こんにちは、Manachanです。今日は連休初日、でも天気悪く、家族とBig Bang Theoryのビデオ見ながら家でゆっくりしてます。
今回は、「非商業主義と海外不動産ビジネス」というテーマで、ひとつ書いてみます。
このコラム、なかなか面白かったです。
ポイントを書き出してみますね(赤太字は筆者注)
・高校野球はなぜ、長きに渡って日本人の心をつかんできたのだろうか?
・非効率、不合理。そして非商業性が継続の秘密
・高校野球の非商業化は公益財団法人日本高校野球連盟(以下:高野連)によって徹底されており、選手や監督に金が払われないことはもちろん、審判はボランティア、甲子園使用料や放映権は無料、観戦料金は格安(外野席は無料)と、最低限の運営費を除けば金銭はほとんど動いていません
・朝から晩まで灼熱のグラウンドに立つ姿に胸を打たれる。強豪校では4000時間ともいわれる時間をつぎ込んで練習し、一発勝負のトーナメント戦に挑む様子に感動する。徹底して磨き上げられた「高校生らしさ」に心を震わせることに価値を見出しているのです。
・一大コンテンツである高校野球には、観客やテレビ局から料金をとって収益化する道もあるでしょう。しかしそれは成功しないと思います。より高いパフォーマンスを見せるプロ野球がすでに存在しているうえ、商業化により「高校生らしさ」が失われてしまったら、高校野球は重大な「売り物」を失ってしまいますから。
私は日本人として生まれ、子供の頃から甲子園の高校野球を愛してきました。灼熱の夏、グラウンドで生命を燃やし尽くす高校球児たちの輝きは、昔も今も変わっていません。高校野球は日本の文化そのものであり、これがなくなること自体、想像したくありません。
全国に極めて多数のファンがいる超有力コンテンツでありながら、あえて収益化の道を選ばず、「非商業化」に徹することで「高校生らしさ」というコンテンツを際立たせ、洗練させてきた、という点も納得です。私もファンの一人として、高校球児が「コカコーラ」や「ソフトバンク」等、スポンサーのロゴが入ったユニフォーム着てプレーするのを見たくありません。
また、運営主体の高野連や参加校の関係者がボランティアであっても、高校野球大会が存続することで、毎年、阪神電鉄や大阪・神戸の旅館業者、バス会社などに巨大な収益をもたらしている面もあります。また、佐賀県や福井県など、知名度の高くない県の代表校が甲子園で活躍したら、たちまち全国的知名度になるという「地域プロモーション効果」も、金銭に換算すればすごい額になるのでしょう。本体の「非商業性」や「文化性」を貫いた結果、その周りに「巨大な経済」が生まれる事例として、高校野球は日本一分かりやすいと思う…
高校野球と比べてしまうとおこがましいですが、私の主宰する海外不動産投資コミュニティ「アジア太平洋大家の会」も、「非商業性」を貫いたおかげで、結果的に細く長く存続できた事例の一つかもしれません。
2011年2月に東京で創立、今では福岡、名古屋、大阪の支部も加わり、全国4拠点と約2300名の会員を擁する当会は、高野連と同様、基本、ボランティアで運営している組織です。代表の私も副会長も各地の支部長も、手弁当で参画。基本的な運営費以外の金銭はほぼ動きません(オフ会の飲み食いも自腹…)。
とはいえ私たちの扱うものは、高額な不動産です。取引のたびに大きなお金が動きます。購買力のある2300名の会員をセミナーに動員する能力があるわけですから、会を収益化しようと思えばいくらでもできるチャンスはありました。
いま白状しますと、収益化を本気で考えたことが何度かあります。たとえば2013年2月、勤め先を解雇された翌日、私は都内・祐天寺にあった会の事務所(当時は五反田じゃなくて、祐天寺だった…)に行って、「俺これから、どうやって食っていこうかなあ?」と考えた時、オプションの一つにあがったのは、当時すでに約1500名の会員のいたアジア太平洋大家の会。
これだけの会員がいれば、広告収入とれる。それ以上に、業者からコミッション取れる。稼げる不動産ネタでセミナーをガンガンやって成約決めていけば、コミッションで食っていくことはできるかも…という、「メフィストフェレスの囁き」が、私の耳元に去来しました。
私、金儲けが悪いこととは思いませんよ。給与収入を失っても路頭に迷うわけにはいかない。家族4人、食わせていかなきゃならないんですから…ですので考えるべきは、「金儲けの手段」と「その手段をとった際のベネフィットとリスクの考察」。
当時の私は、アジア太平洋大家の会を、コミッション主体で収益化していく上での主なリスクは、次だと考えました。
・コミッション目当てで、自分がベストだと思わない海外物件を、会員に紹介しなければならないリスク(=良心の呵責)
・その結果、彼らに損させてしまい、会そのものや、不動産投資ブロガーとしての私の「評判」が落ちてしまうリスク。
・クライアント様(販売業者)に配慮する余り、ブログやメルマガで自分の思ったことを書けなくなるリスク(=フラストレーション)
いろいろ考えた結果、「会の収益化は、やりたくない」、「俺の性格に合わない」と思い、やめました。それどころか、翌2014年には「業者からコミッションいただかない」路線を打ち出し、今年9月1日に完全実施(コミッション一切いただきません)。それで、高野連的な「非商業主義」が決定的なものになりました。
(時々、副会長や各支部長には申し訳なく思ったりするんですよ…代表が商売っ気なくてごめんねと)
とはいえ、非商業化を選んだからこそ、こんなブログ記事を、誰への気兼ねもなく、ガッツリ書いたりできるわけです。
バンコクの買っていい駅、だめな駅 (2015/7/27)
不動産投資視点で私が良いと思う「ウドムスック駅」よりも、あまり良いとは思えない「べーリン駅」周辺のコンドミニアムを日本人向けに売る業者の方がずっと多いのが現実です。彼らと金銭授受の関係を結んでしまうと、こんな記事は書けなくなってしまいます。
本音の記事を、自分の好きに書けるところが、非商業化の道を選んで良かったなあと思う点の一つですね。高校球児じゃないけど、非営利のおかげで常に私らしく、投資家らしくいられるわけで、それが幸福感にも結びついています。
もっとも、非商業化を金科玉条にする気はありません。会員にちゃんとサービスして、収益化する、社員も雇って仕組み化する…という運営も、できる人がやるなら十分アリだと思います。というか、資本主義社会ではそれが主流ですよね。
実際、いろんな友人から、「上手に収益化すればいいのに、もったいない」、「Manachanって、金儲け下手だよね」と、よく言われます。ハイ、本当におっしゃる通りです。
「いつまでも、安宿に泊まって山下清みたいな恰好してなくても、やり方次第で一流リゾートホテルに泊まる身分になれるのに…」とか、時々言われます。ハイ、ご高説ごもっともです。でも私、別に東南アジアの安宿で十分満足なんでねえ。それに山下清画伯は、私の地元、千葉県我孫子駅の弥生軒に住み込みで働いたことのある郷土の偉人で尊敬してますし…
私が不器用なことは、この際置いておいて…
利潤追求の世の中で、あえて、非商業主義を貫くことで、それが「文化」としての生命を持つならば、私はアジア太平洋大家の会は、今後も非営利のままで良いと思っています。「投資家の文化」って、日本に必要だと思いますから…