人生最悪の乗り物体験

おはようございます。Manachanです。

いま、東海道新幹線で京都に向かっています。普段、LCCや高速バスなど、超安い交通機関ばかり乗っている私にとって、たまに新幹線に乗ると、さすがに「客層の良さ」を感じますね。、

皆さん静かだし、とてもお行儀が良い。新幹線は格安高速バスと違って、「オヤジ加齢臭問題」も、「お兄ちゃん騒音問題」とも無縁に見えます。

私は、子供の頃から、貧乏旅行大好き。今でもそうです。お金がない割に、出歩くのは大好きな性分なので、交通費や宿泊費を1円でも安くあげるために、時刻表やネットとにらめっこして、時間と労力をかけ、並々ならぬ情熱を燃やすのです。

もちろん、私も良い歳の大人になり、「お金で時間と安全と快適さを買った方が良い」という理屈も十分理解できるようになりましたが、A long-lasting habit dies hard! 幼い時からの貧乏旅行癖は、なかなか直りません。私にとって、「交通費を安くあげた時の喜び」が、「お金かけて快適に移動できた喜び」を上回るのだから仕方ありませんね。

困ったことに、日本だけでなく、世界中、どの国に行っても、私の性癖は変わりません。日本であれば、どんなに安い交通機関を使っても、一応、最低限の安全、衛生、快適さは確保できますが、新興国や途上国だと、なかなかそうはいきません。時には、安い交通機関を使うことが、ケガ、死亡のリスクを増大させることにもなります。

バスの上に乗ってる人たちのケガ・死亡リスクは、いかほど?

さすがの私も、近年の新興国出張では、お金をかけてリスクの少なそうな選択肢を取ることが増えましたが、昔、バックパッカー時代の私は違いました。当時は平気で、「荷台にニワトリを満載したオンボロバス」に乗って、「内戦で数ヶ月前に爆破された橋を迂回しつつ移動」とか、していたものです。鼻には「超満員の地元乗客のむせかえる体臭」、耳には「荷台から聞こえてくるニワトリの鳴き声」…東南アジアやインド、中南米で、そんな安バス旅行を続けていました。

そんな私が体験したなかでも、最悪の乗り物体験といえば、「無座」、つまり、座席のない状態で、電車、バス移動をすることです。

座席予約がなくても、空いた席に座れるからいいじゃん、みたいな生易しい状態ではありません。途上国の安電車や、安バスは、いつでも定員オーバー。たとえば、20年前の中国で、電車で長距離移動するには、何日も前から準備して、駅で切符を買い、目的地までの座席を確保していくのが基本。それでも、座席を確保できない乗客はゴマンといて、彼らは通路とか、入り口近くで「地べたに座って」、モノを食ったり、トイレに立ったりしながら、悠然と長距離移動するわけです。

私、中国では、西安→西寧間(所要24時間)、西寧→ゴルムド間(同22時間)、成都→広州間(同60時間、2500km超!)の電車長距離移動をしましたが、どの電車も、「無座乗客」が満杯で足の踏み場もない位。数日間、彼らの食い散らかした食べカスが、山のように溜まる状態でした。

最近の中国、電車内環境は随分マシになりましたが、20年前はまじで「修羅場」でした。

それでも、通路に座れるのはまだ恵まれた方で、ひどい時には、他の乗客の足元の、狭い空間に寝転ぶしかない、という状態。中国での電車移動中も、私の足元で寝ていたお兄ちゃんが、忽然と起き上がってきて、ぶったまげました。彼はトイレに行って、しばらくした後、私の足元の「指定席」に戻り、再び寝転がりました。

かくいう私も、人生で一度だけですが、「無座」で、「他人の足元に寝て」バス移動したことがあります。舞台は南インド。カルナタカ州のマイソール(Mysore)から、タミールナド州のコインバトール(Coimbatore)まで移動するバスのなかでした。

私の移動ルート・・・

マイソールのバスターミナルで、いろんな手違いがあって、結局、私の座席予約がなくなってしまった。どのバスも超満員。でもって、翌朝には、西海岸のケララ州まで移動しなくてはならなかった。でもって、この区間は、バス以外の移動手段がない。

私は仕方なく、「無座」での移動を決意し、インド人男性乗客の足元の狭い空間に身を横たえました。我が人生で体験したなかで、最悪の乗り物体験でしたね。

とにかく、狭い。それ以上に、寒くて寒くて・・・南インドとはいえ、マイソール→コインバトール間は、ウーティ(Ooty)という、標高2300mの高原地帯を越えていく山越えルート。標高が高くなるほど、バスの床から、冷気が直接伝わってきます。まじで死ぬかと思った・・・。

無事、コインバトールのバスターミナルに着いた時、命拾いしたような気になりましたね。それでも俺は生きている・・・

そんなふうに、若いころ、いろんなハードな旅行体験をしてきて、それが、今になって役に立ってるのかどうか?

たとえば、体質上、快適さのレベルを下げても全然気にならない。たとえ小便臭い安宿でも、天井から落ちてきたヤモリが顔の上を這うような宿でも、それなりに満足できてしまう…というのは、良いことなのかどうか、分かりません。

ま、私なんて、いくつになっても、そんなもんです。

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