陸路国境、今昔物語

おはようございます。Manachanです。夜行便で、成田からオーストラリア・ゴールドコーストへ飛んできました。今日の午後はシドニーでセミナー講演…今や世界中が仕事場ですね。自分がどこに住んでるのかよう分からん位。

日本もオーストラリアも「島国」なので、外国は「海の向こう」にあります。でも地球上の多くの国は大陸上にあり、陸地で隣国と接してますので、当然、国境越えは「陸路」になります。

私、大学時代は世界中を旅するバックパッカーとして、「陸路国境越え」をたくさん経験しました。国境のこちら側と向こう側で、いろんなものが変わるのが面白い。

-通貨
-物価や生活水準
-言葉や文字
-食べ物
-人々の見た目
-交通手段
-携帯電話のキャリア 等々…

世界で一番有名な陸路国境越えは、たぶん「米墨国境越え」でしょう。アメリカからメキシコ側に渡ると、両国の生活水準の差をまざまざと見せつけられます。

・アメリカ人はほぼフリーパスでメキシコ入りできるのに、メキシコ人はアメリカ入国を目指して長蛇の列に並ぶ。
・アメリカ側は小奇麗で整然とした住宅地が広がっているが、メキシコ側は雑然とした雰囲気。

その他にも、いろんな違いがあります。

・アメリカ側は英語、メキシコ側はスペイン語の世界(もっとも、国境近くではどちらも通じやすい…)
・アメリカ側の通貨は米ドル、メキシコ側はペソを使用。
・アメリカ側は巨大な体躯の白人が多いが、メキシコ側は小柄で日本人に近いルックスの人が増える。
・アメリカ側で食べるメシは概して大味だが、メキシコ側のメシは繊細な味付けで旨さのレベルがずっと上がる。 等々…

経済格差だけでいえば、「メキシコ‐グアテマラ国境」の方が強烈でしたね。

・メキシコ側の交通手段は近代的な「グレイハウンドバス」、一方グアテマラ側は今にも壊れそうなポンコツバスの上に生きたニワトリを満載した「チキンバス」
・メキシコ側の道路は完全舗装のフル規格、一方グアテマラは幹線道路でさえボコボコ段差だらけでバスが飛び上がる。あと、橋が爆破されて通れなかったりする…
・グアテマラ側ではメキシコペソが通用、一方メキシコ側ではグアテマラのお金(ケツァル)の価値はゼロ
・国境をグアテマラ側に超えると、地元の少年が頼んでもいないのに旅行客の荷物を運んでチップを請求(メキシコ側でそれやる人はいない)

アジア地域でも、いろんな陸路国境越えを、20年以上前から体験してきました。なかでも一番インパクト強かったのが、

【1988年、香港‐中国(深圳)の国境越え】

今でこそ、中国・深圳は近代的な大都会になりましたが、1988年当時はびっくりする程、何もありませんでした。地下鉄もない、高層ビルもない、自動車道もろくにない。赤土がむき出しとなった荒涼とした大地に、建物もまばらな状態。

深圳の駅前には、中国各地から来た何万人もの労働者が、菜っ葉服を着て、たむろしていました。ほとんどの者が、ぼけーっと、無為に過ごしていました。

深圳の街で英語表記など皆無。100%、中国語しか存在しない世界。「共産党、中国人民万歳」などのスローガンがたくさん掲げられていました。メシも、脂っこい中華めししか選択肢がなく、注文しても、店員にやる気が全くない。売店で買い物したら、店主が、商品を放り投げて渡してくる。

一方、香港側は当時から見事に発展していました。地下鉄もバスも完備、英語が通じ、世界中の美味しい食事が食べられる国際都市。

当時、香港側と中国側の生活水準や都市発展度は明らかに隔絶しており、米墨国境のそれをはるかに超えた格差でに見えました。

深圳(2013年)

深圳(1988年)

【1992年、シンガポール‐マレーシア国境越え】

シンガポール領、緑豊かな郊外住宅地Woodlandsから、狭い海峡にかかる橋を超えれば、そこはマレーシア領ジョホールバル(JB)の街。

今でこそJBは、鉄道駅のところに巨大な複合施設(JB Sentral)があるし、西側のヌサジャヤ地区も結構開けてコンドミニアム、ホテル、レゴランド、インターナショナルスクール等ができてますが、

当時のJBは、鉄道駅に張り付くように小さな市街地が広がっているだけの田舎町、今のヌサジャヤ地区は一面のジャングルでした。鉄道駅付近でさえ店があまりなく、一面の原っぱに屋台がたくさん出ていて、そこでメシを食ったものです。

一方シンガポール側は、当時から見事に開けており、全土が近代的に整備されていたので、マレーシア側に入ると30年程タイムスリップした感覚になりました。

もっとも、国境のどちら側も中国系とマレー系の住民が多く、英語も中国語もよく通じ、食べ物も似ている…という点では「やはり隣り同士なんだなあ」と思いました。でも通貨と物価だけが大きく違う。

シンガポール側で「ラクサ」(ココナツカレー麺)を食べると、当時は3シンガポールドル(マレーシアのお金で約6リンギット)しましたが、マレーシアのJBで食べると同じものが2リンギット。つまり値段が3分の1…でも味の方は明らかに、JBで食った方が旨かった。本場のラクサの味と素晴らしいコスパで、JBの街が大好きになりました。

1992年当時、シンガポールでこれ食べると200円、マレーシアでは60円

あの国境越えから、20年以上の歳月が流れました。今の私はバックパッカーじゃないけど海外出張が多く、同じルートの国境越えをよくやりますが、

「少なくともアジアでは、どの国境も、明らかに経済格差が小さくなっている」というのが実感です。

香港‐中国(深圳)間でい
うと、香港側も1988年当時よりはグレードアップしてますが、経済・生活レベルが低かった深圳側の方がより急速に発展して、香港にキャッチアップしてきているのです。同じことが、シンガポール‐マレーシア(JB)国境についても言えます。

もちろん、細かいこといえば深圳もJBも、まだ突っ込みどころ満載で、先進国都市とはいえない面も多分に残していますが、少なくとも表面的には新しいビル、商業施設が林立する都会になり、特に深圳は地下鉄もできて、一見、香港と見まがうような大発展ぶり。

そして深圳もJBも、昔と違って今では世界中の食事が楽しめる街になり、その意味では香港、シンガポールとそう大差なくなりました。国境をはさんだ物価格差もまだありますが、20年前と比べると明らかに小さくなっています。

これこそ、資本主義の法則なのかもしれません。国境を挟んで、生活水準や物価の高い国と低い国が隣り合う場合、投資マネーは、リターンの大きく伸びしろの大きい後者に流れる。すでに生活水準・物価の高い国がさらに伸びるよりも、まだ低い国がキャッチアップする方が簡単ですから…

今は2015年になりました。いま東南アジアで経済格差を感じる国境といえば、たとえば「タイ‐ラオス国境」があります。現時点で両国の表面的な発展ぶりやインフラ整備状況の差は歴然。でも、あと10年もすれば、ラオス側が急速に発展して、表面的にはタイ側と変わらなくなっちゃうんだろうなと思います。

水は高きところから低きところに流れる…

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