今回は、私の生い立ちからはじまって、いまの日本、特に地方がオワコンと言われる理由と、そのオワコンな場所でこそイノベーションが生まれ 、次の時代を担う産業やライフスタイルが生まれるかもしれないという、夢物語のような、でも少しは現実味があるような話をいたします。
私は今から55年前、千葉県の柏市で生まれました。柏は東京近郊のベッドタウン。都内へ直結する鉄道駅の徒歩圏は完全に通勤圏となり、サラリーマンや家族が住む戸建住宅が並び、商業施設も多くて賑やかですが、駅から離れると途端に田舎っぽいクルマ社会になる場所です。私の育った家を出て、左の方向へ歩けば、それは柏駅を通じて大都会東京へ続く道。そして右の方向へ歩けば、それは茨城とか成田など、田舎の方へ続く道です。そんな柏で育ったことで、都会人間と田舎人間という、二つの人格が私のなかで共存することになりました。人間の脳みそには右脳と左脳がありますが、都会人間としての私を司るのは左脳で、田舎人間としての私を司るのは右脳、みたいな感じですね。
そんな私が大人になって、東京で就職するわけですが、都内の職場から柏市内の我が家に帰ってくるまでは、左脳がフル回転してバリバリのビジネスマンを演じる都会人間モードが作動しています。でも我が家から車に乗り、田畑や森をこえて成田空港や茨城方面に向かうと、左脳がシャットダウンして田舎人間モードになるのです。いきなり緊張感がとけて、チバラギ土着農耕民族の血が丸出しになり、時速40キロ制限の道を70キロで走りつつ、車内で音楽かけて大声で歌ったり、田舎道で変なヤンキー車に煽られたりするわけです。
私は55歳になりましたが、都会人間としての私はさらにパワーアップしました。毎月のように海外出張して、数か国語を操り、世界を舞台にがっつりビジネスして稼げるグローバル人材になりました。昨年はポルトガルで、今年はドバイで、国際不動産イベントでこの通り、2年連続で表彰されています。
そして、田舎人間としての私も健在です。柏の実家から成田空港をこえて車で1時間、千葉県香取市という田舎で390坪の土地付き古家を買い、今はゲストハウスとして再生工事中です。香取周辺に居る時は、都会人間の香りをちらつかせつつも、基本的には田舎人間モードの顔も見せないと地元に受け入れてもらえません。相手がチバラギ弁で「ごじゃっぺ」とか「でれすけ」とか言っても自然体で対応しなくちゃなりません。
香取のような田舎での不動産取引は、すごく金額が低いです。東京都心と比べると、桁が2つくらい少ないです。たとえば、香取市みずほ台という、あと10年もすれば限界集落チックになりそうな古い住宅地がありますが、そこで取引される土地は50坪300万円みたいなものばっかりです。ゲストハウスにできそうな古家が売りに出る時は、こんな会話になります。「いま480万円で売りに出てるけどさ、高いよね~。200万円に値切ってみようか」みたいなセコイ金額の会話をしてるわけです。
そんな時に限って私の携帯が鳴って、東京都心で手掛けてる不動産売買の話になるわけですが、「赤坂御所の近くの区分マンション1億7500万円満額で成約しました!」とか、「五反田の土地付き一棟マンション4億円で買い付け入った!」みたいな景気の良い話が続出するわけです。それを聞いてる香取地元の人は、口をあんぐりして驚いてるわけです。
東京様では桁が二つも違う不動産がバンバン売れてるのを聞いて、まるで別の惑星の出来事のように感じてるのかもしれません。そんな東京都心話をしてる時の私はもちろん、都会人間モード全開になっております。
しかし、そんな東京でさえ、世界経済の一翼を担う都市ではあっても、中心地とは言い難い。世界経済の中心はあくまでアメリカ、英語圏、米ドル世界です。金融はニューヨークが中心、テックはやや衰えたとはいえシリコンバレーが中心、アメリカ内需系の産業はテキサス州に集まり、世界中の金と人材を引き寄せ、企業セクターは巨額な利益を出します。株式時価総額の半分がアメリカ一国で実現されています。そんなアメリカで巨大なお金を動かしてるビジネスマンからみると、日本はもちろん、ヨーロッパでさえ、ある意味、オワコンに見えるのかもしれません。
私は都会人間としての一面を持っているので、その世界観が理解できます。なぜ日本がオワコンだと言われるのか?それはね…たとえばの話、日本の政治家で一番お金持ちな麻生太郎さんファミリーから、一千億円を運用してくれ、殖やしてくれと頼まれた場合、その資金の置き場は、誰がどう考えても、やはり半分くらいはアメリカになるわけですよ。日本で、一千億円を安全に殖やす投資対象を探せといわれても、企業や不動産の収益性や伸びしろの面からみても、結構難易度が高い。結局、日本に置く分は5%とか7%くらいになっちゃう。さらに言うと、日本に投資する金額のうち、大部分は東京になってしまう、他の地域では大きな運用できるマーケットさえない、という判断になりがちです。そういうマクロなグローバル金融の視点、超でかい金額を動かす仕事をしている人からみると、日本はオワコンにみえるかもしれない。さらに日本のなかで、東京からみると地方はオワコンにみえるかもしれない。そんな世界観は確かに存在するわけです。
でも幸か不幸か、私には都会人間と田舎人間という二面性があります。チバラギ田舎人間として、関東人として、日本人としての土着の血からいわせていただくと、日本はオワコンじゃない、少なくともオワコンだと言うのは一面的・・・いや、ここはチバラギ弁で言った方が適切ですね。「おめ変な都会風ふかしてるんじゃねーよ、このごじゃっぺやろが!」。
でもチバラギ弁は俺らの感情を表すには適した言語ではあっても、論理的に、なぜ日本オワコン説が一面的なのかを説明するには不向きですので、標準語で言いますね。確かに現実をみると、千葉県香取市の田舎と東京都心とで、不動産取引の金額はゼロが2つ違います。アメリカ様のファンドが買う大型商業物件と比べると、ゼロが3つ違うかもしれません。グローバル金融の人からみて、ゼロが3つも少ない世界でチマチマとセコイ商売やってる私の真似なんか、利幅が薄すぎてやってられません。言い換えれば、できません。そう、彼らにはできないんです。言い換えれば、人口が減り続ける、課題先進国日本の田舎で新しいビジネスを起こすという、彼らにはできない泥臭いことを俺たちは今やっているんです。私にいわせれば、「アメリカ様と大都市とグローバル金融しか知らないお前らに、俺らの真似はできねーんだよ」。その気持ちが、そして俺らの故郷チバラギを、母国を、俺らのやり方で何とか復興したい執念が、日本オワコン説を強烈に否定する動機になっているんですね。
それで、ここからが本番です。世界に先駆けて少子高齢化が進み、毎年、60万人が減り続ける日本の国、それでも東京に居たら、人間が毎年減っていくリアリティは実感できないでしょう。それは田舎でこそ、リアルに実感できることです。いま、田舎は社会課題のオンパレードです。磨けば素晴らしい価値のある美しい農村住宅が、高齢化でどんどん空家になっていく。それを民泊ゲストハウスに再生することはできるし、外国人観光客はむちゃ喜ぶ。田んぼにヘリポートつくって遊覧飛行すればお金がいくらでも落ちる。でも地域にお金を出す人が居ない。そして若い人が居ない。清掃やリネン替え、観光客の送迎をやるマンパワーがない。タクシー会社はあっても運転手はみんな60代70代・・・そんな感じで、切実に課題だらけ、残念なことだらけです。
田舎には、都会の人と、都会のお金を導入しなくてはならない。そして、地域社会や伝統とのハーモニーを守ってもらう必要もある。そんな奇特な人に来てもらうために、地域環境整備をしなくちゃならない。情報発信も必要。つまるところ、市長はじめ政治のリーダーシップも必要、というわけです。でも、田舎の仕事やってて思うことは、最近明るい兆しが出てきてることです。
このままじゃいけないという危機感が強いほど、田舎の自治体に質の良いリーダーが生まれるんです。私が直接見聞する範囲でいうと、数年前、田舎の市長といえば古臭い地元地域社会の人間ばかりでしたが、コロナ禍を経たいま、大学を出てたり、海外生活経験があったり、他所者だったりと、都会の感覚を持つ市長が田舎に続々と生まれているんです。そんな市長と、地域社会、我々ビジネス側がコラボして、たとえば国内外の観光客や大学生や子供たちに地域のブランド農産物や伝統工芸品をつくる体験をしてもらったり、それを世界中にプロモーションして利益を分け合ったりもできるし、うまく産業化できれば都会の30代40代の子育て世代を呼び込んで、子供たちの元気な声を過疎地に響かせたり、その体験を全国にシェアしたり、あるいは日本以上のペースで少子高齢化が進む韓国や中国にもシェアしてお互い学びあったり、みたいなことができるかもしれない。そこで生まれるものは、心の通い合うエコシステム、都会と田舎がうまく共存し、人間と自然の営みが響きあう永続可能なコミュニティ・・・といったイメージになります。
それこそがイノベーションではないでしょうか・そう、必要は発明の母。そして、オワコンはイノベーションの母です。グローバル金融資本にはできない、他所の富を収奪する発想からは生まれないイノベーションを、私は、日本の田舎を舞台に次々と仕掛けたい。そして、日本はイノベーションが起こせる国だということを、 私 は誰よりも信じています。
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