こんばんは、Manachanです。今日は日曜日。一日中、息子のPokemon Go!に付き合って、ケアンズ・エスプラネードの海辺で過ごしてました。今回は不動産話を離れ、「ブランディング」のテーマで書きますね。
近代日本が生んだ、商業的に最も成功したバンドグループといえば、真っ先に「GLAY」が思い浮かびます。特に1990年代後半のGLAY人気は本当に凄く、1999年には幕張メッセで、有料コンサートとしては史上最大の「観客動員20万人」という大記録を打ち立て(ギネスブック掲載)、未だに破られていません。今日でもなお、現役で音楽活動を続ける長寿グループでもあります。
GLAYのリーダーTakuroさんが書いた自叙伝を偶然ネットで見つけ、ずっと読んでました。実に素晴らしい人物ですね。舞台上での外見とは裏腹の素朴な人柄、音楽に対する純粋な思い、生まれ故郷の函館や仲間に対する深い愛情、周囲で支えてくれる人に対する感謝と気配り、そして何より、日本の音楽史を塗り替えるような大成功を手にしても常に失わない冷静さ謙虚さ…一人の男の生きざまとして大変共感できます。また彼のような個性だからこそ、何十年もの間、人々の心を打つ音楽をつくり続けられるのだと思います。
特に、1999年の絶頂期のことを書いたエッセイには、とても感動しました。少し長くなりますが、引用しますね(赤太字は筆者注)。
デビューの日から9年。365日×9=3285日。数字にしてみれば、不思議なくらい僅かな日々の間に、GLAYは奇跡の変貌を遂げた。
93年にはライブハウスに100人足らずの客が入っただけで祝杯を挙げ、デモテープが10本売れたといっては一喜一憂していた。
それが4年後の97年、リリースしたベストアルバム『REVIEW~BEST OF GLAY』は発売一週間で300万枚を突破する。翌98年夏のツアーの観客動員は全国7カ所13公演で50万人に達した。
そして99年、幕張メッセ。僕らは少年の日に描いた夢を実現する。ステージに立った僕たちの目の前に広がるのは文字通りの人の海、その数20万人。有料コンサートとしては世界記録を塗り替えるイベントになった。
とはいえ、GLAYの中身が変わったわけではない。僕もテッコも、あいかわらず函館弁が抜けていないし、メンバーの関係も昔のままだ。
「どうして、GLAYはそんなに変わらないんですか。」 という質問をよくされる。
わからないのは、どうしてそういう質問が成り立つのかということだ。なぜ、歳をとったり、売れたりしたら、人は変わらなきゃいけないんだろう。そんな必然性はどこにもない。
僕たちはいくつもの大きな夢を追い続けたけれど、考えてみれば、僕らが心の底から実現したかった夢はたったひとつだった。つまり、僕らは僕らの夏休みを終わらせたくなかったのだ。
いつまでも、あの高校時代のようにみんなでバンドを続けたかった。結局のところ、そのためのGLAYであり、幕張の人の海であり、何百万枚のレコード売り上げだったのかもしれないとすら思う。
どうして僕らは変わらなかったのかではなくて、変わらなかったからこそ、高校時代の友人のままでいられたからこそ、そのあまりにも高い壁を、僕らは乗り越えることができたのだろうと思うのだ。
もし変わっていたら、GLAYなんてとっくの昔に消えている。
コンサートに20万人動員!目の眩むような大成功を収めても、この男には現実がみえている…「怪物のようなビッグな存在になったGLAY」と、「高校時代のまま変わらない自分」とが、どちらも冷静に見えている。そして、「変わらない自分」こそが、アーティストとしてのGLAYの生命線であることが、よく分かっています
この文章、私の活動の指針としても大いに参考になります。私が仲間と共にいま手掛けている国際不動産ビジネスは、今後3年くらいで、かつて経験したことがないスピードで大成長を遂げそうな気がしています。「しっかりした戦略を持って海外不動産に長期投資していきたい個人富裕層」や、「海外に出て収益事業を育てたい不動産大手企業」から、我々にどんどん声がかかるようになってきました。長年、地道に国際不動産に取り組んできた情報知識(コンテンツ)がビジネス界にも評価されて、間もなく需要爆発の予感がするのです。
(比べるのがちょっと恐縮ですが…)GLAYの歴史でいえば、1996年1月に「グロリアス」をリリースしてから、一気にブレイクした。その前夜くらいに、いまの我々が居るような気がしています。
国際不動産で我々の働きを必要とするお客様がいるなら、それに応えるべく、組織や資本を充実させていく。経営手法やシステムなど、テクニカルに必要なものはどんどん取り入れる…そういう努力は当然やっていきますが、でも、GLAYの音楽がいつまでも輝きを失わないように、我々も「常に変わらない、自分らしさ」を持ち続けていきたい。どんなに会社が大きくなっても、「Manachanらしさ」は常に変わらないし、変える必要もない。
「私らしさ…」を言葉にしてみると、こうなります。
1)不動産に対する限りない愛(AFFECTION)
2)常に世界中で不動産の現場をみて比較して、外国語学習も含めて情報収集を怠らない態度(INPUT)
3)常に情報発信していくスタンス(OUTPUT)
音楽の魅力に憑りつかれたミュージシャンが音楽ビジネスで身を立てるのと同じく、私は「不動産投資の魅力」に憑りつかれ、趣味とし始めたものが、今や本業になり、今後さらに発展しようとしています。それでも、「三度のメシより不動産が好きでたまらない」私の原点は変わりませんし、「ギリシャに良い投資物件があればギリシャ語覚えて現地に仕入れに行く」ようなフットワークの軽さも、常に持ち続けていたいと思います。