日本人になるために…

こんにちは、Manachanです。今回は不動産を離れ、「育児」ねたでいきますね。

日本で子育てしていると、冬場はインフルや風邪の流行があるので、なかなか大変です。先週は娘ソフィア(小学4年)のクラスが二日間学級閉鎖になり、一息ついたと思ったら今週は息子ポニー(小学1年)のクラスが学級閉鎖に。

子供たちは、「家でゆっくりゲームできる!」と喜んでいますが、親としては複雑な心境でして…

 

我が家は国際結婚。私が日本生まれ、母は台湾生まれのオーストラリア育ち。ソフィアとポニーは、生まれながらにして、日・英・中の三か国語が飛び交う環境で暮らすことを運命づけられました。

(私の顔が福山になっているのはご愛嬌ということで…)

toyocho

 

毎年、夏休みの1か月余りは、オーストラリア・ケアンズにある妻の実家で過ごしますが、そこではさらに複雑な言語環境があります。そのなかで、小さなソフィアとポニーは、複数の言語を、相手に応じて使い分けながら育ってきました。

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「我が子には、英語、中国語を学ばせて、国際人に育てたい」と思う日本人の親からみれば、もう、羨ましくて仕方ない環境かもしれません。確かに言語スキルの面では、英語、中国語、日本語…世界的にもメジャーな3言語に、日常的に触れられるという意味で間違いなく恵まれているでしょう。ですが、こういう家庭にありがちな、厄介な問題もあるのです。

ソフィアは以前、「自分が何国人なのか、よく分からない」と言ってた時期がありました。「どうして私はフツーの日本人の名前じゃないの?」、「ソフィア亜州香なんて、”明治神宮前原宿”みたいな名前やだ!」と。

今では、「自分は日本人であり、かつ英語人」だと言うようになりましたが(「オーストラリア人」とは言わずに、英語ネイティブスピーカーという意味で「英語人」と言ってるようです・・)、

彼女の心、そしてもっと若い弟ポニーの心に、確固とした母国「日本」ができるまでには、あと数年を要しそうな気がしています。

 

私の場合、子供たちとは違い、日本人というアイデンティティを、寸分も疑うことのない環境で育ちました。両親とも日本人だし、東京近郊ベッドタウンという土地柄、(今と違って)外国人らしき人もほぼ見かけない。ご近所さん、学校の先生…周りが日本人ばかりで、使う言葉も日本語だけ。19歳になるまで出国したことがなかったし。

自分が日本人であること、周りの人たちからも、日本人として認められていること…それは私にとって、空気のように自明なことでした。

 

良い悪いは別として、いま、ソフィアやポニーは、私の子供時代とは著しく違う環境で育っています。両人とも日本語名、英語名、中国語名、3つの名前があります。「君のルーツは複数あるんだよ」、「日本人であり、同時にオーストラリア人でもあり、中国人でもあり…それでいいんだよ」といっても、まだ小さな子供がそれを理解するのは難しい。

ソフィアの場合、本人が意識しているのかどうか知りませんが、いま一生懸命、「日本人になろうとしている」健気な努力を感じます。周りの日本人の子供たちと一緒に、妖怪ウォッチのゲームで遊ぶ、コロコロコミックを読む、宿題を見せあう、学校で日直をやる、いろんな係や当番をやる、運動会や学芸会のリハーサルをする・・・

日本の学校なので、そりゃ、かったるい面も多々ありますけど…でも、そういう一日一日の地味な積み重ねが、彼女の心のなかに、「母国・日本」、「自分は日本人」というアイデンティティをつくるような気がするのです。

ソフィアやポニーにとって、名実ともに日本人になるための条件は、たぶん「周りの人に、日本人として認められること」、「日本人として、いろんな役割を求められ、それを一つ一つ、果たしていくこと」でしょう。ナショナルアイデンティティの確立、それは根源的な人間存在に関わることであり、言語スキルなどよりはるかに大事だと思います。

今、子供たちはフツーの区立の学校に通っています。教学環境としてベストなのかどうかは評価が分かれますが、「普通に、日本人になる」には最適な環境だと思います。ここで過ごす一日、一日が大切ですね。

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