人には故郷が必要

おはようございます、Manachanです。

海外不動産投資のセミナーや懇親会で、私、こんなことを良く聞かれます。

「鈴木さんは、今後、どちらの国に住むんですか?」

「家族連れて、海外雄飛されるんですか?」

そういえば、昨今、不動産投資の世界では、「日本で家賃収入を得て、サラリーマンを卒業、暖かい東南アジアへ家族で移住、セミリタイア」の類のブログ、コラムが増えています。定番のハワイ、オーストラリアのみならず、最近はマレーシアやタイ、フィリピンのセブ島とか、特に人気ですよね。

ただ、私の場合、海外移住なるものを、今から10年以上前に、経験してしまいました。

当時の私、家賃収入でセミリタイアとか、そんな優雅な身分じゃなかった。とにかく、お金ないから、オーストラリアに移住した翌日から就職活動をはじめ、十数社落とされて、3ヵ月後、自宅から片道1時間半もかかる会社に採用して(拾って)いただいた。就職後1~2年は英語のコミュニケーションで苦労した・・・生活するのに精一杯でしたが、楽しかったですよ。日々、「アウェーで戦っている。それでも俺は生きている!」感で、心は満たされていました。

そんな体験を長年してしまったので、「今さら、海外移住ねえ…」、正直、心ときめく魅力は余り感じません。

とはいえ、「これからずっと、日本(東京)に腰を落ち着ける」と、決めてるわけでもないんですよ。面白いビジネスがあれば、それこそアフリカでも南太平洋でも、地の果てでも、行くのはやぶさかじゃないし、実際、自分は世界中どこでも生きていけると思ってる。不惑の歳を過ぎても、私のフットワークは、相変わらず軽い。

しかし、私も妻子ある身。自分だけの人生じゃないから、その辺も考えなくちゃならないよねえ。でもって、家族のことを考えると、今後当面は、日本で頑張らなきゃと思っています。

特にうちの子供たちは、国際結婚家庭に生まれたバイリンガルキッズ。これまで、日本、オーストラリアを転々としていた暮らしをしてきたからか、「故郷」を心の底から欲しているフシがある。

「私は、日本人なの?英語人(オーストラリア人)なの?」

「私のHome(故郷、地元)は、日本なの?オーストラリアなの?」

それが定まらないと、どこかしら、不安なようです。生まれてからずっと日本で、日本人の両親に育てられた子供にはないタイプの問題かと思います。

しかも、うちの子は、「いま住んでいる東京・東陽町を、自分を故郷にしたい」のが本音のようです。最近も、こんなやりとりがありました。

「ソフィアちゃん・・・代々木とか、世田谷とかに、引っ越してみたいと思う?」 (※代々木・・英語補修校、世田谷=英語劇サークルの場所)
「いやだ!東陽町がいい」

「だったら・・・パパの事務所のある、五反田の近くとかはどう?」
「やっぱり、東陽町がいい」

「じゃ、おばあちゃん家のある柏はどう?」
「東陽町の方がいい!」

うちの娘ソフィアは8歳、息子ポニーは5歳。この先、いくつになれば、彼らの故郷が確立するのか知りませんけど、間違いなく、今後数年はかかるでしょうから、それまでは東京に留まった方が良いかと。

その辺、親がしっかりサポートしてあげないと、「アイデンティティ・クライシス」を招きかねないからねえ。

よく考えれば、私だって、「柏」という、いつでも帰れる「自分の故郷」があるからこそ、安心して、世界中、飛びまわれるのかもしれない。

それがないと、人は、「故郷」を捜し求めるのかもしれませんね。

故郷・東陽町(東京都江東区)

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強烈韓国体験

こんばんは、Manachanです。

福岡への日帰り出張講演から帰ってきました。いつもながら、素晴らしいセミナーと、懇親会でした。また行きたいな・・・いや、来週土曜日にまた行くんだった。九州の皆さん、また会いましょう。

4/19(土) フィリピン・マニラ不動産セミナー@福岡

福岡で、投資家の皆さんと懇親会やって、はっと気がつくのは、「韓国との距離感の近さ」。福岡空港から、東南アジアやインド方面に行くのに、皆、ソウルのインチョン空港での乗り継ぎを使うんですよね。

福岡空港、地方空港としてはかなり頑張っている方ですが、それでも、成田や関空に比べると、国際線のバラエティは少ない。福岡から直行便で行ける海外の都市は限られるし、それに競争もないから運賃も総じて高い。そこで、

福岡⇒ソウル(インチョン)⇒世界各地へ

の乗継が大活躍。福岡からだと、東京行くよりソウルの方が近いんだもんね。

あと、福岡~プサン間は、JR九州の高速船が2時間55分で結んでいるから、福岡勤務のOLも、「ちょっとそこまで」感覚でプサン行って、免税品とか化粧品とか買いまくって帰る、みたいな旅行も多いですね。日本の他都市ではできないタイプの海外旅行。

東京からだと、直線距離で1000km余り、でも福岡からだとわずか220km(プサンまで・・・)。そんな「お隣の国」韓国ですが、

ソウルオリンピックの頃は、「近くて遠い外国」と呼ばれていました。

その後、時代が下り、韓流ドラマ最盛期になると、文字通り、「近くて近い外国」でした。

今では、日韓関係も冷え込み、再び、「近くて遠い外国」に逆戻りの感があります。

両国の物理的な距離が近いことは誰も否定しませんが、心理的な距離は、世の中の「空気」に思い切り左右されますよね。

しかし、世間がどう思おうと、私にとっては、韓国は永遠に、「身近でフレンドリーな外国」です。

私が19歳、大学2年の時は、ソウルオリンピックが開催されましたが、その年、初めて韓国を一人旅して、とても強烈な体験をしました。良い意味で・・・

旅行のコースは、こんな感じ・・・決して広くはない韓国の国土を、南から北へ、西から東へ、23泊24日も渡り歩くという、奇特な旅でした。

当時、日本における韓国イメージは、「近くて遠い外国」・・・当然ながら、「韓国行って、大丈夫?反日感情とかあるんじゃないの?」と心配する人もたくさんいました。私も、生まれて初めての韓国旅行、しかも一人旅。緊張が、なかったわけじゃありません。

しかし、下関からフェリーに乗って、韓国プサンの土を踏んだ瞬間、「反日感情懸念」など、たちまち、雲散霧消してしまいました。

旅先で会った、韓国の人たちは、見ず知らずの外国人である私を、快く、自分の家に泊めてくれたのです!

・最初は、プサン(釜山)。大学寮を経営する、おばちゃんと知り合い、なんとなく、意気投合して、「あんた、泊まってきなさいよ!」みたいなノリになって、結局、3泊も泊めていただきました。

・次に訪れた、韓国の古都キョンジュ(慶州)。名刹・仏国寺で、東国大学の学生と知り合って、片言の英語で話しながら、なんとなく意気投合。「俺の下宿、小さいけど泊まっていきなよ!」みたいなことになって、結局、そこで2泊しました。

・次に訪れたのが、韓国第三の大都市テグ(大邱)。バス乗り間違えて、知らない土地に来てしまった。しかも、すごい大雨。近くにあったオフィスの門を叩き、片言の韓国語で「傘貸してください」と頼んだら、親切な男性社員が、「そうか・・・俺、いま家に帰るところだから、おいでよ」ということになり、メシ食わせてもらい、結局、2泊もお邪魔してしまいました。

・その後、済州島に渡り、レンタサイクルを借りて島内一周。2日目、ソギポ(西帰浦)市郊外で、「バナナ農園」の看板を見つけ、バナナを一房買おうとしたら、家族の皆さんが、涼しそうな木陰でメシ食ってる・・・そこに入れてもらって、しばらくすると、「俺の家に泊まっていきな!」みたいな話になり、結局、そこでも2泊しました。

蓋を開けてみたら、23泊中、11泊は、韓国の皆さんの好意で、おうちに泊めてもらったのです。結局メシもおごられまくり・・・

見返りは一切、誰からも、求められませんでした。私としても、ここまで親切にしていただいた、一宿一飯の恩義は、忘れることはできません。

日本に帰った後、宿を提供していただいた皆さんに、片言のハングルでお礼状を書きました。その後、しばらくすると、文通は自然消滅しましたが、済州島バナナ農園のチョ(趙)さんとだけは、なぜか長続きして、数年ほど、年賀状みたいなかたちで文通が続きました(全部ハングルだから、読むのに一苦労)。

いつしか私も社会人になり、働いて給料をいただく身分になりました。少しお金をためて、再び、韓国旅行に行きました。

向かった先は、済州島のソギポ市。日本のお土産持って、チョさん宅を訪問。無事、社会人になった旨を伝えました。前回訪問当時、まだ2~3歳だった娘さんは、すでに小学生になり、ランドセル背負って通学。勉強机には、ハングルの文字表が貼ってありました。

私、「お礼」しに行ったはずなのに、結局、チョさん宅でまた2泊。メシおごられまくって、「ここまで親切にしていただいて、悪いなあ・・」と思いつつ、帰国の途につきました。

私、これまで訪問した国は30を下りませんけれど、ここまで、強烈に親切にされたのは、後にも先にも、韓国だけです。

なぜ、そんな体験ができたのか?私がたまたま、韓国の方々に好まれるキャラクターだったのか、あるいは、下手でも韓国語を真剣に話そう、ハングルを読もうとする態度が好感されたのか、自分でもよく分かりませんが、

少なくとも、自分のなかで、「韓国=反日国家」という固定観念が、
きれいさっぱり消えてしまうような、強烈な体験だったことは確かです。

その後、歳月は流れ、私も40歳前後の中堅社員になり、日本の職場で、韓国人の部下を持つようになりました。

2011年3月、あの東日本大震災が起こりました。新浦安にあった彼のマンションは、液状化でめちゃくちゃになり、家族4人が、避難生活を強いられました。

新浦安にいると、水にも不自由する生活。私は彼らを東陽町の我が家に、泊めてあげました。折りしも、福島の原発事故が起こり、家族を韓国に一時帰国させることになりましたが、その時も、全面的にサポートしました。彼は一人で日本に残り、働いて、私のチームを支えてくれました。

若かりし頃、親切にしていただいた韓国に恩返ししたいという気持ちが、少しは満たされて、自分でも嬉しかったです。

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ミニスカ航空会社に学ぶ

おはようございます。いま、飛行機で福岡に向かっています。来週も福岡出張だし、先週は仙台&札幌、その前は東南アジア・・・このところ毎週、飛行機乗って、放射線被曝量MaxのManachanです(とっても元気よ♪)。

私、移動コストを最低限に抑えるために、普段はLCC利用が原則。福岡に行く時は、いつも成田からジェットスターに乗ります(独白:行きはいいけど、帰りの最終便で成田に降り立つと、暗い気分になるんだよなあ。ここから1時間半以上かけて家に帰るのかと…)

時には家族の都合で、成田まで行く時間がとれないことがあり、その際は、羽田から飛びます。福岡行きの直行便、JAL、ANAだと高いので、「スカイマーク」か「スターフライヤー」の二者選択で、安い方を選びます。

「黒い九州男児」スターフライヤー vs 「ミニスカ」スカイマーク

男の私としては、どうしても、「ミニスカ」に惹かれてしまいますなあ。東京‐福岡間の片道運賃、たとえばスターフライヤーが19,800円で、スカイマークが20,500円のだったら、ついつい、スカイマークを選んでしまう私…

価格差、1500円あれば、うーんと悩んでしまうけど、1000円差だったら、ミニスカ目当てに、スカイマークを選んでしまう。男って本当に、しょーもない生き物ですね(俺だけか…)。


ところで、スカイマークのミニスカ制服問題、炎上マーケティング臭はあるけど、とりあえず、話題性は十分でしたね。

大小マスコミにとりあげられ、CAの労働組合に文句言われて、国交省の指導が入るとかなんとか…そうした動きが、また一つ一つ、ニュースになる。

まだ、ミニスカ制服の評価が定まってないから、他社はすぐ追随できないし、その間、俺みたいな奴が、ミニスカ見たさに、スカイマークの航空券買って乗る。

やっぱ、自分で広告費かけて宣伝するより、マスコミに宣伝してもらうのが、一番、効率いいですね。もし、そこまで読んでたとしたら、スカイマークの経営陣、頭いいなあ(不謹慎ですみません…)。

ま、そこまでやらないと、スカイマークは、世間から忘れ去られるでしょうね。いまや、「全てにおいて、中途半端な航空会社」になってしまいましたから…

・JAL、ANAのようなブランドイメージや全国カバーする路線網はないし、
・かといって、LCCみたいに安いわけでもない、
・Air Doみたいに、「北海道にこだわる」姿勢があるわけでもない。

このままでは、JAL、ANAとLCCに客取られて、時流に乗れずに没落する運命しかないでしょう。

起死回生策として、経営陣は何を考えているのだろうか?ミニスカ制服だけではないと思うけど…いずれにせよ、顧客に分かりやすい価値を提供する航空会社に生まれ変わって欲しいです。

話、元に戻りますけど、「逆風を逆手に取る」マーケティングって、私、嫌いじゃないですよ。

たとえば、震災以降、「福島」という産地名に、にわかにマイナスイメージがついて、果物野菜が売れなくなった。半端ない風評被害を受けた。

でも、逆にいえば、これまで全国的に決してメジャーではなかった「福島」という県名が、にわかに、超有名になった。日本のみならず、今や、ニューヨークやシドニーのタクシー運転手でさえ、福島という地名を知っている。

要は、国内外のマスコミが、勝手に宣伝してくれるわけです。それに、今は震災復興施策の一環で、福島産品のプロモーションに、いろんな補助金も出る。今や東京都心で、「福島アンテナショップ」、「農産物フェア」花盛り。通勤電車での宣伝広告もすごい!

もちろん、報道される内容は、福島にとって良いことばかりではないけど、でも「マスコミの宣伝力」、「世間の話題」という大きな力を逆手にとる、利用する。そして福島の農産物や工業製品を一気にメジャーにしてしまう…そういう仕掛けができれば楽しいですね。

それが、人間のたくましさ、したたかさ、しなやかさ、頭の良さだと思います。柔よく剛を制す!

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首都圏マイルドヤンキー最強物語

こんばんは、Manachanです。

3月中旬~末にかけての私は、本当に息つく暇もない位、忙しくて、ブログ更新もろくに出来なかったのですが、最近はピークも過ぎ、ようやく、人間らしい生活が戻ってきました。三度の飯より好きなブログ書きができると、精神的にも落ち着きますね♪

今回は、私の地元ネタと、いま流行りの「マイルドヤンキー」について書きますね。

昨今、にわかに脚光を浴び、2014年の流行語大賞候補筆頭の呼び声高い、「マイルドヤンキー」とは、どういう人たちなのか?Kotobankから引用しますと、

・上京志向がなく地元で強い人間関係と生活基盤を作り上げ、家族生活を楽しもうとする

・総じて学歴・年収が低め

・身近な世界以外に関心が低く、出世などの野心が乏しい。

・家賃を始めとした物価の安さや強固な地縁関係の影響などにより、消費活動はそれなりに活発。

マイルドヤンキー、私は次のように解釈しています。一言でいえば、「地元に生き、地元を大事にする、フツーの人たち

そういう意味でいえば、私の生まれ故郷、千葉県柏市は、マイルドヤンキーの宝庫です。なぜなら、

・柏に生まれ育ち、家族親戚、友人も、みんな柏近辺にいる。

・東京に興味がない。柏があれば、それで十分満足。

・東京で年収600万円の仕事と、柏で年収400万円の仕事があれば、たぶん後者を選ぶ。

・実家の近くで、自分の家を建てて、若い頃から子供を生む。共働き率も高い。

・次世代も、当たり前に柏に住んで、地元で働く。

そんな人たちが、目に見えて増えているように思います。柏だけでなく、大宮、船橋、千葉、立川、町田・・・首都圏郊外都市は、どこも似たような状況ではないでしょうか?

私は、柏の出身ながら、高校から都内の進学校に行き、その後は、東京や世界各国を舞台に、激しい競争社会を生きてきた人間で、おおよそ、マイルドヤンキーとは対極にあるのですが、

でも、たまに地元に帰って、中学時代の同級生と飲んだりすると、柏はやはり、「マイルドヤンキー」が多数を占める社会なのだと実感します。だって、皆、地元を出ないんだもんね。

大抵、こんな会話になります。

「マナブよお・・・おめーは、高校から東京に出たべ?俺はよ、おめーみたいに頭良くねえからよお、柏でも一番頭悪い公立に行った。バカなんだからしょーがねえべ。がはははは!」

「高校卒業した後、我孫子とか松戸とか、ずーっとこの辺で働いて、結婚して、ばーちゃん家の近くでマンション買った。」

「娘が高校生なんだけどよお。俺のこと、バカだとかスケベオヤジとか加齢臭とか・・・ったく憎らしいったらありゃしねえ。マナブもう一杯飲めよ!」

まあ、話してる内容はともかく…地元に残った仲間たちは、見ていて、人生楽しそうです。給料高くはないでしょうが、それなりに裕福そうです。結構、持ち家率高いです(柏エリア、土地代安いからねえ・・・)。

私からみると、彼らは何重にも、有形無形のセーフティネットに守られて暮らしているように見えます。

・有形財産
   親世代が築き上げた財産
   (おそらく)親から援助を受けて、自分が買った不動産

・無形財産
   地元の人間関係、ネットワーク
   地元人脈から得られる「情報」

安定感ありますね。ここまで守られていれば、人は安心して、子供を生む、金を使う、車を買う・・・消費が振るわない日本で、今やマイルドヤンキーが、消費の主役と言われるのも、むべなるかな。

しかも、首都圏郊外は、就業機会に恵まれています。給料や職務内容さえ選ばなければ、地元でホワイトカラー、ブルーカラーの仕事に就けないことは、まずない。

柏エリアは、人口もまだ増えています。東京都心と同様、5~10年後から減少局面に入るでしょうが、2030年になっても、今と比べて横ばいか、わずかな減少に留まるとされます。つまり、地元の雇用は、今後も保たれる可能性が高い。

柏を含めて、首都圏マイルドヤンキーは、(名古屋と並んで?)たぶん日本一恵まれた、「国内最強のマイルドヤンキー」なのかもしれませんね。

100万都市が10以上ひしめく、首都圏郊外。その一つ一つが、独立した「マイルドヤンキー経済圏」

「東京のベッドタウン」から「地元で働く街へ」・・・上がり続ける柏市の昼夜間人口比率

1990年 82.6%
1995年 83.7%
2000年 86.6%
2005年 89.9%

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反日、親日のナンセンス

おはようございます、Manachan@仙台出張中です。

国際捕鯨裁判の判決が出ましたね。日本が行ってきた「調査捕鯨」が条約違反とされ、完全な「敗訴」…日本中から失望と憤りの声が聞こえてきますが、

捕鯨の是非はさておき、日本が数十年間、行ってきた「調査捕鯨」なる活動は、そもそも「捕鯨反対」文化圏の人々からすると、極めて理解しにくいと思います。つまり、

日本の主張:鯨は「食べる」もの。人類の蛋白源として重要なのだから、個体数や挙動など、科学的研究目的で、頭数を管理しつつ捕鯨をすべき。

反捕鯨国の主張:鯨は「慈しむ」もの。「食べる」なんてとんでもない。なぜ、科学的研究目的で鯨を殺す必要があるのか?

そもそも、鯨が食べ物なのか否か?という前提からして、お互いに合意できない。はなから平行線なのだから、生産的な議論が成り立つわけがないのです。

これと似たパターンの話で、

「中国、韓国、北朝鮮は反日国家」
「台湾や、東南アジアの大部分は親日国家」
「台湾人はいいけど、反日国家の中国(大陸)人に日本の不動産を売らないで欲しい」

みたいなことを言う人がいますが、私、彼らと、まともに議論が噛み合ったためしがない。なぜなら、

中国(人)を、「国家」という単位でとらえるのか、あるいは「個人の集合体」ととらえるのか?

という、前提自体が合意できていないからと思います。

日本人自身を含め、どの国民であっても、「個人」であり、同時に「国家の一員」でもあります。「国家」というものは、「国民各層」の願いに基づいて動くこともあれば、時には、全く別の行動原則で動く面もあります。

国家としての思想・行動原理を「マクロ」、国民個人やグループ(エスニックグループ、業界団体、地方自治体など)の思想・行動原理を「ミクロ」とするならば、「マクロ」と「ミクロ」が、どのような原理で動き、どのように相互作用するのか、ある程度、妥当な理解をしないと、国家論なんて語ることは無理だと思う。

特に私は、実践家、事業家なので、常に「ミクロ」を重視したい気分が強い。だから、次のように考えることが多い。

ミクロを理解せずして、マクロを理解することができるのか?

個人レベルの中国人を理解せずして、中国という国家を理解することができるのか?

「ミクロ」重視とはどういうことなのか?大家さん(不動産賃貸事業者)という世界から眺めてみましょう。

私は長年にわたる、不動産大家としての経験があります。これまで、いろんなことがありました。入居者の夜逃げや強制退去、ローン借り換えの失敗も経験しましたし、空室対策のため、地元不動産屋に手作りの物件チラシを配って営業もしてきました。

賃貸経営なるものを、自らリスクを追って長年実践してきた、失敗も成功もしてきた、泥臭いこともたくさんしてきた。そんな自負があります。だからこそ、

自ら賃貸経営を体験することなく、統計数値だけこねくりまわして、「東京の不動産市場がどうのこうの」と、分かったように言う人が好きではないし、信用もしません。

それと同じ理屈で、

ナマの中国人を知らずして、「中国がどうのこうの」、「親日、反日うんぬん」と、分かったように言う人も好きじゃないのです。

私は日本人ながら、中国語(北京標準語)を流暢に話すことができます。そのスキルを、長年にわたり、ビジネスやプライベートに活かしてきました。

「中国がどういう国」、「中国人がどういう国民」と、一般化して語るのが、全くもってナンセンスだと思う位、たくさんの中国人の友人知己を持ちすぎてしまいました。たとえば、

・中国・大連で働き、中国の各地方出身の、最大時15名の直属部下を持ち、チームを動かした経験があります。
・大連勤務時に、約100名の社員からなるロータス・ノーツの技術チームを立ち上げ、いくつかのプロジェクトを回した経験があります。
・私がチーム立ち上げに苦労していた頃、協力的だった中国人の同僚とは、今でも良いお付き合いをしています。
・2010年から、中国語で不動産ブログを書き始め、累計45万ヒットを超えています。
・先月行った、台湾セミナーでも、香港セミナーでも、私のブログ読者が来てくれました。

昨日も弊社の五反田オフィスに、日本移住&不動産購入相談のため、中国人の女性にご来訪いただきました。日常的に、そういう経験をしてしまうと、中国人、台湾人、香港人…という国民レベルよりは、どうしても「個人」レベルで考えてしまうのです。良くも悪くも。

いま、反日、親日云々・・・という人は、「個人」レベルで中華圏人との付き合いの経験も理解も十分でないから、「国民」レベルで概念操作する以外ないのかな?と、思ったりするわけです。

彼らに対して、いろいろ、言いたいことありますが…なかでも一番、ナンセンスだと思うのは、西尾幹二氏などが著書などで言っている、

日本に来ている中国人の研究者も留学生も、みんな情報戦を担っている(だから、日本を守るために鎖国すべきだ)」という議論。

当然ながら、いろんな中国人がいるわけですが、私が付き合っている人は、中国の外に出たり、中国の外資系企業に勤めるような、「意識が開かれた」人が多い。でもって、彼らの大多数は、国家利益よりも、素直に自己利益を追求する人たちだと思います。

富裕層になるほど、子供に外国のパスポートを取らせ、海外にせっせと財産を出すような彼らが、祖国のために、そんな一糸乱れぬ行動をするとはどうしても思えない。

なぜ、中国人が個人レベルでそんな行動を取ると思うのか、ロジカルな説明を聞いたことが一度もないのです。

西尾氏とか、著書こそ書いてますけど、彼はたぶん中国語できないし、私ほど中国人との付き合いはないはず。要は、分かってない。だから、そんな珍説を展開するのかと思ってしまいます。

今回の日記、何だかキツイ文体になってしまいましたね。

私、たまにはキツイこと書きますけど
、実際に会ってみれば、極めて牧歌的な風貌の、柔らかいキャラクターの人間ですので・・・その辺、誤解しないでね。

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人生最悪の乗り物体験

おはようございます。Manachanです。

いま、東海道新幹線で京都に向かっています。普段、LCCや高速バスなど、超安い交通機関ばかり乗っている私にとって、たまに新幹線に乗ると、さすがに「客層の良さ」を感じますね。、

皆さん静かだし、とてもお行儀が良い。新幹線は格安高速バスと違って、「オヤジ加齢臭問題」も、「お兄ちゃん騒音問題」とも無縁に見えます。

私は、子供の頃から、貧乏旅行大好き。今でもそうです。お金がない割に、出歩くのは大好きな性分なので、交通費や宿泊費を1円でも安くあげるために、時刻表やネットとにらめっこして、時間と労力をかけ、並々ならぬ情熱を燃やすのです。

もちろん、私も良い歳の大人になり、「お金で時間と安全と快適さを買った方が良い」という理屈も十分理解できるようになりましたが、A long-lasting habit dies hard! 幼い時からの貧乏旅行癖は、なかなか直りません。私にとって、「交通費を安くあげた時の喜び」が、「お金かけて快適に移動できた喜び」を上回るのだから仕方ありませんね。

困ったことに、日本だけでなく、世界中、どの国に行っても、私の性癖は変わりません。日本であれば、どんなに安い交通機関を使っても、一応、最低限の安全、衛生、快適さは確保できますが、新興国や途上国だと、なかなかそうはいきません。時には、安い交通機関を使うことが、ケガ、死亡のリスクを増大させることにもなります。

バスの上に乗ってる人たちのケガ・死亡リスクは、いかほど?

さすがの私も、近年の新興国出張では、お金をかけてリスクの少なそうな選択肢を取ることが増えましたが、昔、バックパッカー時代の私は違いました。当時は平気で、「荷台にニワトリを満載したオンボロバス」に乗って、「内戦で数ヶ月前に爆破された橋を迂回しつつ移動」とか、していたものです。鼻には「超満員の地元乗客のむせかえる体臭」、耳には「荷台から聞こえてくるニワトリの鳴き声」…東南アジアやインド、中南米で、そんな安バス旅行を続けていました。

そんな私が体験したなかでも、最悪の乗り物体験といえば、「無座」、つまり、座席のない状態で、電車、バス移動をすることです。

座席予約がなくても、空いた席に座れるからいいじゃん、みたいな生易しい状態ではありません。途上国の安電車や、安バスは、いつでも定員オーバー。たとえば、20年前の中国で、電車で長距離移動するには、何日も前から準備して、駅で切符を買い、目的地までの座席を確保していくのが基本。それでも、座席を確保できない乗客はゴマンといて、彼らは通路とか、入り口近くで「地べたに座って」、モノを食ったり、トイレに立ったりしながら、悠然と長距離移動するわけです。

私、中国では、西安→西寧間(所要24時間)、西寧→ゴルムド間(同22時間)、成都→広州間(同60時間、2500km超!)の電車長距離移動をしましたが、どの電車も、「無座乗客」が満杯で足の踏み場もない位。数日間、彼らの食い散らかした食べカスが、山のように溜まる状態でした。

最近の中国、電車内環境は随分マシになりましたが、20年前はまじで「修羅場」でした。

それでも、通路に座れるのはまだ恵まれた方で、ひどい時には、他の乗客の足元の、狭い空間に寝転ぶしかない、という状態。中国での電車移動中も、私の足元で寝ていたお兄ちゃんが、忽然と起き上がってきて、ぶったまげました。彼はトイレに行って、しばらくした後、私の足元の「指定席」に戻り、再び寝転がりました。

かくいう私も、人生で一度だけですが、「無座」で、「他人の足元に寝て」バス移動したことがあります。舞台は南インド。カルナタカ州のマイソール(Mysore)から、タミールナド州のコインバトール(Coimbatore)まで移動するバスのなかでした。

私の移動ルート・・・

マイソールのバスターミナルで、いろんな手違いがあって、結局、私の座席予約がなくなってしまった。どのバスも超満員。でもって、翌朝には、西海岸のケララ州まで移動しなくてはならなかった。でもって、この区間は、バス以外の移動手段がない。

私は仕方なく、「無座」での移動を決意し、インド人男性乗客の足元の狭い空間に身を横たえました。我が人生で体験したなかで、最悪の乗り物体験でしたね。

とにかく、狭い。それ以上に、寒くて寒くて・・・南インドとはいえ、マイソール→コインバトール間は、ウーティ(Ooty)という、標高2300mの高原地帯を越えていく山越えルート。標高が高くなるほど、バスの床から、冷気が直接伝わってきます。まじで死ぬかと思った・・・。

無事、コインバトールのバスターミナルに着いた時、命拾いしたような気になりましたね。それでも俺は生きている・・・

そんなふうに、若いころ、いろんなハードな旅行体験をしてきて、それが、今になって役に立ってるのかどうか?

たとえば、体質上、快適さのレベルを下げても全然気にならない。たとえ小便臭い安宿でも、天井から落ちてきたヤモリが顔の上を這うような宿でも、それなりに満足できてしまう…というのは、良いことなのかどうか、分かりません。

ま、私なんて、いくつになっても、そんなもんです。

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新興メコン3都物語 ~ヤンゴン、プノンペン、ビエンチャン~

Manachanです。香港+台湾+東南アジア3ヶ国10日間出張を経て、東京の我が家に帰ってきました。今回の日記は、活気あふれる東南アジア3都市の話題でいきますね。

2015年末の経済統合に向けて話題を集めるASEAN(東南アジア諸国連合)のなかで、経済的に一番後発で、これから本格的な工業化が始まりそうな国として挙げられるのが、「新興メコン三ヶ国」とよばれる、ミャンマー、カンボジア、ラオス。

この三ヶ国は、東南アジアの大河「メコン河」に沿い、すでに工業化に成功した「タイ」を取り囲むかたちで存在します。そのタイでは労働力不足や賃金上昇の問題があり、労賃水準がタイの2分の1~3分の1といわれる、新興メコン三カ国への工場進出が進んでいます。

各国を代表する都市といえば、ミャンマーはヤンゴン(注.首都はネピドー)、カンボジアはプノンペン(首都)、ラオスはビエンチャン(首都)。…いずれも外国企業の投資が活発化し、経済発展著しく、地方からの人口流入、交通量の爆発的増加、商業施設の相次ぐ建設が目立ちます。

今まさに勃興中の3都市を、最近、訪れる機会が増えていますので、私の視点で、ざっくり比較してみます。

【文化的にいうと…】

食文化とか、国民性、宗教、言語・・・いろいろな側面がありますが、この三ヶ国を比べると、カンボジアとラオスが比較的似ていて、ミャンマーがちょっと異色、という気がします。

東南アジアのなかで、ミャンマーはインドに一番近く、その影響を深く受けているような気がする。食べ物からして、カレー中心だし(※ミャンマーで食うカレーはすげー旨い!あれ毎日食えたら天国ですね♪)。

一方、カンボジアやラオスは、カレーあまり食べなくて、野菜たっぷり入れたライスヌードルとか、卵焼き乗せたチキンライスとか、パパイヤサラダとか、さっぱりしたものが多い、なんとなくベトナム料理に近いかな。あとは、フランス領だった時期も長いから、バゲットとか当たり前に出てきますね。カフェとかも多いですよ。

あと、カンボジアやラオスでは、緊張感のない顔して、いつもニコニコしている人が多いけど、ミャンマーはもう少し、険しい顔して生真面目っぽい人が多い。ま、だからといって、ミャンマー人がカンボジア人より勤勉だとは一概には言えないんだけれど…日本企業は、労働力としては、ミャンマー人を一番好みそうな気がします。

【経済的にいうと…】

どの国も、都市部と農村部に大きな格差を抱えているので、主要都市だけで印象比較しますけど、カンボジア(プノンペン)とミャンマー(ヤンゴン)が比較的似ていて、ラオス(ビエンチャン)がちょっと異色、という印象です。

プノンペンとヤンゴンは、とにかく、街の活気が凄い!発展のスピードが尋常じゃない!半年行かなかったら、街の印象が様変わりしてしまうようなスピード感。

この二都市にいると、やる気とエネルギーが充電されて、「俺も、ビジネス頑張るぞ!」という気になりますね。

一方、ラオスのビエンチャンは首都とはいえ静かで、万事スローで、駘蕩とした感じで…この町にいると、「仕事頑張らなくてもいいやあ、とにかく、のんびりしたい」と思っ
てしまいます。

ミャンマー・ヤンゴン:どこかエキゾチックな匂いのする街ですね。豊かな森と湖に抱かれています。

カンボジア・プノンペン:高層ビルも建ってきて、都会化中。とにかく、すごい活気!

ラオス・ビエンチャン:のんびりした雰囲気。ベーカリーとか多くて地味にオシャレ

ま、それでも、5~6年前と比べればビエンチャンも大発展して、車も商業施設もすごく増えたらしいですけど。高層ビルがまだ全く見当たらないのが、田舎町っぽさを醸し出してますね。ビエンチャンからプノンペンに行っただけで、「すげー大都会」に見えてしまう位だから、まだまだ差はありますね。

何となくの印象ですが、カンボジアもミャンマーも、ポルポト派の大虐殺とか軍政支配などで、「失われた30~40年」を経験した末に、東南アジアで一番貧しい国に転落してしまったわけで、そこから、何としてでも、這い上がりたい。隣国タイのような発展した国にしたい(特にミャンマー人は、タイ人に比べて自分たちが劣っているとは微塵も思わないでしょうから…)。人々のそんな思いと、エネルギーを感じますね。

一方でラオスは、カンボジアやミャンマーのような悲しい歴史を経験したわけでなく、今も昔も、「いつも田舎で、辺境」だったから、這い上がるエネルギーを別段感じないのかも。

とはいえラオス人も、裕福な人なら近年は自家用車を持ち、隣国タイに頻繁にショッピングに出かけるようになったようで…タイの発展ぶりや物産の豊富さを見て、刺激を受ける機会も増えたことでしょうね。

いずれも、これから発展する国・都市ということで、今後とも注目していきたいと思います。

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香港で日本不動産セミナー

おはようございます。Manachanです。いま香港です。

9泊10日にわたるアジア5ヶ国出張も、今日がいよいよ最終日。昨晩、最後の山場ともいえる、「香港での日本不動産セミナー」を終えて、ほっと一息ついています。

本当に、素晴らしいセミナーでした。香港のビジネスパートナーに集客してもらったのですが、当初は20名集まればいいかなと思い、ホテルの小さな会議室(32名収容)を予約していたのですが、

蓋を開けてみたら、50名以上が集まり(Web集客ベースでは68名が申込!)、狭い会場に立ち見が続出。あまりの盛況に、急遽、隣の部屋を借りて、全員分の席を確保したほど。

正直、私も、香港のパートナーもびっくり。「これほど、人が集まるとは・・・」

しかも、セミナーの直後に、いきなり3つの買い付けが入りました♪香港投資家の日本不動産に対する熱い視線を体感しましたね。

香港人の言葉は広東語ですが、私は広東語ができないので、北京標準語で講演させていただきました。多くの来場者は、北京語を聞いてそのまま理解できますが、しゃべるのは広東語が便利なので、講演後の質問は、北京語が半分、広東語が半分、といった感じ。広東語の質問は香港人パートナーに通訳してもらい、私が北京語や英語で答えました。

会場からの質問例

「1R、1DK、1LDKの意味を教えて欲しい」
「日本の物件、節税を考えれば法人で買うのが良いのか、個人で買うのが良いのか?」
「オーナーチェンジ物件ではなく、あえて空室を買って、価格交渉してより高い利回りを出すのは現実的か?」
「東京にカジノができるそうだが、どのエリアにできる予定か?(そのエリアで買いたい)」

皆さん、洗練された投資家という感じでしたね。質問内容から、本気度が感じられます。それに皆さん、日本が大好きなんですね。不動産投資だけでなく、いつでも日本に遊びに行きたい、住みたい、子供を日本で学ばせたい…そういう「実需」で買う人もいますので、東京都内だけでなく、ピンポイントで「大阪」とか「神戸」を指定する人もいました。

終始、和気藹々と楽しいセミナーでした。また香港に来て講演したいです。そのためには、成果出さないとね。

香港では日本不動産投資がブームになりつつある時期で、「先行する台湾に追いつけ、追い越せ」みたいなノリでした。日本不動産投資では、たぶん台湾人が世界一先行しており、香港より2、3年は進んでいる感があります。

すでに、「台湾人のための東京大家ガイド」なるものも出版されてますしね。すごいです台湾人。メジャーな新宿渋谷池袋だけでなく、自由が丘、目白、白金台、六本木、品川、三田、大門、虎ノ門、用賀、二子玉川、三軒茶屋など、東京各地の地名がポンポン出てくるほか、物件選びのコツ、諸費用、税金、リスクなど、ポイントを網羅した実践的なガイドになっています。

しかし、香港人投資家パワーも負けてはいません。どんどん、日本不動産を扱う業者の新規参入が相次ぎ、活況を呈してきていますね。

台湾人と違って、英語の達者な香港人は、不動産投資対象として欧米に目が向くことが多いのですが、いま、アジアでは特に日本に注目が集まっているようです。マレーシアとかタイとかフィリピンとか、近くにいろんな国がありますが、香港人としては、とにかく日本に不動産を持ちたいようです。

私も、この分野ではフロントランナーであり続けたいと思っています。引き続き頑張ります。

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多民族国家と日本の針路

こんにちは。Manachanです。いま、香港国際空港から、帰国の途につくところです。

当地・香港では、日本の不動産に熱い視線が集まりつつあります。香港人は不動産投資対象として、世界中を見ているわけですが、彼ら曰く、国際的な相場水準からみて、東京の不動産価格は、信じがたいほど安い!

東京ほどの先進国巨大都市で、しかも池袋や新宿といった中心地の中古ワンルームマンションが1000万円を切る価格で売られ、賃貸に出せば7~8%の利回りは取れる…しかも2020年東京オリンピックに、アベノミクス効果、そして年20万人移民受け入れ政策。ここまで材料が揃えば、上がらん理由はないと彼らは考えるわけですね。

香港では、同じような中古狭小ワンルームが平気で4000~5000万円の値がつき、利回りも2%がせいぜい・・・みたいな世界ですからね。しかも香港人にとって、日本はノービザですぐ行ける土地だし、国のイメージも良好。そりゃ、いま東京の不動産買いたくなるだろうなと思いますよ。

ところで、今回の日記は、香港人パートナーが日本不動産投資すべき理由としてあげている要因の一つ。

日本政府の年20万人移民受け入れ構想

について、私見を述べてみたいと思います。

この計画(?)、安倍政権内では当然議論されているでしょうが、当然、日本国民のコンセンサスが取れてる問題ではないし、本格的な議論になってもいませんね。

国民的議論のフェーズになれば、ま、順当にみて、日本の有権者の80~90%は反対するでしょうし、それに必ず、政争の具になるでしょうから、自民党政権としても、やるなら目立たぬように、なし崩し的に既成事実をつくっていくしかないでしょうね(外国人富裕層や高学歴者の受け入れの方を大々的に宣伝して、単純労働者の受け入れは、いろんなカテゴリに分散して見えにくいようにするとか…)。

ま、議論したところで、結果は見えているでしょう。

・「経済、国力重視」の賛成派が少数。

・「社会問題、治安懸念」の反対派が多数。

・賛成派、反対派とも、「多民族が共存する日本というリアリティ」を欠いたまま、空疎な議論に終始する。

・結局、日本国の進路や方針はうやむやにされたまま、既成事実だけが進んでいくでしょうな(例.東京下町や都県境エリアへのアジア系外国人集住とか…)。

この問題に対して、私が、何かをできるわけじゃないですが…オーストラリア、米国、中国といった、多民族国家で長年暮らした経験を活かして、「多民族国家のリアリティとは何なのか?」という、ささやかな問題提起くらいはできるかなと思っています。

地球上の存在する多くの国は、大陸上にあり、複雑な民族構成を持った多民族国家です。今回行った、タイ、カンボジア、ラオスといった、東南アジアの国々も、規模は小さいながらも、内実は、紛れもない多民族国家。

たとえばタイ…首都バンコクで話される言葉はタイ語ですが、この国の辺境に行くと、ラオ語とかクメール語、ビルマ語の話者が多くなり、ラオスやカンボジア、ミャンマーという「地続きの外国」に、自然につながっていきます。タイ国民でありながら、バンコクのタイ語が上手に話せない人たちもゴマンといますし、そもそもタイ国民の約半分を占める北東部や北部の住民は、バンコクの人よりも隣国ラオスの人との方が、言語的にコミュニケーションしやすいという。

さらに、バンコクに住むタイ人も、タイ族もいれば、潮州系華僑、客家系華僑…いろんなグループがある上に、田舎から来たラオ系、クメール系、ビルマ系等が入り乱れる。分類上は皆「タイ人」になるけど、文化的にはいろんな違いがある。タイから出て、隣国に行っても、各民族が入り乱れた状況は変わらない。特にミャンマーは、タイ以上に複雑な民族構成の国ですし。

こういう国にいると、

・同じ国、同じ街に、同じ地区に、いろんな民族が暮らしているのは当たり前

・国境線というものは、複数民族が入り乱れるなかで、人為的にひいた線に過ぎない。

・国家と民族は、当然ながら、一致しない。一致させるのは無理。

という、地球上の多くの国で当たり前の常識が、皮膚感覚として理解できますし、

・国家と言語、民族の境界線がほぼ一致する日本という国は、世界的にみて、かなり珍しい

ということも、肌で理解できるわけです。

ですが、日本でしか暮らしたことのない日本人に、このことを説明して、理解してもらうのは難しい。たとえ頭では理解できても、肌感覚で理解するのは至難の業。こればかりは、日本の外で暮らして、いろんな民族と付き合ってみないと、リアリティとして認識するのは難しいでしょうね。

もう一つ言うと、多くの日本人にとって、外国人が相当数、日本に定住することは、大陸国家の民以上に、大きなストレスがかかることなのかもしれません。

タイや中国を含めて、大陸の多民族国家では、同じ都市内で「民族ごとの棲み分け」が、当たり前の現象になっています。お互いに文化的な差異が大きく、コミュニケーションが難しくても、住む場所が物理的に離れているから、お互いに無関心でいられる、というわけ。

でも日本の都市では、棲み分けは難しいでしょうね。島国という閉鎖空間で城壁も設けない歴史を経てきたからか、金持ちも庶民も、同じ地区に渾然一体として暮らすのが日本の伝統。外国人が定住しても、結局、日本人と同じアパートやマンションに暮らすことが多くなるでしょう。当然、お互いにストレスを溜めることも頻発するでしょう。

上記もろもろの理由から、日本において「移民受け入れの是非」という議論は、まともに成立しにくい。賛成、反対という立論はできても、日本人の圧倒的大多数が、「日本が多民族国家になる」イメージを、リアリティとして認識できないのですから、結局、現実感覚を欠いた、空疎な議論に終わってしまう


成派と反対派(=慎重派)、お互いが、自分に都合の良い、外国の事例を断片的、恣意的に取ってくるだけで、到底、議論として噛み合わないでしょうね。せいぜい、テクノロジーや経済の視点を欠いた、「原発の是非」の議論みたいになるだけでしょうし、日本国のグランドデザインを描くようなネタには到底なりえないでしょう。

どうすればいいのか…私にも分かりません。ま、自分のできる、ささやかな貢献を、やり続けていくしかないですね。

・東京下町という、日本で一番最初に、実質的な多民族社会になりそうなエリアに暮らし、国際結婚&多言語家庭を営む経験を、読者の皆様とシェアする。

・世界中、いろんな国に出かけていって、現地の不動産投資家と等身大の付き合いを重ねて、その経験を、読者の皆様とシェアする。

それ位かなあ・・・ま、難しい問題っすね。

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台北一極繁栄の風景

おはようございます。Manachanです。

台湾での仕事、すべて終わりました。昨晩、台北の国際空港を出発、いまマレーシアのクアラルンプールで、次の目的地・カンボジア行きの乗り継ぎ便を待っています。

台湾では、3日連続、セミナー講演という、ハードなスケジュールでしたが、セミナー受講者との素晴らしい出会いに恵まれ、大変実り多い滞在になりました。台湾投資家の方々は、いつ会っても、勉強熱心で素晴らしいですね。

あの素晴らしい方々に会うためにも、台湾セミナー、これからもずっと続けたいと思います。そのためには、成果出さなきゃね。

また、常に進化を続ける、台北の街を歩くのも楽しかったです。私は、1989年から90年にかけて、この街で暮らしましたが、あれから約25年を経て、台北の街は長足の進歩を遂げたと思いました。。

・地下鉄(捷運);私のいた頃は、地下鉄なんてなかったのに、今では台北の東西南北、縦横無尽に張り巡らされています。

・新幹線(高鐵):私のいた頃は、台湾鉄路局の特急電車と高速バスしかなく、台北から高雄までは最低4時間かかったのに、今では新幹線が通って2時間かからない。

・排気ガス:私のいた頃の台北は空気がひどく、広い道路が排気ガスで向こう側が煙ったりしました。今では地下鉄移動が普及して、ずいぶんマシになりました。

・街路樹:台北の目抜き通り、敦化北路、仁愛路などの並木が、長い年月を経て大きく成長し、今では鬱蒼とした森みたいになりました。

・ランドマーク:「台北101」をはじめ、「京華城」、「台北小巨蛋」などの商業施設は、私のいた頃はなかったです。

台北の地下鉄路線図。25年前から考えると信じられない充実ぶり。

【敦化北路の街路樹も、大きく成長しましたね】

台北が昔と比べて便利に、美しく、機能的に整備されていく。一方で、台湾の他都市で、台北みたいに整備されたところは、他にありません。台中、台南、高雄…いや、台北市近郊の都市でさえも、20年以上前の「オールド台北」を彷彿とさせる、田舎っぽさ、雑然さを残しています。

・台湾経済のグローバル化
・台北への冨の一極集中

は、ほぼ同時期に進行した現象のように思います。同じ東アジアの首都である、東京やソウルも、台北とほぼ似た発展過程をたどった都市かと思いますが、どこも、

・工業化時代には、首都が繁栄した一方で、地方の工業都市も繁栄した。

・工業化が一段落し、サービス経済化が進むと、人材や本社機能、政治・行政機能が集中する首都地域だけが引き続き発展し、その他の工業都市は没落に向かった。

・経済グローバル化が、首都一極の繁栄に拍車をかけた。

それは、次の一言に集約されるかと…

1980年前後から顕著になった、東京の繁栄と、大阪の相対的衰退
1990年代から顕著になった、ソウルの繁栄と、プサンの相対的衰退
ほぼ同時期に顕著になった、台北の繁栄と、高雄の相対的衰退

グローバル経済隆盛の時代、多国籍企業が、日本、韓国、台湾…それぞれのマーケットにビジネスの拠点を置き、幹部社員を配置して、ローカル社員を雇う。

その立地は、台湾や韓国くらいの経済規模の場合、「首都だけでいい」ということになりがち。私、サラリーマン時代に6つか7つくらいの多国籍企業を渡り歩きましたけど、台湾の事業所(ローカル本社)は、例外なく、台北都市圏内に置かれ、他都市(台中や高雄)には、小さな営業拠点しか設けられないのが通例でした。

台湾のなかで、英語や日本語のできるビジネス人材の調達は、やはり台北が一番便利だし、外国人幹部社員が暮らせるような、都市環境やグローバル教育機会の充実した場所も、何だかんだ言って、台北に集中しています。

台湾は面積が九州と同程度しかなく、台北に拠点を置けば、新幹線で高雄あたりまで悠々日帰り圏なので、メインのオフィスは基本、「台北だけでOK」なのです。

かくして、台北には、グローバル雇用機会が集中するし、また、中国大陸をはじめとする、グローバルマネーの流入地も、台北になります。

それが、台北の地価・不動産の高騰を引き起こしている一因にもなっていると思います。台北市中心部のマンション価格は、ファミリーマンションだと平気で「億超え」。坪単価でいうと300~400万円からスタート。東京港区の超一等地と変わらない感覚ですね。

他都市の不動産価格をみると、台北と比べれば、全然あがっていない。台中、高雄の場合、台北のざっと3分の1~4分の1といったところでしょうか。

【やや古いデータですが…台北の突出ぶりが目立ちますね】
(いま、台北市で坪45万元ではとても買えません。)

主要都市のなかで一番安い、高雄市周辺の不動産をランダムにネット検索してみると、結構、「値引き」が目立ちますね。不動産超強気の台北市内とは全く別世界のように思えました。

いま台北で働き、家を買おうとしているサラリーマンは、本当に大変だろうな。

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