような方法、テクニックを使っているのか?

これは、外国語習得を目指す誰にとっても有益だと考えますので、今回、私の頭のなかにあるものを文章にしてみますね。

 

そもそも語学力とは、何か?マルチリンガル的に実践的に定義してみると、初歩からネイティブに近いレベルの習熟まで、それぞれ異なる数段階のレベルから構成されていると思います。

例えば、ある言語のネイティブとして育ち、成人し、その言語で社会生活を営んでいる人間の習熟度を100%とすると、

 

・「片言」レベル(習熟度=5%、語彙数50~100前後)

基本的な挨拶、1から100までの数字、物を買う、場所を聞く等々・・・「最低限のサバイバル会話力」。

 

・「使用」レベル(習熟度=30%、語彙数500~1000前後)

いくつかのバリエーションの会話ができる他、簡単な文章を読んで理解し、簡単なエッセイを文章にできる。時間がかかっても文字をタイピングできる、「家を借りる」、「請求書の内容を確認する」等のコミュニケーションが何とかできる等々…「社会生活する上での最低限の言語力」。

 

・「習得」レベル(習熟度=80%、語彙数5000~10000以上)

読解、作文、聴解、いずれにおいても大学等の専門的学問や職業がこなせるレベル。専門的な内容の理解、同僚・上司との協働、顧客・得意先との会話のキャッチボールができる等々・・・「仕事するのに十分なビジネスレベルの言語力」。

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でもって、各レベルに達するための典型的な学習方法ですが、

 

「片言レベル」に達するには、フレーズブックとか、Youtubeなどにアップされている基本的な語学教材を聴く程度で十分。教科書、辞書などは特に必要ない段階。

「使用レベル」に達するには、ある程度の語彙量のほか、文字も読めなくちゃならないし、文法・語法の理解も必要。教科書や辞書はほぼ不可欠になります。独学でもできますが、学校等に行ってネイティブの先生に習った方が効率良いでしょう。

「習得レベル」に達するには、その言語を日常的に使う仕事や専門学習など、「場数」がモノをいう世界になります。大学生、会社員、経営者など、自分自身がある社会的立場に立ち、それをわきまえて適切な言葉を使う「経験」が必要なので、座学での習得は難しいレベルになります。

 

上記のフレームワークでいうと、私の場合、`

習得レベル以上(仕事で使える)・・・日本語、英語、中国語の3言語

使用レベル以上・・・日本語、英語、中国語、韓国語、タイ語の5言語

 

私は、「使用レベル」を達成すれば、「~語ができる」と言って差支えないと考えますので、人々には「自分は5ヶ国語できる」とお伝えしています。今年後半には、現在学習中の「ベトナム語」も使用レベルになり、「6か国語できる」状態になるはずです。

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私があと何年生きるか分かりませんが、平均寿命通り70~80年生きられて、かつ、ビジネスの上で、いろんな言語を学ぶ必要性に迫られれば、死ぬまでに「20か国語」くらいはできるようになると思います。少なくとも、今後数年、タイ語、ベトナム語以外の東南アジア言語、インドネシア語とかビルマ語とかクメール語とかは、多分「やらなきゃならない」と思うので、それだけで「10ヶ国語」はほぼ確定ですね。

ただ、私が明日にでも交通事故等で死ぬ可能性はゼロではないので、多言語学習の方法論やアプローチだけは、早めに皆さんにお伝えしなくちゃと思っています。

 

次回以降は、「各論編」を、3回にわけてお届けする予定です。お楽しみに。

各論編1)…「全くのゼロ」から、「片言」レベル(習熟度5%)まで、いかに学習するか?

各論編2)…「片言」レベルから、「使用」レベル(習熟度30%)まで、いかに学習するか?

各論編3)…「使用」レベルから、「習得」レベル(習熟度80%)まで、いかに学習するか?

 

各論編1)へ続く、

マルチリンガルになる方法‐各論編1)世界中の言葉をタダで学ぼう!

 

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マルチリンガル(多言語話者)からみえる世界

おはようございます。Manachanです。今日の日記は、久々の語学ねたで。

私が住む東京は、日本国ではピカイチの国際都市。23区では外国人が住民全体の4~5%を占めますが、それでも、言語環境的には日本語が支配的な世界です。東京に住み、働き、子育てするとなると、実際問題、日本語の読み書き会話ができないとかなり不便。英語ネイティブでさえ、東京暮らしが長くなれば、多くは必要に迫られて、日本語を学ぶことになります。

そして、日本で生まれ育ち、日本以外の国で暮らしたことのない人の大部分は、実用的な意味では「日本語オンリー」の「モノリンガル」(単一言語話者)です。

 

そんな日本国・東京にあって、私は珍しく、日々、複数の言語を使う「マルチリンガル」な環境に身を置いています。私は国際結婚しており、家に帰れば、日本語、英語、中国語(北京語)が飛び交います。私と妻は中国語で、私と子供たちは日本語で、妻と子供たちは英語で、それぞれ会話するからです。我が家では毎朝、オーストラリアにある妻の実家とスカイプでつないで話しますが、そこでの会話は英語と中国語。私も妻も、二人の子供たちも、誰もが複数言語を使い、相手によって使う言語を変えて話します。

外に出れば、日本語はもちろん、英語も中国語も、仕事で毎日使います。その他、仕事の必要に応じて、新たな言語を学んでいます。かつては韓国語、今はタイ語とベトナム語です。毎週、東京・飯田橋にあるアジア系語学学校に通い、「タイ語中級」と「ベトナム語初級」クラスにいますが、先週、こんなことがありました。

学校の受付にいるのは、普段は日本人なのですが、今回だけなぜか、タイ語の先生が受付に座っていました。この先生は日本語できますが、「タイ語中級クラス」の生徒にはタイ語しか使わないので、会話は当然「タイ語のみ」になります。でも、私が今回行くのは「ベトナム語初級」教室。

ベトナム語教室に入るまで、ずっとタイ語で話していたので、私の頭のなかはタイ語モード。クラスが始まっても、ベトナム語の単語ではなくタイ語が出てきてしまう。しかも、隣のクラスで「タイ語」や「韓国語」をやってて、その音声が漏れ聞こえてくる。私の耳はどうしても、「タイ語」や「韓国語」を拾ってしまい、ベトナム語の単語が出てこない。頭をベトナム語モードに切り替えるまで、15分くらいかかってしまった・・・

 

日々、そんな暮らしを送っている「TOKYOマルチリンガル」な私からみると、この国の大部分を占める「モノリンガル」な方々の発想が、良くも悪くも、不思議だなあと感じることが多々あります。たとえば、

 

1)大金かけて子供を英語の幼稚園・小学校に通わせるのは、なぜ?

都内では近年、「バイリンガル幼稚園」、「バイリンガル小学校」をウリにする、学校と英会話教室を兼ねたような教育施設が増えています。学費は結構な金額で、幼稚園の場合、私の知る限り月謝は最低8万円から・・の世界。

日本国内では英語環境そのものが貴重。家庭内で日本語の環境しかない親が、せめて「子供には英語を」と思い、お金をかける気持ちはよく分かりますが、日常生活自体がマルチリンガルな私からみると、「英語環境」は「身の回りに、当たり前にあるもの」で、水や空気のように自然なもの。そこにお金をかけようという発想にはなりません。

地方出身で、「アパート借りると駐車場がついてくるのが当たり前」な環境で育った人が、東京に来て、「駐車場だけで月3万円以上かかるのに驚く」に近い感覚かもしれませんね。

 

2)「Manachanは語学の天才だから・・・」と言われるのは、なぜ?

私が複数言語を使いこなすことは、日本語モノリンガルの方々からみれば、「特殊能力」に見えるのかもしれません。いろんな場面で、「Manachanは語学の天才だから…」と言われます。言外には、「俺は天才じゃない、フツーの日本人だから、日本語だけでOKよ」みたいな意味が込められています。

確かに、複数言語を実用で使えることは紛れもない「スキル」ですが、私自身に特殊能力が備わっていて、平均的な人より格段に早く外国語を覚えられる、ということではない気がします。それより、「普段、複数言語を使う環境で暮らしている」という「環境要因」の方が大きい気がします。

世界には、日本や中国、英語圏のような「比較的モノリンガルな社会」がある一方で、欧州の小国、フィリピン、マレーシア、シンガポールのような「マルチリンガルな社会」もたくさんあります。後者の国々では、多くの人が当たり前に複数言語を使いこなすので、一般の日本人からみると「すげー!」と思ってしまいますが、それは特殊能力なんじゃなくて、生活の必要に迫られて日常的に複数言語を使っているからできるわけです。語学習得は能力というより、経験。要は「場数を踏む」ことによって身につくものです。

 

3)「通訳、翻訳、翻訳機を使えばいいじゃん!」と安易に考えるのは、なぜ?

モノリンガル日本人のなかには、外国語(特に英語)学習に興味・関心のある方と、関心が乏しい方の両方がいます。後者の方々になるほど、「外国人とコミュニケーションする時、自分が外国語できなくても、おカネかけて通訳・翻訳を雇えばいいじゃん」あるいは、「あと5年もすれば、Googleが翻訳機をつくってくれるから、それ使えば世界中どこでも一発でOKじゃん!」という発想になりがち。

でも、マルチリンガルの私から言わせれば、彼らの通訳・翻訳者、翻訳機に対する大きな期待は、結局、失望に変わるのではないかと思います。なぜなら、彼らの発想には、「マルチリンガルの能力を使って、モノリンガルが満足するレベルの仕事をさせる」という前提があるわけですが、

私を含めて、マルチリンガルの言葉の使い方って、往々にして、モノリンガルのような厳密さには欠けるんです。極めて実用重視で、「100%正確じゃなくても、要は、意味が通じればいいじゃん」と割り切って考えることが多いし、「行間を読む」みたいなことは往々にして苦手だし、面倒臭い。通訳・翻訳に対する、モノリンガルの期待値が100とすれば、たぶん我々マルチリンガルは60~70%しか満足させることができないんじゃないかな(それができる、プロの翻訳・通訳者の方もいますけど・・・)。

Googleが多言語翻訳機を開発するにしても、そこで使われるのは結局、我々マルチリンガルの言語能力や知識。でもって、我々の発想自体が「大づかみ」で「実用重視」なので、翻訳精度の点で、「マルチリンガルの頭脳を大きく超える」ものは、たぶん出てこないと思う。したがって、「日本語しかできない人」が、「日本人同士で行っているレベルの会話」を、「外国人との間でも期待通りにできるようになる」ことを、翻訳機に期待することは当面無理だと思います。

逆に、私たちマルチリンガルの発想は、「自分が外国語能力ゼロのまま、翻訳者・通訳者にコミュニケーションの全てを委ねてしまうのは恐ろしい」と考えます。物見遊山ならいいけど、ビジネスをするなら、少なくとも相手の言ってることがある程度分かるようにならないと不安で仕方がない。その不安を感じる位なら、時間とお金をかけて言葉を学んだ方が早いと考えるのです。

 

4)「英語ができるようになってから、次の外国語」と考えるのは、なぜ?

近年、海外(特にアジア圏)で仕事をする日本人が増え、彼らの語学習得に対する意識は高まっています。それは喜ばしいことですが、多くの人が、「まず英語ができるようになってから、次の外国語(中国語や、東南アジアの言葉)」と言います。アジア圏の多くの国で、ビジネス共通語は結局英語なのでその気持ちは分かりますが、マルチリンガルの私からすると、「もう少し、柔軟な考え方してもいいんじゃいかな~」と思ったりします。

なぜなら、アジア圏には、日本人にとって、英語よりずっと習得簡単な言語がたくさんあるのです。韓国語がその筆頭だと思いますが、その他、インドネシア語(≒マレー語)、中国語、ベトナム語なども、少なくとも英語に比べれば短期間に習得できると感じます。必要に応じて、そちらの言語を先行させてもいいし、英語と並行してもいいし・・・比較的習得簡単な言葉からスタートすることで、外国語学習が楽しくなったりする効果は、やり方によっては確かにあると思うのです。

 

以上、東京に住む圧倒的少数派マルチリンガルの「ぼやき」でした。

 

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マルチリンガルになるには?

こんばんはManachanです。今回は、語学ねたで書きますね。

私は仕事の都合もあり、今年3月からタイ語を学びはじめ、10月からベトナム語も学んでいます(タイ語学習も中断せず継続中…)。

 

ベトナム語をはじめて感じたことは…タイ語との比較でいうと、

・タイ語はタイ文字、ベトナム語はアルファベット表記だから、後者の方がビジュアルに覚えやすく、頭に残りやすい。

・だから、ベトナム語の授業を受けた後、タイ語をきれいさっぱり忘れてしまいやすい。

 

タイ語学習をはじめて7か月。ベトナム語はまだ1か月だから、タイ語の語彙の方がずっと多いはずなのですが、ベトナム語の単語を覚えた途端、タイ語の記憶が消え、ベトナム語に置き換わってしまう気がするのです。

たとえば「雨が降る」は、ベトナム語でmưa。タイ語でฝนตก(Fon Tok)といいますが、mưaが頭に入るとฝนตกを思い出せなくなったり、あるいはタイ語でฝนตกと言おうとしてベトナム語のmưaが出てきたりするのです。

 

これではまずいと思い、学習方法を変えました。

・ベトナム語の単語とタイ語の単語を一緒に覚える

・ベトナム語の作文とタイ語の作文を一緒にやる (同じ内容の作文を、タイ語、ベトナム語の2バージョンつくる)

「二言語同時学習」、私オリジナルの方法ですが、結構気に入っています。まずタイ語の単語を忘れなくなったし、それに、ベトナム語とタイ語の似ている点、違う点、文章の構成の仕方…等々を「見える化」して、パターン認識できるからです。「2倍の時間をかけて効果3倍」を得ている感覚ですね。

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私、語学の学習は、「Aをとるか、Bをとるか?」ではなく、「AもBも両方」が十分可能だと考えます。語学学習への興味が持続すればの話ですが、私たちの脳は、やる気になれば何十か国語を格納できるキャパを持っているはずです。

そこまでいかなくとも、一つの事物に複数の言葉を当てはめて認識することは、日本語の世界でも当たり前に行われています。たとえば「ご飯」と「メシ」、「お尻」と「ケツ」が同じ意味なんて、誰もが知ってることですよね。また地方出身者が東京に来て暮らすと、地元の言葉と東京の言葉と、二つセットで覚えたりします。例えば北関東出身者の場合、「だいじ」と「だいじょうぶ」、「青なじみ」と「青あざ」が同じ意味だと認識するわけです。こういう概念操作を外国語まで延長すると、「バイリンガル、マルチリンガル」への道が開けてきます。

 

日本ではまだ少ないかもしれませんが、世界には3言語以上話す「マルチリンガル」の人がたくさんいます。アジアでいうと、たとえばフィリピン・セブ島の人は、母語が「セブ語」、学校で国の公用語「タガログ語」と、ビジネス共通語の「英語」を習い、普通の大人なら当たり前に3言語を話します。マレーシアの華僑とかも、「英語+北京語+マレー語」のマルチリンガルが当たり前で、彼らが来日して日本語をマスターすると4言語目になったりします。

彼らをみていると、複数言語を使う社会環境もさることながら、頭の使い方が「マルチリンガル的」、つまり、多言語習得のために最適化されているように感じるのです。

以前、フィリピンのセブ島に滞在していた時のこと・・現地の15歳くらいの女の子が、5歳くらいの女の子の世話している時、「この言葉は、セブ語では○○、タガログ語では○○、英語では○○」と教えてあげてるんです。つまり、いま私がやってるような「多言語同時学習」を、子供の時から日常生活のなかで当たり前にやっているのです。

 

そういう世界を見てくると、こういう疑問も湧いてきます。

・外国語を学ぶ際、その言語のネイティブから学ぶのが果たしてベストなんだろうか?

・たとえネイティブじゃなくても何言語もできるマルチリンガルから数か国語同時に学んだ方が効率良いのではないだろうか?

 

たとえばの話、私はいまタイ人のネイティブからタイ語、ベトナム人のネイティブからベトナム語を、それぞれ教わっています。普通の語学学習のやり方ですね。

ですが、もしタイとベトナムの間にあるカンボジアやラオス出身で、タイ語もベトナム語も堪能な先生がいたら、その先生から学べないだろうか?

 

ま、普通考えて、そんな先生は滅多にいないと思いますが・・・でも前に述べたように、マルチリンガルの人はマルチリンガルな脳の使い方をして、センスよく多言語を覚えていくので、自分がマルチリンガルになりたいのなら、そういう人から学ぶのが良いと思います。

 

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日本語は特殊なのか?

こんばんは、Manachanです。今回のブログは「言語」の話題でいきますね。

Huffington Postで、最近こんな記事を読みました。「やっぱり奥が深かった。日本にしかない素敵な5つの言葉

「わびさび」、「初心」、「もったいない」等…日本語の印象深い言葉を紹介する記事です。これらの言葉を作者が「素敵」だと思うのは結構なのですが、「日本にしかない」、「世界の言葉ではいい表せない」、「海外の言葉に訳せない」と、本人が根拠なしに思い込んでいるところが気になり、「日本で数少ない、言語学習オタクの不動産投資家」として、一言、コメントしたくなりました。

日本人が書く、「日本語特殊論」、「日本文化特殊論」の類の文章は、昔も今も、よくあります。地球上のあらゆる文化や言語は「固有」で「ユニーク」な面があると同時に、他の文化・言語と共通する部分も必ずあるはずなので、「ひとり日本だけが特殊」という言説は、一般論としては無理があります。

たいていの場合、「日本と比較する対象が偏っている」(例.欧米と日本だけ比較して、東アジアと比較しない)とか、「文化・言語のごく一部の側面だけ切り取って比較する」…そんな文脈のなかで限定的に成立する「日本=特殊」論なので、学問的な正確さとは無縁。むしろ、「日本を特殊な(他に比類ない)ものだと思いたい」という作者の願望が生み出す、珍説奇説の類だと思います。

 

では、学問的な視点から、日本語が世界の言語のなかで特殊な存在かというと…データをどう分析してもそういう結論になりそうにありません。まず、日本語の構造や音素からいうと、

・基本語順が「SOV型」(主語+目的語+動詞の順)…これは、世界の言語の45%を占める、一番ありふれたタイプです。

・「膠着語」(「私、○○する」みたいに、単語に接頭辞や接尾辞を付着させることで、その文の中での文法関係を示す)…これは、ユーラシア大陸のほぼ北半分に分布する「ウラル・アルタイ語族」に共通の特徴で、エスペラントにも採用されています。珍しいとはいえません。

・「母音の数が5」…世界の言語でみると平均的な数で、出現率が最も高い。英語(母音が13ある)の方が却って珍しいです。

・「子音の数が14」…世界の言語でみると「平均よりやや少ない」。数でいえば二番目に多いグループに属します。

 

次に、文字や語彙をみてみましょう。

・「漢字を使う」…これは、東アジア特有の文字体系。いま漢字を使っている社会は中国(台湾、香港を含む)、日本、韓国だけですが、中国が含まれるので使用者数が半端なく多い。地球人類の2割強が使っている文字を特殊とはいえない。

・「借用語(漢語)が多い」…日本語の語彙の約6割が漢語起源とされますが、これに関しては韓国語とベトナム語もほぼ同じ状況。日本語は「東アジアCJKV(China, Japan, Korea, Vietnam)グループを構成する一言語」といえます。

・「カタカナ語(英語由来の外来語)が多い」…とこれは日本語だけでなく英米圏の影響を受けている世界中の言語に共通する特徴です。私が習った範囲でいうと、タイ語や韓国語も日本語に負けず劣らず英語由来の言葉が多い。

 

あえて、日本語が珍しいと思える要素を挙げると、

・「文字が漢字、ひらがな、カタカナの三種類ある」

・「日本固有の語彙を漢字で表記する”訓読み”を発明している」(韓国語、ベトナム語にはない)

・・・それ位でしょうか。ただこれだけをもって、日本語が世界的に特殊だというのは無理があるでしょう。

 

あと、前出の記事に出ていた、日本語の「わび・さび」、「もったいない」、「初心」、「切ない」、「豊富な一人称」が、本当に日本語固有の概念であり、外国語に翻訳不可能なのでしょうか?

思うに、「切ない」に似た気持ちを表す言葉は、たいていの言語にあるのではないでしょうか?また「一人称」の語彙は、敬語や家族呼称の発達したアジアの言語では大抵豊富。たとえば、中国のいろんな地方で話されている一人称の語彙を集めれば、たぶん日本語のそれを凌駕するでしょう。

「わび・さび」、「もったいない」のようなコアな語彙にせよ、日本語が世界中の多くの人に学ばれていけば、そのコンセプトがいろんな文化に移植されます。日本語は辺境の言語ではありません。非母語圏の学習者数でいえば、日本語は世界第7位、約400万人に学ばれている言語です。「わび・さび」、「もったいない」なんて、日本語を学んだ世界中の外国人がすでに使ってますよ。

 

そろそろ、まとめます・・・日本語は特殊な言語なのでしょうか?

・日本語と他の言語を、同じ土俵でフラットに比較する限り、特殊な言語とはいえない。他の多くの言語と共通点を持つ「人類の言葉の一種」であり、より正確にいえば「東アジアCJKVグループを構成する一言語」である。

 

最後に、言語に限らず、日本と外国とを同じ尺度で比較する視座って、海外でビジネス・投資する上でとても大事、というか不可欠だと思います。

たとえばの話、そういう視点がないと、前出「日本語特殊論」と同じになっちゃう。つまり、「日本とそれ以外」という区別しかできず、たとえば「日本に地震放射能の問題があるから、とっとと海外に出る」みたいな結論に飛びついちゃう・・・

日本と同じ尺度で比べた時、海外にはどんなリスクがあって、日本と比べてどうなのか…データに基づく冷静な判断を、常にできるようになりたいものです。

 

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