目標なんて要らない

こんばんはManachanです。今回は「目標」という話題で日記書いてみます。

新年になると、「今年の目標は…」みたいな話で盛り上がりますよね。不動産投資仲間の間では、「今年はRCマンション2棟以上取得する」とか「総資産10億を目指す」とか、具体的な数値目標を掲げる方も少なからずいます。

 

私も一応、会社経営してますので、「御社は今期の売上純利益いくらを目指しますか?」とか聞かれるし、「アジア太平洋大家の会」の代表をやっている関係上、「会の運営、今後はどういう展開をお考えですか?」とか、いろんな方からよく聞かれます。

でもねえ…たいてい、回答に詰まってしまうんですよ。皆様には申し訳ないけど、目標とか、あんまり真面目に考えてないからなあ。

 

私どうやら、目標達成型の気質ではないみたい。「いつまでに、何を達成する」、「そのために、今、何をする」みたいに、タイムラインをきっちり決めてメニューをこなしていくというタイプの人間ではないんですね。むしろ「行き当たりばったり」というか、「今が楽しければ、それでいいやあ〜」みたいな人間だから、今年の目標みたいな話、金融機関はじめ皆様の手前、最低限のお付き合いはしますけど、本音レベルで言うと馴染まない。

 

あともう一つ、「目標」というものに対する本質的な懐疑があるんですよね。

いま、私の頭で考えた目標なんて、後から振り返ればたぶん猿知恵に過ぎない」ことが分かっているので…

 

たとえばの話、私は2011年2月5日に「アジア太平洋大家の会」を立ち上げて、それから約5年が経ちました。その後、2013年2月14日に、勤め先の会社をクビになって、それから約3年が経ちました。

振り返ると、今の私は、サラリーマンだった当時の自分の想像をはるかに超えた日々を送っています。一日24時間の使い方を自分の一存だけで決めて、好きなことだけやって、好きな人とだけ会って話して、仕事してるのか遊んでるのか分からない生活を送って(主観的にいうと、毎日が日曜日みたいで好き勝手遊びまくってる…)、それでもちゃんと生活できている。

 

昨日は日本列島の東の端から西の端まで移動、福岡県二日市に行って「小林カレー」食べてくる。毎月のように出国して、タイ語とかベトナム語とか勉強して、バンコクやホーチミンの街角を歩いて、泥臭い不動産調査やって…そんな人生を送るなんて、数年前は想像だにしませんでした。

当時考えていた「年収1200万円以上を目指す」とか「アカウントマネジャー以上になる」とか、「サラリーマンのうちに50室取得する」みたいな目標・・・そういうものに全く意義を感じなくなってきたのです。

 

ある時は、自宅から1000㎞離れた福岡県二日市でカレーを食い…

kobayashicurry 

 

またある時は、自宅から5000㎞離れたバンコクで、タイ国鉄の電車に乗る…

hualamphong

 

わずか3年や5年で、私の生活になぜ根本的な変化が起こったのかというと、サラリーマン時代には全く予期しなかったチャンスが訪れ、全く予期しなかった人々の出会いがあり…そんな「運命のいたずら」に素直に身を委ねたからにすぎません。でもって、その「運命のいたずら」は、2011年や13年の時点で、私の頭で考えた「目標」とは全く次元の違うものでした。

まだ見ぬ未来に向けて、常に、心をオープンにしていたから、思いがけない変化が私に起こったわけだし、これからも常に、そうありたいと思います。

(注.目標を立てて、それに向かって努力することを否定する意図はありません。そうやってる人は素晴らしいと思います。私の性格に合わないからそうしないだけであって…)

 

最後に、人生に決まった筋書はありません。男40歳を過ぎても、少年少女と同じく、残された人生には無限の可能性があるはず。来年、2017年の正月に、私がどこでどんな生活しているのか想像できない・・・そんな不確実な人生の冒険を楽しんでいきたいと思います。

 

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