こんばんはManachanです。今日ケアンズは天気が良く、3時間ほどプールで泳いだので体調良いです。今回は、いま全世界で伸長著しい中華系コミュニティと、その象徴「チャイナタウン」の話題で書きますね。
オーストラリア、特に不動産やビジネスの世界では、いま中華系の躍進が目覚ましいです。また移民や旅行客の人数も大いに増え、「東アジア人といえば中国人」という時代が続いています。ゴールドコーストやシドニーの一部地域では、まだ日本人のプレゼンスも多少あるでしょうが、全体の印象としては完全に「中国の時代」ですね。
なにせ、日本人とは人数が断然違います。少なくとも10倍はいるんじゃないかな。オーストラリアの都市部では、商店、銀行、ITの職場、法律事務所…どこへ行っても中国人が大勢働いています。韓国人やベトナム人もまあまあ多く、彼らに比べて日本人は明らかに少ない印象。たとえ「中国人には極力売らない」デベロッパーの不動産を視察しても、モデルルームを見に来るアジア人の客は、ほぼ全員、中国語をしゃべっています。彼らは見に来るだけでなく、ガンガン買います。まじで凄いです彼らのマネーパワー。
不動産バイヤーとしてだけでなく、デベロッパー(開発業者)としての中華系の伸長も目覚ましい。たとえば、私が昔住んでいたシドニーの家のすぐ近所で、いま774戸という大型分譲マンション開発を手掛けるのは、中国・武漢を本拠とするFuxing Huiyu (福星恵誉)グループの子会社Starryland社です。日系も戸建住宅分譲などで頑張っている会社がありますが、中華系みたいに700戸以上の大型プロジェクトやるとさすがに目立ちますね(関連記事:英語、中国語)。
ですが、中華系マネーやビジネスの勢力が伸びる一方で、伝統的な「チャイナタウン」は、オーストラリア各都市で寂れる傾向にあるのが興味深いです。その背景を、私の視点で書いてみますね。
ところで、ここオーストラリアで、私は日本人なのか中国人なのかよく分からない立場で暮らしています。私は日本生まれ日本育ちで両親とも日本人ですが、妻が台湾出身の華人系オーストラリア人で、彼女の家族を通じてオーストラリア社会と接触した時期が長かったからかもしれません。
今この瞬間もケアンズで、彼女の家族と一緒にいます。今回は子供連れてきているので日本語も使いますが、そうでなければこの家では中国語しか使いませんし、彼らから現地の友人を紹介されても、相手が華人なら中国語、それ以外なら英語を使うだけで、日本語の登場機会がほとんどありません。
私が妻と以前住んでいた、シドニー西部の街Parramatta(パラマタ)は、極めてコスモポリタンな街で、地域住民は欧米系白人、インド系、アラブ系、中華系の4大勢力が拮抗していました。この街で東アジアの顔してる人間の約9割が中華系と推定され、あとは韓国系が少々。日本人は見渡す限り居ない環境でした。
この街には中華系商店がいくつかあって、週に3回は買い出しに行ってましたが、「東アジア人=中国人」な街なので、私が入店しても、誰一人として中国人以外とは思ってくれません。店員の話す英語にクセがあって中国語で話した方がラクなので、結局、この店では日本語も英語も使わず何百回も買い物してました。
また、私が住んでいた家は全6戸の共同住宅(タウンハウス)で、オーナーの半分が東アジア系(我が家含めて)、残り半分がアラブ系でした。東アジア系は私を除き全員中国系。管理組合総会やると英語で議事進行したものを、中国語とアラビア語に訳してそれぞれのグループに伝えておしまい…自分の国籍を名乗らない限り、間違いなく中国人だと思われるシチュエーションでした。
そんな環境で暮らしていると、別に中国人だって日本人だって、どっちでもいいやあ・・という感覚になります。相手と親しくなれば、当然、自分の国籍を名乗りますし、それが良い会話の発端にもなるわけですが(日本人だと名乗れば、ある意味、アジア人のなかでブランド扱いされます。悪い結果にはなりません)。そこまで親しくない人に対しては、相手の得意な言葉に合わせて会話するだけだから、その結果、中国語使って中国人だと思われても全然構わない、という感覚。
シドニーには3万人からの日本人が暮らしており、私も日系コミュニティとある程度の付き合いがありました。ただ、彼らの主な居住地域と我が家は20㎞離れ、日常的なお付き合いするには遠すぎ、必然的に距離を置いた関係になりました。今考えると、当時の私は、
「交友関係」 中華系6:日系4
「話す頻度」 中国語9:日本語1
そんな環境にいた私。「チャイナタウン」を含む中華系社会の動向は、ある意味「内部の人間」としてよく知っています。
オーストラリアの、人口100万以上の大都市中心部には、必ず「チャイナタウン」があります。多分シドニーとメルボルンのチャイナタウンが一番大きくて立派、次いでブリスベン、パース、アデレードと、規模は小さくなりますが、どの街にもあの「赤い楼門」があって、道の両側に中華系めし屋が並んでいます。
ところで、オーストラリアのチャイナタウンは、不思議なことに、どこも衰退気味のようです。
・先月、メルボルンに行きましたが、以前、Lonsdale/Little Bourke Street界隈にあって結構栄えてたチャイナタウンの規模が小さくなっているのに驚きました。
・先週、ブリスベンに行きましたが、以前よく行ったFortitude Valleyの中華街が無残なほどに寂れて、行きつけの湖南料理屋もなくなり、空き店舗や日本料理店ばかりが目立つようになって驚きました。
・オセアニア最大級・シドニーのチャイナタウンはまだ勢いを保っているように見えますが、よく観察すると10数年前ほどの隆盛がなくなり、ところどころ歯抜けになっています。
これら、大都市のチャイナタウンがどこに行ったのかというと…郊外に移ったんですね。
・シドニーでは、都心から南に15㎞ほど離れたHurstvilleに中華街ができて、とても賑わっています。
・メルボルンでは、都心から南東に20㎞近く離れたClaytonのミニ中華街(?)が元気です。
・ブリスベンでは、都心から南東に10㎞ほど離れたSunnybankのショッピングセンター一帯が中華街のようになり、本家Fortitude Valleyをしのぐ賑わいを見せています。
背景として、オーストラリア在住の中華系住民のライフスタイルが多様化、現地化したことが考えられます。オーストラリアの都市にチャイナタウンができた19世紀~20世紀前半は、まだ黄色人種に対する偏見も強く、中国系が皆力を合わせて身を立てないといけない状況があったのでしょうが、今は知識労働者の領域に進出する中国系住民も多い。当然郊外マイホーム住まいの者も増えるので、渋滞や駐車場の問題がある市内中心部から、郊外でクルマの便の良いところにシフトしていったのでしょう。
また、市内中心部ほど、オフィスや高層住宅のニーズが高いですから、中華系の個店が高値で買い取られて中高層建物に置き換わる状況もあるのだと思います。
あと言うと、言葉の問題も大きいでしょうね。伝統的な市内中心部のチャイナタウンは、どこも香港系の店主が多く広東語が幅をきかせる世界ですが、いまオーストラリアにやって来る人は北京語(マンダリン)話者が圧倒的に多い。その関係で、シドニーHurstvilleやブリスベンSunnybankなど、いま発展中の郊外チャイナタウンは、どこも北京語優勢の世界になっています。
同じことが、日本の首都圏でも起こっています。横浜では日本最大のチャイナタウン(広東語優勢)が健在ですが、最近来日した北京語話者(ニューカマー)によってつくられた、東京の池袋北口や新大久保の方が、どんどん新しいお店ができて勢いが凄いだと感じます。
商店主から知識労働者へ、オールドカマーからニューカマーへ、広東語から北京語へ…中華系社会の大きな変化のなかで、チャイナタウンも変容している。それはオーストラリアでも日本でも変わらないのだと思います。